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2005年5月 7日 (土)

社外取締役と企業価値判断(続編1)

社外取締役の立場で、買収希望会社が企業を買収した場合と、現経営者によって企業経営を維持させる場合と、どちらが企業価値が高まるか、という判断を行う場合において、その社外取締役の培ってきた人生観や世界観による判断として「裁量の余地」というものはあるのだろうか。それとも、もっと財務分析的な「企業価値」判断的による、マニュアルのようなものによって定量的、定型的な数値による判断をすべきなのだろうか。素人考えとして、まずそのあたりが大きな疑問である。

たとえばその企業の「年間離職率」というものが算定されているとする。ここ数年、この企業においては離職率が高まってきている、という場合に、買収希望会社が出現したときに、この離職率の高さというものは、どちらのほうに企業価値が高いという算定根拠となるのであろうか。現経営陣による経営姿勢に不満があるから離職率が高いのだ、と判断すれば、買収希望企業による経営のほうが企業価値が高いとなりそうだが、この企業自体が魅力を失ってきているから離職率が高いと考えれば、よほど著名な企業が買収者でないかぎり、経営者の交代をきっかけとして、さらに離職者は増え企業価値は低下する、という方向にも判断が可能に思われる。業界全体における離職率の調査や、労働力の移動傾向などから、ある程度客観的な判断も可能かとも思えるが、最終的には判断主体となる社外取締役の価値判断に負うところも多いのではないか、と私は推測するし、この企業価値判断というものも、社外取締役自身の経営哲学や人生観のようなものによって左右されるのではないかな・・と思う。

企業価値判断基準の問題だけでなく、このような社外取締役の判断における裁量の範囲などの問題も、今後の具体的な方策を検討していくうえで何度も出てくることが予想されるのである。(ということで、またつづく)

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