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2006年3月30日 (木)

ご迷惑をおかけしております。

ココログの今回のメンテには閉口してしまいます。自分だけが迷惑を被る分には「まぁ、しかたないか」とも思っておりますが、閲覧しにくい、とかコメントが反映されないとか、コメントがつけにくくなったとか、いろいろと閲覧していただいている方にご不便をおかけしているようです。せっかくコメントをいただいたにもかかわらず、これが反映されていないとなると、何気に私が「このコメントは不快だから削除した」みたいに受け取られてしまいかねませんし(そんなことは一度もしたことがありません。あっ風俗系はたまにしますけど・・・)、まったく最低な状況になってしまったようです。

もうすこし辛抱して様子をみますが、皆様もこういったココログの状況で閲覧がしにくい、といったご事情をお察しくださいますようよろしくお願いいたします。

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2006年3月29日 (水)

カネボウTOBはグレーなのか?

今週の週刊「東洋経済」は「新会社法まるわかり」特集ということで、おもしろそうだなぁと思って買ってみたのですが、新会社法特集よりも興味深い記事が掲載されていまして、「10万人が泣くカネボウTOB(TOBルールの不備を突く手法に批判)」と題するヘッドライン記事でした。カネボウ株の公開買付(TOB)をめぐり、買手である投資ファンドの手法にカネボウの一般株主が「公正さに欠けるやり方だ」と怒りの声を上がっているようです。3月28日が公開買付期限なので、ひょっとすると29日あたりの新聞報道でも、話題になっているかもしれません。

カネボウの上場廃止時点における株価は360円だったそうですが、カネボウ株式を70%(議決権ベース)保有していた産業再生機構から投資ファンドに(価格は不明ですが)売買された後、残りの株式(10万人の個人株主が保有しているとされています)については投資ファンドがTOBで買い付ける、というものですが、その価格が162円(しかも、もし162円での買いつけに応じなければ、株式買取が強制され、そのときには同様の金額にならない可能性がある)ということでして、産業再生機構から(おそらく380円程度で)買い付けた1ヶ月半後に、なんで強圧的に162円などという低価格での買付なのか、と個人株主の方達が怒りの声を上げ、すでに個人株主被害者の会も結成されているようです。なお産業再生機構から投資ファンドへの売却価格につきましては、およそ380円程度ではないか、と推測されています。この東洋経済の記事が問題視しているのは、この投資ファンドの支配権獲得へ向けた「強圧的2段階買付」、購入時点が1ヵ月半しか違わないのに一般株主からの購入価格が再生機構のそれよりも大幅に下回っている可能性があること、そして経営陣の利益相反取引の存在というものです。

恥ずかしながら、私はこの問題については、まったく知りませんでした。一般のマスコミもライブドア事件の個人株主の動向等については連日報道されますが、このカネボウ株式のTOB問題についてはどうして触れられていないのでしょうか?あれほどライブドア事件では「個々の取引はどうであれ、全体のスキームによって違法と認定してかまわないのであり、ルール違反は明らか」と、その包括的なルール違反が問題となっているのですから、このカネボウTOBの問題についても、たとえ個々の取引については証券取引法や産活法からみて違法ではなくても、全体のスキームからみたらどうなのか?グレーなのか白なのか黒なのか、という観点から論じられないのでしょうか?

昨日まで何も知らなかった人間が、あれやこれやと解説することは到底困難(といいますか、関係者に失礼)ですし、またどっちかといいますと心情的には「公開企業の株主はたとえ少数株主でも多数株主と平等に扱われねばならない」といったガバナンスの原則に与するほうですので、一般株主への(たとえそれ自体が合法であったとしても)情報開示が尽くされていない状況でのスキームには批判的に考えたいのですが、ちょっと気がついたことだけ2点ほど疑問を記しておきたいと思います。

ひとつは、支配権プレミアムの問題はどうやって考えたらいいのか、ということです。ちょうど私がブログを書き始めた昨年のライブドア・ニッポン放送事件のころ、佐山展生教授のブログで支配権プレミアムに関する記事を読んだ記憶があり、それがずっと頭に残っています。つまり50%の株式を買うのと、51%の株式を買うのでは値段が違ってあたりまえ、なぜなら51%を取得するというのは経済的価値だけでなく、その会社を支配できる価値がついてくるからだ、というものです。普通これを「支配権プレミアム」って言いますよね。最近のM&A関連の本などを読みますと、この支配権プレミアムは買収発表直前の株価の40%から50%程度といわれています。そうしますと、ムズカシイ算定モデルを使って、もし再上場が見込まれないカネボウ株式の適正価格が162円だとしますと、51%以上の株式を取得することが可能な場合には250円程度の価格であっても不思議はないわけでして、これはルール違反という主張とはどういった関係に立つのか、という疑問です。上記の東洋経済の主張は、こういった支配権プレミアムという問題をどう位置付けていらっしゃるのか、ちょっと不明であります。

それともうひとつの疑問はといいますと、これは昨年12月に出版された「M&A最強の選択」という服部暢達教授のたいへんおもしろい「企業価値を考える」参考書なんですが、その166ページ以下に、「株主価値を破壊するM&A」の代表例として、2003年10月から2004年3月ころまでのカネボウの事業譲渡に関する事例が分析されていまして、4400億円で花王が(カネボウ化粧品事業を)営業譲渡で譲り受けようとした話をご破算にして、3800億円で産業再生機構に売却するに至ったことは、M&Aの基本を全く無視したものであり、この決断をした経営陣は代表訴訟を提起されても不思議ではない(本来、産業再生機構は、化粧品事業以外の事業だけを再生させるべきではなかったのか)とまで断言されていらっしゃいます。たしかに、再生機構のおかげで、カネボウ本体の企業価値は維持されたといってもいいと思うのですが、今回の関係当事者の動向と、こういった2003年から2004年の動きと、どっかで関係してくるのではないかなぁ・・・などと、すこし疑問を抱いたりしております。とりあえず、もうすこし本件につきましては、動向を注視してみたいと思っています。(なんせ上場廃止株式の処理問題とMBOにおける処理方法を比較できるほどの専門性を私は持ち合わせておりませんので、用語の使用法や考え方に間違いがございましたら、どうかご遠慮なく指摘してください・・・・・汗)

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2006年3月28日 (火)

堀江氏の刑事裁判に公判前整理手続適用

ライブドアの前社長である堀江氏の刑事公判におきまして、東京地裁は他の被告人とは分離したうえで「公判前整理手続」を適用することを決めたそうです。朝日ネット記事はこちらです

どんな行為が「風説の流布」「偽計取引」に該当するのか、誰が実行行為を行い、誰が共謀したのか、また共謀というのはどんな行動を捉えて「謀議」があったと評価できるのかなど、事実の有無、証拠価値の程度、法律適用の可否など、争点が多岐にわたるものと思われますので、実質的に第一回公判までに争点が整理される、ということは訴訟の迅速な進行のためにはたいへん好ましいことではないでしょうか。とりわけ、私はライブドアマーケティングが関与しているほうの「風説の流布」「偽計取引」といった構成要件該当性につきまして、いったいどのように裁判所が判断を下すのか非常に注目しているところです。おそらく今後さらに証券犯罪の厳罰化が進むものと思われますが、包括規定を利用してどんどん摘発が進むのか、それとも市民法ルールである罪刑法定主義が証券犯罪でも厳格に適用され、その構成要件該当性の可否を詳細に検討されるような裁判となるのか、興味はつきません。

ちなみに、かけだし裁判官nonさんのブログで、詳細に公判前整理手続の概要が解説されております。よくよく考えてみますと、一般手続ではなく公判前整理手続を採用する事件などですと、刑事弁護人を務める弁護士にも、相当証券取引法や市場取引に詳しいことが要求されそうですね。そうでないとせっかくの証拠開示手続や、証拠の評価さえ十分にできないことになって、公判前整理手続を弁護人側が有効に利用できない可能性が出てきてしまいます。

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2006年3月27日 (月)

法律家の知名度

日曜日の深夜、NHKテレビの「アーカイブ」という番組を視ておりまして、前半は「ヤング101」(1974年。なつかしですねぇ。デビュー前の太田裕美さんの歌って踊る姿がまぶしかったです)、そして後半は1962年の「それは私です」というクイズ番組を再放送しておりました。で、このクイズ番組なんですが、3人の出演者のなかから、ホンモノの職業人を4人のゲストがいろいろな質問をして、当てるという番組。ゲストも池部良さんや、曽野綾子さんなど、とんでもなくスゴい方達が出演されておりまして、そんな中、アナウンサーの司会者が3人の○○さんを紹介しました。3人とも「門上千恵子です」と自己紹介をして、本当の門上さんという人は日本で初の女性検事さんです、とアナウンサーから紹介をされます。で、ゲストの方々はといいますと、この3人の出演者に対しまして、「新しく出来た検察庁の背後にある官庁はなんですか?」とか「未必の故意って何ですか?」など、露骨な質問を浴びせ倒すもんですから、あっというまにホンモノの門上千恵子さんがばれてしまう・・・・というまったくもってヤラセなしの番組でした。(笑)

この番組を視ておりまして、ふと思いましたのが、いまから40年以上前の時代、法律家というものの知名度というものは皆無に等しかったんじゃないでしょうか?今の感覚で申しますと「日本で初の女性検事」といったレベルの方でしたら、新聞や雑誌で大きく取り上げられるでしょうし、それこそ「ウーマンオブザイヤー」みたいなどっかの受賞ノミネートにも上ってくるんじゃないかと思うのですが、後に司法改革推進委員会の委員までなさった曽野綾子さんさえ、「女性検事」の名前すら知らないわけですから、「司法」に対する一般国民の認知度は相当に低かったのかもしれません。(しかし日本初の女性検事さんがNHKのクイズ番組に出演したり、また騙し役のお二人の女性も、ひとりが女性消費者団体の会長、もうひとりが大学の心理学の教授、ということでしたから、なんとも「のどかな時代」だったのかもしれません・・・・)

ちなみにこの「門上千恵子さん(かどがみ ちえこ)」、50前後のステキな方でしたので、ちょっとグーグルで検索しましたところ、なんと大正3年生まれの91歳で、現在も弁護士として活躍されていらっしゃるとのこと。(九州大学経済学部同窓会のブログに掲載されていらっしゃいます)元気を頂戴いたしました。

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2006年3月25日 (土)

八田教授の「内部統制の考え方と実務」

やっと入手しました。ご存知、金融庁企業会計審議会内部統制部会長による「内部統制の考え方と実務」(3月20日発売 日本経済新聞社 1700円)

4532312698 四半世紀にわたって、その人生を「内部統制」と「会計士のインテグリティ(誠実性)」の研究に捧げてこられた八田進二先生(青山学院大学)が、平成18年3月時点ではありますが、改正証券取引法(金融商品取引法)で予想される内部統制報告書実務のあり方を説き下ろした著書です。私が公認コンプライアンスオフィサーの試験勉強をしていたころ、参考図書のひとつとして掲げられておりました「内部統制の統合的枠組み」を拝読して以来、たいへん尊敬申し上げている先生の著書、ということもございますが、なんといっても内部統制監査に向けて公開企業がどのような準備をすればいいのか、その実務指針の方向性を考えるにはまさにピッタリの一冊であります。さっそく3時間ほどでザッと読了いたしましたが、もはや「付箋」だらけになっております。基本的には昨年12月に企業会計審議会内部統制部会から出されました「財務報告に係る内部統制の評価及び監督の基準のあり方について」の解説本と考えてよろしいかと思いますが、八田先生からみた「ライブドアという企業に内部統制監査があったらどうなっていただろう?」とか「会計士の報酬は今後どうあるべきか」「内部統制の不備を指導することは、監査業務との兼業禁止違反か」などなど、私自身も以前からたいへん興味を抱いておりました問題への八田先生ご自身の見解なども記されておりまして、企業担当者の方にも(たいへん読みやすいですよ)、また企業会計に携わる方にもお薦めいたします。(私のようなものがたいへん僭越な言い方ではございますが)なお、これは私の単なる推測にすぎませんが、この本には財務報告の信頼性確保のための内部統制報告実務の一般的手法(経営者による内部統制報告書のひな型や、監査人による内部統制監査報告書のひな型なども織り込まれています)に関する説明がございますが、おそらく「もうすぐ出るよ」とウワサされております内部統制の「実務指針」も、これに沿った形になるのではないか、と思います。

また、法曹からみましても、新会社法や会社法施行規則等に規定されました体制整備(取締役会および監査役との関係)の決議内容やその相当性判断実務と会計監査人による内部統制監査との関係など、会社法と改正証券取引法にまたがる非常に有益な示唆がございますので、これはまた別の機会にエントリーさせていただこうかと思っております。

