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2005年5月31日 (火)

高齢者向け信託ビジネス

きょうは企業価値論とはまったく別の話ですが。

「信託改革 金融ビジネスはこう変わる」という新刊を読みました。現在60歳以上の方が700兆円の資産を保有し、数年後に団塊世代の方が加わるとものすごい富の偏在が起こるということです。今朝の新聞でも大手信託銀行が「高齢の富裕層」をターゲットにした商品開発や、情報交換などを進めるということです。成年後見制度(任意後見契約締結を含め)がかなり一般に浸透していることや、平成15年の税制の変更で、高齢者ご自身で資産の管理運用処分方法をまえもって決定する機会が増えたことも、信託会社が高齢者保有資産管理などへ注力する動機になっていると思われます。

ちょっと、読んでいて気になったことは、遺産管理業務というものについてですが、高齢者が亡くなって、その後相続人が数名存在する場合、みなさんから委任状をとって(もしくは遺産管理委託の契約書をとりつけて)ややこしい遺産分割の手続きを信託銀行などが代行するということですが、これは信託法によって適法とされているのでしょうかね。弁護士の場合には、あとで相続人どうしがもめるような場合には、それまで皆さんの委任状をとって遺産分割業務を遂行していた場合には、どの相続人の代理も継続してはならず、すべての業務から辞任しなければならない、と思います。したがいまして、たとえ当初、相続人が仲良くしてても、弁護士はなるべく相続人のうちのどなたかおひとり、ということで代理人に就任するようにしています。

もし、相続人どうしで遺産の範囲や持分などで紛争が発生した場合には、その時点で遺産分割業務を中断して、信託会社が弁護士を紹介する、ということでしょうか。それにしても、それぞれの相続人に、同じ信託会社が別々の弁護士を紹介する、というのも、すこしおかしな話のようにも思えますが。

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2005年5月30日 (月)

弁護士のお値段について考える

昨日は「会計士さんのお値段」について書いてみましたが、今日は「弁護士のお値段」について考えてみたいと思います。

たとえば、私のブログでいろいろと検討しております企業買収防衛策について、(最近疑問に思っていたこととして)「イーアクセスのプラン」と「西濃運輸のプラン」を比較してみたときに、「なぜわざわざイー・アクセスは信託会社に直接新株予約権を取得させずに、SPCに取得させるのだろう」という疑問を抱いております。私は、この問題について、もし弁護士として回答するのであれば、(もちろん直感としてですが)SPCを介入させたほうが、新株予約権付与の対象者を選択する企業にとって「株主平等原則」に違反する程度が低くなることと、実務として100パーセントきっちりと新株予約権を付与できることはないだろうから、その手続き上の瑕疵責任を(直接企業が負うよりも)SPCに負担させるほうがいいのではないか、ということをブログやホームページで述べました。

ところで、きょう47thさんのブログで、この問題に関する(47thさんの直感による)コメントが書かれており、なるほど、この人はきちんと報酬のとれる弁護士だなあ・・・と納得しました。もちろん、そこに指摘されている問題が正しいかどうかはわかりませんが、このコメントの素晴らしい点は、銀行法や独禁法との関係、信託法特有の問題点、規制法との問題点など、「正しいかどうかはわからないけど」問題点が必要十分にして指摘されている、ということです。問題点がきちんと指摘されておれば、後は時間をかけて実務的な研究をすればよいことでしょう。企業から弁護士に求められるのは、汗の部分ではなく、このような「知恵」の部分でしょうし、だからこそ昨日のブログに書きましたように、弁護士の実力というのは「目に見える差」というもので測ることが可能だと思うのです。また、同じ問題について、磯崎さんのブログでも丁寧に税務面からの検討がなされており、おふたりの見解というのが、無料で読めること自体たいへんありがたいなあ・・・と思ってしまいました。

ただ、あえて誤解のないように申し上げておきますが、弁護士の場合には、この「知恵の差」というものが、報酬の差という面だけで現れるものではないことはもちろんのことです。47Thさんのような「知恵」のある弁護士さんが、社会のいたるところで活躍しています。私の周りでも老若関係なく、被害者弁護団や、倒産管財人、労働者側代理人、政治家などに、ときどき「知恵があるなあ」と舌を巻く弁護士さんがいらっしゃいます。同じものを見たり、同じことを考えたりしているのに、そこから出てくる情報の質や量が違ってくるのは、おそらく才能に加えて、多くの分野に対する深い興味に導かれるところが大きいように思います。

去年今年と、なにかのご縁で、「2ちゃんねる」の管理人さんを被告とする事件を2件ほどやらせていただきました。管理人さんとは東京地裁で一度だけしか話をする機会がありませんでしたが、やはり「若くて知恵のある人だなあ」という印象を持ちましたし、この人が弁護士になったとしても、相当優秀な弁護士になるだろうな・・と確信しました。(この6月、大阪弁護士会にこの管理人さんがシンポジウム参加とのことでやってこられるそうで、私も実行委員会よりパネリスト参加の要請がありましたけれども、事件相手方とシンポジウムに参加するのはさすがにマズイだろう、と思い辞退させていただきましたが)正直言って、40代も半ばになりますと、この47thさんや「ひろゆき」さんのような方の才能は羨ましいばかりですね。

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2005年5月29日 (日)

会計士さんのお値段

事件の相手方との間で、会社の一事業部門の営業譲渡対価を算定しておりますが、訴訟ともなると、その営業譲渡対価について、それぞれの意見が対立してしまって、なかなか和解ができません。どちらにも公認会計士さんが意見書を作成してくれておりますので、企業価値についての客観的な合意が可能かといいますと、実はそんな簡単なものでもなさそうです。いわゆるキャッシュフロー割引法を基本としていることが同じなんですが、リスクをどのように算定するのか、何年のフローをとるのか、将来の売却代金について、どのような事例を基礎とするのか、いろいろと会計士さんの裁量によって決まる部分があるようなんで、企業価値の把握が困難になってきました。

ところで、ほかのブログでも話題になっていたり、また直接たずねてみたりしたことから思うことは、会計士さんの報酬というのは、ほかの人との能力の差というものではっきり決まるものでもないようですね。とりわけ会計監査を中心に行っている会計士さんは、常に100点をとる仕事が要求されるから、100点とって当たり前、仕事の出来において、ほかの会計士さんとの比較、ということもあまりクライアントからされないような仕事環境なんでしょうか。弁護士の場合は、訴訟における勝敗や、和解による処理の巧拙、事件処理の見込み通りの結果を出したかどうか、執行猶予のついた判決をもらえたかどうかなどなど、結果がクライアントに容易に理解できたり、また別の弁護士との巧拙の比較が可能だったりするために、「私はあの人と違って高額ですよ」と言いやすい環境にあります。(もちろん、私がとうわけではありませんよ・・)したがって、実力がつけばそれに伴って報酬のステップというものも駆け上がることが可能です。しかしながら、会計士さんの場合には、「うちの監査法人は実力があるから監査は高いですよ」ということが言いにくいように思われます。日本の監査報酬はアメリカと比較すると数分の一以下、と言われますが、企業からリスクをとってあげる大切な商売なのに、そのリスク回避のお値段がかなり低額に見積もられているのではないかな・・・と考えたりします。そのあたり、会計士さんが不満を抱くと、結局独立されてコンサルとして経営者の道を歩まれることになるんでしょうかね。

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2005年5月28日 (土)

タイガー&ドラゴン(その1)

予定どおり、経済産業省と法務省連名による「企業価値・株主共同の利益の確保又は向上のための買収防衛策に関する指針」が出ましたね。両省が策定にあたって対立している、などというニュースも出ていたので、とても楽しみにしておりました。

まだザッとしか読んでおらず、全体に対するコメントなども、専門家の方々がなさると思いますので、外野からの無責任な発言になるかと思いますが、私の印象としましては、まさに「タイガー&ドラゴン」・・すばらしい指針だなあと作成者の英知に感服する自分と、ちょっとおかしんちゃうかな・・と指針の隙間に目を輝かせる自分が混在しているところです。社外監査役としての仕事からすれば、関与している企業にとってできるだけ完璧な防衛策を検討したいと思うところもあり、また隣接業種の方々と研究会を開催している買収者向けのスキーム検討にあたっては、この指針の脆弱な部分を掘り下げたいと考えてもいるところでもありまして、仕事柄、たいへん貴重な資料であり、興味深いものです。

第一印象としましては、「西濃運輸の信託型ライツプランも、この指針ならオッケーなんかなあ・・」ということでしょうか。この指針の7ページあたりに、私が昨日書いておりました「さっぱりわからない」点の回答も出ているようです。財産権侵害の可能性、商法280条ノ21第1項に関する脱法行為のようにも思えるのですが、いちおう株主総会の特別決議を発行の条件にしておりますし、また新株予約権の内容については、適法性を高めるための工夫もこらされているということでセーフということなんでしょうか。

ちょっと、法律家としての疑問としては恥ずかしい限りなんですが、この指針6ページから7ページにかけて、新株予約権を株主に割り当てるにあたって、買収者だけに割り当てないことや、買収者にも割り当てるけども、行使させない、ということが「株主平等原則」に違反しない、とする理由、ほとんどわかりません。これ、法律家以外の方でも、読んで頭ですぐ納得できますでしょうか。

「株主平等の原則とは、株主は、株主としての資格に基づく法律関係については、その有する株式の数に応じて平等の取扱を受けるべきである、という原則である」これは、神田教授の「会社法第四版補正2版」49ページに書かれている株主平等原則の定義です。この平等原則の定義と、指針6ページから7ページにかけて書かれている理由とが整合するのでしょうか。(誰かひとりぐらい、新聞のコメントで同じことに疑問を抱いた専門家の方でもいらっしゃたら心強いのですが)指針の理由では、そもそも商法では新株予約権は株主としての権利の内容ではないから、とか新株予約権の割当は株主としての権利とは無関係であるから、ということが書かれておりますが、しかし「第三者割当」でもなく、「社債権者」への割当でもない、れっきとした「株主割当」で新株予約権が発行されるわけですから、これはどうみても株主との法律関係上での「取扱上の」問題だと思いますけど。おそらく指針の考え方は、「そもそも新株予約権は、現行法上会社が自由に割り当てることができるものであるから、たまたま買収者を除いた株主にだけ発行するとか、行使させる、という発行方法は株主の権利内容への干渉とは異なる、ということなんでしょう。しかし、新株予約権に現行法が随伴性を認めていないのは、そのことで直接金融が容易になるから、との政策的な判断からであって、本件のように支配権獲得を目的としていることが明らかな場面に、自由割当の理由を持ち込むことには大きな矛盾があり、説得力がないと思います。そのうえ、常識的に考えても「株主だけに割当」ているのに、発行されない株主とか行使できない株主が出てくるということはやはり素直に考えても「株主の取扱に差をもうけた」と判断するのが筋ではないでしょうか。

まだほかにも「企業秘密」の開示を、「企業価値判断」時における株主から企業が開示を求められたとき、どうするんだろう・・・などと素人疑問は尽きないのですが、とりあえずまだ熟読しておりませんので、きょうはこれまでということで。指針を読んでのご感想など、また詳しい方のご教示をお願いします。。。

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2005年5月26日 (木)

企業買収防衛策に対する素朴な疑問

商事法務1731号(5月5日、15日合併号)の座談会記事、とりあえず全部通して読みました。現在、会計士さん、M&A仲介業者さんと取り組んでいる事業の参考にさせていただこうかと思っています。

ただ、なんとなく「素人の素朴な疑問」というか、杞憂にすぎないと言われればそれまでなんですが、すでに各社で導入されているようなライツプランというものが、本当の有事に機能するんかな・・・・と、そんな気がしてきました。いままで拳銃を持ったことのない日本人が、いきなり練習もせず「これ一発で、奴を撃て」と言われているような、そんな無謀なことを考えているように思えてきました。拳銃に弾は一発なんですよね?

