« 社員の「やる気」とリスクマネジメント | トップページ | ふたつの「内部統制システム構築理論」 »

2005年10月11日 (火)

CSRは法律を超えるのか?

グローバル企業であるソニーが、部品調達先選びに「社会的責任」基準をアメリカIBMなどと共通化して採用する、という報道がありました。環境、安全、人権配慮に関する条件を取引先4000社に通知し、取引先選別に利用する(違反企業には取引停止などで臨む)というもので、今後は東芝、日立製作所などにも参加を呼びかける、というものです。いまだ日本では「CSR(企業の社会的責任)」というものの明確な定義はありませんが、欧州での素材規制問題や、日本における石綿問題など、昨今の環境問題からすると、世界レベルでの販売管理上やブランドイメージの向上のため、もはや避けては通れない課題になりました。東京商工会議所の今年7月の「CSRに関するアンケート調査」によりますと、大企業と中小企業との「サプライチェーンにおけるCSR」への意識には未だ大きな隔たりがあるようでして、大企業が喫緊の課題と捉えているのに対して、中小企業は「環境基準の調査報告すら提出できない」レベル(結局はCSRへ取り組む費用不足)のようです。ただ、取引先の選別や、取引停止といった事態が想定される以上は、いよいよこのCSR問題(とりわけサプライチェーンCSRの問題)も法律との抵触、ということをまじめに考える必要がありそうです。

たとえば、「サプライチェーンとCSRの法律問題」に限って考えますと、以下のような点について検討する必要がありそうです。

image001

企業が政府の役割を一部補完したり、中小企業に取引上のリスクを認識してもらうためには、こういったサプライチェーンにおけるCSR基準を導入することも、有用であることは間違いありません。しかしながら、取引先が自社のCSR基準に合致しないことをもって、取引先を選別し、また取引停止にするということは、いろいろな法律上の問題点を指摘しうると思われます。たとえば仕入原価は5%低いために利益計上に大きな差が発生するにもかかわらず、労働条件に問題があるとして、その取引先よりも5%高い企業から材料を納品する、という場合、これは株主に説明がつくのでしょうか。材料素材規制などによって、実際に販売できないおそれがある、というのであれば説明もつきそうですが、一般的な社会的責任論だけで、株主への説明責任が尽くされるというのであれば、「社会的責任」は法律を超える存在になりそうですが、どうも私には自信がありません。また、ある程度の裁量をもって取引先のCSR基準充足を判断するとした場合に、突然「取引停止」といった事態を生ぜしめることは独禁法上の「優越的地位の濫用」や、継続的取引における解除の「合理的理由」といった問題点をクリアできるのでしょうか。さらに、取引先に対して、その負担においてCSR基準の導入をはかるなど、大企業が積極的な関与を果たしている場合、もし取引先にそのステークホルダーとの関係において、人権問題や労働問題などによって不法行為責任が発生した場合には「共同企業責任」として、大企業が共同責任を負担するようなおそれはないか(いわゆる相手方との関係において、親会社の法人格が否定され、子会社ともども責任を負担する、という理論と同様です。実際に下級審判例ですが、こういった理論が認められたケースもあります)

2004年6月のマルチステークホルダー・フォーラムの最終報告書では、CSRの定義のなかでCSRは法的要請や契約上の義務を上回るものである、と明言されています。つまり、CSRは法律や契約上の要請以上のことを行うことである、と定義付けられています。2004年6月、ISOの国際会議において、日本は唯一、そのCSRの規格化に反対していましたが、日本には今後、民商法の解釈に影響を与えるような「CSRの波」が本格的に訪れるのでしょうか。これを本気で議論するならば、日本と欧米との宗教観、世界観の違いや、EU統合下における社会問題、労働問題と日本との差異など、とうてい私の認識では理解困難な問題がたくさんあるように思えます。ただ、ここのところの日本でのCSRに関する議論を聞いておりますと、取締役が企業価値を判断する場合においても、法的に無視しえないような論点を少しずつですが提供しつつある、と感じている次第であります。

|

« 社員の「やる気」とリスクマネジメント | トップページ | ふたつの「内部統制システム構築理論」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: CSRは法律を超えるのか?:

« 社員の「やる気」とリスクマネジメント | トップページ | ふたつの「内部統制システム構築理論」 »