最高裁が当事者に「助け舟」?
(3月13日午前 追記あり)
まだ最高裁のホームページでは全文公開されておりませんが、朝日ニュースで興味ある記事が出ていました。(最高裁、当事者に「助け舟」借地権訴訟巡り初判断)とりあえず、記事が削除されてしまう可能性がありますので、以下のとおり記録しておきます。
| 民事訴訟で、裁判所は当事者同士の主張を戦わせる審判役に徹するべきか、それとも不条理な結論が出ないよう当事者を手助けすべきか――そんな問題に最高裁は10日、「ある程度手助けすべきだ」との答えを示した。 東京の下町に住む男性が「自宅の敷地を含む一続きの土地に自分の借地権がある」ことの確認を求めた訴訟で、一、二審は男性の請求をすべて棄却。男性は自宅敷地部分の借地権までも否定されることになった。 そこで、最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)が助け舟を出した。男性が問題の土地全体の確認を求めたからといって、裁判所は「すべてかゼロか」という判断を機械的にするのではなく、一部についての確認を求める趣旨も含むと解釈してあげるべきだ、との初判断を示した。 そのうえで、「自宅部分については借地権が認められる可能性は十分ある」と指摘。二審判決を破棄し、東京高裁に審理のやり直しを命じた。 (3月11日 朝日新聞ニュースより引用) |
この裁判において、借地権を主張する男性に代理人が就任していたのかどうか、最高裁が助け舟を出すに至った動機が、本件にだけ存在するような「当事者の対等性」に関する特別な事情に基づくものなのかどうか、借地権に関する紛争であるがゆえにこのような「助け舟」を出したのか、など全文を読んでみませんとなんとも正確なところは申し上げられませんが、一見しますと、ずいぶんと進歩的な司法判断のように思います。
ご承知のとおり、民事裁判の原則は弁論主義です。当事者が判断を求めた事項にかぎって裁判所はその理由の是非を判断するのが鉄則でありまして、当事者が求めていない事項にまで職権で判断を行うことは「司法権の範囲」を超えるものである、と考えられています。(以前エントリーいたしました井上薫判事問題と絡めるならば、具体的な紛争解決に必要な範囲を超えた司法判断、いわゆる「蛇足」判決になってしまう可能性がある、ということでしょうか)もちろん、最高裁ということになりますと、調査官制度がありますし、社会に及ぼす影響が大きい最終審理を行う場として、当事者が主張していないようなことにつきましても、ある程度(当事者の主張を補足したうえで)配慮することもあるようです。ただ、この裁判は、「借地権の及ぶ範囲に関する当事者の主張」をまったく無視して、裁判所が独自に職権をもって借地権確認を行うということを勧めたものではなくて、むしろ「裁判の一回的な解決」といった訴訟経済的な側面と、民事訴訟の原則である弁論主義との調和点を求めた形で、原審に差し戻したものであると理解できそうです。つまり、「全体の借地権の確認を求めた当事者は、ひょっとすると(仮に全体の借地権が認められないとしても)一部の借地権の確認を求める趣旨で裁判を起こしたのかもしれないから、そのあたりの当事者の真意をもう一度原審で確認せよ」といった内容で理解すべきではないでしょうか。したがいまして、上の記事は少し誇張がすぎるように思えまして、裁判所はあくまでも審判役に徹することが前提でありますが、ただ事案によっては当事者の主張の真意をなるべく裁判所は明確にしておいてあげるほうが、裁判所にとっても、また当事者にとっても裁判を2回やる手間を省くことになるんだから、もうすこし真意を正確に汲み取ってあげるべきではないか、程度の問題を提起したものである、と理解したいところです。
さて、先日は住友信託とMUFG(東京三菱UFJフィナンシャル)との間における独占的統合交渉権破棄に関する損害賠償請求事件において、原審(東京地裁)は、住友信託の履行利益(1000億円)に関する損害賠償をすべて棄却し、信頼利益に関する損害賠償については住友信託側よりなんらの主張立証もないので考慮しない、との判断がなされました。同じ損害賠償の範囲の問題なのだから、ここでも当事者が(仮に履行利益の範囲で損害賠償が認められないとしても)信頼利益の損害賠償についても求めていると考えて、その範囲で損害賠償を認めてあげてもいいのではないかな、と少し疑問も湧いてくるかもしれません。現に、当時の新聞報道などでは、M&A訴訟に詳しい一部法曹実務家の方より、あまりにも東京地裁の判断が形式的ではないか、との意見も掲載されておりました。ただ、借地権問題につきましては、「全体と一部」とが完全に包括関係として捉えられるのに対して、この損害賠償の範囲については、そもそも履行利益と信頼利益とが性質の異なるものでして、果たして「全体と一部」といったカタチで捉えることができるかどうか問題となりそうですし、また双方に日本を代表するような弁護士の方々が就任しておられる裁判で、果たして当事者の主張の範囲を裁判所が「推察してあげる」ほど助け舟を出す必要があるかどうか、そのあたりも考慮いたしますと、まぁ形式的に判断するのが正しいようにも思えますので、私個人としましては東京地裁の判断も合理的であったように(現在は)考えています。
(追記)
今朝、WBCの日本対アメリカをテレビで観ておりました。残念ながら日本は3-4でサヨナラ負けを喫してしまいましたが、アメリカの勝因は執拗なアピール、敬遠策、バント作戦でして、アメリカの野球にそれほど精通していない私にとりましては、とても意外でした。結局、真剣勝負の場合には日本もアメリカも同じ野球をするんですね。ベースポールはリスク管理の色が強いスポーツですが、「日米の野球文化の違い」のような先入観をアプリオリに鵜呑みにしていては危険ですね。
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