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2006年4月14日 (金)

内部統制限界論と新会社法

taka-pooさんのご指摘によって、蛇の目ミシン工業事件最高裁判決の全文を読んでみました。原審は「外形的には(被上告人である取締役ら)には善管注意義務違反が認められるが、取締役らの置かれた状況からは義務を履行できうような期待可能性が認められなかったので、過失はない」として取締役らの責任を否定していたのですが、最高裁は、「期待可能性はあった」として過失を否定し、取締役らの責任を認めています。なお、この最高裁判例を読んだかぎりでは、原審(高裁)の判断構造(善管忠義義務違反と帰責事由は異なる、といった構造)をそのまま踏襲しているのか、それとも伝統的な商法上の通説である善管注意義務違反=過失、という考え方に立脚しているのか、いまひとつわかりにくいのですが、明確な分類をしているものではありませんので、いちおう伝統的な見解による判断だと(私は)認識しました。つまり善管注意義務の存否については、これを評価事実とみて、いろいろな事情を総合的に考慮したうえで結局のところ、取締役らには善管注意義務違反が認められると締めくくっているものだと考えております。

さて、最近は会社法における内部統制システム構築(体制整備)義務ということもいろんなところで議論されておりますし、それはこれまでの取締役の善管注意義務のひとつにすぎない、とも言われておりますが、それでは企業会計審議会主導の内部統制理論で言われているところの「内部統制限界論」といった論点は、果たして会社法のなかではどういった位置づけになるんでしょうか?ここのところは、たとえば会社法立法担当者でいらっしゃる葉玉さんのブログにおいて「会社法の内部統制は企業会計審議会で議論されているものとは残念ながら無関係といわざるを得ない」と明言されておられますし、また企業会計審議会内部統制部会長の八田教授にお聞きしても「会社法で議論されているものとは直接の関係はない、すくなくとも法務省関係者が審議に加わっていたものではない」とおっしゃっておられますので、COSOフレームワークを直接のモデルとしている企業会計審議会主導の「内部統制」には限界論が妥当しても、会社法における内部統制(体制整備)にはまったく妥当しない議論なのかもしれません。

先日、青山学院での八田先生のご講演でも「内部統制の限界」というものはハッキリと存在するとされていました。これは日本版SOX法が施行される場合であっても、ダイレクトレポーティングが採用されず(つまり会計監査人が評価するのは、その企業トップの作成する報告書そのものであって、独自にその企業の内部統制構築の状況を調査報告するものではない)、また内部統制システム構築による目的達成(コンプライアンスの充実、財務情報の信頼性確保、業務の有効性効率性向上)を阻害する「限界」があることと併せ考えますと、実際に評価を担当する会計監査人の法的責任を、かなり広い範囲で回避できるからではないでしょうか。ちなみに、一般に「内部統制の限界」といわれておりますのは、いくら厳格な文書化をはかって内部統制システムを構築したとしても、人為的な「うっかりミス」のような誤謬を回避することはできませんし、また経営者がまったく内部統制システムを無視したり、取締役すべてが共謀して不祥事に走る場合には、それ以外の第三者には内部統制システムが有効に機能しているかどうかはわかりません。また統制環境を整備するのに、その企業の売上と比較してあまりにも多大なコストがかかるような場合でも、その費用対効果の観点から統制システム構築を断念することも「内部統制の限界論」の実例として掲げられております。「どんなに立派なシステムを構築したってミスは起こる」というところから出発しますと、こういった限界論は認めざるをえないように私も思います。

ただ、これを会社法の議論のなかに取り込むことは可能なのかどうか、これからの議論の進展に待たなければいけないと思われます。しかし、たとえば取締役の善管注意義務の内容として内部統制システム構築義務があったかどうかを判断する際に、蛇の目ミシン工業事件の判断過程のように、(たとえば取締役の監視義務の可否を問う場合などを例にとりますと)システムの現状からみれば経営者の不祥事を防止するためのシステム構築義務違反だが、経営者トップが業務担当取締役と共謀して隠密裏に違法活動を継続していたような事例において、それは内部統制限界の典型であるから過失(監視義務違反)があるとまではいえない、といった論理展開が可能なのでしょうか。どうもすんなりとこの「内部統制限界論」を会社法適用場面において利用することには躊躇せざるを得ないように思われます。もしこれを広く認めるのであれば、最終的には「過失なし」とされる場面が増えてくるでしょうし、取締役、監査役にとりましては歓迎すべき立場かもしれませんが、情報の信頼性確保を目的としてみた場合と、職務の適正確保を目的としてみた場合とでは、おのずと内部統制システムが機能不全に陥る要因も変わってくると思います。そのあたりから、会社法における内部統制と証券取引法(金融商品取引法)で議論されるものとの差異があることが明らかになってくるのではないでしょうか。

