無形資産と知的財産
日経新聞に連載されています伊藤教授の「無形資産の時代」を読んだり、「ビジネス法務10月号」の日本政策投資銀行の部長さんや久保利弁護士の知的財産に関する特集記事を読んでおりますと、「無形資産」や「知的財産」「知的資産」など、用いられている言葉が少しずつ異なることに気づきました。また、これらの言葉に込められる論者の思いも少しずつ異なるんですね。ある人は中小企業の金融に役立ってほしいと願い、ある人はM&Aの円滑な実現に貢献することを願い、そしてある人は少子化が進む日本の世界戦略となるように願ったりします。
知的資産に対する各人の期待は異なっていても、企業における管理の重要性を説く姿勢は共通しているようです。知的資産の運用方法を工夫したり、機密としての重要性を社員に浸透させたり、また他社との共有を図ったり、およそこれから各企業において体得すべき管理上の問題点というものが識者によって議論されていくものと思われます。
ただ、企業における知的資産(無形資産という言葉のほうがしっくりくるかもしれませんが)というのはどこまでのものを含むのか、私には疑問があります。もちろん、特許権、著作権のように法律によって保護範囲が特定できるものであればそれほど問題はありませんが、たとえば企業ブランドや企業ノウハウ、ビジネスモデル(特許対象ではない)など、これらも無形資産に含まれることは明らかでしょうが、これだけが独立して「企業価値」の一部を構成するものなのでしょうか。たとえば、私は外食産業の上場企業で監査役をしていますが、ここは「大阪通天閣の食堂屋さん」から始まった企業ということで味には定評がありますが、どうも店舗作りを含めた「営業力」がいまひとつでありまして、ある店舗の近くに東京資本の同業他社さんのレストランが登場するとすぐに集客力が落ちてしまう。ところが、半年ほどすると、またお客さんが帰ってくる、ということの繰り返しです。明らかにこの会社にはビジネスノウハウを含めた美食部隊という無形資産があるのですが、これは独立の資産としてはなんらの価値を持たないようです。この無形資産に光があたるのは、「優良食品仕入れ部隊」という別のノウハウと「他社よりも美味しいものを出す店であることを表現する部隊」とが合体することではじめて「無形資産としての価値」を実現できるのです。こういった無形資産の評価というものは、おそらく他の企業でもありうる話だと確信しています。そうであるなら、いったい無形資産の価値というものは果たして独立客観的に評価することができるものなのか、という非常に基本的な疑問が湧いてくるわけです。逆に申しますと、特許権、著作権などを含む無形資産というものは、社内の管理部などを設けて、そこで一元的に保護管理運用を行えば足りるような問題ではなく、無形資産を企業価値を高める資産として輝かせるには「全社的取り組み」がないとムズカシイのではないか、と思うわけです。もし、その企業において「無形資産」に大きな価値があると評価されるのであれば、それは無形のモノ自体の評価というよりも、そのモノを輝かせている企業全体のビジネスモデルへの評価であろうと考えるわけです。もし私がどこかの企業の社外取締役として、株主を代表して企業価値を把握したり、他者のものと比較をするならば、おそらく企業の有するブランドイメージや企業ノウハウ、ビジネスモデル、情報システムなどの無形資産は、むずかしいDCF法による算定は参考程度にとどめることにして、それよりもむしろその企業が推奨する無形資産をその企業がどのように輝かしているのか、そっちの取り組みのほうを重視するでしょうね。
こんなこと言っておりますと、無形資産の価値評価を一生懸命研究されていらっしゃる方には叱られるかもしれませんが、無形資産の市場的評価というものは果たして実現するのかどうか疑わしく、またもしその無形資産の客観的な市場価格は算定できる、ということであるならば、それはすでにその無形資産が「資産としての魅力」を失った頃ではないかな・・・と推測してしまうのです。いずれにせよ、この知的資産、無形資産の戦略的管理運用の問題は会計、法務の問題を飛び越えて企業全社あげての取り組みを必要とする積極的な企業展開の一環であると認識すべきだと思います。
| 固定リンク
コメント
企業ではたぶん、も一つ視点が・・・・
税務上の問題のが、大きいんじゃないっすかねえ。まだ、収益を本格的に上げてもいないのに資産は資産として「評価し得る」、「計算し得る」という形になってくると・・・んじゃ、資産として課税していいんですねという流れが出てくると、経営者はは???ということになるでしょうねえ。
投稿: ろじゃあ | 2005年8月24日 (水) 08時24分
