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2005年12月31日 (土)

皆様、どうかよいお年をお迎えください。

昔、小沢昭一さんが「徹子の部屋」に出演されたとき(だと思いますが)、「人さまの出版されたご本を読むときには、いつも部屋でセーラー服に着替えてからページをめくるようにしています。」「そのほうが、いらぬ先入観などに妨げられずに、スーーっと作者の気持ちが頭に浸透してくるからです」といった趣旨のことをお話されていました。これを聞きまして、私も事務所で相手方代理人の準備書面を読む際にはセーラー服に着替えようか、とも思いましたが、若き事務職員の方達に「いらぬ先入観」を与えてはいけない、と思いとどまり、現在まで実現には至っておりません。

今年ブログを書き始めまして、こういった気持ちを味わうことができました。自分の拙い思いを「15年の弁護士としてのプライド」などかなぐり捨てて、白日の下に晒すことができますのも、なんともいえないブログの効用のような気がしております。また、狭い法曹の世界から飛び出して、同じ問題をどのように法曹以外の方はご覧になっていらっしゃるのだろうか、と素直にその意見に注意を傾けられるのも、顔の見えないブログといったものの効用だったりします。

いろいろな方とも、ブログを通じてお会いでき、「たかがブログ、されどブログ」。また来年も拙いブログではございますが、楽しみながら続けていきたいと思っておりますので、どうか今年同様、よろしくお付き合いくださいませ。(それでは、よいお年を。)

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2005年12月30日 (金)

「乗っ取り屋と用心棒」by三宅伸吾氏

「乗っ取り屋と用心棒」(M&Aルールをめぐる攻防) 日本経済新聞社

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本当は正月休みにゆっくり読もうと思いまして、3日前に書店で購入したんですが、あまりに興味深い内容だったんで、(一日エントリーをスキップしまして)2日間でしっかり読了してしまいました。著者の三宅氏にはたいへん失礼な言い方ですが、予想以上にオモシロク、私のような(M&A実務にあまり詳しい者ではない)企業法務関係者、会社役員にとりましては、この2005年の敵対的買収(著者ご本人は「競争的企業買収」という用語を使用されていらっしゃいます)関連事件の総括と、会社法施行後の企業買収事例への取り組み方を検討するには格好の「たたき台」になる一冊であることは間違いないと思います。(この本一冊をテーマにしてブログを作ってもいいのではないか、と)

著者は、私のブログをお読みの方でしたら、おそらくご存知の日本経済新聞社編集委員の三宅伸吾氏であります。2005年11月ころから、17回にわたって日経夕刊に同じ題名の記事を連載されていらっしゃいました。ちなみに、こちらに著者ご自身によるコメントが掲載されております。(これを読んでおりますと、私なんぞが、書評をしたためるのも、おこがましいのですが・・・まあ、三宅ファンのひとりとしてお許しください)

実は、この本を購入するにあたりまして、新聞の連載文に、すこしだけ「肉付け」した形の内容ならば、今年一年を振り返るための参考書としてはいいかも・・・、程度の動機しかございませんでした。しかし実際のところは、ライブドア事件、ニレコ事件、夢真事件、村上ファンドの動向、そして企業価値研究会の活動経過など、その事件の経緯背景の説明にあたりましても、いままで明らかにされていなかったような内容が随所に盛り込まれております。また、事実調査以上に驚きましたのは、著者ご自身のM&Aルールに対する研究成果や意見、敵対的買収(競争的企業買収)と企業価値、そして司法判断への影響など、各所に精緻な論理構成が展開されているところでありまして、このテーマに対する著者の思いの強さを痛感でき、まさに力作(労作?)といっても過言ではないと思います。以下は、あくまでも敵対的買収防衛策や企業価値論に興味を抱く、一社外監査役の立場での感想であります。(こういった書物の場合、どこに感銘を受けるかは、各々の読者によって異なるものと思いますので、あまり書物の内容に触れることなく、ひとりの一般読者としての感想のみ留めておきます)

まずはなんといいましても、「企業価値論」。今年を代表するフレーズと申し上げてもいい「会社は誰のものか」の議論と買収防衛議論とを関連付けての「わかりやすい」論理展開でありますが、私のエントリーでも何度か参照させていただきました成蹊大学助教授の田中亘論文への意識が根底にあるのではないか、と思います。(企業特殊的な人的資産と信頼の裏切り理論のことが、何度か本書で登場してきます。私も同教授の論稿を何度か読み返した後、この組織特有の人的資産が企業価値に及ぼす影響という問題は、実証的根拠を含めてこの田中亘教授の提言への回答は避けては通れない、いわば「関所」のような存在ではないか、と思っております)ただ、私なりにもうひとつ追加したい論点があるとするならば、私の興味の対象でもあります「企業の内部統制構築への資源投資」といったものが、いったい競争的企業買収の行われる際の企業価値比較に、今後どのような影響を及ぼすのか、といった点であります。これは、単に企業や従業員が「長期的な信頼による共同体」として効率的に投資を行うといったことを問題にしているのではなく、経営者個人の経営思想や行動規範と、企業および従業員とが密接に関わる問題でありまして、「有機的な企業体はそのままにして、経営陣だけ取り替える」では済まされない問題だと(少なくとも私個人では)認識しております。まだ、アメリカですらSOX法404条が適用されている企業が全公開企業の30パーセント程度ということですから、こういった統制システムが機能している企業の競争的買収に関する実証例に乏しいこととは思いますが、人的資源が買収防衛論に及ぼす影響を議論する実益は(これからの日本におきましても)高いものと考えております。

つぎに、「社外取締役(独立取締役)」の問題。私の勝手な推測で申し訳ありませんが、作者は経営能力のない(企業価値向上への努力をしない)企業家は公開市場から即刻退場せよ、といった立場から、コーポレートガバナンスのあり方としては、かなり社外取締役、しかも独立要件の厳格な社外取締役の重用を待望されているのではないでしょうか。複数のボードと間近に接している立場の者として、この「社外取締役」待望論の期待ギャップにすこし希望を失いかけておりましたが、これを読んで、すこしばかり勇気を鼓舞される気持ちになりました。買収防衛策の導入と発動の場面において、司法府が「社外取締役」の存在をどう位置づけているか、私は著者の意見とまったく同じであります。もし、今後裁判所が正面から「企業価値」と向き合うようなことがあれば、すでにこの4月(ドリコムブログ)にて、私がエントリーしておりましたとおり、社外取締役の手続面での活躍が、裁判所においてクローズアップされてくるのではないか、と期待しております。ただその際には、社外取締役が(投資銀行などを利用しながら)中立的な立場で買収提案を検討するといった(生やさしいこと)だけではなく、いったい日頃から社外取締役が株主とどう向き合ってきたか、現経営陣と企業価値向上のために何をやってきたか、を説明できなければ、手続上の存在価値はないものと認識しております。

さらに、私が「社外取締役が競争的企業買収の際に重要な役割を担う」と考えておりますのは、「企業情報開示の補完作用」であります。今後、敵対的M&Aの事例が増えれば増えるほど、事前の双方経営陣による妥協のための交渉事例が増えると予想しております。そういった場面では、双方の企業価値向上へ向けてのプランが株主に対して開示されることになると思いますが、企業情報開示制度や企業会計制度の発展によって、ますます企業の無形資産やノウハウなどが公開されてしまうことになってしまいます。買収希望企業にとりましても、現経営陣にとりましても、できれば「株主の中立の代弁者」たる社外取締役にジャッジとなってもらい、そういった情報コントロールが適正になされることが期待されるものと思います。競争企業双方の企業情報を適正に保護する、といった意味においても、今後はますます社外取締役の役割が重要になってくるのではないでしょうか。

ほかにもたくさん感銘を受け、また考えを新たにさせてくれるような記述が豊富でありますが、(私なんぞより、もっと専門家の方が)書評を書かれることも多いと思いますので、この程度にさせていただきます。この本を出版されるにあたって(当たり前のことかもしれませんが)今年一年、新聞を賑わせた多くの当事者の方へ精力的に取材されたこと、「法と経済学」の周辺領域への学術研究に勤しまれたことに多大な敬意を表します。なんといいましても、私のような「外野」の者と、事件当事者(もしくは近くにいらっしゃった方)との「情報の非対称性」を相当程度、減少させていただき、同様の視線で物事の道理を考える機会を与えていただいたた意義は大きいわけですから

(うーーーーん、でも、この本を読むと、ずっと前からエントリーしておりますように、ライツプランと株主平等原則、一度裁判官による司法判断を仰いでみたらいかが・・・といった気になりますね・・・・・・・。それと経済産業省の企業価値研究会には、敵対的買収防衛ルールの検討とは別に「もうひとつの目的」があったというのも、かなり興味がありますね。なんで目的がふたつだったんやろか。。)

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2005年12月28日 (水)

内部統制システム構築と企業価値(2)

(12月28日午後追記あります)

12月10日のエントリー(内部統制システムと企業価値)では、日本版SOX法適用時における企業再編問題について、すこしばかり空想を書いてしまいましたが、きょうはその続編ということで、営業秘密(事業機密)と企業価値についての若干の疑問について触れてみたいと思います。(最近、よく周囲の方から「よく、いろんな話題が続きますねぇ・・・」と感心されることが多いのですが、仕事をしながらの思いつきばかりなんで、あまり苦労せずに疑問が浮かんでくるんです。ですから、けっこういい加減なエントリーも多いのかもしれませんので、どうか気楽にお付き合いください)

商事法務のメルマガで知りましたが、東証1部の稲畑産業株式会社が株主、一般投資家向けに「大規模買付行為に対する対応について」と題する買収防衛策を公表されております。これとまったく同時に「企業価値最大化について」と題する企業戦略ビジョンも併せて公表されたようです。事前警告型の買収防衛策のリリースといったものは、それほど珍しくなくなりましたが、「わが社はこういった戦略によって企業価値の向上に努めたい、もし買収提案があるんだったら、こういった視点で堂々と企業価値向上策を公表してもらいたい」といった意思表明を同時に行うものは斬新であり、興味をそそります。私も、以前から事前警告型の防衛策を発表するのであれば、株主の比較材料を提供するためにも、こういった提言をくっつけたらどうなのかな、とも思ったこともありました。

ただ、稲畑産業のリリース自体は、それほど詳細な企業戦略というものでもありませんが、企業の保有する有限の資源を、この企業はどこに振り分けて戦略を立てていく予定なのか、内部留保はいつまで取り崩さずに保有するつもりなのか、等を公表するわけですから、ライバル企業や、同業に参入したいと考えている企業にとりましては、競争政策という意味合いで言えば、非常に計画がたてやすくなるわけでして、一種の「営業秘密」の開示にも近い意味を持つのではないでしょうか。こういった営業秘密に属するような企業内情報を惜しげもなく開示したり、企業価値の適正な算定を株主にしてもらうために、知的財産などのオフバランス取引上の無形資産の保有状況などを開示する(国際会計基準に合わせることとなれば、オンバランス取引化?)ことが、今後ますます広まるのではないか、と予想されますが、こういったものは一面において知的財産や企業機密の流出の可能性を招き、企業競争力の低下につながるのではないか、といった危惧を生じせしめるのではないのでしょうか。

企業の保有するビジネスモデルや知的財産が開示されて、その企業価値算定に影響を及ぼすことにつきましては、時代の流れといってしまえばそれまでかもしれませんが、やはりいくら守秘義務を負う人や法人に対するものであったとしましても、企業外の第三者に手の内をさらけだすわけですから、事業上のリスクをできるだけ低く抑えるための方策については検討しておく必要があると思います。そういった意味での方策としてのひとつめは、昨今の内部統制システムの構築にあると考えます。全社的に知財法務の重要性を浸透させて、業務執行プロセスにおける企業秘密の管理を徹底することによって、たとえ投資家へ無形資産に関する情報を公開しても、その最も重要な部分については社内から漏洩されないような管理システムを構築することが非常に有益でしょうね。つまり、今後ディスクローズすべき情報が増えれば増えるほど、内部統制システムの構築が適正になされている企業の情報管理の重要性が高まるものと考えられます。

そして、もう一つの方策が、無形資産の客観的な価値化、つまり無形資産の市場化といったものの進展ではないかと思います。以前たしか日経新聞に「無形資産の時代」といった連載テーマで、伊藤一橋大学副学長が論稿を出しておられたときにも取り上げさせていただいたのですが、そのときは、私は果たして無形資産といったものが、価値の客観化に耐えられるものなのだろうか、市場化といったものは無理ではないか、と疑問を抱いておりましたが、その後「産学連携事業における銀行融資」の現実を垣間見たときに、「この無形資産価値の市場化、客観化はもはや待ったなしやなぁ」との思いを抱きました。また、このたび「裸の無形資産や企業機密」が開示されることなく、その価値だけが企業外に公表されるスキームとしましては、この無形資産の客観的価値化といった作業は非常に利便性が高いのではないか、とも思えてきました。なんといいましても、無形資産などの価値算定を説明するにあたり、「市場価値」を参考にしましたとだけ述べて、無形資産やビジネスモデルの内容を個別に開示することを避けることが可能になるように思います。

もちろん、無形資産が企業価値におよぼす影響といいましても、副次的な判断材料にとどまるものだとは思いますが、内部統制システムの構築といった「しんどい作業」が不祥事防止や業務の効率性アップといった「なかなか目に見えないもの」で終わることなく、企業戦略の展開にも大きな威力を発揮するといった前向きな理由で導入されるための材料としては大きな意義があるんじゃないでしょうか。

(追記)

午前中は、いつもの平日のアクセス数と変わりありませんが、午後から一気に激減しております。( ̄~ ̄;)??皆様、やはり会社から閲覧されているのですねぇ。。。多くの企業はきょうのお昼で「終業」ということなんでしょうね。うちの事務所も、大掃除も終ってもう仕事納めとなりましたです。

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2005年12月27日 (火)

会社法における「内部統制構築義務」覚書(2)

先日エントリーいたしました「会社法における内部統制構築義務覚書(1)」とは少し観点が異なりますが、これも重要な問題点と考えておりますので、本当に「覚書」程度に書き留めておきます。

昨日、届きました月間監査役臨時増刊号(508号)では、シンポジウム分科会の議事録が収録されておりまして、「監査役と監査人の新しい連携のあり方(適正なディスクロージャーに向けて)」と題する分科会記録が掲載されております。この分科会は、まだ会社法規則、法務省令案などが公表される前のものではありますが、日本監査役会主催のシンポジウムということで、「監査役と会計監査人との連携のあり方」を中心として「内部統制監査」と「財務諸表監査」との関係などが識者によって議論されております。このシンポで興味深いのは、会計監査人にとりましては「財務報告の信頼性」確保のための評価基準、監査基準といったところを中心に議論するための「内部統制議論」があり、監査役にとりましては、会社法で規定されている取締役の職務の執行適正を確保するための「内部統制議論」(会社法348条)があるわけで、この両者の違いを認識したうえで、どうやって連携を果たしていくべきか、といったことに焦点があてられているところであります。企業会計審議会内部統制部会長の八田教授が司会進行を務めていらっしゃいますが、公認会計士による内部統制監査のあり方、企業経営者による内部統制システム構築へ向けての実務指針の決め方、会社法や省令による「内部統制論」と金融庁が進める「財務報告の信頼性確保のための内部統制論」との関係および今後の考え方など、内部統制理論の今後の発展について参考となる意見も述べられております。書店で販売されていない雑誌ですので、なかなか入手するのも困難かもしれませんが、こういった議論がなされているところからいたしますと、ディスクロージャー制度と関連する内部統制監査の理論的、実践的な発展は、会社法上の内部統制構築義務(取締役または監査役の)の有無を個別事案の中で議論する際に影響力をもつ場合もありそうな気がいたします。

財務諸表監査のための内部統制評価は統制リスクの評価に関するものとして捉えられるわけですから、これと別個の内部統制監査というものへの評価基準、監査基準が必要になってくるわけで、そこではおよそ監査役と監査人との「連携」が欠かせないところとなりそうです。内部統制監査のための実証手続の際には、様々な情報が監査役と監査人の間で共有せざるをえないことになるわけでして、その情報や情報に基づく両者の判断過程といったものが、後に紛争事案における取締役や監査役の善管注意義務や監視義務の有無を判断する際に有力な資料となる、といったケースが考えられるように思います。

ただ、実際に国際基準のレベルを維持するにいたる内部統制構築といったものは、本場アメリカのSOX法の適用状況を参考にしましても明らかなとおり、法律施行以降相当の年数を要するようでして、上場企業の内部統制監査報告書といったものが、投資家に有益な情報を与えるものとなるまでには、まだまだあと3、4年ほどは時間を要するのではないか、というのが私の感想であります。(以下、3に続きます)

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2005年12月26日 (月)

改正独禁法、「初の司法取引」?

