続・職務執行の「効率性」確保のための体制とは?
会社法施行規則100条1項3号に定める「取締役の職務の執行が効率的に行われることを確保するための体制」とはなんぞや??ということで、今週日曜日にエントリーをいたしましたが、これまた「この道に詳しい」先生方にいろんな意見を頂戴しておりましたところ、失礼ながらきちんとお返事もしないまま放置しておりました。(奥様に「早くお風呂に入りなさい」といわれつつ、自宅のパソコンに向かい、必死の思いでコメントを載せていただきましたME先生、おそらくご自宅での内部統制は奥様がすべてマネジメントされているものと推察いたしました・・・)いえ、放置していたことは事実なのですが、とりあえず皆様方のご意見を真剣に考えつつ、自説について再考しておりました。
そもそも、「効率性」といった言葉は日本語の一般常識的な意味合いでは「無駄がないこと」といったイメージがまず最初に浮かんできます。ただCOSO報告書の日本語訳などでは、内部統制の目的の一つとして「業務の有効性と効率性」といった言葉で「有効性」と並列的に用いられるところですから、「有効性」に近いイメージ、たとえば「効果的であること」といった意味合いで考えるほうが適切かもしれませんね。ところで、(会社法における体制整備構築とはまったくベツモノとは承知しつつ、あえて)金融庁企業会計審議会サイドで考えられているところの「内部統制報告実務」を参考にしたいのですが、財務報告の信頼性確保を目的とした「経営者における評価対象」としての内部統制システムに登場する「有効性と効率性」という概念は、非常に重要な位置づけがされているようです。つまり内部統制システムというのは、一連の「プロセス」を評価するわけですから、そこには「時間軸」があります。たとえば最終的には年度(もしくは四半期)決算における財務諸表の正確性が確保されるためのものではありますが、「決算期」といったある時点の数字が正しいのかどうか、その数字が出てくるプロセスを「試査」することによって実査したのと等しいものと評価するための「コツ」は、これまでも会計監査人の知恵によって監査の対象とされてきたわけでして、これはまさに財務諸表監査にともなう内部統制監査だったはずです。ただ、これはあるひとつの時点における数字完成までのプロセスを評価するものであって、一年間ずっと同じプロセスが、その企業に生き続けていたのかどうかは、まったくもってわからないところであります。それで、このたび「内部統制報告実務」で導入されるであろう内部統制システムの構築というのは、財務報告の正確性確保のための業務執行に携わる全ての従業員に(賛同するか批判するかは別として)ともかくトップの行動規範が浸透する体制が整っているかどうか(これを評価するためにCOSOフレームワークの5つもしくは6つの構成要素があるはずです)そして、決算期間の最初から最後まで、とりあえず同レベルのシステムが継続して機能しているかどうかということを経営者自らが評価して、報告することになります。
たとえて申し上げるならば、ガン検診におけるCTスキャンとPETの違いではないでしょうか。CTスキャンはデジタルカメラの世界です。そこに撮影される2次元の世界を解読して、ガンを発見します。しかし最新型のPETは体内に検査用に取り込んだ細菌の動きを観察してわずか数ミリのガンまで発見してしまいます。つまり時間軸を採り入れたデジタルビデオの世界です。時間空の世界を観察の範囲に取り込むことによって、いままで正確に見えなかった病根が見えてくるというものでして、まさに内部統制システムの構築というのは、情報の信頼性を高め、企業の管理体制の質を向上させるものだと考えられているわけです。そこで、「業務の有効性・効率性」に資するためにシステムが機能していたかどうかは、この時間軸のなかで「システムが一年間機能していたのかどうか」評価するためにとても大切な問題になってくるわけでして、(たとえば立派なITシステムを導入したとしましても、そのプロセスの一部が導入企業の担当者レベルにおいてはブラックボックス化していて、システム故障の際に機能不全に陥る可能性があったとすれば)システムの導入が「業務にとって効果的でない疑いがある」という評価を受け、おそらく1年にわたってずっと正確な財務情報を形成しつづけるようなものではなかろう、と判断されてしまう可能性が出てくるはずです。
