会社法の施行規則・法務省令案(2)
うわさどおり、今週になりまして、会社法の規定に基づく「施行規則(案)」「法務省令(案)」が発表されました。(hardwaveさんのブログで知りました。)
以前のエントリー(会社法の法務省令案)でも述べましたとおり、このたびの新会社法は政令に委任している箇所が多いため、法務省令もたいへんな分量になっているようです。2週間後くらいには、商事法務の主催により、東京・大阪でこの「法務省令案」に関する講演が開かれる予定ですから、講師の先生方は準備に忙しいことと思います。会社法ですら、満足に理解できているかどうか心もとない私にとりましては、この「樹海」のような規則をどうやって整理していくべきか、非常に逡巡するところであります。
とりあえず、私の最も関心のある分野「株式会社の業務の適正を確保する体制に関する法務省令」の省令案とその概要だけでも、チェックしてみました。
もっとも目をひくのは、法務省令3条で株式会社の業務の適正を確保する体制に関する事項の決定については、株主の利益の最大化に資するものであること、と明確に規定されたことでしょうか。つまり、「企業価値」(この用語はいろいろな意味に用いられますが、ここでは株主価値という意味で)と「企業の内部統制システム構築(およびその情報開示)の必要性」が密接に関係することが示されたところではないでしょうかね。取締役の善管注意義務、忠実義務の履行形態のひとつであること、つまり構築義務違反が代表訴訟の対象となったり、第三者による損害賠償請求訴訟の対象となりうることは、この省令を待たずとも既に是認されていたところでありましたが、システムの構築状況とその開示状況自体が企業価値の評価基準となりうるところまで、言及されたものとみてよい、と私は解釈いたしております。(もちろん評価基準といいましても、「将来キャッシュフローを予測したり、価値算定の基準を選択するための前提となる企業継続性安定要因」程度かもしれませんが)
さて、それではどういった点を中心に開示されるべきか、といいますと①取締役(取締役会)の意思決定過程とその記録(保存)方法②従業員の法令遵守を確保するための体制③リスク管理のためのシステム④業務の有効性(取締役の意思決定がそのまま執行されるかどうか)と効率性を担保するシステム⑤監査役によるシステム評価のありかた⑥企業グループ全体における統合的なシステム、といったところが中心になるようです。しかも省令案は、個々の企業の独自性、個別性に準拠してシステムが構築されることを要求しておりますので、「ひな型的な情報開示」では賄いきれない内容になろうかと思われます。
とりわけ、業務の有効性、効率性まで「内部統制システムの開示」事項に入ってくるということでありましたら、情報伝達における文書化、IT利用による効率化といった「費用と時間を要する」問題も含むものでしょうから、今後の営業報告書(会社法上の事業報告)や適時開示情報を通じて、非常に有益な投資家情報が得られることが期待されるのではないでしょうか。
ただ、監査役による監査体制の開示事項として、取締役から独立した監査業務使用人の存在を求めているところがありますが、これはけっこうキビシイんじゃないでしょうか。大きな規模の企業であればこういった体制もすでに出来上がっているでしょうが、公開企業といいましても、規模が中堅程度の株式会社の場合、常勤の監査業務使用人の存在、そしてその意思決定機関からの完全独立性についてまで、クリアできるような従業員体制というものは、そう多くは導入されていないように思うのですが、実態はどうなんでしょうかね。
※ 昨日のエントリーには、またたくさんのアクセスを頂戴いたしました。(2487/day)どうもありがとうございます。ただ、黄金株と司法判断(2)のエントリーに関しまして、私の浅学のためか、いろんな方からメールにて反対意見や補足意見を頂戴しており、そのなかには貴重なご意見も多く、私自身すこしばかり修正意見を考えております。11月29日の日経朝刊「一目均衡」では、まさにこういった「東証の存在意義」について焦点をあてた論稿なども出されておりまして、世間でもそろそろ注目されてきた論点ではないか、と思いますので、あらためてエントリーをさせていただきます。
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コメント
