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2005年9月20日 (火)

不正監査を叫ぶことへの危惧

昨日も中央青山監査法人の理事長らが東京地検特捜部に事情聴取を受けた、などカネボウ(元担当)社員の個人責任とは別に、「虚偽報告」に関する法人責任追及へ向けた捜査が進んでいる、との報道がありました。ここのところ、会計士さんのブログを中心に、不正監査に関するエントリーをたくさん読ませていただきました。会計監査人に「不正追及」を目的とする職責を規定しようとする金融庁の動きや、東証から会計士協会へ「不正監査防止への取り組み」の申し入れ、会計士協会から会員への「粉飾への関与防止のメッセージ」など、とりわけ監査を担当する会計士さん方の仕事の質が変わるのではないか、と思わせるような風潮が感じられます。

「不正監査の糾弾」が、ここまで社会問題化しますと、ちょっと怖い気もします。若い会計士さんが、(職員というのでしょうか、社員というのでしょうかね?)一生懸命に新しい会計基準を勉強され、これに基づいて企業の会計担当者と監査内容について審議することは結構なことですが、不正経理への関与を恐れるあまり「杓子定規」な運用以外は認めない、という硬直化した態度になってしまって、経理マンさん方を困らせるという事態になってしまわないか、という危惧があります。たとえば、つい先日のエントリーで問題となっておりました「連結はずし」の問題などについても、基準でいけば、どこまでなら「連結」からはずしてよいか、という判断は本来非常に難しいもののようです。そこで誰がみても基準をクリアしているような要件を具備した場合しか「連結はずし」を認めない、それが「粉飾決算に関与してはいけない監査人」としての立場上やむをえない、という態度が今後浸透していくとしたら、これは少し専門家として問題が出てくるのではないか、とも思ったりします。

もちろん、監査法人が今後自身の内部統制のための統制環境として、「すこしでも粉飾と疑われるような態度をとってはならない」という企業倫理綱領を社員全体に伝播させることは、立派なものであって、否定するわけではありません。しかし、先に述べたような専門家の態度は、その職務をまっとうするにあたって「頭を使う必要がなくなる」「思考が停止する」ものとなって、専門家としての社会で期待される「実力」が伸び悩む結果を招来してしまうんじゃないでしょうか。

弁護士の仕事をしておりますなかで、一般民事事件を扱う弁護士のほとんどが「破産開始決定」の申立代理人、というのを経験いたします。いわゆるサラ金破産というものを念頭に置いていただくとわかりやすいと思いますが、代理人弁護士が就任している申立ですと、裁判所が発行しております「申立定型書式」というものを用いることが可能でありまして、ここに破産相談者から聴取した必要事項をツラツラと書き連ねますと、「一丁出来上がり」になるわけです。それで、「この人は誰がみても免責を得て当然」と思える相談者の場合には、あまり苦労もせずに申立に至り、そのまま数ヵ月後には免責されるということで、ほとんど「思考を巡らす」こともなく報酬を頂戴することとなります。しかしながら、現実にはそういった相談者ばかりではありません。ギャンブル、高価品購入、遊興、アコギな金貸しに騙されて一般サラ金から詐欺まがいでの借り入れ経験など、一見すると「あんたは追い込みかけられたほうがええんとちゃうの?」と思わせる事情をお持ちの方もいらっしゃいます。まあ、それでも刑事事件の「執行猶予」のような感覚で、「今回だけは破産決定をもらえるように努力してみましょう」ということで仕事を請け負うわけです。「裁判所にウソの申立」をすれば免責不許可となりますし、弁護士としての責任問題に発展しかねませんので、ウソの陳述はできません。しかしながら、一生懸命その相談者の「免責許可が出ることに有利な事情がないか」を探します。その事情がみつかったら、その事情があることを立証できる書類がないか、考えます。そういった仕事はまさに思考と経験に基づくものでありまして、だからこそ「代理人弁護士」としての報酬に見合うものとなります。

最近のエントリーにいただいたコメントを拝見して、会計士さんの現場における仕事についても「会計基準」を杓子定規に適用すれば「一丁あがり」でなく、いろいろな判断を迫られるケースがあることを知りました。足利銀行の件で中央青山監査法人の監査が問題となっておりますが、そこに出てくる「繰り延べ税金資産」計上にかかる「将来収益の見込み」などというものもそうですし、エントリーでいただいた「K」さんのコメントにありましたように「どういった事情があれば連結はずしが可能か」ということも同様です。企業自身のためでなく、投資家のためにこそ「監査」があることは当然ですし、そのために「監査は確実な根拠に基づいてなされなければならない」という原則も理解はできます。しかし会計の作成者が会社であって、監査はその「相当性」を判断するにすぎないとしたら、会計監査人に1から5までの裁量の幅があるとして、監査人は1、経理担当者は5という結論を出したいと考えている場合に、まず「5」という結論も「裁量を逸脱した結論ではないかどうか」を考え、裁量の範囲であるならば、5の結論を出せる可能性をいろいろと考えてあげることも「相当性判断」のために必要ですし、そこに専門家としての思考と経験がまことに要求される仕事ではないかと思います。そこで意見がどうしても食い違って、不適正意見を出すのか、辞任するのか、それとも不正に手を貸すのかはまた別問題ではありますが。

