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2006年1月31日 (火)

ヒューザーに対する破産申立について

ヒューザーに対して破産申立(債権者による破産開始決定申立)がなされたとのことですが、対象マンション住民の方々にとりましては、本当につらい選択を迫られる事態となりましたね。心情察するに余りあります。破産申立を決断したのが9棟、申立を見送ったのが3棟と見解が分かれてしまったのも、選択のムズカシサを物語っているようです。この法律問題を何度かエントリーしたかったのですが、どうもブログで論じるには、きついなぁと。

そもそも破産開始決定の申立をしても、小嶋社長がこれに同意するどころか、行政責任を問う損害賠償請求訴訟を提起したわけですから、「資産は国や県から賠償金でとれるから、債務超過にはあたらない」といった主張をして、支払不能ではない、と反論する可能性があります。破産管財人が選任された場合に、この訴訟をそのまま維持するかどうか、は微妙なところでしょう。

住民の方にとっても複雑な心境ではないでしょうか。おそらくいろいろな専門家の意見なども分かれているのかもしれません。ともかく証人喚問であのような態度に終始した社長が、今後本気で住民のために尽力するかどうかは期待ができない(証人喚問後の住民説明会での様子からも明らか)とみて、現実の資産保全に動く気持もわかりますし、また住民にとってみては、誰が責任者であろうと、どこからでもいいので、自分の損失を補填してくれるところがあればいいわけでして、そのためには国や検査機関に対して責任負担を訴える(現実に139億円の損害賠償請求訴訟を提起しました。印紙代だけで2000万円だそうです。)小嶋社長(というよりも代理人)の対応を利用したい気持も理解できます。自分の責任を回避するためであれば熱心に動くことも期待できますが、破産管財人への協力となると、そうもいかないでしょうし。

どんな意見を述べても、どちらかの住民の方の気持に反する結果となってしまうような状況となり、非常に難しい問題が横たわってしまったようです。

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ニッポン放送事件の時間外取引(再考)

30日月曜日のお昼から、ラジオ大阪(フジサンケイグループ)の「NEWSワンダーランド」という番組にゲスト出演いたしました。「企業の錬金術に司法のメス」といった内容で、約30分ほど、このたびのライブドア事件に関連するお話をさせていただきました。

番組の打ち合わせのとき、パーソナリティの里見まさとさん(漫才ブームのころの「ザぼんち」が懐かしかった・・・・)に

「去年のニッポン放送の裁判のときに問題になってた、あの・・・・、時間外取引、いうんでっか?あの取引がグレーやっちゅうて、騒いでおましたわなぁ?あれ、ちょっと本番で説明してくれまへんやろか?」

「・・・・・・・・・・・・?え?そんなんラジオつけてるオバちゃんにもわかる話になりますか?」

気をとりなおして、とりあえずTOSTNET-1の本来の趣旨から、趣旨を逸脱した利用法、そして大量取得による証券取引法の特別関係者の立証問題などを説明しようとしたところ、「先生、やっぱよろしいわ。まあ、違法な取引の可能性が高い、くらいの説明にしといてください・・・・・」「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

番組の始まる前でしたので少し緊張しておりましたが、そういえば昨年の鹿子木判決のなかで、かなりあっさりと触れられていた「時間外取引」というのも、いまこうやってライブドア事件の渦中で考えてみますと、(現在はすでに証券取引法の改正によって規定自体が変わりましたが)「当時はあれ以上に踏み込むことはできなかったのかなぁ」と、少しばかり思い出されました。私も当時は、証券取引法は行為規範であって、刑罰の対象となる行為を規定してものであるから、(罪刑法定主義により)明文で禁止されていない行動は、たとえグレーゾーンであったとしても、それを違法(さらに私法上も無効)と考えることはできない、と比較的軽く考えていたようです。

しかし、このたびの堀江氏逮捕、ライブドア強制捜査の被疑事実とされている風説の流布とか、偽計取引といった「不正行為」の認定にあたっては、(まだはっきりとしたわけではありませんが)いくつかの不当な利益獲得へ向けた行動を実質的に判断して、違法であると判定しようとしているわけでして、多くの証拠を握ることができる刑事手続においてすら、こういった解釈手法が許容されるのであれば、民事事件においてはなおさら「不正行為」の認定を実質的に検討することも許されたのではないか、などと考えてしまいました。もちろん、証券取引法違反の行為があったからといって、取引自体が無効となるわけではありませんが、「グリーンメーラー」「企業価値を毀損する者」の認定など、敵対的買収における防衛策の発動要件を検討するにおいては、かなり重要な争点の判断で、こういった解釈手法の是非が結論を左右するような気もします。

もうひとつ(これも今だから言える話でして、まったく偉そうには言える立場にはありませんが)昨年のニッポン放送事件のときですら、ライブドアが3分の1以上の株式取得に用いた「時間外取引」は違法無効ではないか、と議論されていましたよね。もし、裁判によって時間外取引は無効であると認定されていれば、ライブドアの株価対策は大きく崩れることになっていたでしょうし、ライブドアの株価も急落していたに違いありません。株主の責任のもとに、あのようなアブナイ橋を渡っていったライブドアは、本当に株主価値の最大化を図る意思があったのかどうか、極めて疑問ですし、そういった橋を渡る行為自体を捉えて、事業提携時における企業価値(果たして事業をともにするパートナーとして、提携後の株主の価値最大化を本当に目指しているかどうか)というものを検討したり、主張する余地はなかったのだろうか、と少し疑問に思いました。

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2006年1月30日 (月)

ライブドアショック・中間総括として

昨日のライブドアマーケティングの取締役会決議の効力問題について、たくさんのコメントをいただき、ありがとうございました。かなり問題点がマニアックなところだったので、会社法の勉強のつもりでエントリーさせていただきました。何名かの方がご指摘のとおり、実際には取締役会の翌日には辞任届けが取締役らの手元に届いていた、ということですから、大騒動にはならなかったわけですが、こういった事態は中小企業ではよくあることでして、私なども在監の警察署へ辞任届けをもらいにいったり、担当取締役といっしょに説得に行ったりしたことがございました。また、コメントは私自身、もうすこし詰めて考えたうえお返事させていただこうか、と思っています。

さて2週間ほど、ライブドア関連の記事をアップしてきましたが、事態の関心はライブドア本体の刑事告訴(法人起訴)と粉飾決算といったところに移ってきたようです。今後も事態の進展にしたがって、このライブドア関連のエントリーを残していきたいと思っていますが、とりあえず今後の私のブログで取り上げる内容は、①ライブドアショックが現実化した今、あのライブドア・ニッポン放送の裁判を「企業価値論」を中心に振り返る、②企業会計ルールと倫理(法と会計の狭間)に絞ってみたいと思います。①につきましては、今後の敵対的買収に関わる司法判断において、このたびのライブドアの問題が影響を与えるのかどうか、といった問題でありまして、②につきましては監査役と会計監査人の連携問題とか、会計士法24条問題(コンサルと監査の微妙な関係)とか、すでに長銀問題でエントリーを続けております公正なる会計慣行の再考などが中心の問題であります。(なお、優柔不断ではありますが、ぶらっくふぃーるずさんが焦点をあてていらっしゃる「フジテレビの動向」についても、ちょっと私も気になりますので、そっちもなんかまた書いてしまうかもしれません。。。)

そろそろ会社法の正式な法務省令も発表される時期ですし、また2月には私自身、内部統制監査にも参加させていただくこととなり、新日本監査法人の方々とも勉強させていただく機会もありまして、そういったビジネス法務に直結する話題も取り上げる必要がございますので(ライブドア関連も)不定期にならざるをえないと思われますが、上記のような内容に興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、今後ともおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

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2006年1月28日 (土)

ライブドアMの取締役会決議の効力

ライブドア逮捕劇の直後、取締役6名のうち3名が逮捕されてしまったライブドアマーケティングが、残った3名の取締役による取締役会で穂谷野氏を代表取締役とする決議を行ったことについて、「これは無効ではないか」といったことが報道されました。(朝日ニュースはこちらです)事実関係をもうすこし補足するニュース(日経)によると、この1月24日午前3時の取締役会では、岡本代表取締役のほかに、追加して代表者を選任した、とのことであります。この朝日ニュースを読む限りでは、過半数の定足数を満たさなかったLDMの代表者選任決議は手続上の瑕疵があって無効になるのではないか、多くの法曹関係者もそう考えているのではないか、こういった無効決議を「問題なし」と回答したLDMの弁護士は「アホ」ではないか、といった印象を受けたのは私だけでしょうか。でも、少し考えてみますとこの報道は真実に合致していないようにも思えます。

1 本当に弁護士が「法的に問題なし」と判断したのか

弁護士資格をもった方が「取締役が逮捕された場合は、取締役が死亡した場合に準ずる」との解釈に「それは法的に正しい」と保証するでしょうか?ご承知のとおり、取締役の死亡は委任契約に関する民法653条に規定により当然の終任事由ですが、48時間で戻ってくる可能性のある取締役が死亡の場合と同様に当然に終任しなければならないと考えるのは解釈上で到底無理があります。相談を受けた法律専門家が、当然熟知しているか、もしくはすこし調査すれば容易に判明する内容について、軽々に「法律上問題なし」と回答するということは、おそらくありえないのではないか、といった疑問。

また、念のためにLDMのリリースを読みました(代表取締役社長および取締役異動に関するお知らせ  取締役辞任に関するお知らせ  一部報道につきまして)が、LDMとしては、(朝日ニュースと異なり)1月23日夜半に開催した3名による取締役会決議を有効として公表しており、ここに弁護士とも相談したうえ、問題ないとの判断のもとで行ったと記されています。24日に再度取締役会を開催した、といった事実も公表されておらず、また1月25日の時点であらためて「23日の取締役会決議には問題ない」との趣旨を記していること。

こういったことからみると、朝日の報道はひょっとして、会社関係者が「逮捕も死亡に準ずると思った」との発言をとらえて、①弁護士もこの条件での有効性を「法的に問題なし」と推測した②この条件(逮捕も取締役死亡に準ずる)で定足数を満たすかどうか、といった質問で法曹関係者の意見を聞いた、といった前提があったのかもしれません。

2 LDMの取締役会決議は無効なのか?

私も、この「会社の一大事!」の深夜に、残った取締役から「このままでは会社が機能しなくなってしまう!いまから取締役会を開催して、○○を代表者にしてもかまいませんか?」と相談されたら、「うーーーん、違法かもしれませんが、決議そのものは有効かも・・」と回答するかもしれません。

LDMの取締役は登記簿上6名で、代表者を含む3名の取締役が逮捕されたわけです。このままでは、たしかに過半数の取締役が取締役会に出席できず、法定の定足数を満たさないためにLDMの臨時取締役会を開催できそうにもありません。仮の取締役選任を裁判所に求める時間もありません。しかしながら、逮捕された3名のうち、1名でも適法に定足数から除外させる方法があるかもしれません。たとえば、残った3名のうち、ひとりの取締役が、岡本代表取締役の解任(代表権の解職)を求めたら、その議題に関しては岡本代表取締役は議題に関して「特別の利害関係」を有する取締役になりそうです。(最高裁判例昭和44年3月28日判例 ただし学説では反対説が多いところです)こうして、定足数から岡本取締役を適法に排除すれば5名中3名が出席した取締役会は定足数を満たすことになります。(商法260条の2、第2項)しかしながら、本件では、3人の取締役は別の代表者を選任する決議を行っています。議案ごとに特別利害関係人の有無を判断する必要がありそうですから、このケースではどうがんばっても定足数の問題をクリアすることはできないように思います。(すでに代表権を有している取締役が、他の取締役に代表権を付与する議案において、特別利害関係人に該当する、とは言えないでしょうね)おそらく定足数に関する規定は、厳しくする方向では定款の定めによって変更できますが、緩和する方向では強行法規として許されないものでしょうから、この決議は違法な手続きによってなされた疑いが強いのではないでしょうか。

さらに問題点は、逮捕された3名に対して、臨時取締役会の招集通知が発送されていない点ですが、たしかにこれも(強行法規としての)手続き上の瑕疵にあたり「違法」であることは間違いないようです。ただ、この点につきましては、昭和44年12月2日の最高裁判例がありまして、このような瑕疵があった場合、その通知されなかった役員たちが会議に出席していたとしても、結論に影響がなかったような特別の事情がある場合には、そのような手続き上の瑕疵ある取締役会決議も有効、とされています。そこで、先の定足数の問題につきましても、この判例の法理を適用して、こういった「違法ではあるが、瑕疵が治癒されて決議はさかのぼって有効」と解釈することも考えられそうです。おそらく、翌日である1月24日そして25日に、この3名の辞任届を、次々と受け取りにいったのは、この「特別の事情」があることが立証可能な証拠を念のために採取する目的だったのではないか、と推測いたします。(24日に辞任届を受理した後にも、報道のとおり取締役会を開催したのかもしれませんが、それだったらLDMの25日のリリースは事実と相違することになってしまいますね)

取締役会への各取締役の「出席の意義」といったものは、意見を自由に発言すること自体を重視するか、決議そのものを重視するかによって結論は異なりますでしょうし、社外取締役の意義、会社の意思決定の迅速化などを考慮して、一定の条件のもとで(会社法370条)、「持ち回り決議」が認められる新しい会社法のもとにおける取締役会の考え方なども学者の方々によって異なるかもしれません。ただ、とりあえず上記のLDMの火事場での実務家の意見としては、「ぎりぎりセーフ」といったことを言い切れるかどうか、思案のしどころだったのではないか、と思います。

といったあたりの理由から、私は「法的には問題があるものの」LDMが相談をした弁護士の方の指導は適切だったのかもしれない、と思いますし、(ただし私はライブドア自身を擁護する立場にもありませんし、むしろ今後の監査役、会計監査人の責任問題については強い興味を抱いております)朝日に意見を述べた法曹関係者の方々も、「もしこういった条件なら」といった留保つきの意見を述べたのではないか、と推測をしております。いずれにしましても、こういった問題が私の近辺で発生しないことを願っております。また、基本的なところで私の誤りがございましたら、ご指摘いただければ幸いです。(すぐに訂正いたしますので・・・・・)

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2006年1月27日 (金)

フジテレビの思惑はどこに

昨夜は集中審理の後遺症のために、ヘロヘロになってしまって、エントリーをスキップしてしまいました。いろいろとこの1週間ほどライブドアショック関連のエントリーに終始しておりましたが、その周辺問題に目を向けてみますと、今後の企業買収関連の裁判などに役立ちそうな「企業価値ネタ」が山積しているようです。こういった刑事事件が発生しますと、どうしても「ホリエモン」個人とか「ライブドア」本体にばかり目を奪われがちになりますが、こういった非常事態の勃発をどうやって切り抜けようとするか、その周辺領域の人たち(法人たち)の動向のほうが、むしろ今後の対応策立案のための勉強になることが多いようです。利害関係者の今後の対処と、その結果を丁寧に集積、分析することによって、たとえば、私のような社外監査役の立場からしますと、株主代表訴訟とか、買収防衛に関する要件該当性の問題とか、少数株主権行使時における役員の対処方法などに、ひろく応用できるかもしれません。

きょう、フジテレビの会長とライブドアの新社長が、今後の両者の関係や、ライブドアの今後の営業方針などの協議のために面談をすることが報じられています。1月20日前後の報道では「断固、提携を解消し、損害賠償請求する」と(フジテレビの意向が)報じられていたものが、昨日あたりから「ライブドア支援も選択肢のひとつ」といった論調に変更されていますが、これはいったい、どういう理由からなのでしょうか。①純粋に12%を保有している自社のライブドア株式の株価維持向上のために大株主としての責任をまっとうする②いまの株価は検察庁による強制捜査を反映して作り出されたものであり、真のライブドアの時価を表しているものではない、ライブドア傘下の関連企業の有効利用や、ライブドアのオフバランスとして保有する無形資産の価値は、けっこう大きいものがある③日本を代表する専門家集団が1ヶ月もかけて「デューデリジェンス(資産調査)」を行ったにもかかわらず、単に「だまされた!」とだけ言い放っていては、逆にフジテレビの株主からデューデリの不始末を問われかねず、役員だけでなく、専門家集団にまで迷惑をかけてしまう。

考えられるのは、うえの3つのどれかでしょうか?まさか、天下のフジテレビにかぎって「切り売りするな」と要望し、支援すると表明して株価を維持しておいて、(個人株主などの損害賠償請求を回避しておいて)後で自社に有利に切り売りするとかいった手法はないですよね・・・・・まあ、東証が上場廃止の決定を出してしまうかもしれませんが・・・(ほかにも可能性がございましたら、お教えくださいませ)それにしても、マスコミはよく「暴かれた虚業集団」という書き方をされていますが、「虚業」とはいったい何を指しているのでしょうかね。ライブドア本体がHD的立場の会社であれば、HDはすべて虚業なのか、という問題にもなってしまいそうですし、財務諸表の数字だけを真偽の対象とするのであれば、グループ一体としての企業価値や、ソフト会社特有の人の保有する無形資産などは全く時価評価には関係ない、といったことでいいのでしょうか?もちろん「粉飾決算」かどうか、といったレベルでの話しとは別に、いまの110円という株価が本当のライブドアの時価を表現しているかといえば、どうもそうではないようにも思えるのですが。検察が介入したこと=企業の継続性の原則廃止、といったことであれば理解できますが。ともかく、倫理の問題を離れて、現時点で「虚業集団」とまで言い切ってしまうことには、若干の違和感を覚えます。(いずれにしましても、これは私個人のただの疑問ですから、マネーゲームは自己責任の範囲内でお願いいたします)

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2006年1月26日 (木)

粉飾決算と罪刑法定主義??