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ブラザー工業の敵対的買収防衛策

新聞等ではあまり大きく報じられておりませんが、ブラザー工業株式会社が事前警告型の敵対的買収防衛策導入を取締役会で決議し、6月総会において取締役の任期1年制と合わせて株主総会決議にかける、とのことであります。ブラザー工業による大規模買付行為に対する対応(敵対的買収防衛策)のお知らせ補足説明はこちらです。新株予約権の発行登録も既にされたそうです。

昨年のライブドア、ニッポン放送事件あたりの時期には、どちらかといいますと買収策のスキームのほうにばかり目がいきましたし、それはそれで実におもしろかったのですが、夢真・日本技術開発の事件や、先日のドンキ・オリジン東秀事件などの経過をみてしまいますと、敵対的買収策を導入しようとする企業の「真意」はどこにあるのか?といった動機の部分に興味が湧いてくるようになりました。

このブラザー工業の買収防衛策には、「大規模買付ルール」という経営権取得を目的とした株式買付希望者が従うべきルールが作られておりまして、前もってこのルールが決定されることになりそうですが、そもそもこの買付希望者はこの大規模買付ルールに従わないと「株主利益を拡大するための買収希望者」とは認められないものなんでしょうか。もし、ルール自体に不合理な点がありましたら、ルールに従わないでTOBをかけても「濫用的買収者」には該当しないはずですよね。そこでこのルールの内容なんですが、「買付希望者には厳しいなぁ」との印象を抱きましたのは、情報提供完了通知をブラザー側から買付者が取得しないと、ブラザー経営陣の熟慮期間(現金買付なら60日、その他は90日)は開始されないところです。この情報提供が完了したかどうかは、主としてブラザー側の判断に任されているわけでして、買付希望者の企業価値などの把握のために、追加、追加で情報提供の要求がブラザー側から出された場合には、買付希望者はこれに誠実にしたがって回答しませんと、「濫用的買収者」に該当する可能性が高まるわけです。しかし、このルールですと、時間稼ぎのためにブラザー側経営陣が自分の一存で買付希望者のTOBの時期を遅らせることができるわけですから、果たしてルールとして合理性があるのかどうか、私はすこしばかり疑問を感じました。

それと、この買収策導入の真意というのは、有事に防衛策を発動する、ということよりも、買付希望の企業情報をなるべくたくさん提供させて、その情報をもとにホワイトナイトを探すことを画策する機会を保証することにあるのではないか、と邪推してしまいました。これはなにも根拠はないのですが、最近の敵対的買収に関する事件の推移などをみておりますと、自社における代替案を検討することも重要かもしれませんが、株主への選択肢の提供として他社との提携といいますか、なんらかのグループを形成して(ホワイトナイトを探しながら)敵対的買収への防衛をはかることも「支配権維持のために」重要な戦略のようみ見えてきたからです。

そう考えますと、日本円での現金買収の場合には熟慮期間60日、その他の場合は90日というルールですから、たとえば対価を自社株式として買収提案をかけてきた買付希望者なんかが登場しますと非常に興味深い状況になりそうですね。(もちろん、そのようなエクスチェンジTOBが可能な企業というものも限られてくるわけですが)ホワイトナイト側の提案する買収金額との単純な比較によって現経営陣の「賛同意思」を表明しにくくなりますし(株主との善管注意義務違反の問題)、企業買収が成功すれば、買付に応じた被買収対象企業の株主にもメリットがあって魅力的ですし、だいいちホワイトナイトの現金価格と将来における自社株式の価格の比較において、その多くの参考資料は買収希望者側にあるわけですから、企業価値算定のイニシアティブは買付希望企業のほうにあるのではないでしょうか。

こういったM&A関連のエントリーの際には、いつも言い訳するところでありますが、私はこういった企業買収を専門に扱う弁護士でもございませんので、あくまでも社外役員としての立場からの素人的推測にすぎません。ただなんとなく、この大規模買付ルールというものは、本当に、このルールが適用されることによって「株主全体の利益」につながるのかどうか、すこしばかり検討してみてはいかがでしょうか。

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2006年3月23日 (木)

NEC子会社の架空取引と企業コンプライアンス

すでに新聞、ネットニュースなどでご承知のとおり、NECの100%子会社であるNECエンジニアリング株式会社(NECE)の技術職幹部(部長級)の方が約5年にわたって合計200回の架空取引をくりかえし、5年間で売上額363億円、営業利益93億円を上乗せして公表していた、とのでして、親会社であるNECは米国会計基準に基づいて過去の連結財務諸表を訂正するようであります。(NECのリリースはこちら)また、新聞報道などを総合しますと、まず架空売上の計上につきましては、自分が担当していたプロジェクトが赤字に陥り、穴埋めを図ろうとしたのが発端と供述しているようでして、さらにこの社員の方は納品先から5000万円ほどのキックバックを着服してまして、おもに飲食代に使用したとして、事実を認めているようです。よくわからないのは、仕入先、納品先とも共謀していたようでありまして、この平成17年12月まで、納品先からは実際に売買代金が振り込まれていた、ということですから、このあたりは調査内容をさらに検討してみませんと、不明です。連結財務諸表を公開している親会社(NEC)としましては、架空利益の金額が(長期とはいえ)ライブドアの架空利益の倍近くですから、「あくまでも従業員個人の所業であって、会社ぐるみではない。直ちに刑事告訴する予定である」と公言しとかないとマズイですよね。NECは3月16日に突然の社長交代がありましたが、新社長にとりましては、就任早々頭の痛い問題を抱えることになってしまったようです。

企業コンプライアンス、という観点からみますと、まず内部監査によって発覚したとはいえ、調査の発端は、この納品先からの売掛金回収が滞ったことがきっかけ、ということですから、内部統制が十分機能していた結果である、とまではいえないかもしれません。ただ昨年12月から外部専門家を導入して3月には一応の結果報告が出たわけですから、公表までの時間は比較的早かったのではないでしょうか。(おそらく本人との調査結果に基づく面談もあったでしょうから)もし、新聞報道にありますように、仕入先、納品先と意を通じて架空取引を継続していたこと、本人が購入書類、納品関係書類そして社内稟議書まで偽造していたことなどが事実であるとすれば、5年間内部監査、会計監査によって架空取引が判明しなかったことについても、いわゆる「内部統制の限界」に属する部類なのかもしれません。

ただし、疑問もありそうです。NECEの売上高の推移を概観してみますと、2001年3月期は493億円、2002年520億円、2003年560億円、2004年626億円、2005年825億円となっておりますが、いっぽう本人の架空取引による架空売上額につきましては、2002年3月度16億円、2003年度46億円、そして2004年度は167億円となっています。つまりNECEとしては2004年度あたりでは実際には100億円程度の売上減少であるにもかかわらず、この架空取引によって前年度よりも60億円近い売上増となっているわけでして、果たして年間売り上げの20%にも及ぶ架空取引というものが、たった一人の部長級の従業員の行動として、だれも「おかしい」と疑わなかったのでしょうか。在庫管理という面からみた場合、「おかしい」と疑えば、容易にチェックできるような気がしますが、とても私の頭では想像がつきません。さらに、このNECEの売上構成をみてみますと、たいへんリスク管理が行き届いているようで、システムソリューション事業33%、ITプラットフォーム事業が32%、アプライアンス関連事業が35%といったあたりで推移していたようです。ところで、こういったリスク管理を行っているところに、一事業部門だけで100億円以上の売上増加という事態が発生したとすれば、当然各事業部門への資源配分のバランスは崩れるわけですから、「どうしたの?」って話題になるのが自然ではないでしょうか。そのあたりは、売上を粉飾するケースによくある兆候だと思われますから、内部監査部門あたりが動き出すのがあたりまえのように思うのですが。こういったあたり、私にはとても強い疑問を感じますが、いずれにしましても、内部統制の限界ということでは済まされない問題点も含んでいるように思いますが、もし私が根拠としている数字におかしな点などがございましたら、またご指摘いただきますと幸いです。

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2006年3月22日 (水)

会社法の「内部統制」と悪魔の監査(2)

いよいよ「悪魔の監査」シリーズの内容に入っていくわけでありますが、今日は問題点だけを提起しておきたいと思います。先ごろ(2006年3月9日)日本監査役協会より、「内部統制システムに対する監査役の当面の実務対応(会社法施行後、最初の取締役会での決議に関する監査役の対応)」といった監査役実務指針が出されております。いつもながら、この監査法規委員会の出される指針は私のような社外監査役にとりましても、非常に参考になり、バイブル的存在なのでありますが、どうも今回、その内容においてよくわからない部分がございます。

この18ページに及ぶ指針の4ページ以下の部分が非常に重要なところでありますが、大会社の取締役会が会社法施行規則100条および会社法362条4項6号に規定された体制整備に関する決定事項を5月の取締役会(まで)に決議したとき、監査役はその相当性を判断しなければならないとされております。そして監査役が決議事項を相当であるかどうかを判断するための三つの視点が示されておりますが、たとえば二つ目には決議された内容が、その企業の業務の適正化をはかるために適切と言えるかどうかといった視点から判断せよ、とのことであります。

おそらくいろいろなセミナーや、講習会などにおいて、法曹が内部統制関連部分を解説するケースにおきまいしても、やはり同様の解説になろうか、とは思います。しかしながら、これって、監査役の能力をはるかに超えたことを要求しているのではないでしょうか。理屈で考えてみますと、これは監査役がまず「どういった体制整備をすることが、業務の適正化をはかるために妥当か」といった視点なのですから、取締役の誰よりも「この会社において、もっとも価値の高い業務の適正化策を監査役が知っていること」が前提となるはずであります。これを監査役が知らなければ、果たして取締役会の決議した事項が妥当なのかどうかは判断することは不可能であるはずです。また、運用の適否についても判断せよとのことですが、これも「最も業務の適正化をはかるために効率的な運用方針」というものを監査役が熟知していて、その監査役の知識からみて「相当かどうか」を判断できることが前提となるはずです。だいいち、「業務の適正」というのは、一体何を指すのか、これは考えてみますと、企業によって、というよりも個人によって見解はいろいろと分かれるところでしょうし、業務の適正をはかること、といった目的はダイレクトに体制整備の具体的な措置の当否とは結びつきにくいのではないでしょうか。

こういった疑問を監査役をされていらっしゃる方々が、お持ちなのかどうかは、私にはわからないのですが、少なくとも「財務諸表にあがっている数字の正確性を確保することのために、どういった体制が整備されるべきか」といった企業会計審議会主導の内部統制システム構築論とは、かなり様子が異なるものであるようでして、さらに日常の監査役の業務であります「妥当性監査、違法性監査」に属する性質の監査とも異なるものがあるようです。そこで「監査役からみた取締役会決議事項(体制整備に関する)へのアプローチ」というものにつきましては、もし株主総会で質問があったならば、私だったらこのように回答したい、と考えているシナリオがございます。こういったシナリオについて、また次回に考えてみたいと思っております。

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2006年3月21日 (火)

金融商品取引法における「内部統制」最新事情

本当は「悪魔の監査(2)」をエントリーしようと思っておりましたが、せっかく一日かけて青山学院に行ってまいりましたので、そのご報告だけでも先にしておこうかと思います。(火曜日は「飛び石連休」ですし、会社でお読みになる方も少ないでしょうし。。。それにしても、「飛び石連休」という言葉も最近あまり使わなくなりましたね)

きょうは一日、青山学院大学でACFE(公認不正検査士協会)主催によりますシンポジウムに出席しておりました。「内部統制最前線」と題して、現時点における金融庁企業会計審議会内部統制部会における議論の現状報告や、これを取り巻く企業や外部監査人の対応方針などが主たる論点でありまして、実際に企業会計審議会委員である八田教授、町田教授(いずれも青山学院大学会計プロフェッション科教授)のお話は今年6月成立するであろう、金融商品取引法における内部統制報告実務のあり方を知る貴重な機会となりました。
八田教授や町田教授がどのように申していた、と書いてしまいますと多少問題があるかもしれませんので、両先生方の意見をお聞きした上での私の認識および印象としてメモしておきます。(したがいまして、ここに書いてあることはすべて私の責任でして、○○さんがこう言っている、といった印象はお持ちにならないようお願いいたします)

1 やはり金融商品取引法上の内部統制は、会社法上の内部統制(体制整備)とは別モノと捉えられているようです。そもそも内部統制という概念は1950年代(つまり上場企業監査の創世記ですよね)から会計監査とともに発展してきたものであって、基本は財務諸表監査における外形の正しさを保証する手段の一つなんであります。これからおそらく進化するであろう、内部統制実務というのは、企業が作成する内部統制報告書と、外部監査人が作成する内部統制監査報告がセットになって初めて結実する、というもの。会社法でも内部統制構築といった問題がいろいろと出ておりますが、そこで内部体制管理として言われているものは、すでに各企業では実施されているものばかりではないか。ただ、そういった管理を「目に見える形」で開示するところに企業統治のあり方が問われているわけであって、本来的には各企業が自主的に経営判断として取り組むべき問題である、といった捉え方が基本にあるような印象を持ちました。一方の金融商品取引法における内部統制のあり方は、その統制報告書の内容については代表者が確認書を提出して、違反には刑罰まで用意されるわけでして、外部監査人としてもその監査にはキビシイ対応が要求される。

