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2006年1月 7日 (土)

ITと「人」の時代(2)

1月6日の日経朝刊「大機小機」で、「金融とITの垣根」と題する論稿が掲載されております。みずほ証券の誤発注の原因となった危機管理システムの脆弱さや、被害拡大の要因となった東証のシステム不具合を例にとり、システム依存を高める金融業はすでにIT産業そのものであり、経営者が「金融とITの垣根」を自ら突き崩し、システム運営に乗り出す智恵と勇気が求められる、と締めくくっています。どうもトラブル続きの要因は、日本の金融機関や取引所の経営陣の大半が文系出身者であり、システムの世界に対して「敷居が高い」と感じていることにある、と編集記者は推測されているようです。

私も典型的な「文系出身者」でありまして、コンピューターシステムやシステム監査、内部統制システムの構築などと聞くと、かなり身構えるほうです。言語そのものの基礎知識がない以上、「付け焼刃」で理解できるほど甘いものではないことも承知しておりますので、なおさら敷居が高いと感じます。ただ、経営陣を含め、金融機関や東証のスタッフが、こういったシステム運営に関与する、というイメージは、なにもC言語を基礎から理解して、まるで富士通のエンジニアと同様の理解力をもつべきである、などといったことではないと思います。

たとえば、ホンダの開発しているロボット「アシモ君」を想像してみてください。昨年12月に公開されたアシモ君は、二本足で走ることができるようになりました。その開発技術の向上には目を見張るものがあります。しかしながら、どう解釈しても「ロボット」の走りでありまして、人間のように急にとまったり、速度を上げ下げしたり、美しく走ることとは大きな隔たりがあります。おそらく、東証とシステム開発会社との考え方の差異も、このアシモ君と人間ほどの隔たりがあると思います。「もう、みずほ証券の誤発注のようなミスは繰り返しません」と東証は断言していらっしゃいましたが、その東証経営陣の頭の中にあるシステムは、きっと改良を重ねれば人間の走りのようなシステム、つまり東証が考えている不具合の絶対起こらないシステムというものが念頭にあると思います。しかしながら、システム開発企業が念頭に置いておりますのは、多大な費用を投入して最善の技術を投入して開発しても、それは人間の走りではなく、おそらく「アシモ君」の走りではないでしょうか。

それは仕方のない話だと思います。なぜなら、「証券取引所での証券売買システム」といったものは、理系出身のシステム技術者からみれば「まったくの素人」でありまして、付け焼刃の知識などでは到底理解のできない「敷居の高い」領域なわけです。証券取引の実務も法律もわからない素人のシステム技術者に「このまえのようなシステム不良が発生しないものを作れ」と言っても、どだい無理な話です。おそらく、アシモ君の場合には、「こういった信号が送られたら、こういった動作をする」という何千、何万の条件パターンが組み込まれているはずでありまして、その組み込まれたパターンの動きだけを行うようにできているはずです。もし、証券取引所のスタッフが、将来発生しうる不具合パターンをすべて熟知していて、その不具合が発生したら、どういった情報処理をすべきか、すべて組み込むことが可能であれば、それなりにシステム不良を発生しないIT機器の導入も可能かもしれませんが、それは不可能であります。東証が招聘を予定しているCIOに就任される方が、証券取引実務に詳しく、かつシステム導入にも詳しい方だとしても、東証における取引実務において発生すべき不具合のすべてを予想できる、ということは実現不可能でしょう。

だとすれば、「ミスは必ず起こる」ということを前提として、そのリスクを事前に説明すべきだと思います。そしてリスク回避のための手段もしくはリスク発生による被害を最小限度に押さえる工夫こそ、利害関係者へ公表すべきではないでしょうか。そうでなければ、いつまでたっても、システム不具合が生じるたびにトップの交代が行われる、といった歴史を繰り返すだけで終わってしまうような気がします。先の「大機小機」の言葉を引用するならば、「ITと金融の垣根」があるとするならば、それは東証、システム開発企業双方が垣根をよじ登って、垣根の上から握手をするくらいでないと突破できないのかもしれません。前のエントリーでも書かせていただきましたが、もし東証経営陣に垣根を突破する意気込みがあるとするならば、理系出身者のシステム技術者との中間領域である「共通言語」を詳細に作るべきであり、業務フローチャートを用いて「アシモ君」と同様、何千、何万にも及ぶ不具合想定表を作成すべきだと思います。ただ、そこで出来上がるシステムは「アシモ君の走り」であって、人間の走りではないことを十分認識すべきだと思います。

(なお、上記の意見は、私がユーザーさん、ベンダーさん、いずれの立場においても代理人を務めましたシステム開発に関する裁判上の経験からみた個人的な推測に基づくものであります。断定的な主張に誤りが含まれている可能性もありますので、そのあたりご理解ください)

