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2006年1月10日 (火)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件(その3)

前回のエントリー(「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件・2)の論点1(会計基準の法的拘束力)について、もうすこし考えてみたいと思います。足利銀行と中央青山監査法人との間における違法配当損害賠償事件のケースでは、(報道記事からの情報だけですが)「当時の金融検査マニュアル」を基準として配当可能利益を算出しなければならないにもかかわらず、これを無視して配当したことで11億円の損害が(足利銀行)に発生した、ということでした。つまり原告である足利銀行側は、金融検査マニュアルの存在を斟酌して、これに従うことが唯一の公正な会計慣行であったということで、監査担当者の違法配当加担の事実を主張するわけです。(しかしこの事件は、ちょっとうろ覚えで申し訳ありませんが、たしか監査法人が監査方針を急に変更したことが、足利銀行破綻処理の引金になったのではなかったかと思います。所轄庁も含めた、当時の監査方針の変更までの経過が今後の問題点になりそうな気もします)

そこで、一般論として問題を引き直してみたいのですが、たとえば財団法人財務会計基準機構内の企業会計基準委員会が、ピースミール方式で迅速に会計基準や運用指針を提言(改廃)しているなかで、個々の会計基準自体は、個々の企業の会計帳簿作成や、会計監査人の監査業務に対する法的拘束力を有するのでしょうか。国際会計基準へのコンバージェンスや、新会社法の施行に合わせて、昨今では様々な企業会計基準や運用指針の新設、見直しが行われているようです。たとえば国際会計基準に合わせることを目的として棚卸資産の「原価法原則、低価法容認」といった基準が、「低価法原則」へと変わることになる、との記事を読みましたが、損益計算の原則からするならば、およそ低価法は合理的でないと言われていましたが、この基準を変更するために、いろいろな理由付けが公表されています。しかしながら、書物や雑誌で紹介されている、どのような(基準変更を正当化する)理由も理論的な説明にはなっていないように思えます。(といいますか、もともと個別の会計基準と企業会計原則との整合性は存在しない、ということで、理論的な説明は無理ということでしょうか?)要するに社会の趨勢によって会計基準は変わりうる、といったものであれば、それは(慣習法的な基準に合致しないかぎり)法的拘束力を持ちえないはずであって、基準策定者への法の個別委任が存在しなければ、デュープロセスとはいえないのではないでしょうか。

企業会計法に関する適切な参考書が周囲にないもので、これはまったくの個人的な意見なのですが、まず証券取引法関連と商法関連に分けて検討する必要があるように思います。そもそも株式が一般投資家によって売買されるような公開企業については、投資家保護の観点から財務諸表規則などが内閣府令として規定されており、そこでは省令の解釈にあたっては公正な会計基準に従うものとする、といった規定が置かれているので、証券取引法によって概ね委任があるものとみてよいのではないでしょうか。つまり企業会計基準委員会が適時報告している会計基準等については、証券取引法上、その拘束力が認められるといったことになるのでは、と。ただ、そうであったとしても次の問題として、会計基準というものが「ミニマム」を定めたものか、「マキシマム」を定めたものか、といった重要な論点が出てきます。おそらく今後の証券取引法(および投資サービス法 仮称)と会計基準との問題は、こっちのほうが議論の対象となっていくのではないか、と予想しています。企業や監査人は、会計基準やその運用指針に出されている項目さえ開示していれば適法であると言えるのか、それとも各企業の実情に応じて、会計基準を超えて、その企業の継続性に影響を与えるような重要事実を適時開示しなければ、一般投資家に対して適法な開示を行ったとはいえないとみなされるのか、そのあたりはどのように考えたらよいのでしょうかね。