2 IT統制の利用、というものに内部統制部会が注目しているのは、なにも高度なITソリューションを利用しなければ金融商品取引法に対応できる内部統制システムが構築できない、といったことを支援しているものではないようです。これまでは、IT問題についてあまりにも企業トップが一部社員にまかせっきりにしてしまい、その重要性をおそろかにしてきたのではないか、ただし内部統制問題とITとは不可欠な関係にあることは確かでして、その重要性をトップ自身が管理する意識がないと、かえってブラックボックス化してしまうのではないか、そういった危機感から、IT統制は財務情報の信頼性と切り離して考えることはできない、という問題意識を鼓舞する必要があって、あえて部会において問題提起する意図があった。(これも私の印象)したがいまして、今後策定されるであろう、実務指針におきましても、どこの公開企業にも高度なIT活用が要望されるわけではなく、ただ情報漏えいや、システム障害、メールなどの管理のあり方など、一般企業として当然に不正(誤謬)防止のために要求されてしかるべき問題点への対応(とりわけ企業トップの意識向上のため)が要望されるのではないでしょうか。

3 内部統制の目的として、資産の保全があげられておりますが、これは「財務報告の信頼性確保のための内部統制には限界がある」ことを意識したうえで、日本の監査役(監査役会)にこそ、この限界をカバーして、企業トップによる不正を防止してほしい、といった期待を込めたものであります。(私の印象)いま、本当に監査役の歴史を変えようとする現実が目の前にある。ここで監査役が企業トップの不正を防止するような行動をとらなければ、内部統制実務自身にも影響が出てくる。このあたりは、会社法の体制整備事項としても「監査役と取締役会との連携」に関する問題がありまして、監査体制の整備のために監査役が取締役会に要望すべき事項(の中身)というものが問われているところでありますので、監査役の行動への期待というものは、いずれの分野の議論でも大きな問題となっていることがわかります。(この監査役の悩みをトップに切り出すのは、監査役自身しかないのであります。)

4 もっとも注目されるのが、今後金融商品取引法成立後に出されるであろう「実務指針」でありますが、これ、企業側にとって詳細なものが発表されることを期待しないほうがいいような気がします。(これも私の印象)むしろ、これから3年間ほどの準備期間があるわけですから、自社にとって内部統制報告書を作成するための実務指針のあり方は、これまでの公表されている「あり方案」などを参考としながら「訓練」しなければいけないんじゃないでしょうか。ここは監査法人による努力も必要になってくるのかもしれません。

いずれにしましても、今後の議論展開に影響しそうなのが、アメリカにおける企業改革法の実務適用に関する見直しであります。(それにしても、アメリカの企業改革法見直しの議論はビックリするような展開になっていますね)この2月、3月にもラウンドテーブルが継続しておりまして、そこでの見直し決定事項が、これからの金融商品取引法における日本の運用方針決定に参考にされることは間違いないようですね。ライブドア事件への対応によって、一時的に進展が遅れていた金融庁の内部統制への取り組みも、やっと動き出す気配がありそうです。

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2006年3月20日 (月)

会社法の「内部統制」と悪魔の監査(1)

会社法の勉強法としまして、これまでセレブな学習法、ロハスな学習法などを(自分勝手に)紹介させていただきましたが、会社法の法律学としての解釈のむずかしさ(多様性)を認識するためには「オトナの学習法」も必要なのではないか・・・などと最近思ったりしております。すでに会社法の5月1日施行に向けて、街の書店にはたくさんの「新会社法」基本書が並んでおりますが、どれを手にとってみましても、それなりに特色があってすばらしい出来栄えだとは思うのですが、会社法の「人間臭さ」が行間ににじみ出てくるものは少ないのではないでしょうか。人間はそれぞれプライドを持っているでしょうし、また出版社の思惑もあるわけでしょうから、なんとなく会社法の理解に関する自信のなさ がにじみ出てくるような基本書というものは、おそらく書けないわけでしょうね。私が数年前に、プロとして真剣に企業法務に携わらねばならないようになって、会社法に関する基本書を探していたとき、「神田会社法」のはしがきの冒頭に著されておられた「これは、私が現時点までに会社法に関して理解しているところをまとめたものである」というフレーズに魅かれ、内容もほとんど検討しないままにこの神田教授の会社法基本書を衝動買いしたことがありました。もちろん、日本を代表する商法学者の先生だからこそ、「私がいまのところ理解している範囲で書き綴りました」などと堂々と宣言できるものなんでしょうが、そういった「会社法を理解するうえでの悩み、ナマの経済社会を律する法律を扱うことの難しさ」のようなものが人間の弱さとして表現されているような会社法基本書がありますと、私的には膨大な条文数を誇る法律の理解のためにたいそう資するものになろうか、と考えております。プロボクサーの世界チャンピョンでさえ、試合の前には恐怖心のために「この武道館から逃げ出してしまおうか」と真剣に考えるといいます。会社法の基本書を著するにあたっても、おそらく著者ご自身は「私は完璧な理解者である」とは思ってはいらっしゃらないと推測いたしますし、「おっかなびっくり」で書かないといけない部分もあったりなんかするんじゃないか、とも考えたりします。先週のエントリーではありませんが、そんなときにも、やはりプロである以上は「カラダを張って」俺の意見は正しいんだ、と自信をもって書いていらっしゃるほうが読者にはありがたいのですが、「でもすこし怖い」といった叫びも聞こえてきますと、なにやらホッとするところもあったりいたします。昨今、出版されている新会社法の基本書を読んでおりますと、1条から979条まで、さも経済法としての思想信条に一貫性があり、その解釈には争いの余地がないほどに理路整然と条文解説がなされておりまして、制度趣旨についても矛盾というものが存在しないのではないか、と信じてしまいそうな雰囲気が漂っております。高尚な書籍であるがゆえ、それはそれで当然のこととは存じます。また顧問先企業に新会社法セミナーをやらなければいけない、といった著名な法曹実務家の方々や、これから司法試験に合格するぞ!っといった明確なインセンティブが備わっていらっしゃる受験生の方であれば、まぁ最後まで内容を十二分に理解しようという意気込みが継続するんじゃないか、とも思うのですが、ただ私のような場末の弁護士からいたしますと、どうも途中からしんどくなってくる。新鮮味がなくなるといいますか、トキメキ感が薄れるといいますか、そのあたりが偽らざる心境なのであります。

そんなことから、オトナの会社法学習法というものがあったら、どなたか教えていただきたいのですが、今のところ江頭憲治郎先生の論稿(昨年6月ころ)で別冊商事法務でもまとめて掲載されている「会社法現代化要綱案の解説」は、そんなオトナのココロをくすぐる宝石が適度に散りばめられており、やはりおもしろいですね。会社法、施行規則が出揃ったところでこそ、再度これを熟読する意味があるような気がいたします。なにがオトナのココロをくすぐるかと申しますと、(もちろん既に熟読されていらっしゃる先生方はご承知のとおりですが)会社法の「産みの苦しみ」を比較的正直に表現されていらっしゃるからです。このあたりは法制審議会からの議事録や国会審議録などを丁寧にフォローすることでも理解できるのでしょうが、私のような「一般の仕事持ちの弁護士」には、そのあたりまでフォローするだけの時間的余裕はございません。で、この解説論文、とりわけ要綱試案で出てきて要綱案では消えていった条文だとか、要検討事項がそのまま検討中で終わってしまったとか、試案には出てこなかったけれども、突然要綱案で出ちゃった・・・などなど、法律化へ向けての人間模様が背景から読みとることができます。なかには「とりあえずこれで法律化してみて、様子をみましょう。また都合が悪かったら5年後あたりを目途に改正するなどして・・・」のような条文もあったりして、ここは強気で攻めて、ここは譲歩するといったような各界の意見集約の産物ではないか、と思われる部分もあったりしまして、「会社法は幕の内弁当ではなく、日替わり弁当ではないか」といった議論から、「法とは何か」という高邁な議論などとも関連付けてしまいたいほど、おもしろい世界へ導いてくれたりしますし、なによりも会社法の条文の解釈というものは、そんなに理路整然とひとつの答えは用意されていない、といった実態を認識させてくれるところに大きな意味があるんじゃないでしょうか。

なんだか、タイトルである「会社法の内部統制と悪魔の監査」という本題に入るまえに、ずいぶんと長い前フリになってしまいました。(笑)この本題部分はまた明日にでも入ることにいたしまして、きょうはちょっと早く寝ないといけませんので、失礼いたします。(月曜日は、昼からずっと東京の「表参道」というところにある某大学にいてます。)

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2006年3月19日 (日)

会社法施行日決定

会社法の施行日が正式に政府で決定されたとのこと、予定どおり5月1日。(読売新聞ニュース)

政府は、敵対的買収対策などを盛り込んだ会社法を、5月1日に施行する方針を決めた。多くの企業が株主総会を開く6月ごろまでに、法整備を終えるためだ。24日の閣議で、施行日を定めた政令を決定する。

 会社法は、企業活動の多様化に対応するため、商法の一部や有限会社法など企業経営にかかわる法律を抜本的に見直し、一本化した法律で、昨年6月29日に成立した。企業設立に関する規制を緩和して1円の資本金でも企業が設立できるほか、敵対的買収を防ぐため、大量に株を購入した買収者の議決権を低下させる「ポイズン・ピル(毒薬条項)」の手法が使いやすくなる。

 今年の企業の株主総会では、買収防衛策の導入など会社法に適応した定款の変更が必要になると見られる。経済界は会社法を6月ごろまでに施行するよう要望していた。

ただ、会社法施行規則、会社計算規則につきましては、社外監査役の監査役会出席状況など、いくつかの変更点がパブコメに付されておりますので、施行日までには改訂されるようです。

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上場廃止を禁止する仮処分命令事件

すでに会計士さんのブログなどでは取り上げられておりますが、「1年間、債務超過の状態が継続したこと」によってジャスダック市場の上場廃止基準(株券上場廃止基準第2条4号)に該当すると(ジャスダックから)指摘されております株式会社ペイントハウスが、ジャスダックを相手方として「上場廃止禁止仮処分命令」を申し立てておりましたところ、東京地裁で申立が却下され、そして東京高裁でも、このたび抗告が棄却されました。(ペイントハウスのIR情報に抗告審決定全文および抗告人の抗告状、準備書面が掲載されております)

主な争点は、企業会計原則や金融商品会計基準、金融負債の消滅に関する実務指針の解釈および適用問題でありますが、(ペイントハウスの代理人弁護士の方々にはたいへん恐縮ではありますが)会計原則の解釈や契約内容の法的解釈において、ペイントハウス側の主張はかなり苦しいなぁといったところでして、これが本案裁判ならまだしも、仮処分命令申立事件にあっては、とうていペイントハウスの解釈が「明らかに誤りだ」との主張を裁判所に納得させるのは困難なように(個人的には)思えました。

ただ、この東京高裁の抗告審決定を読んでいて、もっとも興味をそそられたのが、決定理由の「なお」書き部分です。私もなるほどなぁ、と思いましたが、そもそも本件のような上場廃止禁止の仮処分命令などというものが存在するのかどうか、かなり疑わしいところかもしれません。ご承知のとおり、仮処分命令申立が認容されるためには、保全されるべき権利(被保全権利)の存在と、保全の必要性が疎明されなければなりません。この点につきまして、ペイントハウス側の代理人は被保全債権を「株券上場契約に基づき、上場を求める権利」として構成されていらっしゃいます。しかし、すでに上場しているペイントハウスにつきまして、果たして「上場を求める権利」というものは存在するのでしょうか。上場契約をして、その要件を満たしているのに上場させてくれない、といった事態があれば理解もできるのですが、現に上場されている企業が、その地位を失いかねないといった状況であったとしても、裁判所の強制力をもって実現させるべき権利は存在しないのではないでしょうか。と、いうことはそもそも、ジャスダック側としましては、この被保全権利の存否さえ争っておけば、わざわざ企業会計原則や金融商品会計基準といった本論で争わなくても、あっさり却下された可能性もあったのかもしれません。

