会社法における「内部統制構築義務」覚書(1)
新しい会社法の書籍を読んだり、施行規則を読んだり、また関連ブログを参照したりしながら、会社法における「内部統制システム構築」に関する法的論点について検討をしておりますが、まだまだ考えがまとまらず、とりあえず覚書程度にメモしておきます。(東証のシステム障害に関するエントリーへコメントいただいた方へのお返事は、もうすこし「利益返上」の協議が進んだ時点においてさせていただこうか、と思っております。どうもコメント、ありがとうございました)
ともかく実務家としての大前提は、「内部統制システム」という抽象的な言葉自体が、いろいろな方面で使用されておりますので、とりあえず「金融庁企業会計審議会」におけるものや会社法におけるもの、などきちんと区別して使用することが肝心なようです。そこで、とりあえず、ここでは会社法で一般的に使用されている意味で議論する、と決めておきます。
以前のエントリーのなかで、とーりすがりさんにコメントをいただいた内容や、最近の「会社法であそぼ」(葉玉検事さんのブログ)の内容などを拝見していて、「内部統制システム構築義務」といった言葉には、二つの意味があるようで、それらをハッキリさせておいたほうがよさそうですね。ひとつは、ダイレクトに法342条4項5項や法362条4項5項などから導かれるところの取締役個人には委任できないところの「内部統制システムの整備に関する決定」(もしくは決定義務)の範囲に含まれる「内部統制システム構築」。そしてもうひとつが、取締役の会社との間における善管注意義務、監視義務から直接派生してくる「内部統制システム構築」の問題です。前者の議論は、取締役会(もしくは複数取締役の協議)レベルで全社的統制システムの基本方針の決定および実際の構築システムの評価作業の履行の有無に関する論点であって、この義務違反と善管注意義務違反とは、直接的には結びつかないようです。(と、私は考えておりますが、いかがでしょうか)いっぽう後者の議論については、そもそも取締役の監視義務というのが、ほかの取締役の執行行為だけではなく、一般社員の不正行為防止といった従業員レベルまでの監視義務を根拠にしているために、かなり広範囲にわたる「内部統制システム構築義務」を認めることになるのでしょうか?(ただし、善管注意義務との関連性がありますので、(特定の取締役に義務違反が認められるかどうかは)対象となる取締役の具体的な立場などによって、個々具体的な判断が必要になってくるものと思われます)
とーりすがりさんも指摘されているとおり、これまでの「取締役の監視義務」の根拠というものは、取締役会の各取締役の職務執行に対する監視機能のようなところから導かれるのが一般的だったと思うのですが、このたびの会社法によって、有限会社を株式会社に取り込んだり、機関設計の柔軟化によってかなり広く非取締役会設置会社が認められるようになったために、「監視義務」といったものが取締役会の機能とは別個独立に議論されるようになったところがひとつの重要ポイントになってきたように思います。また、こういった会社法の条文解釈と、関連する政省令との整合性にも留意する必要がありそうですね。
それでは、具体的に従業員の不正行為を見逃したために会社に大きな損害が発生した場合の、取締役の責任をどのように追及すべきか、とか取締役の善管注意義務から導かれる内部統制システム構築義務と、監査役の監査義務の関係、そもそも監査役の適法性監査の対象となりうるか、などまだまだ議論すべき点がありそうですが、これはまた後日、ということにさせていただきます。
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コメント
会社法での、内部統制構築義務の明文化により、この論点が議論されるのは、必然かと思われます。
まだ、法解釈も固まっておりませんし、立法を担当した江頭先生の書籍も出版されておりませんので、あくまで、現段階での私見という形で、本論点に関する見解を書かせて頂きたいと思います。
改正前の商法においては、委員会等設置会社に関する平成14年改正まで、内部統制構築義務は、条文上規定されていませんでした。したがって、内部統制構築責任を取締役会に課すためには、善管注意義務又は忠実義務という一般条項を使い解釈をせざるを得なかったというのが、実際のところではないでしょうか。
これは、ご存知の通り、あくまで抽象的法令違反ですから、その内容は明らかではなく、こういうシステムを構築していなければ内部統制構築義務違反に当たるということがいえないの事情があったはずです。内部統制構築責任を認めた点で画期的といわれる平成12年9月20日の大和銀行事件大阪地裁判決においても、あくまで「目的とする事業の種類、性質等に応じて生じる各種リスク、例えば、信用リスク、市場リスク、流動性リスク、事務リスク、システムリスク等の状況を正確に把握し、適切に制御すること、すなわちリスク管理体制(いわゆる内部統制システム)を整備することを要する」と判示するにとどめ、具体的な要件等は示していないのです。
