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2006年2月24日 (金)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その4)

1月10日のエントリー(公正妥当な企業会計慣行と長銀事件その3)におきまして、こういった「公正ナル会計慣行」の解釈指針といったものを詳細に検討した書物とかありませんかね・・・と漏らしておりましたが、ちょうど1月21日発売の「判例時報1911号」25ページ以下で、弥永真生教授が「会計基準の設定と公正ナル会計慣行」といった論文を発表されました。また、1月25日発売の「商事法務1755号」37ページ以下では田路弁護士、圓道弁護士共著によります「リース会計基準変更に関する法的検討」といった論稿も著されまして、近時の長銀事件、日債銀事件の刑事・民事判例などとの比較においてタイムリーな法的整理が試みられております。個人的にはものすごく興味のあるテーマなんで、たいへん興味深く、どちらも拝読させていただきました。(いつもブログを拝見しておりますぴてさんのエントリーで知りました)

私などが論評できるようなものではないことを重々承知のうえで、単なる感想として申し上げるならば、まず田路弁護士らの論文につきましては、ASBJ(財務会計基準機構・企業会計基準委員会)による(基準の)見直し方針が固まった「リース会計基準」の変更に焦点を当てて、その法的な妥当性と拘束力を検討するといった内容のものでありまして、「公正なる会計慣行」の法的問題点を非常にわかりやすい具体例を中心に論じていらっしゃいますので、内容がまことにわかりやすいものになっております。一方の判例時報における弥永教授の論文は、その判例分析の手法といい、法的論点の検証といい非常に精緻でして、「公正なる会計慣行」の法学的、会計学的意味を鳥瞰するにはたいへん貴重な論文といえるかと思います。(注の数がたいへん多く、参考書籍なども網羅されているような感じがします)

商法監査の対象として、これまで公正なる会計慣行があったと思料される「リース会計基準」を、ASBJが見直す場合に、新しく作られた「リース会計基準」はいつから公正なる会計慣行になるのか、そしていつから「唯一の」会計慣行となるのか・・・といった問題の捉え方は議論をする材料としましては非常にわかりやすい事例だと思います。ただし「公正ナル」といった意味をどう捉えるか(会社法のなかの計算規定の目的、つまり会社の財産および損益の状況を明らかにする目的といったものを広く解釈するのか、狭く解釈するのか)、その法的拘束力といった意味をどう捉えるか(唯一の会計慣行となったときに初めて法的拘束力があるとみるのか、二つ以上の会計慣行が存在する場合にも、それ以外は合理的な理由がないかぎり違法とみれば、それも法的拘束力があるとみるのか)など、論文を比較しましても、まだまだ一義的には論じられていないところが散見されます。浅学者が偉そうに言うのもおかしいのですが、まだまだ問題点を整理するにあたっては、用語の共通化が必要な分野ではないか、と感じました。

それと、弥永教授の論文のなかで、ある会計基準が適用されて、その新基準が公正なる会計慣行になるためには、どこかの企業が適用し始めて、将来的に他の企業も適用するであろうことが確実と思われる状況であれば「会計慣行」となりうる(おそらく現在の多数説)としながら、会計慣行性が喪失される要件としては、あくまでも「事実認識である(たとえば、同業種、同規模の企業において、旧会計基準を適用しているところが少なくなったなど)」とされていることにちょっと疑問を抱きました。「会計慣行たりうるか」といった要件について、「慣行になるとき」には大きく法的な「評価」に依存するにもかかわらず、「慣行でなくなるとき」には、評価ではなく「事実」に重きを置く、というのはなぜなんでしょうか。(このあたりは、やはり会計基準委員会による基準作成作業が(証券取引法などで委任されていないかぎりは)法的な規範性は持ち得ない、しかしながらなんとか法的な規範性に近いもの、と解釈したいといった趣旨からなのでしょうか)「評価なら評価」「事実認定なら事実認定」といったように統一的に要件をまとめておかなければ矛盾が生じてしまうように思えるのですが、いかがなものでしょうか。

ところで、ASBJなどが策定する会計基準といったものも、その運用指針を含めて読んでみますと、常に社会事象を詳細に検討した上で決定したものでもなさそうですね。社会事象というのは、おもに企業アンケートなどの結果に依存する傾向が強いのではないでしょうか。ストックオプション等に関する会計基準などを見ても、専門外の私からすると、本当にストックオプションの費用というものは存在するんだろうか、存在するにしても、費用認識など明確に把握することなんてできるんだろうか、会計学という学問への主義思想によって、識者の方でも意見が異なるんではなかろうか、などなど普通に素人的疑問が湧いてきますし、ましてや会計基準が変更される場合などでは、なぜ旧基準が一義的に不合理だと判断できるのか、意見もバラバラなときもあるんじゃなかろうか、などと考えたりしております。本当にまじめに考え出すと、会計士さんの指導はあくまでも「公正なる会計慣行」のひとつであって、別の「公正なる会計慣行」もあるよ、といった場面はけっこうあったりするんじゃなかろうか、と思ったりもします。このあたりは、また続きでツラツラと考えてみたいですね。

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