こういったケースですと、「仮の地位を定める仮処分」を求めるのが常道かと思います。つまり、ペイントハウスは何の条件も付けずに「上場廃止を禁止せよ」といった仮処分を求めているわけですが、もしこれが認容されてしまいますと、本案裁判もしないで、終局判決をもらったに等しい状態、つまり満足的仮処分を求めることになってしまいますので、(申立人側は本案裁判を提起する必要もなく、そのまま満足的な地位を勝ち取ってしまうということになって、そもそもの仮処分制度の趣旨から離れてしまうことになってしまうため)裁判所としましても慎重にならざるをえないわけです。だから保全の必要性がある、といいうるためには、少なくとも申立人側は「上場されている、といった仮の地位を求める」とか「何月何日までは上場廃止をしない」といった、保全処分にふさわしい形式での申立をすべきであったと思われます。さらに、仮の地位を求める仮処分というのも、実際にはありえますが、これを裁判所に認めてもらうのはかなり難易度が高い場合が多いと思います。たとえば労働紛争におきまして一方的に解雇処分を受けた労働者が裁判所に雇用者たる地位にあることを仮処分で求める場合があります。しかしながら、現在の東京地裁での扱いでは、この仮の地位を定める仮処分だけでは認容されず、これに賃金の仮払い仮処分などの、なんらかの作為命令を付して初めて認容されるような状況です。

本件東京高裁の決定理由のなかでも、裁判所は「一般的かつ期限の付されていない」上場廃止禁止仮処分の存在について、かなり否定的な見解を示しているようですし、たとえそういった仮処分があり得るとしても、「明白にジャスダックの解釈が誤りであると認められるような」特別事情が存在する場合に限られるわけですから、この高裁判断からしますと、そもそも証券取引所の上場基準の運用に対する(会計基準適用に関する)見解の相違を問題として、上場企業が一般的に上場廃止の禁止を仮処分で求めるようなケースにおきましては、ほとんど上場企業側にとって勝ち目のない戦いを強いられることになりそうです。ただ、これは一般論にすぎませんが、争い方を工夫すれば、まったく俎上に乗っからないということもないかもしれません。上場契約の内容や廃止基準の中身を詳細に検討したうえで、基準や契約条項の解釈として、あくまでも一般投資家の損害拡大を最小限度に抑えるためである、といった視点を有利に援用して、不利益処分を受けるための手続違背の問題と捉えなおして構成することも一つの方法かと思います。民事紛争のなかで企業会計法の裁判例が増えるためには、こういった証券取引所相手の事件とか、財務諸表監査の責任者である監査法人相手の事件が増えることが前提かと思います。門前払いを食らうことなく、ともかく企業会計基準の中身が問われるような判例が増えることは、将来的には企業会計法の発展のための貴重な財産になるのではないかな、と思ったりしております。

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2006年3月17日 (金)

保釈請求・・悲喜こもごも・・・

(3月17日午後 訂正あります)

ライブドア事件によって逮捕勾留されたまま、起訴されている方は合計5名ですが、そのうち岡本氏(LDM元代表者 保釈金1000万)、中村氏(LDF元代表者 同2000万)、宮内氏(LD元取締役 同5000万)の3名が保釈を許可され、堀江氏と熊谷氏は保釈申請却下、そして中村氏と宮内氏は検察庁から準抗告が出されて釈放はされなかったため、結局16日に釈放されたのは岡本氏のみという結果となりました。準抗告というのも、私も経験はありますが、たいへん弁護人にとってもつらいものであります。(読売ニュースはこちらです

さて、こういった状況から何が読み取れるでしょうか?粉飾を一部認める供述を始めたものの、これまでの堀江氏の態度からして、とりあえず現状での保釈申請却下はやむをえないところかもしれませんが、熊谷氏が却下されたのは堀江氏の貸し株管理や本体の経理操作に深く関与しており、釈放してしまうと証拠隠滅のおそれが大きいと判断されたのかもしれません。(たしか、まだ証券取引等監視委員会の担当者が利益還流の解明のためにケイマン諸島などに調査に行っているはずですよね。そのあたりの裏づけを熊谷氏からとりたいのではないでしょうか)

天国から地獄へ落ちた気分を味わっているであろう中村氏と宮内氏については、なぜ検察庁は準抗告までして保釈を阻んだんでしょうか?考えられるところは、①この2名については、いまでこそ事実を認めたものの、取調べ当初は否認をしたために、第一回公判において供述を変遷させて無罪を主張するおそれがあると考えたこと、(つまりは、第一回公判において被告人らが事実を認めるまでは釈放されるべきではない、との検察庁の強い抗議)②まだ本体の粉飾決算の可能性があり、追起訴を予定しているため、③まだ本体の粉飾決算関連の事件については、逮捕を予定している者がおり、その予定者との接触によって証拠隠滅のおそれが認められること、といったところでしょうか。このうち、②につきましては、新聞報道ではすでに立件はほぼ終了とありましたので、可能性は薄いでしょうし、①につきましても、準抗告までして保釈を阻止する動機にはなりえないように思います。したがいまして、検察庁はいまだこの事件での「逮捕予定者」、つまりは宮内氏、熊谷氏、中村氏らと共謀して、ライブドア本体への利益操作を画策していた者が他にもいる、ということを考えているのかもしれません。来週あたり、検察庁の準抗告が却下されて、宮内氏、中村氏も釈放されるかもしれませんが、そのときは保釈の条件として、弁護人を通す場合以外は、○○氏と接触してはならない、といった条件が付されているのかもしれませんね。

なお、このエントリーの内容はあくまでも私ひとりの勝手な推測に基づくものでありまして、特定個人を中傷したり、名誉を毀損する意図はまったくございません。また、弁護士の立場からみた「正しい保釈制度のありかた」に関する私個人の意見表明もなく、ただ現実の保釈制度の運用からの推測にすぎないことを申述べておきます。(保釈制度に関する弁護士の意見を表明するのであれば、おそらくエントリーが5つくらい必要です)

(追記)宮内、中村両氏は18日、準抗告が棄却されたため、釈放される模様です。

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2006年3月16日 (木)

金融商品取引法案(備忘録)

3月13日に、証券取引法の一部を改正する法律(金融商品取引法)の法律案が金融庁より公表されております。法案はこちら

日本の将来を託すにふさわしい(?)法律らしく、本当に条文を読むのが難解な法律ですね。とりあえず要綱案から自身の興味分野を探して、参照条文から探していくのが早いかもしれません。

とりあえず日本版SOX法と称されているところの「内部統制報告書」に関係する条文は、24条の4の4~6あたりです。内部統制報告書に記載すべき体制整備に関する内容や、報告書添付書類については内閣府令で、報告書の提出義務のある会社の範囲については政令で定められるとのことで、詳細は追って明らかになるのでしょうが、2008年度から開始される事業年度より適用される見込みということですので、やはり当初の予定よりも1年遅れて施行されることになりそうです。

風説の流布、偽計取引、有価証券報告書虚偽記載などの刑事罰の強化につきましては、法律が公布された直後(20日後)から施行されるということです。ライブドアの法人および元取締役らの刑事事件は、こういった罰則強化のもと、非常に貴重な情報を提供することになります。(もちろん刑事罰は遡及しませんので、現行法による刑事罰が適用されますが)公判において有罪を認める取締役は量刑相場に関する情報をもたらすことになりますし、否認する取締役は、証券犯罪の構成要件該当性に関する情報をもたらすことになります。さらに法人処罰につきましては、まだ争い方は不明ではありますが、情状立証のあり方が注目されるところであります。(とりいそぎ、備忘録のみにて失礼します)

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2006年3月15日 (水)

PSE法と経済産業省の対応

私のブログでは過去に一回しか取り上げておりませんので、あまり偉そうなことは言えないのですが、PSE法(電気用品安全法)改廃運動の盛り上がりで、経済産業省は少しばかりの妥協案を発表しました。いわゆる文化財的価値を有すると思料される音楽・映像機器をマニアの方に売却する際にはPSEマーク不要としたり、全国500箇所に検査機器を設置して、中古品販売業者に検査機関としての申請、登録をしてもらうことなどを発表したそうです。以下は毎日新聞ニュースの引用です。

安全性を示す「PSE」マークがない一部家電製品の販売が4月から禁止される問題で、経済産業省は14日、希少価値の高い中古電気楽器などを規制対象から外すなどの対応策を公表したが、リサイクル業者などからは場当たり的な対応への反発が強い。とくに一般の中古品販売業者は「一部の愛好家の問題として片づけようとしている」と批判しており、混乱が収束するかは不透明だ。

 経産省の対応策は、「ビンテージもの」と呼ばれる音響機器や映写機などを取り扱いに慣れた顧客に販売する場合は検査を不要にするほか、中小事業者がマーク取得のため漏電しないかを自主検査する機器を無料で貸与することなどが柱。

このPSE法問題につきましては、私もどういった結末になるのかは、未だに不透明だと考えているところでして、この法律を改廃すべきかどうか、賛否両論あることは承知しておりますが、すこしばかり場末の法律家の立場から気になるところを考えてみたいと思います。

1 経済産業省は、「5年の猶予期間」を有利に主張できるか

この問題が社会問題化しはじめたときに、私は経済産業省が5年の猶予期間を設けて、その間に中古品業者が対策を練るための十分な期間を与えてきたものだとばかり思っていました。たしかに経済産業省は広報活動が不十分ではあったものの、この「猶予期間」の抗弁によってなんとか乗り切ることができるのではないだろうか・・・・とも考えたりしておりました。しかしながら、どうもこの最も経済産業省側に有利な主張が、根拠として薄いような気がしてきました。といいますのも、この5年という期間は、PSE法をよく読んでみますと、製品流通前の措置という意味でしか触れられていないのではないでしょうか。つまり、このPSE法が規制を予定しておりますのは、新品製品の製造事業者およびその販売者ということであって、5年の猶予措置を採用したのは、おそらく製造から新品流通までに在庫期間が相当年数を要する電気機器もありうることから、新品製造業者(および販売業者)のために設けられた期間のようです。したがいまして、なにも中古品販売業者のために5年の猶予期間を置いたものではないのでありまして、だからこそ中古品業者へのガイドライン発表が今年2月17日となったわけでして、また古物商免許を管理する警察庁への経済産業省からの説明も、今年までなかったことが合点がいきます。この5年の猶予期間という主張が崩れてしまいますと、かなり経済産業省には分が悪いような気がするのは私だけでしょうか。いずれにしましても、これは私なりの考えですので、また「5年の猶予期間は、もともと中古品販売業者に対しても向けられていた」といった反論の根拠がありましたら、お教えいただきたいと思います。

2 同じ製品に「製造事業者」が二人?

先にあげました毎日新聞ニュースでもおわかりのとおり、経済産業省は、苦肉の策としまして、中古品販売業者に、PSE法の定める電気安全検査(検査方法は指定商品によって異なるようです)を行うことを推奨しております。どういうことかと申しますと、たしかにPSEマークの付いていない特定指定商品は(この法律によりますと)今後販売することはできないわけですが、その中古品販売業者が自ら国の指定する検査方法によって電気安全性を確認することが可能であれば、中古品販売業者自身が「事業製造業者」に該当するために、あらたにPSEマークを付けて販売が可能になる、というものです。しかし・・・・、なんとなく奇妙ではないでしょうか?新品を製造した大手電気メーカーと、中古品を販売する事業者と、同じ製品について、二人の製造者が誕生するわけですよね?現に、この奇妙な解釈に異議を唱えたのが特許庁でして、大手電気メーカーの製造した商品に、若干の検査をもって新たな事業者の製造品とすることは、商標権侵害、不正競争防止法違反の可能性があるのではないか、と経済産業省に問い合わせているようです。たしかに、若干の電気安全検査を施した業者が、大手電気メーカーの製造した同商品を「わが社が製造しました」と言える、というのはなんとも不思議な気がしますし、特許庁の見解も無理はないように思えます。また、大手電気メーカーとしましても、法律に基づいて正々堂々と他社が手を加えた商品によって、消費者に拡大損害が発生した場合に、その製造物責任を全面的に負担しなければいけないのでしょうか?おそらく製造物責任法の趣旨からみて、最終的には負担を転嫁することは可能でしょうが、消費者への第一次的責任は大手電機メーカーが負担しなければならないはずです。そういったリスクというものは、大手メーカーは熟知しているのでしょうか。(それとも、これは私の勘違いにすぎないのでしょうか)

3 経済産業省は脱法行為を許容するのか?