今朝(12月26日)の日経新聞スイッチオンマンデー「法務」では、来年1月4日に施行される改正独禁法について紹介されておりますが、この改正独占禁止法で、初めて「司法取引」の制度が導入されるとの見出しがあります。

本場アメリカの制度をよく知らないのですが、こういった行政罰の適用場面においても、「司法取引」というコトバは使われるのでしょうか?課徴金納付制度は、公正取引委員会が主体として運用するものでして、司法機関が運営するものではありませんので、これがなぜ「司法取引」になるのか、よくわかりません。また、リーニエンシーを申し出た企業が、課徴金だけでなく、刑事罰まで免れるかどうかは、単に公正取引委員会が告発をしない、というだけで、検察庁からの正式な回答はなかったものと思いますが(まちがっておりましたら、ゴメンなさい)。刑事手続きとの関係でみましても、昔から「犯罪発覚前の自首による刑の減軽」は当然にあるわけでして。

「司法取引」といったコトバの使用法がまちがっているような気がするのは私だけでしょうか。

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証券取引所の規則制定権を再考する

11月下旬にエントリーさせていただきました黄金株と司法判断(1と2)のなかで、証券取引所の規則制定権や、審査権限、処分権限がなぜ万能なのか?といった疑問につきまして、たくさんの方のコメントを頂戴いたしました。その際に、私はそもそも東証の規則制定権や上場廃止処分(および、この権力を参加者が甘んじなければならないこと)については、なんらかの「法源」つまり民主的コントロールの正当性がなければ認められないのではないか、といった立場でした。そして、投資サービス法が制定される今こそ、こういった問題が議論されねばならないという結び方をしておりました。

このたび、金融審議会金融分科会第一部会より、「投資サービス法(仮称)に向けて」と題する第二次とりまとめ案が12月22日に公表されました。このとりまとめ案の中におきまして、今後取り扱われる金融商品の拡大が予想される「取引所」のあり方につきまして、軽くではありますが整理された提言が付されております。(27頁~30頁)

以前のエントリーとの関連で目を引きますのは、「自主規制機能を担う取引所の組織のあり方」という項目のなかで、「上からの自主規制機能」の面と「下からの自主規制機能」の面があるとされております。上からの自主規制機能といいますのは、いわゆる法律による授権がある、とする解釈でして、証券取引法が規則制定や処分権限を取引所に義務付けていたり、取引所を免許制にしたり、定款への認証を必要としていることが、まさに「法律によるコントロール」の源である、と表現されております。興味深いのは、上のとりまとめ案は、「法律の授権により公的な役割の一部を取引所が行使する」とまで言い切っているところであります。たしかに、ここまで明言されますと、参加者が改正された規則に従ったり、上場廃止処分に甘んじることの根拠になりそうです。

また、「下からの自主規制機能」というのも、私も(なんとなく、ですが)予想していたところであります。「会員の自治の理念」つまり、私的な団体内部の自律的機能というものにつきましては、一般に「法の支配」の限界と位置付けられることが多いわけでして、これはおそらく証券取引所が発展してきた歴史的経緯を重視するならば、証券取引所とそこに参加する証券会社においては、一種の「部分社会」が形成されており、一般法をそのまま適用することはできない(つまりは、団体の意思決定を万能のものと認める)という「司法権の限界」から派生するルールを重視するものであります。ひょっとしますと、こういった部分社会の法理といったものは、このたびの みずほ証券の誤発注問題への民商法の適用(参加者同士も、この部分社会を構成する者に該当するとして)についても検討できるのかもしれません。

上のとりまとめ案では、(若干、不明瞭な点はございますが)さすがに上手に整理されていらっしゃる、と関心している次第であります。と同時に、投資サービス法をとりまとめようとされている委員の方としましては、どうしても取引所の規則制定権限や処分権限の正当性を上手に説明すること、とりわけ「一般投資家の利益保護」といった目的との関連で説明をすることがどうしても必要になってくるのではないでしょうか。まだ、この点につきましては、私論と呼べるほどの意見を持ち合わせてはおりませんが、投資サービス法の検討にあたりましては、さらにこの問題を正面から受け止めて、明確な論拠を示していただきたいものと期待しております。ただ、たとえば公的ルールの一端を取引所が担う、といった側面を強調するのでしたら、このたびの「東証システムの障害」のような事件が発生したときに、国は「不作為の違法責任」を負うものと考えられるのかどうか、あらためて問題になるでしょうし、取引所の活性化を図るための営業団体としての性格と、公的ルールを担う性格が両立しうるのかどうか、厳しい要件設定の必要性が問題になってきそうですね。また、「部分社会」としてのルールを強調するのであれば、投資サービス法の制定によって、取引所への加入強制が拡大される状況でも、果たして法の支配の適用外と言い切れるのかどうか、さらに議論が必要だと思います(いままでは、参加したくなかったら、別の団体へ行くか、勝手に営業すればいい、と言える状況があるからこそ、その社会の掟が万能と認められたわけですが、加入しなければ営業ができないとなりますと、営業権侵害といった問題との関係で法の支配が及ぶ範囲が拡大するものと予想されます)

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2005年12月25日 (日)

取締役会の権限委譲問題(新会社法)

先日、セレブな会社法学習法というものを勝手に紹介させていただきましたが、相変わらずデイリー六法などを利用して、条文の相互関係などを検討しているところであります。ところで、このたびの会社法では「定款」の利用というものが、設立、株式、機関設計、計算、事業再編などのすべての組織規制や行為規制へ影響するもののようでして、素人的発想からすると、「定款」という一章を設けて、その記載事項から効力発生要件から、変更手続まですべてまとめて立法されたほうが理解しやすいのではないか、と思ったりしております。(実際に「定款の変更」につきましては、わずか一条でひとつの章が設けられているわけですが)たとえば、私が会社法を勉強したり、一般の方にお教えするのであえば、まずこの定款という「団体の約束事」みたいなところから、自由に自分の好きな会社を作ってみて、「この約束は会社法に違反しているからダメですよ」とか「ここになんにも約束がなかったら、会社法のこの規定が適用されますよ」といった具合に学習していったほうが、「即戦力の会社法実務」には役立つのではないか、と考えております。この会社法を読めば読むほど、定款を利用することによる会社運用の重要性を再認識いたしますね。

そこで、すこしばかり「定款変更」に関しまして、疑問点がございますので、エントリーとして残しておきたいと思った次第です。またまた、ひょっとしますと解決済の問題かもしれませんが、同じような疑問を抱いていらっしゃる方にも有益ではないか、と思いまして。
このブログをお読みの方には「釈迦に説法」とも思いますが、定款の記載事項には絶対的記載事項と相対的記載事項、そして任意的記載事項といった分類方法が一般的ですが、このうち任意的記載事項といいますのは、特別に定款として記載する必要はないけれども、その変更の要件を厳格にしておくなど、会社の必要性がある場合に「定款」として記載すればその効力を有するといった事項であります。ただ、その内容は公序良俗に反していたり、強行法規たる会社法の規定に反するものであってはならない、とされております。
新しい会社法では、現行の有限会社を取り込むことになるため、これまでの商法会社編には存在しなかった機関設計がございます。つまり、基本設計型といわれております株主総会とたった一人の取締役、といったものでして、これと従来型であります総会と取締役会(取締役会設置会社)との対比いたしますと、すこしばかり疑問が湧いてまいります。その疑問といいますのは、会社法362条で取締役会の専属権限として規定されております「(会社の)業務執行の決定」権限を、定款変更によって株主総会へ委譲できるかどうか、といった問題であります。まずは、下記のとおり参照条文を掲載しておきますね。

(株主総会の権限)
第二百九十五条 株主総会は、この法律に規定する事項及び株式会社の組織、運営、管理その他株式会社に関する一切の事項について決議をすることができる。
2 前項の規定にかかわらず、取締役会設置会社においては、株主総会は、この法律に規定する事項及び定款で定めた事項に限り、決議をすることができる。
3 この法律の規定により株主総会の決議を必要とする事項について、取締役、執行役、取締役会その他の株主総会以外の機関が決定することができることを内容とする定款の定めはその効力を有しない。

(取締役会の権限等)
第三百六十二条 取締役会は、すべての取締役で組織する。
2 取締役会は、次に掲げる職務を行う。
一 取締役会設置会社の業務執行の決定
二 取締役の職務の執行の監督
三 代表取締役の選定及び解職
3 取締役会は、取締役の中から代表取締役を選定しなければならない。

通常は、会社法295条2項によって、取締役会設置会社においては株主総会決議事項が制限されている、と説明されるわけですが、規定をお読みになりますと明らかな通り、定款を変更すれば、会社法によって株主総会の専権事項とされる事項以外にも、決議事項を増やすことは可能なわけです。そこで、たとえば362条2項1号に規定されているような取締役会の「業務執行の決定」権限を定款変更決議によって株主総会の決議事項に取り込むことが可能かどうか、といった問題が出てまいります。
いままでの商法の基本書では、株主総会が定款変更することで取締役会の権限とされている事項を取り込むことは可能とされておりますし、最近出版されました葉玉検事さんほか、会社法立案担当者の会によります「新・会社法100問」におきましても、取締役会設置会社における会社の業務執行の決定は取締役会の権限とされているが、295条2項により、株主総会でそれを株主総会の決議事項とすることができる、と解説されております(203ページ)ちょっとここで留意しておかなければいけないことは、誰も「取締役会の専権事項を295条2項によって株主総会へ委譲できる」とまでは明言されていないんですね。「委譲」といいますのは、取締役会に存在していた権限が株主総会へ移る」という意味と認識しておりますが、ここで説明されておりますのは、取締役会にも業務の執行決定権が残っているのだけれども、同じく業務の執行決定権が株主総会にも認めてもいい(つまり併存してもいい)ということが説明されているわけです。なぜかと申しますと、先に任意的記載事項のところで説明いたしましたとおり、(強行法規たる)会社法の規定に反するような定款変更は効力を有しないわけでして、いくら定款変更といいましても、362条2項の規定に反するような変更はできない、ということが前提になっているわけであります。したがいまして、代表取締役の解職権限につきましても、定款を変更することによって株主総会に代表者解職権限を発生させることができるが、取締役会の解職権限とは併存する、といった立場を上記「100問」はとっておられるようです。併存というのは、なんだか奇妙な感じもいたしますが、このたびの会社法は取締役一人の株式会社も認めているわけでして、取締役の規定と株主総会の規定をあわせ読みますと、そもそも取締役会非設置会社におきましては、このような権限の併存が「あたりまえ」のように規定されているわけであります。

最初はここで納得しようか、とも考えたのですが、どうもしっくりと来ないところがございます。そもそも取締役会と株主総会とで、業務執行決定権限が併存している状態が認められるとしましても、取締役会を構成する「すべての取締役」は会社に対して善管注意義務を負っているわけですから、たとえ権限が併存しているとしましても、総会の権限行使に反するような行動は到底期待できないわけです。したがいまして、実質的には取締役の専権事項を株主総会に「委譲」したのとはなんら変わらないのではないか、という疑問です。また、もし「併存」を認めるとするならば、わざわざ295条の1項と2項を区別した意味がまったくなくなってしまうわけですから、これは強行法規たる会社法の規定に反する定款変更ではないか、という疑問であります。定款変更手続によって取締役会制度を廃止するのであればともかく、取締役会制度をそのまま維持しつつ、1項と2項との区別をなくす定款変更というものは果たして認められるのでしょうか。先の「100問」では、多数派株主によって不当に少数派株主の利益が奪われないように、所有と経営を分離することへの株主の期待意思の現われが295条2項の規定であると解説されておりますが、もしそうであるならば、やはり定款を変更してもなお、そういった趣旨を没却しない範囲での変更しか許されないのではないか、とも思われます。また、たしかにこういった解釈ですと、取締役一人の株式会社との整合性が問題となりますが、そもそも有限会社に近い株式会社と、取締役会まで設置することを定款で決めた株式会社とでは、やはり所有と経営の分離思想の解釈論への適用においても差異を設けてもいいのではないか、とも思いますがいかがでしょうか。

最近、いろいろな敵対的買収防衛策が検討されておりまして、事前警告型のものや、株主意思を問う形での黄金株の導入など、今後サマザマなシチュエーションにおいて総会決議を欲する場面が想定されますが、そもそも株主総会というものが万能のものなのかどうか、あらためて理論的な検討を行うべきではないか、とクリスマスイヴに思い至りました。これも通説や会社法立案者の意見に異を唱えるようなものですから、どっかに「思考過程の欠陥」があろうかと思いますが、また欠陥を見つけ次第、訂正させていただこうか、と思っております。

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2005年12月23日 (金)

井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュー・プロセス

neon98さんが、 「LLM留学日記」で取り上げていらっしゃいます が、「判決理由が短い」との理由で裁判官20年目の再任を拒否されようとしている井上薫判事が記者会見を21日に開いたそうです。
(ニュースとしましては、朝日ニュース と 共同通信ニュース をご参照ください。)

井上薫判事は、週刊誌でも「他の裁判官の判決内容への批評」などが報道される方で、法曹界ではかなり有名な裁判官でいらっしゃいます。東大理学部、大学院を修了後に司法試験に合格されたユニークな経歴をお持ちの方で、「裁判官と考える法律学シリーズ」(法学書院)は非常におもしろく、「こんな考え方もあったのか!」とまさに「目から鱗」の連続でして私も愛読者のひとりでございます。クライアントや学生の方々と円満に対話のおできになるかたかどうかは、私は存じ上げませんが、井上薫判事のお書きになった書籍を読ませていただいたかぎりにおきましては、(もし再任拒否ということでしたら)法科大学院の教授や、経済法関連の弁護士として、その類まれなる能力を発揮されるのではないか、とひそかに期待をしております。

1 井上薫判事を擁護する

ブログというメディアの性格上、私の勝手な意見もお許しいただきたいのですが、「判決文、判決理由が短い」といったことだけが当面の再任拒否の対象となっているのかもしれませんが、これは井上判事の主義主張の片面だけを取り上げたものでありまして、井上判事が「裁判官はもっと判決理由を書くべきだ」と主張している分野のことなどは、まったく取り上げられていないようです。そもそも、井上判事は「裁判官は、事案の紛争解決に必要な範囲において社会に影響を及ぼすような判断理由を付すべきである」といった司法謙抑主義(司法分限主義)を貫く方でして、事件解決に不要な論点についてまで裁判所が判断することは百害あって一利なし、という考え方をお持ちです。これは現在の民事訴訟の基本原則(当事者主義)に根ざした考え方でして、裁判の争点を形成するのは、裁判当事者ですから、裁判官はその当事者の主張内容に拘束されながら判断をしなければなりません。職権を発動して、裁判官自らが証拠を採用したり、主張を追加することはできないわけです。そういった訴訟構造からみた場合に、裁判所がなしうる範囲というのは自ずと限界があるわけでして、その限界を超えた「裁判所の政策形成機能」は、有益な情報を得ないままに不適切な判断を出してしまう恐怖を抱えている、ということを非常に危惧されておられます。(だからといって、事件の解決に必要な最低限度の判断でいいのかどうか、といったことにつきましては、これまた民事裁判の大原則であります「要件事実論」からの反論が待っているわけですが、これを議論してしまいますと法曹関係者以外にはまったくわからない話になってしまいますので、ここでは取り上げないこととします)逆に、井上判事は「司法分限主義の範囲に属する判断過程については、裁判官はもっと当事者から事情を聞きだすなり、証拠を提出させるなどして、社会背景や社会事情に精通して、国民が納得する程度に詳細な判断理由を書かなければならない」と主張されておりまして、実際に「理由記載」の方法論なども提唱されていらっしゃるところであります。つまり、ほとんどの裁判官が、これまで疑おうとされなかった「判決理由とは何か」といったことを問題点として指摘され、それを自らの裁判官実務に実用されていたのが井上判事の行動パターンではなかったか、と推測いたす次第であります。実際、刑事事件は別としまして、民事事件におきましては、代理人弁護士が訴訟を担当しておりますと、ここまで極端ではなくても、判決文が短い裁判官はいらっしゃるわけでして、その判決文の短さは裁判官だけの責任かといいますと、そうでもないと私は思っております。事件解決に必要な争点を形成できなかったのは、代理人弁護士の能力に起因することも多いと思いますし、また弁論期日や、準備期日に裁判官との口頭でのやりとりのなかで、「このままですと短い判決になってしまいますよ」といった裁判官のサインに協力しなかったことによるのかもしれません。いずれにしましても、事案の性格や、担当弁護士の立証方針などを検討することなく「判決理由が短すぎる」といったことだけで再任拒否の理由になる、ということはすこし違和感を覚えるところであります。

2 井上薫判事再任拒否の結論の妥当性を考える

それでは、最高裁判所の再任審査機関が、井上判事が記者会見で述べたように、広く反論の機会を与え、再任拒否理由を詳細に告知すべきか、といいますと、これもおそらく「そもそも裁判官の示すべき判決理由とはなにか」といった「大切ではあるが抽象的」なために、一義的に結論が出ない方向へ議論が進むことを(最高裁が)好まないものと思いますので、そういった方針はとらないだろう、と予想いたします。

そこで私の意見ではありますが、上記のとおり井上判事を擁護すべき点を最大限配慮してもなお、「判決文が短すぎる」なる理由で再任拒否と評価することにつきましては、「裁判所のデュープロセス」という観点からみてやむをえないものであって、裁判官の独立も侵害しない、という見解に与したいと思います。たしかに我々のような職業法律家が当事者を代理して裁判審理に立ち会っているケースでしたら、多少判決文が短かろうが、判決理由が不明瞭であろうが、控訴審への不服申立にたいする影響は大きくないかもしれませんが、日本の裁判というのはあくまでも「本人訴訟」が基本であります。つまり、裁判官が下すべき判決というのは、基本的には素人である一般人が控訴できる程度に判断理由が理解しやすいものでなければなりません。もし、一般の人にとって理解不明な判決理由ということでありましたら、弁護士に相談できるほどのお金のない人にとりましては、「事実の認定において2回の裁判を受ける権利」が保証されなくなるのではないでしょうか。ご承知のとおり、(民事訴訟の場合)控訴裁判所というところは、「続審性」を採用しているものですから、地方裁判所の事件がそのまま控訴審に継続する、といったイメージのものです。その継続している裁判におきまして、別の裁判官が、地裁の裁判官の判断内容を評価したり、新たな証拠をもって再度判断しなおすわけです。そういった裁判手続きを受ける権利が国民一般に保証されている限りにおきましては、やはり一般の人が「前の裁判官のこういった理由は納得できない」と控訴審で主張できるに足る程度の「判決理由」は付さなければ、国家権力の担い手である裁判所の適正手続きに問題が発生している、と言わざるを得ないのではないか、と考えております。なお、この点につきましては、井上判事も持論がございまして、たとえ具体的な事件当事者が判決を理解できなくても、一般水準の国民がわかる程度の内容で判決理由を記載すればよい、とのお考えのようです。ただ、現実問題としましては、判決理由の把握できる程度の「国民の一般水準」というものが、いったいどの程度であるかは、検討不可能でありますし、結局のところは、そういった理解の「しやすさ」といったものは判決文の長短でしか判断はできないとしか表現の仕様がないのではないか、と思います。したがいまして、この点に関する井上判事の持論は効果的ではないと思っております。