つぎに商法と企業会計基準委員会の報告する会計基準の関係でありますが、平成16年7月15日に企業会計基準委員会が「企業会計基準委員会の中期的な運営方針について」と題する報告書のなかでも説明されているとおり、(公開企業だけではなく、閉鎖企業においても商法の計算規定は適用されるわけですから)あくまでも(商法は基本的に強行法規性を有しているので)商法の枠内での指針にとどまるものでありまして、会計基準そのものが法的拘束力があるとはいえないものと思われます。ただ、長銀事件でも触れておりますが、商法32条2項との関係から、会計基準が公正なる会計慣行と認められる場合においては、たとえ商法や規則による委任がない場合であっても、一種の慣習法として商法上の計算規定を解釈するための「法的拘束力」を認めることも可能となるのではないでしょうか。ただ、たとえ法的拘束力を認めることができるとしましても、株式会社全般の計算関係を規制する商法の立場からみれば、一般投資家の投資情報といった趣旨よりも、会社債権者や現株主への情報提供といった趣旨のほうが重視されるものでしょうから、会計基準が画一的であることの要請は若干後退するはずでして、同じ会計帳簿の作成にあたって、複数の公正なる会計慣行が認められる余地も出てくるはずです。そういったケースにおきましては、会計帳簿を作成する企業や監査する会計監査人にとって、判断に裁量の余地が出てくることも十分考えられるように思います。

さて、これまで「商法」と書いてきましたが、それでは新会社法のもとでは、どうなるのでしょうか。現商法下とは異なる扱いになるのでしょうか。一般に株式会社の帳簿作成義務(商法32条1項)は会社法432項1項に、そして「公正ナル会計慣行」の斟酌規定は、会社法431条に対応するものと言われております。そして「株式会社の計算に関する法務省令案」の第3条(斟酌)規定では、会社法431条では消えていたはずの「斟酌する」という言葉がまた復活しております。現商法の「企業会計基準」に対する考え方が、そのまま会社法においても維持されているとみるべきかどうか、そのあたりはまた次回にでも、(論点2の検討とともに)考えてみたいと思います。なお、私には基本的に会計学に関する知識が貧困なために、(また恥ずかしくなるような)大きな誤解があるかもしれませんので、またご教示いただけますとありがたいです。

ところで世間では、このあたりのことを今までにわかりやすく、議論してきたことはあったのでしょうかね。あまり普通のテキストには掲載されていないので、非常に不思議な気がします。ひょっとすると、会計学者と商法学者との「綱引き」のような歴史があるのかもしれません。しかしながら、新会社法のもとでは、監査役と会計監査人との連携ということが大きなテーマになっておりまして、企業の作成すべき会計帳簿の適正性、そしてそれを監査する会計監査人の監査の適正性とは何か、監査役の立場から十分理解しておく必要があります。会計監査人が会社の機関となるわけですから、これまでとは違い、その会計監査業務への監督責任も格段に明確になってきたわけでして、「専門家である会計士さんの指示にしたがっておけばだいじょうぶ。会計監査には口出ししません」(信認の抗弁)はおそらく監査役には成り立たなくなる、と思われます。せめて株主への説明責任を尽くすことができる程度には、会計監査人との業務の連携に関する法律関係を整理する意義は大きいものと考えています。(また、つづく)

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コメント

おはようございます。今年もよろしくお願いいたします。(相変わらず精力的に更新されていますね・・・)
さて、この論点はとても根深いところがあるように思えますが、ちょっと誤解されているのではないか、と思われる点だけ(たいへん僭越ながら)ご指摘させていただきます。
証券取引法と商法に分けて検討すべき、というご指摘でありますが、そもそも証券取引法関連でいえば開示規制ということではなかろうか、と思います。投資家保護目的ということですから、ここまでは争いはないと思いますが、それではなぜ会計基準を開示することに法規制をしなければいけないのか、といった問題が発生いたします。このあたりも、かなり争点になりえるところでありまして、toshiさんの言われるように「すんなりと」法規制があたりまえ、といった結論にはならないように思います。もちろん、弥永先生のように、法規制が必要である、と明言されている学者さんもいらっしゃいますが、けっこう商法規制とは別に考える説も有力ではないでしょうか。
また、なにかの参考にしていただければ幸いです。もちろん誤解等ありましたがご指摘いただきたく。