明日は集中審理期日(裁判の促進を図るために、採用された証人の尋問を朝から夕方まで一気にやってしまう裁判期日)のために早く寝ます。。。ということで、軽めのエントリーで失礼いたします。(後日に続くということで・・・)

ここのところ、ライブドアショックとの関係で、証券取引法158条の解釈問題をとりあげてきましたが、この158条と同様、これから市場の経済事犯として問題になってきそうなのが有価証券報告書不実(虚偽)記載罪といった犯罪行為です。粉飾決算によって違法配当がなされたケースであれば商法違反、特別背任ということになってきますが、違法配当とは関係ないケースでも、「企業の見栄え」をよく見せる目的(信用維持目的)で不実の記載をすれば、やはり証券取引法違反という事態になりうるわけです。

私の視点としましては、これまで「罪刑法定主義」といった刑法の基本原則を持ち出して、これを経済取引の場に適用するアプローチを用いてきましたが、すこし視点を変えますと、これまた深く検討するに値するような論点が垣間見えてきます。実は、私も「罪刑法定主義など、大声で叫んでもむなしいかも・・・」と薄々気になりだしていたのですが、女性会計士のバランス☆ライフのmihoさんのエントリーを読ませていただき、やはり懸念されていた視点といったものを共感いたしました。法定速度50キロの道路を70キロで走行することは明らかな法律違反であるけれども誰もつかまらない、しかしながら車両の流れに乗らずに、ひとり90キロで走行する車両は摘発される、といった社会構造です。こういったケースでは、いくら声高に「法定速度を40キロにしろ」と叫んで、同じ道路が40キロ制限に規則が変わったとしましても、やはり60キロ、70キロでは検挙されないでしょう。

はたして、粉飾決算の刑事問題が起こりうる株式上場市場において、本当のところ、どういった社会構造なんでしょうかね?明文規定のルールを守って、企業情報を正確に開示している、と大多数の企業が胸を張って言い切れる構造になっているのでしょうか。

すでに以前、このブログでカミングアウトしておりますが、私は5,6年ほど前までは、いわゆる「風俗関連弁護士」をしておりました。”風俗の好きな弁護士”ではありません、風俗産業(および風俗関連産業)の顧問先を有する弁護士といった意味合いであります。これまた普通の弁護士では経験のできないような事件に遭遇するわけでして、いわゆる警察行政との闘いというものであります。最終的には国家公安委員会の告知聴聞手続へ輔佐人、代理人として出頭して、大阪府警側とやりあうわけでありますが、どうにもこうにも、この警察行政部門における弁護士の役割といったものが大きく前進しないわけであります。それはなぜかと申しますと、風俗産業の営業行為自体、かならずどっかに「違法」行為を抱えながら継続している場合が多いところでして、非常階段の踊り場の面積が足りなかったり(消防法上)、従業員名簿を警察所定の表記方法で具備していなかったり、サロンのブースの高さが20センチ高すぎたりするだけで営業停止処分(大打撃です)になってしまうことになります。しかしながら、どこも同じように「どっかで」違反しているわけですから、結局のところ、どんな店舗を摘発するかといいますと「新規開店で、フライデーで紹介された新手のサービス店舗」とか、「住宅街に近いところにオープンした店舗」とか、「なにげに若いコが多くて、周辺店舗と比較して大繁盛している」といったようないわゆる「目立つ存在」がターゲットになるわけです。そういったところは、もともと探せばどっかに違反がみつかるわけですから、その違反をもとに締め付けることになります。もちろん摘発された後、「どこもやってるやんけ」は通用しません。そこには罪刑法定主義(このケースでは行政処分なんで、正確にはデュープロセスということになりますが)は、もともと機能していない社会構造なので、どんなに弁護士が頑張っても、入り口の部分で争うことは困難であります。

さて、ひるがえって、このたびのライブドアの刑事問題でスポットがあたった市場における刑事事件ですが、「虚偽の風説」や「偽計取引」そして「報告書不実記載」といった問題につきましても、市場の原理原則として、こういったことが一切許されないといった社会構造が出来上がっているのでしょうか。それとも先ほどのスピード違反の事例のように、どこもある程度の「不実記載」はやっているけれども、目立たなければ大丈夫、といった構造なのか、そのあたりは企業コンプライアンスのあり方に大きく影響をしてくるものと思われます。もし、後者のような構造であるならば、どこの企業を摘発するか、といった問題は、国家権力の恣意に依存する可能性が高まります。いわば、目立っているからとか、見せしめのため、とか、そういった規制法規の制度趣旨とは無関係なところで標的企業の選択が行われ、罪刑法定主義も機能しないままであります。こういったケースでは、やはり企業の心構えとして、法律違反といった形式主義だけではなく、なにが公正で、なにが規範的な行動であるか、を自ら考えないといけないことになりそうです。(ライブドア関連の捜査と公判結果次第では、今後の経済犯罪において、「ユルユル」の捜査規範が日常化してしまうと、こういった社会構造にあると錯覚してしまう原因にもなりますので、やはり一連の行為の特定作業は不可欠ではないでしょうか。)これまでの私のエントリーは、どちらかといいますと、市場参加企業はそもそも合理的な理性人の組織であるという視点から進めてきましたが、誰だって(どこの企業だって)自分の顔が美しくなるんだったら・・・という気持をもって企業情報をすこしばかり細工して公表するのが実態であるとしたら、それはそれでまた異なった社会構造を前提とした議論も必要になってきそうな気がします。(以下、不定期に続く・・・)

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2006年1月25日 (水)

ライブドア捜査と罪刑法定主義(2)

昨日も、たくさんのコメント、TBを頂戴いたしまして、ありがとうございました。ラジオ大阪のニュース番組に出演させていただきましたが、やはり15分という時間のなかで、「偽計取引」「風説の流布」「有価証券報告書不実記載」といった内容や、刑罰の内容、堀江氏、ライブドア本体の今後など、ちょっとわかりやすく説明させていただくのは難しかったような気もします。来週月曜日は30分にわたって、解説をさせていただきますので、もうすこし一般の方にもご理解いただけるように工夫してみたいと思います。(なお、コメントいただいた方には、明日にでもまたお返事させていただきます。アエラの記事にも一応目を通しておきました)

さて、夜遅くまで弁護士会のお付き合いなどもありまして、少々疲れ気味ですが、ぴてさんneon98さんが問題視されていらっしゃる「偽計取引」とは何か?といった点につきまして、すこしだけ自論(推論ですが)を、以前よりも敷衍して述べたいと思います。私も証券取引法158条の適用場面についてはかなり問題点が多いものと認識しておりまして、「ひとつ間違えると」どこの企業でもやっているような資金調達手段すら、「これって偽計取引じゃないの?」と財務担当者が不安を抱くことになるかもしれません。あらためて申し上げますが、規制を厳しくすることと、規制をゆるやかに適用することとは大きく異なります。このたびのような事態が発生して、法律による規制を厳しくすることは、立法政策の是非はともかくとして、国民が選択した判断であるがゆえに、それはひとつの解決方法であります。しかしながら現行規制をゆるやかに解釈して、広く刑罰の対象行為とすることは、その法律によって規制される範囲が、一般企業にとって明確にならないために、本来自由な資金調達の手段まで、抑制するおそれがあり、国民経済の発展にとって非常に危険な状況に陥ります。(罪刑法定主義)そこで、ぴてさんやneon98さんが懸念されているような問題が生じてくるわけです。

ここからは私の推論でありますが、今回堀江氏らの逮捕事実となったライブドアマーケティング(LDM)の偽計取引とはいったい何か?どこが違法なのか?といった分析について、再度確認しておきたいと思います。前にも申し上げましたとおり、158条における「偽計取引」にあたるためには、行為者には特別の目的(たとえば相場変動目的、利得の目的など)は必要ではないと思われます。(その理由も以前のエントリーで申し上げたとおりであります)要は、「当該取引について、何が公正な取引」であって、その公正な取引から、どれだけ逸脱しているのか、といった評価が必要な概念であると認識しています。そもそも証券取引法に規定されている刑罰法規によって保護されようとしている法益は、一般投資家の保護とともに、国民経済の運営という国家的法益も含みます。もうすこしわかりやすく申し上げると「国家が形成しようとするルールそのものが保護される法益」ということだと思われます。ということになりますと、誰かを騙して利得を得る目的は不可欠ではなく、面白半分でトリックを使うこと自体が、ルール違反として許されない行為だとも言えるわけです。

そこで、そもそも本件逮捕事実のなかで、相対取引の対象となるマネーライフ社の株式売買については、なにが公正な取引かといいますと、LDM社がマネーライフ社の本来株主との間において、第三者の評価機関を通じて未公開株式の価格評価を行うことであり、その価格にしたがって株式交換比率を決定して株式交換により買収する、それが公開企業であるLDM社によって重要な取引事実であるならば、真実を開示する、ということまでが「公正な取引」であるはずです。しかしながら、LDM社は、取引にとって不必要な投資事業組合を介入させて、現金取引によってあらかじめ取得したにもかかわらず、これを隠匿し、第三者機関を通じることなく当事者が評価したにもかかわらず、これを第三者機関を経由して評価したかのように見せかけ、投資事業組合とLDMとの間で1対1という交換比率で株式交換を行ったものと公表したわけであって、「LDMは正しい評価によって、今後の企業価値を高めるための優良企業を購入した」といった誤信をもたらす行為に及んだ、ということですから、先のルールに則った公正な取引との比較において、大きく逸脱しているのであれば「偽計取引」の構成要件に該当することになろうか、と思われます。相対取引の相手方を錯誤に陥らせるような行動に出た場合にも偽計取引にあたるわけですから、「公表」することは不可欠の要素ではなく、本件でのルール違反の程度を評価する一要素にすぎないわけです。

さて、それではこういった評価を伴う規範を用いて、一般企業の資金調達の自由な範囲を明確化できるかといいますと、今後の投資サービス法における立法作業に期待するところが大きいところでして、現行法を前提とするかぎりは(残念ながら)自信がありません。常識的な解釈論としましては、構成要件の該当性の判断、そして可罰的違法性の判断といった二重の基準によって、一般企業の経済活動を保護していかざるをえないものと思いますし、また刑事弁護人らによる検察と世論への挑戦意欲といったものも必要になってくるのではないでしょうか。

このような「ややこしい」解釈を必要とする規定など、そもそも罪刑法定主義に違反するものだ、という意見もあろうかと思います。しかしながら、先日neon98さんよりご指摘のあった最高裁判決のような立場を前提としますと、ある程度解釈の幅をもたせるような規定といったものも、不正手段の複雑性といったことを考えるとやむをえないものであるかもしれませんし、この線引きは非常に難しい思考を要するところだと思います。判決のなかでは「偽計取引にあたることは明らかである」とされてしまう可能性もありますが、「偽計取引」にあたるかどうかの評価の問題をていねいに公判で論じることが、今後の証券取引における不正行為の範囲を明確にするための「いまできる」最良の手段ではないでしょうか。(まあ、こういった論点を回避するために、関係者個人およびライブドア本体について、量刑の等しい有価証券報告書不実記載だけで起訴、ということも考えられますが・・・・。フジテレビや関係各企業にとって、今後の民事賠償責任の追及のためには、ライブドア本体の起訴は不可欠でしょうから)

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2006年1月24日 (火)

なぜ堀江氏は逮捕されたのか?

事務所で不動産関連事件の訴状を起案しておりましたら、ある新聞社の方よりお電話をいただき、堀江氏が逮捕されたことを知りました。すでに任意で事情聴取が始まっていたことは知っておりましたし、関係者全員が地検に集められている状況でしたので、「ひょっとしてそのまま逮捕かも」と考えておりましたが、やはり驚きました。

ご承知のとおり、私は「堀江氏にXデーは来るのか?」のエントリーのなかで、堀江氏に逮捕はない、と予想しておりましたので、早々と予想がはずれたわけでして、「敗軍の将、兵を語る」の部類になってしまいますが、逮捕容疑が子会社社長による「偽計取引」ということでしたので、もっとも令状がとりやすい事件に焦点をあてたものとして、検察の捜査方針に関しましては概ね想定の範囲内であったと思います。(ただ、果たしてこの「偽装取引」「風説の流布」が今後も公訴事実として維持されるかどうかは不透明であります。当然、身柄はいったん確保するが4名中、事実を真摯に供述し、かつ関与が薄いと認められる者については不起訴(起訴猶予)、といった事態も想定されますので。ただし、私的には今後の同種事件の参考のためにも、ぜひ逮捕事実に関して、そのまま公訴を維持してほしい、と願っているわけですが。)

逮捕事実に限って考えますと、子会社代表者が一連の偽計取引の実行者ということで、ライブドア役員3名は「主犯に近い共謀者」という位置づけではないか、と思われます。(情報が乏しいために報道内容からの推測ですが)

それではなぜ堀江氏は逮捕されたのでしょうか?一連のスキームにおけるお金の流れ、「取引仕組み図」の発覚、指示メールの存在など、いろいろな証拠の存在が判明したわけでして、ライブドア本体が子会社による偽計取引に関わっていた事実は間違いなさそうですが、それでは宮内氏が(堀江氏の)関与を否定しているにもかかわらず、堀江氏の「共謀」を裏付ける証拠はどこにあったのか?ナゾです。もし、これまでの報道内容から、(偽計取引について)堀江氏の直接関与を裏付ける証拠が存在することが判明しておりましたら教えていただきたいと思います。堀江氏が違法性を認識しつつ、具体的な指示を出した、とされる証言がすでにあるのかもしれませんが、組織の流れからみて、伝聞(また聞き)によるものかもしれません。今後の取調べにおきましては、堀江氏が直接指示を出す、もしくは堀江氏に直接判断を仰ぐ立場にあった人達への厳しい追及がなされ、そこで直接の指示、了承の事実を固めていく、といったことが必要になるのではないか、と思います。

それにしても不気味なのは、このたびの一連の事件報道のなかで、ライブドア監査役、会計監査人への非難めいた感想がこれまでほとんど聞かれないところです。とりわけ監査役につきましては、6年もの間、弁護士資格を有する方がライブドアグループ会社を監査していたわけですから、普通に考えましたら、いろいろな関与が噂されてもいいように思いますが、そういった報道は一切なされておりません。そもそも監査役といったものが、コンプライアンス経営にとって、あまり期待されていない、といった社会風潮なのでしょうか。そうであるならば、同じように社外監査役としての立場にあります私としても、(社会から期待されていないことについて)すこしさびしい気もします。また捜査の舞台が「本体の粉飾決算」に移るのであれば、後日監査責任者の立場といったものがクローズアップされるのかもしれませんが、ともかく不気味であります。

24日以降、関西ローカルですが、何本かのラジオの報道番組に出演します。ブログで書いていることと、「公共性」の高い放送局を通してしゃべる内容が違うかもしれませんが、そこは「オトナの事情」ということでご容赦ください。。。

(追記1)

約1年前から内偵を進めていた、という報道があります(産経ニュース)この報道内容(上層部からゴーサインがでたのが1月16日だったこと)や、いくつかの株式分割、株式買収、売り抜けの事実の総合評価が「偽計取引」に該当するとみられていることなどから、考えると、「偽計取引に関する共謀(共同の謀議)」が「あったかなかったか」といった事実認定に関する争いとは別に、そういったシステム自体が「偽計取引」に「該当するかどうか」といった評価に関する争いにも発展するのではないでしょうか。ただ、もともと証券取引法157条1項の存在からも明らかなとおり、この分野の法は構成要件の網を広くかけていて、もともと「あいまいな」規定でも罪刑法定主義には反しない、といった考え方が浸透しているかもしれませんので、若干不明瞭(と思われる)な容疑事実でも、オッケーなのかもしれません。ただ、あくまでも「投資家保護のために市場の不正行為を追及する要請」と「企業が安心して市場で金融活動を行うことができる自由」とのバランスをどこでとるべきか、こういった視点はかならず必要ではないかと思うのですが・・・・。

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2006年1月23日 (月)

証券取引等監視委員会の権限強化について

(1月23日お昼 追記あります)

ライブドアショックを受けて、与謝野金融担当大臣や自民公明与党の国対委員長らは証券取引等監視委員会の権限強化検討を示唆した、との報道があります。金融相、証券監視委の権限強化検討を表明(日経ニュース)

このたびのライブドアの強制捜査および(まだ捜査中ではありますが)その進展からすると、こういった意見が権力者側から表明されることは、ほぼ予想されるところでしょうね。広く国民が金融商品にかかわる社会を迎えるにあたって、その取引の安全を図り、大きな投資家の被害を最小限度に抑制するために、市場監督者である専門家集団としての証券取引等監視委員会(以下、証券監視委といいます)の組織としての規模拡大、権限拡張を切望するところは理解できるところと言えるでしょう。ただ、こういった議論につきましては、強制権限を行使できる機関が増えることや、(私のブログで以前より主張しておりますとおり)いままで権力を行使したことのなかった人たちが権力を持つことのおそろしさ、といったことを考えますと、ちょっと「その前に考えておくこと」があるような気がします。

1 自主規制機関(証券取引所、証券業協会)との関係は?

