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2005年12月17日 (土)

ジェイコム株式利益返還と民商法の適用

昨日のエントリーに対しましては、またご意見を頂戴いたしまして、ありがとうございました。UBS証券はじめ、誤発注されたジェイコム株式買付で利益を得た証券会社の利益返還という問題は、その前提として「当然のごとく」誤発注による売買契約の成立が有効であることから対策が始まっているものですが、私自身はその「当然」のところに疑問を呈しておりますので、奇異な考え方かもしれません。金融機関の法務部員であるsakuritaさんからも「参加者において、民法が適用されるなどとは、予想もしていない」といったご意見を頂戴しましたし、この問題について、少数派であることを承知のうえで、もうすこし考えてみたいと思います。(また、知識や考え方におかしいと思われる部分がございましたら、ご指摘いただきたいと思います)

立会場が廃止され、コンピューターシステム売買に移行した現在におきましても、市場参加者が証券会社であって、証券会社どうしの間で売買が成立する、というものであれば、そこに有価証券(みなし有価証券を含む)が概念される以上は、やはり民商法の適用は否定されることはないと思います。想定されるすべての事態を事前に予想して、規約、約款を定めておけば問題ないでしょうが、今回のことをみてもおわかりのとおり、想定されない「異常事態」は発生するものでして、そういった場合の問題処理に個別具体的に適用される約款が存在しないかぎりは、民商法に立ち戻るしか方法がないわけです。たとえば、平成16年に成立しました「社債・株式等振替法」には、その152条において善意取得に関する規定が置かれておりますが、そもそも善意取得といったことが問題となるのは「異常事態」です。そういった異常事態にどういった民商法を適用すべきか、ということから明確に善意取得に関する法理の適用を規定しており、同法153条以下では、この善意取得の規定を適用することによって、株数に異常をきたした場合の事後処理に関する規定も定められております。では、今回の誤発注の問題についてはどうか、といいますと、約款も法律の明文規定も存在しないわけです。したがいまして、当事者間の問題処理はいったい何を基準に解決すればよいか、という点は必然的に問題点として取り上げざるをえないんじゃないでしょうか。

さて、こっから先が肝心な問題だと思うのですが、それでは証券取引所におけるシステム売買には、誤発注が生じた際にも「契約は有効に成立」とみる根拠はどこにあるのか、その基準というか法理のようなものが必要になってくると思います。「それが慣習だから、ルールだから」は明らかに成り立ちません。なぜなら、今発生している事態は「異常事態」であって、異常事態が頻繁に発生しているのであれば「慣習」「ルール」もあるかもしれませんが、「あってはならないこと、ありえないこと」が発生しているからです。したがって、結局は「理屈」と「世の中に及ぼす影響」から判断するしか、しかたがないように思います。株券が存在しており、その交付が「効力発生要件」とされている以上は、民法の二重譲渡の考え方が適用されて、「原始的不能ではなく、すべて契約としては有効に成立している」、この理屈ならわかります。しかし、民商法の法理が適用されない、となると、「すべての契約を有効と扱う」理屈は別に探してこないといけないのでは、との疑問が湧いてまいります。(また、セットで事後処理に関する理屈も探してこないといけないわけです)

ちょこっとだけ、sakuritaさんのコメントを引用させていただきますと、

その特徴(注 市場取引の特徴)は、大量性、画一性、迅速性、匿名性、などがあげられ、およそ民法が予定した特定の者との相対の取引とは異なる世界だと考えています。さらに、市場では現実に存在しない株数の取引を行うこともありえますし、自分の売り注文と自分の買い注文が取引として成立することもある訳です。

私は、金融実務に精通しておりませんので、この「市場では現実に存在しない株数の取引」といったものがどういったものかは存じませんが、そういった取引もアプリオリに認められているのか、なにか特別法によって認められているのか、そのあたりも整理してみたい気がいたします。(ご教示、どうもありがとうございました)「取引のプロ同士がやってる世界なんだから、勘違いで無効取消なんて、通用しませんよ」といった暗黙の了解があるのか、それとも「取引のプロ同士がやってる世界なんだから、勘違いで契約成立なんて、あるはずがない」といった了解なのか。

