日経ビジネスの「法廷戦争」(2)
8月1日の特集記事について、つづきのエントリーです。きょうはいよいよ盆休みスタート!ということもありまして、9月11日に行われる最高裁判所裁判官の国民審査に関するブログなどを事務所でゆっくりと読んでおりました。
先の日経ビジネス特集記事でも「裁判官は権力側に立っているという意識が見え隠れしていて」「お上意識が強い、下々の者に判断を下す」という印象について書かれています。おそらく、国民審査の対象となる「最高裁判事」という方がたに対しても、弁護士出身者を除いて、どちらかというと権力志向の判決を書く人が多い、という印象が一般には強いようですね。
しかし、地裁レベルでの話となりますと、「お上意識が強い」という意見について、私はすこしばかり異論がございます。現代の裁判所はおそろしいほど、当事者に対して気をつかっているのが実情ではないでしょうか。とりわけ一方当事者に弁護士がついていない事件では、懇切丁寧に訴訟行為の意味を説明し、その効果発生について明確な承諾が得られるまで説明を繰り返す。公平な訴訟指揮だけでなく、控訴されれば、自らの証拠評価や法律判断が高裁裁判官に精査されるわけですから、判決を書くときもまた非常に慎重です。当事者が「もうすこし主張したいことがある」と言えば、不承不承でも期日の延期(期日の追加)を認めてくれます。ですから、先の記事で批判されているように「小さなクレームでも判決まで2年かかり、実際のビジネス紛争には使えない」との印象を与えてしまうのはないでしょうか。下々の者に判断を下すようなイメージなら、もっと早く判決まで出せて、現状の裁判がビジネス紛争に資するものとなるはずです。
(続き)
もし、裁判所に「下々の者に判断を下す」イメージがあるならば、それは弁護士の裁判所に対する態度にも起因すると思います。ビジネスに使えるように工夫して訴訟準備をしないからだと思います。せっかく当事者照会制度があるのですから、双方の代理人で訴訟提起後第一回口頭弁論までの約2ヶ月間に争点整理や証拠開示を進めればいいわけですし、裁判官が争点整理をするまえに「争点整理に関する意見書」を双方が提出して訴訟のスピードを上げればいいわけです。私のいままでの訴訟経験でいえば、訴訟外で争点整理を行うことや、当事者がイニシアティブをとって争点整理を行うことについて、担当裁判官から嫌な顔をされたことはありませんでした。おそらく今後は弁護士の数も飛躍的に増えて、こういった当事者間における訴訟促進の工夫は若手の弁護士を通して広く裁判所に浸透してくるのではないでしょうか。
最高裁判所の裁判官を選出する、というのも、いろいろな法曹団体からバランスよく選出されているわけですが、あまり「権威」にはこだわらない「人物本位」なところがあると思います。現役の最高裁判事でいらっしゃる横尾和子さんについては、行政(厚生省)出身だから右派、という評価もありますが、おそらくご本人の人生観、世界観に基づく判断であって、行政出身というのはあまり関係ないと思います。
私事で非常に恐縮ですが、じつは「私のオバちゃん」(私の母の妹ですが)も最高裁判事就任の打診があったようですが「早死にするのはイヤ」という、よくわからない勝手な理由で、オバちゃんは固辞しました。
オバちゃんは、肩書き的には横尾和子さんとほぼ一緒ですし(事務次官のひとつ下で退官)、情報公開審査会の部会長の時代に、同じ部会で一緒に仕事をされていた藤田宙靖教授が先に最高裁判事に就任されたので、「いやー、身内から最高裁判事が出るなんて」とひそかに期待はしていたのですが。しかし、この「オバちゃん」に打診があったということは、最高裁事務局というところはかなり開かれている、というイメージを私は持ちました。情報公開制度の「最高裁」といわれている情報公開審査会におけるオバちゃんのイメージは、下記の2002年11月の毎日のネット記事でおわかりになると思います。
ダンナとふたりで老後を楽しみたい、と思っているオバちゃんは、たまたま固辞しましたけど、こういった行政出身者が最高裁判事となって、(しかも横尾さんのように自由奔放に振舞われて)ラディカルな意見(危険な一面もあろうかと思いますが)をつぎつぎと開陳されれば、また「裁判所」に対する国民のイメージも変わってくるのではないかな、きっとそういう日が来るんじゃないかな・・・と(ひそかに)思う次第であります。(1)でも述べましたが、私は特別「裁判所が変わらなければならない」とは思いませんが、そういったイメージを変える努力はしなければならない、とは思いますね。
(ちなみに、私は大阪の個人零細事務所の弁護士ゆえ、最高裁判事どころか、弁護士会の要職すら「遠い存在」でして、能力、体力、野心すら持ち合わせておりません。)
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