Toshiさんの引用している省令案で、株主価値の最大化という語が使われている点、非常に不用意だなあと思っています。この問題は、そういうものか、と思ってしまいがちなところですが、もう少し考えてみるとおや、という面があるのです。この用語法は、たしかにアメリカ資本主義の「教義」のような文言で、同国で会社法を勉強した方には当然と思われているようです(私も耳にタコができるくらい聞きました)いわば、お経のようなものです。いつも言い続けていると一切疑問に感じなくなってしまい、皆がこれにはまってしまうのです。著名教授の論文で、この点について、法人の「営利性」から当然のような(厳密な引用ではありませんが)という解説がありますが、果たして「当然」なのでしょうか、と一人説をいつも唱えています。「最大化」でなくとも、のんびき商売している個人商人はいるし、環境などを考慮して、「最大化」でないが、いい経営をしている会社だっているわい、と一人ごとをいつも言っています。
問題は、これを全面に出すと、ステークホールダーの利益を考慮することが著しく難しくなる、という根本的な論点を意識したうえで省令案が作成されているのか、聞いてみたいところです。案にとどまるうちに、コメントしなければ、と思っているところであります。
なお、5月の防衛指針でも、これを企業価値や株主共同の利益の「向上」と柔らかい表現していた慎重さがあったのですが、法務省自身の側から失われていったのでしょうか。(経済産業省の方では、報告書では、露骨に全面に打ち出していますが)
なお、日本ではコーポレートガバナンス原則などでも当然の語として使用されていることは知っていますが、この点について、OECDの原則策定委員会でもわが国を代表する企業人が委員長の米国弁護士(著名な方)と多いに議論をして、方向を変えたということは、あまり知られていないのかなと思います。残念です。あんまりこういうこと言うと、嫌がられそうですが。「会社の最善の利益」という表現と「株主価値の最大化」とでは、語感も意味も異なると思いませんか。
投稿: 辰のお年ご | 2005年12月 2日 (金) 00時07分
いつも貴重なご意見ありがとうございます。今回は、どうも 辰のお年ご さんとはかなり意見が一致するようです。おっしゃる点がすべてすんなり頭に浸透いたします。
私は英米の法律には疎いですが、コンプライアンスやCSR、レピュテーションバリューなどの問題を「企業価値」を形成する要因と捉える(もしくは捉えたい)立場からすると、どうしても「ステークホルダーへの配慮」というところは避けては通れない問題だと思っています。ただ、国際会計基準のコンバージョンと同様に、英米といいましても、「欧州」なのか「米国」なのか、というところで考え方が変わってくるところだと思いますし、ステークホルダーの中身を広げてしまうと、意味が希薄化してしまうところも危惧しているところです。現状では、経済産業省のような表現あたりで収まるのが妥当なのかもしれません。
「株主価値の最大化」といった表現が「お題目」のように唱えられる、といった事情はまったく存じ上げませんでした。「会社の最善の利益」という文言への変更、私は大賛成であります。おそらく 辰のお年ご さんの一人説ではないと思います。
投稿: toshi | 2005年12月 2日 (金) 03時06分
toshi さん、回答ありがとうございます。なお、1点追加すると、株主価値の最大化と言わなかったら、経営者に言い訳の余地を許すという心配があるようです。経営効率が悪い場合に「もっとしっかりせい」、と言いにくくなる、という政策的な意図もあるようです(例えば、機関投資家サイドなど)や経済学方面からこれを基礎付ける考え方があるようです。(浅学ゆえ、経済学の方面については疎いですので、あまり正面切って議論はできないですが)
この分野の議論は、周辺の論点とも関連しているなと思っているところです。1点だけ論点をあげると、日本ですと、取締役の義務は会社に対するもので、株主に対して直接義務を負うとは考えられていませんよね。でも、アメリカでは株主に対するフィデューシャリー・デューティが認められているように思います。というか、株主は所有者なんだから、という理由からなのでしょうか、アメリカではあんまりこの部分を意識して使い分けていないように思われるところです。(アメリカの取締役のフィデューシャリー・デューティは、イギリスの学者から見てもかなり重い、という意識があるようです。)アメリカ留学中・研究中の方が、この部分を批判的に分析研究されると面白いかもしれない、と思っています。
ちなみに、イギリスの会社法の議論やEUでの議論では(少なくとも私の知る限り)取締役は株主に対して直接義務を負うとは考えられていません。(EUの会計に関するDirectiveのFAQsでもその趣旨の記述があります)。その意味で、アメリカの議論には土台が異なるところもあるので、注意しないでそのまま日本に持ち込むと間違えてしまうのではないか、と思っています。
ただ、気になっている点は、ニレコの高裁決定の中で、取締役の義務に関して、
「ウ 本件プランの問題点」というところで、
