企業価値研究会の論点公開(前ログの引用です)
引越し前のブログ記事のうち、今後のブログ作成に関連する部分を引用します。
企業価値研究会の論点公開について(1)
4月22日に経済産業省の企業価値研究会から公表された「論点公開」、約120ページほどの論文ですが、一生懸命読んでみました。
「はじめに」の部分は、近時神田教授(座長)が編著とされている「コーポレートガバナンスにおける商法の役割」の神田教授執筆部分とトーンがよく似ており、一読して神田教授自身が執筆されたことがわかります。
個別論点に対する評価というものは、私のような「一介の弁護士」ができるようなものではありませんが、最後までこの論文を読んでの感想としては、やはり「企業価値」というものの捉え方は、企業買収に登場する人物(の職種)によって、さまざまであるということと、今後日本に根付くであろう「社外取締役」「社外監査役」の職責が、たいそう重要であり「しんどい」仕事だということです。
この2点については、今後おいおい書いていきたいと思いますが、ひとつ最初に疑問を抱いた点だけを記しておきます。
最近のライブドア、ニッポン放送の敵対的買収における司法判断を紹介したうえで、この論文は司法機関が「企業価値」の高低を判断することはたいへん難しく、おそらく今後も「企業価値」判断については積極的に司法が踏み込むことはないであろう、と予測されている点です。ということは、おそらく企業価値判断については、最終的に株主によって判断されるべき、ということになると思います。司法が判断する部分ということになると、けっきょくのところ株主が適正に企業価値判断をなしうるような手続きが確保されているかどうか、という手続き的な部分ということでしょうか。(この点はおそらく防衛策の導入手続きやら、その行使方法、また社外取締役などの第三者の独立性、中立性ということに帰結されるでしょう)
しかし、もし「企業価値」という「実体」を一般株主が判断すべきものであるならば、それは一般の株主、つまり素人にも「理解しうるような価値判断」でなければならないと思うのです。裁判所が判断することが困難だ、とする「企業価値」の中身について、それでは最終判断者とされる一般株主が果たして十分理解できる、というものでしょうか?
私は、司法の謙抑性については理解できますが、今後も「企業価値」の向上、毀損のメルクマール作りを放棄する、ということは問題であり、企業の行動規範としてのガイドラインとは別に、やはり判例ルールとしての「企業価値」基準のようなものは必要ではないか、と考えます。今後、現経営者側、買収者側双方から、裁判上で企業価値向上に関する専門家の意見書が出たとして、それらを単に鑑定意見書のような取扱をするのではなく、やはり「おおまかなルールでもよいので」裁判所自らが策定した「企業価値」に関する定義を示してほしい、と思います。(このつづきは、また)
企業価値研究会の論点公開について(2)
このブログでは、以前から「企業価値」について論じておりましたので、今回もやはり「論点公開」42ページ以下の「敵対的買収と企業価値」の部分が気になってしまいました。
ここでは、(企業価値とは)と題して、これを論じることが買収防衛策の合理性を明らかにするうえで重要な論点になる、ということを明言されています。
企業価値とは、会社が生み出す将来収益の合計のことであり、株主に帰属する株主価値とステークホルダーに帰属する価値に分配される、とまず定義付けられています。それで、企業価値は将来の値の予想値であり、将来のさまざまな要因によって容易に変化しうるので、これを正確に測定することは困難とされています。
そして、さまざまな分析をほどこしたうえで、企業価値の分析は、提案されている株式価格と市場価格との比較ではなく、買収提案と経営陣の経営提案との相対比較にならざるをえない、としています。
防衛策の合理性判断に重要としておきながら、企業価値の判断基準があまり明確になっていないのでは・・・との疑問がわいてきますが、ともかく研究会の上記内容からは、やはり企業価値の比較においては、株価分析ということだけではなく、ほかの要素も加味して将来価値の予想をすべきだ、という趣旨が理解できました。
ステークホルダーに帰属する価値、という言葉が出てきますが、これはどのように評価すべきなんでしょうかね。この取扱については、明日にでもつづきで書きたいと思いますが、いずれにせよ、私は法的紛争を前提とした場合のこの「企業価値」の取扱については、実体的な側面と手続き的な側面との両面から取扱を検討する、という認識で議論すべきだと考えております。そのことで、敵対的買収が行われた際の「一般株主の判断すべき指針」、「社外取締役、社外監査役のとるべき方策の指針」を明確にすることが可能になると思われるからです。
企業価値研究会の論点公開について(3)
私は「法律家からみた企業価値とはなにか」という興味を抱きつづけていますが、この120ページにわたる「論点公開」を読んでいるうちに、どうもこの「論点公開」では真正面から「企業価値」の意味をとりあげていないのではないか、という疑問が湧いてきました。そして、そこには「優秀な方々が集まって作成した」巧妙なトリックが存在するのではないか、という考えを抱くに至りました。
(その2)のなかで、私はこの「企業価値」というものを取り上げるには、実体的な側面と手続き的側面から検討する必要がある、と述べましたが、そのことと関係するように思うのです。
企業価値を論じることは、いわば「裁判制度」を論じることに似ています。神でもなければ、タイムマシンに乗って過去の事実を正確に表現することはできないのですが、「裁判」というのはそこで当事者が一生懸命ルールに則ってなるべく過去の真実に「近い」事実をさも「真実」のように表現して、最終的には裁判官が事実認定をする、というシステムです。つまり裁判は人が作った「真実」を過去の本当に起こった事実であると「仮定もしくは擬制」するのですよね。「企業価値」というものも同じように扱われているのではないでしょうか。そもそも、この企業価値研究会の定義している「企業価値」というものは将来の収益予測、というものであり、所詮は正確には現時点では「わからないもの」なんですよね。だけど、「企業価値」という比較可能な価値がそこにあると「仮定もしくは擬制」するんです。その絶対値を測るモノサシはないけれども、ふたつの意見のどちらがこの究極の「企業価値」を反映しているか、という比較はできる、として。
したがって、「企業価値」の中身を議論する意味は実体的にはふたつの意義があります。ひとつは、主要目的ルールを排除して、現行法のもとでも、さらには新会社法が施行された後でも、資金調達の必要性ない場合にも防衛策は各企業が導入できる、という大前提を根拠付ける意義です。最初から結論ありき、とまでは申しませんが、この企業価値研究会が防衛ルールの指針作りを目的として発足する以上は、資金調達目的以外にも、いわゆる企業買収からの防衛策作りを目的としている以上は、この企業価値を論じることの重要性に大きな意義を持たせる必要はあるんですよね。そして、もうひとつの意義は(数学における「絶対値」のような存在ですが)正確に算定することは困難ではあるが、そこには「企業価値」というものが存在すると仮定して、(実体的理解としてはそれで十分なんでしょうね)、その客観的な数値を判断することはしないけれども、買収者と現経営者とがその客観的な企業価値の把握にどれだけ「近づいているか、もしくは近づくことができるか」を第三者がいろんなモノサシを使って判定することは可能、と結論付けたところです。経済学的なモノの見方と法学的な見方の融合というか、妥協点というか、そのような発想が感じられました。
企業買収における合理性のある防衛指針作りのため、たいへんに頭のよい方々が考えたスキームだなあ・・・と、私はひとり感心しております。私のような凡人には、とうてい考え付くスキームではありません。つぎはこの「企業価値」を議論することの手続き的な意味について論じたいと思います。(その4へつづく)
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