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2005年8月 6日 (土)

裁判員制度(弁護士の視点から)その2

きょうは土曜日ということで、ビジネス以外の話題をひとつ。(大阪はたいへんな雷雨になっておりますが・・)

「裁判員制度模擬裁判」が無事に3日間の日程を終えました。判決言渡しにおいて、裁判員らは殺人未遂罪の被告人について懲役5年の実刑判決を言い渡したそうです。公判前整理手続き(新しい刑事訴訟法によるもの)を導入したために、取調証拠も限定されており、かなりスピーディに審理が進んだとのこと。

ただ、記事を読んで気になりましたのが「量刑に関する裁判員と裁判官とのやりとり」です。被告人の前科を重視して懲役6年が相当とした50代男性会社員(検察官の求刑は7年)や、被告人が高齢のために3年が妥当とした20代の女性の意見も出たそうですが、最終的には同種事件の前例を職業裁判官が紹介して5年に決まった、とのこと。たしかに職業裁判官の意見に裁判員が異を唱えることは、本当にムズカシイですよね。

99,8%の有罪率維持を誇る、日本の優秀な検察官による起訴独占主義を前提とした刑事裁判制度のなかで、もし裁判員制度が機能するならば、おそらく「事実認定」よりも「量刑」にこそ民意が反映されるべきだと(すくなくとも私は)思うのですが、こういった量刑の決定システムを聞いていますと、現実に刑事裁判に関与していく弁護士としましては、ちょっと裁判員制度について、「ひょうしぬけ」してしまいますね。16年も弁護士をやっておりますと刑事事件の同種事犯に関する量刑表のようなもの(どういった犯罪で、どういった事情を準備すれば、どれくらいの刑が言い渡されるか、というものを詳細に表としてまとめたもの。これは保釈の可否も検討できて、依頼者である被告人や被告人の親族との説明義務を尽くすためには非常に便利で重宝します)を持っていますので、裁判員制度になっても結局のところ裁判官の相場感が最重視されるということでしたら、裁判員のほうをわざわざ向いて弁論しなくてもだいじょうぶ、などと軽率にも安堵してしまいます。

ホンネで申し上げますと、こういった模擬裁判の段階で「若い女性裁判員の意見を尊重して、裁判官は5年と思ったけど3年に意見が集約された」とか「相場は5年だが、どうも弁護人と被告人とのぎくしゃくした法廷でのやりとりをみていると、被告人が本心から反省しているようには思えなかった、との裁判員の意見が強かったので、求刑どおり7年とした」など、量刑決定に至るシステムにドラスティックなところがあってもよかったんじゃないでしょうかね。そうすれば、我々や検察官方としても「これはえらいこっちゃ!市民向けのわかりやすい弁論を工夫しなくては」とか「公判前整理手続きの勉強しなくちゃ」と思い、刑事司法への弁護士の能力アップの機会につながると思うのですが。

もちろん、被告人には公平で適正な手続きによる裁判を受ける権利がありますので、相場感覚を伴う判決を受けることができるほうが「公平」であり「適正」とは言えるでしょうが、時代の流れによって国民の処罰感情に変化が生じることもあるでしょうし、過去の「相場」が正しかったのかどうかを現代において検証する意義もあるでしょうから、裁判員制度を取り入れる以上は、あまり職業裁判官が過去の同種事件における量刑などを持ち出すのはどうなのかな・・・との危惧は否めないと思います。

しかし今回のものは、純粋な法曹三者による「まじめな」検証が目的だと思われますので、プレゼン目的などといった私の軽率な意見は無視されてしまうんでしょうね。。。。私なんか、保釈許可決定の場面にこそ、裁判員制度を取り入れるべきだと真剣に思うんですが。

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コメント

■無罪でなく「非罪」用語の採用を
DMORIです。古いトピへのレスで恐縮です。
日本で裁判員制度をスタートするに当たり、「無罪」でなく「非罪」を導入すると、格段に裁判員の裁定が異なってくると感じています。

ビジネス法務の部屋へ出入りされている方なら、ヘンリー・フォンダの名作「12人の怒れる男」をご存知と思います。
私の会社では、入社2~3年目社員のコミュニケーション研修で、この映画を見せてのディスカッションを、プログラムのひとつにしています。

12人の陪審員が論じているのは、被告少年が有罪か無罪かではなく、GuiltyかNot_Guiltyか、なのです。

私の会社の研修でこの映画を見た若手社員たちが、共通して感じた意見は、「無罪」ということでは納得しづらいが、「Not_Guilty」だから、なるほどこの12人の陪審員たちがこの結論に至ったことに、本当に納得した、ということです。