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コメント

はじめまして。いつも勉強させていただいております。東京の、あるロースクールの兼務教員をしている者です。青学での講演は私も参加しましたが、いまひとつ金融庁の内部統制報告実務指針と会社法の問題との関係がわかりませんでした。
この内部統制限界論も重要なポイントかと思われますが、私はむしろ会社法における内部統制の限界を議論するにあたり、「経営判断法理」が適用される場面なのかどうか、というところに解釈上の問題があると考えております。当然のごとく、経営判断の原則が「内部統制システム構築義務の存否」を考えるにあたって適用される、とみる向きもあれば、今月号の野村修也教授のように経営判断法理は適用されない、とする向きもいらっしゃいます。(私は後者に与する立場ですが)これもおそらくは内部統制限界論の一種ではないか、と考えますが、先生はどうお考えでしょうか。

またお時間のあるときでも、ご検討いただけますと幸いです。長文失礼いたしました。

投稿: 品田太市 | 2006年4月14日 (金) 14時16分

失礼しました。
引用文献の記載がもれておりました。
野村修也教授の「内部統制への企業の対応と責任」(企業会計5月号 中央経済社)のことを指しております。

投稿: 品田太市 | 2006年4月14日 (金) 14時21分

ご無沙汰しております。弁護士のE・Mです。山口先生や、品田先生のコメントに共通している、『財務報告の信頼性に係る内部統制と会社法の内部統制の関係』という問題につき、私なりに整理させていただきたいと思います(会社法の条文では内部統制という文言は使用されておりませんが、会社法の領域でも内部統制という概念が定着しておりますので、会社法の内部統制という概念を使うことにします)。
 財務報告に係る内部統制は、公共財としての有価証券の流通を促進するための証券市場としての規制であり、財務諸表・有価証券報告書を正確に作成するための規整を定める制度です。一方、会社法の内部統制は、会社の実質的所有者である株主と委任関係に立ち、企業価値を最大化するために業務執行を行う取締役が善管注意義務を尽くしたか、株主代表訴訟で責任を問われるかの判断に資する制度と位置づけられます。
 公共財としての有価証券制度や、証券市場規制という公益的な要素があり、国策ともいうべき規制と、取締役の善管注意義務が尽くされたか否かに関わる制度とでは、制度の目的・趣旨、内容、規律のあり方が異なり、財務報告に係る内部統制と、会社法の内部統制とは、いわば次元を異にする、あるいは質が違う概念と理解され、両者は交錯してはおりません(広義での概念の相対性の一局面と捉えることができると思われます)。
 財務報告に係る内部統制と会社法の内部統制の関係を具体的に整理すると次のとおりとなります。