また、1で述べたところから、私は井上判事の提起している問題は「裁判官の独立」にも影響を及ぼす問題として捉えておりますが、ただ裁判官の独立を議論することに意味をもつのは、司法手続が国民に対して適正に行使されていることが前提でありますから、そもそも最高裁判所は、権力行使が適正とは認められない現実を早急に是正する必要は高いものと思われますので、本件ではこれを排斥することもやむをえないものと考えております。

もうひとつ、これは本筋とは離れますが、井上薫判事は、裁判の政策形成的機能を重視し事案解決に不可欠ではないと思われる争点にも言及する裁判官の判断を「蛇足」というコトバをお使いになって論難されることが目立ちます。(司法蛇足主義など・・)「蛇足」というコトバはかなり辛辣であり、裁判官のプライドをいたく傷つける言葉のような気もいたします。「裁判官の独立」ということを自らご主張されていらっしゃいますが、裁判官という職業は、その「独立」が憲法上保障されるほどに気高い存在なのでしょうから、それに伴う気品といいますか、品位のようなものも配慮されるべきだと思ってしまいます。(作らなくてもいい敵まで作ってしまうといいますか・・・・)ご自身がそうであるように、裁判の政策形成機能を重視したいと思う裁判官の方々も、「能力が乏しい」ためにそうされているのではなく、主義主張をお持ちのうえでのことでしょうから、どうも「蛇足」というコトバで切り捨ててしまわれるのは、いかがなものか・・・と前々から疑問に思っております。こういった部分がなければ、もっと別の裁判官あたりから、再任拒否問題への異論(つまりは、井上判事への賛同の意見)が出てくるのではないか、(たとえばneon98さんがおっしゃるように、せめて再任拒否の手続きだけでも整備されねばならないのではないか・・・など)とも思うのですが。

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よいクリスマスをお過ごしください。

今年もクリスマスの季節がやってきました。

christmas ニューヨークあたりも地下鉄が止まっているとのことですが、ここ大阪でもまさか地下鉄が止まるとは思いもよりませんでした。大寒波到来で、日本中が凍えておりますが、やっぱり「メリークリスマス」。とくに今年は3連休とあって、皆様いろいろと楽しいイベントが満載ではないでしょうか。私も日曜日には、家族で神戸に出掛けます。今年は「ルミナリエ」が22日で閉幕してしまいますので、ちょっといつものクリスマスの神戸とは風景が変わっているかもしれませんね。

そういえば、最近はACFEやらコンプライアンスオフィサーやら、同業者以外の方とのおつきあいも増えたせいか、初めて「グリーティングカード」なるものをいただきました。なにやら手書きの英語でいろいろ書かれておりましたが、もらった経験がありませんので、「これは外国人向けの喪中ハガキやろか?」とつぶやいておりましたところ、「先生、それはカードです」と事務職に冷ややかに笑われてしまいました。。。。。うーーん、さすが国際派のビジネスマンの方がたはちゃいまんなぁ~。

我が家のクリスマスケーキです。

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このケーキは、私が社外役員をしております会社のオリジナル・クリスマスケーキでございます。けっこう評判がよく、私が注文していたレストランでは5日間で150個の注文が入っているそうです。味のほうは監査水準からして、合理的保証を得られる程度のものではあります。3つ買ってきまして、2つは娘の通っている英会話スクールのクリスマスパーティへの寄贈品でございます。

しかし、1店舗で150個の売上。150×2800円で42万円。関西に350店舗ありますので、42万円×350=147,000,000円・・・・・。(バカにできまへんなぁ~。)

ところで。

クリスマスソングといいますと、やはり私のような世代ですと杉山清貴とか、稲垣潤一の唄を口ずさんでしまいますねえ。意外と嫁さんと知り合う前の彼女のことなど、ツラツラと想いだしたりして・・・・・・・・・・。どないしてるんかなぁ・・。みんな今頃は「大阪のオバはん」になってはるんやろうなぁ。。。

(皆様も、どうか良いクリスマス、そして三連休をお迎えくださいませ。。。)

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2005年12月22日 (木)

会社法における「内部統制構築義務」覚書(1)

新しい会社法の書籍を読んだり、施行規則を読んだり、また関連ブログを参照したりしながら、会社法における「内部統制システム構築」に関する法的論点について検討をしておりますが、まだまだ考えがまとまらず、とりあえず覚書程度にメモしておきます。(東証のシステム障害に関するエントリーへコメントいただいた方へのお返事は、もうすこし「利益返上」の協議が進んだ時点においてさせていただこうか、と思っております。どうもコメント、ありがとうございました)

ともかく実務家としての大前提は、「内部統制システム」という抽象的な言葉自体が、いろいろな方面で使用されておりますので、とりあえず「金融庁企業会計審議会」におけるものや会社法におけるもの、などきちんと区別して使用することが肝心なようです。そこで、とりあえず、ここでは会社法で一般的に使用されている意味で議論する、と決めておきます。

以前のエントリーのなかで、とーりすがりさんにコメントをいただいた内容や、最近の「会社法であそぼ」(葉玉検事さんのブログ)の内容などを拝見していて、「内部統制システム構築義務」といった言葉には、二つの意味があるようで、それらをハッキリさせておいたほうがよさそうですね。ひとつは、ダイレクトに法342条4項5項や法362条4項5項などから導かれるところの取締役個人には委任できないところの「内部統制システムの整備に関する決定」(もしくは決定義務)の範囲に含まれる「内部統制システム構築」。そしてもうひとつが、取締役の会社との間における善管注意義務、監視義務から直接派生してくる「内部統制システム構築」の問題です。前者の議論は、取締役会(もしくは複数取締役の協議)レベルで全社的統制システムの基本方針の決定および実際の構築システムの評価作業の履行の有無に関する論点であって、この義務違反と善管注意義務違反とは、直接的には結びつかないようです。(と、私は考えておりますが、いかがでしょうか)いっぽう後者の議論については、そもそも取締役の監視義務というのが、ほかの取締役の執行行為だけではなく、一般社員の不正行為防止といった従業員レベルまでの監視義務を根拠にしているために、かなり広範囲にわたる「内部統制システム構築義務」を認めることになるのでしょうか?(ただし、善管注意義務との関連性がありますので、(特定の取締役に義務違反が認められるかどうかは)対象となる取締役の具体的な立場などによって、個々具体的な判断が必要になってくるものと思われます)

とーりすがりさんも指摘されているとおり、これまでの「取締役の監視義務」の根拠というものは、取締役会の各取締役の職務執行に対する監視機能のようなところから導かれるのが一般的だったと思うのですが、このたびの会社法によって、有限会社を株式会社に取り込んだり、機関設計の柔軟化によってかなり広く非取締役会設置会社が認められるようになったために、「監視義務」といったものが取締役会の機能とは別個独立に議論されるようになったところがひとつの重要ポイントになってきたように思います。また、こういった会社法の条文解釈と、関連する政省令との整合性にも留意する必要がありそうですね。

それでは、具体的に従業員の不正行為を見逃したために会社に大きな損害が発生した場合の、取締役の責任をどのように追及すべきか、とか取締役の善管注意義務から導かれる内部統制システム構築義務と、監査役の監査義務の関係、そもそも監査役の適法性監査の対象となりうるか、などまだまだ議論すべき点がありそうですが、これはまた後日、ということにさせていただきます。

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2005年12月21日 (水)

東証のシステム障害は改善されるのか?

私のブログでは、これまでみずほ証券誤発注問題に関しましては、証券取引の契約問題について取り上げてきましたが、今日は「東証のシステム障害」について、すこしだけ触れておこうと思います。

今日までの、誤発注問題の進展につきましては、この朝日ニュースが比較的詳細でおもしろいですね。すでに「いちよし証券」では、この取引によって得た利益400万円を慈善団体に寄付することを決めたようでして、(案の定)証券会社サイドでは、すでに「どうやって利益を返上するか」の方向で各社議論が盛んになされているようです。(ただ、私自身としましては、もうすこし取引の有効性についてこだわっていきたいと思っておりますが)

さて、この東証のシステム障害についてでありますが、東証は社長さんが引責辞任され、新しい社長を迎えることに今後尽力をされるようですし、また外部からCIOを役員待遇で迎え入れるために公募をするといった報道がなされております。売買システムも「一から作り直す」と表明されておりますので、「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」という意思が十分伝わってくるようであります。ただ、この言葉は本当に信用できますでしょうかね?

個人的な予想としましては、「またシステム障害は起こる。いや、これから本格的に障害が多発する」と思っております。したがいまして、東証は一企業として、システム障害が発生するリスクを受け入れた形でのリスクマネジメントを考えたほうが、投資家の信頼を得やすいものと思います。

システム障害が確実に起きる第一の理由は「人材不足」です。バブル崩壊、「空白の10年」の間に、大規模なシステム設計が(企業の設備投資意欲の低減のために)なされる機会に乏しく、1995年から2004年ころまでに「設計からメンテ」までを担当できる人材が育たなかったところに大きな原因があると思います。(これは私だけの意見ではなく、いっしょに内部統制システムの構築支援をしているビジネスソリューション担当者の方も同意見であります)つい最近までは、「設計図の読める人」がたくさんいらっしゃったのですが、時間の経過とともに、リタイアされたり、管理職になったりして現場からは遠ざかり、これから本当の人材不足の時代が到来する可能性が高いようです。上のニュース記事にもありますように、東証のシステムを開発できそうな企業が富士通と日立だけ、というのも「ちょっと恐ろしい」気がします。しょせん、どんなに高度なITシステムが開発されたとしましても、それを作り、また管理するのは人間です。東証の担当者の希望を受け入れてオーダーメイドでシステムを設計するわけですから、突発事故が発生したときに、頼りになるのは、設計した人の「勘」であることは、システム障害で真っ青になった経験のある方であればおわかりいただけるのではないでしょうか。ですから、東証がどんな立派な方を証券会社から社長として迎え入れたとしても、またどんなITに詳しい専門家をCIOとして迎え入れたとしましても、そういった「勘」が働く人材が育っていない以上はシステム障害を押さえることは不可能だと私は予想しております。すでに、このあたりのことに気づいて、今年あたりからIT統制のために巨額の投資を行い、外部のシステム設計者を「育てる」ことを開始した企業もあります。ただ、そういった企業ですら、「育てる過程においてのシステム障害のリスクマネジメント」を構想しているところであり、リスクは確実に発生するものだから、そのリスクによる被害をいかに最小限度で食い止めるか、という前提で物事を考えています。

システム障害が発生する第二の理由は、今後の市場規模の拡大傾向にあります。現在の政府の考え方からすれば、これからの株式市場というのは、拡大こそすれ縮小することはないでしょう。だとすれば、今回のような「予期できなかった突発性事象」というものも、増えることはあっても減ることはないはずです。現在までのところシステム障害の原因は公表されておりませんが(といいますか、リアルタイムに原因を表明できないところに、すでにリスクの大きさが現れておりますが)、おそらく市場規模の拡大傾向の影響があることは間違いないと思われます。現在東証にはシステム管理部門の従業員が40名在職していらっしゃいますが、SEは一人もいらっしゃらない、とのことで、つまりは東証が「こう作ってほしい」という希望をきちんと富士通に伝えることができる人(以前のエントリー「内部統制論を法律家が語る理由」でも、この中間的な人の重要性について触れましたが)は育っていないわけです。これは何を意味するか、と言いますと、どんなに優秀な人が集まって頑張って新しいシステムを構築してみても、東証にとってみては、富士通のシステムは「ブラックホール」「ブラックボックス」化しておりますので、東証の予期する「突発事象」をシステム側では十分把握できないはずです。

東証も富士通も「いいものを作るために努力を惜しまない」といった姿勢につきましては、私は美しいものだと思いますし、そのことをとやかく申し上げるつもりはございません。ただ、どう頑張っても、これから必然的にシステム障害を繰り返す中で、試行錯誤がなされ、やっと10年くらい経過したころに、初めて「安心して稼動できるシステム」が出来上がるのではないか、と思います。つまりは東証にも富士通にも、巨額の投資をして作り上げるシステムを通じて人材が育つまでには、時間を要するものでありまして、その間は「システム障害は起こります」とはっきり明言しておくほうが、(民間企業としての態度としましては)投資家や証券会社に対して誠実な態度ではないか、と思うわけであります。今後もし、システム障害が発生した場合には、社長やCIOが引責辞任するような「ヤワな」企業ではなく、その原因をすばやく公表し、どのような被害を最小限度に抑えるためのどのような手法をとったのか(こういった緊急避難的な要件を厳格にクリアできるときのみ、私は証券取引所が強権を発動できる正当性があるのではないか、と思っておりますが)、説明できるような企業にしていただきたい、と強く願っております。

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2005年12月20日 (火)

消費者団体訴権と事業リスク

ようやく(日曜日を除いて)6連日の忘年会も終了しまして、これからはクリスマスモードと「和解モード」(嫌なことは年内に片付けよう、といった雰囲気のために、この時期は裁判の和解成立に向けた話し合いが急ピッチに進む事件もけっこうあります)に突入することになります。

忘年会の席で、消費者ネットワークのNPO法人を支援する弁護士さん方とお話をする機会がありまして、消費者団体訴訟に向けた準備状況などについて、いろいろと伺いました。

そういえば、2,3日前に日経ニュースでも報道されておりました。消費者契約法が改正されて、認証団体(団体訴訟を提起する資格を与えられた団体)となって、企業の契約や商品販売を差し止めることになるわけですが、団体自体が原告となるために(つまり被害者たる消費者が原告に加わる必要はない)どういった資金で運営されていくのか非常に興味があります。あまり中身について詳細にお話することはできませんが、その弁護士さん方のお話では「なるほど・・・」と思わせるような団体訴権の利用方法をすでに準備されており、おそらく差止請求だけでも(つまり、損害賠償請求については当面は提起できないとしましても)NPO団体が(資金面で枯渇することなく)企業を相手にドシドシ訴訟を提起していくためのシステムは十分構築できるようです。しかも、いままでは消費者が「200円、300円の世界」のために、やむをえず泣き寝入りしていたような「商品」についても、この制度を利用することで商品販売や契約方法の違法性をトコトン追及できるわけです。

しかし、こういった団体訴権が利用され、将来的に被害者代表のような形で損害賠償請求まで認められるようになりますと、企業の事業リスクもまた増えていくような気がします。企業コンプライアンスといった側面から眺めますと、行政団体からの監視、株主からの監視、公益通報者制度による内部者、外部者からの通報による監視、そして一般消費者的立場のNPOからの監視といった多方面からの企業活動への監視システムが「あたりまえ」になり、そういった監視に基づく企業活動への圧力といったものは、今後大きな事業リスクとして評価されるようになるのではないでしょうか。営業所単位でも、裁判管轄が認められるようですので、(つまり企業本社以外の場所でも販売差止、営業差止の判決が下りる可能性がある)全国規模で消費者団体訴訟が盛り上がることは必至のようですし、公益通報とはまた違った対応を企業として準備しておく必要がありそうです。また、認証される消費者団体とはどういった組織か、といった問題を含め具体的な対応方法等につきましては、別途エントリーしたいと思います。

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2005年12月19日 (月)

ジェイコム株式利益返還と日証協のパフォーマンス

(12月19日お昼に追記あります)

大阪は連日、冷え込んでおりますが、皆様の地域ではいかがでしょうか。いよいよ今年もあと10日ばかりとなりまして、お仕事もラストスパートの時期ではないでしょうか。私もやっと忘年会も19日が最後となりまして、すこしばかり仕事に没頭できる時間が増えそうです。

さて、47thさんからTBをいただき、ジェイコム株式の誤発注で120億円もの巨額の利益を出したUBS証券が、「契約の無効」といった手法で利益を返還できないかどうか、日本証券業協会に打診していることを知りました。(ニュース記事はこちらです。)どうも先日来、いろいろと当ブログでも議論をしておりました錯誤無効(民法95条)の適用の可否が議論されているそうです。

私自身、この問題については「結論はこうでなければいけない」といった主義主張はございませんが、先日来議論させていただいておりますとおり、売買契約の有効性が疑われないままに「利益返還」の問題が浮上していたことに非常に違和感を覚えておりましたので、やっと民商法の適用の可否について社会的にも議論される機会が出てきたことにつきましては、好ましいことだと思っております。ただ、上記の朝日ニュースの内容だけからは推測の域を出ませんが、どうもニュース記事は「真相を伝えていないのではないか」と思われるフシがございますので、もうすこし掘り下げて検討してみることといたします。(何度も申し上げますが、私は証券取引実務には精通しておりませんので、あくまでも一法律実務家の勝手な私論として受け止めていただくことをお願いいたします)

1 民法95条による錯誤無効の主張は本当に困難か?