しかも、いろいろと判例などに出てくるアメリカの事案というのは、双方がアメリカの企業であり、資金力なんかもそれなりに豊富なわけで、資金力に大きな差がある欧米企業が日本企業をターゲットにしてきた場合にも、その「武器」が通用するんでしょうか?たとえば、孫会社を使って、ライツプランを発動させて、丸腰になったところで子会社がそのあとTOBをかけるとか、そんなアコギなことでなくても、買収したい企業を複数の希望企業が順次敵対的買収をかけてくるとか、そんな事例でもうまく機能する防衛策というものがあるのかどうか、不安になってきます。(いままで、そんな議論はどこかでなされているのでしょうか?)

ゲーム感覚の発想が先立ってしまって見えにくいかもしれませんが、本当に必要な防衛策は、企業にとっては地道な企業価値向上のための施策と株価対策、そして国による規制法の改正(具体的には証券取引法による規制)なのかな・・などと疑問を抱くに至っています。たしかに「いい買収は企業にとっても歓迎」ということが前提ならば、あまり規制法による防衛はよろしくないとは思うんですが、さて冷静に考えて「いい買収」と「悪い買収」というのも、そんなに簡単に判断できる人っているんかなあ・・・と、どっかで割り切らないといけないんじゃないかな・・・と。

いまできることから始めよう、という気持ちになって、まずは防衛策を検討しておりますが、株主総会終了後、「これでホットひと息」ということには、どうもなれそうにありません。。。

西濃運輸さんのライツプランの説明、どなたか理解できた方がいらっしゃったらご教示ください。私は何度読んでも理解できません。

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2005年5月25日 (水)

法務担当者の「心の準備」

一介の地方弁護士でありながら、たいへん偉そうな題目を掲げてしまいましたが、まあブログでの勝手な意見として聞き流してください。昨日のエントリーのなかで、企業法務担当の方というのは、「訴訟で勝つか負けるかではなく、訴訟にならない方法を教えてください」と法律専門家に相談されるケースが多いということを書きました。法的安定性、予見可能性を強く求める、というのは企業法務部のあり方としては正しいと思いますし、「訴訟になること=企業としての事件」という図式も間違いではないと思います。したがって、私が企業法務部の担当者の方へ回答する場合にも、もし訴訟になった場合には、このような主張立証でいけば勝てますと、言いたいところなんですが、もっと前段階で、ここまで予防しておけばおそらく訴訟にはならないでしょう、ただしこれは予防ということで、双方の合意が必要ですから、法律外でのビジネス上の力関係に影響されるものです、そのあたりは経営判断でどうぞ、という回答をしてしまいます。

たしかに、相手との取引上の優劣関係から、法的に完全に有利な契約を締結して、絶対に有利な証拠をとりつけておけば、訴訟となる可能性はかなり低減することは事実です。したがって法務担当者としての最善の努力義務は尽くしたことになると思います。しかし、これで「訴訟にならない」のは、相手方が「泣き寝入り」するからです。「泣き寝入り」する主な要因としては「勝訴の見込みがない」「相談できる相手がいない」「たとえいたとしても勝訴の見込みがないので費用が払えない」「裁判がうっとおしい」などの理由からです。いままでは、相手方のこのような事情によって「訴訟リスク」を低減させることが可能でした。

しかし、今後は「泣き寝入り」の法則によって、訴訟リスクを低減することが困難になると思われます。なぜなら、泣き寝入りの法則を支える事情がおそらく今後はなくなってしまうからです。まず圧倒的に増える弁護士の数です。ここ数年で都市部における弁護士数は飛躍的に増えていきます。ロースクール出身者が研修所を卒業するころには、非常に多くの法曹が社会に散らばります。また、すでに8300名以上の司法書士の方が簡易裁判所における代理業務の資格を取得しており、(つまり示談目的であれば数億円の事件でも、司法書士さんが代理人として業務を行えます)積極的に市民の相談に応じています。つまり、相談できる相手がいない、という点においては実情が急激に変わりつつあり、法律問題を低額で相談できる専門家は飛躍的に増えているというのが現状です。また、低廉な費用で利用できるADRが充実してきました。私も大阪弁護士会民事紛争処理センターの示談斡旋人をしていますが、近年利用率は飛躍的に伸びています。ここでは法律専門家が中立第三者となって、双方から紛争の実情を聞き、訴訟となった場合の勝訴見込みなども配慮したうえで適切な和解案を提示します。つまり、専門家の代理人を立てなくても、誠意をもって双方の主張および証拠の評価を第三者が行い、それぞれの立場の優位性などを検討するわけで、代理人を立てたりせずとも、また勝訴見込みをあまり気にしなくても気楽に申立ができるため、泣き寝入りの大きな要因が排除されてしまいます。

さらに、弁護士に(独禁法の関係から)標準報酬規定が撤廃され、依頼者との報酬決定方法が自由に設定できることになったことも大きな要因です。以前から使用されていた弁護士もおられましたが、最近は事件の性質からしてタイムチャージを採用する弁護士がたいへん増えています。(もちろん、タイムチャージといいましても、きちんと訴訟に勝ち、回収が成功した場合には成功報酬を別途頂戴する契約ですが)いちおう、事件の勝訴見込み、金銭回収見込みなどはきちんと依頼者に説明する義務がありますが、依頼者もまとまった着手金は払えなくても、毎月「これくらいの費用ですむ」という見込みがあれば、たとえ敗訴の可能性が高いとしても、「納得するまでやってみよう」という動機付けとなります。また、これなら(報酬体系が明確なので)受任する弁護士としても、非常に気楽に、思いっきり相手とやってやろう、という気持ちにもなれますね。

以上のような我々を取り巻く社会の変化から、一般市民、中小零細企業の立場で、今後は「泣き寝入り」の法則が成り立たない時代がやってくるのは間近でして、間違いなく多くの企業がいやがうえにも「訴訟社会」に巻き込まれることは事実です。今後の訴訟社会における企業法務のあり方について、法務担当者の立場から、すこしばかり問題意識を持っていただければ、と思います。

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2005年5月24日 (火)

商事法務の座談会記事(買収防衛策)

企業価値とその司法判断ということについて、敵対的買収への防衛策を中心に、いろいろと考えてきましたが、ここ数日に少し頭を整理しようと思い、関連雑誌などを読んでみました。そのひとつが「商事法務5月5日、5月15日合併号です。

企業価値研究会に参加されたメンバーの方4名による座談会が掲載されておりますが、この座談会「企業買収防衛策をめぐる法的論点と実務上の対応」はさすがに論点公開を作成された方々の意見表明モノとあって、もっとも「論点公開」の趣旨を理解しうるものだと思いました。経済産業省の日下部課長や武井弁護士が「経営者の判断プロセスについて、司法判断が及ぶものとすれば、企業価値をめぐる現場での争いを前向きに解決できるのではないか」としている提言はたいへん示唆に富むものだと思います。また、機関投資家代表の村田氏の意見についても、たいへん勉強になります。立場が違えばあたりまえと言えばあたりまえですが、そもそも司法裁判所が具体的な防衛策の発動や、策定にあたって、「どのようなものなら違法、適法」と判断されること(つまり司法が政策形成機能を果たすこと)自体、避けるべきである、それでは予見可能性、法的安定性に欠けてしまい、投資意欲を萎縮させてしまう、という問題点を強く主張されているところです。われわれ弁護士とは異なり、企業法務の現場サイドの方々の意見というのは、企業買収防衛策問題にかぎらず、おそらくこの村田氏の意見に集約されるところではないでしょうか。どのような行動をとれば、単に訴訟に勝てる、というだけでなく裁判にもならないか、その方法を教えろ、ということでしょうね。さらに、この問題に限っていえば、機関投資家という立場からすると、あとで司法裁判所によって、防衛策が発動されたり、解消されたりするということは、機関投資家自体が、その判断予想をしたうえで投資するかしないか、の判断を迫られることとなり、「リスクのたね」がひとつ増えることになるになるわけで、できれば回避したい問題となってしまうわけです。先日厚生年金基金連合会が、具体的な防衛策を示さない発行予定株式数の増加、役員数の減少を定める定款変更については基本的に反対する、との意見を発表しておりましたが、これも機関投資家としてのリスクをひとつ回避することの表れだと思います。

そして、非難、お叱りを受けることを覚悟のうえで私見を述べさせていただくとすれば、もっとも(過激?)な見解をお持ちなのは誰でもなく、神田座長ではないかな・・・との感想を持ちました。過激というのが語弊があるとすると、いま最も常識的な買収防衛プラン、として世間で評価されつつあるような対処法からみると、もっと「現経営者側の判断でぶっとばしていいんだ」みたいな、そんな見解を希望としては持っておられるように感じました。まず実体法としての商法が思い描く「取締役」というものは経済的にも法律的にも合理的な判断ができる人を想定しているのであって、だからこそ株主から信認を得ているのではないか、またそれを前提とする規定が現商法にはあるではないか、という思想が横たわっているように思えるのです。ちょうど憲法の勉強で、憲法の基本原則である「国民主権」と代議制に関する論点を勉強していたことを思い出します。国民の意味をひろく抽象的に捉えるか、一般市民、大衆という意味にとらえるかによって、国民の代表である代議員の意味も変わってくる、という論点です。この考え方の違いによって、選挙制度の合憲、違憲という判断も異なってきます。これを株主と取締役ということで置き換えてみると、神田教授は「個々の株主の利益などは、ひとつひとつ集約することは困難であり、これを株主の個別の意思をそのまま経営に反映させることは至難の業であるし、それによって企業価値、株主価値の向上は期待できない、したがって取締役がそのような株主の「総意」のようなものを汲み取って株主利益を反映させればよいのではないか、なぜなら取締役は短期間のうちに株主の信認を受けているのであり、また総意を汲み取ることができるだけの経済的、法律的な合理性を有する人間だから」という思想をお持ちのように感じます。もちろん、そのような思想以外にも、有事における株主の行動が、とうてい企業価値の理性的な判断を期待しうる状況にはない、という具体的な弊害も理由のひとつではあるでしょうが。(この理由は商事法務の座談会記事にも掲載されております)

もし、新聞報道にあるように、法務省と経済産業省との間で、防衛策ガイドラインの公表内容に対立があるとすれば、この「株主と取締役との関係に対する理解の違い」にも、その一因があるように思えてなりません。(また 続きモノ、とさせてもらいます)

追記

今朝(5月24日)の読売朝刊に厚生年金基金連合会の幹部の方のインタビュー記事が掲載されていました。その記事を読みますと、上記の理由以外にも、いい買収と悪い買収があるんだから、有事において株主が買収の是非を十分判断しうるシステムでないと具合が悪い、という趣旨を強調されておりました。松下の事前警告型のシステムを高く評価されているのが印象的でした。(私は一部欠陥があり、買収希望者からは訴訟に持ち込みやすいシステムだと認識していますが)

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2005年5月23日 (月)