「取締役は会社の所有者である株主と信認関係にあるから,上記権限の行使に当たっても,株主に対しいわれのない不利益を与えないようにすべき責務を負うものと解される」という箇所があります。私は、この決定が出たとき、正直言って、椅子から転げ落ちそうなくらいの驚愕と違和感をもってこの箇所を読んだ次第です。ただ、この点を学者の方々がどのように議論されているか、知りません。もしこの論点についてご存知の方がいたら教えていただきたいところです。株主に損害を与えるようなプランの採用をするな、ということを言うために、ここまで踏み込む必要があったのか、どうしてこのように書いたのか、翻って、この説示は今後どういう意味を持つか、これ一回こっきりか、等いろいろ考えてのですが、まだよく分かりません。
(なお、企業価値という語の捉え方や株主利益の最大化、という語などは、経済学の方から来ているのかな、と思っていますが、経済学者の方が考えておられるモデルなどは、そのままの形で法律の議論の中使用するべきではなく、やはりそれぞれの分野の学問が前提としていることを考慮したうえで議論した方が実りが多いのではないかな、と思っている次第です。蛇足ですが)
つらつらとちょっと書き過ぎてしまいましたが、またご批判等がありましたらご指摘ください。楽しみにしています。
投稿: 辰のお年ご | 2005年12月 3日 (土) 10時36分
ううむ、本当に言ってますね。
アメリカでの話なら確かにそうなんですが、日本では取締役と株主とが直接信認関係に立つとは考えられておりません。
これは裁判所のミスだと思いますよ。
株主価値の最大化の件ですが、その昔、企業の社会的責任に関する規定を商法に盛り込むべきかが議論されたときに、確かにそのような批判がなされまして、立法化が見送られたという経緯があります。
今回の法務省令でそれらしきものが入ってますが、あのような規定振りではいずれの立場からも中途半端に写るような気がします。
もう一点こちらでまとめてコメントしますけれども、東証の規則制定権の正統性を問題にするわりには省令委任の方に疑問を持たれないことに個人的には違和感を覚えます。どちらも国会の審議を経ていないですよね。
省令委任にもそれなりのメリットがあることは確かですが、国会を通さず、法制審のように議論の経過も明かでないこのような手法には批判も多いです。今回の省令案を読むと、突然現れた規定の多さに驚きます。
同じ事はもちろん東証にも言えますから、上場規則の適正性・公正性を担保するだけの東証自身の組織ないし業務体制、すなわち適切なガバナンスが求められるでしょうね。今ちょうど議論がなされておりますが。
投稿: とーりすがり | 2005年12月 3日 (土) 18時19分
高裁決定
法曹のはしくれなので、何も考えていないと思われるのもちょっと困るので、東京高裁決定についての若干の私見を述べておきます。
信託の考え方については、日本法は英米法とは大きく異なっていると思います(そのはずです)。日本はEquityの伝統がない法制ですから、Equity の分野に属するTrustについて、(例えばconstructive trustだとかはないですし)直接法律関係に立つとは考え難い取締役と株主との間に信認関係があるというのは、本質的には難しいはずなのです。しかし、あえて裁判所がああいったことの背景はどこにあるのか、もう少し考えてみる必要があると思っています。義務といわず、「責務」と言っているあたりに、うっかりああいう表現をしたとは考えがたいですね。批判は批判として議論するのが正当ですが、これからの議論の進む方向性がどうなるかにも関わるポイントかもしれないので、軽々には云々するのは難しいと思っていたところです。
会社法の議論においてもそうですが、アメリカの議論の背景にEquityが絡んでいるところは、日本法では簡単には理論での継承は難しいと考えています。立法化すればそれは別ですが。これまでの学者や立法担当者は熟慮のうえで議論していたのでしょうが、アメリカ留学組が多く時代の流れがどうもアメリカ一人勝ちの様相を呈していたことが、ややこしい状況を創出することにならなければいいが、と勝手に心配しています。(ただ、ヨーロッパでも同様の傾向があるようですので、時代の流れかもしれません。)
東証規則の正当性の議論
誤解があるといけないと思って若干補足するべきかもしれません。あくまでそれは「株式会社東京証券取引所」の規則で、国法体系の一部を形成するものではないので、法務省令とは区別し、それらの議論を混同すべきではないと考えます。心情的には理解できなくはないですが、やはりそこは厳密には区別したうえで議論を整理するのが適切でしょう。そのうえで、「株式会社東京証券取引所がその開設する有価証券市場で取引される株券に関して上場基準、上場廃止基準を策定する場合に、その限界やいかに」、という議論の立て方をしていく必要があるのでしょう。