そもそも、証券取引におけるルールの確保といえば、証券取引法や内閣府令などの法律、規則が存在し、そのうえで証券取引所や日本証券業協会などの自主規制機関による事前規制や実効性確保手段といったものが存在するはずです。私のブログでも過去数回にわたって、「証券取引所の法的根拠の正当性」などとの関係で、自主規制機関の権限についても議論させていただきました。そこでの議論におきましては、今後の自主規制部門における迅速性、専門性からするならば、今後も証券取引におけるルール作りやルールの確保のために重要な位置を占めるということでは争いはなかったはずです。そこで、私は今後の証券取引法上の経済事犯、つまりこのたびの偽計取引や風説の流布、そして相場操縦やインサイダー取引など、そういった一般投資家の保護を目的とする刑罰規制の遵守につきましても、第一義的には自主規制機関による対応が強化されるのではないか、と予想しております。したがいまして、証券取引委による権限強化よりも先に、自主規制機関がどのような規制手段を強化していくのか、そちらのほうが優先順位が高いものと思います。そのあたりの議論なくして、単に証券取引委の権限強化といったことだけを短絡的に検討課題とすることは、すこし違和感を覚えます。

2 公正取引委員会の権限強化と比較する

先の日経ニュースによれば、証券取引委としても(公正取引委員会のように)犯則調査権限を拡充すべき、とのことでありまして、公正取引委員会による犯則調査権限(これも平成18年1月4日施行による改正独禁法で犯則調査権限が拡充されました)を念頭に置いておられるような発言になっています。しかし、この議論もライブドアショックという、本当に驚くべき出来事が発生した直後であることからやむをえない面もあるでしょうが、少し乱暴な意見ではないか、と思います。まず、なんといいましても、公正取引委員会が強権を発動する世界は、証券業界のようなしっかりとした自主規制機関のない「荒野」に出掛けていくわけですから、調査しようとしても、真実の情報を入手できるルートもなければ、事前規制を期待できる土壌もないわけでして、当然のことながら武装(強制捜査権限)の必要性は高まってくるわけです。しかしながら、証券取引委の場合には、そういった「荒野」における調査とは状況が異なるように思われます。また、常に適正に強権が発動されるかといいますと、やはりデュープロセス違反の疑いの高い場合も考えられるわけでありまして、そういった適正手続が行使されることを期待して、公正取引委員会においては準司法手続きが確保され、対象者の弁明、反論の機会が伝統的に確保されてきたわけです。いっぽう証券取引委はと言いますと、検察庁への告発の前段階におきまして、公取委のような準司法手続きが確保されているとはいいがたく、犯則調査権限を恣意的に行使した場合においても、対象者自身がこれを是正する道は存在しないことになりそうです。これではおそらく、ルールの確保ということが最重要視される結果を招来して、活気ある市場取引を阻害し、上場企業の健全な金融手段の抑制に働くことが危惧されます。こういった公正取引委員会の権限行使状況との比較によりまして、単に(証券監視委も)公取委の権限拡充と近い道を歩むべき、といった意見に与することには、未だ躊躇してしまいます。

細かい検討課題や、そこにおける議論の内容につきましては、また証券取引法のご専門の先生などのご意見をお聞きしてみたいと思っていますが、少なくとも証券取引におけるルールの確保と、市場における活気ある金融活動との間には、おそらく「ある程度の衝突」は避けられない現実だと思います。とりわけ、先週のブログで何度か取り上げました証券取引法の157条から159条あたりの刑事罰規定につきましては、その適用範囲が不明確でありまして、対象者としましては、犯則調査に対する不服申立の迅速な機会確保は不可欠だと思われます。(証券取引に絡む刑事問題に関しましては)そういった衝突時における利益のバランス(一般投資家保護と市場参加者の自由な活動によるファイナンス機会の確保)をうまく調整する必要があるわけですから、「証券取引上の事故発生」→「証券監視委の権限強化」といった発想には、すこしばかり条件整備の前置きは必須ではないか、と思う次第です。

(注記)これまでも、数期にわたる証券取引法の改正によって、証券取引等委員会の規模や権限も拡大・拡充されてきておりますが、その目的とするところは、有価証券取引の複雑化、高度化による専門官の必要性や、クロスボーダーによる国際化の要請、さらに証券会社に対する検査権限の一元化など(証券会社からの要請による)に起因するところが大きく、直接的に証券犯罪の防止、ということではなかったように思います。(もちろん、証券取引等監視委員会の新体制発足における基本方針には組み込まれておりますが)

(追記)株式分割規制に関する毎日新聞ニュースの記事(規制論に金融庁困惑)が掲載されておりました。投資家を含む国民一般の意見を代弁しようとする政治部門と、市場育成と参加者規制のバランスをとりたい実務部門とで、今後こういった「せめぎあい」が頻繁に発生するようになりそうですね。

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2006年1月22日 (日)

井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(4・完)

ライブドア関連のエントリーが続きましたので、前回のエントリーから若干時間が経過してしまいましたが、やはり「井上薫判事の再任拒否問題」について、残っている問題点を考えておきたいと思います。なお、これまでの3つのエントリーにつきましては、ブログの左側のカテゴリー(井上薫判事再任拒否問題)のところへまとめておりますので、そちらをクリックしていただき、ご参照ください。前回までで、いちおう「蛇足を付した判決と判決文の長短の議論は同じかどうか」ということに結論を出したのですが、あと残る問題は「再任審査と裁判官の独立」です。

どこかで以前に書いたかもしれませんが、1998年までは、たしかに裁判所内に「評価カード」のようなものがあって、いくつかの評価基準で裁判官の再任の判断を行っていたようです。しかしながら、こういった評価基準を採用するということだと、本当の裁判官の人物像というものが浮かび上がってこないために、1998年に再任審査のための評価カードというものを廃止してしまいました。このために、最高裁判所が裁判官の再任審査の際、どういった基準によって判断するのか、依然ベールに包まれたような形となりました。実際、最近では毎年2,3名の裁判官が再任を拒否される(おそらく、今回の井上薫判事のように地裁の所長クラスから、それとなく再任希望を取り下げるよう説得され、希望しない旨を申告する裁判官の方もいらっしゃると思いますので、実質的にはもっと数が多いのではないでしょうか)のが実情のようです。

やはり、こういった再任拒否事由といったものが、きちんと説明されないままに「再任拒否」ということになりますと、井上薫判事のおっしゃるように、(裁判所は)事実上個々の裁判官の判断内容へ介入しているのではないか、つまり裁判官の独立を侵しているのではないか、といった懸念が生じるようにも思えます。さらに深刻な問題点は、こういった「理由が曖昧なままで再任拒否」といった判断が増えますと、裁判官の普段の裁判における判断への「萎縮的効果」を招来してしまう、ということにもつながりかねません。(問題提起をしていただいた教授の見解は、再任拒否をおそれて、判決を書くことをビクビクしてしまうようなヤワな裁判官は、そもそも再任されるに値しないのではないか、裁判官をやめたって弁護士として食っていけるわけでから、そういった効果など斟酌すべきではない、といったものでしたが。)

この問題につきましては、いろいろと異論はあろうかとは思いますが、私としてはやはり裁判官の判断における萎縮的効果を考えないわけにはいかないと思います。たとえば、このたびの井上薫判事の再任拒否問題にせよ、いったいどんな点が問題となって拒否されたのか、かなり不透明です。(新聞や雑誌の報道では「判決文が短い」といったことだけが取り沙汰されておりますが、オフィシャルな理由としては説明されておりません)本当に判決文の長短だけなのか、法廷における両当事者への対応が不適切だったのか、それとも週刊誌などに斬新な裁判所改革のための意見を述べたことだったのか、どっちがオモテの理由で、どっちがウラだったのか、ほとんど推測でしか検討することができません。こういった状況では、さすがに他の裁判官も、「現実の裁判所の実務、歴史の重みを持つ裁判慣行」を批判することは、再任拒否につながるのではないか、といった不安のようなものは、いくら「やめても弁護士として食っていける」と考えている裁判官にとりましても、やはり(心理面において)なんらかの裁判官業務に影響を与えるものになってしまうのではないでしょうかね。私としましては、今後の課題としても、この再任拒否に関する手続は、もう少し理由を付記するなどして、明示することが公正なのではないか、と考えております。そうであるならば、裁判官の恣意的判断を防止するため(国民の裁判を受ける権利を実質的に担保するために)、また裁判所のデュープロセスを確保するために、一定の合理的な理由があれば再任拒否の判断を下されることも、やむをえないものと思いますし、裁判官の独立を最低限度保証するシステムになりうるのではないか、と考えられます。また、近頃は各都道府県の単位弁護士会におきましても、「裁判官勤務評定」を行っておりまして、これも裁判所における人事評価の参考意見とされているそうです。このたびの井上薫判事の問題につきましても、複数の弁護士から「判決が短すぎてわかりづらい判決」とのクレームが述べられていたそうです。そういった民主的な判断事由を裁判所も取りあげてこそ、(裁判官再任拒否手続における理由付記を補完するものとして)再任拒否判断の正当性を基礎付ける事実となりうるのではないでしょうか。

最後になりますが、井上判事の著書の愛読者として、ひとこと申し上げることが可能であるならば、あまり裁判所との闘いに時間と労力を費やすよりも、司法分限主義を考える醍醐味といったものを、ロースクールや法学部の学生の方々に伝承されることに力を注いでいただけたら、と思います。そして、もし井上判事が自ら提言される裁判所改革のようなものを実現したいと思うのでしたら、そういった司法分限主義に共感する後進の指導のなかで、井上判事の見解にあこがれてひとりでも多くの裁判官を生み出すことに尽力されることが、本当の意味での「裁判所改革」の近道ではないでしょうか。(でも、蛇足=裁判官の違法といった論理はどうしても私は同調しかねます・・・・・   完)

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2006年1月21日 (土)

リーガル・リサーチ(第2版)

rigal narita-kさんから、「掲載されていましたよ」というコメントをいただきながら、ちょっと放置しておりましたが(どうも失礼いたしました)、先月「リーガル・リサーチ(第2版)」が日本評論者より出版されまして、私のブログも紹介されております。法学部の学生さんにはけっこう周知されているようですが、主に法令、判例、法律文献、議事録などの調査方法や調査対象を網羅的に掲載している書物でありますが、2003年の初版では取り上げていなかった「ネットやデータベースによる情報提供」をはじめて本格的に取り上げるため、またロースクール生によるリーガル・リサーチの需要に応えるため、第2版化された、とのことです。(ちなみに全国大学生協 2006年1月10日調べで、法学部門18位とのこと。それにしても、葉玉会社法100問、神田会社法7版、ウッチーの民法はよく売れているのですねぇ・・・)私のブログ紹介記事につきましては、とても気恥ずかしいので、ここでは記載できませんが、著名ブロガーの「あの方」のブログは「(略)・・・などなど、的確なスキーム解説で一躍有名となったブログ(略)・・・かなりレベルは高いですが、実践的な内容です」とのこと。(ホント、そのとおり。私のはレベルはホドホド、マニア向けの内容ですから、とても実践的とは言えないかも・・・)ただ、「いの一番」にビジネス法務の部屋をご紹介いただいたこと、たいへん感謝をしております。ふと考えますとこういった「リサーチ」本に掲載される、ということは「やめるにやめられない」状況に追い込まれてしまったような気になりますね。もともと、私は大阪弁護士協同組合業務改革委員会の委員長のときに、業務広報メディアとしての「WEBページ、ブログを批判する」の先鋒でして、自分がブログを作ってみることなく、その短所欠点を指摘しても説得力がない、といった動機から始めたわけですが、まさに「ミイラ取りがミイラになった」典型的なパターンです。(^◇^;)まあ、これからも「社外役員の立場から、ごく一部の企業法務マニアの方へ発信する」気構えで、気楽に続けていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

ちなみに、どういった基準で法律実務家のブログが選出されたのか、といったところですが、おそらくブログのINDEXページから一見して作成者の実名(つまり開設責任者の実名)が判明するもの、といったことであろうかと想像いたします。これは情報の信憑性に関する一種の担保、と評価されているのでしょうかね?ただ、そうは言いましても、(私の場合ですが)けっこう「思いつき」で自分用に書き留めた備忘録的なエントリーもありますので、果たしてブログが発言者責任に依存できるほどリサーチ向けか、というと少しだけ疑問符もつきそうです。また、「リサーチに適したレベルの高さ」ということで言えば、INDEXページではお名前がわかりませんが、おそらく米国あたりでお勉強されていらっしゃる「あの方々」とか、商事法務のメールマガジンに「ブログのハンドルネームそのまんま」が通用してしまうほどに力をお持ちの「あの方」のブログのほうが、どう考えても私のものよりも適格性があるように思いますし、次版以降の検討課題としていただきたいと思います。

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阪急HDが敵対的買収防衛策を発表

ひさびさの敵対的買収防衛プランに関する報道です。プリヴェチューリッヒの大量保有報告への牽制ですね。(もちろん、阪急さんは「昨年より導入を検討しておりました。大量取得とは関係ありません」と発表されていますが)

阪急HD、敵対的買収防衛策導入を発表(日経ニュース)

阪急HDの発表文はこちら

事前警告型(新株予約権発行予告)のようで、また内容については検討したいと思いますが、とても日本語の美しい文章ですね。とりわけ4ページあたりまでの「前文」は、どなたが作成したのかは存じませんが、論理的かつ平易な言葉使い、接頭語・接尾語の使い方も鮮やかで、語り口のトーンにもまったくブレがなく、丁寧でありながら、へりくだっていない。段落の長さ、段落間の間隔の開け方まで、おそろしいほど美しい文章はひさしぶりです。文書作成のお手本として利用させていただこうかと思います。

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2006年1月20日 (金)

ライブドアショック・検察の突破口を考える

(文中 追記あります 20日午後    追記2 20日夜)

19日の読売新聞や日経新聞の記事を読んでおりますと、ライブドア本体の粉飾決算の仕組みにつきましては、投資事業組合や子会社の預金口座を利用しつつも、詰めの段階では非常に稚拙な手口によって(親会社から子会社へ架空の請求書送付など)自社株取引益(資本取引)が、売上(利益増加)へ変遷していったような内容のものでして、報道内容が事実だとすれば、ちょっと私の予想に反して、ライブドアにとっては深刻な事態になるような気もしてまいりました。

ところで、やはり私にとって最も気になる点は(しつこいようですが)、このライブドアショックの引き金になったライブドアマーケティング(LDM)によるマネーライフ社株式交換と、それにまつわる株式分割のスキームです。ここに検察が絶対の自信をもって証券取引法158条(風説の流布、偽計取引)の有罪立証の確実性をいかにして確保して、裁判官を説得して令状をとったか、といったところです。

1 偽計取引

証券取引等監視委員会の活動状況(平成16年度版 大蔵財務協会発行)によりますと、平成4年度(事務年度、以下同じ)から平成15年度までの間におきまして、監視委員会が告発した事件として①クレスベール・インターナショナル・リミテッドによるプリンストン債販売事件、②ドリームテクノロジーズ株式のネット会員への売買推奨メール事件(ただし、風説の流布も併記)、③エムティーシーアイ株の公募増資事件あたりでして、非常に数が少ないですね。やはり予想されたところですが、偽計を弄する対象となる取引は、なにも市場を有する取引ばかりではありませんので、特別に「相場の変動を目的とする」ことは必要ではないわけです。(そもそも相場がないことが多いわけですから)このたびの新聞報道でも、虚偽を公表した、という点が強調されていたわけですが、別に立件するにあたって、「公表」することを強調する必要はないわけでして、要は証券取引法が保護しようとしている法益、つまり国民の有価証券の取引における安全性を害するような行為態様があれば、それは処罰の対象とされるわけですね。今回の事例にあてはめて考えてみますと、マネーライフ社の株式について、事実上はすでにライブドアの支配下にある投資事業組合が先に現金取得していたにもかかわらず、(事実に反して)LDM社があらたに株式交換という手法によって支配下に置く取引を行った、というものです。錯誤に陥れる相手方は税務署でも、取引相手方でも、一般投資家でもいいわけでして、有価証券取引が公正安全に行われるものと信じるについて保護に値する者に対して、その誤解を招く行為をすれば「偽計取引」に該当する、との判断があるのではないでしょうか。たまたま今回の取引は「公表」という形で露見したにすぎないと思います。めんどくさい「犯行目的」など立証する必要はないわけですから、これが最も確実に(おいしく)捜査令状をとれる部分ではなかったか、と思います。もちろん投資事業組合がライブドアの実質的な支配下にあるかどうか、といった点についても立証は必要ですが、こういった問題は賄賂罪における「事実上の支配力を有する者かどうか」とか、共謀共同正犯論における「実質的な首謀者」など、静的な証拠の積み上げによって立証は十分可能だと思われます。(追記 どうもマネーライフ社をLDMが買収する旨の発表文書を、ライブドア本体のファイナンス責任部門が作成して送付したことが判明したようです 追記おわり20日午後)