toshiさんの主張される「無形資産の市場的評価」に対する疑念を共有します。ムリでしょう。
近年規制緩和の流れに従って「市場」がやたらとクローズアップされていて、貨幣・私的所有権とともに資本主義の三種の神器のように扱われておりますが、実際にこれを運営するとなると、市場とはそんなに便利で使い勝手のいい道具ではありませんで、不器用で運用にケチがよくつく、めんどくさいスキームですよね。それに市場で取引が可能な商品の幅というのは大変に限定されているのでありまして、株・債権・金・白金・原油などのようにある程度大量で等質で変質しない、誰にとってもある程度以上の価値があると認められるものでなくてはならない。こういうことを考えると、無形資産の流通をこのスキームで処理するのは、現状ではほとんど不可能であるといっていい気がします。「市場万能主義」批判などという話もありますが、ことさら改めて批判しなくても、もとより全く万能などではなく、悪気がないのはわかるけど、実現可能性についてはエスペラント語を夢想するがごとき空論に近い。市場取引で取り引きされる価格なら、研究者が研究上扱いやすく、そうした価格の理論的な正当性や限界はすみずみまでよく知られていますので、この価格づけを主張しやすいのはわかるのですが、それは当事者でない学者さんの都合なんでありまして、キャッシュを得たい企業側の方は、市場で売って得た現金も、相対取引で得た現金も同じですものね。学者さんが考えるほど市場に思い入れは生じておらず、現実は内輪で適当に話し合いながら相対処理している、そういうギャップがあるのを感じます。
投稿: bun | 2005年8月24日 (水) 15時51分
>ろじゃあさん、bunさん、いつも貴重なご意見、ありがとうございます。おふたりの意見、背筋が凍るような思いで拝見いたしました。法律家がちょっとばかり、知ったかぶりをして経済問題に踏み込んだとたん、冷水を浴びせかけられたように問題点を指摘され、赤面の思いです。企業資産の譲渡や投資、投機など、実際にそれほど経験していないものですから、いろんな視点が欠落していたようです。この問題は、おふたりのご指摘を再検討したうえで改めて再考のエントリーをアップさせていただきます。しかしホンマ、恥をかくからこそ勉強になるのかもしれません。(笑)
投稿: toshi | 2005年8月25日 (木) 02時19分
え?びっくり。ちょっと待ってください・・・toshiさん、私はtoshiさんの意見にネガティブなことはひとつも書いておりません。
toshiさんの疑念を共有します=toshiさんに大賛成
でございます。全面的な賛成(笑)。自分の言葉と自分の好きな視点で、同じことを改めて書かせて頂いただけでございます。冷水なんて浴びせてませんよー(笑)。
「無形資産の価値評価を一生懸命研究されていらっしゃる方には叱られるかもしれませんが、無形資産の市場的評価というものは果たして実現するのかどうか疑わしく、またもしその無形資産の客観的な市場価格は算定できる、ということであるならば、それはすでにその無形資産が「資産としての魅力」を失った頃ではないかな・・・と推測してしまうのです。」
この疑念に大賛成だと申し上げたのでございます。自身がありますし無形資産の研究者もそう考えていると思いますよ(笑)。
うーん自分の文章、賛成しているように読めないでしょうか(笑)不機嫌そうとか書かれたことがありますが、全然そんなことはないんでした。ごめんなさい。もっと愛想よくします(笑)。
投稿: bun | 2005年8月25日 (木) 20時20分
連続レスで恐縮ですが念のため。私は常日頃なんでも市場市場という風潮に疑念をいだいておりまして、toshiさんが無形財産の市場的評価の実現性に疑念を抱いていらっしゃるのを拝読して100%賛成です、とコメントさせていただいた次第です。わかりにくい書き方で申し訳ありませんでした(笑)。
投稿: bun | 2005年8月25日 (木) 20時26分
いえいえ、bunさん、結論に賛同していただいているのはよく理解しておりますよ。ただ、やはり理由というものの説得力が私とは違います。といいますか、正直申し上げて「嫉妬」のようなものかもしれません(笑)。でも、この嫉妬心が、また「もっと研究しよう」というエネルギーに変わるみたいです、私の場合。賛同、ご批判、大歓迎ですので、またコメントしてやってください。そういえば、今朝(8月25日)の日経「やさしい経済学」のなかで、このエントリーへの回答のような伊藤教授の論稿があります。タイミング良すぎ、という感じです。
投稿: toshi | 2005年8月25日 (木) 20時30分