「中古家電、知恵絞る、PSE法に備えて」と題する朝日新聞ニュースが掲載されております。ニュースはこちら です。

このニュース、かなり気になる内容でして、中古品の販売は禁止されるけれども、中古品取扱事業者による「レンタル」や「無償譲渡」はかまわないそうです。これは経済産業省のQ&Aにもズバリ記載されております。そういたしますと、この新聞報道にもありますように、大手中古品取扱業者のなかには、賃料全額前払い、使用貸借方式、利用期間経過後に無償譲渡といったレンタル方式を採用するところが出てくるのは当然であります。何億という商品価値の在庫を抱える中古品取扱業者が「生きるために」必死に対策を練ること自体、私はまったく問題にするつもりはございませんが、こういった営業活動を経済産業省は今後黙認するのでしょうか。生きるために必死な業者の方には失礼ではありますが、これって実質的には販売行為であって、単なる脱法行為ではないでしょうか。たとえば新会社法において、自己株式を市場で売却することは株価操縦などの不安があるとして、禁止されましたが、自己株式を消費貸借契約によって貸し株とすることはどうか、といいますと、法務省の相澤参事官は明確に「脱法行為として許されない」と明言されています。(商事法務1739号座談会記事にて)販売行為に関して禁止されるのであれば、そのレンタルについても、限りなくグレーの取引ではないでしょうか。また、新品電気機器の販売とレンタルを区別することは、その修理の容易さや電気安全性能の確認の容易さからみて、まだ法目的には合理性が認められそうですが、中古電気製品について区別することの合理性は果たして認められるのでしょうか。私はあまり認められないんじゃないか、と思います。そもそも中古品の場合には、修理は容易ではありません。PSE法によりますと、新品を製造したメーカーに在庫部品が存在していればいいですが、もし在庫部品が存在しない場合ですと、新たな規格の部品を代替するわけでして、その際には再び電気検査を受けなければならないわけですから、おそらく中古品の修理は困難かと思われます。もともと、PSE法が中古電化製品の流通を予定していなかったとするならば、販売とレンタルの合理的な法目的からの区別が困難なことも首肯しうるところです。

私のようなPSE法の知識に乏しい者であっても、以上のような疑問点が次々と浮かんできます。二階さんは「猶予措置はこれ以上はない」ときっぱり断言しておりましたが、断言するかぎりにおきましては、こういった素人の疑問点をスッキリ理路整然と解決できる根拠を経済産業省の優秀な方々に(広く国民に向けて)ご説明いただく必要があるのではないでしょうか。

※なお、このPSE問題につきましては、中古品の廃棄問題と環境権という大きな論点もあるようですが、そもそも平成13年当時、いまと同様の環境問題が議論されていたかどうかは不明であることと、「国民の安全性確保」と「国民の環境保護」とどっちが大切か、といった議論は、人の価値観に委ねられるべきものでありまして、理屈で話し合いが有益に展開できるものではないような気がしましたので、あえてここでは取り上げませんでした。

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2006年3月14日 (火)

ライブドアと社外取締役

証券取引等監視委員会は、ライブドア法人(東証マザース)を有価証券報告書虚偽記載罪の容疑で東京地検に告発をしたようです。資本剰余金として計上すべき自社株売却益を、売上に不正計上したことが直接の容疑となっている、とのこと。ライブドアの平松社長は、記者会見で、現在の3名の取締役は6月の総会で退任し、社外取締役2名を含む5名の取締役が新たに選任されるであろう、との発表を行いました。

いよいよ、ライブドア騒動も、ここからは第2クールに突入することになりそうですが、(ちょっと現実から離れて考えてみたいのですが)果たして堀江色、宮内色の強かったライブドアに関して、いったいどんなコーポレートガバナンスが機能していれば、この2004年11月前後の企業不祥事は防止できたのでしょうか。あるいは、こういったオーナー色の強い企業においては、どのようなガバナンスを採用していても、不祥事防止は困難だったのでしょうか。まず、今回の状況(新聞などによる報道内容)からみて、監査役、会計監査人は(粉飾スキームを考案することに積極的に加担していたようでして)全く不祥事防止には機能しえなかったようです。そもそもオーナーとの長いお付き合いの中で、コンサルタントが役員に就任した経緯があるわけですから、これらの役職の方に独立した役職としての立場を期待するほうが無理かもしれません。つぎに取締役会につきましても、6名の取締役はそれぞれ中途採用のエリート社員がそのうちにライブドア関連企業の取締役を兼務していたような状況でありまして、これもトップの暴走を抑止することは全く期待できなかったのではないでしょうか。残るガバナンスとしては企業情報(財務諸表)の開示と社外取締役制度の導入ですが、ライブドアの有価証券報告書あたりは、かなり以前から「おかしな経営ではないか」と疑う投資家もいらっしゃったわけですから、ある程度は機能していたようにも思います。

これまでライブドアには社外取締役がいなかったわけですが、もし社外取締役が存在したら、どうなっていたのでしょうか?企業不祥事は防止できたのでしょうか?十分な独立性が確保されたような社外取締役がいたとすれば、おそらく堀江氏は社外取締役に重要な情報を開示しなかったかもしれませんね。ただ、取締役会におけるリスク管理や情報の共有に関する内部統制システムをきちんと構築したうえで、社外取締役を導入した場合には、社外取締役としましては、仕事の範囲が明確となり、また一般株主へ説明すべき事項も特定されてくるでしょうから、ひょっとすると違法行為を未然に阻止することができたかもしれません。もちろん、そんな「やっかいなこと」になるくらいなら、最初から堀江氏としては社外取締役制度を導入しないわけでして、上記は単なる空想にすぎないことになってしまいますが、ただ、こういった不祥事を経験するなかで、社外取締役の独立性に関する情報開示や、取締役会が定款や法令を順守するための仕組みに関する情報開示が進むことによって、ガバナンスのあり方を投資家が上手に評価するようになるかもしれません。

3月1日、東京証券取引所では企業情報の開示に関する規則が改正されまして、「コーポレートガバナンス報告書」の開示が求められることとなりましたが、投資家の比較に資するように、社外取締役(社外監査役)と会社との関係について詳細な開示が求められると同時に、執行業務全般におよぶ内部統制システムの状況に関する開示も求められるようになりました。(旬刊経理情報3月20日号、東京証券取引所の木村調査役の解説記事が詳しいです)もちろん、社外取締役制度の実効性といったものは、ご承知のとおりまだまだ確定的に企業不祥事防止や、株主価値を高めることに寄与する、といった実証的な検証はなされていないかもしれません。しかしながら、今回のライブドア騒動を振り返った場合、株主の多くの被害を未然に防ぐことが可能だと思われるのは、企業情報としての財務情報の適正な開示であり、またこれに加えて社外取締役ではなかったかと思います。最近の野村証券のアンケート調査によりますと、投資家にとって「コーポレートガバナンスの状況」といった開示項目については、投資判断を形成するにあたって、それほど重要性を感じないといった回答が多かったようですが、このたびのライブドア騒動が発生した現時点で、このコーポレートガバナンス報告書の持つ意味というものは、すこしばかり以前とは異なるものとなるのではないか、とひそかに期待をしております。

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2006年3月13日 (月)

最高裁が当事者に「助け舟」?

(3月13日午前 追記あり)

まだ最高裁のホームページでは全文公開されておりませんが、朝日ニュースで興味ある記事が出ていました。(最高裁、当事者に「助け舟」借地権訴訟巡り初判断)とりあえず、記事が削除されてしまう可能性がありますので、以下のとおり記録しておきます。

民事訴訟で、裁判所は当事者同士の主張を戦わせる審判役に徹するべきか、それとも不条理な結論が出ないよう当事者を手助けすべきか――そんな問題に最高裁は10日、「ある程度手助けすべきだ」との答えを示した。

 東京の下町に住む男性が「自宅の敷地を含む一続きの土地に自分の借地権がある」ことの確認を求めた訴訟で、一、二審は男性の請求をすべて棄却。男性は自宅敷地部分の借地権までも否定されることになった。

 そこで、最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)が助け舟を出した。男性が問題の土地全体の確認を求めたからといって、裁判所は「すべてかゼロか」という判断を機械的にするのではなく、一部についての確認を求める趣旨も含むと解釈してあげるべきだ、との初判断を示した。

 そのうえで、「自宅部分については借地権が認められる可能性は十分ある」と指摘。二審判決を破棄し、東京高裁に審理のやり直しを命じた。 (3月11日 朝日新聞ニュースより引用)

この裁判において、借地権を主張する男性に代理人が就任していたのかどうか、最高裁が助け舟を出すに至った動機が、本件にだけ存在するような「当事者の対等性」に関する特別な事情に基づくものなのかどうか、借地権に関する紛争であるがゆえにこのような「助け舟」を出したのか、など全文を読んでみませんとなんとも正確なところは申し上げられませんが、一見しますと、ずいぶんと進歩的な司法判断のように思います。

ご承知のとおり、民事裁判の原則は弁論主義です。当事者が判断を求めた事項にかぎって裁判所はその理由の是非を判断するのが鉄則でありまして、当事者が求めていない事項にまで職権で判断を行うことは「司法権の範囲」を超えるものである、と考えられています。(以前エントリーいたしました井上薫判事問題と絡めるならば、具体的な紛争解決に必要な範囲を超えた司法判断、いわゆる「蛇足」判決になってしまう可能性がある、ということでしょうか)もちろん、最高裁ということになりますと、調査官制度がありますし、社会に及ぼす影響が大きい最終審理を行う場として、当事者が主張していないようなことにつきましても、ある程度(当事者の主張を補足したうえで)配慮することもあるようです。ただ、この裁判は、「借地権の及ぶ範囲に関する当事者の主張」をまったく無視して、裁判所が独自に職権をもって借地権確認を行うということを勧めたものではなくて、むしろ「裁判の一回的な解決」といった訴訟経済的な側面と、民事訴訟の原則である弁論主義との調和点を求めた形で、原審に差し戻したものであると理解できそうです。つまり、「全体の借地権の確認を求めた当事者は、ひょっとすると(仮に全体の借地権が認められないとしても)一部の借地権の確認を求める趣旨で裁判を起こしたのかもしれないから、そのあたりの当事者の真意をもう一度原審で確認せよ」といった内容で理解すべきではないでしょうか。したがいまして、上の記事は少し誇張がすぎるように思えまして、裁判所はあくまでも審判役に徹することが前提でありますが、ただ事案によっては当事者の主張の真意をなるべく裁判所は明確にしておいてあげるほうが、裁判所にとっても、また当事者にとっても裁判を2回やる手間を省くことになるんだから、もうすこし真意を正確に汲み取ってあげるべきではないか、程度の問題を提起したものである、と理解したいところです。

さて、先日は住友信託とMUFG(東京三菱UFJフィナンシャル)との間における独占的統合交渉権破棄に関する損害賠償請求事件において、原審(東京地裁)は、住友信託の履行利益(1000億円)に関する損害賠償をすべて棄却し、信頼利益に関する損害賠償については住友信託側よりなんらの主張立証もないので考慮しない、との判断がなされました。同じ損害賠償の範囲の問題なのだから、ここでも当事者が(仮に履行利益の範囲で損害賠償が認められないとしても)信頼利益の損害賠償についても求めていると考えて、その範囲で損害賠償を認めてあげてもいいのではないかな、と少し疑問も湧いてくるかもしれません。現に、当時の新聞報道などでは、M&A訴訟に詳しい一部法曹実務家の方より、あまりにも東京地裁の判断が形式的ではないか、との意見も掲載されておりました。ただ、借地権問題につきましては、「全体と一部」とが完全に包括関係として捉えられるのに対して、この損害賠償の範囲については、そもそも履行利益と信頼利益とが性質の異なるものでして、果たして「全体と一部」といったカタチで捉えることができるかどうか問題となりそうですし、また双方に日本を代表するような弁護士の方々が就任しておられる裁判で、果たして当事者の主張の範囲を裁判所が「推察してあげる」ほど助け舟を出す必要があるかどうか、そのあたりも考慮いたしますと、まぁ形式的に判断するのが正しいようにも思えますので、私個人としましては東京地裁の判断も合理的であったように(現在は)考えています。

(追記)

今朝、WBCの日本対アメリカをテレビで観ておりました。残念ながら日本は3-4でサヨナラ負けを喫してしまいましたが、アメリカの勝因は執拗なアピール、敬遠策、バント作戦でして、アメリカの野球にそれほど精通していない私にとりましては、とても意外でした。結局、真剣勝負の場合には日本もアメリカも同じ野球をするんですね。ベースポールはリスク管理の色が強いスポーツですが、「日米の野球文化の違い」のような先入観をアプリオリに鵜呑みにしていては危険ですね。

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2006年3月10日 (金)

法律のプロとしての厳しさ

昨日、本日と「会社法における内部統制構築(体制整備)のあり方」と題する講演をさせていただきました。昨日は日本監査役協会関西支部と公認会計士協会近畿三地区合同研究会で、そして今日は特定企業内研修会です。日本を代表するトップ企業の監査役さん方の内部統制論のレベルは非常に高いものがあり、顔から火が出るくらいに恥ずかしい対応をしてしまった場面もありました。また、本日も内部統制整備責任者の方からの厳しい注文もあり、その対応に四苦八苦しておりました。