私としましては、民法の法理の適用があるとすれば、当然のこととして錯誤無効の検討がされるべき、と認識しております。これを否定するのであれば、どういった理由で錯誤無効が主張できないのか(たとえば、市場に参加するにあたって、その誓約書で「取引における意思表示の瑕疵はいかなる理由あるも、これを主張しないものとする、との約款の存在など)もしくは何か民法の特別法もしくは約款の法理を類推して、民法の適用が否定され、排除される、といった説明がなければ、その適用を否定することはできないと考えております。

さらに「錯誤無効」を主張することによる「世の中の弊害」を考えてみたいのですが、いったいどのような弊害があるのでしょうか?よく理屈のわからない「利益返還」という手法をとるようりも、数段平易でわかりやすいのではないでしょうか。ただ、混乱が生じるとすれば、返還に応じない個人や証券会社の存在と返還に応じる証券会社との不平等、最終的な損失負担者の不合理性といったところでしょうか。(ただ、こういった問題こそ、当事者間における協議や法的交渉によって解決すべきだと思います)錯誤無効を認めてしまうと市場の混乱を招き、信用を毀損する、といったご意見もあろうかと思いますが、しかし証券取引に携わる方がたが、「もはやありえないこと」と自信をもってコメントできるのであれば、同様のことは起こりえないと評価できるわけですから、もはや混乱を招くこともないはずです。「錯誤無効」の濫用というのも、今回の事例は「特別な異常事態」という評価である以上は、あまり心配することもないように思います。したがいまして、「理屈」と「世の中に及ぼす影響」いずれをとりましても、民法の原則を排除しなければならない理由は見当たらないんじゃないでしょうか。「民商法の考え方を排除してまでも、証券取引所の取引の安全を保護する」のであれば、その旨の特別法、約款、もしくは関連法規の準用、類推適用などの根拠が必要ですし、証券取引法などによる取締法規によっては実現できないことも議論される必要があるのではないか、と思っています。

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コメント

はじめましてfujiと申します。
まったくの素人ながら少し法律の勉強をしていていつもはROMなのですが、こういう考え方は間違っているのかなあ?と思いコメントさせていただきます。
 今回の誤発注は錯誤だけれども流通を予定している有価証券の売買なのだから取引所における株式の売買は手形法的な解釈で、それが取引所における株式の売買であると認識できるかぎり錯誤による無効は主張できない。これは商法の考え方を排除したものとなるでしょうか。

投稿: fuji | 2005年12月18日 (日) 00時39分

fujiさん、はじめまして。

いえいえ、私自身、恥をかくつもりでエントリーしておりますので、どしどしコメント書いちゃってください。会社法立案者の方のブログのように明解な回答を期待されても、ちょっと役不足でたいへん申しわけないのですが。。。
おっしゃる意味は理解しているつもりです。株式売買と言っても、取引所における売買の場合には、手形法同様の高度の流通性確保の要請が機能する、ということでしょうか。つまり錯誤無効は株式の譲渡によって抗弁としては主張できなくなってしまうのではないか、といったところでしょうね。
ただ、株式の譲渡における株券の交付の意味(手形と異なり、株券は有価証券といいましても権利自体が化体しているものではなく、単に表章されているにすぎない)と、手形法においてすら、原因行為における抗弁は、直接の相手方には主張できる、とされているところから、手形法的な解釈をそのまま持ち込むことができるかどうか、という疑問が残るような気がいたします。(でも、取引の実際をみている方にとっては、このような法的構成こそ歓迎すべきものだと認識されているかもしれませんね)
意味を取り違えている等、質問者の意図と前提が異なっておりましたらまたご指摘くださいませ。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: toshi | 2005年12月18日 (日) 03時15分

こんばんわ。
どうも、朝日のニュースによると、先生の言われるような「錯誤無効」が問題になってきそうな雰囲気ですね。おそれいりました。
さて、先生は相手が悪意の場合には、錯誤無効が主張できると説明されておられるようですが、記事では、無効にはならないと書かれておりますが、このあたり、私はあまり法律に詳しくないので、よくわかりません。また、ご教示いただけましたら幸いに存じます。