この判決文の内容を見ると、判例お得意の特段の事情論と同じで、事案ごとに個々具体的に認定していこうという姿勢といわざるを得ません。
そして、当然、日本の裁判制度を前提とする以上、民事訴訟における弁論主義のもと、法律構成は原告側訴訟代理人の法律構成の影響を受けるわけでして、簡単に言えば、原告側弁護士が、裁判においてどのような法律構成の下、どのような主張をするかに左右されてくるはずです。当然、判例を積み重ねていけば、判例の判断基準が明確になってきますが、それを待っていては、企業経営の局面では遅いのであり、具体的な基準を定めていかざるを得ないわけです。
そして、今回の改正で会社法上、内部統制構築義務が定められた以上、構築していなければ、これが根拠で具体的法令違反とされる可能性があるわけですから、会社経営に携わる取締役は、何をすべきかの指針を持たざるを得ないのです。ただ、監視義務違反といわれても困るわけです。実際の企業経営の現場に根ざした指針が必要なのであり、それを示せない法解釈はまったくの無力ですし、その法的根拠について、深く議論するよりも、具体的な指針策定を意図した議論をすべきだと思います。
とすると、判例における内部統制構築責任の内容も、原告側弁護士の主張・立証により左右されるわけですから、弁護士が主張の際の基礎として参考にするであろう一般的資料等をベースに具体的な指針を考察していくべきだと考えます。
そして、多くの弁護士が内部統制に関する文献を書いておりますが、それらに共通するのはCOSOモデルであり、経済産業省、金融庁モデルとなるわけです。
したがって、COSO、経済産業省をベースとして、事業の特性に鑑みてあるいは証券取引法と関係する部分は金融庁モデルを加味して、企業の内部統制体制を構築していくべきだと考えます。
ですから、どのような内部統制モデルを組むかという観点からは、COSOと経済産業省提示の旧日本版COSO(「リスクマネジネントと一体となって機能する内部統制」:具体的な指針が豊富なため)、そして特に財務諸表の信頼性確保及び内部統制評価に関しては、金融庁モデルを精査・検討して、内部統制スタンダードを策定していくべきだと考えます。
監視義務違反という解釈は旧商法下の条文構造も大きく影響しており、一概に監視義務に基づき内部統制構築責任が導かれるというのはあまり実益のある解釈論とは思えません。
条文上、少なくとも内部統制構築に関する規程が置かれた以上、具体的な指針作りの議論の方が、ビジネス法務の観点からは、実益があると思われます
投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2005年12月22日 (木) 12時06分
コンプライアンス・プロフェッショナルさん、いつも詳細なコメント、ありがとうございます。鹿子木裁判官は、敵対的買収防衛策の発動の可否について、具体的な事案解決に必要な範囲を超えて、あえて政策形成的な判決を出しました。しかしながら、この内部統制に関する争点が裁判上で問題となるケースでは、個々具体的な事案解決に必要な範囲で取り扱われるものになるような気がします。ただ、その際に、善管注意義務の有無を問題とする際の参考程度に議論されるのか、それとも裁判所が内部統制構築義務の有無を真正面から取り上げて、その中身を深く検討する方向に向かうのかは、まだ未知数のように思います。いずれにせよ、企業としては「投資家向け」の統制議論もあることですし、これからもCOSOレポートの基準を中心に検討していかざるをえないのではないか、と思っております。また、この「覚書」は続編を検討中ですので、ご教示ください。
投稿: toshi | 2005年12月23日 (金) 02時48分
山口先生、お忙しい中、ご返答有難うございました。
裁判所が、どの程度内部統制構築義務を取り上げるのかは、先生がおっしゃるように、全く未知数です。ただ、明文化されたことにより、一般論として、取締役会に内部統制構築義務があることを認めた上で、ではどのような場合に内部統制が構築されたと言えるかについては、個々の事案ごとに別個に各企業の事情に鑑みて認定していくのではないかと、私は考えています。
「判例お得意の特段の事情論と同じで、事案ごとに個々具体的に認定していこうという姿勢といわざるを得ません」と書いたのは、その趣旨でした。改めて読んでみると、書き方がまずくて分かりにくかったです。
法的性質論、そして、要件論の議論は避けては通れないのですが、私は、前回のコメントでも書きましたとおり、「監視義務違反という解釈は旧商法下の条文構造も大きく影響しており、一概に監視義務に基づき内部統制構築責任が導かれるというのはあまり実益のある解釈論とは思え」ないと考えています。というのは、ここ数日の投稿等を見ていると、内部統制構築義務は当然に取締役の監視義務から導かれると結論付けられ、それ以上の検証や問題提起がされていないと感じたため、それであれば、あまり実のある議論ではないと感じたのです。そこで、今回の先生の覚書の場をお借りして自分なりの問題提起をさせていただきました。