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コメント

これ、いいエントリですね。私はもっと素人だと思うのですが、素人なりに思うのはシステム設計は何かと何かのトレードオフの関係にあるのだということです。迅速な取引成立VSご発注の防止だったり、システム投資VS取引手数料の引き下げであったり、何かをすれば何かを失う関係にあって、完全無欠の制度は存在しえません。システムの穴は必ず発生することを前提に人為的なバックアップ体制をどのように機能させるのか、マニュアルを作成するだけにとまらず、現場が迅速な判断で対応できるような訓練というものが必要なのだろうと素人なりに考えているところです。取引所というとどうも官僚組織化しているイメージを時々持ってしまいますが、証券取引とコンピュータシステムとの両方に精通した人材を育てていくという面も考えてほしいところです。当たり前といえば当たり前の抽象論で申し訳ありません。今年もどうぞよろしくお願いします。

投稿: neon98 | 2006年1月 7日 (土) 04時49分

はじめまして。いつもROMさせていただいております。私もたいへんおもしろいエントリーだとおもいました。私も文系でありますが、こういったイメージでとらえると、すこしばかり「システム」への拒否反応が減りそうです。自分のできる範囲で、SEの方ともおつきあいしていけそうな気がしてきました。
これからもがんばってください。

投稿: 穐山吾郎 | 2006年1月 7日 (土) 09時57分

こんにちは。

私も賛成です。ミスは限りなく0に近づけることができても0には未来永劫なりませんね。ですから

>「もう、みずほ証券の誤発注のようなミスは繰り返しません」と東証は断言

というのは決意表明としてしか意味がない、と思います。この断言自体がまだ「わかっていない」証拠であり、むしろ必ず繰り返す、と断言できます。それにむしろ起こった方がよかったという結果に、これから次第でできると思います。ただ公的に必ず繰り返すとは言えないというだけのことだと思います。

あっと驚くようなミスは事後見れば、いつも「こんな偶然すらありうるのか!」という、芸術的ですらある偶然の積み重ねからできていますね。要は「忘れた頃にやってくる」の言葉で言い尽くされていることですけれど、いくら小さな確率の出来事でも、いざ現実になるときミスは人の迷惑など顧みず、何の前触れも予告もなく、極めてぶっきらぼうに、ドンと現実になります。保険などの周辺技術を発達させることはできても基本的にミスによる損害は一旦は全て受け止めつくすしか術がない。そして二度と元に戻ることができない。人の世のどこまで発達してもいつまでも悲しいところであります。

さて理系技術者からみると、文系のみなさんは仕事をする上で、情緒的・定性的・政治的な理解によって動機付けられている印象があります。実際にものづくりをすると、そういう理解にはひっかかってこない、単に必要だからやる、そういうことだらけなのに、自分が何に動くかについて、大変に政治的というか、利害関係に敏感すぎる印象があるのです。こうした印象が何に由来するかは、たとえば田中耕一氏が一目で文系でないとわかる、そのあたりをお考えいただければいいかもしれません。何にも報われないが必要な作業とか、誰にも褒められない作業に耐えられない方が多い、文系の方にはそうした印象があるんであります。

ちなみに私はご存知の通りバリバリの文系です(笑)。今もう少し理系的であろうと改造中であります(笑)。人は変わりますし変われますから。

しかしながら、システム構築では、ありがちなミスなり被害なりについてはこれまでの蓄積があって、回避する方法も定式化されてきています。みずほのミスも、あのミスのおかげで、後日のより酷いミスを回避できるようになったといえる布石にできます。要は水ぼうそうとか三日はしかの類にできるということで大事なのはこれからですね。

投稿: bun | 2006年1月 7日 (土) 14時51分

>neon98さん

今年も、よろしくお願いいたします。原稿の執筆などでお忙しいとのことですが、またオヒマがありましたら、立ち寄ってくださいね。
東証だけの問題ではなく、こういったクライシスマネジメントや内部統制システム構築の際には、トレードオフの関係は不可避に生じるのではないでしょうか。東証のHPには、こういったリスクマネジメントに関する東証自身のコメントが5枚程度でまとめられているのですが、それを読んでみましても、こういったトレードオフの関係が生じるような記載が見当たりませんでした。(すくなくとも一読した限りにおいては)やはり、「すべてがうまくいく」ような書き方はどうも信用できないような気がしてまいります。
また、今年もいろいろとご教示ください。

>穐山さん

どうもはじめまして。いつもお読みいただき、ありがとうございます。どっかで、垣根を越える必要性があることはわかってはいるんだけども、とてつもなくムズカシイことのように感じるんですよね。実は私もそうなんです。SEさんに、「その気にさせる」ためには、やはりこちらも理解しようという努力は欠かせないものだと思いますね。
また、遊びにきてください。

>BUNさん

なるほど、前向きな意見ですね。政治的な動機といわれればそうかもしれません。そういった意味では、動機自体に理系人間と文系人間との隔たりがあって、それを理解しあうことから協力作業が始まるような気がしてきました。いつもながら面白い発想です。ひょっとすると、私がそこまで腹を割って理系人間の方たちとお話をしてこなかったのかもしれません。こういった視点で今度、うちの顧問SEさんとお話してみようかなぁ・・・

投稿: toshi | 2006年1月 8日 (日) 02時11分

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