どうも、上記の朝日ニュースの報道内容を読んでおりますと、本件証券取引に民法95条の錯誤無効の規定を適用することはむずかしい、との結論に至っているようです。(いつもコメントをいただく narita-k さんも、これまでの私のエントリーでの結論と、この記事は異なるようですよ、とのご意見を頂戴いたしました)しかし、本当にこの取引に民商法の規定が適用されるとした場合、錯誤無効の規定をあてはめることは困難でしょうか。たしかに、民法95条の規定を読みますと、表意者(ここではみずほ証券)に錯誤が認められたとしましても(どういった要件該当性があるのか、といった点は私の過去のエントリーをご参照ください)、「表意者に重過失があるときは無効を主張することができない」とされておりますので、そもそもみずほ証券に重大な過失(と評価される事実)がある以上は、無効にはならないのではないか、とも思われます。しかしながら、この民法95条の規定が、表意者に重過失がある場合に無効を主張できない、と規定しているのは、表意者の財産保護と、相手方の取引安全保護とのバランスを図るためのものでありますから、取引相手方に「悪意」(つまり、みずほ証券が誤って売り注文を出している、ということを相手方が知っていること)ある場合にまで無効主張が制限されるわけではありません。本件では、ジェイコム株式を購入した証券会社については、まず間違いなく悪意が認定されることは、これまでのエントリーで述べたとおり明らかだと思います。また、インターネットによる通信販売の事例でもおわかりのとおり、取引時において、取引相手がどんな人なのか特定できない場合でも、当事者の利害状況は同様です。したがいまして、本件に民法95条が適用されるかどうか、といった問題については、それほどみずほ証券に「重大な過失があったかどうか」は大きな問題にはならないように、私は考えております。

むしろ問題となりそうなのは、みずほ証券はいったん決済には協力しているわけですし、すでに多額の決済金を拠出しているわけですから、すでに錯誤無効を主張する表意者としての利益を放棄しているものと評価されるのではないか、という点であります。ただ、みずほ証券といたしましても、証券取引所の信用および自社の社会的信用を守るために、いったんは決済をして、その後訴訟などによって個別の利益保有者との間で法的紛争の解決をはかる、といった事情にも合理性があると認められますので、無効主張をなしうる利益まで放棄したと評価されるわけではない、というのが私の意見です。したがいまして、この点からも錯誤無効が成立する余地は十分にある、と考えております。

2 UBS証券が日証協に打診していることの真意

証券取引に民商法の適用される可能性があるのであれば、どうしてみずほ証券は黙っているんだろうかと、(株主代表訴訟の危惧といった観点から)以前のエントリーでは問題視しておりましたが、実際にはUBS証券側から「利益返還問題」と絡めて「日証協」に打診があったとのことで、このあたりはちょっと想定しておりませんでした。ということで、この報道が真実であることを前提としまして、ちょっとそのあたりの真意につきまして、私なりに推測してみました。

まず、この問題が「本気で」裁判になった場合のリーガルリスクといったものへの配慮があるのではないでしょうか。これはみずほ証券側にもありますし、UBS側にも存在します。たとえば、みずほ側としましても、利益を取得したのは証券会社ばかりでなく、個人も存在しております。被告をどうやって調査して、その返還対象者をどうやって峻別すべきなのか、そのあたりは非常にコストのかかるところですし、時間もかかるところであります。また、そもそも証券取引に錯誤無効が適用されることを想定いたしますと、厳密な意味では原状回復の対象となる「利益」といったものが、実際にはどの程度の金額になるのか(今問題になっている「利益返還」金額とは明らかに異なります)、これもまた困難な問題が生じます。いっぽうのUBS証券としましても、たしかに裁判で敗訴したことによって利益を返還すれば、株主代表訴訟のリスクから解放されることにはなりそうですが、いままさに「利益返還問題」の浮上する原因であった「企業のレピュテーションリスク」からは解放されないわけです。(裁判で断固、利益を返さない姿勢、というものは貫かなければならず、敗訴したから利益を返還する、といった結果では社会的な評判としてはよろしくないでしょう)

そういった双方の悩みを一気に解決するためには、いわゆるADR(裁判外紛争処理機関)を利用した「和解的解決」による手法が最も適しているのではないでしょうか。これは、最近代表訴訟のリスクのからむ企業紛争では比較的用いられるケースが多いと思います。長期間におよぶ訴訟に要するリーガルコストや敗訴可能性などを十分検討したうえで、双方が譲歩する形で和解的解決を図るものです。もし日証協あたりが音頭をとって、このADR的な立場で解決することができれば、証券会社のみが利益返還を行ったということへの批判もかわすことができますし、また「返還に応じない企業と応じる企業が出ることへの不平等」といった問題も解決することが可能です。また、個別の紛争解決によっては一律の解決が困難な事後救済上の税務問題につきましても、日証協あたりが仲介役となれば、画一的な処理も可能になろうかと思われます。

こういった推測からいたしますと、UBS証券あたりは、かなり詳細な検討を行ったうえで日証協へ打診をしているのではないかと思います。ただ、民法による錯誤の規定が、果たして各証券会社においても、同様に「契約無効のおそれあり」との結論を出すかどうかは別個の問題ですし、今後このスキームが進捗するかどうか、このあたりに課題が残っているようにも思われます。

(追記)

民法95条(錯誤規定)については、そもそも証券取引においては、適用されるものではないのでは・・、との有益な意見を頂戴いたしました。(fujiさん、さとさん、辰のお年ごさん、どうもありがとうございました)概ねの理由は、証券取引の高度流通性や、その取引形態からみれば、取引当事者の合理的な意思解釈として、当初から契約の成否に関しては民商法の適用を排除しているものと考えるべきではないか、というものです。(これでよろしいでしょうか?もう少し進んで、すべての取引については意思表示の外観にすべて拘束される、といった約定が存在する、というところまで言えるのかもしれませんね)ただし、そういった当事者の意思解釈の合理性をここで取り上げるとするならば、「明らかに双方が過誤発注であることをしっていた場合にも決済はそのまま行います」といった趣旨まで含むことが果たして合理的といえるかどうかは、問題ではないでしょうか。(逆に言えば、誤発注があった場合に、当事者双方が「取り消す方向で」検討をしているような場合にまで、いったん決済しなければいけないような事態というのは、どうなるのでしょうか)非常に説得的な意見だとは思うのですが、この議論は「重過失があった場合にも、相手が悪意ある場合には無効主張が可能である」といった論点と同様のところに位置付けられるようにも思います。おそらく取引の安全といった要請から「民商法の排除」といった合意を読み取るのであるならば、取引の安全を配慮する必要のない場合にまでその合意の効力を貫くことは適切ではないのではないか、とも思えますが、いかがでしょうか。

おそらく、この議論はさとさんがおっしゃるとおり、錯誤無効の規定を正直に適用してしまいますと、一般投資家にまで無効による影響が及ぶことへの弊害といった政策的な部分への配慮も含めれているものと思います。ただ、そういった弊害についてはおっしゃるとおりだと思いますし、だからこそ第三者の介入等によって、和解的解決、といったことも検討されるべきではないか、と思ったような次第であります。(急いで追記いたしましたので、また誤り等ございましたらご指摘ください)

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2005年12月18日 (日)

黄金株 条件付きで容認(東証)

bunさん、辰のお年ご さんにご指摘いただいたきましたが、「あの黄金株はいずこへ?」と言っておりましたら、タイミングよく各報道機関よりニュースになっています。

黄金株 条件付で容認(東証)(日経ニュースより)

東証は、防衛策発動の条件、判断基準、第三者によるチェックの有無などについて、事前相談という方式を使って調査する、ということのようです。また十分な情報を開示するものとして、「透明性、流通市場への影響、株主権の尊重」の三項目を掲げているとのこと。

たしかライツプランを導入した防衛策と、黄金株を導入した防衛策とでは、「株主価値を損ねるおそれのある防衛策」と「そもそも上場資格に問題を生じさせる防衛策」に峻別して、実効性の確保については、「価値毀損のおそれ」の場合には公表、「黄金株」の場合は半年ほどの猶予期間の後、上場廃止としておりましたが、そのあたりの区別がどうなったのかは、日経の新聞記事ではわかりませんでした。アメリカの主要な証券取引所では、すでに上場している企業に黄金株の導入を認めていない、ということを強調しておられた東証でしたが、どういった理由で方針転換されたのでしょうか。

辰のお年ごさんが指摘しておられますが、東証は「コーポレートガバナンスに関する情報開示」についても、この12月22日の取締役会で方針を決定する可能性が高いようですが、こちらもたいへん気になるところです。(経団連が、この東証の指針に意見を発表していることは、12月7日のエントリーでご紹介したとおりであります)ひょっとすると、事前相談の際に、防衛策発動条件や第三者によるチェックとの関連で、こういった開示の対象となっているガバナンスの状況なども加味したうえで、「株主価値毀損のおそれ」の有無を検討するのかもしれませんね。また、ガバナンスの問題に加えまして、「黄金株」と一般的に呼んでいるところの防衛策のうち、「どの防衛策」をとるのか、という特定の問題、そしていったい誰にその株式を保有してもらうのか、本当に導入を検討している企業にとっては、いよいよ具体化作業が必要になってくるのかもしれません。また、追加でいろいろな論点について触れてみたいと思います。

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2005年12月17日 (土)

ジェイコム株式利益返還と民商法の適用

昨日のエントリーに対しましては、またご意見を頂戴いたしまして、ありがとうございました。UBS証券はじめ、誤発注されたジェイコム株式買付で利益を得た証券会社の利益返還という問題は、その前提として「当然のごとく」誤発注による売買契約の成立が有効であることから対策が始まっているものですが、私自身はその「当然」のところに疑問を呈しておりますので、奇異な考え方かもしれません。金融機関の法務部員であるsakuritaさんからも「参加者において、民法が適用されるなどとは、予想もしていない」といったご意見を頂戴しましたし、この問題について、少数派であることを承知のうえで、もうすこし考えてみたいと思います。(また、知識や考え方におかしいと思われる部分がございましたら、ご指摘いただきたいと思います)

立会場が廃止され、コンピューターシステム売買に移行した現在におきましても、市場参加者が証券会社であって、証券会社どうしの間で売買が成立する、というものであれば、そこに有価証券(みなし有価証券を含む)が概念される以上は、やはり民商法の適用は否定されることはないと思います。想定されるすべての事態を事前に予想して、規約、約款を定めておけば問題ないでしょうが、今回のことをみてもおわかりのとおり、想定されない「異常事態」は発生するものでして、そういった場合の問題処理に個別具体的に適用される約款が存在しないかぎりは、民商法に立ち戻るしか方法がないわけです。たとえば、平成16年に成立しました「社債・株式等振替法」には、その152条において善意取得に関する規定が置かれておりますが、そもそも善意取得といったことが問題となるのは「異常事態」です。そういった異常事態にどういった民商法を適用すべきか、ということから明確に善意取得に関する法理の適用を規定しており、同法153条以下では、この善意取得の規定を適用することによって、株数に異常をきたした場合の事後処理に関する規定も定められております。では、今回の誤発注の問題についてはどうか、といいますと、約款も法律の明文規定も存在しないわけです。したがいまして、当事者間の問題処理はいったい何を基準に解決すればよいか、という点は必然的に問題点として取り上げざるをえないんじゃないでしょうか。

さて、こっから先が肝心な問題だと思うのですが、それでは証券取引所におけるシステム売買には、誤発注が生じた際にも「契約は有効に成立」とみる根拠はどこにあるのか、その基準というか法理のようなものが必要になってくると思います。「それが慣習だから、ルールだから」は明らかに成り立ちません。なぜなら、今発生している事態は「異常事態」であって、異常事態が頻繁に発生しているのであれば「慣習」「ルール」もあるかもしれませんが、「あってはならないこと、ありえないこと」が発生しているからです。したがって、結局は「理屈」と「世の中に及ぼす影響」から判断するしか、しかたがないように思います。株券が存在しており、その交付が「効力発生要件」とされている以上は、民法の二重譲渡の考え方が適用されて、「原始的不能ではなく、すべて契約としては有効に成立している」、この理屈ならわかります。しかし、民商法の法理が適用されない、となると、「すべての契約を有効と扱う」理屈は別に探してこないといけないのでは、との疑問が湧いてまいります。(また、セットで事後処理に関する理屈も探してこないといけないわけです)

ちょこっとだけ、sakuritaさんのコメントを引用させていただきますと、

その特徴(注 市場取引の特徴)は、大量性、画一性、迅速性、匿名性、などがあげられ、およそ民法が予定した特定の者との相対の取引とは異なる世界だと考えています。さらに、市場では現実に存在しない株数の取引を行うこともありえますし、自分の売り注文と自分の買い注文が取引として成立することもある訳です。

私は、金融実務に精通しておりませんので、この「市場では現実に存在しない株数の取引」といったものがどういったものかは存じませんが、そういった取引もアプリオリに認められているのか、なにか特別法によって認められているのか、そのあたりも整理してみたい気がいたします。(ご教示、どうもありがとうございました)「取引のプロ同士がやってる世界なんだから、勘違いで無効取消なんて、通用しませんよ」といった暗黙の了解があるのか、それとも「取引のプロ同士がやってる世界なんだから、勘違いで契約成立なんて、あるはずがない」といった了解なのか。

私としましては、民法の法理の適用があるとすれば、当然のこととして錯誤無効の検討がされるべき、と認識しております。これを否定するのであれば、どういった理由で錯誤無効が主張できないのか(たとえば、市場に参加するにあたって、その誓約書で「取引における意思表示の瑕疵はいかなる理由あるも、これを主張しないものとする、との約款の存在など)もしくは何か民法の特別法もしくは約款の法理を類推して、民法の適用が否定され、排除される、といった説明がなければ、その適用を否定することはできないと考えております。

さらに「錯誤無効」を主張することによる「世の中の弊害」を考えてみたいのですが、いったいどのような弊害があるのでしょうか?よく理屈のわからない「利益返還」という手法をとるようりも、数段平易でわかりやすいのではないでしょうか。ただ、混乱が生じるとすれば、返還に応じない個人や証券会社の存在と返還に応じる証券会社との不平等、最終的な損失負担者の不合理性といったところでしょうか。(ただ、こういった問題こそ、当事者間における協議や法的交渉によって解決すべきだと思います)錯誤無効を認めてしまうと市場の混乱を招き、信用を毀損する、といったご意見もあろうかと思いますが、しかし証券取引に携わる方がたが、「もはやありえないこと」と自信をもってコメントできるのであれば、同様のことは起こりえないと評価できるわけですから、もはや混乱を招くこともないはずです。「錯誤無効」の濫用というのも、今回の事例は「特別な異常事態」という評価である以上は、あまり心配することもないように思います。したがいまして、「理屈」と「世の中に及ぼす影響」いずれをとりましても、民法の原則を排除しなければならない理由は見当たらないんじゃないでしょうか。「民商法の考え方を排除してまでも、証券取引所の取引の安全を保護する」のであれば、その旨の特別法、約款、もしくは関連法規の準用、類推適用などの根拠が必要ですし、証券取引法などによる取締法規によっては実現できないことも議論される必要があるのではないか、と思っています。

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2005年12月16日 (金)

証券会社のジェイコム株利益返上問題について

たくさんの著名なブログで、すでに取り上げられており、新鮮さもないかもしれませんが、ジェイコム株の誤発注で利益を上げた証券会社が、日証協の要請によって(おそらく基金を設立して、そこへ)利益を返還する方向で調整がなされているそうです。

証券会社、ジェイコム株利益を返上へ 日証協要請(日経ニュース)

内部統制に関するエントリーが続いておりましたのと、私に基本的な知識が不足しており、あまり発言に自信がもてないこともありまして、この問題に関してはコメントを控えておりました。ただ、どうしても愚直な頭で考えてみてもわからないことが多く、ひょっとしたら、多くの人たちも「なんとなく」わかったようなフリをして問題を解決しようとされていらっしゃるのではないか、とも思いましたので、すこしだけ恥を忍んで疑問点を呈示してみたいと思います。

1 本当に現物が1万株しかない取引で、61万株のジェイコム株の売買契約は成立するのか

さまざまなブログで既に問題点が呈示されておりますとおり、そもそも「この世にない61万ものジェイコム株式」がどうして、有効に売買契約が締結されるのでしょうか?原始的に不能ということにはならないのでしょうか?もちろん、「不動産の二重売買」とか、「他人物売買」といった民法の原則からするならば、売主が二重、三重に売り渡す(背信的行為ですが)可能性があるわけですから、そういった事態において、誰が真の権利者となるか、「対抗問題」等によって処理しなければ紛争解決が困難な事態が予想される場合には、民法の原則にしたがって、61万株の売買契約を成立するとみる余地もあるでしょう。しかしながら、証券取引所で売買される株式というものは、そもそも需給関係の釣り合いがとれるタマがなければ「売買不成立」「ストップ高」「ストップ安」となって、二重、三重の売買が成立しないような体制がとられており、またそのことは取引を行う当事者も十分認識しているわけでして、それゆえに高度な取引の安定が図られているのではないでしょうか。そういった現実を前提として、現物株の取引を考えた場合には、そこに売主による二重、三重売買や、取得することが不確定な「他人物売買」の思想を持ち込むことはできるのでしょうか。(そもそも、現物株取引の場合には、差金決済はできないルールになっていて、保有が不確定な株式を売る、といったことは考えられていないと思うのですが)もし、そういった思想を持ち込むことができないというのであれば、当事者の意思解釈としましても、「ほかに売買の対象となる株式はない以上は売買契約は成立しない」と考えるのが合理的でありまして、原始的に不能な取引と評価されてしかるべきであり、「取引の安全」といった考え方をさしはさむ余地はないものと思います。この問題については「あってはならないこと、ありえないこと」とコメントされる有識者の方も多いようですが、そうであればなおさら「原始的不能」と考えるべきではないでしょうか。