談合と企業価値

先週、鉄鋼製橋梁談合事件についてコメントを書きましたが、いよいよ談合参加企業のうち幹事会社8社、営業担当幹部10名に対する強制捜査および出頭要請が出され、30年に1度(検察幹部)、といわれる談合事件の検察捜査が開始されました。毎日新聞の夕刊には、この幹部1名の方の(捜査前の)コメントや、刑事告発の基本的要件(談合破りに対する制裁の有無、役員クラスの関与、談合参加企業の市場規模など)が掲載されており、非常に参考になります。

強制捜査の対象企業からコメントが寄せられています。ほどんどが「事実とすればまことに遺憾。厳正に捜査を見守りたい」とのこと。いままではこれでよかったと思いますが、イマドキこのコメントではマズイのではないでしょうか。経営トップクラスが談合参加の有無について知らなかった、ということは、まったく「内部統制システムを構築していなかった」というに等しいことではないでしょうか。個別の受注に関して違法行為があったかどうか、ということはまずトップクラスが熟知しておくべき事柄でしょうし、事実がトップに伝わっていなかったとすれば、大きな問題です。またすでにこの問題は平成16年10月ころから社会問題化していましたから、その後社内で厳正な調査をしていなかったとすれば、企業のコンプライアンスへの取組というものは、まったく放置されていたと言われても仕方ないように思われます。

さらに、前記毎日新聞の記事によりますと、捜査の対象となっている幹部社員の弁護士費用なども一切企業のほうで負担して、面倒をみる、ということのようです。会社のためにしたんだから、面倒を見て当然ということでしょうか。

さて、談合に加担していた47社のうち上場企業については、この6月の株主総会で一般株主からいろいろと質問されることが予想されます。一般株主はこの談合問題について、どのように受け止めるでしょうか。もし、談合をないものとすれば、外資を含めた競争に負けることとなり「企業価値」が減少するためにやむをえないものだったと判断するでしょうか。それとも、「いや、どんなことがあっても談合はよくない、一時的に株価が低落しても、長期的に企業価値を向上させるよう努力してほしい」と考えるでしょうか。

企業トップとしては、今後「企業価値を高める」ために、自社がどのような姿勢で臨むのか明確にすべきだと思います。談合は、自社が企業価値を高めるために必要だと思えば、そのように言えばいいし(適法な談合システムを提言するのか、現独禁法の規定を問題視するのか)、絶対あってはならない、ということであれば、①談合への参加の有無への内部統制システムの取組方法、②違反社員への姿勢(刑事事件となったときの懲戒問題や弁護士費用捻出の有無)③談合へ参加せずとも、企業価値を高めることができる経営計画の提示④他の談合を発見した場合の自社の対応(通報するか、黙認するか、やはり参加するか)など、はっきりと株主に説明する必要があるように思います。

日本人の感情として、「会社のために誰かがやらないといけない悪事に手を染めた社員なんだから、後始末してやるのが当然」というのも(すくなくとも私は)理解できます。だったら堂々と「うちはそんな会社です。そんな会社だからこそ外資と闘って、今後も株主の皆様に大きな利益をもたらします」と説明すべきです。もし、「いや違法行為で儲ける会社は社会的な責任をまっとうしているとはいえません。そのようなことをする社員は厳罰で臨みますし、敗者復活はありえません。」ということであれば、今後の談合抜きでの企業価値向上のスキームを説明すべきだと思います。本件に関与した47社が、株主や社会に対して、どのように自社の姿勢を広報すれば、どのような企業評価を受けるのか、コンプライアンス経営のための重要な事例として注目されます。もし、各社同様のコメント、各社同様の対処方法ということであれば、また「より巧妙な談合」が繰り返される結果になるだけだと認識してしまいそうです。

追記

メールで、この問題は受注者だけでは解決できるものではなく、発注者による競争入札制度自体を改正する必要がある、というご意見を頂戴しました。そのあたりの実務について、あまり詳しくないもので、すこし論点が欠落していたようです。もうすこし勉強します。

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2005年5月21日 (土)

法務省と経済産業省が対立!?

以下のような毎日ニュースの記事をみつけました。

買収防衛策:指針づくりで経産省と法務省が対立

この記事を大まかに整理すると、経済産業省は、予定どおり「企業価値研究会の論点公開」の指針に基づいたガイドラインを作成したところ、法務省は社外取締役の行動が「株主総会の承認」に等しいほどの公正性を確保できるものかどうか疑問であり、その関与に法的効果を認めることはできない、として別のガイドラインを作成している模様です。そして、双方の主張は対立したままであり、予定として発表されている「5月末までの公表」が可能かどうか、不明とのことです。この対立を超えて、どのようなガイドラインが公表されるのか、ますます興味深いところとなりました。

これまで私が(勝手に)このブログで提案しておりました敵対的買収に対する防衛策は、明らかに法務省寄りの見解です。どんなに社外取締役が「公正独立の第三者といっても、それは現経営陣が依頼して就任してもらった方なんで、保身目的である」ことは誰の目にも明らかです。したがって、少しでも、この保身目的を希釈して、公正性を担保するために、プランとして提言したとおり、種類株主総会による決議と社外取締役の意見を双方持ち込んだ判断基準が必要ではないかな・・と思います。これであれば、法務省が主張しているような「株主総会の承認」に匹敵する程度の判断基準と(かろうじて)言えるのではないでしょうか。

ただ、法務省が「社外取締役に法的効果を認めない」とする主張にも異議があります。この法務省の見解は、おそらくいままで委員会等設置会社の導入とワンセットとして用いられてきた社外取締役、つまりコーポレートガバナンスのあり方を論じる際の(業務執行の監視者たる)社外取締役を指しているのであって、私がいままで提言しているような企業買収という有事において立ち回りを演じる社外取締役とは意味が異なる、という点を明確にしていないところがあります。もし、経済産業省のガイドラインに「法的効果を左右する社外取締役」が登場したとすれば、その社外取締役に独自の行動指針を付与すればよいと思います。つまり、私の買収防衛プランに記載したとおり、社外取締役が平時においてはどのような業務を尽くし、そして有事においては、どのような企業価値算定のための行動をとるべきか、つまりプランの運用まで含めて法的判断の対象とすれば、「社外取締役に法的効果を認める」ことは可能だと思われます。

以上、またまた勝手な意見を述べていますが、私の職業柄、やはり裁判官、検察官身分を有する人が多い法務省の見解のほうがすんなり頭に入ってしまいました。

最終ガイドラインは、この6月下旬に予定されている株主総会において、防衛策を議題として用意している企業にとっては、たいへん意味のあるものですから、できるだけ早期に公表してほしいものです。

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2005年5月20日 (金)

ガイドライン行政について

社会問題へのツッコミが鋭く、いつも興味深く拝読させていただいている47thさんのブログで、スーパー袋の販売化に関する意見が載せられています。

レジ袋「禁止」案の「?」

小売店における買物袋の無料交付を法律で禁止したり、罰則として社名を公表することについては、私も基本的に反対です。法施行のための余計な人的、物的設備の増加につながることが心配です。この問題については、掲載されている記事によりますと業界の自主規制等にゆだねても効果が期待できない、とのことですが、これこそ環境省によるガイドライン策定によって業界の自主ルールを誘導するのが適正ではないかな(適正というのは語弊があるとしても、今最も活用しやすいのではないかな)と思います。

ガイドライン行政が期待しうる理由は、この問題が環境配慮に関するものだからです。企業の社会的責任(CSR)が話題となっている昨今、企業にとって最もナーバスにならざるをえない問題のひとつは環境問題です。CSR問題が「企業価値」に与える影響というのは、多種多様なご意見があるのが事実でしょうが、こと「環境配慮」についてはもっとも「企業価値」に影響を与えるCSR問題という認識ではほぼ意見は同じではないでしょうか。もし環境省が大型小売業者の買物袋取扱に関する遵守ルールを定めたとすれば、(もちろん法的拘束力はありませんが)業界団体も細則を整備し、各大型小売業者も自社の対策を広報することになるものと予想します。

なお、47thさんは、買物袋有料化(その金額の妥当性を含めて)と消費量(減少)との因果関係は疑わしい、とのご意見のようですが、この点はちょっと意見が異なります。5円、10円の値段のちがいを求めて、遠くのスーパーへ「ママチャリ」で出かける主婦にとって、もし有料化となれば、まちがいなく買物袋は買いません。(うちの嫁さんも絶対に買わないと申しておりました)経済的合理性だけで動く消費者の存在は希少であり、「きょうはあのスーパーで他店より5円安いキャベツ買えた!」こと自体に満足する消費者が集結するスーパーでは、やはり買物袋の有料化自体は、消費量減少へ明らかに進むものと思います。

また、買物袋有料化によって、スーパーが得をするかというと、そうでもないような気がします。私がこの記事を読んだときにまっ先に思ったことは

「ホンマかいな!?それやったら万引き なんぼでもできるやん・・・」という感想でした。

もし持参袋フリーなら、店舗内で袋に入っている品物はどこで買ったものかも特定できないし、レジ通過後も、万引きした品物なのか、正規で買ったのか、他店で購入したのか、その袋に入れてしまったら特定は難しいのではないでしょうか。したがって、万引きの現行犯は相当厳密に行動を監視していなければ摘発できないので、監視カメラや警備員の増員のために小売店の経費はむしろ増大するのではないかな、と予想します。コンビニなら、なおさらのことのように思います。(ちなみに、私は万引きはしませんよ。たんに、そう思っただけですから・・・)

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企業買収防衛策に対するガイドライン

平成18年施行予定の「新会社法」が衆議院を通過したことから、5月中にも法務省と経済産業省は過度の企業買収防衛策がとられないように「企業買収への防衛策ガイドライン」を発表するそうです。すでに出されている「企業価値研究会の論点公開」を参考にして、ガイドラインが作成されるもののようです。

果たしてこのガイドラインが策定されたとして、そのガイドラインに沿った形で防衛策をとれば違法とはならないのか、また逆にガイドラインを無視した防衛策をとった場合に、適法にはならないのか、ふと疑問を抱いてしまいます。結論からいうと、私はガイドラインに従った防衛策を作ったとしても、まったく司法判断において適法とされる保証はない、と思います。

その理由のひとつは、ガイドラインの制定経緯です。ガイドライン行政は「護送船団方式」などといわれた行政の肥大化、強権化からの回帰として、行政のスリム化を目指した国民の要請に基づいて活性化してきたものです。つまり、行政による事前審査、事前規制、過度の行政指導、民間の丸抱え保護を抑制し、自由な民間活力による社会の活性化のために、規制は最小限度にとどめる、という思想に根ざしているもので、したがってガイドラインという形での「やわらかい」指導が重用されることになります。そして、事前規制を行わないことによる権利侵害や社会的不平等の発生については、裁判所等による事後規制に委ねることになります。もちろん、公正取引委員会や証券取引等監視委員会のガイドラインのように、その遵守が法律と同等程度に要請されるものもありますが、これらは独禁法や証券取引法などの守るべきルールがまえもって、しっかり存在していて、しかもルール違反がなかったかどうか、事後規制権限を付与された機関が作成するものですから、事後規制方法に影響を与えるガイドラインであることは当然でして、今回の経済産業省、法務省の発表するガイドラインとは性質が異なるものだと思われます。最高裁判所や高裁が出すガイドライン、ということであれば、おそらく法的ルールに近いものと解釈できますから、司法判断の予見可能性を探る重要な資料にはなりえますけど、そもそも経済産業省や法務省は、適法性を判断する権限をもっていない省庁ですから、ガイドラインの拘束力は薄いと考えます。