2 風説の流布

これは、「流布」といった言葉からおわかりのとおり、不特定多数の者が認識しうる状況で、虚偽の事実をひろく広報することであります。これもかならずしも相場の存在を必要とするものではありませんが、流布の相手が不特定多数の者ですから、おおよそ有価証券取引相場のある場面での適用が中心になろうかと思われます。私はこっちの「風説の流布」の立件のほうが検察庁にとっては「ややこしい」のではないか、と思います。今回の事案では、LDMが上場企業ですから、その株式市場における相場変動を目的とした行為があった、との評価が必要になってくるからです。さきほどの「事実上の支配関係」の立証でしたら、いくつかの事実を積み上げて「総合評価」すれば立証可能ということになりますが、こちらの「相場変動目的」の立証の場合には、必要となる事実それぞれの因果関係が要求され、その因果関係のひとつでも、(?)がつきますと全体としての立証が困難になってくるおそれがあります。したがいまして、どういう考え方になるかといいますと

①LDMによるマネーライフ社子会社化発表(2004年10月)→LDM株式分割発表(2004年11月8日)→LDM 四半期決算報告(2004年11月12日)→株式分割実行日(2005年1月)→投資事業組合によるLDM新株の売却、という時系列の流れ

②2004年10月から2005年1月までのLDM社の株価推移

③上記時系列と株価の対応および、ライブドアが反復継続して同種行為を繰り返している事実

以上の各問題点の整理などから、①にあげた各行為と、株価変動との因果関係が認められ、相場変動目的が立証されるものと推測いたします。また、いくつかのブログにおいて「不作為による風説の流布」といった構成が問題視されておりますが、(私自身がこの構成を理解していないからかもしれませんが)風説の流布は「故意犯」としてのみ規定されておりますので、不作為の故意と過失犯としての「注意義務違反」との区別を考えますと、検察側が果たして過失犯と区別して立件できるかどうか、かなり難しい問題が出てきます。そういった意味では、私は「不作為による風説流布、偽計」といった概念は実務としては立件してこないものと予想しています。どこか、基本的な考え方の誤りがあるかもしれませんが、こういったものが今後の議論の基礎になれば、と思い整理してみました。

なお、別件逮捕(別件捜索)に関する問題点などが指摘されておりますが、さて検察は「別件逮捕」「別件による捜索」といったことを認めるでしょうか?「いやいや、私達はもともと風説、偽計はけしからんと思って捜査を始めたんだけど、たまたまおいしいものが出てきただけですよ」と言われて、これをひっくり返すことはできるでしょうか??もちろん、別件逮捕であることを立証する責任があるのは被告人側です。百戦錬磨の検察相手に、弁護人がその主観的意図を暴くことは(不可能とは申しませんが)非常に試練の道であると思われます。また、捜索差押令状については、かなり広範に被疑事実との関連性が認められているのが判例の立場であることを付言しておきます。

(追記2)

この「別件逮捕、別件捜査」に関する意見に対しまして、メールにて何名の方からか、ご批判を頂戴いたしました。(最近は、同業者の方もよく読んでいらっしゃるようで。。。)私はあくまでも「現実の弁護人としての対応」を基準に申し上げているだけでして、決して弁護士の理想としての対応方法を申し上げているわけではございません。もちろん、別件逮捕、別件捜査自体が違法性の高いものである、といった主張についてまで放棄しているわけではございませんので、念のため申し添えておきます。私自身は、どちらかといいますと、こういった「別件捜査の実効性」というものが回避できない場合が多いために、それであれば罪刑法定主義の基本を重視して、できるだけ検察の突破口となる部分への厳格な法規制を主張すべきではないか、といった考え方であります。証券取引法157条1項のような、「包括規定」すら憲法違反でない、といった最高裁判例が存在するとのことでありますし(neon98さんのご教示)、そうであるならば、このまま放置してしまうと、「別件逮捕、捜索差押令状の広範な適用」が当たり前になってしまわないか、といった危惧感を抱いておりますところ、ご理解いただければと思っております。(追記2 おわり)

個人的な意見で申し上げるならば、粉飾決算がらみだけでなく、相場操縦や内部者取引など、困難な立件を必要とする経済事犯を突破するための検察の手法として、この158条は今後多用されるのではないかと予想しておりまして、もしライブドア関連の刑事手続がありうるならば、有価証券虚偽記載の点だけでなく、この158条違反の点についても正式な起訴をしてほしい、と思います(今後の刑事弁護の進展のため・・・・・)

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2006年1月19日 (木)

コメントをいただいた皆様がたへ

ここ数日、エントリーはしていたものの、きちんとコメントへの回答をしておりませんでした。やっと少しだけお昼に時間がとれるようになりましたので、ボチボチ回答させていただきます。(また、TBいただいた方へは、臆面もなくこちらからもTBさえていただこうかと思っております)なんだかライブドア系のエントリーが連続してしまいましたが、それ以外にもフォローしておくべき話題もありまして、すこしばかりエントリー内容も変更してみようか、と考えております。

午前の裁判が終わりまして、西天満の「カフェベローチェ」より256kで発信。1月30日期限の割引券を使うと110円で珈琲が飲めるというのは、ありがたいですね。

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ライブドア捜査と罪刑法定主義

世間はどちらかといいますと、すでに「ライブドア粉飾決算」と「東証ショック」のほうへ興味が移っているようですが、私は場末の法律家の使命として、東京地検の強制捜査の根本である証券取引法158条(風説の流布と偽計)の適用範囲について、再考してみたいと思います。おそらく今後も、投資サービス法(仮称)制定後の不正取引行為(証取法157条1項、しかしこの条文が刑事事件で適用されることがあったら、それこそ憲法違反ではないでしょうか)への検察権力の介入にあたっては、常套手段として、この158条が適用されるものと予想されますので、ぜひ企業の財務担当者や証券会社、監査法人の方が「萎縮的効果」を覚えることのないよう、運用されることを願っています。

きょう、出版当時、東京地検特捜部の副部長であった永野義一さんが執筆された「企業犯罪と捜査」(警察時報社)のなかの「株価操作事犯の捜査」について一読しておりました。いわゆる検察庁側からみた「捜査端緒」→「強制捜査」→「有罪立証」のマニュアル本でありまして、いかにして株価操作事案における「捜査令状」要件をみたす内偵が重要であるか、が認識できました。この永野さんも明言されていらっしゃいますが、「株価操作事犯の場合は、強制捜査が(裁判官に)許容されるまでが勝負であって、その後どんな証拠隠滅をされようが、被疑者に黙秘されようが、確実に有罪に持っていけるだけの証拠を固める必要がある。もし強制捜査のあとで逃げられるようでは検察の恥である。」とされています。いや、このあたりは私も実務家としてはよく理解できます。不退転の決意をもって、大型経済犯罪の解明に乗り込む検察の意欲というものは、検事をしている友人からも聞く話であります。したがいまして、やはり今回のバリュークリックジャパン社(現ライブドアマーケティング社)に対する証券取引法158条(風説の流布、偽計)の適用は、おそらく考えぬいた末の「これなら逃げられない」との確信をもった検察の結論があったのではないか、と推測いたします。

そこで、この証券取引法158条の解釈問題ですが、ライブドアマーケティング社としては、自主的に開示すべき、と東証から指導されている開示情報に「風説の流布」と「偽計」といった文言に適用されています。(条文につきましては、ふたつ前のエントリーをご参照ください)

ところで証券取引法158条は、一般に目的犯と説明されていますが、本当にこれって主観的構成要件として要求される「目的犯」なのでしょうか?たしかに、158条の条文を読みますと、「相場のある有価証券」の取引につきましては、その相場変動目的による風説流布、偽計が予定されていますが、相場の存在しない有価証券取引の場合には、なにも書いてありません。「有価証券取引のため」と規定されてはおりますが、これは「取引による利得目的のため」という意味ではなく、「有価証券取引の際」と解釈すべきだと思います。その理由は、会社法施行日に合わせて新しく適用される刑罰規定(証券取引法197条)が、1項の加重犯として、158条の罪を犯す場合に「財産上の利得を得る目的」で158条の不正取引を行った場合には3000万円以下の罰金に処す、としており、この加重要件として「目的」が要件化されているからです。そうしますと、結局のところ158条の「風説の流布、偽計」といった行為は、相場変動目的に向けた一連の行為、といったものが「危険犯」として立件されればいいわけです。なお、この「目的」の立証ですが、そもそも個人でも法人でも、内心まで立証することは至難の業ですから、いくつかの行為の積み重ねによって立証することになりますが東京地裁判決平成14年11月8日(東天紅TOB事件)においては、時系列的に3つの発表行為を総合評価したうえで相場変動目的による風説の流布と評価したものがありまして、こういった前例から検察庁は「財産的利得目的」の立証不要と解釈をして158条を適用したのではないか、と思われます。

ただ、そうしますと法定開示情報ではない株式公開企業の四半期報告書に虚偽記載があった場合にも、すべて経済刑法に触れること(風説の流布)になるのか、といった疑問が呈されるところであり、こういったところに158条の適用は萎縮的効果がありそうです。ただ、私は単に四半期報告書に虚偽記載がなされただででは、この158条の構成要件には該当しないものと考えます。といいますのは、このたびのライブドアマーケティングの事例では、マネーライフ社との株式交換→自社株100分割発表→四半期報告といった流れが存在することと、(おそらく)同様手法を反復継続してきた経緯との総合判断から「相場変動の目的」を立証できるのであって、たんに信用維持目的(たとえその結果として株価安定といった効用があったとしても)での情報開示だけでは確信的な「相場変動目的」は立証できないと考えられるからであります。また、「有価証券取引のため」といったルートでたどってみましても、上記のとおりこれは「利得を得るため」といった目的犯としてではなく「有価証券取引の際に」と解釈すべきであると思われますので、そうであるならば予想される当事者は有価証券等売買取引者であって、単に純粋な第三者は除外されるのではないでしょうか。そうしますと、四半期報告を開示すべき株式公開会社は、「相場変動目的」を有するものでないかぎりは、この規定からははずれるのではないかと思います。(なお、「萎縮的効果」などという言葉を用いましたが、もちろん四半期報告であっても、虚偽情報が悪いことにはかわりません。ただ、ここでは証券取引法158条の適用範囲の明確化といった意味で、使っておりますこと、ご理解ください)

単なる私論ですし、経済刑法の専門家でもございませんので、またミスがあるかもしれませんが、ちょっとまじめに考えてみたい論点ではあります。(とりわけ、この証券取引法158条が改正された平成4年改正の趣旨など、ご存知のかたがいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです)

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2006年1月18日 (水)

偽計取引と風説の流布(ライブドア刑事問題)

(1月18日午前 追記あり)

「風説の流布」などという言葉はあまり世間で使われていないんじゃないでしょうか。(「風雪流れ旅」を連想するのは私だけでしょうか)いきなり流行語のように新聞に登場してきました。

きょうは監査役会で遅くまで役員方と一緒だったもんで、ほとんどニュースをチェックしておりませんでした。それで今、いろいろなブログを拝見しましたが、私のような楽観論はあまり見当たりませんでした。。。むしろ「風説」「偽計」で済むもんじゃない、とか。どうも楽観論は分が悪いようです。

とりあえず、ライブドア問題につきましては、いくつかにテーマを絞って今後の検討課題にしたいと思います。

① ライブドアの上場廃止問題、関連企業の免許取消問題

② ライブドアもしくは関連企業の課徴金納付命令問題(行政処分)これは2004年9月の事件には適用されないのでしょうか。きちんと証券取引法、規則を読んでおりませんので、まだわかりませんが。

③ ライブドアの役員刑事責任(罪責や身柄拘束など。ホリエモンを含む)

④ 検察庁、証券取引等監視委員会の捜査目的

あたりでしょうか。

日経や読売あたりの新聞解説から、捜索差押令状に記載されているような被疑事実についてはなんとなく理解できました。いずれにせよ、目的犯の立件ですから、お金の流れと利益の最終確保者の解明、スキームの反復継続性の立証が初期捜査の不可欠の目標ですね。目的や故意といった構成要件の主観的要素を立証できなければ話になりません。直接関与者の容疑が固まった時点で、さてライブドア本体の役員関与まで状況証拠と取調調書でたどりつけるのかどうか、そのあたりが次の問題になろうかと思います。

このあたりまでの情報が整理された段階で、上記4つのテーマについて、次第に明らかになってくるように思います。

(1月18日午前 追記)

読売新聞の一面にはびっくりしました。ライブドア本体の「粉飾決算」疑惑だそうです。これを受けて東証はライブドアの売買取引一時停止(午前11時5分再開)ということになりました。そもそも「風説の流布」「偽計」ということでは上場廃止基準には抵触しないわけですが(違法性が強い場合には他の基準に該当するケースもありますが)、粉飾決算のおそれ、ということでしたら堂々と取引停止にできるわけですよね。(上記問題整理①)

ということで、今回の検察、監視委員会の本当の目的は「ライブドア本体の粉飾決算」にあるのかもしれませんね。もし粉飾決算というところに収斂するのであれば、むずかしい証券取引法上の犯罪に関する法律問題も回避したり、他社の財務部門もビクビクしているとされる「錬金術」そのものに対する萎縮効果も回避できますので、一般企業やマーケットへの影響も限定的になるでしょうし、もしそのあたりにオトシドコロを考えているとするならば、やはり検察庁は見事かな・・・とも思ったりしております。(上記問題整理④)ただ、私個人としましては、前回エントリーで記載しましたとおり、直接検察を動かしたものは「挑発」「挑戦」だという説にまだ固執しておりますが。

しかし、こうなるとまた監査法人が俄然、注目を集めることになるかもしれませんね。ライブドア幹部と監査法人との間で、会計基準の変更とか、監査基準の修正とか、そういった手法が異常かつ反復継続的に繰り広げられていたのかどうか、そのあたりを詰めていかないと、「刑事問題」の立件としては厳しいところがあるんじゃないか、と勝手に考えております。(上記問題整理③)

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2006年1月17日 (火)

堀江氏に「Xデー」はあるのか?

号外版(ライブドア 強制捜査へ)ほか、たくさんのエントリーにたくさんの方からコメントを頂戴しておりますが、どれから手をつければいいのかわからなくなってしまいまして、まことに申し訳ありません。。。明日以降、順にお返事させていただきます。個人的には井上判事の再任拒否問題に触れたいのですが、たくさんの著名ブログで「ライブドア」問題を取り扱っていらっしゃいますので、やはりそちらの問題について、すこしだけ触れておこうかと思います。(ろじゃあさんがご指摘のとおり、17日は重要な耐震強度偽装問題の証人喚問もありますし、また宮崎勉の責任能力判断を含む最高裁判決がありますし、新聞の社会面はいったい何を取り上げるのか、皆目検討がつかない状況でありますが。)

また、すでに47thさん(ふぉーりん・あとにーの憂鬱)は「風説の流布」(証券取引法158条)の解釈問題にまで言及されておられるようで、「早っ!!」と驚いておりまして、実はまだ私はそこまで頭がついていきません。もうすこし、情報が整理された段階でコメントさせていただこうか、と思っております。

あまり弁護士らしくない「切り口」になってしまいますが、果たして今後堀江氏の「Xデー」は訪れるのかどうか、ちょっとだけ予想してみたいと思います。ズバリ、私は(堀江氏が言動を慎むのであれば)Xデーは来ないと思います。つまり罰金刑による略式命令(もしくは在宅のままで正式起訴)で済むのではないか、と。

特捜が動く場面を常識的に想定してみますと、社会に「悪が露見して」国民に検察待望論が渦巻くケースと、外交政策等、なんらかの行政パフォーマンスが要求されるケースと、検察権力に対して毅然と挑戦(挑発)するケースに分類することができます。

今回のライブドアの場合、「投資サービス法」制定直前における市場整備の一環、といった見方もあろうかと思われますが、それならもうすこし規模の小さなところを「みせしめ」的に処分するべきであって、いきなり「ライブドア」はないと思います。また、私の常識が正しいとするならば、いま社会に「ホリエモンは犯罪者のニオイがするから検察が動くべきだ」といった風潮が蔓延しているかといいますと、そんな雰囲気もあまり感じられないように思います。そこで私がちょっと注目したいのは、LIGAYAさんのブログで、まだ事件発覚前に書かれていた書評であります。国家としては「社会的影響力を有するライブドアの最高責任者のおふたり」が、こういった言動を世に公言される、ということは、(グレーな領域で取引を行った、と一般には認識されている方ガタですから)ちょっと国家権力に対する挑発と受け取られるの「おそれ」が高いのではないでしょうか。私は昔から、検察庁というところは、「挑発には受けて立つ」という気概が脈々と受け継がれているところだと思っておりますし、挑発行為が「そのへんのおっさん」であれば無視しますが、それなりに挑発によって検察の威信が揺らぐほどの社会的影響力ある人によるものであれば毅然とした対応をとる官庁だと認識しております。(たとえば日本で認められていないけれども、社会的に有用とされる医師の治療行為を、あえて日本で行う場合など)そういったところから、検察は証券取引等監視委員会と共同して、まずカタいところから押さえてみて、今後の堀江氏の事情聴取における対応をみたうえで、余罪捜査へ発展させるのではないかと予想しております。

夜、自宅に帰りまして、テレビで見たかぎりでは、六本木ヒルズに入っていく検察事務官らの人数は14,5名程度でした。その数の少なさにちょっと意外な気がいたしました。(報道陣が100名ということらしいですが)まずは捜索差押に踏み切り、今後は関係者の事情聴取をじっくりと時間をかけて行い、担当検事と堀江氏とのある意味「司法取引」のような状況が繰り広げられるのではないでしょうか。

またまた何の根拠もない「井戸端会議」的なヨミですので、当たるも八卦、当たらぬも八卦、私の想定の範囲内になるのか、想定外となるのか、ということでお許しください。事実関係がもうすこし明確になりましたら、もうすこしマトモなエントリーをアップしたいと思います。

(追記1)

日経平均は、急降下で始まったようです。やはり私の「楽観論」は今回も少数意見で終わるのかもしれません。

(追記2)

元検事の矢部先生が、本件でエントリーされています。私も今回の検察の情報管理はさすが・・・・と思います。証券取引等監視委員会も総勢60名ほどの民間出身者の職員がいらっしゃるにもかかわらず(また、このたび50名ほどが捜査に投入されたにもかかわらず)一切情報が漏れませんでした。(それとも報道陣との阿吽の呼吸とかあるのでしょうか?)

