« 井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(2) | トップページ | ライブドア 強制捜査へ(証券取引法違反) »

2006年1月16日 (月)

井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(3)

昨日のエントリーに対しまして、SOJさんより詳細なコメントを頂戴いたしました。昨日紹介させていただきました事例の解決としまして、賃貸借契約における賃貸人からの解除を正当とする「信頼関係破壊」を基礎付ける事実の認定過程(程度型の場合)と、他人の違法行為によって損害を受けた者の時効期間経過後の賠償請求事件の「違法行為」認定過程(順序型の場合)につきまして、裁判所が「信頼関係を未だ破壊するに至っていない」とか「どっちみち消滅時効が成立する」といった心証を得た場合に、評価根拠事実の認定過程や違法行為の認定過程を理由中に記述して判決を下す、といったことは「蛇足」(無駄な記載を含む判決を下すものであって、そのような裁判行為は違法)になるのでしょうか。
まず、SOJさんは、「程度型」の事例については以下のように述べていらっしゃいます。

「信頼関係が破壊されているとまではいえない」という結論を出すのには,少なくとも「信頼関係が破壊されていることを基礎づける事実」すべてに関する事実認定が必要です。次に,信頼関係が破壊されているとの評価を阻害するに足りる事実(これは全て認定する必要がないこともありえます。)を認定します。その上で,上記認定事実に鑑みれば,未だ信頼関係が破壊されているとまではいえないと判示すべきです。このように判示してあれば,上記判断に不服のある当事者が上訴する場合に,原判決の事実認定がおかしいとか法的評価がおかしいとか具体的に論難することが可能になります。
他方,「信頼関係が破壊されていることを基礎づける事実」の有無が全く認定されていないのであれば,「信頼関係が破壊されているとまではいえない」との判断に不服があっても何を攻撃したら良いのかが全く分かりません。私が上訴代理人であれば,原判決には理由不備の違法があると指摘します。

井上判事の著書の信奉者である私としましても、(残念ながら)このSOJさんの意見にまったく同感であります。現実に裁判代理人を日々担当している立場としまして、不動産明渡事件などのケースで「信頼関係違背に該当するかどうか」が最大の争点となる場合は頻繁に経験するわけですが、どういった根拠事実が足りなかったのか(もしくは事実認定のためどういった証拠評価がされたのか)、また相手方の主張した信頼関係違背を打ち消す事実がどう評価されたのか、を判決によって知ることができなければ、果たして控訴裁判所で、原審裁判官の判決をどう批判すべきか理解不能に陥ってしまいます。最初のエントリーの際にも申し上げましたが、日本の裁判では代理人弁護士をつけない一般国民が(本人訴訟の原則)、少なくとも事実、法律両面において最低2回以上の異なる裁判官の裁判を受けることが保証されていますし、これが保証されない場合には憲法上の国民の「裁判を受ける権利」が侵害されていう状況が出現されてしまいます。したがいまして裁判官としましては「あなたの主張する(信頼関係違背)といった解除根拠については、こういった事実が認められて、なるほどとは思うんだけど、相手からはこういった事実が主張され、それも証拠によって認められるから、もうすこしというところで信頼関係が破壊された、とまでは評価できませんでした」と説明してあげることは、一般国民の法的素養を基準とした観点から理解しうる程度には必要ではないか、と思われます。

さて、つぎに順序型のケースにおきましては、SOJさんは次のとおりコメントされています。

ただ,順序型の場合には,井上判事の「蛇足」との批判が全く成り立つ余地がないとまで断言する気はありません。消滅時効が明らかに成立するのであれば,不法行為の成否に触れることは適切ではないというのはありえる見解です。まさに司法の役割をどう考えるかの根源に関わってくる問題です。
もっとも,不法行為の態様等によっては,消滅時効の援用が権利の濫用として許されないという法理を承認するのであれば,不法行為の成否を認定する必要がある場合もありうることを付言しておきます。

井上判事の「判決蛇足主義」が有力に唱えられる最大の根拠は、じつはこの「順序型」にあるのではないでしょうか。井上判事の類型のうち、いくつかのものが「蛇足」ではないとの反論が可能でありましても、この「順序型」については反論不能ということであれば、(範囲が異なるとはいえ)判決理由には「蛇足」と評価しうるものもある、と認めざるをえなくなり、井上判事の提唱される理論の正当性を一部担保するものと認めざるをえないように考えられます。ただ、私はつぎのような理由から、判決理由に傍論を付すかどうかは「裁判官の裁量行為」であって、井上判事の提唱している「蛇足=裁判官の違法」は成り立たないと考えています。