法務のプロとして、この内部統制論を扱う「心構え」というものを、とても考えさせられる二日間でした。それぞれの立場で、この問題を会社のなかでどう生かしていくか、といった意気込みは本当に熱心なものがあり、まずは講演をする立場の者として、この意気込みに負けない「心意気」が必要であります。弁護士は、どうしても高いところから卓見したような口調で講演をしたがるようなところがありますが、本件に関してはそれはマズイ。私は善管義務、忠実義務を負わないような取締役の行動といった視点が喜ばれるのではないか、と思っていたのですが、昨日、今日と、そんな責任回避の話を聞きたいと思っている方は少なかったようです。真剣に自社に内部統制システムを導入することで他社に負けない企業価値向上策を考えている、その熱心さに応える必要がありました。「予防法務」ではなく「戦略法務」なんです。

また、(これは講演の後でツラツラと考えたことなんですが)なぜ弁護士が法律でメシが食えるか、ということですが、私はそもそも「訴訟」という既得権領域があって、そこでの独占事業が保障されているからではないか、と楽観しておりました。しかし、本当のところは、それだけではなくて、むしろ「裁判」という「ケンカ」の場面でカラダを張ってるから(少なくとも、外見上はそうみえるから)ではないか、と思うようになりました。コンプライアンスや不正検査の件でもそうですし、またこの内部統制構築の提言でもそうですが、こういったクライアントの相談案件でメシを食うためには、カラダを張る必要がありますね。ちょうど刑事事件の処理能力と民事事件の処理能力を総合的に合わせたような能力、つまり半分はクライアントの悩みを共感して背中を押してあげたり、自ら「馬鹿といわれること」をかえりみずに先頭に立ってあげたりして、あとの半分では後日クライアントとの紛争にならないように自らのスキルを磨き続ける冷静な自己研鑽ではないでしょうか。内部統制というたいへんホットな話題に仕事の上で関与できたことで、これまでにないほど貴重な経験をさせていただいておりますが、また同時にプロとしての甘さを毎日痛感させられているところであります。

弁護士人口が増えていくと、訴訟件数が飛躍的に増えない限りは、そのひとりひとりの収益は落ち込んでしまうと言われておりますが、どうもこれは後ろ向きな考え方ではないでしょうか。(先日の「法律事務所のハコ」のエントリーとも通じるところがありそうですが)時代はもう「誰がカラダを張って守ってくれるのか。誰が綱を引っ張って会社をいい方向へ誘ってくれるのか」を弁護士に問うようになってきたのかもしれません。(そのぶん、お金もかかるかもしれませんが)先日のドンキ、オリジンの紛争の際、ドンキ側弁護士によるオピニオンレターが開示されましたが、堂々とカラダを張って「ドンキは真っ白である」と言い切って矢面に立つ姿と、熟考によって裏打ちされた論理展開の冷徹さが、これからの企業法務に対応する弁護士に「魅力」を感じさせる要素の中心なのかもしれませんね。ともかく反省、前向き、反省の毎日であります。。。

※ちなみに、3月下旬は2度ほど他の公認会計士さんや同業者の方の「内部統制」関連の講演を拝聴させていただくこととしました。非常に楽しみにしております。

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ココログが復帰したようですね。

メンテナンスがいつからかシステム障害に変わってしまっていたようで、このココログもたいへんな事態になっていたようです。私は以前、ドリコムのシステム障害でこっちへ移動してきましたので、(そのときの教訓と、どこに移っても障害はあるなぁといった諦念から)まぁ気長に復旧を待っておりました。(いま復旧報告ブログを見たら、すごい怒りのコメント続出で、あの経済産業省の谷みどり部長のブログのような状況でした・・・)

「コメントが送信できませんが、コメント受付を停止されたのですか?」とのメールを頂戴いたしましたが、このブログはコメントでもっている部分もありますので、送信受付拒否はいたしません。またよろしくお願いいたします。

とりいそぎ、テスト用のエントリーということで失礼しました。

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2006年3月 8日 (水)

一澤帆布と敵対的相続防衛プラン

go2cさんのブログで、すこし話題になっておりましたが、京都東山のカバンの老舗「一澤帆布(いちざわ はんぷ)工業」の株式相続を巡る兄弟間の紛争で、ついに店舗営業が閉鎖されてしまったようです。今年開校となる京都の名門、同志社小学校のランドセルも、この一澤帆布製だそうでして、さしづめ日本のプラダとも言える名ブランド商品だけに、この紛争は一般の愛用者にとっても残念な出来事ですね。ちなみに、まだ事件をよくご存知ない方は、こちらのHPをご覧ください。もちろん一方当事者側の管理されていらっしゃるHPですから、その点はご配慮いただいたほうがいいかもしれません。

しかしながら、この一澤帆布事件、いろんな論点を含んでいるようでして、法的にはかなり興味深いところがあります。ちなみに、今回の紛争対象である株式は一澤帆布工業株式会社のものでして、本社建物の賃借人が有限会社一澤帆布加工所だそうです。おそらく経営陣が交代した一澤帆布株式会社から、この一澤帆布加工所が明渡の仮処分を受けたのでしょうね。(新聞報道によりますと、製造部門を請け負った形になっていた、とのこと)最初の先代さんの遺言書を預かっていた顧問弁護士さんも、まさか後から遺言書が出てきたなどと長男から言われるとは思ってもいなかったでしょうが、こういったケース、先代さんと知り合いだった弁護士としては、どっちにも味方することはできないと思いますから、たいへん気を遣わないといけなかったんじゃないでしょうか。

現経営者のほうから弟の旧経営者側(有限会社一澤帆布加工所 取締役)に対して商号使用差止の請求がされているそうですが、そのほかにも(加工所の出来た時期とも関係しますが)職人の引き抜き問題や、取引先の商権引き抜き問題なども考えられます。(どっちが有利・不利といった発言は控えさせていただきますが。)これまでと同様のデザインの商品を作っていかれるとすれば不正競争防止法なども論点になってきそうですし、公正な競争を阻害するような態様の場合には、独禁法にも類似の規定があります(あまり使われていませんが)。

またgo2cさんも問題視されているとおり、企業買収における従業員の反対運動の効果といったものも考えさせられます。京都の方にお聞きしますと、ここの従業員の方は、職人として育成され、この一澤帆布でしか作れないような希少商品を作ったり、その修理をすることに生きがいを感じてやってこられたわけで、おそらくこれまで20年以上、トップとして経営してきた次男さんとの信頼関係は厚いものがあるのでしょう。普通に考えましたら、きっと第三者としては敵対的買収など考えられなかったのでしょうが、そのあたりはやはり兄弟間の紛争ならでは、ということだと思われます。

昨年9月に、敵対的相続防衛プランというエントリーを立てましたが、新会社法のもとでは、こういった相続による中小企業の経営権争いから派生する企業価値の毀損を防止するために、一定の要件のもとで現経営陣による相続防衛策が可能となります。どんなに公正証書で立派な遺言書を残していたとしましても、またどんなに立派な弁護士さんが遺言執行者予定者とされていましても、三文判で自書された日付の遅い遺言書がひょこっと出てきますと、こういった結果になる可能性があるわけでして、経営者の世代交代の健全性を保持するためにも、新会社法が有益に利用されることを期待します。いずれにしましても、「修理すれば一生モノ」が売りの商品でしょうから、なるべく早期に消費者へのサービス提供が復帰することを祈念いたしておりますし、勝手な希望的観測ですが、和解による決着こそ、これまで築き上げた商品ブランドを守る唯一の方策だと思うのですが。

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2006年3月 7日 (火)

企業価値と司法判断(新会社法下での再考)

昨年5月にこのブログを立ち上げたわけですが、ブログ立ち上げ当時は、私自身が日ごろ考えていることの備忘録として、おもに「企業価値と司法判断」との関係など、いろいろと勝手気ままにエントリーをしておりました。(ドリコムブログの時代を合算しますと、もうすぐ1年が経過するわけですねぇ。)最近はライブドア事件を再考するつもりで、当時のライブドア・ニッポン放送裁判の判決や鑑定書などを読み直してみたりしておりますが、ちょっと気になった点だけ「備忘録」程度に書き留めておきます。

1 司法判断は「企業価値」論には踏み込まないのか?

これは昨年、敵対的買収防衛策の発動要件である「企業価値委員会の出した結論」などについて、もし司法判断が及ぶとすれば、どういった審査内容になるのか、といった問題提起をしていたところであります。おそらく裁判所は、敵対的買収者が出現した場合に、現経営者らと買付希望者のどちらのほうが株主価値の最大化をより実現できるのか、といった問題には「企業価値の算定」といった実質的な判断関与はせずに、(私個人としましては)対象企業における防衛策発動要件の手続審査のみ行うにすぎないのではないか、といった意見を述べておりました。そもそも企業価値の算定などといった問題は、司法判断にはなじまないといった根拠からであります。この意見内容は、ライブドア事件総集編などの新聞雑誌におきましても、著名なM&A専門弁護士の方や学者の方々も同様の意見を述べておられるケースが多いようでして、大方の通説的な意見ではないでしょうか。

ただ、この意見が新会社法のもとにおける司法判断にも、そのまま通説的な見解として通用するかどうか、ちょっと検討すべき点もあろうかと思います。といいますのも、合併手続などに反対する株主に認められる「株式買取請求権」につきまして、現行商法と新会社法では異なる条文構造をとっております。つまり現行商法408条ノ3では「承認の決議なかりせば、その有すべき公正なる価格で買い取り請求ができる」とされておりますが、新会社法797条などによりますと、合併に反対する少数株主は「公正な価格による」買取請求ができる、と規定されています。つまり、これまでは買取請求権行使の対象となる株式価格については、純粋に合併がないとすると、そのまま対象企業が保有していたであろう市場価格さえ判明すればよかったのでありますが、これからは裁判所は(商事非訟事件において)反対株主の買取請求権の価格を「合併による会社価値向上分というプレミアムを含めた株式価値」として算定することになりそうです。おそらく裁判所は、新会社法施行後におきましては、今後ますます増えると予想される株価決定非訟事件のなかで、この買収プレミアムの算定を真正面から受け止める必要があるわけです。ということは、先に述べました敵対的買収防衛策の発動の可否を判断するような場合におきましても、現経営陣による企業経営と買収希望者のもとにおける企業経営との企業価値比較のような作業も、特別に排除しなければならない理由はなくなるわけでして、「司法の判断にはなじまない」という通説的な理由で一蹴することもできなくなってくるのではないか、とも思えます。

2 ライブドア高裁判決とLBO

よく、ライブドア・ニッポン放送裁判の控訴審判決の判断理由が検証されておりますが、そのなかで原則として現経営陣の支配権維持目的による新株発行(新株予約権発行)は、その発行目的からみて不公正な新株発行に該当するために、例外的な場合、つまり買収希望者が対象会社の資産を「食いもの」にしようとしている場合であることを立証しない限りは発行差止が認められる、といった判断が先例的意義を有しているものと評されています。そして、その「食いもの」にするケースの例示として、対象会社の資産を担保として金銭融資を受け、これを買収することも含まれておりまして、これに対してはLBOはフェアな買収方法のひとつであって、上記高裁判断は過剰な制限ではないか、といった批判もなされておりました。しかし、いろいろなLBOに関する文献などを読んでおりますと、LBOによる手法で敵対的買収をかけるケースを検討した場合、その方法によっては会社を食いものにするケース(短期で買収効果を回収するケース)と、そうではなく対象企業の長期のキャッシュフローで返済を行っていくスキームによるものとは完全に区別されるべきでして、そうであるなら、企業価値の算定に司法が関与することによって、会社を食いものにするLBOなのか長期的な企業価値向上を狙ってLBOを仕掛けるのかは、判断の区別が可能になるのではないか、と思ったりしておりまして、高裁の判断理由も(ある意味で)適正なものではないかと思い直しております。

新会社法と買収防衛策との関係につきましては、一般には種類株式の利用方法や開示条件などが話題になっておりますが、上記のとおり司法判断の審理対象問題などにつきましても、すこしばかり影響が出てくるのではないか、などと考えておりますが、いかがでしょうか。(手元になんの資料もない状態でエントリーしておりますので、高裁判例の紹介部分などはかなりラフです。ご了承ください)

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2006年3月 6日 (月)

社外役員制度導入と体制整備事項(新会社法)

新会社法は、法362条4項6号、同5項などによって、公開大会社の場合には株式会社の取締役および従業員の業務の適法性、効率性などを確保するための体制整備事項を決定しなければならない、と定めているわけでして、このブログでも何度か関連エントリーを書かせていただきました。そろそろ各論的な問題も取り上げたいと考えているのですが、たとえば社外取締役や社外監査役など、社外役員の導入につきましては、はたして「整備すべき事項として決定」しなければならないのでしょうか?もちろん、すでに導入されている株式会社にとりましても、整備状況を確認する必要がありますので、社外役員制度導入が「体制整備事項」に含まれるのかどうかは、すこしばかり関係があろうかと思います。

