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2005年8月19日 (金)

敵対的企業買収は誰のためのものか

昨日も紹介しました「商事法務」8月5日・15日合併号の巻末コラム「スクランブル」に、題名のようなコラムが掲載されております。今年のM&A事例をいろいろとみてきて、経営者の方が心の中では思っていても、なかなか口に出していえなかったようなことを、一気に表明してくれたような爽快感があります。学説も、裁判所も、弁護士もみな新古典主義経済学者のようであって、アメリカ型株主主権主義をそのまま持ち込んで賛辞する、という態度への批判、経営者への過大な負担とリスクの要求が最終的には株主の利益にはならない、という提言は、これを読んだ方が思わず納得、言いえて妙、と感じられたのではないでしょうか。最後の締めの言葉も「企業は何のために上場するのか考えろ、ではなく、市場こそ、どうすれば上場してくれるのか、を考えるべきである」というあたりは、私もそのとおりだと思います。そろそろ「株主権の内在的制約」理論というものがあるのか、ないのか、あるとしたらどういったときに株主権に合理的な制限が加えられるのか、株主平等原則に合理的な制限が認められるのか、そういった問題にスポットをあてるべきではないか、と思うのであります。

このブログも「企業価値」とは何か・・・というものへの自問自答から始まりました。そろそろ企業価値論についても議論の進化が薄れ始めてきたのではないかと感じています。今後はおそらく「社外取締役」が具体的に活躍する場面において「企業価値」をどのように検討したか、等もうすこし具体的なモノサシをあてることで議論が進化していくのではないか、と予想しています。いまのところは、おおよそ株主の将来における価値の最大化を図ることこそ、企業価値の実現であるという言い方さえすれば間違いではなさそうです。今後は、ぎゃくに「株主の権利」というものは、多数株主の「共同利益」のために制約を受けるのか、とか「企業の社会的責任」によって制約を受けるのか、といったあたりの議論に期待しています。そういった議論は直接的に株主の法的権利にもつながっていくように思われるからです。日本の文化や伝統、慣習によって影響を受ける「株主権」を認めるのかどうか、グローバルスタンダードを重視して、新会社法のもとでの「株主の権利」は万能なものと解釈されるものなのか、そのあたりと見極めていきたいと思います。

いずれにせよ、関西の経済団体での会合においても、この「スクランブル」のコラムで書かれている立場というのが経営者のホンネの部分だと確信します。これは私が専門的に勉強している内部統制の議論でも同じです。過大な負担を経営者に押し付けて、本当に見合うだけの効果があるのかどうか、単にアメリカの議論を持ち込んできたにすぎないのではないか、という疑念はぬぐいきれません。防衛策にせよ、内部統制にせよ、大きな視点から、その拠るべき根拠を示す必要があると思います。

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