①公益的な要素がある財務報告に係る内部統制では、一定の水準が要求されますが、会社法の内部統制は公益には関わらず、且つ個々の企業活動に応じて取締役が尽くすべき善管注意義務の及ぶ対象やレベルは異なり、一定の水準を定立することは困難でもあり、要求されておりません。
②財務報告に係る内部統制では、正確な財務諸表・有価証券報告書を作成するという目的から、構築すべき内部統制の内容を具体化・明確化することが可能なように思われますが、会社法の内部統制では、善管注意義務を尽くしたか否かの判断に資するという目的だけから、内部統制の内実を具体化・明確化することは相当に難しいと思われます。
③経営判断の原則の適否については、財務報告に係る内部統制では、財務諸表の正確な作成という点につき経営判断の原則が適用される余地はないのに対し、業務執行に際しての善管注意義務を尽くすためにどのような体制を整備すべきかという点については、どの程度の範囲かはともかく、経営判断の原則が適用され得ると考えられます。野村教授のコメント(確か東大の岩原先生が大和銀行事件の判例批評でも同趣旨のコメントを記載しておられたと思いますが、金融・商事判例が手許にありませんので、不正確な点をご留意ください)については、業務執行についてのビジネススキームの構築が経営判断に属する事項である以上、そのリスクを回避する為のスキームの構築にも経営判断原則が適用されることは当然のことではないかと思われることや、野村先生が『冒険的な内部統制システムの構築を奨励する必要がない』ということを理由とするのであれば、それは、机上の空論ではないかというのが実務に身をおき、社外監査役として取締役会にも参加している者の実感です。会社法を学問として専攻しておられる、野村先生や、品田先生には、経営判断の原則が適用されるとしても、その範囲を逸脱している、あるいは信頼の権利(抗弁)が適用されないのだという理由で取締役の責任の免責を認めないための準則を、米国のルールや、日本での裁判例(この論点を意識した裁判例は殆どないでしょうが)類型化・定型化して準則化していただければと思います。
会社法の内部統制の重要な柱の一つであるリスク管理体制としてどこまでの体制を整備すべきかということを考えると、当該企業の行う業務の性質や、取引先の属性、取引高等の定量面、定性面で様々な要素があり、リスク管理の為にどのようなものがよいかという意味で裁量を容れることは十分可能と思われます。
④COSOフレームワークとの関係は、SOX法がCOSOリポートが財務諸表、有価証券報告書の正確な作成を担保するために提唱したフレームワークを採り入れられて策定されたものであり、財務報告に係る内部統制が日本版SOX法を目指していることから、財務報告に係る内部統制とCOSOフレームワークとは沿革的にも理論的にも密接にリンクしているのに対し、会社法の内部統制は、COSOフレームワークとは直接の関連性はありません。
 もっとも、リスク管理体制の構築のため、ICRAS、JISA2001と並んでCOSOスキームを参考にして整備を進めている企業があり(実例として「帝人の内部統制への取組み」企業会計VoL58・№5・779頁)、COSOフレームワークは有用なツールとして機能を発揮することは実務上もあり得ると思われます。
もっとも、大和銀行判決がCOSOレポートを背景にした判決であり、これが委員会等設置会社にそのまま導入されたため、商法施行規則193条の条文に規定されています。会社法施行規則でも、一部とはいえ、効率性の文言が規定され、このCOSOレポートの残滓が残っており、問題が根源が解決されていないと思われます。葉玉検事の見解は、COSOフレームワークが会社法の内部統制の重要な柱の1つであるリスク管理体制を整備する際に有用に機能するツールであることや、上記に述べた商法下での裁判例や商法施行規則の残滓があることを考えると、少しドライに割り切りすぎではないかなと思っています。
⑤④で述べたとおり、財務報告の内部統制は、財務諸表等の正確な作成という目的のために必要な体制やプロセスですので、全ての企業にとってほぼ同一の統一した体制やプロセスを考えやすく、また、それは、COSOフレームワークに準拠して設計されるので、相当に細かなものを整備することが必要とされます。
これに対して、会社法の内部統制は、業務の属性に応じてその体制はけっして同じものとは限らず、また、リスクの性質や程度等に応じて、仔細な管理体制を設けることもあれば、大雑把な体制を整備すれば足りる場合ももあり、様々なものになると思われます。
⑥財務報告に係る内部統制が、法令遵守体制の一場面として会社法の内部統制の一部になる、あるいはオーバーラップするのではないかという問題が最もやっかいな問題と思われます(ジュリスト1290号75~76頁に掲載された錚々たるメンバーの座談会である『改正会社法セミナー』でもこの問題は的確には整理されているようには見受けられません。もちろん、数年前という時間的な背景が原因ではあるでしょうけれども)。
 この点、次のとおりに整理することが的確な整理となるのではないでしょうか。
 冒頭で述べたとおり、財務内容に係る内部統制と会社法の内部統制とは、質的に異なり、次元をことにしていますので、財務報告に係る内部統制が会社法の内部統制における法令遵守(の一部である財務報告に関わる局面)と要件やそれに結びつけられている効果が一致していると考えることは困難です。ただし、財務諸表・有価証券報告書についての財務報告に係る内部統制はCOSOに基づき相当精緻な体制が整備されておりますので、財務報告に係る内部統制の体制を備えていれば、この財務報告に係る内部統制としての管理体制等を会社法の法令遵守体制の財務報告の局面で使うことは許されるのではないかと思われます。
 しかし、各企業の業務の諸事情を考慮せずに、常に、財務報告に係る内部統制と同レベルの体制を要求することは、会社法の内部統制が、どのような体制を整備するかを各企業の自主的な判断に委ねる(リスクオウンアカウント)会社法の内部統制の制度を逸脱することになりますので、会社法では、財務報告に係る内部統制の定める体制を要求していないと思われます。
 なお、法務省民事局の郡谷氏(既に退職したようです)が、4月上旬に行った講演会で、⑥の私見の一部と同様な内容を講演で発言したと聴いており
ますし、東大の宮廻先生が、2月頃に講演会でお話されたところでも、財務報告に係る内部統制と会社法の内部統制とは違うものだ、関連性はないのだとお話しておられました(この講演会の内容は、5月頃の商事法務に掲載されるように聴いております)。従って、このような考え方は、けして私一人の独断的な見解ではないと思われます。