ところで日経平均はほとんど影響がないみたいですね。海外投資家が順調に買い進んでいるようで。それだけ日本の景気回復はホンモノということなんでしょうか。(前場)株価の動きはしかたないと思いますが、ニュースや新聞、ブログなどをみておりますと、それぞれ「自分の思惑」に合致しているところだけをつまみ食いしたり、希望的観測を奥に秘めながら情報を分析されているものが多いようですね。こういったときこそ、ご自身の人生経験とか常識とか、日本人の特性とか、そういったことを自分なりに頭で考えて今後の予測をたててみると意外と「報道されていない大きな穴」が見えてきたりするのではないでしょうか。(偉そうな言い方をしておりますが、私は何も浮かんでこないんです・・・)

(追記3)

やっぱり日経平均急落でしたね。。。今後の捜査が気になります。

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2006年1月16日 (月)

ライブドア 強制捜査へ(証券取引法違反)

(号外です。)

ライブドア、証券取引法違反(風説の流布)で強制捜査へ(毎日新聞ニュース)

午後6時半に、東京地検が六本木ヒルズに突入した模様です。続報を待ちたいと思います。(続報はあるのかな・・・ )

ライブドア強制捜査 経団連確認急ぐ 入会基準見直しも(毎日新聞ニュース)

参考資料(証券取引法)

第158条  何人も、有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引若しくは有価証券指数等先物取引等、有価証券オプション取引等、外国市場証券先物取引等若しくは有価証券店頭デリバティブ取引等のため、又は有価証券等の相場の変動を図る目的をもつて、風説を流布し、偽計を用い、又は暴行若しくは脅迫をしてはならない。
第197条  次の各号のいずれかに該当する者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
(中略)
七  第百五十七条、第百五十八条、第百五十九条第一項若しくは第二項(これらの規定を同条第四項及び第五項において準用する場合を含む。)又は同条第三項(同条第四項において準用する場合を含む。)の規定に違反した者

まだ仕事中なんで、正確なところは判明しないのですが、ネットの写真をみると、強制捜査の執行は「日没後」のようですね。夜間執行が許可された捜査令状が出ているということなんでしょうか?いずれにしても夜間の執行はめずらしいですね。

参考資料(刑事訴訟法)

第116条 日出前、日没後には、令状に夜間でも執行することができる旨の記載がなければ、差押状又は捜索状の執行のため、人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若しくは船舶内に入ることはできない。

2 日没前に差押状又は捜索状の執行に着手したときは、日没後でも、その処分を継続することができる

東京地検と合同で捜査を行っているようです。
(参考資料 証券取引法)
第211条
 委員会職員は、犯則事件を調査するため必要があるときは、委員会の所在地を管轄する地方裁判所又は簡易裁判所の裁判官があらかじめ発する許可状により、臨検、捜索又は差押えをすることができる。
 前項の場合において急速を要するときは、委員会職員は、臨検すべき場所、捜索すべき場所、身体若しくは物件又は差し押さえるべき物件の所在地を管轄する地方裁判所又は簡易裁判所の裁判官があらかじめ発する許可状により、同項の処分をすることができる。
 委員会職員は、第1項又は前項の許可状(以下この章において「許可状」という。)を請求する場合においては、犯則事件が存在すると認められる資料を提供しなければならない。
 前項の請求があつた場合においては、地方裁判所又は簡易裁判所の裁判官は、臨検すべき場所、捜索すべき場所、身体若しくは物件又は差し押さえるべき物件並びに請求者の官職及び氏名、有効期間、その期間経過後は執行に着手することができずこれを返還しなければならない旨、交付の年月日並びに裁判所名を記載し、自己の記名押印した許可状を委員会職員に交付しなければならない。この場合において、犯則嫌疑者の氏名又は犯則の事実が明らかであるときは、これらの事項をも記載しなければならない。
 委員会職員は、許可状を他の委員会職員に交付して、臨検、捜索又は差押えをさせることができる。
第212条 臨検、捜索又は差押えは、許可状に夜間でも執行することができる旨の記載がなければ、日没から日の出までの間には、してはならない。
 日没前に開始した臨検、捜索又は差押えは、必要があると認めるときは、日没後まで継続することができる

ちなみに、証券取引等監視委員会は平成16年度(平成17年3月現在)の定員は237名でして、ここ2年間で60名を増員しています。そのうち約半数は犯則調査を行う特別調査課に配属されており、定員のなかで平成12年以降に採用された民間専門家出身者は平成16年6月現在で59名にも及ぶそうです。こういった犯則調査専門家を含めた合同捜査官らが昨年10月以降から内偵を進めていたということですから、このたびの強制捜査には相当の確証をもって臨んでいる可能性が高く、ひょっとするともっと大きな余罪(内部者取引)の追及まで至ること可能性もありますね。

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井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(3)

昨日のエントリーに対しまして、SOJさんより詳細なコメントを頂戴いたしました。昨日紹介させていただきました事例の解決としまして、賃貸借契約における賃貸人からの解除を正当とする「信頼関係破壊」を基礎付ける事実の認定過程(程度型の場合)と、他人の違法行為によって損害を受けた者の時効期間経過後の賠償請求事件の「違法行為」認定過程(順序型の場合)につきまして、裁判所が「信頼関係を未だ破壊するに至っていない」とか「どっちみち消滅時効が成立する」といった心証を得た場合に、評価根拠事実の認定過程や違法行為の認定過程を理由中に記述して判決を下す、といったことは「蛇足」(無駄な記載を含む判決を下すものであって、そのような裁判行為は違法)になるのでしょうか。
まず、SOJさんは、「程度型」の事例については以下のように述べていらっしゃいます。

「信頼関係が破壊されているとまではいえない」という結論を出すのには,少なくとも「信頼関係が破壊されていることを基礎づける事実」すべてに関する事実認定が必要です。次に,信頼関係が破壊されているとの評価を阻害するに足りる事実(これは全て認定する必要がないこともありえます。)を認定します。その上で,上記認定事実に鑑みれば,未だ信頼関係が破壊されているとまではいえないと判示すべきです。このように判示してあれば,上記判断に不服のある当事者が上訴する場合に,原判決の事実認定がおかしいとか法的評価がおかしいとか具体的に論難することが可能になります。
他方,「信頼関係が破壊されていることを基礎づける事実」の有無が全く認定されていないのであれば,「信頼関係が破壊されているとまではいえない」との判断に不服があっても何を攻撃したら良いのかが全く分かりません。私が上訴代理人であれば,原判決には理由不備の違法があると指摘します。

井上判事の著書の信奉者である私としましても、(残念ながら)このSOJさんの意見にまったく同感であります。現実に裁判代理人を日々担当している立場としまして、不動産明渡事件などのケースで「信頼関係違背に該当するかどうか」が最大の争点となる場合は頻繁に経験するわけですが、どういった根拠事実が足りなかったのか(もしくは事実認定のためどういった証拠評価がされたのか)、また相手方の主張した信頼関係違背を打ち消す事実がどう評価されたのか、を判決によって知ることができなければ、果たして控訴裁判所で、原審裁判官の判決をどう批判すべきか理解不能に陥ってしまいます。最初のエントリーの際にも申し上げましたが、日本の裁判では代理人弁護士をつけない一般国民が(本人訴訟の原則)、少なくとも事実、法律両面において最低2回以上の異なる裁判官の裁判を受けることが保証されていますし、これが保証されない場合には憲法上の国民の「裁判を受ける権利」が侵害されていう状況が出現されてしまいます。したがいまして裁判官としましては「あなたの主張する(信頼関係違背)といった解除根拠については、こういった事実が認められて、なるほどとは思うんだけど、相手からはこういった事実が主張され、それも証拠によって認められるから、もうすこしというところで信頼関係が破壊された、とまでは評価できませんでした」と説明してあげることは、一般国民の法的素養を基準とした観点から理解しうる程度には必要ではないか、と思われます。

さて、つぎに順序型のケースにおきましては、SOJさんは次のとおりコメントされています。

ただ,順序型の場合には,井上判事の「蛇足」との批判が全く成り立つ余地がないとまで断言する気はありません。消滅時効が明らかに成立するのであれば,不法行為の成否に触れることは適切ではないというのはありえる見解です。まさに司法の役割をどう考えるかの根源に関わってくる問題です。
もっとも,不法行為の態様等によっては,消滅時効の援用が権利の濫用として許されないという法理を承認するのであれば,不法行為の成否を認定する必要がある場合もありうることを付言しておきます。

井上判事の「判決蛇足主義」が有力に唱えられる最大の根拠は、じつはこの「順序型」にあるのではないでしょうか。井上判事の類型のうち、いくつかのものが「蛇足」ではないとの反論が可能でありましても、この「順序型」については反論不能ということであれば、(範囲が異なるとはいえ)判決理由には「蛇足」と評価しうるものもある、と認めざるをえなくなり、井上判事の提唱される理論の正当性を一部担保するものと認めざるをえないように考えられます。ただ、私はつぎのような理由から、判決理由に傍論を付すかどうかは「裁判官の裁量行為」であって、井上判事の提唱している「蛇足=裁判官の違法」は成り立たないと考えています。

ひとつめは、要件事実論の考え方であります。たしかに消滅時効の抗弁事実の認定過程さえ論じれば、設問事例では当事者の紛争解決のためには十分でありますが、民商法の「消滅時効」の規定の仕方を読むと、そこにはまず「請求権の存在」が既定のものであるように、素直に読めます。もし消滅時効といった制度が、「権利の上に眠る者を保護しない」といった趣旨で規定されたのであるならば、当然のことながらまず原告の請求権が存在して、その請求権の行使を障害するのが時効制度だと認識できます。そのように考えるならば、要件事実論にも忠実に再現すべきでしょうし、裁判官は(たとえ訴訟経済的には不経済であっても)まず請求権存否、その後時効抗弁の存否、といった順序立てた判断基準に拘束されるのだ、といった議論も成り立ちます。もし、時効制度の趣旨といったものが「平穏な現実状態の保護」にある、といった法的安定性を重視する立場から説明されるのであれば、要件事実論としても、請求権の存否とは無関係に消滅時効の要件該当性のみを判断することも可能でしょうし、井上判事の言われるように請求権の根拠事実を論ずることは蛇足になりそうです。しかしながら、民商法上の消滅時効の制度について、どういった制度趣旨が正しいのかといった問題は決着をみないものですし、おそらく法律を扱う人間の法律観に委ねられているものでしょうから、「どっちが正しく、どっちが間違い」といった問題ではないと思われます。このように考えますと、政策的な理由というよりも、理屈の問題として「蛇足=裁判官の違法行為」にはどうしてもなりえないのではないか、と思う次第であります。

さて、もうひとつの理由としましては、井上判事の提唱を根拠付ける「蛇足を付すことによる弊害論」への疑問であります。井上判事は「違法行為を裁判官が判断しつつ、消滅時効によって違法行為者を勝たせてしまうと、違法行為者は、控訴することによって自らの名誉を回復する術がなくなってしまい、実質的な敗訴者になってしまう。」ということを憂いていらっしゃいます。ただ、この弊害論につきましても、なぜ裁判に勝訴した者の名誉が侵害されるか、といいますと、それは現実の日本社会における法学教育やマスコミ報道の影響によるものでして、民事事件では51対49の心証であっても裁判官は「違法行為を認定する」可能性があるのであって、刑事事件の裁判官が違法行為(刑罰を課す)心証程度とは大きく異なることが知悉されていない現状とか、これをマスコミが国民に適切に説明していないといった現状によって形成されているわけでして、今後の法学教育なりマスコミの対応に変化が生じれば名誉侵害といった状況も変化する可能性があるわけです。また、刑事裁判が進行するのであれば、その裁判において名誉回復を図ることもできるわけですし、検察官による訴追がなければ、これも名誉回復を基礎付ける事実にもなりうるわけです。そのように考えますと、「法的に」裁判官の判断対象を抑制するに値するだけの根拠となりうるか、といいますとかなり疑問が生じるように思えます。
こういったことから、私としましても井上判事が「蛇足」として論じていらっしゃる具体的な事例での判決理由につきまして、「蛇足」なのか「重要な判決中の傍論」と考えるのかは、明確な結論はだしえないのであって、最終的には「独立性」を保障された裁判官による裁量の問題であると評価いたします。

2 裁判官の再任拒否問題と裁判官の独立との関係

以上のような考えからから、私は井上判事の主張されるような「蛇足=裁判官の違法」にはなりえないことを説明いたしましたが、それと同時に「蛇足を付さない=再任拒否事由に該当する」といったことも成り立ちえないと思います。なぜなら、裁判所としては判断事由の可否についての各裁判官の考え方は裁量に委ねるはずですし、まずもって「蛇足」と言われる範疇が存在すること自体、おそらく認めないであろうと思われるからです。したがいまして、論点のすりかえ、といったことも理論上はありえないはずです。さてそれでは、「判決の長短」をもって、これも各裁判官の裁量に属する事由であって、再任拒否の理由とはならないのか、これをもって再任拒否とすることは裁判官の独立を侵害することになるのか、この点についてつぎに検討してみたいと思います。(今度の週末あたりにつづく・・・とさせてください。あぁ しんど・・・・・また、明日はビジネス法務モノに復帰いたします。。。)

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2006年1月15日 (日)

井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(2)

12月23日のエントリー(井上薫判事再任拒否と裁判所のデュー・プロセス)に対しまして、このお正月、ある大学教授の方よりご意見を頂戴いたしました。(数時間ほど、実名コメントが掲載されておりましたので、おわかりの方もいらっしゃるかもしれませんが・・・)おおよその事件概要もおわかりいただけると思いますので、すこし引用させていただきます。(なお、ご本人とわかる部分につきましては、こちらで勝手に省略させていただいておりますのであしからずご了解ください。また教授よりこういった引用について、ご迷惑になるようでしたら引用を取り消す場合がございますので、よろしくお願いいたします)

井上薫判事の「我、『裁判干渉』を甘受せず」(諸君2006年1月号80頁以下)を読んで、雑ぱくな感想を書きます。
 この論文は、横浜地裁の浅生重機所長が井上判事に対し、判決の理由が短いので改善するようにと勧告したが改善されていないので、人事評価で減点されたということが、裁判官の独立を害する裁判干渉であるとしている。
  ここで、判決の主文に必要のない蛇足判決を批判して、実践していることが、判決の理由が短いということと同じこととされている。仮にそうであるならば、判決の理由が短いことは、意見の違いはあれ、非難には値せず、改善を求められる理由にはならない。
しかし、この井上論文を読んでも、蛇足をつけないことと、短いこととが同義であるとの説明は見つからない。普通にいえば、判決の理由が短いというから改善せよということは、蛇足を付け加えよというのではなく、主文を納得させる理由が簡単すぎて、説得できないとか、当事者の主張に答えていないということを意味する。
(中略・・・)

 裁判官の再任の際の審査事項であるが、新任と同じく自由裁量なのかという問題が提起されているが、再任の際に、これまでの判決が分析評価されて、裁判官としての能力が不足なら、辞めて貰っても、裁判の独立の保障には反しないというべきである。裁判官になった以上は、ずさんでも定年まで独立が保障されているというなら、それは恣意も保障されることで、裁判の当事者にとってたまったものではない。裁判官の独立は保障されても、庶民の裁判を受ける権利は侵害されてしまう。

 問題は、再任の際の審査の手続きと基準の問題である。それがこれまで不透明であったから、裁判官の独立を害する可能性が大きかったが、それをまっとうな基準とし、透明にすれば、だめな判事には辞めて貰っても、まともな判事は残れるから、それでよい。それこそが裁判官の任期制の本旨ではないか。裁判官は、再任されなくても、これまでの高給で蓄えもあるはずだし、弁護士として食っていけるはずだから、再任されないことをおそれて、裁判の独立を放棄するべきではない。再任拒否をおそれる、そんな気の弱い判事に、判事としての高給を与える必要はない。

 再任審査の透明性と合理性の確保の方法については今回は述べないが、ただ、個々の判決の内容で意見の違いの問題ではなく、外形的な問題であれば、再任審査の対象になるのはやむをえないのではないか。それは裁判官を恣意的に放逐することにはつながらないと思われるから。
(中略・・・)

 むしろ、そのような判事を裁判所から放逐する方が国民の裁判を受ける権利を保障することになる。
  要するに、判決が短い、改善せよという趣旨が蛇足を書けという趣旨かどうかが肝心のことだと思う。この点では、井上判事の論文は、やはり短い、理由が不足している。蛇足を書けとは言わないが、短いということが蛇足を書けということと同じ趣旨とするためには、もっと説明が必要である。たとえば、浅生所長にその真意を確認して、そうだといって貰うなどのことが本来必要ではないか。

私もアマゾンでこの井上判事の論文の掲載されている「諸君!」1月号を取り寄せまして、ひととおり読ませていただきました。また、この論文のなかで井上判事が掲示しておられる著書「判決理由の過不足」(法学書院)も再度目を通してみました。(井上判事の著書は、以前から所持しております。)

私は、基本的に井上判事の提唱されておられる「司法分限主義」(裁判所は、紛争を解決する範囲において事実の認定、法律の適用をすべきであり、その権力行使にあたっては謙抑的であらねばならない、判決理由についても社会に影響を与えるような事実については、その判決の主文を導くために必要最小限度に留めるべきである)に同調する立場であります。しかしながら、司法分限主義に対峙するものとして「司法蛇足主義」を位置づけることについてはどうも同意しかねるところがあります。

この問題については、ふたつに整理して考えたいと思います。ひとつは「裁判官の再任審査と裁判官の独立」との関係であり、もうひとつは井上判事が主張しているとおり、果たして蛇足を付すことは裁判所法3条1項に違反する「裁判官の違法行為」(判決理由の過不足のなかで、このように明言されていらっしゃいます)たりうるのか、といった問題であります。もし、井上判事のおっしゃるように、理由に蛇足を付すことが違法ということであれば、これも一種の裁判所のデュープロセス違反ということで、蛇足と判決の長短との関係を十分吟味する必要が生じるからであります。
そこでまず、この「二つめ」の問題から考察してみたいと思います。

1 井上判事が指摘される傍論部分は、果たして「蛇足」か?