投稿: narita-k | 2005年12月18日 (日) 19時07分

fujiです。新参ものに丁寧なご対応ありがとうございます。
 私が申し上げたかったのは、錯誤無効を適用できないのは先生がおっしゃるような「民商法の考え方を排除してまでも、証券取引所の取引の安全を保護する」ためではなくて、それが取引参加者の合意によるからではないのかなあ、ということです。いろいろ事情はあるだろうけど一度注文をだして取引が成立したら取引所内ではちゃんと履行する、もちろん個別事情は取引所外では勘案するよ(当事者間で取引はなかったことにすることは排除しない)という合意です。みずほ証券も立場がちがってたらUSBのように買い注文をだしたに違いないし錯誤無効の主張なんて受け入れないでしょう。それが取引参加者全員の合意によるものなのだから、と思うのです。「取引の安全」とかはその合意の結果にすぎないと思うのです。このような考え方は商法の考え方を排除するものではない、と。
(2度目になると図々しくなってすみません)

投稿: fuji | 2005年12月18日 (日) 20時31分

失礼いたします.
そもそも民商法の適用があるというのは, 売主と買主の間に, 意思表示の合致がある, というだと思うのですが, 市場のような, 相手がだれであろうとかまわない(トレースしようと思えばできるが), 相手を知らないまま取引が行なわれるものについて, 民商法のような意思の合致が考えられるのでしょうか.

それに, 株取引などでは, システム売買や, あらかじめ条件設定した注文がされ, その注文が相手を知らないまま自動的に成立していくことを考えると, 「明らかに誤発注であるとわかるから(重過失が表意者にあっても)無効でいい」などと言うことも通らないのではないかと考えます.
今回の取引は, そんなルールの中で取れる利益を最大化しただけの話ではないでしょうか.

世の中に及ぼす影響については, 政治的にはともかく, 法の解釈として考慮する必要があるのでしょうか. 個人投資家が誤発注しても, 絶対に救済されることはないことを考えると, 大いに疑問です.

投稿: さと | 2005年12月19日 (月) 01時58分

さと、さんの意見に基本的に同感です。市場は高度に抽象化されたところという性質があり、誰でも参加できるものではなく、会員証券会社が介在しているところですよね。その意味で、民法の意思表示の議論をそのまま持ち込む訳にはいかず、それを修正した形で取引所での決まりごとを作って運営してきた、という経緯があったのではないかな、と思います。ただ、その一方で、あまりに極端な事例についてどう対応するか、という問題はあわせて考える必要があり、上記原則論をそのまま適用しただけですべてが解決するだけでいいのか、という疑問もあります。仮定の議論ですが、いくら取引所での取引でも、仮に発行済み株式総数の1億倍の注文があったら、そのまま取り扱うのでしょうか。システムが稼動する前の、場立ちさんがいた場面では、人為的なミスもおそらく柔軟に処理できたのでしょう。システム化によって機械が処理するようになったことから、従来の「取り決め」を文字通り当てはめたらうまくいかない「特異」な状況が生じるようになってしまったのではないかなと考えると、電子的な方法でしか取引のフローが実施できないような、現代社会でのやり方という観点で、もう一度問題を考えてみることにも意義があるかもしれないなあ、などと考えた次第です。結論はまだないですが、少なくとも再考もせずに従前のままやっていると、こういうミスで対応ができないということになるのかな、と。ここでも、東証さんが批判の矢面になってしまいますが、この件の処理だけでなく、必要な議論は尽くしてほしいなと思います。

投稿: 辰のお年ご | 2005年12月19日 (月) 02時14分

>fujiさん、narita-kさん、さとさん、辰のお年ごさん

ご意見どうもありがとうございました。こういったご意見について、たいへん説得力のあるものと思いましたので、追記の形でお返事させていただきます。
また、有益な示唆、よろしくお願いいたします。

投稿: toshi | 2005年12月19日 (月) 10時59分

場が収まってからでごめんなさい。

「錯誤無効」を許して問題にならないのはその契約なり取引なりがローリスク・ローリターンだからだといえると思います。「どうせこんな程度の儲けだしいいか」と相手も言いやすい。しかし株式・商品等ハイリスク・ハイリターンの場ではそうはいかない。錯誤無効が許される確率(市場参加者の主観確率)があまりに大きくなるとそれを主張するインセンティブが大きくなり取引のいちいちについて訴訟が起きて、売買が容易には(取引所の中だけでは)成立しなくなり、究極的には裁判所が取引所の役割を分担する羽目になります。東京高等取引所とか最高取引所とか。これが面白いのは冗談で言えるうちだけであります。