理由のふたつめは、すでに私が(勝手に)発言しているとおり、防衛策の適法性、違法性はそのスキームの「形」ではなく、「運用のありかた」に影響される部分が大きいと思いますので、ガイドラインにしたがったスキームを選択したとしても、「企業価値」「株主価値」の判断が合理的になされるような運用がなされていない限り、防衛策は違法とされる判断は十分ありえる、と思われるからです。

もちろん、取締役としては代表訴訟による提訴というリスクを最小限度にとどめるためにもガイドラインに沿ったスキームを選択することが適切であることは言うまでもありませんが、ガイドライン行政のあり方を考えてみた場合、後で後悔することのないよう、その運用面においても常時改善のための検討を怠らないようにすべき、と思います。推測の域を出ない私見ですので、閲覧されている皆様で、一度ご検討いただけたら、幸いです。

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2005年5月19日 (木)

監査役会での問答予想

きょうは決算発表日です。大証の場合はだいたい1社あたり20分とのこと。今年は、いろいろな意味での「定款変更」も多いんでしょうね。(別にどこが、という意味はありませんが)明日20日が決済発表のピークらしいですが、いろいろと問題を抱えている企業の場合には、持ち時間も長めに設定されてある、とのことです。

監査役に対する株主からの質問というのが、いままでなかった企業ですが、ガバナンス問題や内部統制システム構築などの話題が多い昨今、どのような質問があるかもわからないので、(たいへんまじめではありますが)常勤を中心にして、監査役会で総会シミュレーションを行いました。

取締役会との連携内容、会計監査人との連携内容、監査役独自の行動など、ほぼ一年間の作業の確認も終えましたが、ひとつ監査役会で議論が分かれたのは、「取締役会の内部統制システムへの監査」という点が、いったい監査役はどこまで監査した、と報告すればいいのか、という点でした。全社的に統制システムの構築状況、運用状況を監査した、というのが本筋なのかもしれませんが、それは取締役会と内部監査部門が責任をもって行い、監査役はその報告を受けるだけで足りるようにも思います。結局のところ、監査役が責任をもって自ら監査するのは、「取締役会が全社的な統制システムの構築運用への監視を適正に行っているかどうか、を監査する」ということになりました。

いままでは弁護士の仕事として、総会議事進行支援などの経験はありますが、自分が回答する立場になると、まったく別です。紋切り型の想定問答にはすこし違和感がありますから、自分の言葉で話したいですけど、あんまり総務の人がドキドキするようなことをするのも悪いしなあ・・。

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2005年5月18日 (水)

社外取締役と種類株主(その3 最終回)

きょうもTBSなどから買収防衛プランが発表されたりして、防衛策を打ち出す企業もすこしずつ増えてきましたね。私の防衛プランの提案シリーズも、いよいよ最終回となりました。

前回にもお断りしましたが、このプランは新会社法施行後に適用されるもの、ということでお考えください。また、私のモットーとしては、「どんなに著名な人が集まって策を弄し、どんな英知をもって対抗したとしても、平時には額に汗して株主と向き合い、有事には額に汗して買収者と真摯に向き合う企業にはかなわない」というシンプルな理念です。「努力した企業が報われる」防衛策でないと社会に受け入れられないし、裁判官を説得することは困難だと思います。

①買収者との交渉の時間をきちんと確保するため、信託型ライツ・プランを導入します。
おそらく、この信託型がポイズンピル導入にあたっては、課税上の問題もクリアしており、最もオーソドックスな形ではないかな、と私も思います。新株予約権付与の相手方(受益者)は特定目的会社を委託者、金融機関を受託者として、買収希望会社以外の株主に一定条件のもとで付与します。
②特定目的会社が信託している権利を株主に付与すべきか、システムを解除すべきかは、定款自治によて定められた譲渡制限付き株主による「種類株主総会」の判断によるもの(いわゆる現行法222条9項を利用した拒否権型ポイズンピルの応用です)とします。もちろん、この種類株主総会の決議要件を加重したり、社外取締役の参加要件を加味したり、種類株主総会の決議を尊重して社外取締役が最終判断するとしてもよいと思います。なお、譲渡制限付きの株主の選定ですが、これはその企業の規模や、ステークホルダー構成、株主構成次第だと思います。従業員持ち株会や機関投資家、外国株主、メインバンクそして一般株主など、ある程度その企業の持ち株比率を反映した株主を選定して、平時より社外取締役との間で企業価値向上のための施策などを検討していただくものとします。もちろん、プランが解除されれば、その後委任状獲得競争の余地は残します。

③信託型ライツ・プランの導入、種類株式の発行、種類株主総会の決議要件などについては定時総会における承認を必要とします。

プランだけ作っておいて、平時はほったらかしにして、有事にだけ効を奏する、というのは幻影にすぎないでしょうし、将来の考えうるリスクを常にチェックし、そのリスクへの最適なパフォーマンスを得られる方策を打ち出すという昨今の企業リスクマネジメントの思想にも合致しないと思います。そもそも、どんなプランを作ってみても、常識的にみればそのプランは「現経営者の保身目的」とみなされることは否定できないはずです。(だって、現経営者が作ったんですから)そうであるならば、普段から、企業は企業価値向上へ向けた情報を常に株主に開示し、利害の一致しない株主の意見を集約し、社外取締役はその企業の株主価値、企業価値向上のための算定基準を自ら模索する努力をしてこそ、有事には株主による企業価値判断、社外取締役による企業価値判断が合理性を有する、といえるのではないでしょうか。また、この案ですと「どちらが企業価値を高めるか、株主が判断した」という手続き的な合理性を担保しており、現実の社外取締役の姿をもっとも素直に見つめているという点でメリットがあると思います。

もちろん、この案には敵対的買収希望社側から種類株主への圧力の可能性とか、平時における種類株主の不満自体が敵対的買収を誘引する情報になりうるなど、補強を要する弱点もあるかもしれません。しかし信託型ライツプランだけですと、最終判断に「社外取締役」の責任が重大すぎて、本当にこれからこのような重大な責務を公正な第三者として全うできる社外取締役が多数出現するかといえば、現実にはかなり悲観的です。以前にも申し上げたとおり、いままで議論されてきた「委員会等設置会社」とセットになった企業統治論(業務執行の適法性の確保)における社外取締役の責務と、この企業買収時における防衛策適法性審査のための責務とはまったく異質です。一歩まちがえると忠実義務違反による民事責任、仮処分の差し止め対象になりかねないと思われます。(そこまでまだ議論されていないと思いますが)
細かなところを含めて、いろいろと初歩的なミスの多い防衛策かもしれまんせんが、普段の企業価値向上の汗と努力が、そのまま司法判断にも反映するような、「社外取締役と一般株主に優しい」、そんな防衛策を(もっと頭のいい人たちが)考えてほしい、と願っています。

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2005年5月17日 (火)

鋼鉄製橋梁談合事件

カルテルによる損害額760億円という、国発注にかかる橋梁談合事件が、いよいよ関連企業47社のうち8社に絞られて公正取引委員会から検察庁へバトンが移されるようです。対象となるのは談合の幹事、副幹事会社ですから、どこも日本のトップ企業ばかりのようです。1月24日の公取委での審判では「談合の事実は一切ない」「公取委の主張は曖昧であり、当社の反論すべき具体性がない」とすべての会社が否認していたにもかかわらず、公取告発事件としては最大級の20名以上の検察官投入という報道がなされ、立証資料の具体的な説明が公表されるや、一転して「談合の事実は認める」とのこと。なんともやりきれない気持ちになります。

どこもやってるから、うちもやる。談合の会合に参加しなければ、それこそ仕事が回ってこない。もし談合するなら、担当部署が独断でやった、という段取りで行う。談合交渉のゴルフのスコアカードも廃棄しておく。今後は検察庁の捜査は、この8社において、個々の発注談合にトップの関与があった、というところまで立証できるかどうか、ということでしょうから、担当者レベルでの取り調べは相当厳しいものとなるのではないでしょうか。(いや、ひょっとするとすでにトップへつながる証拠書類はそろっているのかもしれません)早い段階で真実をきちんと供述しないと、大型共犯事件ですので、身柄拘束は相当長期化されることが予想されます。

公取委の審判では一律否認し、検察庁の捜査開始時点では一転してみんな事実を認める、ということなら、これこそ「談合」のようなものです。各社の顧問弁護士の方たちなどはかなり苦しい選択を迫られるのでしょう。ある程度事実を認識したうえで「とりあえず、公取委の主張は不明確だから、具体的な主張があるまでは否認しときましょう」という指示はマズイと思いますし、かといって「御社はなにがあろうと、真実を述べ、ほかの会社とは一線画してコンプライアンス経営を貫くべきだ」と説得しようものなら明くる日には解任されるかもしれません。「きれいごとばっかり言って、役に立たない弁護士だな」と言われて終わり。。。弁護士の立ち回り方法としては、トップとだけ話をして「本当にこの時点では談合には参画していなかった」とか「会合には参加していたが、個々具体的な発注における連絡には参加していなかった」などそれなりに確認だけしておいて、先の審判時点における主張に至る、というところでしょうか。いずれにしても、依頼者の役に立つため、依頼者との「そこそこの」距離感を保つことが必要になるんじゃないでしょうか。(まあ、ここはご批判を受けることを覚悟のうえで現実論を述べたまで、と解釈してください)他の会社の弁護士さんとのやりとりも、ひとつ間違えると「証拠隠滅」被疑事件となってしまう恐れがあるので、気をつかいます。

独禁法が改正されて、今後ますます公取委が公正競争のルール作りに大きな位置を占めることが予想されますので、どうしても今回の事件は公取委のパフォーマンスを世間に示すための機会になります。今年の経済事件の目玉になるものと思います。

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2005年5月16日 (月)

弁護士たちの70日戦争を読んで

今朝(5月16日)の日経(スイッチ・オン・マンデー)に、フジテレビ代理人弁護士と、ライブドア代理人弁護士とのインタビュー記事が特集として掲載されていました。舞台裏に関するレポートとあわせて、たいへん興味深い記事でした。どちらも、「超」有名な東京の大手法律事務所のパートナーの方です。各種審議会、委員会の座長を務める東大の商法学者おふたりが、どちらもフジテレビ側に有利(と一応思われる)な意見書を提出されていたにもかかわらず、裁判所が別の判断を下ろしたことも興味深いのですが、「なるほど・・」と関心したのは、「もし、フジテレビ側に、引受権行使によって、ライブドアと同等程度の株数が得られるような新株予約権を発行することにしていれば、どうなっていたか」という問題です。

たしかに、通常の裁判ではなく、保全処分という裁判で争っている「特徴」を考えると、フジテレビ側としては検討に値する策だったと思います。ライブドア側の代理人も「そのような発行規模であれば、・・・司法判断は変わったかもしれない」と述べています。

ひとつめの理由としては、ライブドアの株数に拮抗する程度の発行株数であれば、明確に保身目的による株式発行とまではいえないのではないか、という点です。この点についてフジテレビ代理人は、「内部でもそうした議論はあった。・・(しかし)高裁は相手がグリーンメーラーでもないかぎりは予約権利用の防衛策は違法と判断しているのであるから、発行量が少なくてもやはり差し止めになったのでは」と述べています。しかし、裁判所の判断の枠組みは(概ねですが)まず発行目的を確定して、その目的が経営権取得をもっぱらとする、とのことであれば、特段の理由がないかぎり予約権発行は違法、とのことですから、そもそも「一般株主へ(委任状合戦などで)最終判断をゆだねる」という趣旨での発行であれば、その目的自体が別の解釈も成り立つことになるため、別の結論となったことも考えられます。