ただし、その際に、上場及び上場廃止について、「大蔵大臣の承認」から「東証の判断・決定+内閣総理大臣への届出」となったことを背景としてまず考え、そのような法制の変更を基礎として東証の上場・上場廃止に係る規則の制定権が証取法上予定されている、と考える必要があると思います。一方で東証に所定の事項について業務規程の細則としての規定を義務付け(証取法108条)たうえで、他方でそのような業務規程(細則もその一部)に関して内閣総理大臣の承認を求めている証券取引法の趣旨を考える必要があると思います。
法務省令
これに対して、法務省令は国会で承認した会社法が個々に委任条項をおいているとしても、その委任の数が300を超え、法務省令案の条文数も480を超えるというのは、会社法が978条(979から削除された179条の分として1を減算)であることからも、また法制審議会で議論を尽くしていない、まったく議論していない改正事項があったことからも、今回の立法作業のあり方については、問題とする点が多いでしょう。時間がないといういい訳はよくないです。高名な方がイギリスの会社法改正が法律案をきちんとパブコメにかけていることと対比しておられましたが、短時間で作業を進めた努力には敬意を表しながらも、やはり議論が法務省と内閣法制局の間で議論があったとしても、それ以外では十分になされていない事項について、学者の方々を中心として議論されていくのだと思います。江頭先生がご立腹でしたものね、法制審議会で議論していない改正事項については。
これだけ短時間に立法化された以上、やはり再検討(821条の見直しを含め)は不可避でしょうね。と同時に、企業結合法制の議論が必要でしょう。
投稿: 辰のお年ご | 2005年12月 3日 (土) 22時26分
「自主規制」という言葉の意味が、東京証券取引所と証券会社、東京証券取引所と上場企業との間で、かなり違った意味を持っているように思いますね。いろんな文献にあたってみましたが、東証の歴史からみて、会員であった証券会社との関係での「自主規制」というのは比較的イメージが理解できるんですが、上場企業との関係での「自主規制」といったものが、どうも理解しにくいし、解説図表といったものも見当たらない。
おもしろいのは、証券取引法は、東証の機動性、専門性に期待しつつも、「政令に委任」しているわけではないのでしょうね。だからこそ、規則制定権の根拠は条文から導かれるけれども、いっぽうでは機動性、専門性を「自主規制」に期待している、といったところでしょうかね?
現状の東証の規則制定権というのは、私の理解するかぎりでは 辰のお年ご さんの指摘される証取法の関連条文(および、その制定の歴史的経緯)と、証取法が期待している「自主規制」という「内部自治原則」のようなもののバランスのうえに成り立っている、といったところのように思います。
また、これは別エントリーにしますが、たとえば上場廃止基準に会計監査人の「不適正意見」というのがありますが、この廃止基準による退場処分は絶対のものと捉えていいのかどうか。そこには、会計士の会計基準適用へ絶対的信頼と、東証の審査への絶対的信頼というふたつの要素が「擬制」されないと納得できないのではないか、といった疑問が湧いてきます。
とりとめのないお返事になりましたが、この議論は非常に興味のあるところですので、また別立てにしたいと思っています。
投稿: toshi | 2005年12月 4日 (日) 02時18分
私は法曹でもなんでもないただの通りすがりなんですが・・・まとまってませんけどもう一言お許し頂きたく。
アメリカの会社はagency modelを採用していると一般に説明されています(これはどの本を見てもたいてい載っていると思います)。
取締役は株主の代理人であると構成していますので、信認関係にあると考えるのはごく自然なことです。
日本法はアメリカナイズされたといはいえ、母法はあくまでドイツ法ですのでこのような考え方には立っていません。件の高裁決定がどのように考えたのかは分かりかねますが、「義務」を「責務」と言い換えたところで議論の本質が変わるようには(自分には)思えないです。
たとえ判例であっても、とくに下級審判例では、首をかしげたくなるようなものが散見されますので、私は判例を読むときは誤謬もあり得るものとしてかなり疑ってかかっています。
東証の規則制定件の「正統性」についてですが、たとえ民間機関であっても公的な役割を果たすことは十分に許されてよいものと私は考えています。
ただそれだけに、規制の正統性を根拠付けるだけのガバナンスが必要だと思っています。
東証自身も現在この点について取り組んでいるところですよね。
東証 : 自主規制業務のあり方に関する特別委員会
http://www.tse.or.jp/about/tse/committee/index.html
投稿: とーりすがり | 2005年12月 4日 (日) 11時54分