法務省令案(パブコメ案)「会社法施行規則案の概要」第4(社外取締役に関する事項の事業報告への記載)では、なぜ社外役員に関する一定事由について事業報告による開示を求めるのか、といった理由につきまして、自民党「企業統治に関する小委員会」において、実効性ある内部統制システム等に関する提言のうちのひとつとして、「社外取締役および社外監査役について、それらの属性等につき法務省令に基づき開示するように早急に検討すべきである」とされていることを理由としています。(詳しくはお手元に法務省令パブコメ案の冊子がございましたら参照ください)どうも、これを読みますと社外取締役や社外監査役を取締役会メンバーに迎え入れること自体も、法務省は内部統制システムの一貫のように考えている、と認識することが可能のようです。

ただ、これを当然のこととして理解するのは若干の疑問もあります。社会一般において、社外役員が取締役の職務の執行が法令定款に適合することを確保するための体制または株式会社の業務の適正を確保するための体制整備に資するものである、といったコンセンサスが得られている、とハッキリと宣言できる段階ではないような気がします。(むしろ、法が特別取締役の制度などを導入して、意思決定の迅速性などを考慮している趣旨からすれば、社外役員の存在は取締役会の意思決定の効率性を毀損するものだ、という意見もあります)もちろん、社外役員はうちの会社では必要ない、といった株式会社においては、「社外役員導入といった方法による体制整備の必要性はない」と決議すればよいことになりますが、それでもその前提では、社外役員制度の導入は体制整備にとって有益であることまでを否定するものではありません。

この点、まだ私自身もよくわからないのですが、なぜ社外取締役や社外監査役などの制度を導入したことが内部統制システムという体制整備に有益と判断されるのか、そのあたりをうまく説明するためには、会社法における内部統制システム構築論とか、社外取締役制度を導入する目的(既に以前エントリーいたしましたように、株主の代弁者としての機能を重視するのか、株主への説明責任論を重視するのか、あるいは取締役の違法行為防止、アドバイザリー的存在論を重視するのか)をきちんと整理した議論が必要ではないか、と思いますね。(なお、ご参考のため、会社法施行規則124条は以下のとおりです)

(社外役員を設けた株式会社の特則)

第百二十四条 

会社役員のうち社外役員である者が存する場合には、株式会社の会社役員に関する事項には、第百二十一条に規定する事項のほか、次に掲げる事項を含むものとする。
 一 社外役員が他の会社(外国会社を含む。以下この号において同じ。)の業務執行取締役、執行役、業務を執行する社員若しくは法第五百九十八条第一項の職務を行うべき者(他の会社が外国会社である場合にあっては、これらに相当するもの。第三号において同じ。)又は使用人であるときは、その事実及び当該株式会社と当該他の会社との関係重要でないものを除く。)
 二 社外役員が他の株式会社の社外役員を兼任しているときは、その事実(重要でないものを除く。)
 三 社外役員が当該株式会社又は当該株式会社の特定関係事業者の業務執行取締役、執行役、業務を執行する社員若しくは法第五百九十八条第一項の職務を行うべき者又は使用人の配偶者、三親等以内の親族その他これに準ずる者であることを当該株式会社が知っているときは、その事実
 四 各社外役員の当該事業年度における主な活動状況(次に掲げる事項を含む。)
  イ 取締役会への出席の状況
  ロ 取締役会における発言の状況
  ハ 当該社外役員の意見により当該株式会社の事業の方針又は事業その他の事項に係る決定が変更されたときは、その内容(重要でないものを除く。)
  ニ 当該事業年度中に当該株式会社において法令又は定款に違反する事実その他不当な業務の執行(当該社外役員が社外監査役である場合にあっては、不正な業務の執行
)が行われた事実(重要でないものを除く。)があるときは、各社外役員が当該事実の発生の予防のために行った行為及び当該事実の発生後の対応として行った行為の概要
 五 社外役員と当該株式会社との間で法第四百二十七条第一項の契約を締結しているときは、当該契約の内容の概要(当該契約によって当該社外役員の職務の適正性が損なわれないようにするための措置を講じている場合にあっては、その内容を含む。)
 六 社外役員の当該事業年度に係る報酬等の総額(社外役員の全部又は一部につき当該社外役員ごとの報酬等の額を掲げることとする場合にあっては、当該社外役員ごとの報酬等の額及びその他の社外役員の報酬等の総額)
 七 社外役員が当該株式会社の親会社又は当該親会社の子会社(当該親会社が会社    でない場合におけるその子会社に相当するものを含む。)から当該事業年度において役員としての報酬等その他の財産上の利益を受けているときは、当該財産上の利益の総額社外役員であった期間に受けたものに限る。)
 八 社外役員についての前各号に掲げる事項の内容に対して当該社外役員の意見があるときは、その意見の内容

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2006年3月 4日 (土)

裁判所の内部統制システムの一例

最近はよく、公開企業や公開予定企業の担当者の方より、「内部統制の具体的なイメージがつかめない。どうしたらいいのでしょうか」といった相談を受ける機会が増えました。私も一般的な説明をさせていただくのは簡単なのですが、各企業におけるシステム構築につきましては、その業界やその企業固有の組織について熟知しなければ容易ではないこととを申し上げております。なぜ、そう回答させていただくのか、きょうは私の仕事に近いところにある「組織」、つまり裁判所の内部統制システムの具体例から考えてみたいと思います。なお、このお話では、弁護士や司法書士といった手続関与者も裁判所内部の人間として捉えております。また手続の詳細な部分は、一般の方向けにエントリーしたものですから、すこし割愛したところもあるため、そのあたりご了承ください。

「財務報告の信頼性確保」といった部分に近い具体例が適切ですので、「破産手続と裁判所」といったところで考えてみましょう。
私たち弁護士の多くは、サラ金などで多額の負債を抱えた人たちの破産手続(いわゆるサラ金破産)を、本人に代わって代理申請することがあります。(ひところは、この破産代理ばかりで事務所経営を維持しておりました弁護士のことを「サンドイッチ弁護士(はさんでたべる)」と内輪で表現していた時代もありました。まぁそんなことはどうでもいいのですが・・)

毎年たいへん多くの破産申請が行われるわけですが、個別に裁判所がその資産、負債状況や支払不能に陥った経過を厳格に調査していては、到底処理することは困難であります。だからといって、(破産管財人がつかないサラ金破産の場合ですと)審査をいい加減にしておりますと、「資産隠し」や「浪費による破産申請」「虚偽破産」などの不正利用を許してしまう土壌を作りかねず、破産債権者のみならず国民一般の裁判所に対する信頼まで失ってしまうことになりかねません。そこで裁判所としましては、限りある資源を「弁護士、司法書士など専門家がついていない事件、非常に負債額を大きくて、問題のありそうな事件」への取組に集中できるよう、ほとんどの申請を弁護士もしくは司法書士が代行しているといった現状を活用しながら「内部統制システム」を考案し、これが成功して、現在の主流になっているわけです。その内容を「システム整備状況」と「システム運用状況」にわけて説明いたします。

1 破産手続審理のシステム整備状況

業務の適正に一定の社会的信用のある弁護士、司法書士が破産手続を代行する場合には、まず「申請者本人から、これだけはきちんと調査するように」といったチェックリストが裁判所より交付されます。そして、代理人はそのチェック項目(これがたくさんあります)ひとつひとつについて、本人からの聞き取りとその真偽判断に要した証拠の存否について確認したかどうかのチェックをします。そして最終的には、「私はこのチェック項目については、すべて本人持参の証拠を確認したうえで、まちがいないものと判断いたしました」といった確認書を裁判所に提出するシステムになっています。あとで債権者からの異議申立によって申立事実の虚偽が発覚しようものなら、自身の職業的信用に傷がつくだけでなく、懲戒対象にもなりかねませんから、この作業は弁護士、事務職含めてけっこうたいへんです。裁判所としては、この法律専門家の社会的信用を担保とした調査制度を通じて、申請内容の「真実性」を確保しようとしています。そして、代理人を通さずに破産手続を申請してきた本人申請事件に、多大な調査エネルギーをつぎ込むことが可能になるわけでして、だからこそ破産法が改正される場合などは、この法律専門家への破産手続説明などは(裁判所として)惜しみない労力を注いで、その代理人としての能力向上の支援をしていただけるわけです。

2 破産手続審理のシステム運用状況

上記の整備状況は、頭脳明晰な裁判官集団が作ったシステムとして、実によくできていると感心しておりますが(すこしばかり、巧妙な責任逃れではないか、との疑念もありますが)、それでも法律専門家が作ったチェックリストと確認書だけで不正防止が可能であるとは考えておられないようです。ここで登場するのが破産裁判所の有能な書記官の方々です。チェック漏れがある場合に、事実を担保できる証拠の提出を求めるくらいなら簡単ですが、チェック間の矛盾を指摘して、偏頗弁済のおそれ(破産申請の直前に一部の債権者だけに有利に弁済したのではないかといったルール違反)、資産隠しのおそれ、浪費の可能性などを厳しく指摘され、これに対する法律家としての意見書提出を求められます。この段階まできて、最終的には裁判官自身が申請の適否を判断することになるものと思われますが、こういった運用はまさに「弁護士や司法書士といった法律専門家」と五分に渡り合える裁判所内部の「人材」に大きく依存するのが実情ですし、また背景には「たとえ弁護士といえども、職業上の倫理に反したり、誤謬、ミスといった不正見逃しのリスクからは逃れられない」といった厳しい思想があります。

3 一般企業への投影 

一般企業の内部統制の問題として考えた場合、上記のように不正が発生するリスクをどのように効率的に発見するか、といった問題は、やはりその企業内部の人間でないとわかりづらいと思われます。詳細なチェック項目の作成は、不正の発生の経験に基づくものでしょうし、作成の巧拙を外部第三者が判断することはかなり困難なことがわかります。そして、そのシステムの運用面になりますと、さらにムズカシイ。上記の書記官の例でおわかりのとおり、「内容が正しいことを保証します」と文書で宣誓している現場の人間の行動について、ある意味で性悪説の立場に立って、その内容の誤解、意図的な不正を評価するためには、相当程度の専門知識を必要とするものでして、今後金融庁主導によって要求される内部統制といい、新会社法によって取締役会に要求される内部統制といい、こういった運用問題までの構築を求められることは、たいへんな作業ではないか、と考えております。ただ逆に、こういった問題を真摯に検討し、上手にステークホルダーに開示できる企業といったものは、時代が要請するコーポレートガバナンスのあり方を適切に理解して、企業価値の向上にうまく結びつけることができる企業にもなりうるものと期待をしています。

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2006年3月 3日 (金)

佐々淳行氏と「企業コンプライアンス」

私の所属しております弁護士団体の主催で、今夜は元内閣安全保障室長の佐々淳行氏をお招きし、ご講演いただきました。弁護士を対象とした講演ということで、メインテーマは「言葉の危機管理」でして、我々弁護士が記者会見でどういった受け答えをすればよいか、といったお話や詭弁術(小泉さんも、これをきちんと学んでいるのではないか、と)の上手な利用法など、本当に興味深いものでした。

そんななか、やはり「企業コンプライアンス」に関して言及されていらっしゃいましたが、消極的コンプライアンス、積極的コンプライアンスという言葉を使い分けていらっしゃいましたので、私の普段考えている発想が、それほど間違ってはいないのかなぁと、少しばかり意を強くした次第です。佐々さんの見解では、コンプライアンスを「法令順守」と表現することは「不十分」ということだそうで、これでは「なにもしないのが一番」といった消極的コンプライアンスの意味しか捉えられないとのこと。コンプライアンスの語源からみた場合、つねに「相手がある」ことが前提であって、相手がなにかを組織に対して仕掛けてきた場合の対応方法こそ、コンプライアンスの真意であり、またトップの行動規範が相手との対応を担当する社員にまで浸透しており、その行動規範の趣旨にそって対応ができるほどの組織力を有することが、真の企業コンプライアンスの実現である、といったものでした。(この「相手」というのは、内部通報制度における内部者も含む、ということなんでしょうね。)

これは私の感想ですが、佐々さんの歩んできた人生(東大安田講堂事件、あさま山荘事件の陣頭指揮から最後の大仕事であった「大喪の礼」警備まで)からの受ける印象では、「有事におけるクライシスマネジメントのアドバイザー」といったイメージが濃厚だったんですが、どうもよくお話をお聞きしますと、「平時における危機管理」がもっとも大切である、といった信念をお持ちのようです。といいますのは、有事における危機管理というものは、そこに存在する陣頭指揮をとる「人」の素養に大きく依存するところがあり、「その時に」人が「いるかいないか」は時の運、のようなものがあるようです。ところが、平時における危機管理といいますのは、組織としての努力次第で「有事にはどんな危機がおとづれる可能性があるか」最大限の想像力を働かせて準備をすることが可能でありますし、また有事に責任と権限を集中させるに値するような人材を探すこともできるからであります。つまり有事における特効薬はないけれども、平時における備えにつきましては、企業の努力がモノを言うということなんでしょうね。

さて、私もすこしばかり佐々さんに質問をさせていただいたのですが、危機に直面したときに陣頭指揮を行うことに適した人、適しない人といった区別はどこにあるんでしょうか?