ふたつめの理由としては、たとえ株主の差止請求権が「被保全権利として」認められたとしても、最終的にライブドアの権利が「仮処分」を用いなければならないほどの侵害に急迫性がなかったのではないか、ということです。たしかに、ライブドアの株主としての権利は希薄化されることになりますが、もし株数が拮抗する程度の希薄化ということであれば、ライブドア、フジテレビいずれも株主への企業価値向上のための提案によって勝敗を決することが可能なはずであり、そのような手段でライブドアが権利侵害を防止することができる以上は、一切の予約権発行を差し止めてまで「権利を守る必要性」があったのかどうか、疑わしいものとなるように思われます。「急迫不正の侵害の有無」という、仮処分事件独特の要件を否認する争い方は、ときにたいへん有効な場合があります。私も以前、著作権協会相手の仮処分事件(全国で流行していた「カラオケボックス」の機械使用差し止め)のカラオケボックス運営会社側の代理人として、ほかに著作権協会の選択手段はある、と主張して、ボックス側にきわめて有利な和解に導いた経験があります。

もちろん、この話は、純粋な法律問題としての予想です。フジテレビ、ニッポン放送側の経営者としての経営判断やプライド、マスコミへの対応、さまざまなステークホルダーへの事件取組姿勢などを考えると、このような「弱腰」の策が選択の余地なし、とされたのかもしれません。(実際、この記事をみるかぎり、フジテレビ側の弁護士さん方は、そういった法務以外のいろいろなベクトルというか力のモーメントの中で、苦悩されていたことがうかがわれます)でも、駆け引きの材料として、保全処分の特徴を生かした論争のようなものを、もうすこし広報してもよかったのではないかな・・・と思った次第です。

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2005年5月14日 (土)

社外取締役と種類株主(その2)

企業防衛策のマイプランの続きを「明日書く」といいながら、別の話題になってしまって、進んでおりませんでした。この2、3日にもイーアクセス社の買収防衛策が発表されたり、東芝の対処方針が出されており、どちらも平時導入ライツプランを基本とされているものと思われます。(株主総会での承認の有無については分かれているようですが)いずれのプランも、防衛策発動のための判断には、社外取締役がたいへん重要な役割を占めていることが明らかでして、たんなる「企業統治」のシステムのあり方を論じるだけではなく、おそらく司法判断の中身に「社外取締役」の行動そのものが反映する場面が出てくることは間違いないと思われます。

その理由は、すでに私が「企業価値論と社外取締役」のなかで述べたとおりです。(引越し前のブログから、この部分だけは載せ換えしました)つまり、企業価値の向上、毀損という判断は、そもそも絶対値において誰も測量することができないのですから、司法判断も「企業価値とは」のようなモノサシを持ち込むことはないと予想されます。今回の企業価値研究会の論点公開の趣旨と同じく、実体としての企業価値というものはよくわからないけど、主役がふたり登場してきた場合に、「こっち」と「あっち」のどっちが(一般株主からみて)これからの企業の価値を向上させるに適しているか、ということを株主が比較する「材料」くらいは、探求すれば見つかりますよ、というのが裁判所の示す基本ルールだと思います。そして、この比較する「材料」というのが、つまり司法お得意の「デュー・プロセス論」による判断だと思われます。

新株予約権発行等、防衛策発動の適法性が問題となる場面において、仮処分命令事件のように比較的短期に審理の結論を出すわけですから、防衛策を発動することが企業価値向上に資するかどうか、ということは手続きの適正性の有無を審理することで、「企業価値の向上、毀損の比較」判断を行うしか方法がありませんし、そのためには、おそらく社外取締役が平時から、企業価値を最大化するための企業活動をどれだけ調査してきたか、ステークホルダーと企業の関係、関連子会社との関係、とても利益が一致するとは思われない多彩な株主の総意の汲み取り方などを、どのように工夫して把握してきたか、その結果、このたびの買収希望企業の提案とどこが違い、どの程度の差があるのか、明確に報告できることが防衛策発動の適法性を維持するうえで必要ではないでしょうか。

もし、そうでなければ、社外取締役は、(ほかにもこれまでに、コーポレートガバナンス論の主役として、社外取締役に期待されてきたさまざまな仕事もあるでしょうが)少なくとも企業買収防衛策の判断者としては「なにもしていない」ことになり、防衛策発動が差し止められるばかりか、会社に対する忠実義務違反の民事責任を問われることとなり、さらに現商法272条による仮処分の対象(当該社外取締役が買収防衛策の発動に関する調査委員会に出席することを差し止める)になってしまうことも考えられます。このような事態だけは、現経営陣が避けなければならない問題だと思います。もちろん、社外取締役が本当に公正な立場において、発動策は解除する、という結論に至れば社外取締役の法的問題はあまり議論する余地はありませんし、むしろ「解除する」という判断が増えるということは、それこそいまコーポレートガバナンス論として期待されている「社外取締役」の本来の姿に近づいているものと評価してもいいのかもしれません。しかし、そこまで社外取締役というものが、この日本の企業に「根付く」ということにはまだ私は懐疑的なんです(と、また中締めでつづく )

すいません、まだ終らなくて。。。。

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2005年5月13日 (金)

磯崎哲也さんのブログから

毎日、愛読している磯崎さんのブログのなかに、たいへん興味深いエッセイがあります。

仲良くしない技術

実際、社外監査役として、どうやってこの会社と向き合うか、とても悩むときがあります。

監査役会でも、ほかの監査役の方々は人生の先輩でもあり、きちんとしていて楽しくお付き合いさせていただいてます。また、代表者含め取締役の皆さんとも、まったく畑の違う私(年齢的にも40代というのは、役員のなかで私ひとり)であっても親しくおつきあいさせてもらっています。こちらも、なにか問題が発生した場合には、呼ばれる前に会社に行き、事実確認をしたうえで、(必要とされているかどうかはあまり遠慮することなく)意見を述べるようにしています。

ただ、このようなことを毎年繰り返しているうちに、「この人たちの不利益となる結論を堂々といえなくなる」という不安が強くなるのではないかな・・・と危惧することも事実です。仲良くしない技術というもの、仲良くしない団体構成員、というものを自分の人生のなかで経験したことがありません。磯崎さんのブログのなかで、文化の異なる国で発達した技術を、そのまま技術として受け入れることができるかどうか、疑問を呈しておられますが、まったくそのとおりだと思います。

おそらく、今後社外監査役として、この企業で私の置かれている役割をまっとうするためには、せめて他の取締役からは「よそモノ」「異端者」的立場で意識してもらうよう努力することに尽きると思います。西武鉄道の粉飾決算の発表については、社外監査役の立場が大きな役割を演じました。「あの監査役に調査された以上、もはや内々にはできない」

社内でこの感覚を他の役員に認識してもらうこと、これが最低限度の社外監査役の役割ではないなか・・・と考えています。だから、はばかることなく遠慮せずに社内調査をして、「?」の顔をされるような質問を堂々として、でも普段は普通に社内このことを礼を尽くして勉強させていただく。仲良くしない、というわけではないけど、どっか「こいつはやっぱりよそモノだし、ケツまくっても自分で食べていけるからコワイ」と認識してもらえるような、そんな人間関係を継続して築いていきたいと思います。

昨日日本取締役協会の宮内氏のコメントがサイトで更新されていましたが、宮内氏も、これからはアングロサクソン系の企業統治の制度を受け入れたうえで、日本的な文化をどのように取り入れ、根付かせていくべきか真剣に考えるべき、と述べておられます。仲良くしない技術というのも、なかなか実行はむずかいしかも知れませんが、企業の場合には、最後の砦として「企業精神、企業のモットー」があるはずです。この精神が企業内で明確になっていれば、仲良くしない技術もすこしずつ浸透するのではないでしょうか。そんな意味でも、社訓なり企業のもつ明確な目的というものは重要ですよね。(といっても人間関係はムズカシイ・・・)

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2005年5月12日 (木)

株主代表訴訟制限規定の修正

今朝(5月12日)日経新聞一面の記事によれば、株主代表訴訟の提訴要件の一部が新会社法案から削除される方向なんですね。もともと、要綱案公表の段階から、株主代表訴訟の規定をどう修正するか、ということは議論が紛糾していて、先が見えなかったところですから、このような事態もある程度予想されたところかもしれません。

ところで、新会社法によると、監査役が株主から訴え提起請求の通知を受領した後、もし会社が当該取締役を提訴しなかった場合には、監査役はその株主もしくは当該取締役の請求によって「不提訴理由の通知」をしなければならないそうです。この理由書は、おそらくその後の代表訴訟においても、どちらかの当事者から法廷に提出されることになるでしょうから、監査役の調査業務というものは、いままで以上に厳しいものになるんじゃないでしょうか。理由書の内容いかんによっては、今度は株主から監査役が忠実義務違反によって損害賠償責任を追及されるおそれがあります。

不提訴の理由を開示するにあたって、会社を代表する立場にある監査役が、いかなる理由を適示すべきか、ということもひとつの論点であり、ここでは述べませんが、上記の「不提訴理由の通知義務」というのは、監査役にとってたいへんであると同時に、株主代表訴訟を提起しようとする株主側にとってもキビシイのではないでしょうか。

もし、私がその担当監査役であったら、まず形式的審査を終えた段階で、その株主に対して具体的な事実、および法的構成面における釈明を文書で求めます。当該取締役の義務違反を基礎付ける具体的な事実、その立証方法の有無(もしくはその見込み)、当該取締役が賠償責任を負う法的根拠、当該取締役の行為と損害との因果関係、会社の損害額の具体的な立証方法などは最低限度、株主より教えてほしいところです。なぜなら、このような株主の主張が明らかにならないと、自信をもって不提訴の理由を開示することができないからです。自分に忠実義務違反の賠償責任が課される可能性がある限り、これは取締役から中立な立場の人間として必死でその株主から聞き出さなければなりません。

もし、上記のような釈明に直ちに回答いただけない場合には、監査役としては、そもそも有効な提訴を求める書面の提出がなかったとみなすか、もしくは提訴を求める意思表示はあったとしても、その提訴目的は会社に単に損害を与える目的もしくは株主に正当な訴えの利益を持たないものであるとして、(これは先に警告しておくことが無難でしょうが)不提訴通知を発送すると思います。すこし強引な気もしますし、このような監査役の対応が、また司法判断の対象となってしまうおそれもありますが、一考に値するのではないでしょうかね。

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社外取締役と種類株主

ここ数日、とんでもないほどブログのアクセス数が増えてしまったために、自分のブログでありながら、更新するのも躊躇しておりまして、「マニアックな人の集うブログ」のコンセプトだけは忘れないように努力してまいりますので、どうかおつきあいのほどよろしく、お願いいたします。

いろいろと社外取締役の新たな役割を検討しながら、企業価値、株主価値の本質に迫ってみようと試みてきましたが、(中締めとしまして)これまでの(企業防衛策の是非を中心争点とする)司法判断の傾向を横目で見ながら、また新会社法の条文なども参考にしながら、私なりの企業買収防衛策、(ぐっさんプラン)というものを考案しましたので、ここで開陳したいと思います。後で赤面する可能性もあろうかと思いますが、こういうのも備忘録としては、また楽しいかな・・と思っている次第でして。