2 錯誤無効は適用されないのか

しかしながら、株式の決済制度というものが歴然とあるわけで、そこで保管振替制度や、名簿書換制度といったものがある以上は、やはり株式の売買成立の有効性については、伝統的に民法原則は適用されねばならない、といった考え方もありうると思います。つまり、不動産の二重譲渡や、他人物売買と同様に、当事者間では61万株の売買契約も成立する、ということも認められるのかもしれません。しかし、もしかりに61万株の株式売買契約が成立したとしましても、この売主の「売りたい」という意思表示には、明らかに表示の錯誤が存在すると思われます。61万株を1円で、というのは常識としてあり得ない話ですし、取引に参加している買受希望当事者の経験レベルからすれば、表意者の錯誤については「悪意」(勘違いであることを知っている)です。(したがいまして、たとえみずほ証券側に表示上の錯誤に陥ったことに重大な過失が認められるとしても、無効を主張できる可能性が出てきます)さらに、この錯誤は、値段と株数という売買契約の最も重要な部分において「勘違い」が発生しているわけですから、これは明らかに「契約の要素に関する錯誤」です。したがいまして、もしこういった市場取引においても民法の伝統的な原則が適用される、という立場に立ちますと、今度は錯誤無効が適用されてしかるべき、といった論法をとらざるをえないのではないでしょうか。

3 みずほ証券の株主は、「みずほ」への利益返還を要求しないのか

日証協の要請では、各証券会社の利益については、(これも、違法に取得したものでもないのに、なぜ各証券会社が返還しなければならないのか、まったくわかりませんが)新設する基金のようなところへプールする案が検討されている、と報道されておりますが、それならみずほ証券の損害はなんら填補されないわけですから、みずほ証券の株主らは、みずほへこれを返還するように主張しないのでしょうか?なぜ裁判で認めらる可能性のある権利を行使しようとしないのでしょうか?「決済した事実」の評価につきましても、市場の混乱を極力回避するために、いったん決済したという立派な理由がたちますから、手形のトラブル時において、不渡処分を回避するために供託するのと同じ理屈でして、売買契約の有効性をみずほ証券が認めてしまった、ということの根拠にはならないと思われます。

こういった諸々の疑問点がどうしても解決できないので、私人間の売買を強制的に無効にできる「東証の裁断権」のような問題まで考えることは、私には到底困難なようです。そもそも株取引に関する実務上の「慣習」や「ルール」の理解が不足しているのと、愚直な理論展開しかできない私の頭の程度のために、こういった諸点を解決できないでいるのかもしれません。しかしながら、こういった問題(なぜ裁判という司法判断の機会を逸してまで、取引の有効性にこだわり、早期決断に走るのか)こそ、基本的なことを一般人に平易な言葉で説明できるシステムを整えないと、それこそ投資サービス法時代の市場取引などは「絵に画いた餅」で終わってしまい、あのバブル時代と同じように「一般投資家の時代」と持ち上げられて、ひと踊りして、終わりといった結末を迎えることになるような気がします。

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2005年12月15日 (木)

あの黄金株の話はいずこへ?

「内部統制を法律家が議論する理由」のエントリーには、貴重なコメントを頂戴しまして、ありがとうございました。忘年会帰りの状態で、コメントをお返しするのは、たいへん失礼ですので、業務時間中に、コメントに対する私なりの感想を書かせていただきたいと思っております。コンプラインス・プロフェッショナルさんには、私が書きたかったことを、手際よくまとめていただきましたし、また 辰のお年ご さんには、私の引用の趣旨がすこし本意とはずれておりましたようで、たいへん失礼をいたしました。また、neon98さんやKOHさんには関連エントリーまでアップしていただきまして、厚く御礼申し上げます。実は、他にも数名の方よりメールを頂戴いたしまして、この「内部統制論」にご興味をお持ちの方が意外に多いことにビックリいたしましたし、また懸念されているとおり、あまりにもターゲットが広すぎて、まとめて議論するのが困難な話題であると思い知りました。

(ということで)少し話題が戻るんですが、つい先日、朝日新聞だけが「黄金株を一部容認、東証」といった見出しで、東証が新規上場、既上場を問わず、ある程度の条件を満たした黄金株の導入を認める方針」といった記事がありまして、その翌日に読売、日経などが追随記事を書くのかな、と思っておりましたら、なんの反応もなく今日に至っております。朝日もあの記事一本だけで、その後はみずほ証券誤発注騒動によって、どっかへ行ってしまったような感じです。私的には、とても気にしているのですが、あの記事はどこまで真相に近いんでしょうかね?・・・謎です。

商事法務1751号では、東証の上場部企画担当課長さんの「買収防衛策の導入に係る上場制度の整備等に関する要綱試案の公表」と題する解説文も掲載されておりまして、(いろいろ議論させていただいた「東証の規則制定権」に関するものではございませんが)黄金株(もしくはこれと同程度に株主の基本的権利に制限を加える防衛策)導入企業への実効性確保の根拠なども、なかなかおもしろい内容を(個人的意見として)載せておられますし、東証の(いわゆる黄金株と呼ばれるものへの)取扱の帰趨に非常に関心が高まるところであります。

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2005年12月14日 (水)

国会の証人喚問と裁判員制度

(ビジネス法務関連のエントリーではございません)

姉歯元建築士が国会(国交省委員会)で証人喚問を受けるのを、テレビ中継で観ておりましたが、かなり驚きました。あの質問されたセンセイ方の質問内容を聞いて、おそらく姉歯氏初め、耐震強度偽装に関係した方々は、いまごろ拍手喝采していることは間違いないと思います。できあがった議事録を読めば明らかだと思いますが、客観的な事実を明確に述べた内容はほとんどなく、姉歯氏の反省の答弁と、推測による意見、特定されなかった事実の陳述のみです。質問をされる方は、ご自分がテレビに「どう映るか」ばかりに気を配り、「真実を明らかにする」気持ちがまったくなかったようです。質問者としての、準備不足ばかりが目立ちました。

「あなたの悪事は、誰から指示されたのか?」

悪事とは、誰がすでに「悪事」と評価したのか、悪事とはいったいどのような事実を捉えているのか、どの悪事を姉歯氏は悪事と認め、また認めていないのか、これでは質問になっていません。

「あなたは、○○氏が、その違法性を認識していたと思っていたか?」

「違法性」などという評価は、だれがするのか、認識していたかどうかは、どうやって知るのか、「思っていた」とは単なる推測を話せばいいのか、・・・もはや答弁不能。

「あなたの今の発言はたいへん重大なことだが、・・・・」(って、ぜんぜん重大でもないのに、どうして?江戸時代のお白州じゃないのに・・・トホホ)

こういった やりとり を20分ほど我慢して聞いておりましたが、あまりに情けなくなってしまい、消してしまいました。私も、コンプライアンス委員や、不正検査調査担当として、業務上横領やセクハラの疑いのある社員の方へいろいろと(密室ですが)事情聴取をしてきましたが、こんな聞き方で、議事録を残したとしたら、私が即刻クビになると思います。

いわゆる誤導、求意見、自らの意見を交えた質問などは、裁判における証人尋問での「ご法度」ですし、単にルール違反ではなく、ほかの関連している人たちへの有効な記録を作る機会さえ奪ってしまうわけで、(姉歯氏しかみておりませんので、姉歯氏への喚問に限定しますが)最悪の証人喚問だったと思います。まあ裁判とは違うわけですから、国会での証人喚問というのは、こういったセレモニーとして、意味があるのでしょうか?世間の注目は、姉歯氏に反省の弁を述べてもらうことよりも、責任問題がどこまで拡大して、誰が民事上の責任を負担するに値するか、という点でしょうから、むしろ質問者は姉歯氏を糾弾することよりも、おだやかに、冷静に、姉歯氏が知っている客観的な事実だけを述べさせるようにもっと工夫しなければならなかったように思います。ほかの答弁者に逃げられないような言質をとっておこう、という気概をお持ちの方はいらっしゃらなかったのでしょうか。

あのようなパフォーマンスがまかり通るのであれば、裁判員制度においても、使ってみたいと思う弁護人はいるはずです。誤導、意見を求める、意見を戦わす、誘導する、といった尋問ルールに違反する質問手法は、我々法律家にとっては駆け出しのころから「禁句」として覚えますし、私はそういった手法を用いる相手方代理人に対しましては、すぐに「異議」を出します。しかし裁判員制度のもとで、事実認定を行うのは素人裁判員ですし、検察官や職業裁判官が「ちょっと、弁護人、質問を変えてください」との指示を受けたとしましても、それまでのやりとりについては、裁判員の頭に染み付いてしまうわけです。事実認定の訓練をしてきた職業裁判官なら、弁護人と証人との「意見の食い違い」でおわってしまうものでも、そういった訓練をしていない裁判員にとってみれば「弁護人との議論に負けた証人」といった先入観が心証として残ってしまわないでしょうか。

きょうの証人喚問をみておりまして、どうもこれからの裁判員制度の弱点のようなものが垣間見えてきたようで、逆に、こういったルール違反の尋問手法といったものも、熱心な刑事弁護を目指す弁護士の方にとりましては、(やり方はグレーでありましても)裁判員を味方につける方法として一考に値するのではなかろうか、という感想を持ちました。

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内部統制を「法律家が」議論する理由

忘年会の真っ只中でして、けっこうヘロヘロになりながら帰宅しておりますが、ちょっとだけエントリーいたします。neon98さんが「法律家が内部統制を勉強している」ことへの興味を感じておられたり、よくコメントをいただきます 辰のお年ご さんが、そろそろ弁護士も内部統制に関する研修会を開催する時期では?といったコメントを残しておられるので、私がこの「内部統制論」に興味を抱いている理由について、すこしだけ触れたいと思います。

そもそも企業コンプライアンスといったものに興味を持ったのが発端であります。病院の脱税事件を数件担当した関係から、再犯予防のためのシステムを構築して、これを刑事裁判所に紹介して、代表者や法人の刑事処分(主に罰金)をなるべく軽くしてもらうために、病院コンプライアンスシステムの構築を手がけたのがきっかけであります。そのとき、病院だけではなく、企業についても法令遵守プログラムのようなものを、従業員の勤労意欲を向上させながら組み込むことができないだろうか、との疑問を抱きつつ、学習し始めたのが「COSO報告書」を中心とした内部統制システム構築論でした。したがいまして、私の場合には体系書から門を叩いたわけではなく、仕事の必要に迫られて勉強を始めたほうの部類に属します。(したがいまして、いまでも理論上の問題点など、詳しく理解しているわけではありません)

さて、社会的には日本版SOX法の適用問題などから、いままさに内部統制システム、といった言葉が流行しておりますが、アメリカのSOX法404条などをお読みになりますとおわかりのとおり、この内部統制論というのは、1950年代から日本でも会計監査の世界では、共有されていた言語として用いられているわけでして、言葉自体が真新しいものではありません。とりわけ、昨日ご紹介いたしました企業会計審議会内部統制部会の「とりまとめ案」記載のとおり、今後も内部統制システムの構築自体は、財務諸表監査を行う会計監査人による評価、検証の問題が一次的なものであると考えております。ただ、それでは「企業会計の専門家」でない弁護士が、この内部統制論を議論する必要性はどこにあるのでしょうか。これは私の全くの個人的見解ですが、ふたつある、と考えております。

ひとつは純粋な法律家の仕事としての「会社法の解釈問題」として、であります。監査役として、そしてコンプライアンス委員として、毎月、別々の企業の戦略会議や役員会などに何度か出席していることからの感想ですが、たとえ会社法によって「委員会設置会社だけでなく、監査役設置会社においても」業務の適法な意思決定過程および適法な執行過程を確保するためのシステム作り(これを一般に内部統制システム構築義務、と紹介されておりますが)につきまして、これはそもそも取締役や監査役にとっての「善管注意義務」の範囲に含まれるものなのかどうか。すでにご承知のとおり、未だ「内部統制システム構築」といった用語の中身が一義的に明確なものではなく、まだ漠然としたものであります。また、これも一般に「内部統制の限界」として通説的に言われておりますように、システム構築にはたいへんな予算が必要となるわけでして、企業によっては「システムを完全に構築したくでも、企業の費用が捻出できない」といったこともやむをえないところであるわけです。そういった事情から鑑みれば、いくら会社法に根拠を置く義務だからといって、すぐに取締役の善管注意義務として構成できるかといいますと、企業の現状次第、ではないかと思います。また、従業員の法令違反行為によって会社以外の第三者が損害を被ったとき、使用者責任が問える場合であればいいのですが、従業員自身の不法行為責任が問えないような場合において、企業の内部統制システム構築義務違反を根拠に、取締役の第三者責任を追及することができるのか、さらには企業自身による不法行為といったものを認めることができるのか、(取締役の義務と構成するのか、企業自身の義務と構成するのか、によって損害賠償請求権者も変わってくる余地があります)そのあたりの解釈論を進化させるためにも、法律家が議論する実益は非常に大きいように思います。

そしてもうひとつは「共通言語」のインフラ化としての意味が大きいと思っております。今年に入って、大阪弁護士会の業務改革委員会は、公認会計士協会関西支部との間におきまして、「LLP、LLC勉強会」「社外取締役、社外監査役シンポジウム」など、相互の業務コラボレーションを目的とした共催行事を開始いたしましたが、まだまだ相互の業務内容について認識を深めるための材料に乏しい、というのが現状です。それなら、弁護士が会計士の資格を取得したり、会計士が弁護士の資格を取得すればいい、といった意見もありますが、これも現実には非常に困難の伴うところであります。そこで、たとえば「内部統制システムの評価」という問題は、私の感覚では会計と法務の中間あたりに位置付けられる領域の問題でして、これを概念として理解できれば、会計士さんの行うべき企業会計の世界をすこりばかり理解できるのではないか、といった印象をもっております。同じことは新会社法を理解するうえでの会計士さんの立場にも言えることだと思います。(また、同様に経営者と会計監査人との共通理解のためにも、同様に内部統制システムに関する認識は有用性があるのではないでしょうか。)こういった共通言語を育てることによって、企業のリスクマネージメントに生かせるのではないか、というのが「内部統制」を法律家が学習するための実益だと思っております。ここのところ、東証の取引システムの不良が問題となっておりますが、これも、たとえば東証の中に「システム管理室」があって、富士通のシステム開発部門との間において、なんらかの「橋渡し的な」役割を担っていたとすれば、少なくとも今回のようなリスクを認識し、そのリスクが東証にとってどの程度の重大なものであるかの評価をして、さらに予算との関係から、そのリスクを「放置するのか」「回避するのか」「低減するのか」、を選択までの作業は可能だったかもしれません。すくなくとも富士通のシステムがブラックボックス化していなかったことは間違いないと思います。同様に、このたびの会社法はその省令、規則部分まで含めまして、企業会計に関する理解は必要でしょうし、会計基準に「見積り的判断」がますます必要になってきた企業会計においては法律判断に関する理解が必要になってきているわけですから、専門家による支援を要する企業のためにも、こういった中間領域における「共通言語」を学習することも非常に有益ではないか、と思う次第です。

なんだか、ずいぶんと偉そうな物言いになっておりますが、私自身、まだまだ勉強中の身です。また、いろいろな仕事のなかで、印象が変わるかもしれまんので、あしからずご了承ください。

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2005年12月13日 (火)

内部統制構築と監査役とのかかわり(2)

12月8日に、企業会計審議会の内部統制部会より、「財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準のあり方について」と題するとりまとめ案がリリースされました。すでに、7月13日に公開草案が出されており、この草案をテーマとして、私的に「内部統制構築と監査役とのかかわり」と題するエントリーを立てておりました。

7月13日の公開草案と、この12月8日のとりまとめ案とを比較しまして、(個人的に)重要な変更点と考えましたのは(1)財務諸表監査と同一の監査人が内部統制監査を行うことから、内部統制監査の検証による有効性評価のレベルも公認会計士による財務諸表監査と同一のものとして、「監査」水準とすることを明確にしたこと(2)内部統制の4つの目的(業務の有効性・効率性、財務報告の信頼性、法令遵守、資産の保全)が相互に関連性があり、企業も監査人も、これらすべての目的を満たす統制システムへの評価を行うこと(3)具体的な内部統制監査の実施基準を今後策定する方針であることを明確にしたこと(4)内部統制の機能や役割、そして対象となる情報については、全社的に共有されねばならないこと(5)企業のIT情報への対応そのものが、内部統制監査の対象となること(6)内部統制監査による投資家への開示情報として、内部統制固有の限界や、評価基準、評価方法などを含めること、といったあたりでしょうか。

以前の私のエントリー(内部統制構築と監査役とのかかわり)でも、述べたところですが、会計監査人が内部統制監査を行う場合、監査役の業務監査や会計監査人の監督など、いわゆる会社法規定との関係がどのようになるのか、注目されたところでありますが、やはり今回の「とりまとめ案」(6ページ以下)におきましても、歯切れの悪い記述となっており、かなり理解するのが難解であります。

(引用開始)