たとえば、損害賠償請求事件において、原告が被告の「違法行為」を主張して、被害の賠償を求めた事件で、被告は「違法行為」がなかったことと同時に、請求してきた時期が時効期間経過後であることを主張して、消滅時効の抗弁を提出したとします。この裁判を担当した裁判官としては、原告が明らかに時効期間経過後に裁判を提起してきた、との心証を抱いた場合、「違法行為」の認定を行うことは「蛇足」であって、消滅時効の争点のみによって被告を勝たせるべきである、というのが井上判事のご意見です。たしかに、紛争解決のために必要な争点は「消滅時効の成否」であって、(どっちみち違法行為を認定してみても、被告は消滅時効いよって勝訴するわけですから)違法行為の認定ではありません。またもし、違法行為はあったが時効によって原告の請求は棄却、との理由で被告が勝訴した場合、被告は裁判には勝ちましたが、自らの行為を「違法」と評価されたまま控訴もできない状況に置かれます。たしかにこれは被告の名誉を回復するすべがないということで不都合が生じます。(蛇足類型の「順序型」)

つぎに、たとえば建物の賃貸借契約の解除が認められるかどうか、といった事件におきまして、解除が認められるためには通常「貸主と借主との間において、借主の債務不履行の程度が双方の信頼関係を破壊するに至る程度かどうか」といった判断基準を用いますが、これを基礎つける事実認定といったものは、「信頼関係を破壊した」と法的な評価を行える場合にのみ事実認定すべきであって、いくつかの破壊要因となる事実認定をしておきながら、「それでもなお、破壊する程度には至らない」とする結論であるならば、その認定事実は「蛇足」である、とのことです(蛇足類型の「程度型」)

たしかに、そういわれてみると、説明しなくてもいいことを理由のなかで付記しているようにも思えますし、その弊害すら危惧される事例のようでもあります。ちょっと法律を学んでいらっしゃる方以外の皆様には難しいかもしれませんが、本当にこれらが「蛇足」かどうか、もしお時間がございましたらご検討いただけますでしょうか。私の意見につきましては、次回に述べたいと思います( よくよく考えると、私のブログ自体が「蛇足」そのものかもしれない・・・と不安におののきながら つづく)

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2006年1月14日 (土)

ロハスな新会社法学習法

先日は、ポケット六法とデイリー六法の参照条文を利用したセレブな会社法学習法といったものをご紹介いたしました(ほんのちょっぴりですが反響はございました)が、きょうはもうすこし先を行ったロハスな会社法学習法についてご提案させていただきます。私よりも一期先輩の公認コンプライアンスオフィサーでいらっしゃる司法書士ぐっぱるさんのエントリーを拝読させていただき、なるほど!と思ったところから、ちょっとマジメに考えてみました。

最近、私の周囲の弁護士の方達も、やれ合宿だ、やれ勉強会だと新会社法の習熟に勤しんでいらっしゃいますが、その勉強態度たるや、書店に並ぶ「これでバッチリ!新会社法」といった基本書の類を買い込んできて、条文と基本書をにらめっこしながら通読、輪読するといったパターンがほとんどであります。30分もすると睡魔に襲われ、そのうち飲み会のお誘いがあって、「きょうはおしまい」みたいなことが毎日繰り返されるわけでして、どうもはかどりません。ところで、私も最近薄々感じておりますのは、ぐっぱるさんと同様、「どうも、これは以前の会社法とはベツモノではないか・・・」というイメージです。ぐっぱるさんが、そのあたりをたいへんうまく表現されていらっしゃいますが、このたびの会社法の勉強法としては、資格試験を受験される方の方法と、企業経営者や担当者からの相談に対応する勉強法は明らかに違うんではないか、といった疑問です。現行商法のもとでは、「株式会社はこんなもの」といった基本形があるわけですが、新会社法にはそれがない。私のように過去に司法試験合格といった「成功体験」をもつ人間は、かえって過去の体験に固執してしまって、このたびの新会社法学習法についても、同様の方法で十分だと勝手に思い込んでいるところがありまして、そういった方法論で勉強していても、「なんだかおかしい・・・」で終わってしまうわけであります。「さあ、材料は買ってきたから、この材料でおいしいものを作ってちょうだいね」と言われてみたものの、いままで料理をしたことがないもんだから、何をどう、作っていいのかわからず呆然と立ち尽くす初老の夫、みたいな雰囲気が漂ってしまっている状況であります。

来るべき新会社法施行の5月まで不安と焦りにおののく気持を解放して、心と体の健全性を維持し、かつ楽しみながら続けられる会社法学習法、まさに「ロハスな」勉強法は、このあたりの発想の転換が必要ではないでしょうか。もちろん会社法なわけですから、解釈学の基本である関係当事者の利害調整といった論点も勉強することは有意義なわけですが、そういった部分は実務家として相談を受けた後でも対応できるわけでして、それよりも会社法を勉強する意義は、どの材料をどのように使って、それをどうモニタリングしていくか、ということのほうが大切なことのように思えます。いま、私の実践中の各論は以下のとおりであります。

1 定款を利用して、ともかく自分の作りたい会社をイメージしてみる。

  発起人の合意から登記手続きまで、定款の自由度を自分なりにイメージしてみる。定款で決めても無理と書いてある条文があるのか、ないのか。設立から機関設計、株式発行あたりの条文に留意する。(この部分は以前のエントリーでも書きましたので、ここでは繰り返しません)

2 間接金融の時代からプロジェクトファイナンスまでの歴史を学ぶ

  私は米国法律事務所東京支社パートナー弁護士でもありませんので、特別に深い知識など必要ありませんが、これは確かに有意義な勉強法ですね。DES、メザニン、ストラクチャードファイナンス、ノンリコース、ベンチャーキャピタルあたりの歴史は、このたびの種類株式、組織再編を理解するには不可欠ではないでしょうか。会社法に登場する「非公開会社」とか「中小会社」といったイメージについて、これまでは大阪の町工場のようなイメージを頭に思い浮かべておりましたが、(もちろんそれもございますが)やっと「分社化された事業」とか「ストラクチャードファンド」といったイメージが浮かぶようになり、それで初めて条文構造も納得できるようになりました。また機関設計につきましても、単に新会社法で規定されている機関設計の比較だけでなく、SPC、LLP、新信託法上の信託財産などとの比較において選択しなければいけないことも、なんとなく理解できるようになりました。また、知らない人たちが集まって仕事をする組織もあるわけですから、コーポレートガバナンスに関する長所短所にも配慮する必要があるわけです。

3 金融ビックバンの歴史を学ぶ 財務諸表を横に置いて考える

いま一番ハマっている学習法はこれです。もちろん計算関係の条文および計算規則の理解ではありますが、私にとって会社法上最もニガテな部分であります。ただ、よくよく勉強してみますと、この会社の計算といった部分は会計学と法学のクロスする醍醐味を味わえる大変貴重な場面ですよね。財務諸表論の歴史を100年ほど追いかけてみますと、貸借対照表と損益計算書のほかに、もうひとつの計算書が存在していた時代もあったわけでして(もちろん会計専門家の方にとってはあたりまえの話かもしれませんが)、なぜそういった計算書が存在して、消滅していったのか、といったことを考えたりしておりますと、このたびの計算規定の改正理由なども非常に興味深く理解できたりするわけであります。(といいましても基礎知識が乏しいためか、理解は遅いのですが)

あと、会社の訴訟関係とか、違法行為の効果とか、そういった規定につきましては、民事訴訟法などの素養が必要だと思われますので、法曹以外の方にとってはキツイところもあるかもしれませんね。ともかく、企業法務に携わる者にとりましては、理解度をアップさせるには、どうも会社法が利用される場面における経営学的、経済学的な背景といったものを併せて理解することが最も近道となるのではないか・・・・と思う次第であります。会社法の条文や基本書を読むにあたって「おお、なるほど、こう変わったのか!」と驚きながら読み進めるのと、ただツラツラと暗記できることを期待しつつ読み進めるのとでは、やはり楽しみ方は違うのであります。ただ、「学習法を考えてみました」などと言いつつ、私が勝手に実践している学習法を紹介したにすぎませんので、お試しされて「全然効果ないやんけ!!」とご立腹されませんよう、お願いいたします。(また、このお話はつづきます)

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2006年1月13日 (金)

改正独禁法と企業コンプライアンス

1月4日より改正独占禁止法が施行されまして、ゼネコン各社は企業の「談合根絶」の意思表明のためにも、担当者の一斉配置換えなどを行った、とのことです。課徴金の引き上げ、リーニエンシー制度(課徴金納付猶予制度、刑事不告発)、犯則調査権限強化などによって、談合行為を抑止することが期待されておりますし、また企業自身もコンプライアンス重視の経営方針へと見直しを進めておられるところだと思います。

ただ、談合決別をトップが表明したり、担当者の配置換えを行った程度でゼネコンの体質が変わるようには思えません。そもそも、改正独禁法自身が企業によるコンプライアンス施策を進める方向で機能することはあまり期待できないのではないでしょうか。以前にも少し触れましたが、このたびの改正独禁法で規定されている課徴金につきましては、制裁金としての公正取引委員会の裁量の余地がありません。つまり故意で行おうが、過失によるものであろうが、企業として根絶の努力をしていようが、そういった行為態様には無関係に一定の課徴金納付が課されることになります。従前からの私の意見ではありますが、たとえ違法行為に及んだとしても、その防止のための努力についてはどこかで報われるようなシステムを考えていただかないと、コンプライアンス経営へのインセンティブが失われるわけでして、事前の弁明の機会がほとんど存在しないことと併せ考えますと、おそらくこのたびの改正によってコンプライアンス経営が推進されることにはならないと思います。また、このお正月にも報道されておりましたが、国土交通省や地方自治体は、たとえ(自己申告による)リーニエンシーによって刑事告発がされなかったり、課徴金納付免除の措置がとられる企業が出てきたとしても、排除命令が確定した段階で、なんの特別措置もとらずに営業停止処分、指名停止処分は平等に行う、ということを宣言しました。たしかに独禁法上では司法取引によって課徴金納付義務が免除されたり、刑事告発されずに済むということがあったとしましても、これと同等に経営面への重大な影響を与える営業停止、指名停止措置については免れないとしますと、これまた優先的に違法行為を申告するにあたってのインセンティブが半減してしまうんではないでしょうか。こういったことからも改正独禁法の存在だけをみて、企業のコンプライアンス面での行動規範としての効用といったことには若干疑問が残るような気がします。

たしかに、昨今の談合事件は「官製談合」としての性質を有しているので、民間企業だけで根絶することは困難かもしれませんが、その真摯な取り組みを一般市民に理解してもらい、企業内部においてコンプアイアンス経営を向上させる方針としては、まず建設会社の企業連合会のようなところが「通達」ではなく「声明」として根絶を訴え、企業団体として、自己申告した企業に対しては賞賛の意をもって評価する旨を明確にする必要があると思います。また、私が中堅ゼネコンの破産管財人などを行った経験からして、こういった企業不祥事が発覚すると、すぐに「ダーティー」な部分は下請にかぶらせるようなシステムを大手ゼネコンさん考案される傾向にありますので(もちろん、すべての・・・というつもりはありませんが)、こういったときこそサプライチェーンCSRを表明すべきでしょう。つまり、自ら下請に使った企業が、談合行為の責任を負担しなければならないケースにおいては、元請である大手ゼネコンも連帯して責任を負担することを鮮明にして、大手ゼネコンは、下請企業のコンプライアンス経営を推進することをも具体的な施策を含めて明確に表明すべきだと思います。さらに、企業による自己申告だけでなく、大手ゼネコン各社個別にホットラインを設けて、従業員、役員個人が犯罪行為を自己申告することを奨励するシステム、これを構築し広報する努力が必要です。

もちろん、口で言うほどたやすい問題ではないことは承知しておりますが、ただ、上記くらいのことを明確に宣言してもらえないような企業につきましては、そもそも改正独禁法が施行された当初より、コンプライアンス経営を志向していない企業である、とみなされてもやむをえないのではないでしょうか。

※ 先日、大御所の教授様よりご質問を受け、ようやく本日「諸君!」のバックナンバーが手元に届きました。週末にでも、また「井上薫判事の再任拒否問題」続編をエントリーすることで、ご質問への回答とさせていただきます。

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2006年1月12日 (木)

耐震強度偽装と内部統制の限界

ひさびさの耐震強度偽装問題ですが、捜査機関は2004年3月(すでに2年ほど前ですが)、最初に姉歯元建築士が行った構造計算の問題点を指摘していたアトラス設計の代表者より詳細な事情聴取を行った、という報道がなされております。(読売新聞ニュース

この代表者は民間指定検査機関の最大手である日本ERIにも2004年4月の時点で、姉歯元建築士の構造計算について再調査を行うよう指摘したということですが、日本ERIはこの指摘を担当者がそのまま放置していた、ということのようです。もし、報道された内容が真実だとしますと、たしかに経営陣は事実を認識していなかった、ということにもなりそうですが、こういったケースは内部統制システムの限界事例のひとつと評価できるかもしれません。ある企業リスクを内包する事態が発生した場合に、そのリスクを担当者が隠したり、あるいは経営陣が「リスク」と考えていることを担当者がそのように認識していなかったり、あるいは「後で報告しよう」と考えていながら失念してしまうケースというのは、どの企業でも起こりうることです。こういった事例において、企業の側からリスクの回避手段を検討した場合、内部統制システム構築の限界であって回避不可能と捉えるのか、いやこれはまだ企業の知恵によって回避は可能である、と捉えるのか、そのあたりの判断はムズカシイところではないでしょうか。机上の理屈で考えるならば、いろいろと手段はありそうにも思えますが、営業現場の実際を考えながら実現可能かつ効果的な改善策を検討する、ということは至難の業のようにも思います。とりわけ経営陣の法的責任や企業自体の法的責任の根拠となるような「過失」「故意」を基礎付けるほどの重要な規範を見出すことは、さらなる捜査機関による事実調査を要するものではないか、と予想されます。

もうひとつ気になりますのが、このアトラス設計の代表者に再調査を依頼した元請設計事務所の存在です。この元請設計事務所の再調査依頼は、なにか不審点を発見したうえで依頼されたのか、それとも定期的な再調査依頼だったのか。この耐震強度偽装問題にかかわらず、大きな不祥事を最小限度の事態で防ぐための知恵を知るためにも、こういった発端部分の明確な事実認識を積み重ねるべきではないでしょうか。

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弁護士会事情

今年4月から、500名程度のある弁護士団体の世話役(正確には副幹事長)を仰せつかることになりまして、新旧役員の引継ぎ会がありました。ということで、ビジネス法務とは関係ありませんが、昨今の弁護士会事情など、すこしばかり情報としてお話いたします。

大阪では、この2月まで、日弁連会長選挙と大阪弁護士会会長選挙でホットな闘いが繰り広げられます。普通、選挙といいますと、選挙前からだいたいの「情勢」は判明するわけでありますが、どうも今回ばかりは日弁連も大阪弁護士会も、誰が当選するのか予断を許さない状況であります。トップの掲げる政策目的によって、弁護士会の方向性が大きく変わるだけに今後の展開が非常に気になるところであります。

あと、ホットな話題といいますと「弁護士の公益活動の義務化」といった問題があげられます。金儲けに走る弁護士といったイメージが世間でつきまとうところでありますが、弁護士は必ず、全員が弁護士会の指定する「公益活動」に参加しなければならない、といった規定を設けるものであります。すでに東京の三つの単位弁護士会では導入されている制度でありますが、公益活動をしない弁護士は負担金を納めなければならない、とか懲戒処分の対象になるとか、けっこう厳しい規定を置いておりまして、大阪でもこういった規定を設けるべきかどうか、今後議論されることになります。

それと、大量に大阪へやってくる「司法修習生」のために、修習委員の大幅な増員ですね。私も5年ほど前に経験(2年間)しましたが、原則として弁護士業務の全件について、横にぴったりくっついて履修するわけでして、これがけっこう楽しくもあり、しんどくもあります。

今年はお酒を飲む機会も増えそうですが、またビジネス法務に関するいろんなネタを仕入れる格好の機会でもありますので、できるだけいろいろな専門分野を持つ弁護士さんとの交流を深めていきたいと思っております。何事も前向きで。。。

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2006年1月11日 (水)

東証の「ガバナンス報告制度」の目的は?