Not_Guiltyを日本語で「無罪」とするのは、誤訳なのです。
無罪はinnocentの意味が強く、Not_Guiltyは「非罪」と翻訳すべきです。
疑わしきは被告人の利益に。この基本的な考え方を反映させるには、「非罪」という用語をもっと一般的にするべきではないでしょうか。

証拠がはっきりしない、警察の取調べにも一部疑問がある・・・という局面を感じた市民裁判員でも、「では無罪でよいか」との決断を迫られると、「無罪」と断じる自信はなく、そのために「有罪」を選択してしまう可能性が高くなります。
このとき、Not_Guiltyこそ、「有罪とは断定しがたいから、無罪とは言えないが、非罪である」と判断する可能性を大きく高めることになるでしょう。

Not_Guiltyが「無罪」の訳のままでは、市民裁判員は冤罪を肯定するリスクがあると言えます。
この用語の議論は、日弁連などでは提起していないのでしょうか。

投稿: DMORI | 2008年6月 5日 (木) 21時58分

私もDMORIさまと同じことを考えたことがあります。
「有罪」と「有実」(とはあまり云いませんが)が異なるように、
「無罪」と「無実」も違うわけで。

「検察側が被告人の有罪を立証し得てない」、
この場合は「有罪という判決は出せない」わけです。

裁判とは「被告人が無罪を証明する場」ではなくて、
あくまでも「検察側が被告の有罪を証明する場」である。
この原則を「せめて」徹底すべきでしょう。

投稿: 機野 | 2008年6月 6日 (金) 09時10分

御二方の御意見を拝読致しまして、常日頃つらつらと思う事を書き連ねます。

裁判員となるだろう、法的責任について身近にない市民はどう考えても、①記憶にある同種の判例、②個人のモラル・価値観、③個人の印象・心証、を駆使するしか論述のための手立てがないと思われます。
御二方のコメントキーワード「非罪⇒非有罪⇒有罪を立証出来ない」や「疑わしきはこれを罰せず」など、推定無罪の原則のような専門的原理を思い起こすにつけ、前述の①~③とのギャップを深く感じます。

仮に上記の①~③に加えて、推定無罪を念頭に入れたとしても、検察側主張では有罪立証に至らないとか、被告人代理人が検察側の主張に対して十分な反証を示しているとかを裁判員は論証的に判断出来るのか──実際は甚だ心もとないとしか思えません。
証拠から演繹的に事実を導けるような場合はまだしも、決定的な証拠ではなく、いくつかの証拠で主張者が演繹的に事実を導こうとする場合、その当否を判断するのは専門家でなくても可能なのか──と思います。

裁判員制度を考える多くの法律「無」関係者がこのような考えに及んでいる気がします。これは、裁判の本質・問題の核心に関係する事項かと思われ、このような懸念が想定される中で裁判員制度はあと一年。この制度が何を抜本的に変えていくのか、まだ理解出来ないでおります。

どうも制度というものは、その制度が対象とする社会や団体・集団等の成熟度を考慮して導入されるものではないような気もしますが、両者の乖離はすなわちリスクと考えらます。「制度導入リスク=制度が目指すものと制度被適用者の実体との乖離が原因となる問題やトラブルや淘汰現象」を乗り越えないといけないのでしょうか。

投稿: 日下 雅貴 | 2008年6月 8日 (日) 13時10分

×いくつかの証拠で主張者が演繹的に事実を導こうとする場合
○いくつかの証拠で主張者が帰納的に事実を導こうとする場合

書き間違いでした。

投稿: 日下 雅貴 | 2008年6月 8日 (日) 16時08分

皆様、もう3年ほど前のエントリーであるにもかかわらず、真摯に意見を述べていただきまして、ありがとうございました。

いよいよ裁判員制度が開始されるまで1年を切りまして、裁判員裁判の手続に関する勉強も本腰が入ってきたところかと思います。(裁判になるまでの争点整理などが、とても重要なこともわかってきました)
別のエントリーのコメント欄でも書きましたが、弁護士が管理人となって「裁判員制度の部屋」ブログがあれば、この時期、社会貢献度は高いものと思います。裁判所や検察庁は絶対にできませんから。どこかでそういったブログが誕生しましたら、またご紹介ください。

投稿: toshi | 2008年6月10日 (火) 01時40分

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