蛇の目ミシン工業事件最高裁判決
一審、原審では元取締役らの会社に対する責任が否定されていた「蛇の目ミシン工業事件」におきまして、最高裁は元取締役らの過失を認める判断に至ったようです。蛇の目ミシン工業事件の報道はこちらです。
この事件の高裁判決といいますのは、取締役らの善管注意義務違反を認めながら、取締役の置かれていた事情などを考慮したうえで、過失がないことを理由に責任を否定したものとして、かなり注目された法律構成だったようです。(商事法務1745号23頁で、会社法立案担当者による解説で、忠実義務・善管注意義務違反を認めつつ、過失を否定した裁判例として掲示されております)したがいまして、各社報道には誤解された部分があるようで、そもそも「善管注意義務違反なし」と高裁が判断していたところを「義務違反あり」と最高裁がひっくり返したのではなくて、「義務違反はあるが、適法行動への期待可能性がなかった」というところを「いや、警察へ届け出るなどして、適法行動への期待可能性はあった」と過失評価のところでひっくり返したものだと思われます。(まだ全文を読んでおりませんので、推測にすぎませんが)もちろん、この裁判は現商法に基づく判断ではありますが、新会社法の下における取締役の責任論(「任務懈怠」と「過失」の関係)にも影響を及ぼすような判断内容かもしれません。
この原審である「蛇の目ミシン工業事件高裁判決」というのは、最近よく「取締役の損害賠償責任論」をテーマとした論稿に出てくるのですが、しかしながら、たとえば先の会社法立案者の「取締役の損害賠償責任」解説を読んでみたり、商事法務の最新刊に掲載されている田中亘助教授の「利益相反取引と取締役の責任(上)」を読んだりしておりますと、新会社法における取締役の会社に対する損害賠償責任論はとても解釈がムズカシイといった印象を持ちますね。なんでムズカシクなったかといいますと、「任務懈怠」という言葉が条文に入ってきたり、原則として(いままで無過失責任とされていた)取締役の特定の行為が過失責任化したり、利益相反取引のうち「自己のためにする」取引だけが、無過失責任(のようなもの)として残っていたりするために、これを統一した理論構成で説明することが非常にしんどくなったことに起因するように思われます。
過失論は責任問題、「任務懈怠の有無」は行為の違法性評価の問題だから、これをきちんと分けて検討せよ、といわれましても、偉い先生方であればすんなり理解できるかもしれませんが、私を含めて一般の会社の役員の立場からすれば、「じゃあ一体何をすれば管理義務を尽くしていて、なにをしたら違法もしくは有責と判断されるのか」まったくもってわかりにくいです。もうすこし、なんかスッキリとした解釈論というものはないのでしょうか。新会社法423条や428条の規定ぶりからみて、善管注意義務違反=過失といった伝統的な解釈枠組みはもはや採用できない、といったところが通説的見解かもしれませんが、じゃあ「任務懈怠」と「過失」はどう違うの?といった新たな疑問も生まれそうです。
私としては、会社法立案者の見解とは異なりますが、やっぱり伝統的な「善管注意義務違反」=「過失」という基本的な枠組みは維持すべきだと思います。たしかに条文上では「任務懈怠」と「責任」とは区別して書かれていますが、それはべつに「行為の違法性」と「責任論」に区別して説明する必要はなくて「過失の客観化」によって説明は尽くされるんじゃないでしょうか。医療訴訟などにおいては、すでに美容整形とそれ以外の治療行為とで、医師に要求される注意義務の内容を区別するために「過失の客観化」理論が進んでいると思うのですが、(しかも手段債務、結果債務の区別論から発生した理論ですので、診療契約に基づく債務不履行理論の「過失」です)ある程度過失の内容を類型化、客観化できるのであれば、その評価を「任務懈怠かどうか」の枠内で議論すればいいと思います。(基本は原告の立証責任として、客観的過失の不存在の立証責任が転換された場合が、たとえば423条3項や120条4項、462条、465条等で規定されている、とみればよいのではないでしょうか)法定責任として会社法が規定しているところは、まさに客観化された過失が立証された場合には、主観的な過失まで原告が立証する必要がないところに意味があるわけでして、それ以外の取締役の善管注意義務違反を立証するときには、原則に立ち返って原告は主観的な過失まで立証する必要があると考えれば、伝統的な枠組みを維持しつつ、新会社法の条文を解釈できるのではないかと思うのですが。
そもそも、会社法428条は自己のためにする利益相反取引については責任がないことの反証を許さず、第三者のためにする利益相反取引については反証を可能としているわけですから、取締役の利益相反取引といった行為態様自体が過失の程度に影響を及ぼすことを認めているわけですよね。つまり利益相反行為の行為態様に着目して、行為の違法性の問題を飛び越えちゃって、責任論で分類しているわけです。だったら、取締役に過失を認めやすい行動とか、過失を認めにくい行動を一般的に分類したって、いいのではないか・・・・・と思ったりしております。(まあ勝手な思いつきなんですが)
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コメント