(1月11日午後1時 追記あります)

日本経団連タイムス(1月1日号)によりますと、経団連は東証が今年3月から導入を予定しております「コーポレートガバナンス報告制度」(正式には「コーポレートガバナンスの充実に向けた上場制度の整備について」と題する提言を指します)の意見募集に対して、12月5日付けでコメントを提出した、ということであります。(経団連のコメントはこちら)不十分な報告であれば、上場規則などによって事実上の罰則が課される可能性がある、とのことで、経団連としましては東証の想定している報告制度の根幹に修正、改善を要求する内容となっております。

私も以前からかなり気になっていたのですが、「一般投資家による企業評価」のために個々の企業の統治システムを開示することの目的はいったいどこにあるんでしょうか?「コーポレートガバナンスと商法の役割」(神田秀樹編著)の神田教授が執筆した章によりますと、昨今、ガバナンスが世界的に大いに議論されるようになった背景には、①企業不祥事を防止するための不可欠の仕組みと評価されるに至ったこと②企業価値の向上等、企業パフォーマンスの向上に寄与する(らしい)とされていること③欧州特有の事情として、EU会社法の各国における国内法化の是非が議論されていること、などにあるとされています。そういった事情を東証も期待したうえで、一般投資家向けに「コーポレートガバナンス事情の報告」を上場企業に義務付けることに至ったのでしょうか。

しかしながら、経団連のコメントにもありますように、コーポレートガバナンスの良し悪し(良し悪しという概念自体が、そもそもありうるかどうかも、ひとつの問題です)が、企業価値の向上に影響する、といった実証例はあまり今まで紹介されてこなかったのではないでしょうか。また、どういったガバナンス体制を採用していれば、企業不祥事が減少する、といった実証例もあまり聞いたことがありません。もちろん私自身も社外取締役ネットワークの一会員という立場から、コーポレートガバナンスの向上に向けて、各企業が熱心に取り組むこと自体は非常に好ましいことであるとは思いますが、他社との企業価値の比較、ということになりますと、果たして(個々の企業のガバナンスの開示ということに)どれほどの意味があるのだろうか、と逡巡せざるをえません。企業価値を把握するための重要情報や、企業の継続性に影響を及ぼす重要情報を公開することは市場に株式を流通させている企業にとっては当然の義務であると考えますが、企業がどのような統治システムを採用するか、といった事柄がどれほどの重要性があるのか、いまだ十分な議論が尽くされていない感があります。コーポレートガバナンスのあり方をIR活動として、またSR活動として開示するかどうか、それ自体も本来個々の上場企業の自己判断によるガバナンスの問題ではないでしょうか。

また、かりに一歩譲って、コーポレートガバナンスのあり方につきまして、一般投資家向けに公表することに重要な意義があることを認めるとした場合、これまでの東証における上場規則の運用方針とは矛盾することはないのでしょうか。たとえば、東証がガバナンス内容として開示を求めている項目としては取締役、監査役の独立性といった点を強調しておられるようですし、内部統制システムの整備状況などにおきましても、会計監査などに関する体制整備なども盛り込まれているようです。新会社法施行後の取締役会設置会社におけるコーポレートガバナンスの理想を追求するならば、監査役は財務、会計に相当の知識のある者が、その独立性を確保された状況で会社の機関たる会計監査人の業務状況までも内部統制システム監視の一貫として厳に監査していかなければならないはずです。(会社法施行規則の77条、78条あたりを参照いただければご理解いただけるものと思います)そうしますと、これは理屈の問題になってしまうかもしれませんが、財務諸表監査や内部統制監査に対する「適正意見」に食い違いが生じることが多々生じる可能性が出てきます。そういった事態がガバナンス構築の理想形の行方に存在するということでしたら、はたして会計監査人の適正意見や限定意見といったものが、そのまま上場廃止につながるような規則の運用につきましては、これも見直しが必要になってくるのではないでしょうか。(いえ、これはあくまでも理屈の問題ですので、もちろんオトナの事情によって監査役と会計監査人との妥協のようなもので実際には解決することが多いとは思いますが)

なお、コーポレートガバナンスの開示問題につきましては、平成17年12月27日付けにて、日本取締役協会が会社法施行規則案等に対するコメントを法務省に対して提出しておりますので、また次の機会にでも、こちらも検討してみたいと思っております。(興味をお持ちの方は日本取締役協会のHPにアクセスしてみてください)

(追記)

11日の日経新聞に法務省と日本経団連との「省令」に関する「激しい駆け引き」が報じられています。社外取締役に関する情報開示、ということが中心争点で、やはりコーポレートガバナンス開示に関するものです。こちらもたいへん参考になります。

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2006年1月10日 (火)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件(その3)

前回のエントリー(「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件・2)の論点1(会計基準の法的拘束力)について、もうすこし考えてみたいと思います。足利銀行と中央青山監査法人との間における違法配当損害賠償事件のケースでは、(報道記事からの情報だけですが)「当時の金融検査マニュアル」を基準として配当可能利益を算出しなければならないにもかかわらず、これを無視して配当したことで11億円の損害が(足利銀行)に発生した、ということでした。つまり原告である足利銀行側は、金融検査マニュアルの存在を斟酌して、これに従うことが唯一の公正な会計慣行であったということで、監査担当者の違法配当加担の事実を主張するわけです。(しかしこの事件は、ちょっとうろ覚えで申し訳ありませんが、たしか監査法人が監査方針を急に変更したことが、足利銀行破綻処理の引金になったのではなかったかと思います。所轄庁も含めた、当時の監査方針の変更までの経過が今後の問題点になりそうな気もします)

そこで、一般論として問題を引き直してみたいのですが、たとえば財団法人財務会計基準機構内の企業会計基準委員会が、ピースミール方式で迅速に会計基準や運用指針を提言(改廃)しているなかで、個々の会計基準自体は、個々の企業の会計帳簿作成や、会計監査人の監査業務に対する法的拘束力を有するのでしょうか。国際会計基準へのコンバージェンスや、新会社法の施行に合わせて、昨今では様々な企業会計基準や運用指針の新設、見直しが行われているようです。たとえば国際会計基準に合わせることを目的として棚卸資産の「原価法原則、低価法容認」といった基準が、「低価法原則」へと変わることになる、との記事を読みましたが、損益計算の原則からするならば、およそ低価法は合理的でないと言われていましたが、この基準を変更するために、いろいろな理由付けが公表されています。しかしながら、書物や雑誌で紹介されている、どのような(基準変更を正当化する)理由も理論的な説明にはなっていないように思えます。(といいますか、もともと個別の会計基準と企業会計原則との整合性は存在しない、ということで、理論的な説明は無理ということでしょうか?)要するに社会の趨勢によって会計基準は変わりうる、といったものであれば、それは(慣習法的な基準に合致しないかぎり)法的拘束力を持ちえないはずであって、基準策定者への法の個別委任が存在しなければ、デュープロセスとはいえないのではないでしょうか。

企業会計法に関する適切な参考書が周囲にないもので、これはまったくの個人的な意見なのですが、まず証券取引法関連と商法関連に分けて検討する必要があるように思います。そもそも株式が一般投資家によって売買されるような公開企業については、投資家保護の観点から財務諸表規則などが内閣府令として規定されており、そこでは省令の解釈にあたっては公正な会計基準に従うものとする、といった規定が置かれているので、証券取引法によって概ね委任があるものとみてよいのではないでしょうか。つまり企業会計基準委員会が適時報告している会計基準等については、証券取引法上、その拘束力が認められるといったことになるのでは、と。ただ、そうであったとしても次の問題として、会計基準というものが「ミニマム」を定めたものか、「マキシマム」を定めたものか、といった重要な論点が出てきます。おそらく今後の証券取引法(および投資サービス法 仮称)と会計基準との問題は、こっちのほうが議論の対象となっていくのではないか、と予想しています。企業や監査人は、会計基準やその運用指針に出されている項目さえ開示していれば適法であると言えるのか、それとも各企業の実情に応じて、会計基準を超えて、その企業の継続性に影響を与えるような重要事実を適時開示しなければ、一般投資家に対して適法な開示を行ったとはいえないとみなされるのか、そのあたりはどのように考えたらよいのでしょうかね。

つぎに商法と企業会計基準委員会の報告する会計基準の関係でありますが、平成16年7月15日に企業会計基準委員会が「企業会計基準委員会の中期的な運営方針について」と題する報告書のなかでも説明されているとおり、(公開企業だけではなく、閉鎖企業においても商法の計算規定は適用されるわけですから)あくまでも(商法は基本的に強行法規性を有しているので)商法の枠内での指針にとどまるものでありまして、会計基準そのものが法的拘束力があるとはいえないものと思われます。ただ、長銀事件でも触れておりますが、商法32条2項との関係から、会計基準が公正なる会計慣行と認められる場合においては、たとえ商法や規則による委任がない場合であっても、一種の慣習法として商法上の計算規定を解釈するための「法的拘束力」を認めることも可能となるのではないでしょうか。ただ、たとえ法的拘束力を認めることができるとしましても、株式会社全般の計算関係を規制する商法の立場からみれば、一般投資家の投資情報といった趣旨よりも、会社債権者や現株主への情報提供といった趣旨のほうが重視されるものでしょうから、会計基準が画一的であることの要請は若干後退するはずでして、同じ会計帳簿の作成にあたって、複数の公正なる会計慣行が認められる余地も出てくるはずです。そういったケースにおきましては、会計帳簿を作成する企業や監査する会計監査人にとって、判断に裁量の余地が出てくることも十分考えられるように思います。

さて、これまで「商法」と書いてきましたが、それでは新会社法のもとでは、どうなるのでしょうか。現商法下とは異なる扱いになるのでしょうか。一般に株式会社の帳簿作成義務(商法32条1項)は会社法432項1項に、そして「公正ナル会計慣行」の斟酌規定は、会社法431条に対応するものと言われております。そして「株式会社の計算に関する法務省令案」の第3条(斟酌)規定では、会社法431条では消えていたはずの「斟酌する」という言葉がまた復活しております。現商法の「企業会計基準」に対する考え方が、そのまま会社法においても維持されているとみるべきかどうか、そのあたりはまた次回にでも、(論点2の検討とともに)考えてみたいと思います。なお、私には基本的に会計学に関する知識が貧困なために、(また恥ずかしくなるような)大きな誤解があるかもしれませんので、またご教示いただけますとありがたいです。

ところで世間では、このあたりのことを今までにわかりやすく、議論してきたことはあったのでしょうかね。あまり普通のテキストには掲載されていないので、非常に不思議な気がします。ひょっとすると、会計学者と商法学者との「綱引き」のような歴史があるのかもしれません。しかしながら、新会社法のもとでは、監査役と会計監査人との連携ということが大きなテーマになっておりまして、企業の作成すべき会計帳簿の適正性、そしてそれを監査する会計監査人の監査の適正性とは何か、監査役の立場から十分理解しておく必要があります。会計監査人が会社の機関となるわけですから、これまでとは違い、その会計監査業務への監督責任も格段に明確になってきたわけでして、「専門家である会計士さんの指示にしたがっておけばだいじょうぶ。会計監査には口出ししません」(信認の抗弁)はおそらく監査役には成り立たなくなる、と思われます。せめて株主への説明責任を尽くすことができる程度には、会計監査人との業務の連携に関する法律関係を整理する意義は大きいものと考えています。(また、つづく)

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2006年1月 8日 (日)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件(2)

いつもチェックさせていただいている粉飾列島(会計はアートか)のkeizoku2005さんのブログで知ったのですが、足利銀行を原告、中央青山監査法人を被告とする違法配当損害賠償請求事件の第2回公判が昨年12月27日に開かれたようです。元記事はおそらくこの朝日新聞栃木ニュースではないか、と思います。
(ちなみに、記事を引用させていただきますと・・・)

足利銀行の01年3月期決算の粉飾に深く関与したとして、一時国有化中の足銀が、中央青山監査法人に11億円の損害賠償を求めた訴訟の第2回口頭弁論が27日、宇都宮地裁(柴田秀裁判長)であり、中央青山側は粉飾への具体的な関与について「否認ないしは争う」と述べた。中央青山側はまた、足銀監査を担当していた公認会計士が足銀の融資先の旅館の顧問税理士に就任していた事実を初めて認めた。国有足銀は、破綻(はたん)前の01年3月期決算について、繰り延べ税金資産の過大計上や貸し倒れ引当金の過少計上によって粉飾され、11億円が株主に違法に配当されたと主張している。これに対し、中央青山側はこの日、原告足銀が「過大」「過少」の根拠とする「金融検査マニュアル」について、「公正なる会計慣行として法的拘束力を有していたとする根拠は不明」として足銀側に釈明を求めた。また、違法配当があった場合、足銀は、株主に対し不当利得返還請求権を有すると中央青山側は指摘。11億円のうち5億円は整理回収機構に配当されており、中央青山側は「回収は極めて容易」と損害の発生そのものを否定した。また、中央青山の代表社員を務める会計士が、足銀融資先の温泉旅館2社の顧問税理士に00年2月と8月に相次いで就任していた事実を中央青山側が認めた。顧問税理士として2社の実態を熟知し、足銀による2社の債務者区分が虚偽だと認識していたという足銀側の主張に対しては、中央青山側は「否認ないし争う」と答えた。

この記事は、当時足利銀行の会計監査を担当していた中央青山監査法人の(別の代表社員の方が)足利銀行融資先の企業の顧問税理士を務めていたことを認めた点を問題視しているようですが、私はむしろ別の論点に興味を持ちました。

ひとつは、中央青山が足利銀行側に釈明を求めている「2001年3月期決算時に存在していた金融検査マニュアルは、違法配当を認定するうえで法的拘束力をもった基準たりえたのかどうか」といった論点です。つまり、当時の計算書類(または、その基礎となる商業帳簿)作成のための基準となるべき金融検査マニュアルが、現商法32条2項にいうところの「公正なる会計慣行」に該当して法的拘束力を有していたのかどうか、また該当していたとしても、金融検査マニュアルが当時唯一の公正なる会計慣行だったのかどうか、といった問題が今後大きな争点になりそうです。(なお、会社法431条では「株式会社の会計は、一般に公正妥当と認められる会計慣行に従うものとする」と規定されました)この点につきましては、昨年11月15日のエントリー(公正妥当な会計慣行と長銀事件)でも取り上げたところでありまして、企業会計法上、非常に重要だけれども、よくわからない(本当に理解されている方が、一体どれほどいるのだろうか、と疑問を抱く)ところであります。当時の金融検査マニュアルが企業監査業務(もしくは企業会計実務)において、いかに利用(評価)されていたのか、またそれまで別にも、公正妥当と思料される会計慣行が存在していたのかどうか、という事実関係は私の知るところではありませんが、おそらく平成17年5月19日東京地裁判決(いわゆる長銀違法配当民事事件)の判断基準の妥当性を中心に今後双方の主張が尽くされるのではないか、と予想いたします。(ただ、11月のエントリーのときにも申し上げましたが、この判決はまだ高裁で逆転する可能性もありますので、東京地裁の判断が絶対のものとは言い切れません