改めて、書かせていただきますと、今までの商法上の内部統制議論は、今までの商法の条文構造が大きく影響していたと考えています。そして、今回、会社法で明文化された内部統制構築義務が従来の商法における議論の延長線上に認められたかというと、そうではないのではないかということです。
1.判例の内部統制の位置づけ
前回も書きましたが、大和銀行大阪地裁判決は、「目的とする事業の種類、性質等に応じて生じる各種リスク、例えば、信用リスク、市場リスク、流動性リスク、事務リスク、システムリスク等の状況を正確に把握し、適切に制御すること、すなわちリスク管理体制(いわゆる内部統制システム)を整備することを要する」と判示しています。これはまさに、リスク管理体制は経営そのものの内容であることを改めて認定したに過ぎないと考えています。
経営には、リスク管理が不可欠である、そして取締役が経営を行う以上、取締役会では、適切にリスク管理を行い、企業経営をしていく必要がある、これが、裁判所が考えている内部統制論の本質なのではないかと考えています。
リスク管理は経営管理的な側面はありますが、監視義務とは内容が異なると思われます。企業を取り巻く様々な状況の中ではリスクとチャンスが表裏一体であり、経営陣はその中で常に迅速な意思決定をしていかなければいけないわけです。リスクを犯してでも、チャンスを取らなければいけない局面もあります。
とすれば、リスク管理、内部統制は監視義務というより、経営そのものに関する意思決定の問題であると考えられるわけです。それを現時点でも、短絡的に監視義務から導かれると言っていいとは思えないのです。
確かに、同判決は、取締役には、取締役会の構成員として、他の取締役がリスク管理体制を構築しているかどうか監視する義務があると言っているとおり、監視義務的な側面があるのは否定はできません。
しかし、そもそもの内部統制の本質は、上記の通り、経営そのものの問題であり、判例を度外視して考えても、COSOなどの内容もまさに経営そのもの、企業のあり方そのもの、企業経営そのものというように、監視義務よりも次元の高いレベルで議論をしています。経済産業省が、日本版新COSOでコーポレートガバナンスの視点を導入したのもその現われと言えると思います。
したがって、単に監視義務から導かれると言い切ることには、大いに疑問を感じるわけです。
2.商法の条文体系の変化
委員会等設置会社における内部統制構築義務が平成14年に導入されましたが、今回の会社法では、14年改正により委員会等設置会社における内部統制構築義務が監査役設置型の会社にも導入されたと論ずる向きもあります。
しかし、平成14年の改正は、執行役と取締役という執行と監督が明確に区別され、しかも監督側の取締役が上位に位置するというガバナンスモデルを前提としたものです。
とすれば、それを執行と監督が実質的(観念的には執行部門としての取締役と監督部門としての取締役会とに区分できますが)に一致している監査役設置会社の取締役会に当てはめるのは、かなり強引といわざるを得ないと思います。
そもそも、日本の場合は、事実上、代表取締役が取締役の人事権を握っている会社が大部分であるという株式会社の実情を加味すると、代表執行役でもある代表取締役の行為を他の取締役で適切に監視せよと言っても、それはお題目に過ぎません。
これでは商法が真に意図している企業不祥事による企業価値の減少を防止することはできないため、株主や利害関係人の監視が効き、企業価値の減少の影響も大きい、大会社にのみ一般的な形で導入しようというのが、今回の会社法の意図でないかと考えられるのです。
したがって、監視義務だけを問題としても、実効的な内部統制は、日本の企業スタイルを見た場合には構築できない可能性が高く、より、実効的な議論が必要ではないかと思うのです。
以上、かなり長くなりましたが、内部統制構築義務の法的性質論に関する、監視義務を当然の前提とする見解に対する私なりの問題提起とご理解いただければ光栄です。
投稿: コンプライアンス・プロフェッショナル | 2005年12月24日 (土) 12時16分
問題提起、ありがとうございます。
この問題につきましては、また覚書2のエントリーの際に、とりあげさせていただきます。最近は、IT統制に関する議論なども、金融庁マターでの内部統制論のなかで整理されつつありますが、やはり「保証」問題との関連性に尽きるようでして、法律問題との関連性というものがいまひとつわかりません。用語を分けて検討すべきなのか、ふたつの議論をどこかで関連付けるべきなのか、まだ模索中であります。こういった監視義務との関連性というものも、もうすこし自分なりに咀嚼して、裁判官のような「第三者」への説得性のある議論ができるような理論構築を検討していきたいと思っております。
投稿: toshi | 2005年12月26日 (月) 02時19分