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2005年6月17日 (金)

株主価値と社会的責任論(CSR)

企業のCSR経営ということを最近よく耳にします。日経のCSRプロジェクト記事では、株主価値を最大にすることこそ、CSR経営の本質である、と言われたり、いやいやそれはアメリカ流であって、欧州流の「ステークホルダーの利益と株主の利益をそれぞれの企業が比較考量して、持続的成長をめざす手法」が本流だ、と別の本では言われたいたり。いずれにせよ、「企業の社会的責任」という言葉から、ただちに会社法上の法的義務が発生することがないというのは現状の把握としては正しいと思います。

たいへん痛ましいJR福知山線の事故で、電車が衝突したマンションの住民の方がたとJR西日本との補償交渉が始まりました。私の感情論からすれば、この住民方への補償については、購入価格を上回る補償、具体的にはすでに組んでいる住宅ローンの金利を含め、別の同一条件でのマンションが購入できるだけの金員補償+それぞれの迷惑料を支払うべきか、と思います。

しかしながら、裁判における現在の損害賠償理論からすれば、このような水準まで賠償する必要はないものと思われます。そこで、もし取締役らが、私の意見のような補償金を住民の方がたへ支払ったとすれば、JR西日本の株主からすれば、なぜ裁判をされても届かないような金額の補償をするのか、その合理的な説明をせよ、と取締役へ釈明を求めることも考えられますし、理論的には株主代表訴訟を提起されることも考えられるのではないでしょうか。

このようなとき、企業の社会的責任という言葉によって、なんとか取締役の説明義務を尽くすことはできないでしょうか。たしかに、本件マンション住民への補償金額は、通常の法的な支払い義務を超えたものかもしれないが、真摯に対応することで大きな事故を発生させた企業の誠意を地域住民の方がたに評価していただき、長期的にみれば株主の価値向上にもつながる、と。もしくは、このまま法的交渉が長引けば、それだけマスコミによる非難も継続し、企業の名声(評価)が毀損されてしまうことよりも、若干法的な根拠のない上乗せがあったとしても、そちらによる毀損のほうが企業価値低下という面からは少ないものであると。

ただ、この手法によると、「それではどういう場合に超法規的措置をとり、どういったときには賠償理論どおりの措置しかとらないのか、明確な基準はあるのか」と聞かれた場合に、株主に切り返す言葉があまり見当たらないように思います。広く報道された場合に限る、と説明したとしても、なんとなくあいまいな説明になってしまいそうですし。

感情と正義感で自分の意思を律することが可能な一般株主ならば、代表訴訟を提起するということも考えないでしょうが、他人から大事なお金を預かって運用している機関投資家であれば、そんな感情のことなどいってられませんし、むずかしい問題だなあと思ってしまいます。

PS 大阪弁護士会でも、兵庫県弁護士会の救援活動に次いで、福知山線事故の被害者の方がたへの法律相談を開始しました。おもに精神的に負傷された方のための救済を中心に支援しているようです。

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コメント

toshiさんへ
総論賛成(^^;)。でも、難しい問題ですねえ。CSRを説明責任の根拠にする・・・う~ん、一般的な意味か法的意味か・・・。「法的根拠のない上乗せ」という言葉を少し吟味したいですね。損害論といえども交通事故等での人的損害の定額化は本来は金科玉条であるわけでもなく、どこからが「法的根拠があるものか」「法的根拠がないものか」一義的に決められるものではないのではないでしょうかねえ。いきなりCSRを法的意味で損害論の分野で持ち出す必要性というのは今一度検討される必要があるように思います。特に今回のマンション関係はそもそも定額で考えるべき問題なのかどうかという問題もあるわけで(ろじゃあはどっちかというと定額化対応になじまない問題だと思ってます)。社外取締役の経営判断における意思形成の前提として考慮されるべきというベースでは当然強調されるべきだとは思いますけどね。あと、その副作用ですね、ろじゃあがちょいと気になるのは。社会的責任ですからということで何らかの問題で+αを支払い得るという方向で話を進めすぎると特殊株主への支払いとか株式譲渡の対価の算定とかややこしい問題が余計ややこしくなる恐れもありそうです。ろじゃあもエントリーひとつ作って考えてみたいですねえ。時間ないですけど・・・(^^;)。

投稿: ろじゃあ | 2005年6月19日 (日) 20時38分

コメントありがとうございます。たしかに、ろじゃあさんがおっしゃるとおり、「上乗せ」というのが「法的根拠がない」とまで言ってしまうと、すこし語弊がありますね。ただ、明らかに「法的根拠がある」ということも言えないわけですから、すくなくともJR側は司法判断にでも持ち込んで「敗訴」もしくは「和解」しないかぎりは、その「上乗せ」部分への任意支払いは合理的に説明はできないものと考えられます。「社会的責任」という言葉にすこし問題があるとすれば、「社会的な評価毀損防止」とか「報道対策」とか、ともかく「今回の事件は特別だよ」ということを説明する根拠が必要かなあ・・・と思います。今日の新聞あたりですと、株主オンブズマンは、今年の株主総会を前に社会的責任投資機関との提携なども模索しているように報道されていました(日経)。おそらく、今後もこの「CSR」という言葉が独り歩きしないような論調も必要でしょうね。ろじゃあさんのエントリー、楽しみにしています。

投稿: toshi | 2005年6月20日 (月) 14時07分

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いま僕は企業の経営理念をまとめ社会にいかに働きかけ、かつ効率的にコミュニケーションするかをCSR(←企業の社会的責任、なんて訳されますね)という枠組みで整理する、というプロジ [続きを読む]

受信: 2005年12月15日 (木) 01時11分

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