ひとつめは、要件事実論の考え方であります。たしかに消滅時効の抗弁事実の認定過程さえ論じれば、設問事例では当事者の紛争解決のためには十分でありますが、民商法の「消滅時効」の規定の仕方を読むと、そこにはまず「請求権の存在」が既定のものであるように、素直に読めます。もし消滅時効といった制度が、「権利の上に眠る者を保護しない」といった趣旨で規定されたのであるならば、当然のことながらまず原告の請求権が存在して、その請求権の行使を障害するのが時効制度だと認識できます。そのように考えるならば、要件事実論にも忠実に再現すべきでしょうし、裁判官は(たとえ訴訟経済的には不経済であっても)まず請求権存否、その後時効抗弁の存否、といった順序立てた判断基準に拘束されるのだ、といった議論も成り立ちます。もし、時効制度の趣旨といったものが「平穏な現実状態の保護」にある、といった法的安定性を重視する立場から説明されるのであれば、要件事実論としても、請求権の存否とは無関係に消滅時効の要件該当性のみを判断することも可能でしょうし、井上判事の言われるように請求権の根拠事実を論ずることは蛇足になりそうです。しかしながら、民商法上の消滅時効の制度について、どういった制度趣旨が正しいのかといった問題は決着をみないものですし、おそらく法律を扱う人間の法律観に委ねられているものでしょうから、「どっちが正しく、どっちが間違い」といった問題ではないと思われます。このように考えますと、政策的な理由というよりも、理屈の問題として「蛇足=裁判官の違法行為」にはどうしてもなりえないのではないか、と思う次第であります。

さて、もうひとつの理由としましては、井上判事の提唱を根拠付ける「蛇足を付すことによる弊害論」への疑問であります。井上判事は「違法行為を裁判官が判断しつつ、消滅時効によって違法行為者を勝たせてしまうと、違法行為者は、控訴することによって自らの名誉を回復する術がなくなってしまい、実質的な敗訴者になってしまう。」ということを憂いていらっしゃいます。ただ、この弊害論につきましても、なぜ裁判に勝訴した者の名誉が侵害されるか、といいますと、それは現実の日本社会における法学教育やマスコミ報道の影響によるものでして、民事事件では51対49の心証であっても裁判官は「違法行為を認定する」可能性があるのであって、刑事事件の裁判官が違法行為(刑罰を課す)心証程度とは大きく異なることが知悉されていない現状とか、これをマスコミが国民に適切に説明していないといった現状によって形成されているわけでして、今後の法学教育なりマスコミの対応に変化が生じれば名誉侵害といった状況も変化する可能性があるわけです。また、刑事裁判が進行するのであれば、その裁判において名誉回復を図ることもできるわけですし、検察官による訴追がなければ、これも名誉回復を基礎付ける事実にもなりうるわけです。そのように考えますと、「法的に」裁判官の判断対象を抑制するに値するだけの根拠となりうるか、といいますとかなり疑問が生じるように思えます。
こういったことから、私としましても井上判事が「蛇足」として論じていらっしゃる具体的な事例での判決理由につきまして、「蛇足」なのか「重要な判決中の傍論」と考えるのかは、明確な結論はだしえないのであって、最終的には「独立性」を保障された裁判官による裁量の問題であると評価いたします。

2 裁判官の再任拒否問題と裁判官の独立との関係

以上のような考えからから、私は井上判事の主張されるような「蛇足=裁判官の違法」にはなりえないことを説明いたしましたが、それと同時に「蛇足を付さない=再任拒否事由に該当する」といったことも成り立ちえないと思います。なぜなら、裁判所としては判断事由の可否についての各裁判官の考え方は裁量に委ねるはずですし、まずもって「蛇足」と言われる範疇が存在すること自体、おそらく認めないであろうと思われるからです。したがいまして、論点のすりかえ、といったことも理論上はありえないはずです。さてそれでは、「判決の長短」をもって、これも各裁判官の裁量に属する事由であって、再任拒否の理由とはならないのか、これをもって再任拒否とすることは裁判官の独立を侵害することになるのか、この点についてつぎに検討してみたいと思います。(今度の週末あたりにつづく・・・とさせてください。あぁ しんど・・・・・また、明日はビジネス法務モノに復帰いたします。。。)

|

« 井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(2) | トップページ | ライブドア 強制捜査へ(証券取引法違反) »

コメント

先日は、事情もよく理解していないままに勝手なコメントを書いてしまいまして、すいませんでした。私も、toshiさんと同じような意見を書きたかったのですが、たとえ書いていたとしても、このようにうまく整理して書くことはできなかったと思います。
裁判官の任用制度については、たしか1998年ころまでは客観的な評価システムがあり、そのなかに「再任に関する評価基準」も存在していたものと記憶しています。ただ、司法制度の民主化や、日弁連との人事交流などの促進との関係などからそういった評価基準が廃止されて、基準が曖昧になりました。せっかく井上薫判事が提唱した問題ですし、この際再任問題と裁判官の独立について、議論が盛り上がってほしいですね。

投稿: kanji.moto | 2006年1月16日 (月) 12時09分

>kanji.motoさん

どうも、レスが遅れまして申し訳ございませんでした。せっかくご意見を頂戴する機会をもうけようか、と考えていたところに、ライブドア関連のエントリーを立ち上げましたが、また週末でも続きをエントリーしたいと考えております。
どうか完結した際には、以前お考えになっていた(?)というご意見を頂戴できますでしょうか。
また、よろしくお願いいたします。

投稿: toshi | 2006年1月19日 (木) 11時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(3):

« 井上薫判事再任拒否問題と裁判所のデュープロセス(2) | トップページ | ライブドア 強制捜査へ(証券取引法違反) »