そしてもうひとつの論点が、足利銀行の損害発生の有無であります。足利銀行は違法配当によって11億円の損害を被ったと主張されているようですが、(粉飾への加担という)不法行為責任を追及されている中央青山側は、「違法配当の場合は会社は配当金を受領した株主の悪意、善意にかかわらず返還を求めることができ(これは現商法に明文規定があります)、とりわけ回収余力のある整理回収機構に5億円も配当をしているのであるから、まずはそっちから返還してもらうべきであり、したがって11億円もの損害は発生していない(もうすこし、推測してもいいのでしたら、株主から11億円分を取り返すことができるのであるから、その取り戻しの努力をしないまま、中央青山に損害賠償を請求することはできない、といった主張になろうか、と思います)」との反論がなされています。なるほど、たしかに会社は違法配当時、株主に対して違法配当金の返還を要求できるわけですから、こういった中央青山の反論も「ごもっとも」かと思われます。「公正妥当な会計慣行」を議論するところは、規定が若干変更されている会社法下においてもそのまま妥当するかどうかはわかりませんが、いずれにせよ、かなり会社法(商法)や、会計基準の概念的フレームワークについて検討するには非常にいい題材だと思いますので、ちょっとこの点を続けて検討していくことにいたします。(と、いいつつ今日はこのへんで失礼いたします)

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2006年1月 7日 (土)

ITと「人」の時代(2)

1月6日の日経朝刊「大機小機」で、「金融とITの垣根」と題する論稿が掲載されております。みずほ証券の誤発注の原因となった危機管理システムの脆弱さや、被害拡大の要因となった東証のシステム不具合を例にとり、システム依存を高める金融業はすでにIT産業そのものであり、経営者が「金融とITの垣根」を自ら突き崩し、システム運営に乗り出す智恵と勇気が求められる、と締めくくっています。どうもトラブル続きの要因は、日本の金融機関や取引所の経営陣の大半が文系出身者であり、システムの世界に対して「敷居が高い」と感じていることにある、と編集記者は推測されているようです。

私も典型的な「文系出身者」でありまして、コンピューターシステムやシステム監査、内部統制システムの構築などと聞くと、かなり身構えるほうです。言語そのものの基礎知識がない以上、「付け焼刃」で理解できるほど甘いものではないことも承知しておりますので、なおさら敷居が高いと感じます。ただ、経営陣を含め、金融機関や東証のスタッフが、こういったシステム運営に関与する、というイメージは、なにもC言語を基礎から理解して、まるで富士通のエンジニアと同様の理解力をもつべきである、などといったことではないと思います。

たとえば、ホンダの開発しているロボット「アシモ君」を想像してみてください。昨年12月に公開されたアシモ君は、二本足で走ることができるようになりました。その開発技術の向上には目を見張るものがあります。しかしながら、どう解釈しても「ロボット」の走りでありまして、人間のように急にとまったり、速度を上げ下げしたり、美しく走ることとは大きな隔たりがあります。おそらく、東証とシステム開発会社との考え方の差異も、このアシモ君と人間ほどの隔たりがあると思います。「もう、みずほ証券の誤発注のようなミスは繰り返しません」と東証は断言していらっしゃいましたが、その東証経営陣の頭の中にあるシステムは、きっと改良を重ねれば人間の走りのようなシステム、つまり東証が考えている不具合の絶対起こらないシステムというものが念頭にあると思います。しかしながら、システム開発企業が念頭に置いておりますのは、多大な費用を投入して最善の技術を投入して開発しても、それは人間の走りではなく、おそらく「アシモ君」の走りではないでしょうか。

それは仕方のない話だと思います。なぜなら、「証券取引所での証券売買システム」といったものは、理系出身のシステム技術者からみれば「まったくの素人」でありまして、付け焼刃の知識などでは到底理解のできない「敷居の高い」領域なわけです。証券取引の実務も法律もわからない素人のシステム技術者に「このまえのようなシステム不良が発生しないものを作れ」と言っても、どだい無理な話です。おそらく、アシモ君の場合には、「こういった信号が送られたら、こういった動作をする」という何千、何万の条件パターンが組み込まれているはずでありまして、その組み込まれたパターンの動きだけを行うようにできているはずです。もし、証券取引所のスタッフが、将来発生しうる不具合パターンをすべて熟知していて、その不具合が発生したら、どういった情報処理をすべきか、すべて組み込むことが可能であれば、それなりにシステム不良を発生しないIT機器の導入も可能かもしれませんが、それは不可能であります。東証が招聘を予定しているCIOに就任される方が、証券取引実務に詳しく、かつシステム導入にも詳しい方だとしても、東証における取引実務において発生すべき不具合のすべてを予想できる、ということは実現不可能でしょう。

だとすれば、「ミスは必ず起こる」ということを前提として、そのリスクを事前に説明すべきだと思います。そしてリスク回避のための手段もしくはリスク発生による被害を最小限度に押さえる工夫こそ、利害関係者へ公表すべきではないでしょうか。そうでなければ、いつまでたっても、システム不具合が生じるたびにトップの交代が行われる、といった歴史を繰り返すだけで終わってしまうような気がします。先の「大機小機」の言葉を引用するならば、「ITと金融の垣根」があるとするならば、それは東証、システム開発企業双方が垣根をよじ登って、垣根の上から握手をするくらいでないと突破できないのかもしれません。前のエントリーでも書かせていただきましたが、もし東証経営陣に垣根を突破する意気込みがあるとするならば、理系出身者のシステム技術者との中間領域である「共通言語」を詳細に作るべきであり、業務フローチャートを用いて「アシモ君」と同様、何千、何万にも及ぶ不具合想定表を作成すべきだと思います。ただ、そこで出来上がるシステムは「アシモ君の走り」であって、人間の走りではないことを十分認識すべきだと思います。

(なお、上記の意見は、私がユーザーさん、ベンダーさん、いずれの立場においても代理人を務めましたシステム開発に関する裁判上の経験からみた個人的な推測に基づくものであります。断定的な主張に誤りが含まれている可能性もありますので、そのあたりご理解ください)

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2006年1月 5日 (木)

最高裁判所大阪支部

午前中から「新年会」続きで、ヘロヘロになって事務所に戻ってまいりました。(やっと明日から本業復帰(ノ^∇^)/ヤッホー  )お昼から赤い顔をして、街を歩くのは年に一回、この日だけです。

新年会(大阪弁護士会の公式行事、先進者顕彰会含む)に出席されていた滝井先生(といいますか、現在は最高裁第一小法廷の判事)の話によりますと、上告受理申立事件数が年間1万件を超え、あと2年ほどで12000件に到達するのは確実な情勢だそうであります。ということは、ひとつの部で年間400件の判決を書かないといけない計算となり、1日1件以上の判決を出す必要があるそうです。部係の調査官は、それぞれ上告された事件の記録を丹念に読み、上告受理代理人が書き漏らしていたような争点、論点まで調査したうえで、裁判官の判断を補佐する、といったハードな仕事を続けておられるそうでして、調査報告を受ける裁判官もたいへんきつい仕事のようです。

しかしいくら「判決理由が3行で上告不受理」といった結論が多いと申しましても、ちょっと1日1件以上の判決は「無茶」ではないでしょうか。債権法の抜本的な改正ということが話題となりましたが、最高裁自体も抜本的な改正をしていかないと、「審理不尽は最高裁」といった笑えない状況に陥ってしまうような気がします。それこそ、大法廷事件のみ東京専属、大阪に小法廷を一個付加する、といったような対策をとらないと、「理由付記不足」といったクレームも出てきてしまいそうですね。

(1月6日 追記)

すいません、ちょっと誤解を生むような書き方でしたが、とくに裁判所のほうで「最高裁大阪支部」開設の準備が進められている、といったものではまったくございません。私の勝手な「期待」をエントリーにしたまででございます。ちょっと何名かの方より問い合わせを受けましたので、念のため。

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「債権法抜本改正」だそうです。

(1月5日 追記あり)

いよいよ今年5月には会社法が施行されるということで、会社法の勉強に勤しんでいらっしゃる方も多いと思いますが、なんと今朝(1月4日)の日経新聞によりますと、2009年にも民法(債権法)の大改正が行われるそうであります。

法務省は民法の柱の1つである「債権法」の抜本的な見直しに着手する。IT(情報技術)や国際化の進展で多様化する契約形態を法律で明確に位置付ける。時効のあり方なども含めて見直す方針で、2009年の法案提出を目指す。1896年の法律制定から100年以上が経過し、現代社会に対応できていない面が多いと判断した。 杉浦正健法相が省内に設置を指示した「民法改正委員会」(座長・内田貴東大教授)が検討を進める。債権法は「融資した金を返せ」など相手に一定の行為を要求できる権利を定めた民法条文の総称。

これまでの民法改正といいますと、ノーマライゼーションの導入やら、IT革新による債権譲渡特例法やら、少しばかり気合入れて勉強すればなんとか対応できたレベルのものでありましたが、「債権法改正」ということになりますと、会社法以上に法曹実務家にとりましては「大革命」でありますし、法学部の学生の皆様にとりましては、(1回、2回で合格されるような優秀な方を除いて)司法試験の勉強中に試験科目の最も大切な部分が変更されてしまう、という「おぞましい」将来予測が成り立つわけであります。(もちろん、司法試験予備校も、ロースクールも皆たいへんな状況が想像されます)金融法務事情の新春合併号(おぉ、ついに横書きになってるぅ!!でも相変わらずB5サイズ・・)の寺田逸郎法務省民事局長新春インタビューにおきましても、「民事財産法編のとくに債権法について より抜本的な内容見直しを図ること・・・などの課題が控えているわけです」と答えていらっしゃいますので、おそらく内田東大教授を座長とする「民法改正委員会」が今年から動き出すことは間違いない事実のようであります。

ただ、この新聞記事だけからでは、ほとんどどんな改正になるのか、まだ皆目見当がつきませんね。第一、「債権法」といいましても、これは講学上の用語ですから、民法上で「ここからここまでが債権法」といった範囲はございません。(債権編という区分がございますが、債権法とは異なります)果たして「契約法」だけをさすのか、「債権総論各論」を含むのか、先取特権や留置権、担保物権を含むのか、いったいどの範囲の債権(関連)法を想定しているのか、そのあたりをまず知りたいところですね。この想定されている債権法の範囲の特定によってずいぶんと勉強量の負担が変わってくると思います。もし、改正される債権法の範囲が相当広いとするならば、また2009年には早速会社法が改正されたり、倒産法も改正されたりするんでしょうね。今年成立予定の改正信託法とか、今後制定される投資サービス法(仮称)なんかも当然に影響を受けるはずですし。(法律雑誌や出版社としてはホクホクのえびす顔ですね)

第二に、「なんでいまごろ抜本的改正」なんでしょうかね?債権法の制定から110年もの間、大改正はなかったわけですが、時代の流れというコトバで説明つくようには思えません。制定から50年経過したところでも「時代の流れ」(時代に対応していない)はあったでしょうし、70年経過したところでも同様なわけでして、なぜその時期に大改正しないで110年経過した「いま」なのか?これは大きな疑問です。会社法のような組織法でしたら、時代の要請によって変遷することも理解できますし、「時代の流れ」というコトバもなんとなく納得いたしますが、取引私法の根本たる債権法を改正させることは「時代の流れ」というコトバでは説明しきれないんじゃないでしょうか。もし取引私法の分野に「時代の流れ」を理由とする変遷を持ち込むとすれば商法総則や商行為法の改正、もしくは特別立法で対応すればいいように思えますが、どうなんでしょうかね。消滅時効のあり方なども見直す方針とありますが、これも「時代の流れ」なんでしょうか。消滅時効を見直すくらいなら、法定利息5%のほうがよっぽど見直すべきなんじゃないか、と思いますが。。。

衝動的な欲望としまして、同業者(弁護士)の方々に、「いま債権法を改正しないと、仕事に支障を来たすって感じあるぅ?」と尋ねてみたい気分です。たとえば、私が現在進行形で裁判を担当しております事件でも、建築設計事務所と施主との「建築設計監理契約」や、ユーザーとベンダーとの「システム開発委託契約」といったものは、果たして請負契約なのか、準委任契約なのか、それ以外の「無名契約」なのか争いがありますし、金融商品販売における説明義務や医師の診療契約上の説明義務なども、「付随契約」なのか「商品(医療行為)の一部」なのか等が争点となりますので、そういった契約体系が明文化されればいいかなぁ、とは思いますが、そういった明文化によってどっちかが有利になるとか、不利になるといったことはあまり考えられないと思いますね。どんなに細かく契約体系を明文化しても、現実に想起する事件は千差万別であって、その細かくなった体系のうち、「今度はどっち」みたいな争いが発生するわけでして、少なくとも裁判を前提としてみた「債権法」の大改正はあまり仕事がしやすくなる、といった恩恵を与えてくれるものではないだろう、と思います。だいいち、新聞の記事で例示されているようなフランチャイズ契約やファクタリング(債権買取契約)などの企業間取引など、普通は契約書がまかれるわけでして、そうでなくても、これから大量な弁護士が世の中に登場する時代になって、法化社会へのインフラは準備中なわけですから契約社会の進化は間違いないはずでしょうし、どうして企業間取引のために(当事者の合理的な意思解釈の指針となる)民法大改正が必要なのかは、ちょっと私には想像がつきません。ひょっとしますと、民法の世界の中にも、会社法や証券取引法のように、国民の社会活動の指針となるような強行法規、行為規範みたいな性格の条文が登場するのでしょうかね?それとも、「裁判規範」といった性格を超えて、手形法上の「人的抗弁の切断」とか「債権譲渡特例法」のように「ある特別の社会」だけを想定した条項などが組み入れられるようになるのでしょうか?しかし、それを民法と呼ぶことは、かなりの「発想の転換」を必要とするような気もします。私は「これでゴハン食べています」ので、民法がどんなに難しくなっても一向に構いませんが、刑事事件が被疑者公選制度、裁判員制度の時代に、民法と民事訴訟法が専門化、複雑化することは「国民に近づく司法」といったタテマエとは矛盾してしまうのではないか、と一抹の不安を覚えてしまうところであります。

(1月5日午前 追記)

読売新聞の朝刊に、すこし詳しい記事が掲載されております。(読売ニュースはこちらです)110年ぶり、ではなく、こちらは60年ぶりの大改正となっています。(ただ60年前の改正は親族・相続編に関するものですから、財産法については110年ぶり、ということでしょうか)また、改正の対象となるのは、主に契約時の取り決めなどを定めた「債権」が中心になるようです。まだ本当かどうかは不明ですが「リース契約」などの項目も新設されるとか。この記事によりますと、日本民法のお手本となったドイツ法とフランス法が、2000年以降相次いで抜本的な見直しがなされるようになった、ということで、そういった国際的な動向も「大改正」の要因になっているようですね。

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2006年1月 3日 (火)

ITと「人」の時代

正月休みに日経新聞の元日版を読みましたが、面白かった記事といえば、ほとんどがIT関連の記事でした。そういった記事を読みながら、つくづくIT化の波が押し寄せるということは、「人」の問題を抜きにしては考えられないといった思いを強くいたしました。

「ニッポンの力」と題する特集記事のなかに、アメリカテキサス大学の技術職員後藤和茂さん(37歳)を紹介する記事がありますが、世界で10指に入る超高速コンピューターを設計する人であっても、「紙とペンで、自分の経験と勘を頼りに」CPUを一人で設計するとのこと。12月21日のエントリーでも書かせていただきましたが、システムの開発も同じことではないでしょうか。設計図は誰かが作るわけで、障害が起こった場合には、その作者の「経験と勘を頼りに」復旧および改良がなされるはずでしょうから、東京証券取引所が「どんなシステムを導入するか」ということ以上に「誰が(新しいシステムを)設計するのか、誰が継続的に保守していくのか」のほうがよっぽど重要ではないでしょうか。もし、一人の力で保守することができないのであれば、そういった一人の「経験と勘」をどうやって、他の人に継承するのでしょうか。「文書化」された設計図面、保守マニュアルを受け継げばいい、共有すればいいとするシステム開発会社と、それ以外の人間的な信頼関係を築く工夫が必要とするシステム開発会社と、どちらの評価が高いのでしょうか。

同じく、「ニッポンの力」と題する特集記事で、スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦さん(67歳)を紹介する記事も興味深いものでした。それぞれの制度が経済システムにどのような影響を及ぼすか、といった比較制度分析をご専門とされていらっしゃる青木氏の見解によりますと、日本の90年代は「制度変化の10年」だったとされ、その最も大きな原因は情報革命と指摘されています。「情報技術の普及によって、暗黙知の重要性が急速に低下した」。暗黙知・・・・・、文字にならない知識、知恵が企業組織内部に蓄積され、これを伝承共有するといったシステムの重要性が低下した、ということだそうであります。日本企業の長所を残しつつ、国際競争力を高めるためにも、日本型資本主義の試行錯誤が欠かせないとのご意見はまこと、そのとおりだと思います。従業員が共有する理念、価値観など市場で瞬時に売り買いができない「企業の重要な部分」を今後(当然に増加が予想されている)M&Aや事業再編の場面において、どう反映させるべきか、知恵を出しあう必要がありそうです。

そして、ソフトバンクが2007年開校をめざす「サイバー大学」。
「情報社会への移行に合わせて、教育も変革する必要がある。ささやかな一歩から踏み出す」目指すものは、「技術専門学校」なのでしょうか、それとも「人の考え方、生き方まで変えるような教育学校」なのでしょうか。IT社会と人との関係をもっとも象徴的に考えることができそうなテーマではないでしょうか。今後の展開が実におもしろそうです。

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2006年1月 1日 (日)

謹賀新年(2006年)

みなさま、あけましておめでとうございます。今年もどうか、よろしくお願いいたします。

KA_692

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