基本となるのは、私の防衛策の場合、研究対象の中心となっている社外取締役(もしくは社外監査役)、そして新会社法において認められるであろう「種類株主総会」を構成する種類株主であります。(いちおう、新会社法で認められる株式譲渡制限のついた種類株式、ということで)この独立取締役(もしくは独立取締役で構成される委員会)と、種類株主によって構成される団体とが主役を演じる、というものであります。

友好的もしくは敵対的買収者が、既存株主もしくは新規株主として突然、大量の株式の取得者となって出現した場合に、その他の既存株主が企業価値判断を行うに足りるだけの適正な時間稼ぎを可能として、さらに公正な判断者として社外取締役が「株主総意の代表者」たる地位で手続きを仕切るには、これしかない! と思って中身のない頭を絞って考案したスキームであります。私が考案する程度ですから、いたってシンプルですが、これくらいシンプルでないと司法判断の対象にはならない、と思っています。

このつづきは、また明日ということで。

追記

と書いているうちに、「金融庁が信託型ポイズンピルは合法」との発言をした、という記事が出てきました。商法上合法としたのか、信託法上では合法だとしたのか、そのあたりはよくわかりませんが。いずれにせよ、買収防衛策において熟慮期間を作るためには、ライツプランを原則導入することはオーソドックスな方法ではないでしょうか。

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2005年5月11日 (水)

内部統制監査と文書提出命令制度

刑事事件やら、仮処分事件の合間の時間を見つけて、6月末の株主総会用の問答集を作成しています。社外監査役の立場なもんで、常勤の方のお作りになる骨子案をもとに、チェックを入れるのが私に期待されているところなんでしょうが、平成17年2月に改正された日本監査役協会の「監査基準」をざっと読みますと、なんと45条ある条文のうち8つの条文に「内部統制システムの構築状況の監視」という文言があり、かなり気になってしまいました。

今朝(5月10日)の日経新聞一面でも、金融庁は2008年3月期にも、全上場企業に企業統治監査を必須のものとして、具体的には公認会計士による内部統制監査を義務付ける方向だと掲載されていました。他企業との取引における意思決定過程を文書化したり、全事業所の業務手続を文書化したり、もっといえば最終意思決定機関の意思決定過程についても文書化される、ということになるんでしょうね。おそらく、リスク管理の向上のために今後は内部統制システム構築が、各企業の取締役会で決定されて、有価証券報告書のなかで報告されたり、監査役による監査報告書などでも報告されることが予想されます。

しかし、ちょっと考えてみると、この「内部統制監査」やら「企業統治監査」というものも、一歩間違えると「怖いなあ・・・」と思ったりします。われわれ弁護士の立場からすると、これは「メシの種」になるんではないかな、と考えたりします。というのも、内部統制システムが、意思決定過程の文書化ということになりますと、いままでわれわれが訴訟で苦労してきた「文書提出命令の申立」というものがかなり有効に使える可能性が出てきます。(いままで、私自身、「こんな文書を相手方企業が出してくれたらなあ・・」と喉から手が出るほどほしかった文書が、訴訟に出てくる可能性が大きくなるんですよね。もちろん、その文書が存在するにもかかわらず企業が出さない場合には、訴訟のうえでは相手方の主張内容を認めたことになってしまいます)平成11年以降の新民事訴訟法220条以下によれば、当事者もしくは第三者が所持している文書については、かなり広く文書提出義務を認めていますので、企業の相手方もしくは企業の保有している(と思われる)社内文書も、訴訟の立証に必要だと思えばそれが開示される機会は格段に増えるものと予想されます。もちろん「営業秘密」との関係で、ある程度の文書開示を阻止することもできるでしょうが、それでも文書自体の一部だけを非開示とする扱いがなされるでしょうから、立証事項と関連する部分の開示を阻止することまではなかなか困難ではないでしょうか。

こんなことを考えていると、社外監査役の立場からいうと、さも得意げに「うちの企業はこんなに内部統制システムが構築され、また具体的にこのように運営されている」と広報するだけでは、脇が甘いような気がしてきました。そもそも社内における意思決定過程の正確性を担保する文書、業務の適正性担保のための文書ということであれば、その文書作成の目的は投資家保護という立派な役割を担っているわけですから、単なる「社内文書」とはいえませんので、ほとんど文書提出義務が認められる「文書」になってしまいそうなんで、企業の営業秘密との関連性が明確になるような文面にしてみたり、開示可能部分と監査目的以外、非開示とすべき部分を明確に分離したり、できるだけお金をかけてIT情報化するなど、かなり工夫することが必要だと思います。今後、おそらくこのような内部統制システムの構築が当たり前になるにつれて、この民事訴訟法上の文書取扱条項(提出命令やら文書送付嘱託などの問題)が論点として議論されてくるのではないでしょうか。

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2005年5月10日 (火)

法の無力

「先生、ほならわしは泣き寝入り、ということでっか??」

弁護士をしていて、依頼者からこのように訴えられることほどつらいものはないです。

でも、やっぱりこの世の中、法の無力を感じるときもあるんですよね。ビジネス法務とはちょっと「違います」が、私のホームページで更新した内容を、こちらでも紹介します。以下は、ホームページからの抜粋です。

ブログのほうでも、以前少し取り上げたが、法律紛争の最先端で働くも
のとして、「法による解決の無力さ、やるせなさ」を痛感するときがあ

る。一般の方々は「裁判に勝つ」イコール「お金が戻ってくる(お金が
もらえる)」と認識されていることが多いが、それは相手が自発的に
「判決による命令は守らなければならない」という誠実な精神を働かせ
ると同時に、支払能力も存在する場合に限られるのである。しかし現実
には、判決が出たからといっても、相手が任意に命令に従わなければ、
判決は「絵に書いた餅」である。この話はまだ、序の口である。
さて、相手が判決に従わなかったらどうするか、これも多くの方はご存
知のとおり動産、不動産、債権などに対して「強制執行」を行い、相手
が嫌だといっても現金化してお金を強制的に回収できるのだ、と認識し
ている。これも一般の方は比較的簡単に回収が可能だと考えておられる
ようである。
しかしながら、この強制執行というものも実に「頼りない」ケースがあ
る。まず、動産についてはよほどの「市場での売買価値」がない限り、
執行の対象とはならない。普通にどこにでもあるような生活用品、たと
えば冷蔵庫、テレビ、家具類など、(生活に不必要なほど複数あれば別
だが)まず執行のための差押対象にはならないと考えておくべきであ
る。
また、不動産の明け渡しについても、その不動産(土地)上に、容易に
移転できないような動産を置かれている場合には、その執行自体に長期
間および多額の執行費用を要すると心得ておかなければならない。(な
お、これは私が明渡を求められたほうの代理人を務めたケースである
が、依頼者は宗教法人であり、明渡対象の土地上に、その宗派の仏像を
建立したところ、執行官も、執行業者もこの仏像の解体、移設を極度に
嫌がったため、執行に2年もの年月を要した。)ニュータウンの広大な
土地が2年にもわたって有効利用ができないということ、および新聞報
道などで「仏像が解体された土地」と広報されたことで誰もその土地を
購入したがらなかった、ということなど、土地価格の毀損もはなはだし
いであろう。
土地の競売にしても、いつまでもその土地を占有したいと思えば(競売
のための入札保証金が流れるのを覚悟していれば)入札を流すこともで
きるし、ほかにも入札自体を適法に流すための要件を悪用すれば、保証
金を積まずともいつまでも競売の実行を阻止することは可能なのであ
る。(もちろん、ここでそのような悪用可能な事例を紹介すべきでなな
いので、差し控えるが)事実、頭のよい方々のなかには、このような制
度を悪用して、いつまでも競売対象物件を有効利用している。
このような事例に出会うときに、「法は無力なり」とやるせない気持ち
になってしまう。なぜそのような事例が出てくるかといえば、法律によ
る規制というものが社会の流れを「後追い」することが宿命であるため
に、法の隙間で適用除外となってしまう事態が発生することを阻止でき
ないことと、もうひとつは裁判所、法務省、弁護士といっても、その数
には限りがあり、違法状態を直ちに是正するだけの社会インフラが到底
整備されていないことにあると思う。法的紛争の最前線にいる弁護士の
役割のひとつとして、この「法の無力」を感じるような事例をなるべく
社会に知らしめて、早期に法整備を検討するように訴えることや、法整
備の時間的余裕のない場合には、すこしでも法の無力を埋めることがで
きるようなアイデアをもって先例を作ることがあるのではないか。

(抜粋終わり)

ビジネス法務とは関係ないことも「ゴチャゴチャ」書いておりますが、

もしお時間と興味がございましたら、

http://www.geocities.jp/yamaguchi_law_office/index.html

のほうも、覗いてやってください。。

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2005年5月 9日 (月)

商法監査の立会

3月決算の企業の社外監査役をしている関係から、この週末、監査法人の商法監査の立会いをしておりました。大手の監査法人の方は、ゴールデンウィークというものは季節柄、「精勤期間」ということで、ほとんどお休みをとらないんですね。

細かい実査手続きについては、ここでは申し上げませんが、会計監査の素人としての感想を述べますと、内部統制リスクの判断というものも、昨今の情報処理システムの導入次第というところでしょうか。お金の流れについて、どれだけ当該企業がコンピューター化、IT化をはかっているかによって、会計士さん方の統制リスクへの配慮も変わってきますし、ぎゃくに言うと、監査法人の代表社員の方でも、相当の情報処理システムへの知識がないと、内部統制リスクに関するポイントを判断できないのではないか、と思いました。

会計士さん方と話をしているなかで、一時問題となっていた「繰り延べ税金資産」や、この4月から導入された「固定資産の減損会計処理」などにおいては、(誤解をおそれずに言いますと)その企業の将来の収益見込みのようなものを、推測しながら算定しなければならない、という部分もある、ということをお聞きしました。そもそも、監査の本質は、その企業がきちんと帳簿をつけているかどうか、それを正しく公表しようとしているかどうか、を検証するところでしょうから、その企業の信用が将来どうなるか、ということを判定する作業ではないはずです。しかしながら、実際の監査を拝見しておりますと、どうも「この企業の将来見込みはこうだ」という前提がないとバランスシートの数字が決まらないことがあるんですね。ということは、実際、企業価値の算定などにおいても、会計士さん方の調査内容へ「ツッコミどころ」みたいなところがあって、もし弁護士などが収益見込み算定根拠などを執拗に質問した場合にはどのように回答するんだろうか、と考えたりしておりました。

最近、このブログでも「企業価値研究」ということをよくテーマにあげていますが、もし社外取締役が一般株主に説明すべき「企業価値」を算定する場合、おそらくバランスシートをみてもすぐにはわからないような価値の算定をしなければいけない、と推測されます。たとえば企業ブランドとか商品ブランドとか、ノウハウ、優秀な従業員、労組と経営者との関係、研究開発の蓄積、取引先の信頼、コーポレートガバナンスの仕組みなどなど、数え上げたらきりがないほどです。社外取締役が外部委託した上での報告書に頼っていたのでは、おそらく株主に責任をもって報告することはできないはずです。自社と買収希望企業との比較ということですから、算定の基準となる項目の選択も含めて、その社外取締役独自のルールをまず作成して、ある程度合理性のある算定根拠を自ら検討しなければならないような気がします。なにせ、先に述べたとおり、専門家の会計士の方々でも、「見込み」で判断しなければならない分野が存在するわけですから。