投稿: 神田川康雄 | 2006年1月10日 (火) 12時03分

>神田川さん

お返事が遅れました。ご教示どうもありがとうございました。
ちょっと、ご指摘の点を調べておりました。弥永教授が法学ライブラリシリーズで「企業会計法」という一巻をご担当されていらっしゃいますが、そのなかにご指摘のような記載がございました。
ただ、このあたりは法源がどこにあるのか、といった問題と、そもそも法的根拠は不要ではないか、といった議論が混在しており、いまだに議論の整理がなされていないのではないか、といった印象を持ちました。いずれにしましても、たしかにすんなりと法規制があたりまえ、といったことではないものと認識いたしました。
今後とも、どうかよろしくお願いいたします。

投稿: toshi | 2006年1月11日 (水) 11時19分

こんばんわ。またお邪魔いたします。。。

会計基準に会社法あるいは証取法の拘束力を認めている国は意外と少ないようですね。
このあたりは会計基準設定主体のあり方として、企業会計基準委員会が設立された頃は議論になってましたが、最近は話題になりませんね。

企業会計基準委員会が法令上の根拠を有しておらず、企業会計審議会からの明示的な委任もないとすると、同委員会が公表した会計基準が「唯一」の公正妥当な会計基準になることなどないんでしょうかね。

あと蛇足ですが、
>ちょっとうろ覚えで申し訳ありませんが、たしか監査法人が監査方針を急に変更したことが、足利銀行破綻処理の引金になったのではなかったかと思います。

の点ですが、中央青山を相手取った損害賠償請求は延べ10件ほどあり、大別すると①03年9月中間決算で、中央青山が繰延税金資産を全額否認したことに関する責任を問うもので、03年3月期にゴーイングコンサーン注記を付していなかったのに、その半年後に豹変して判断を変更したことは、監査業務の目的や責任に反して違法だとの主張。もうひとつは②遅くとも1999年3月期以降、足銀は債務超過にあったとして、中央青山も粉飾決算に積極的に加担していたとの主張
にわけられるようです。ご参考まで。

もうひとつだけ、細かい話で申し訳ないのですが、1月9日のエントリーにあります、
>当時足利銀行の会計監査を担当していた中央青山監査法人の(別の代表社員の方が)足利銀行融資先の企業の顧問税理士を務めていた

点について、私もうろ覚えで申し訳ないのですが、この顧問税理士に就任していた人物は、足銀の監査責任者と同一人物ではありませんでしたっけ?11月1日のtoshiさんのエントリーにもそのような記述があるように思うのですが・・ご存知でしたらご教示下さい。

長々と失礼しました。

投稿: keizoku | 2006年1月12日 (木) 00時47分

>keizokuさん

足銀の監査責任者の件、次回エントリーまでの間に確認しておきます。どうもご指摘ありがとうございました。しかしこの「会計慣行」の裁判規範性の問題、考えれば考えるほど、おもしろい論点ですね。これだけでかなりたくさんのエントリーができそうな気がしてきました。
またお気づきの点がございましたら、ご指摘いただけますと助かります。

投稿: toshi | 2006年1月13日 (金) 02時07分

弥永先生の論文も貴重ですが、島原先生の「企業会計法の展開と論理」も公正なる会計慣行を正面から捉えた本のようです。
http://bookweb.kinokuniya.jp/htm/4419041919.html

投稿: bp | 2006年2月26日 (日) 12時30分

bpさん

はじめまして。コメント、どうもありがとうございました。
浅学なもので、こういった書物があるのは初めて知りました。
これはまたまた面白そうですね。こういった本で一番の興味は法学と会計学の「綱引き」の歴史みたいなところでして、そういったところが解説されていることを期待してみます。
ぜひ購入のうえ、また感想を述べてみたいと思います。ご教示ありがとうございます。

投稿: toshi | 2006年2月27日 (月) 02時42分

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