佐々さん曰く、「もちろん性格による違いがありますよ。和を尊び、人とうまくやっていくために、自分の意見をはっきり言わない人はあまり向いていないでしょうね。ここぞという時に、自分の信念を曲げずに突き進む人こそ有事に力を発揮します。私なんか、有事には向いているかもしれませんが、平時には人とつまらんケンカばっかりしてますから・・・・・」(なんとなく納得)

奥様も一緒にお越しになってましたが、お互いにフォローしあってとてもいいご夫婦のようにお見受けしました。たとえ「けっこううるさい爺さんやなぁ・・」(失礼)と言われようとも、あのように頭脳明晰で、(激務を支えてこられた)奥様を大切になさる75歳、というのは私からみますと理想的な年齢の重ね方だなぁと、お見送りしながら考え事をしておりました。(なお、講演の内容につきまして、有益なお話を詳細にご報告することは、「録音禁止」といったご講演のお約束事に触れる可能性がございますので割愛させていただきました。あしからずご了承ください)

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2006年3月 2日 (木)

内部統制と新会社法(2)

なぜ新会社法は、株式会社の経営陣(取締役、取締役会)の職責として、内部統制システムの構築といったことを明文で求めているのでしょうか。金融庁主導による「財務報告の信頼性確保」のための内部統制とは目的が異なるのでしょうか?(ちなみに、私のブログでは仕事柄、この内部統制に関する議論が多いんですが、これを扱うと一気にアクセス数が落ちるのが不思議です・・・)

企業会計審議会内部統制部会によって、内部統制報告書や監査のあり方が検討された目的は、そもそも内部統制部会の検討課題が粉飾決算や違法配当に絡む不祥事の予防対策といったことから始まりましたので、その目的は「企業不祥事防止、会計監査の適正化推進」といったところにあるのは間違いないようです。したがいまして、企業不祥事を防止する、という目的は非常に大きなウエイトを占めることは理解できます。しかしながら、会社法で内部統制を議論するようになった目的というのはいったいどこにあったのか、といいますと実はあまりはっきりしていないように思います。もちろん「企業不祥事の防止」といったところに目的がある、という意見が多数を占めるのかもしれませんが、(ちょっと屁理屈かもしれませんが)企業不祥事が発生したとしても、それがなんら世間に発覚しなかったり、会社に損害を与えなかった場合(談合など)であれば、内部統制システムの構築義務違反の事実それ自体が株主や債権者にはなんら不利益を被らせることにはならないわけでして、どうも会社法で議論するための目的としては説得力に乏しいように思われます。

そこで、私は会社法で「取締役や従業員の業務執行の適正を図るための体制整備」を明文化する必要性(内部統制システムを構築する必要性)といったものは、会社法なりの理屈によって考え直すほうが、今後の会社法の解釈指針としても適切ではないか、と思っています。まだはっきりと思考が整理されているわけではありませんが、この内部統制構築の必要性といったものは、新会社法が意図している「経営自由度の拡張」の裏腹に位置するものだと認識すべきではないでしょうか。(委員会等設置会社においていち早く、明文化された経緯なども参考になります)新会社法は定款自治原則、機関設計の自由化、経営意思決定の迅速化を図り、(規模や株式譲渡制限の有無によって差をつけているものの)株式会社の使い勝手をよくして、利用者の株式会社制度の利用につき選択の幅を広げています。しかしながら、これは一面においては便利であるけれども、一方では会社制度の使い方を間違えたり、恣意的に利用したりしますと、資金調達先である株主や取引先である会社債権者に多大な損害を与える危険性も増えるわけでして、その対策を検討しなければなりません。そこで監査役制度を強化したり、株主や会社債権者への会社情報の開示制度を強化するわけですが、これと並んで株式会社自身の迅速な意思決定の伝達が効率的になされたり、リスク管理の方法が確立されていたり、法令違反行為が未然に防止されるための「仕組み」を強化する必要も出てくるわけでして、これが会社法で明文化されるところの「内部統制システムの構築」ではないか、と思われます。「自由を保持しうるためには、責任を伴う」といった自然な感覚から会社法における内部統制のあり方を検討するのがシンプルでわかりやすい議論になるのではないでしょうか。こういった視点で、一度会社法施行規則100条で立案された体制整備として決定すべき事項の中身を検討してみてはいかがでしょうか。ある規程は会社外部からの監視(開示)と結びつき、ある規程は会社内部からの監視(モニタリング)と結びつき、またある規定は迅速な意思決定とその執行の適正性(業務の有効性、効率性、リスク管理)などと結びつくはずです。いずれも内部統制に関する法務省令案(パブコメ案)の冒頭で謳われていた「良質な企業統治を実現するため」といったガバナンスの理念との関連性が認められるのではないでしょうか。(各論は次回につづく・・・・)

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2006年3月 1日 (水)

異常なアクセス数は・・・・・

お昼からアクセスの数が異常だと思ったら、井上判事の再任願い撤回のニュースによるものですね。( ̄∇ ̄ ;)

みなさま、はじめまして。。このブログでまとめてお読みいただくのであれば

井上薫判事再任拒否問題

に、すべて収録されております。1月上旬は、そこそこ時間がありましたので、けっこう一生懸命エントリーしておりましたが、ちょっと今、厳しい状況なんで、井上判事問題のハードなご質問に回答させていただくにはちょっと時間が足りませんので、すこし返事が遅れますがあしからず御了承ください。

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検察庁のコンプライアンス

先日はドンキによるオリジン東秀株式の買い集め行為が「グレーかシロか」でいろいろと議論をさせていただきましたが、またまた「グレーかシロか」で話題になりそうな記事が目に留まりました。日経の夕刊にも掲載されておりましたが、ご存知ない方は、こちらの日経ネットニュースの記事をご覧ください。(ライブドアの法令遵守体制見直しに高検検事が助言)ほかのネット記事によりますと、高検検事ご本人は「なんら問題のない行為だ」(真っ白だ)とインタビューに答えていらっしゃいますが、杉浦法相は「法律違反ではないが、検事という身分である以上は好ましくない」(つまりグレーである)と表明されたようです。

いくつかのネット記事や、夕刊記事を総合しますと、ライブドアが堀江氏ら元代表者とともに、法人として起訴された2月13日以降に、この検事さんは合計2回にわたって平松社長と面談し、今後のライブドアのコンプライアンス経営計画の策定を指導した、というものです。企業コンプライアンスについて興味をお持ちの方なら、この「検事さん」、企業コンプライアンス研究や講演でたいへん著名なロースクールの先生ですから、もちろんご存知の方も多いと思います。(私も、あの季刊誌は愛読しております)日本を代表するコンプライアンス関連の先生ですから「うっかり面会してしまった」というものではなく、ご自身の信念によってライブドアのコンプライアンス計画策定の相談を受けたものと思います。さて、この問題、どう考えたらよろしいでしょうか。

1 「好ましくない」と考える根拠

まずなんといっても、検事といった身分である以上は、ライブドアの社長と面談するにあたり、現在捜査中の事件に関する情報が漏洩するおそれが上げられます。しかしながら、この検事さんがライブドア事件に関与していない以上は、そのようなおそれは一切ないとみてよいと思います。次に、検事という職業に就く者は、その品位を保持すべく行動しなければならない清廉義務があって、たとえライブドアの個別事件捜査に関与していなくても、そもそも国民に情報漏えいがあるかのような疑いを抱かせる行動をとってはいけない、といった職務専心義務、清廉義務違背といったものが問題になるかもしれません。たしかに、こういった見地からすればグレーの可能性が高いもののようにも思えます。

2 「なんら問題なし」とする根拠

一方で、検察の使命といったものを考えてみますと、重大事件の摘発や巨悪の追及など、「悪い奴を眠らせない」ことで社会的正義を実現することが最も大きな使命であることはご承知のとおりですが、単にそれだけではなく、いわゆる「公益の代表者」的な使命といったものも大きいのではないでしょうか。たとえば公益の保護という立場からみれば犯罪者の更生のための最良策を考えたり、被害者の拡大を防止することも使命といえます。(だからこそ起訴独占主義がとられ、犯罪の軽重や犯行の重大性、被害弁償の有無などによって起訴猶予といった処分もなしうるわけです)また、検事という身分ですが、これもたとえば現役裁判官が、判検交流によって法務省に出向したり、国の代理人として法廷に立つ場合には、検事という身分に変わって仕事をされることになりますが、その場合には巨悪の摘発といった使命以外のところで、付与された使命をまっとうすることになりますし、会社法立案者でいらっしゃる葉玉さんのように、無償で全国を駆け回って新法の普及活動に専心される方もいらっしゃいます。このように考えてみますと、検察庁の組織としての役割からみれば、本件の検事さんがライブドアの更なる犯罪を防止するために(つまり更生目的のために)その指導をすることも公益に合致するものですし、またこれ以上に株主に損害を与えることを防止するためにライブドアの企業価値を最低限度維持するための支援活動につきましては、新たな被害の拡大を防止するという意味で、これまた検察庁の組織行動の規範に悖るものとはいえないように思います。したがいまして、こういった理屈を強調するならばグレーでもない、真っ白だということも可能なように思えます。

3 「コンプライアンス」の意味とは?

企業コンプライアンスを解説するときに、どういった意味でこの言葉が使われるかといいますと、やはり「法令遵守」といった言葉が真っ先に出てくるのではないでしょうか。ただ、法令遵守という意味が「事なかれ主義」「タテマエ主義」に誤解されてしまいますと、それはただの「○○するべからず」集になってしまい、企業における発展性のない議論になってしまいます。組織の活性化につながることはなく、単に担当者レベルでは「べからず集」を丸暗記をすればいい、といったレベルの話に終わってしまう可能性が出てきます。おそらくこのコンプアイアンス研究の第一人者でいらっしゃる検事さんも、この「法令遵守」といった訳し方に反対されていらっしゃるわけでして、「積極的コンプライアンス論」を提唱されているお一人です。つまり、企業をとりまく法的ルールの趣旨を組織全員が自分の頭で考え、トップの組織行動規範の実現のために、どうすれば効率的に会社が動くのか積極的に行動することがコンプライアンス経営の実現である、とするものでして、私も実はこの意味でもコンプライアンスという言葉の使い方としては妥当であると考えています。たしかに法令遵守といった用語を利用することも大事かとは思いますが、社内全体でルールの適合性が不断に検証されて、よりよいコンプライアンスルールを浸透させるためには、多少の形式的ルールに違反する事態が発生したとしましても、それによってより大きな価値を保持(防衛)しうるのであれば、コンプライアンス経営の精神には反しない、といった考え方です。

4 本件の考察

そのうえで本件を考察してみますと、まずこの検事さんは、「たしかに検察官の清廉義務はあるのかもしれない(したがって面談すること自体は問題あるかもしれない)が、これを強調しすぎると、いわゆる事なかれ主義に陥ってしまうのではなかろうか。それでは本当の意味の検察の仕事をしていないことになるのではないか」とお考えになったのではないか、と推測いたします。(杉浦法相は、このケースは検察官の仕事からは離れている、といった表現をされておりますが、この検事さんが、同様に「検事の仕事とはまったく関係ない」と考えていらっしゃったかどうかは不明であります)ただ、私としましては、やはり少しばかり気になる部分もあります。それは、この検事さんが、ライブドアが起訴された後に2度、平松社長と面談している部分であります。ライブドアが既に被告法人となっている以上は、これから裁判でライブドアの有罪、無罪といった犯罪立証のほかに、たとえ有罪となるとしても、その情状を審理されることはほぼ確実なわけでして、そういった段階で果たして(たとえ事件捜査とは無関係のお立場でいらっしゃっても)検事さんがいろいろなアドバイスをしてもよいのか、という視点です。おそらくライブドアが有罪となるとしても、ライブドアの事件後のコンプライアンス経営への努力といったものは、その量刑判断の材料になるでしょうし、そういった材料を刑事事件における検察官としての職務を経験している方が特定個別の企業のみに教示するということは、国民に(国家の活動としての)不平等感を印象づけることは否めないのではないか、と気になります。ただ、そういった形式的な法令遵守ルールに反するおそれがあったとしましても、一刻も早くライブドア自身の再生活動に尽力し、これ以上株主に迷惑をかけてはいけない、という要請のほうが強い場合には、その支援活動を行ったとしましても「より大きな公益を守るために、より小さな公益を犠牲にした」ことにすぎず、なんら責められるべき行動に出たという評価にはなりえないのかもしれません。

しかし、いろいろと考えておりますと、この「コンプライアンス」という意味も、ずいぶんと深遠な意味をもった言葉のように思えてきます。

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