監査人と監査役・内部監査人との連携

監査人は、監査役などの監視部門と適切に連携し、必要に応じ、内部監査人の業務等を適切に利用できることとした。

なお、監査役等は、独立した立場で経営者の職務の執行について業務監査の責務を担っていることから、企業等の内部統制に係る監査を業務監査として行うとともに、大会社等においては、監査役等が会計監査人の実施した監査の方法と結果の相当性を評価することとされている。一方、本基準案で示す内部統制の監査において、会計監査人は、監査役が行った業務監査の中身自体を検討するものではないが、財務報告に係る全社的な内部統制の評価の妥当性を検討するにあたり、監査役を含めた経営レベルの内部統制の整備および運用状況を統制環境の一部として評価することとなる。

(引用終了)

この文章は一度読んだだけでは、わかりにくいように思います。結局のところ、財務諸表監査と内部統制監査を同一の会計監査人によって行うべし、という前提に立っているために、監査役の業務監査状況までを含めて内部統制の評価を行うべき会計監査人が、これまた業務監査の一環として内部統制の構築状況をモニタリングしている監査役の監査を受ける、といった「卵が先か、ニワトリが先か」といった循環論法に陥ってしまっているように思われます。会計監査人の内部統制評価としての監査役監査への評価は、統制環境の一部としてのみ評価する、として、なんとか論理矛盾を回避しようとの意図はうかがわれますが、先の疑問を解消するには至っておりません。もし、元気のいい監査役さんが、みずからの内部統制システムの実施基準をもって、会計監査人による統制評価とは異なる合理性判断を下した場合に、経営者による内部統制構築報告書はどのような記述となるのか、上の説明だけではうまく説明できないことが予想されます。

そもそも、内部統制システムの構築自体、企業が完璧なものを策定することは困難だと思われますので、開示情報として「構築のための費用」に限界があることは明確にしておくべきだと思います。(これは、内部統制システム構築義務違反が取締役に認められるかどうか、といった論点にも影響を与えるところになろうかと思います)

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2005年12月12日 (月)

会社の商号の誤認混同

みずほ証券の誤発注、東証のシステム不良発覚で一躍有名になってしまった「ジェイコム」ですが、私の周囲では、おそらくまだたくさんの方が、あのケーブルテレビの「J-COM」(ただし、商号は別ですが)の新規公開と思っておられる方が多いようです。(お恥ずかしいですが、私も2日間ほど、そう思ってました・・・ちなみにジェイコムは人材派遣企業大手、ということです)一時期、宗教団体「アーレフ」が誕生したときに、「びっくりドンキー」(株式会社アレフ)でハンバーグ食べていても、壁に「うちはオウム真理教とはなんらの関係もございません」と貼ってありましたし、最近はきっと全国の「木村建設」さんも、真剣に困惑しているのではないでしょうか。笑い話にしてはいけないほど真剣に経営問題にかかわるほど、この商号の誤認というのは恐ろしいものです。

新会社法6条以下では「会社の商号」に関する規定がありますが、現行商法よりも商号自由使用の範囲が広がりまして、極端な例で言えば、木村建設のお隣の住所に「木村建設」の商号を使用しても、法人登記が受理されてしまうんですね。しかも株式会社の最低資本金制度が撤廃されてしまうわけですから、(別に有名な企業ではなくても)同じ町内に、事業目的も同一の同じ商号の会社がたくさんできる可能性もあるわけです。もちろん、不正目的によって他の会社と誤認されるおそれのある商号を使用してはいけないといった規制(会社法8条1項)はありますが、そういった不正目的は排除請求したい側が立証しなければなりませんから、既存の商号使用企業は「商号管理」にも気を配る必要があるのではないでしょうか。(会社法の規定以外にも、民法上の不法行為責任追及や、不正競争防止法上の差止請求、法人格否認法理などの判例理論が進むことも予想されます)

もっとも危惧されるべきは、郵便事業が絡む問題です。私の担当した事件でも過去に経験がありますが、郵便屋さんのミスによって裁判所からの特別送達郵便が届いていない、といった危険が考えられます。裁判手続においては、この「送達」というのがけっこう重要なところがありまして、送達がないと裁判は始まらないし、強制執行もできません。債権管理などにおいては、時効中断効が発生せずに、債権を消滅させてしまった、などというとんでもない事態も考えられます。間違えて郵便屋さんから受け取ってしまった企業が、きちんと郵便局に返送もしくは誤配の連絡をしていただければよいのですが、事務のほうでそのまま放置してしまったりしたら、えらいことになってしまいます。「不正の目的」まではなくても、同じ町内で同じ商号の株式会社が3つも4つも増えましたら、きっと債権者側に帰責性のない事件が発生することが増えるでしょう。

私は現在、4社ほどの法人代表者であった社長個人の破産管財人に就任しておりまして、この法人4社については破産開始決定申立がなされておりません。(つまり、まだ会社は生きております)ところが、郵便局は、私が何度抗議しても、「○○株式会社 代表△△」(つまり、私が受け取ってはいけない法人宛の郵便物)という宛名の郵便物を私の事務所へ転送してきます。(今後、この間違いによって私が弁護過誤を起こしたら、その責任は郵便局にもあることをあらかじめ申し添えます、という内容証明の警告文を送りました)これほど、郵便事業体のコンプライアンスがルーズな現実を受け止めると、もはや自己防衛としてのコンプライアンスを実現するしか方法はないようでして、ともかく△△宛の郵便物が当事務所に転送されてきた場合には、かならず事務職において宛名を確認し、企業名が先に付されたものはすべて封を切らずに転送する、といった行動規範を作りました。皆様方の企業におかれましても、郵便誤配リスク(送る場合も、受け取る場合も)は会社法現代化の時代において、増えることありましても、減ることはないものと思いますので、自衛手段は検討されたほうがよろしいかと思います。

さすがに、12月11日のビジネス実務法務検定1級試験では、会社法がらみの問題がまったく出ておりませんでしたね。そのかわりと言ってはなんですが、いきなりこの10月3日に施行されたばかりの動産譲渡公示制度や、集合債権譲渡担保、消費者保護関連法による広告規制問題など、ホットな話題が出題されていたようです。みなさま、お出来になりましたでしょうか?

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2005年12月10日 (土)

内部統制システム構築と企業価値

忘年会スタートということでして、昨夜あたりは遅くまで新地でブラついておりましたが、(来週がピークなんで、ブログ更新にも影響がでそうです・・・・・(*^0^*;)ノ  )とりあえず、お昼の間は「企業の長期的成功とコーポレートガバナンス」という日本取締役協会ほか主催によるシンポジウムに参加しておりました。(内容につきましては こちら をどうぞ)

皆様方の基調講演そしてシンポジウムを拝見しておりまして、それぞれの母体団体のコーポレートガバナンスに対する基本的な考え方を代弁していらっしゃるところもございましたが、私自身が常日頃から、企業価値論として考えていたところに、また「たくさんの」疑問が湧いてまいりまして、悶々とした気持ちで帰ってまいりました。

そんなかから、ひとつだけ疑問点について、備忘録として書き留めておきたいと思いますが、ガバナンスに関するどのような立場の経営者であっても、まずは「企業の持続的成長を願っているところ」に争いはございません。いわゆる日本の高度自由資本主義における企業の姿として、皆さんグローバル戦略をもちながらサステナビリティを追求しようとするところでは意見は一致しておりました。ところが、そっから先が、もはや見解の相違が始まってしまうわけです。いわゆる、会社は誰のものか(実質論)というものです。企業が10%の成長率を何十年も維持するためには、経営のパフォーマンスが下がった時点で、株主によって経営陣の取替えを可能とするようなガバナンスが不可欠とする立場と、会社は基本的には従業員のものであり、社会の経営環境の変化に迅速に対応できるよう、経営陣そして従業員が成長していかなければならない、株主による短期的利益の確保の要請とは相容れない、とする立場、そしてその中道の立場です。

三者の根本意見の違いが(ガバナンス論)として明確な差として出たところは、といいますと「社外取締役」の導入論でした。(ほかにもたくさんございましたが、きょうはこの一点だけに絞っております)「企業はステークホルダーのもの」と実質的に主張する論者は、「社外取締役導入は、わが社の経営コンサルタントとして1,2名来ていただくのが適切」とされ、「現経営陣は常に株主へ目を向け、その利益最大化への施策を図るべき」とする論者は「アメリカのように取締役のほとんどを(株主利益の代弁者としての)社外取締役とし、執行役との連絡として、1,2名の社内取締役を置くべき」とされ、そして中道路線の意見としましては「株主への説明責任を果たすために、会計や法律専門家としての立場の社外取締役を複数名、就任してもらうべき」といったものでした。どのお立場の経営者の方も、海外勤務の期間の長い、いわゆる「国際派」の経営者でいらっしゃいますから、日米の経営観の差、日本市場のあり方を認識したうえでのグローバル戦略、といったものを相当意識されたうえでの「社外取締役とガバナンスのあり方」論の対立なんですね。

ここまでの議論といいますのは、いままでにもいろんな会議でお聞きした内容と、それほど変わらないところでして、それほど「ワクワク」するようなものではありませんでしたが、「企業は従業員のもの」説にお立ちになっていた方のお話が、けっこう説得力がありました。企業が持続的成長を遂げるためには、経営トップが自ら「企業綱領、行動規範、倫理規範」を社員に示し、これを社員に徹底的に浸透させねばならない、とりわけ今後は経営にますます機動性、適法性が要求され、日本版SOX法の適用まで視野に入れて業務執行の適正を確保しなければならないので、そこへ企業の資源を投下する必要がある、といった内容のものでした。

たしかに、2007年に導入予定とされております日本版SOX法への各企業の対応というものは、おそらく多大な費用を投下する「内部統制システム」構築が必要となります。私が、会計士さんや、大学の先生、企業の方から教わっているアメリカのCOSOレポートを基盤としたシステムを前提とするならば、トップダウン方式で、トップのコミットメントの全社的浸透が不可欠のシステムでありまして、その評価には不断のモニタリングを含め、長時間を要するものであります。もし、このシステム構築の最中に、現経営陣とは異なる意見の経営者が突如現れたとしたら、そしてまた別の企業規範、コミットメントがその企業に要求されるとしたら、それまでの投下資本はまったく無駄になってしまうのではないでしょうか。金融庁が主導している「財務情報の信頼性」確保のためのシステムに限定される、ということでしたら、まだ矛盾は発生しないかもしれませんが、経済産業省や会社法あたりが想定しているところの「内部統制システム」つまり、会社の不祥事防止、コンプライアンス経営の徹底、経営陣の意思形成および意思伝達過程の適正確保あたりまでを視野にいれたシステム(現経営者の経営理念が従業員の行動に反映している、だからこそ不祥事発生の場合には、経営者は「知らなかった」とはいえない時代が来る、ということですが)ということになりますと、証券取引所や司法裁判所へ「システムを適正に構築した」と宣誓したり主張できるまでには、現経営陣の指揮による全社的、長期的取組が必要になってくることは必至であります。

株主の短期的利益と長期的利益を比較する、といったコトバの意味は、株主と経営陣との情報保有の非対称化の問題や、株主の判断の不合理性の議論に集約されてしまい、「議論することに意味がない」というのは、この1ヶ月ほど前にエントリーいたしました田中亘助教授のご意見であり、私もこれに与する立場でありますが、少なくとも、現経営陣と株主との間に「企業価値」算定のために必要な情報が「共有」されていない現実を受け止めるのでありましたら、やはり株主の利益代弁者としての「社外取締役」は必要ではないか、と思っております。ただ、だからといって「いつでも株主の意見によって現経営陣を交代させることのできる」ガバナンスというものが、これから来るべき日本版SOX法適用の時代に、そのまま説得力をもちうるか、というとまだまだ検討すべき課題が多いのではないか、と思います。エンロン事件が発生した2002年以降、こういった企業改革に積極的に取り組んでいるアメリカ企業の敵対的防衛策というものは、どのようになっているのか、また実際に企業改革への投下費用(これは人材の養成なども当然に含みます)は、買収防衛時における企業価値の算定にどのように反映されているのか、そのあたりが具体的に知りたい衝動にかられてまいりました。

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2005年12月 9日 (金)

不動産競売の民間開放について

つい先日、不動産競売(担保権に基づく)の執行手続を民間に開放して、換価処分の迅速化をはかる制度の検討が、法務省ではじまるような記事が掲載されておりました。すでに、ろじゃあさんや、JAPAN LAW EXPRESSさんのブログなどでも、詳細に紹介されております。(新聞記事はこちらです。日経ニュース

民間開放といえば、つい建築基準法上の確認申請手続きを行う「民間確認検査指定機関」を連想してしまいますが、ほかにも駐車違反を取り締まる民間業者とか、話題になっていますね。このブログでも二度ほど「公権力の民間移譲」について取り上げましたが、公権力を突如手にした民間人の「恐怖」(強権政治)といったものは、私自身が身をもって痛感しましたので、あまり良い印象を持っておりませんが、そういった主義主張は抜きにしまして、担保権実行による競売手続の民間移譲(民間開放)によって、どのような効果が期待できるか、問題点をすこし明らかにしてみたいと思います。

どうして、現状の不動産競売手続には、時間がかかるんでしょうか。(このあたりは、法律専門家の方向けではなく、一般の方向けに書いておりますので、細かいところは省略いたしますね)大阪の現状からしか、私は理解しておりませんので、全国的にあてはまるかどうかは、疑問ですが、まず絶対的に執行官さんの数が少ないこと。(執行官には職務の管轄というものがあるのをご存知でしょうか?たとえば豊中、箕面の地区の執行は○○さん、といった具合)たまたま、同じ頃にたくさんの執行事件が重なりますと、こっちは急ぎでも、執行官さんはなかなかやってきてくれません。執行調書や現況調査書の作成など、デスクワークもありますので、執行を申し立てたその日に執行してもらえる、というものでもありません。それから、不動産鑑定士さんの鑑定意見作成の問題や、入札までの裁判所の手続のスピードにも問題があるかもしれません。こういった問題点につきましては、民間開放によって手直しをはかれる余地が多分にありそうですから、一般的には迅速化がはかれるのではないでしょうか。

ただ新聞報道のように、どんなに頭の良い方が参集して、どんなに立派な新法を制定して競売制度の民間開放を図ったとしましても、「かならず」問題点として残ることが確実に思われる点がふたつほどあります。

ひとつは弁護士の大量増加時代の到来による「リーガルコスト」の増加です。想定されておりますのは(担保権の実行としての不動産競売)ですので、直ちに「明渡し執行」とは結びつきませんが、たとえば「現況調査」の段階から、債務者側に弁護士が代理人として就任して、執行官(的な立場の人)側へ法律上の問題点などを意見書として提出すれば、「買いたい」と思う人にはかなりプレッシャーになります。また現実の執行の場面において、ご承知のとおり、適法に明渡の妨害(言葉は悪いですが)によって執行を延期させることも可能ですし、入札段階で高値入札(→取下げ→保証金取り戻しの繰り返し。ただし複数人の協力者必要)によってこれまた入札を妨害することも可能です。(くわしい方法論につきましては、弁護士のモラル上の問題もあり、ここでは控えさせていただきますね。興味のある方は、ご自身でお調べください)刑事的な告訴などによって警察の協力を仰ごうとしても、これまた明確な証拠でもないかぎりは動いてもらうことは期待薄です。民法が改正され、民事執行法が債権者有利に改正された現代においても、なかなか「明渡の執行」を必要とする競売手続の迅速化は期待できないところであります。べつに悪者に手を貸す、といったことではありませんが、弁護士に執行終了までの時間かせぎを依頼して、その時間に土地を有効利用して多大な利益を上げるといったことも現実には行われているわけでして、民間機関側の代理人になることも含めまして、今後の弁護士の数が飛躍的に増加するなかでの「おいしい」領域に発展する可能性は高いものと思います。そういったことからすると、おそらく不動産競売手続へのリーガルコストの上乗せは避けて通れないところかな、と(私は)予想しております。

そして、もうひとつの問題が「談合」でしょう。破産管財人をやっておりまして、この不動産の売却に関しては、本当に誘惑が多いです。(法律事務所にやってきて、堂々と「うちに売ってくれたら、領収書のいらないこれだけのお金、先生にバックしますよ」みたいな話を平気でされます。なんでこんな勧誘がまかりとおるのか、不思議ですが)もちろん、競売手続が民間開放されましても、公正、公平な入札手続が維持されるでしょうが、応札には、ツワモノの業者さんがゾクゾク登場されるでしょうから、これまた民間人の「突然の公権力保持」の弊害は必至だと思われます。現状の裁判所による競売手続の遅延化が非難されてはおりますが、こういった「ツワモノ」相手に公正な競売手続が維持されているのは、そこに「裁判所」が直接からんでいるからでして、民間開放によっていくら担当者に「準公務員」的な立場が付与されるものであっても、民間機関のコンプライアンスには穴がかならずあくような気がいたします。(職員の給与がたいへんな高給であれば別ですが)

なお、アメリカのある州では、民間開放によって平均3ヶ月程度で執行を終了させている、とのことですが、このあたりはどうやって迅速化を図っているのか、海外の事情に詳しい方にご教示いただけるとありがたいです。おそらく警察の協力や、執行担当者への尊敬の念など、文化や国民性の違いが反映しているところも大きいのかな、とも思いますし、また命をかけて、執行に取り組む専門弁護士の職域のようなものなのかもしれません。

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2005年12月 8日 (木)