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2005年5月 7日 (土)

社外取締役と企業価値判断(続編1)

社外取締役の立場で、買収希望会社が企業を買収した場合と、現経営者によって企業経営を維持させる場合と、どちらが企業価値が高まるか、という判断を行う場合において、その社外取締役の培ってきた人生観や世界観による判断として「裁量の余地」というものはあるのだろうか。それとも、もっと財務分析的な「企業価値」判断的による、マニュアルのようなものによって定量的、定型的な数値による判断をすべきなのだろうか。素人考えとして、まずそのあたりが大きな疑問である。

たとえばその企業の「年間離職率」というものが算定されているとする。ここ数年、この企業においては離職率が高まってきている、という場合に、買収希望会社が出現したときに、この離職率の高さというものは、どちらのほうに企業価値が高いという算定根拠となるのであろうか。現経営陣による経営姿勢に不満があるから離職率が高いのだ、と判断すれば、買収希望企業による経営のほうが企業価値が高いとなりそうだが、この企業自体が魅力を失ってきているから離職率が高いと考えれば、よほど著名な企業が買収者でないかぎり、経営者の交代をきっかけとして、さらに離職者は増え企業価値は低下する、という方向にも判断が可能に思われる。業界全体における離職率の調査や、労働力の移動傾向などから、ある程度客観的な判断も可能かとも思えるが、最終的には判断主体となる社外取締役の価値判断に負うところも多いのではないか、と私は推測するし、この企業価値判断というものも、社外取締役自身の経営哲学や人生観のようなものによって左右されるのではないかな・・と思う。

企業価値判断基準の問題だけでなく、このような社外取締役の判断における裁量の範囲などの問題も、今後の具体的な方策を検討していくうえで何度も出てくることが予想されるのである。(ということで、またつづく)

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2005年5月 5日 (木)

アメリカにおける裁判例の重要性

このGW中に、すこし「社外取締役、社外監査役」に関する書物などを読んでみたのですが、なぜ近年、にわかに社外取締役の重要性などが話題となってきたのか、そのあたりをうまく解説している書物というのがあまりないようでした。もちろん、企業統治(コーポレートガバナンス)にとって有用性があるから、というフレーズはどこにでも書かれているのですが、どのような経緯で社外に取締役を求める、という理論が浮上したのか、よくわからないのです。

いろいろと報道資料なども読んでいると、結局のところ、1993年の宮沢・クリントン会談の際の日米包括経済協議(日米構造協議)によるアメリカ側からの経済開放政策あたりから、ということになるんでしょうね。このときに、監査役の独立性、社外取締役の採用、株主代表訴訟の活性化(そのほか弁護士資格の規制緩和なども)など、いわゆる外資が日本経済に参入しやすい体制を日本が早急に構築するよう、強く求められたことに起因する、ということだと思います。

そうすると、アメリカでは普通に採用されているような制度であっても、それまでの日本の商法で「当たり前」とされてきた制度との衝突なども、当然にあるでしょうし、現に株主代表訴訟については、原告である株主と被告である取締役との間における和解の効力問題などのように、どうみても実務の取扱が現商法の規定と矛盾するような場面が出てくるわけです。(なお、一部この点については、平成18年施行の新会社法では矛盾点が出ないように法制度化されますが、それでも株主と取締役が和解した場合に、取締役が和解条項を履行しない場合の強制執行をどうするのか、などまだまだ不明な点が残っていますが)

そこで、社外取締役の行動についての適法性(コンプライアンス)を論じるにあたっても、日本におけるこれまでの商法の考え方と、アメリカの先例とを総合的に比較参照しなければならないように思います。日本の裁判官も、もし今後、会社買収時の防衛策の是非を判断したり、代表訴訟における被告である社外取締役の責任の是非を判断するにあたっては、日本に先例があればいいけれども、適応可能な先例がない場合には、社外取締役や独立監査役に関するアメリカの判例なり学説を参照して、それが文化の違いや法制度の違いに起因するならばともかく、法解釈として日本でも妥当する理論が存在するのであれば、それを日本の司法判断にも適用すると思われるからです。

私は、アメリカ法を勉強した経験はないのですが、外圧(企業会計問題も含めて)によって商法の変容を受けている現実を前にすれば、実務家はやむをえず、米国判例事情についてもある程度精通しなければ、対応できないのではないかな・・・と思ったりしています。

(つづく)

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2005年5月 4日 (水)

企業価値判断と社外取締役

ということで、企業価値研究会の論点公開のつづきになりますが・・・

企業買収への防衛策として今後、ライツプランなどが導入されたとして、たとえ株主総会授権型が採用されたとしても、防衛策を発動するかどうか、という有事の際には社外取締役もしくは複数の社外取締役による委員会が、防衛策発動の是非について判断したり、防衛策を解除する判断を下すことになりそうですね。なぜ、社外取締役による判断で合理性が担保されるか、といいますと一般株主の意見を代弁する立場にあり、かつ保身目的による現経営者の立場とは異なる公正な判断が期待できるから、ということでしょうね。

でも、またまたここで考えてみると「社外取締役」が「一般株主の意思を代弁」もしくは「一般株主の代理人たる立場として行動する」というのは、あまりにも抽象的で、よくわからないのです。そもそも、選任される際には、現経営者から就任依頼を受けて社外取締役になるわけで、そのことからも現経営者へ経営者交代の通告をすることにどれだけ期待できるか、疑わしいですし、まあそれは横に置くとしても、そこで言われているほど「一般株主の意思を代弁」することが簡単なことなんでしょうか。株主にはそれぞれ固有の利益があるはずで、どのような企業の経営方針をとるべきか、株主の価値を最大にするための方策についての意見もバラバラでしょう。短期で利益を得たい人もいれば、長期的に企業価値の向上を願っている人もいるはずですし、株主の個性に着目しても、持ち合いしている取引先企業やメインバンク、債権者や機関投資家、そして個人株主から従業員までいます。こんな株主の価値を実現するための「株主価値の最大化」という判断は、どのような基準で行うのでしょうか。さらに、以前から申し上げているように「株主価値」と「企業価値」とは異なるものだと思いますので、その企業がどのような方策によって、どのような持続的成長を目指しているのか、そのために現経営者と買収希望者のどちらが、その成長実現に向けて適しているか、ということは、どのような資料に基づいて判断するのでしょうか。

ライブドアとニッポン放送の仮処分事件高裁判断にあるように、(判断手続きの合理性については踏み込むものの)この企業価値(そのものの)判断に司法があまり深くは踏み込まない、ということですから、今後は一般株主による価値判断もしくはその代弁者たる社外取締役の価値判断が非常に重要となるはずです。

日本の大きな機関投資家が、今年の株主総会において、社外取締役の独立性について、疑問の残る企業については、その選任に反対票を投じる意向だと新聞で報道されていますが、社外取締役、監査役の独立性要件の充足は、総会で信認を受けるための大前提であり、今後はもっと社外取締役の行動自体の適法性が問題となる要件をひとつひとつ、解析していかなければならないと思います。

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企業価値研究会の論点公開(前ログ引用の2)

企業価値研究会の論点公開(4)

気がついたら、毎日たくさんのアクセスをいただくようになり、ホンマにありがたい、と思ってはいるのですが、いかんせん私は「市井の弁護士、ごく普通に一般民事を扱っている弁護士」ですので、そこのところ、ご理解ください。冒頭にもありますように、このブログは私自身が今後の職業人としての対応の参考にするためのものでして、「備忘録」の域を脱してはおりませんので、誤解や独断、偏見もあろうかと思います。どうかご容赦ください。

さて、昨日の続きになりますが、この企業価値研究会の論点公開によって掲げられている「企業価値」の手続き的意味についてすこし論じてみたいと思います。企業価値を実体として議論することが、現行法でも企業買収への防衛策をとりうる法的な根拠を示すうえで重要であること、その実体的定義があいまいであるがゆえに(というよりもあいまいなものであると定義付けたことによって)、買収者と現経営者の企業価値向上のための提案について、「比較的な手法」を用いることが得策であることを根拠付けたことに意義があることは昨日述べました。

したがって、一般株主からみて、買収者と現経営者のどちらに経営を委ねたほうが、将来的な収益向上、つまり「企業価値」の向上に資するかという点は、株主ができるかぎり適正な判断をなしうる「手続きの確保」に重点が置かれてくることになります。一般株主が企業価値の高低を判断する最終責任者とすれば、その判断のための手続きが適正であれば「より、実体としての企業価値算定の正確さ」へ近づくことが可能となるために、防衛策の合理性も担保される、ということになります。
そして、どのような適正手続き確保の手段があるか、といえば、新聞でも報道されているとおり、ライツプランを中心として、取締役会で導入して独立第三者機関が発動を審査する方法や、導入時に株主総会で授権承認して、取締役会で発動する方法などが検討されることになります。どのような企業価値判断のための手続きを確保すべきかは、それぞれの企業の特色にあわせて選択することが適当だと思われますし、また提示されている3つの方策にとらわれず、それぞれの利点を組み合わせてさらに合理性のあるものを策定してもかまわないのではないでしょうか。
ただ、企業価値算定のための手続きが有効に機能するためには、まずどのような方策をたえるにせよ、一般株主に企業価値算定のために必要十分な情報が平時より開示されていなければなりません。そうでなければ、どちらが企業価値向上に資するかという判断自体がなしえないこととなります。したがいまして、現経営者としては、どのような防衛策を講じるものとしても、その発動が法的に有効とされる大前提として、平時における株主への情報開示がたいへん重要なファクターとなるものと思います。

さて、上記のように「企業価値」の内容を検討してきましたが、それではこのように企業価値判断を中心とした防衛策を平時に導入するとして、株式上場企業にとってたいへん重要な役割を果たすと思われる「社外取締役」「社外監査役」ですね。よく考えると、このさき社外取締役、社外監査役はたいへん「骨の折れる」仕事ではないかな・・・と思われます。この「一般株主の代表者」たる役員の平時からの仕事、有事における判断が、その後の防衛策の発動の適法性(違法性)に大きな影響を与えることになりそうだからです。
そこで、これからは「企業価値委員会の論点公開」を前提とした、上場企業における今後の社外取締役の役割について自分なりに分析したいと思います。(つづきはまた・・)

企業価値研究会の論点公開について(5)

前回は、この論点公開に記載されているような企業防衛策を採用した場合には、今後社外取締役や社外監査役の方々は、たいへん骨の折れる仕事になるのではないか・・・ということを書きました。
ともかく、私も社外監査役を務めておりますが、たとえ「社外」の人間であっても、役員会や戦略会議には出席しないといけませんし、株主総会への準備だってしておかなければいけません。その職責にあった役割を担うためには、けっこうその業界やその企業のことについて勉強しておかないといけませんが、そこに「防衛策における合理性担保の手段」として社外取締役らが期待されているわけですから、仕事の量は格段に増えるのではないでしょうか。
今後も上場企業が社外取締役や社外監査役を採用するにあたっては、いままでどおり「経営の神様的存在」や「官公庁出身者」を起用して、「このひとのいうことだったら、真摯に受けざるをえいない」雰囲気の方が登場することが多いと思います。しかし今後は実際に「額に汗して」企業価値判断のための資料作成のできる実務的戦略的な社外取締役、社外監査役も選任していく必要性がある思われます。そのあたり複数の社外取締役を選任することも多くなると思いますが、大目付役の取締役から、企業価値の向上、毀損の判断をなしうるような実務処理に詳しい取締役まで、いろんな方々にバランスよく就任していただくことが必要になりそうです。
たとえば、企業価値研究会が公開した論点のなかで紹介されている「合理性のある防衛策」として、株主総会授権型のライツプランがあります。このプランを株主総会で導入するにしても、現経営者は企業の特質などから、どのようなことがあれば企業価値を高めることができるとか、株主価値への考え方、ステークホルダーの存在が企業価値向上へどのように関係するのかなど、企業の今後の経営方針をきちんと株主に説明する必要があり、そのためには平時から社外取締役などが「一般株主の代表者」として、この企業の価値を高めるものは何か、その検討に真剣に取り組まなければなりません。(つづく)