新会社法のもとでは、監査役は会計監査人の報酬についても決定権を持ちます。したがいまして(あくまでも理想論ではありますが)監査役は自社の会計監査人の仕事ぶりから、その適正な報酬額を決定しなければなりません。企業会計の相当性判断にあたって、いかなる裁量の幅で、どういった事情により、どういった監査証拠を重視して、どういった結論に至ったのか、「監査役自身に株主への会計監査の説明責任」がある以上は、会計監査人に説明義務を十分尽くしていただいて、その報酬適正の是非についても検討する必要が出てきます。ついこの間まで、私は「会計監査の仕事というものは、100点とって当たり前の仕事。100点とっても誰も褒めてくれないのはツライだろうなあ」と考えておりましたが、法律で第三者が適正な報酬を判断することになる以上は、そうも言っていられませんし、株主に合理的な説明ができない以上監査役の責任に跳ね返ってくる、ということであれば、会計監査人の方のお仕事を評価する基準自体も検討されなければいけない時代になってきたように思われます。

今回の一連の会計不祥事が、どのような社会現象を招くことになったとしましても、そういった専門家としてのバランス感覚だけは見失わないでいただきたい、と(とりわけ)若手の優秀な会計士の方には期待をする次第であります。

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コメント

ハンドルネームで失礼します。
今日初めて貴ページを拝見しました。実は、過日のコンプライアンス・オフィサー試験を受けていました。大阪より来京との由、お疲れ様でした。来週の発表でお互いに合格しているとよいですね。とは言え、現役の法曹資格者の方には余裕ですよね。私も某企業のコンプラ担当として受かっていたいものです。

投稿: P307CC | 2005年9月20日 (火) 20時53分

>p307ccさん

はじめまして。そうですか、あの四谷の専門学校で、いっしょに受験されていたんですね(笑)
私の場合、ぜんぜん余裕、なんてもんじゃありませんよ。合格していたら、ちょっと関西のほうでやってみたい仕事がありますので、その「とっかかり」になればいいと思っています。
この受験、また後日談がありまして、また別のときにでもエントリーさせていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。(それにしてもp307ccさんのブログ、なかなかキレイですねえ・・)

投稿: toshi | 2005年9月21日 (水) 11時05分

toshiさんへ
ろじゃあです。
よくぞ書いてくださったって感じがあります。
杓子定規・・・ろじゃあは「生徒手帳君」と呼んでますが、会計士の先生が、有能な「官吏」になってはいかんと思ってるんです。
どうも、よのなかそちらのほうへ監査法人とか会計士の先生を追いやるような風潮が多いような気がして危惧しておったところであります。
連結対象かどうかの判断については、ホントにまじめにやったらまじめな方ほど大変だと思います。基準が第一あいまいなんですから。形式基準の時はそれに該当しちまう分についてはむしろ言い逃れができないわけですが、極端なはなし持ち株比率が0パーセントでも実質支配基準で判断していくつかの要件を満たせば連結先にもなりますし、実際は微妙な判断の方が多いはずなんです。
そこの点は報道では触れられてないんですよね。会計士であれば誰がやっても同じような判断をするはずである・・・前提があるようですが、たぶんこの点も違うんじゃないかとろじゃあは思ってます。
でも法律の勉強してる若い諸君もそうだと思うんですけど、世の中何とか自分がリスク(判断するというリスク)を負わずに誰かが枠組みを用意してくれていて当てはめれば大丈夫なんだとたかをくくっている人もいるんですよねえ。そんな甘くねえって(^^;)。専門家として報酬もらうんですからねえ。
なんか今回の件の帰趨についてはバーチャルな枠組みで現実の実務を形式的に判断していく風潮を助長するようなことになるんではないかという危惧があるのです。それが日本にとっていいのか悪いのかよくろじゃあにはわかりません。でも、現実を見ずに自分でも専門家としての判断リスクもとらずに実質的基準で形式的に判断していく会計士の先生とは・・・仕事したくないなあ・・・(^^;)。
長文失礼しました。

投稿: ろじゃあ | 2005年9月24日 (土) 02時53分

ろじゃあさん、力のこもったコメントありがとうございます。
企業のリスク・アプローチという立場からみれば、うまくリスクを回避する手段を考えることも重要なんですが、そういったことと、マニュアルを探して、もっとも近いところにはめ込んでしまうのは違うと思います。とりわけ、企業と監査人との関係というのは、今後バンバン「解任のリリース」「仮監査人の選任リリース」監査法人側からの意見表明など、毅然としたおつきあいが増えてほしい、と思います。たしかに短期的にみればそういった軋轢は投資家を不安にさせるでしょうが、長期的にみれば、本当の投資家のための監査、といえるのではないでしょうか。

投稿: toshi | 2005年9月26日 (月) 00時40分

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