ACFE JAPANの会合に出席してきました。

きょうは、ACFE JAPAN(公認不正検査士協会 日本支部)のアドバイザリーコミッティーに参加するため、二週連続で東京に行ってまいりました。(日帰りなんで、懇親会出席後、最終の新幹線で帰阪しました)7月以降、日本でもCFE資格(公認不正検査士)の保有者はかなり増えているんですね。

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アメリカ、カナダ、イギリスについで世界で4番目に資格保有者が多いのが日本ということであります。これまでの資格保有者は実務経験や関連資格によるこれまでの業績などをアメリカの本部にて審査を受けて、認定された方ばかりだったのですが(実は私も現在資格認定のための申請中であります)、この11月に日本語による初めての資格試験が開催されております。(次回は来年2月の予定)公認会計士、公認内部監査人(CIA)とどこが違うの?といった疑問がよく聞かれますが、一番大きな差は、会計士、内部監査人の業務のような定例、継続的業務ではなく、企業内において、なんらかの不正の疑いのあるときに、非継続的に業務が開始される、といったものでして、また内部監査のような全般的な範囲にわたるものではなく、特定疑惑解明のために必要な範囲での検査、といった特色があります。

目的におきましても、監査のような「評価」ではなく、明確な「責任の所在の特定」ということでありますので、必要となるスキルも「財務」はもちろんのこと、それ以外の証拠収集のための不正検査技術なども要請されてきます。すでにアメリカにおきましては、CFE保有者は、3万人以上に上りますので、企業との対立のなかで、不正発見、および不正の疑惑の否定(疑惑不存在の証明、これもけっこう大切な業務だったりします)、といったスキルが発表されておりまして、これがなかなか興味深いところがあります。また、おもしろいのは、このCFEという資格は、会社内部における社員として活躍している方もいれば、法人や個人として、企業からの委託によるアウトソーシングとして活躍されている方もいらっしゃいます。

なんだか、探偵みたいな印象をお持ちになるかもしれませんが、実際に資格者の方と話をしておりますと、どちらかというと「話し上手、聞き上手」な方が多く、しかしながら心の中に「確固たる性悪説」を秘めているといったタイプの方が多いようですね。もし興味のある方がいらっしゃいましたら、またこちら(ACFE JAPANのHP)をのぞいてみてください。

ある委員の方とも話しをしていたんですが、「不正」の定義というのも、わかったようで、すこしわかりにくい表現ですね。「企業内部におけるコンプライアンス」といった方向で捉えますと、企業の倫理綱領やルール違反のようなものも不正に入りますし、もっと法令違反に近い概念でとらえますと「犯罪、不祥事」といった意味に近くなりそうですし。また、手続といった点を中心に考えますと、刑事訴訟、民事訴訟、行政処分手続、そして自主規制機関による審査手続など、その対応もさまざまです。アメリカの概念にならうのが筋だとは思いますが、日本独特の手続や概念を加味したうえで「不正検査」の範囲をある程度明確にすることが課題になるのかもしれません。

アドバイザリーコミッティ委員のメンバーは、よく法務、会計雑誌に寄稿されている話題の方が多いんですが、議事内容は非公開ということですんで、また新聞や雑誌の報道などでご覧いただきたいと存じます。

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2005年12月 7日 (水)

社外取締役制度に期待するものとは?

(12月7日午前 追記あります)

いつも勉強させていただいております葉玉検事さんのブログ(会社法であそぼ)でも話題になっておりますが、会社法施行規則77条、78条によりますと、株式会社が公開会社(上場会社にかぎりません)の場合、社外役員(社外取締役、社外監査役など)の活動状況についても、事業報告書に記載することになるようです。(現在パブコメ募集中なんで、また変更される可能性もありますが)また、この条文を読みますと、社外役員に関して開示すべき活動状況の内容もけっこう詳しくないといけないようで、社外監査役である私自身も、「役員会でなに発言したんだっけ?」「監査業務として、なにを提案して、どういった施策が実施されたんかな?」と思わず振り返ってみたりしております。

葉玉検事さんは、どんなに社外監査役の独立性要件を厳しくしたって、それだけで株主を守ってくれるとは言えないのではないか、やはり活動開示といった「縛り」を導入して、監視されている中での仕事に期待すべし、といった立場でいらっしゃるようです。

この葉玉さんのエントリーと同じ12月5日、経団連の経済法規委員会より、東京証券取引所の「コーポレート・ガバナンスの充実に向けた上場制度の整備について」に関するコメントが発表されておりまして(どちらかといいますと、同日に発表された敵対的買収防衛策規則へのコメントのほうが話題になっておりますが)、これまた東証のガバナンス報告制度の骨子に対する批判などが盛り込まれております。どうも東証は「取締役、監査役の独立性」が望ましいガバナンスであるかのような前提に立って、これを推奨しているように思えるが、そもそも独立取締役導入企業の有効性がなにも実証されていない現状においては、こういった前提に立ったうえでの報告制度は投資家に混乱を招く、といった論調であります。

こうやって、あらためて「社外取締役に期待されている役割」を考えてみますと、論者によって少しニュアンスの違いがあるのではないか、と考えさせられます。(とても面白い論点のように思えます)葉玉検事さんの期待する社外取締役の役割というのは、いかにも会社法の立案担当者らしく「株主価値の最大化」(このフレーズ、先日 辰のお年ご さんからは、安易な解釈論につなげるような不用意な使用法は慎むべし・・・とイエローカードを出していただいたところですが)といったところになるんでしょうか。ちょっと私の使用法が適切でないかもしれませんが、普通に用いられるところの「企業価値の向上に資するものでなければ(社外取締役導入は)意味がない」ということになろうかと思います。一方、経団連の先のコメントは、もうすこし意味がはっきりしているようでして、社外取締役を導入することの「有効性」は、企業業績の向上に資するという意味で捉えられており、その期待するところが、業績向上というところに向けられているようです。

バイブルのように参考にしております「会社法の経済学」(東京大学出版会)の82ページ以下では、80年代以降のアメリカ企業における社外取締役導入後の経営業績というものを、計量分析を中心として実証研究された結果が紹介されておりまして、その結果によりますと、あまり社外取締役導入企業の経営実績へ優勢というものは見当たらない、ということのようです。社外取締役導入企業や委員会設置企業の経済的パフォーマンスへの効用といったものが、今後実証されるような事態になれば、また経団連の考え方もすこし変化がうかがわれるのかもしれません。

私個人の意見は、といいますと、現時点においては社外取締役の活動開示まで進まなくても、導入することだけでもかなり有効性は期待できるのではないか、と思っております。そもそも、経団連のいうところの「有効性」とはすこし意味が異なるかもしれませんが、ガバナンスの変革によって、少なくとも「企業ぐるみの」不祥事を防止する、といった観点から企業の意思決定に影響を与えうる意義は大きいのではないでしょうか。これは「独立性」の要件が多少あいまいであったとしましても、会社の戦略会議、取締役会、常務会などの会合に「よそ者」が積極的に関与することで、会合の雰囲気が変わることについては、私の経験上はかなり期待できると思っております。その社外役員がうるさいかどうか、にかかわらず、もっとも回避すべき「不祥事発生」の事態は防止しうる可能性は高いと考えます。(なお、こういった実証というものは、そもそも不祥事が発生してみないと効果のほどはわからないわけですから、困難ではありますが)

さらに、もうひとつの理由は、社外役員(とりわけ社外取締役)を導入する、といった企業トップの決断は、「企業行動指針の実現」という意味で企業の内外にトップのコンプライアンス経営を標榜する姿勢の「またとない表明の機会」になる、といったことです。大きく会社の組織を変革していこうといったケースで、社員に変革の決意を認識させるためには、こういったトップのコミットメントを裏付ける行動が説得力を増すことも、よく経験するところであります。たしかに、この程度では「株主の利益は守れない」といったご批判を受けるかもしれませんが、社内における不祥事防止、業務執行の仕組みを変更するといった行動も、長い目でみれば、企業価値の向上に資するのではないか、と思っています。この問題点につきましては、いろいろな立場もあろうかと思いますが、(社外取締役ネットワークの一員といった立場も影響しているかもしれませんが)OJTのなかにおきまして、適任者が育ちうるような環境を作っていただきたいと願うものであります。

なお、会社法施行規則にあります「社外役員の活動状況の開示」でありますが、これも基本的には、私は賛成であります。投資家への情報といった意味だけでなく、敵対的買収防衛策の発動について、その適法性を裁判所が判断したり、取締役会の意思決定自体に経営判断の法理が適用されるかどうか裁判所が判断する場合など、会社における重要事項の判断の適否を「手続的」見地から考察する場合には、こういった社外役員の活動状況が大きな意味をもってくる場面というものも想定されるのではないでしょうか。このあたりは、私自身、まだ考えがまとまってはおりませんが、株主による(もしくは投資家による)監視といった意味以上に、社外役員の活動状況自体が問題となる場面が今後は増えるのではないか、と予想しております。

(追記)

ふだん、あまり朝日ニュースはチェックしておりませんが、東証が黄金株を一転して容認する方向にあることが報じられています。

黄金株を一部容認へ 東証(朝日ネット)

こういった記事は通常、日経ニュースが一番に報道されるはずですが、現在までのところ日経にも読売にも、同様の報道はありません。詳しい経緯が待たれるところです。この記事で気になりますのは、上場の際、というだけでなく、上場中の企業についても、株主総会による消却条項などを条件に認める、という方向だそうで、このブログでも「東証の規則制定権」の根拠など、いろいろと議論してまいりましたが、なにが方向転換の要因となったのか、更なる議論も必要かもしれませんね。

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2005年12月 6日 (火)

監査法人ランク付けと弁護士専門認定制度

昨日のエントリー(監査法人のランク付けは可能か)に対しまして、たくさんのコメント、ありがとうございました。KOHさんにご紹介いただいたPCAOBのレポート、たしかにランク付けではございませんが、けっこう詳細な監査法人への調査報告がなされているようで、ビックリいたしました。皆様のコメントを総合いたしますと、「建築確認審査と異なり、会計監査は裁量の幅が広く、客観的な審査になじまない、よってランク付けは困難」「客観的なランク付けを可能とするような人材がいない」「客観的なランク付けが可能であったとしても、その費用が膨大である」「寡占化をますます急進させる」・・・といったところ、のようです。かなり私的には納得いたしましたが、それでは「監査の監査」というものの効果は結局のところ、何者によって品質が評価されるのでしょうか。「資格保有者による会計監査人の審査は間違いない」といった信頼の基礎と同じレベルの基礎のうえに成り立つのでしょうか。それでは「儀式」と揶揄されてもいたしかたない、ということなのでしょうか。このあたり、私が大阪弁護士会の厚い壁によって弾き飛ばされております「弁護士専門分野の認定およびその紹介制度」の議論と非常によく似ているように思います。(正確には、はじき飛ばされておりますのは、私ともうひとり、業務改革委員会の副委員長さんですが)

業務改革委員会の委員としまして、商工会議所の理事の方々と懇談しておりますと、

「なんで弁護士はんは、自分らの専門を広告しないんや。わしら、あんたらの『ご専門』が知りたいんやで

俺はこれが得意やから、ええ仕事しまっせ!って、何で言わんのや。いつまでも敷居の高いままとちゃうか?」

と毎年のようにつつかれます。「ハハぁ、ごもっともでございます」と(言ったか言わないかは定かではございませんが)、私どもは弁護士会に戻り、さっそく「弁護士専門認定制度」などを構想し、専門認定手続や、その広報などを検討するわけでありますが、いろいろな委員会や役員の人たちから(誰、とは申し上げませんが)

「弁護士の専門や得意分野って、誰様が認定すんねん。そんなレベルを評定できるような高邁な弁護士がおるんかいな。ひょっとしておまえらか?(冷笑)」

「弁護士が得意分野や専門分野を広告するなんて、『金儲け第一主義』とちゃうか?なんと品のないことやろか。そら、市民から軽蔑されるだけやで」

「大阪には、市民や企業へ弁護士を紹介するところが、公式にあるんやから、なにも業務改革委員会がしゃしゃりでんでもええがな。そんな肩肘張らんでもよろしいがな。な、ゆるりと、ゆるりと。」

「弁護士会が(この弁護士は専門がこれです)と広報して、依頼者とトラぶったらどないすんねん。弁護士会が責任とるんか?」

とまあ、コンサバなご意見に押し切られ、我々中堅の弁護士の構想は毎年見事に、陽の目を見ないままに、次年度へ繰り越し続けられているような次第であります。(なお、弁護士会よりお叱りを受けるとブログの続行に支障を来たしますので、念のため申し添えいたしますが、もちろん私どもの構想に賛同していただいている会員の先生方や委員会もございます。上記発言内容につきましては20%程度値引きしてご認識ください。また、東京第二弁護士会は、某大手企業を模範として、弁護士広報活動を成功裡に展開しておりまして、最近は大阪でも東京の法律事務所の広報へ向けた計画をお持ちのようであります。東京などは、もっと割り切っておられて、営業やりたきゃ、自分の事務所でやったらいいじゃん、といった印象を持っていましたので、その組織力や、とても意外に思えます)

依頼者の企業にとりまして、比較的実力の差が認識しやすい「弁護士」と、監督官庁があり、100点をとって当たり前、誰も100点とっても褒めていただけない「会計監査人」(管理会計や税務といった場面ですと、会計士さんも実力の差が出るのかもしれませんが)とは、若干、状況は異なるのかもしれませんが、その実力のほどをオフィシャルに公表したり、専門分野や得意分野を誰かが認定して公表するといった制度は、実際のところ、資格保有者にはなじまないのかもしれません。司法試験も公認会計士試験も改正され、どちらも大量の合格者が見込まれて、大増員時代が到来するなかで、いつまでもその「職業倫理の神聖化」を背景にした企業とのおつきあいでは、企業情報の適時開示、消費者契約法など、企業の商品価値を一般市民に情報提供している時代の流れにそぐわないのではないか、とすこしばかり疑問を抱いております。

※ 実は「不動産競売の民間開放検討(法務省)」といった記事が目につきましたので、そっちをエントリーしようかと思ったんですが、どうも前フリで書き始めた上記「つぶやき」が長くなってしまいました。また、コメントをいただいた方へはあらためて、お返事差し上げます。月曜日のアクセス数 1711 どうも、ありがとうございました。(最近、コメントをいただく数が増えましたが、ココログのコメントは最新10個しか表示されません。せっかくコメントをいただきながら、すぐに消えてしまった方、申し訳ありません。これ、どうにか20個くらい、表示されるような仕組みってできないんでしょうか・・・・・)

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2005年12月 5日 (月)

監査法人のランク付けは可能か?

「セレッソの悲劇」から一夜明けまして、日曜日の朝からコタツでみかんを食べながら、つらつらと新聞を読んでおりましたが、日経と読売の「耐震強度偽造問題」に関する一面記事から、またふと疑問が湧いてまいりました。

新聞記事よりも簡略化されておりますが、記事の概要は以下のとおりであります。(いずれの記事も、詳細は12月4日の朝刊一面に掲載されております)

耐震審査、石綿検査、いずれも不動産取引時に開示へ(日経ニュース)

国が民間検査機関を格付け 問題機関は全棟検査へ(読売ニュース)

日経のニュースにつきましては、国が行政責任を果たす、ということは、おおよそこのような管理手法を採用することで落ち着くのであろう、と予想される範囲内のものであります。企業不祥事が発生した場合や、今回の耐震強度問題の検査機関の検査ミスが明確になった場合、つぎなる不祥事防止策としましては、①刑罰、罰則による社会的威嚇②対象企業による自浄作用の督促、審査(自主改善策)そして③管理の強化、といったあたりだと思いますが、(語弊をおそれずに申し上げるならば)もっとも容易な防止策となるのは、「管理の強化」ということだからであります。たとえば、民間検査機関による「検査」をさらに「検査」する機関を設置する、といった手法です。より上位の検査機関というものを国が責任をもつ、ということであれば(公共団体もしくは民間としての)別組織を設置することになるでしょうし、国民の自己責任に委ねるといった方向に向かうのであれば、「検査内容の開示による買主の検査」といった手法がとられることになるのは、ほぼ予想がつくところであります。

しかしながら、読売一面のニュースが真実であるならば、これはちょっと「異質」であり、この耐震偽装問題への国土交通省の対応は、かなり本腰を入れたものである、と私は勝手に評価をしております。といいますのも、いままでの私の認識では、検査機関による不祥事を防止するための「問題先送り」もしくは「行政責任追及の回避手段」として、管理強化という制度は用いられるものであって、検査機関の検査が適正であることを審査する別機関を設置するところまでで足りる(世論からの非難を回避することができる)、といった解決方法で一区切りをつけるのではないか、と考えていたからであります。この考えの根底には、監査というものは、そこに携わる人のスキルや職業倫理への尊敬の念が先にあるわけで、これは疑ってはいけないものであり、信頼の擬制のうえに成り立っている「儀式」である、との認識があるからです。ところが、民間検査機関の検査自体にランクを付ける、ということは、これは単なる儀式ではなく、「ケンカを売る」に等しいほどの厳しい仕事を、国土交通省自らしょいこむ覚悟でないとできないように思います。単に、世論の責任を回避する、といったヤワな対応ではなく、本当の意味で「検査の質で勝負する」意思を明確に表明するに等しいものではないでしょうか。私はこの記事を読みまして、ちょっと感動いたしました。