ごぶさたしております。執行部のお仕事たいへんでしょうが、相変わらず更新されているご様子、感服いたします。たしかに、今後この最高裁判決の判断内容はいろいろな分野で話題になりそうですね。
ただ、損害賠償責任の根拠だけでなく、「敵対的株主排除への対価も利益供与にあたる」といった判断を明確にしたところにも実務へ与える影響は大きいのではないでしょうかね。たしかに「株譲渡の対価であれば違法な供与にはあたらない」とされていますが、果たして線引きが明確になっているのかどうか。私もまだ判決文は読んでいませんが、いままでこの事例は「特殊株主に対する特殊事案」だと認識しておりましたが、どうもそういった感覚で片付けてしまえないような論点が含まれているようです。
また、いろいろと議論が盛り上がるといいですね。
投稿: taka-poo | 2006年4月11日 (火) 11時11分
>taka-pooさん
どうも、ごぶさたしております。昨夜も執行部の仕事でレスが遅れました。
以前は最新最高裁判決速報がすぐに閲覧できたように思うのですが、どうも裁判所のHPがリニューアルしてからは遅くなったように感じますね。
taka-pooさんのあげておられる争点こそ、ちょっと全文にあたってみませんんと、なんとも申し上げられないですね。本件の特殊事情というものは、まさに利益供与に該当するかどうか、の論点に関わってくるように考えているので、私自身としては、新聞報道されているほど敵対的買収実務に影響するのかなぁ・・と思っているのですが。
それよりも、むしろ企業年金基金が敵対的買収防衛策を強引に導入しようとする企業の役員選任議案に反対する意向を表明したり、新日鉄の株価が買収防衛策導入後ドン尻になっていたりする実態のほうが問題のような気がいたしております。
また、ときどきコメント寄せてくださいね。
投稿: toshi | 2006年4月12日 (水) 11時08分
同感です。どうも世間的には買収防衛策に関する風当たりが最近強くなったような気がしますね。
ところで、蛇の目ミシン工業の最高裁判決、toshiさんの予想に反して速報としてアップされていますよ。私がみるかぎりでは、善管義務違反と過失の有無を分けて議論しているようにみえますが、いかがでしょうかね?構成としては高裁の判断と同じかと。
投稿: taka-poo | 2006年4月12日 (水) 21時36分
ごぶさたしております。
最近はROMってばかりでして、ひさしぶりの投稿です。
私も違法性と責任論に分けて考えるのは法理論は別にして裁判実務としては適切とはいえないように思います。先生のいわれるような「過失の客観化」というのも検討に値するんじゃないでしょうか。ただ、原告側が主観的過失まで立証するというのはちょっと違うように思います。会社法が改正されましても、会社が順守すべき法令に反する行動を取締役がとった場合には「任務懈怠」にあたり、基本的には損害賠償責任を負担する、という最高裁判例平成12年7月7日の態度は維持されるでしょうから、やはり主観的な過失が存在しないということは被告(取締役)側が反証する必要があると私は思います。なお、そもそも任務懈怠という概念は評価を含むものでしょうから、それだけでも原告側は立証が困難なケースが多いと思われますので、利益相反取引をはじめ、いくつかの類型化された「任務懈怠」行為を法定しておくことはそれなりに意味があると考えています。
長々と自説を論じまして失礼いたしました。
投稿: 神田川康郎 | 2006年4月13日 (木) 02時08分
>神田川さん
どうもご無沙汰しております。
なるほど、「商事法務」の最新刊4月15日号の田中教授の(下)を読みましたが、神田川さんのご意見、ほぼドンピシャでしたね。
たしかに、主観的な過失まで一般的には原告が立証すべき、という私見は、ちょっと会社法の条文制定過程や、神田川さんが揚げていらっしゃる最高裁判例の立場とは違うように思います。ただ、そうであっても、やっぱりなぜ「一元説」と「ニ元説」に区別しなければいけないのか、疑問があります。
また、エントリーを続けてみたいので、その際にはご教示ください。
コメントありがとうございました。
投稿: toshi | 2006年4月21日 (金) 14時13分
toshi先生、レスありがとうございます。私だけ嫌われているのかとおもっていました(笑)
私も毎日拝見しておりますので、すこしはかまってください(涙)
taka-pooさんへの先生のレスについて少し気になりましたのは、蛇の目の最高裁判決は、従来の平成12年7月7日の野村證券判決とほぼ同様の構成を踏襲しているものと思いますよ。最高裁は利益供与に該当する、として具体的な「法令違反」を認定したわけですから、法令違反がある以上は過失の有無について検討しなければいけないというのは先の判断と同様の過程です。
ただ、やっぱり「過失の客観化」理論は手段債務と結果債務に投影して議論を進化させるためにも魅力的だとは思います。
たいへんお忙しそうですが、どうか無理なさらずにブログを続けてください。(あっ今回はレス不要です・・・笑)
投稿: 神田川康郎 | 2006年4月21日 (金) 18時11分