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企業価値研究会の論点公開(前ログの引用です)

引越し前のブログ記事のうち、今後のブログ作成に関連する部分を引用します。

企業価値研究会の論点公開について(1)

4月22日に経済産業省の企業価値研究会から公表された「論点公開」、約120ページほどの論文ですが、一生懸命読んでみました。
「はじめに」の部分は、近時神田教授(座長)が編著とされている「コーポレートガバナンスにおける商法の役割」の神田教授執筆部分とトーンがよく似ており、一読して神田教授自身が執筆されたことがわかります。
個別論点に対する評価というものは、私のような「一介の弁護士」ができるようなものではありませんが、最後までこの論文を読んでの感想としては、やはり「企業価値」というものの捉え方は、企業買収に登場する人物(の職種)によって、さまざまであるということと、今後日本に根付くであろう「社外取締役」「社外監査役」の職責が、たいそう重要であり「しんどい」仕事だということです。
この2点については、今後おいおい書いていきたいと思いますが、ひとつ最初に疑問を抱いた点だけを記しておきます。
最近のライブドア、ニッポン放送の敵対的買収における司法判断を紹介したうえで、この論文は司法機関が「企業価値」の高低を判断することはたいへん難しく、おそらく今後も「企業価値」判断については積極的に司法が踏み込むことはないであろう、と予測されている点です。ということは、おそらく企業価値判断については、最終的に株主によって判断されるべき、ということになると思います。司法が判断する部分ということになると、けっきょくのところ株主が適正に企業価値判断をなしうるような手続きが確保されているかどうか、という手続き的な部分ということでしょうか。(この点はおそらく防衛策の導入手続きやら、その行使方法、また社外取締役などの第三者の独立性、中立性ということに帰結されるでしょう)
しかし、もし「企業価値」という「実体」を一般株主が判断すべきものであるならば、それは一般の株主、つまり素人にも「理解しうるような価値判断」でなければならないと思うのです。裁判所が判断することが困難だ、とする「企業価値」の中身について、それでは最終判断者とされる一般株主が果たして十分理解できる、というものでしょうか?
私は、司法の謙抑性については理解できますが、今後も「企業価値」の向上、毀損のメルクマール作りを放棄する、ということは問題であり、企業の行動規範としてのガイドラインとは別に、やはり判例ルールとしての「企業価値」基準のようなものは必要ではないか、と考えます。今後、現経営者側、買収者側双方から、裁判上で企業価値向上に関する専門家の意見書が出たとして、それらを単に鑑定意見書のような取扱をするのではなく、やはり「おおまかなルールでもよいので」裁判所自らが策定した「企業価値」に関する定義を示してほしい、と思います。(このつづきは、また)

企業価値研究会の論点公開について(2)

このブログでは、以前から「企業価値」について論じておりましたので、今回もやはり「論点公開」42ページ以下の「敵対的買収と企業価値」の部分が気になってしまいました。
ここでは、(企業価値とは)と題して、これを論じることが買収防衛策の合理性を明らかにするうえで重要な論点になる、ということを明言されています。

企業価値とは、会社が生み出す将来収益の合計のことであり、株主に帰属する株主価値とステークホルダーに帰属する価値に分配される、とまず定義付けられています。それで、企業価値は将来の値の予想値であり、将来のさまざまな要因によって容易に変化しうるので、これを正確に測定することは困難とされています。
そして、さまざまな分析をほどこしたうえで、企業価値の分析は、提案されている株式価格と市場価格との比較ではなく、買収提案と経営陣の経営提案との相対比較にならざるをえない、としています。
 防衛策の合理性判断に重要としておきながら、企業価値の判断基準があまり明確になっていないのでは・・・との疑問がわいてきますが、ともかく研究会の上記内容からは、やはり企業価値の比較においては、株価分析ということだけではなく、ほかの要素も加味して将来価値の予想をすべきだ、という趣旨が理解できました。
 ステークホルダーに帰属する価値、という言葉が出てきますが、これはどのように評価すべきなんでしょうかね。この取扱については、明日にでもつづきで書きたいと思いますが、いずれにせよ、私は法的紛争を前提とした場合のこの「企業価値」の取扱については、実体的な側面と手続き的な側面との両面から取扱を検討する、という認識で議論すべきだと考えております。そのことで、敵対的買収が行われた際の「一般株主の判断すべき指針」、「社外取締役、社外監査役のとるべき方策の指針」を明確にすることが可能になると思われるからです。

企業価値研究会の論点公開について(3)

私は「法律家からみた企業価値とはなにか」という興味を抱きつづけていますが、この120ページにわたる「論点公開」を読んでいるうちに、どうもこの「論点公開」では真正面から「企業価値」の意味をとりあげていないのではないか、という疑問が湧いてきました。そして、そこには「優秀な方々が集まって作成した」巧妙なトリックが存在するのではないか、という考えを抱くに至りました。
(その2)のなかで、私はこの「企業価値」というものを取り上げるには、実体的な側面と手続き的側面から検討する必要がある、と述べましたが、そのことと関係するように思うのです。
企業価値を論じることは、いわば「裁判制度」を論じることに似ています。神でもなければ、タイムマシンに乗って過去の事実を正確に表現することはできないのですが、「裁判」というのはそこで当事者が一生懸命ルールに則ってなるべく過去の真実に「近い」事実をさも「真実」のように表現して、最終的には裁判官が事実認定をする、というシステムです。つまり裁判は人が作った「真実」を過去の本当に起こった事実であると「仮定もしくは擬制」するのですよね。「企業価値」というものも同じように扱われているのではないでしょうか。そもそも、この企業価値研究会の定義している「企業価値」というものは将来の収益予測、というものであり、所詮は正確には現時点では「わからないもの」なんですよね。だけど、「企業価値」という比較可能な価値がそこにあると「仮定もしくは擬制」するんです。その絶対値を測るモノサシはないけれども、ふたつの意見のどちらがこの究極の「企業価値」を反映しているか、という比較はできる、として。
したがって、「企業価値」の中身を議論する意味は実体的にはふたつの意義があります。ひとつは、主要目的ルールを排除して、現行法のもとでも、さらには新会社法が施行された後でも、資金調達の必要性ない場合にも防衛策は各企業が導入できる、という大前提を根拠付ける意義です。最初から結論ありき、とまでは申しませんが、この企業価値研究会が防衛ルールの指針作りを目的として発足する以上は、資金調達目的以外にも、いわゆる企業買収からの防衛策作りを目的としている以上は、この企業価値を論じることの重要性に大きな意義を持たせる必要はあるんですよね。そして、もうひとつの意義は(数学における「絶対値」のような存在ですが)正確に算定することは困難ではあるが、そこには「企業価値」というものが存在すると仮定して、(実体的理解としてはそれで十分なんでしょうね)、その客観的な数値を判断することはしないけれども、買収者と現経営者とがその客観的な企業価値の把握にどれだけ「近づいているか、もしくは近づくことができるか」を第三者がいろんなモノサシを使って判定することは可能、と結論付けたところです。経済学的なモノの見方と法学的な見方の融合というか、妥協点というか、そのような発想が感じられました。
企業買収における合理性のある防衛指針作りのため、たいへんに頭のよい方々が考えたスキームだなあ・・・と、私はひとり感心しております。私のような凡人には、とうてい考え付くスキームではありません。つぎはこの「企業価値」を議論することの手続き的な意味について論じたいと思います。(その4へつづく)

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引越してきました。

以前利用しておりましたブログ運営会社のサーバー故障が多かったため、こちらに引越しをしました。まだまだ慣れておりませんので、すこしずつ内容をアップしていきます。よろしくお願いします。

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2005年5月 2日 (月)

松下の企業買収防衛プラン

新株予約権発行時における国税庁の非課税宣言も出たところで、松下の企業買収防衛プラン(ESVプラン)が発表されました。
日経記事です

いわゆる取締役会決議で導入したルールということで、6月の株主総会での承認は不要、ということでしょうか。(中身を読む限り、そのように読めるのですが)すでに新株予約権の発行登録も済ませたとのことです。大量買付企業が現れた際の、取締役会のとるべき方針や、なにをもって企業価値を高めることになるのか、に関する現経営陣の意見表明など、有事における株主の判断を重視する姿勢がよく現れていて、うまく策定されているなあ、というのが実感です。
ただ、ちょっと疑問があります。
もし、買収企業側が、松下のルールに従わず、自らの方法によって松下の一般株主あてに情報を提供しようとした場合、松下の現経営陣はルールに則っていきなり防衛策を発動してしまうのでしょうか。おそらくライツプランだと思いますが、ルールに従わない買収者は企業価値を高めるための買収者ではないと即断して一般株主の判断の余地なし、としてしまうのでしょうか。このルールによるならば、まず買収希望企業は、松下の求める質問に真摯に回答をすることになりますが、もし買収希望企業のほうが、「きちんと誠意をもって回答するので、回答のための資料となるこれこれの質問に回答してほしい、それに回答してもらわなければルールにしたがうことはできない」との交渉方法をとってきた場合、やはり松下はルールにしたがわない買収希望企業と認定して、即時防衛策発動、となってしまうのでしょうか。

松下にとって、このルールが一般株主の保護のためには最良だと思っていても、買収希望企業だって、これとは別の方法による情報公開(価値向上に関する提案公開ルール)が適正であり、一般株主保護のためには別のルールを用いるべきである、と主張する可能性があるでしょう。松下のいうとおり、代替案を松下の現経営陣が発表する、ということであれば、ある程度、企業経営の長期プランを提示するためには「武器対等」のための情報交換も必要でしょうし、そのような機会を一方的に奪っておきながら「これが株主保護のための合理性あるルールです」と言われても、ちょっと(企業価値判定の機会を奪われて、防衛策を発動されてしまった株主にとっては)不満の残るところではないでしょうか。
たんに株主に不満が残るだけならいいのですが、このようなルール自体の合理性が法的に問題となった場合、このルールに則って発動された新株予約権発行自体の違法性にまで発展するとしたら、ちょっとルール自体が厳格に過ぎないだろうか・・・・という疑問が湧いてきます。私は何度も申し上げているとおり、M&A業務を専門とする弁護士でもありませんので、また国際的にみても、まったく異なる見解があるのかもしれませんが、ふと「松下の株を持っている」一般株主の立場で少し考えてみると、上記のような不安というか疑問のようなものが感じられてしまいました。
さて、社外監査役2名を含む4名の監査役も、上記防衛ルールに賛同された、ということですから、そのあたりも十分議論されたうえでのルール公表なんでしょうね。

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