従って鉄火場の取引が鉄火場だけで行われ、鉄火場の外が無関係な娑婆になるために、鉄火場の中は鉄火場だけのルールが徹底されていなくてはいけないわけです。

結局のところ、提議された話は、社会に錯誤無効が一切許されない、ハイリスク・ハイリターンの場が必要であるかどうかに帰着する話だろうと思います。私は必要だと思います。そして一生に一度も参加しないにしても、われわれは、現在進行形で、そうした場における取引の恩恵を随時受けているのであります。これがわかりにくいのでこうした問題が繰り返し生じるんですね。取引所もテレTだけでしみったれたCMしてないで広報活動に力を入れなければいけないのかもしれませんが、鉄火場の社会的な重要さの広報くらい難しいものもまたないのであります。やりすぎて「女子供」の食指動かしてもいけないですからね。

いったん徹底的になくしてみると必要性がよくわかります。錯誤無効で保護した人々が得た利益をはるかに上回る社会的損失があっという間に生じ経済社会が全く維持できなくなるからです。

また名目上は、またひとつだけの取引を見ると多大な損失を実現することになっているので、はたから見て「あらなんて可哀想」と思えて仕方がなくても、契約者が行っている取引全体を眺めると、大変に合理的な損失であることも多いのです。税務上の理由など。そういう取引では極端な話、喜んで損をしているのであります。そういうものなのでいたし方がありません。塞翁が馬でして、結局損失だったか合理的な投資だったかが判明するのは、取引の最中ではないのです。たとえば今回の事件でも錯誤だったと認めましたから錯誤ということで議論が進んでますが、財務上の理由から、敢えてすすんであれだけの損失を出す必要が生じる可能性も否定できません。頼むから損をさせてくれ、という。ここで損をしておかないと全体が大損になる、という。

そういうわけで、証券取引所・商品取引所では錯誤無効は許されるべきではない場であります。そしてそうした取引を望まない方のために、参加しない自由が丁寧に尊重されるべきです。

私は錯誤無効が容易に認められるようになったら、直ちに亡命いたします(笑)。可能なうちに(笑)。

長々と失礼しました。

投稿: bun | 2005年12月21日 (水) 11時29分

bunさん、熱いコメントをありがとうございました。bunさんのコメントを拝読して、ふと考えたんですが、証券会社どうしの取引というものと、証券会社に注文を委託する、一般投資家と証券会社との契約については、また別個に考えるべきものなんでしょうか?たとえば、注文契約には錯誤無効は許されるだけの状況があるといいますか、「鉄火場」ではない、といいますか。
それから、これはまた後日エントリーさせていただきますが、東証のミスが介在しているとみた場合において、そのミス以降の売り注文についても、やはり錯誤無効の許されない世界と評価せざるをえないのかどうか。そのあたりの判断によっては、当事者の合理的な意思として民商法の適用を排除している、とみるのか、それともそもそも民商法の法理の及ばない「内部自治的な世界」と捉えるべきなのか、理屈も変わってくるようにも思えます。
また、いろいろ考える材料をいただきました。厚く感謝いたします。

投稿: toshi | 2005年12月23日 (金) 02時55分

いえ、toshiさんの誤魔化さない態度に感銘を受けてしまいましてつい(笑)。実にさまざまな立場の利害関係を瞬時に処理する場ですのでいろいろな説明があって、それぞれに正しいというのもあり得るのではないかと思います。

>証券会社どうしの取引というものと、証券会社に注文を委託する、一般投資家と証券会社との契約については、また別個に考えるべきものなんでしょうか?

証券会社のお客さんにはリスク許容度が違うさまざまな資力の一般投資家が混在していますものね。一般投資家と鉄火場の間のクッションとしての役割も(特に損した一般投資家からは?)期待されますね。サービスの一環として証券会社が錯誤無効に応じるというのはあり得ると思いますし、ここからは経済学というよりは経営学だと思います。

ほとんど毎日どこかの証券会社の応接室で、涙ながらなり、まあ無理だろうけど一応、的な態度なりで、錯誤無効を訴える投資家とそれに応対する証券会社・投資会社側のやり取りが繰り広げられているはずですよ。そしてすぐに錯誤無効を主張するので証券業界では有名な方すらいるのではないでしょうか。芝居の手の内全部知られていたりして(笑)。

お気づきの通りで私は商法は単位をとりましたが(笑)民法はほとんど勉強しておりませんで、その割には随分大きいことを書いてしまいました。ごめんなさい。おして丁寧な応接をいただいて本当に感謝してます。

投稿: bun | 2005年12月26日 (月) 22時14分

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