ひるがえって、金融庁(公認会計士・監査審査会)や、公認会計士協会による監査法人への監査対応はいかがなものでしょうか。会計士協会による品質管理基準の強化や、監査審査会によるレビューの強化というものは発表されておりますが、公開するしないにかかわらず、検査の結果、監査法人にランク付けを行う、といったことは発表されたことはないと思われます。(まちがっておりましたら、ご指摘いただければ幸いです)あれだけカネボウ粉飾事件に関連する中央青山監査法人の行政処分の行方といったものが問題となったにもかかわらず、今後の不祥事防止対策というものは、これまで以上の「監査法人への監査」を行うといった一連の対策以外には打ち出されていないのではないでしょうか。つまり、いまだに監査法人に対する(会計士協会もしくは金融庁の)監査行為自体の品質は、疑いの余地ないほどに信頼性の高いものであり、異論をさしはさむ余地のないものという「擬制」が成り立っている神聖不可侵な領域ということになろうかと思います。しかし、先にあげました国土交通省の「心意気」をみた後での感想としましては、どうも本気で企業会計の信頼性を回復するための意識があるのかどうか、心もとないと感じるのは私だけでしょうか。本気で、市場活性化、投資家保護のために会計監査人の不祥事の再発防止を進める気持ちがあるのであれば、ここらでひとつ公認会計士協会、もしくは金融庁による「監査法人の品質ランクを5段階で評価する」といった手法を監査内容として取り入れるべきではないでしょうか。こういった評価を行うだけの力量があることを内外に示すことで、監査法人を監査する者の責任が自覚されますし、たんなる「儀式」でないことも社会的に納得されることになるはずです。また、そもそも監査手法としては、リスクアプローチが採用されるはずですから、問題が大きそうな監査法人に対して重点的に監査を行うことが合理的でしょうから、こういったランク付けは監査の手法としても非常に合理的だと思われます。

ちょっと会計士さんから、叱られそうなエントリーになってしまい、ご立腹の方もいらっしゃるんじゃないかと思いますが、部外者である素人の素朴な疑問として受け取っていただけますとありがたいところであります。ただ、こういった疑問は、2週間ほど前に読みました「企業会計」12月号の「論壇」にて、慶応大学の黒川行治教授が発表されておりました論評の内容に基礎を置くものであります。(「会計・監査社会の変容のインプリケーション」企業会計12月号「論壇」4ページ以下)企業会計審議会の委員でいらっしゃる黒川教授自ら、監査の強化は、監査の儀式化をむしろ強化してしまう、といったことを明確に述べておられ、この論評、会計問題に素人の私には非常に参考になり、何度も読み返しているところであります。黒川教授は「ランク付け」などといった過激な提言をされているわけではございませんが、「監査を監査する」ことの行き着くところ、その信頼性の担保をどこに置くか、といった問題は、おそらく企業会計の専門家の方々にとりましても、これから避けては通れない問題ではないか、といった認識を、この論評を拝読させていただき、強くした次第であります。

(土曜日アクセス 777 日曜日アクセス 893 毎度ながら、私のブログはお休みの日のアクセス数は半減しておりますが、お休みにもかかわらず、閲覧ありがとうございました)

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2005年12月 4日 (日)

敗軍の将、「法化社会」を語る

今週の日経一面では「法化社会 備えはあるか」と題する記事が連載されています。また、NBL12月1日号では、巻頭記事として久保利弁護士が、「企業法務と法曹の2007年問題」のなかで、再来年に到来する弁護士大増員時代と「法化社会の現実と未来」について解説をされています。最近、このような法律家(弁護士、司法書士、行政書士など)の数が増大することによる企業のリーガルリスクに警鐘を鳴らすような記事をよくみかけます。たしかに、5年後には法曹(弁護士、検事、判事)だけでも年間3000人を輩出することになるわけですから、我々弁護士としましても、「パイの取り合い」への危機感がないと言いますとウソになります。ただ、増員問題がそのまま企業社会へ大きな影響を与えるかどうかといいますと、私個人としては、あまり切実なイメージを抱いておりません。

私は3年前、大阪弁護士協同組合の業務改革委員会委員長に就任しまして、毎年2回ほど大阪商工会議所と共催で「法律講演会」を開催し、その責任者をしてまいりました。そして、この10月に、商工会議所への3年越しのアプローチで、ようやく私のかねてより構想しておりました「弁護士と商工会議所会員企業とのお見合い会」が開催される運びとなりました。弁護士側から、みずからの関心分野や、経歴などをアピールしてもらい、企業さんとのつながりを深めていただき、その業務拡大を支援する目的で開催したものです。弁護士会でも話題になりました。「お見合い会」終了後に大阪商工会議所側の参加企業さんのアンケート回答をみて、そこそこ期待したとおりの成果を出したと思って安堵しておりましたところ、先週、協同組合事務局より集計結果の出ました「参加弁護士側のアンケート結果」を見ますと、目を疑うばかりの厳しい評価でした。「先輩弁護士の引き立て役に回された。若手は断然不利である」「非弁提携の勧誘や、弁護士相手の商売に来た人ばかりではないか」「タダで法律相談をさせられた。貴重な執務時間を割いてきたのに、あきれた」などなど。とても悲しい気持ちになりましたが、双方の人数調整ばかりに躍起になり、発生しうる事態が十分想定できなかった私にすべての責任があります。期待を裏切ってしまった若手、中堅の参加弁護士の方には、本当に申し訳ないことをしましたし、次回は反省点を改良したうえで開催したいと思っております。

ただ、私への自戒も含めて、参加していた弁護士の方がたに向けて苦言を呈したい部分もございます。たった1回のお見合いで顧客がとれるほど社会は甘くないんじゃないでしょうか、と。どなたかの紹介で事務所へ来られた依頼者と、同じ感覚でお見合い相手企業とお話されたのではないですか、と。

一般に「法化社会」といった表現が使われますと、「企業こそ変わらなければならない」といった論調ばかりが目につきますが、私は企業とともに、法曹も当然に変わる必要があると思っております。そうでないと、冒頭で述べたように、(法曹人口を増やせ、といった経済界からの要望とは裏腹に)現実の社会からは、なんの弁護士増員受け入れへの準備もないままに、法曹人数ばかりが増えてしまい、行き場を失う可能性が高いのではないでしょうか。

この10月に新しく大阪弁護士会に入会された58期のある新人弁護士さんの「自己紹介」記事の一部を以下に紹介いたします。私はこの記事を読んでハッ!と思いました。私が10年ほど弁護士をやって、やっとわかったことが、すでに弁護士になるときに気づいている、ということにたいそう感激いたしました。

引用開始

「以上趣味について述べて参りましたが、最後に自分がどのような弁護士になろうと思うかについて触れたいと思います。正直働き始めたばかりであり具体性をもっては言えないのですが、少なくとも虎の威を借る狐のような弁護士にはなりたくないです。狐は自分です。虎はこれまでの先輩方が積み重ねてこられた弁護士への信頼です。依頼者の方や被告人は私を尊重して話をしてくれますが、それは私を信頼しているからというよりは弁護士という職業を信頼してくれているからです。修習生の時、数こそ少ないもののそのあたりのことを勘違いしているとしか思えない先生や修習生に出会うことがありました。見苦しいと思いました。もちろん意図的に虎であるかのように振舞うべきときもあるとは思います。しかし、たとえそうでも心の中で自戒は忘れず、少しずつでもいいので成長していき、いつの日か自分の行動が弁護士に対する信頼を増加することになる、そんな弁護士を目指したいと思います。・・・・」

引用おわり

おそらく、私は、弁護士になって10年ほどは、この「見苦しい」弁護士の部類に入っていたと思います。あんなに苦しい思いをして司法試験に合格したんですから、すこしぐらい虎になっても社会は許してくれる、と当然のことのように思っておりました。しかし、それは人間としての成長をとめ、商売のうえでも、職業上のスキルのうえでもマイナスに働いたことは自明のものであります。

なにも、企業のまえで「へりくだる」ような弁護士を推奨するわけではありません。しかし、これから企業に信頼される弁護士を目指すにせよ、また企業に恐れられる弁護士を目指すにせよ、「左脳」と「右脳」をバランスよく育てる法曹養成は絶対に不可欠です。弁護士に必要とされるのは「論理力」だけではなく、人のこころのわかる「直観力」、そして自分を理解してもらう「表現力」は必須の条件です。「法化社会」におけるリーガルマインドとは、こういったすべての能力を含むものと私は考えております。そういったリーガルマインドを企業が必要と思ってくれれば、報酬を1億円要求してもいいかもしれませんし、またそういったリーガルマインドを企業が恐れるのであれば10億円の和解を引き出すこともできるかもしれません。
監督官庁のない弁護士という職業人が、この「法化社会」で自ら変わることが果たしてできるのかどうか、評価は世間の目にかかっております。


きょうは月1回の社外取締役ネットワークの関西研修会に参加してまいりました。EU会社法を受け入れた欧州各国の事情と、「もし、楽天がTOBに踏み込んだとしたら、事態はどうなっていたか」という二つのテーマについて、非常におもしろい議論が続きました。海外勤務の長かった方が多いので、この会合は私の知らない世界が聞けて、刺激的です。またエントリーの題材が増えました。(昨日のアクセス数 1747 どうも、ありがとうございました)

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2005年12月 2日 (金)

コンプライアンス・オフィサー フォーラム

大阪で裁判終了後、速攻で東京へ出掛けまして、第一回の公認コンプライアンスオフィサー フォーラムに出席してまいりました。「ご招待」だったことは、到着して初めて知りました。場所はKDDIホール(けっこう東京駅から歩くんですね)です。現時点でたしか資格者は107名程度だと思いますが、出席者が70名を超えておりましたので、けっこう出席率が高かったようです。年代は30代から50代まで、さまざまですが、やはり圧倒的に男性が多いですねぇ。こういった資格者は、使命感をもってズバっと社長に進言できる気概を必要としますから、むしろ女性の資格者がたくさん増えることを(個人的には)期待しております。

憧れの 秋山をね さん(株式会社インテグレックス代表取締役 日経ウーマン・オブザイヤー 2005大賞受賞)とも、しばしお話ができましたし、またこのブログを通じてメールやコメントを頂戴しておりました方とも多数、ご挨拶をさせていただき、あっというまの3時間でございました。(本当に、レセプションの時間が短いと感じまたけど、東京まで出掛けてよかったと思っております)「金融腐食列島」のモデルである作家の江上剛さんのお話は、ちょっと弁護士の私には耳が痛いところもございましたが(出席された方はお分かりですが)、このコンプライアンス・オフィサーという資格が、企業横断的なものになるよう資格取得者が努めていかねばならない、という方向性が明確になり、今後も多数の方がコンプライアンスオフィサー、コンプライアンスマネージャーの資格を取得され、プロフェッショナルとしての資格に発展することになることを願っております。また、こういった資格は倫理を含め、継続研修は不可欠と思っておりますので、関西方面での研修会など、企業の枠を超えて、自主的にでも進めていきたいですね。

立ち話でしたが、すでに従業員として(もしくは執行役員として)、社長に対してまっとうな意見を述べたために、衝突のうえ退職された方が3名いらっしゃいました。私なんか、衝突して解任されましても、自分で食べていくことができますが、長年務めてこられた企業を退社する気概をもって意見を述べる、というのが本当に厳しいものであることが十分理解できました。それから、意外だったのは、この資格取得者は法務部、総務部の方だけでなく、けっこういろんな部署の方がとられているんですね。(内部統制とか企業法務をいつ勉強されたのでしょうか?不思議です。)

12月4日、第三回のオフィサー試験、初めてのマネージャー試験が開催されますが、大阪で受験される方も、かなり増加しているとのことで、皆様どうか頑張ってください。関西でも資格者が増えますと、事務局さんのほうで「関西企画」を考えていただけるかもしれません。(だいぶ先かもしれませんが・・・)
実に楽しかっですし、刺激になりました。また、この会合には是非参加しますね。認定機構事務局の方、どうもご苦労さまでした。

(昨日のアクセス数 1893 どうも、ありがとうございました)

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2005年12月 1日 (木)

楽天・TBS「和解」への私的推論

1ヶ月半の攻防の末に、楽天とTBSが業務提携の道を模索するため、「和解協議入りに合意」されたようであります。三枝会長と堀江社長の固い握手、のようなものはなく、双方個別に記者会見に応じたところをみますと、まだまだこれから「協議」が開始されるといった程度の「覚書」締結だった、ということでしょうか。

私も、大阪弁護士会の民事紛争処理センターで、すでに4年ほど調停斡旋委員を務めております。(正確には示談斡旋人)この調停斡旋という職務はけっこうスキルを要します。私も就任当初は両当事者の言い分を聞いているうちに、「これは要求に開きがありすぎて無理やわぁ」とすぐに投げ出してしまい、調停不成立で終わらせてしまったケースが多かったんですが、いろいろと当事者の言い分を聞く「コツ」を習得するに至りまして、ここ7件ほどは連続して「和解成立」に持ち込んでおります。簡単にスキルを説明するのもムズカシイのですが、①当事者の話を納得するまで、とことん聞いてあげる。悩みがあれば、当事者と同じレベルで悩んであげる、解決策を真剣に考える姿勢を見せてあげる②どっちの言い分が裁判では認められやすいか、法律論が通りやすいか、証拠や判例などをきちんと調べてあげて、双方に「中立第三者」としての立場での意見をはっきりと示す③譲歩することが、一方においては絶対に無理な部分と、それほど無理とは思っていない部分を整理して、その組み合わせを検討する(つまり、一方が勝ったと思って重視しているのに、相手はそれほど負けたと評価していない譲歩ポイントがあれば、それを有効に活用する)といったあたりでしょうか。あとは、和解をすることで、双方が勝者になれる、といったイメージをうまく説明するのも、調停斡旋の妙味かと思います。

そこで、このたびの楽天とTBSによる「和解協議入り合意」の評価でありますが、いろいろなブログで意見が述べられているようでして、楽天の一方的な敗北とか、これからが勝負とか、論じておられる方も多いようです。しかし、この合意に至る直前に、双方の臨時取締役会で「和解協議入りに合意すること」に対する決議がなされているわけですから、双方とも、合意に至ったことを株主に説明がつくもの、と判断しているわけです。つまり「WIN-WIN」の関係でとりあえずは休戦協定が締結された、というところではないでしょうか。

  楽天がTBSのホワイトナイトになる

それではなぜ、双方勝利、といったことで説明責任を尽くすことができるのでしょうか。(すくなくとも私的には)ここでは「みずほコーポレート銀行による和解仲介」が重要なポイントになると推論しております。「貸し株」や「株式の信託」といったテクニカルな部分につきましては、誰かが考えれば容易に利用できるスキルかと思いますが、M&Aやアライアンス戦略に強いMIZUHOの登場は、来年以降の外資による企業買収対策を念頭においた双方企業の和解(少なくとも事業提携、あわよくば事業統合)のポイントになるはずです。いわゆる「災い転じて福となす」作戦です。TBSは、放送法の改正問題こそあるものの、外資による買収対象となる可能性があることはご承知のとおりです。ここで体力を使い果たすよりも、楽天に一定株を保有してもらっておきながら、事業提携によって企業価値を高めることは得策ですし、またMIZUHOの情報力をもって、防衛策に活用することができるのであれば、現時点における和解協議入りへの譲歩としては首肯しうるところであります。いっぽうの楽天におきましても、「事業提携→事業統合の可能性」といったスタンスを内外に示すことによって買収費用の予想がつきにくくなることから、外資対策になりますし、今後TBSへの第三者による買収攻撃が発生した場合(TBSが窮地にたった場合)には、ホワイトナイトとなって、希望通りの通信と放送の融合を図れるチャンスが到来いたします。ただ、そういった希望的観測だけでは、たしかに株主への説明責任を尽くすことはできないでしょうが、ここにMIZUHOによる「戦略面での価値ある情報」を入手することができる、という特典がありましたら、今後TBS株式の議決権を凍結してでも、譲歩して「事業提携」の成果を作っていくメリットは出てまいります。つまり、来年以降「不確実だが、どちらかの企業に起こりうるリスク」を回避するために、MIZUHOが介在することによって、どちらかの最悪のリスクを救済し、かつもう一方が、譲歩以前の自社の要望を貫くチャンスを与えられるといった構図が成立いたします。また、この和解協議入りの合意にMIZUHOが絡むことによって、今後の銀行収益の目玉とも言われている投資銀行業務への大きなステップがMIZUHOに生まれることとなり、これはまさに昔の近江商人の「三方よし」の精神を描いた和解内容といえるのではないでしょうか。したがいまして、この「三方よし」の精神を実現するためには、報道記者の前で「にこやかに握手」といったパフォーマンスを演じるのではなく(フジテレビ・ライブドアの場合と異なり)、TBSと楽天はさまざまな事業提携の具体策を実現し、公表するといったパフォーマンスが要求されるものと予想しております。

新聞報道では、みずほコーポレート銀行は、双方企業の取引先であり、このまま話がこじれてしまうと、取引先を失う可能性があるから、とか、三木谷社長の先輩だからなどと「もっともらしい」言い訳で仲介役を果たしたような論調が目立ちますが、そんな理由からでは和解協議入りの合意について、株主への説明責任を尽くせないと思われますし、合意に至る動機にはならないのではないでしょうか。そこには、やはり「投資銀行」としての重要な役割が潜んでいるからこそ、双方が合意に至った動機が生まれたものだと推測しております。

なお、上記のお話はすべて、(調停斡旋委員としての経験に基づく)私の空想による推論でして、事の真偽は不明であります。もし、まったく事実が異なっておりましても、「あほんだら!ウソばっかコキやがって!」と非難されませぬよう、お願いいたします。(昨日のアクセス数2143 どうもありがとうございました)

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