 4月下旬に会社法と内部統制の講演をすることになっており、本日、下準備を始めていたところでした。そのため、だいぶ長いコメントになってしまいました。お許しください。また、日本版SOX法と内部統制についての講演も依頼され、6月上旬に行う予定です。山口先生に、示唆に富むコメントをそのうち発信していただければと期待しております。
 

投稿: M・E | 2006年4月15日 (土) 22時49分

再度M・Eです。内部統制の限界論という視点についてまではコメントできておりません。もっとも、財務報告に係る内部統制と会社法の内部統制の制度目的、位置付け等から限界論についても整理ができるのではないかと考えられます。また、整理し、コメントさせていただきます。

投稿: M・E | 2006年4月15日 (土) 23時26分

>品田太市さん

はじめまして。(といってもメールはよく頂戴しておりますね。いつもありがとうございます)
私はあまりよく考えがまとまらないままに、本能のおもむくままに疑問が湧いてきてはエントリーをしてしまう・・・ということで一年間やってきましたんで、「しまったなぁ・・」と後悔することがよくあります。(笑)
このCOSOフレームワークの報告書に出てきます内部統制の限界論というのも、頭ではわかるんですが、「なんのために限界論を考えるのか」を十分煮詰めておりません。私は日本版SOX方の導入にあたって、会計士さん方の仕事が増えることはいいことなんですが、そのぶん責任が増える可能性もあるわけでして、そのあたりの巧妙な責任回避論として用いられるのではないかな。。。と勝手に推測をしております。
ただ、前提として会社法と金融商品取引法では、内部統制システム構築は関係ない、ということになりますと、この「限界論」というのもあまり会社法サイドではあまり援用することができないのかもしれません。むしろ品田さんが指摘されているように経営判断の原則が適用されるのかどうか、といったことのほうが重要なのかもしれません。(ただ経営判断の原則が適用されないとしましても、そもそも企業の自律作用を尊重するテーマでしょうから、裁判所も広範な裁量の範囲は認めるものと思いますが、いかがでしょうか)
また有益な示唆をお願いいたします。

>M.Eさん
どうもおひさしぶりです。
非常に多岐にわたる問題への考察、恐れ入ります。会社法における内部統制システム構築を推進することが、今後「明文化してよかった」と評価されるのか、それとも「あまり意味がなかった。やっぱりこれからは監査役にも一定の会計専門家としての知見を必要とするように改正しよう」と評価されるのかは、不祥事が発生してみないとわからない、もしくはガバナンスのあり方が企業価値の算定に影響を与えるといった情況でも来ないかぎりわからない、というのがホンネではないでしょうか。会社法施行直前というこの時期、かなりホットな話題になっておりますが、急場しのぎの理論ではなく、これから本当にガバナンスを強化する理論および施策になるように、誰かが検討していく必要がありそうですね。
財務報告の信頼性に関する統制評価の実務と会社法の要請する職務の適正確保のための施策とのオーバーラップに関する意見につきましては、私も一意見をもっておりまして、別エントリーで述べたいと思っておりますので、またその節にはいろいろとご指摘いただけましたら幸いです。

投稿: toshi | 2006年4月17日 (月) 00時49分

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