さて、会社法・会社法施行規則における「取締役の職務の執行が効率的に行われることを確保するための体制」(施行規則100条1項3号)を解釈する場合、上記のような考え方は応用できるのでしょうかね。ME先生がご指摘のとおり、監査役協会の出している本などでは、効率性を求めることと、コンプライアンスを求めることとはときに矛盾する可能性があるとされております。(これは以前、書面決議などについてエントリーしたときにも指摘させていただきました)もちろん業務の無駄をなくすこと自体、株主から経営を委託されている取締役にとりましてはたいへん重要な経営管理態勢だとは思いますが、そもそもそのような意味での「効率性」ですと、果たして監査役の監査の対象として意味がないんじゃないでしょうか。(現行商法施行規則193条6号によりますと、委員会等設置会社における監査委員会の職務の執行に必要なものとして、「執行役の職務の執行が効率的に行われるための体制に関する事項」も含まれておりますが、これなども同様の意味で、ほとんど意味をなさないように思われます)そこで、さきほどの金融庁サイドにおける内部統制報告実務と同様の考え方からしますと、コンプライアンス経営、リスク管理といった企業内部からの健全経営を確保するために整備された体制が「継続的に」機能しているかどうか、これを満足させるために取締役の職務執行の「効率性」が要求されるのではないか、と考えてみると結構おもしろいんじゃないでしょうか。このように考えますと、道具としては前のエントリーでも書きましたとおり「取締役による業務執行の決済規程」とか「取締役会上程基準」などと結びつきますし、またそういった規程に則った実務がなされているかどうかを評価する機関の制定や活動報告なども監査役の監査の対象となるわけでして、規定の意味がかなり深化することになろうかと思います。
いずれにしましても、これは私自身の試論にすぎませんので、またいろいろな方にご意見、ご批判頂戴できましたら幸いです。
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コメント
山口先生
実務上も問題となりうる問題だけに、続編は時機を捉えているかと思います。
先日の第一弾の方の書き込みに、会社法施行規則100条1項3号の「効率性」は、監査役の監査の実効性と同じ趣旨に解されるので、効果的に機能させることまでを求めたものであるという私の見解を書かせていただきましたが、ベースの違い(金融庁モデルか否か)はあれ、先生の見解は同趣旨のものであるかと推察いたします。
ただ、「効率性」という文言、言葉使いが紛らわしいのは間違いなく、このあたりは、規則改正でなぜ変更されていないのかな(誰も深く議論しなかったのかな?)と思ったりもしております。
この点、効率性について、取締役の職務執行を効果的に運用するための仕組み作りのことだという解釈に関しては、委員会等設置会社の営業報告書に書かれている内部統制に関する部分を見ても、取締役のコントロールやリスク管理、コンプライアンスなどが効果的かつ有効に機能する内容のものが多くを占めております(商事法務の特集:「委員会等設置会社に見る内部統制システムの態様」)。
実際上も、この効率性の部分が適切に構築・運用され、内部統制を効果的に機能させることで、企業不祥事が合理的に防止でき、内部統制システムの導入を通じて企業不祥事による企業価値、株主価値の低下を防ごうとした会社法の立法理念が達成されるのではないでしょうか。
投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年4月20日 (木) 14時22分
>コンプライアンスプロフェッショナルさん
コメントありがとうございます。
内部統制を論じるときに危惧いたしますのは、「この制度を支えるのは生身の人間であって、机上の理論でもITでもない」ということを忘れそうになることです。「効率性」というものの正体を見つめるにあたって、法の世界でも会計の世界でも、しょせんは人間のなまぐさい世界に属する道具だと思っています。プロフェッショナルさんのように、普段から「生臭い」社内の領域に接する機会が多い方ほど、評価対象としての「効率性」の意味合いを社会に提示していただきたいですし、また法曹としましても、役員とか法務グループ、経理担当者などと接する機会がありませんと、精緻な理論構築家になってしまうだけで実務に受け入れられるような意見を提案できないで終ってしまうような気がします。コーポレートガバナンスを論じる以上に、内部統制論の難しさは実務との密着度の高さにある、と自戒も含めて感じている次第です。
投稿: toshi | 2006年4月20日 (木) 15時29分
山口先生
早速のレスポンス、恐縮致します。
理論は理論で大切、でも実際に構築され運用されることがもっと大切で、実効性の観点からは、必ずしもCOSOモデルや会社法の体系の中に位置付けられないのも止むを得ない部分かと思います。
理論や理屈ですぱっと割り切れればいいのですが、そうはいかないところが、「生身の人間」の集まりの組織のむつかしさだと思います。ですから、以前も、このブログでも書かせていただいたかと思いますが、ヒューマンエラーの研究や社会心理学・産業心理学、心理学、組織論、経営理論など、様々な理論や手法を融合・活用しながら、しかも各社の統制環境に配慮しながら内部統制を構築していかなければならず、このあたりになると、体系的・理論的に整理するのはかなり大変かなとつくづく感じております。
私が一番危惧しているのは、生身の人間がやるからこそ、難しく・絶対はありえないため、不祥事予防の合理的な保証でしかないとされているにも関らず、不祥事等が発生したという結果のみを取り上げて安直に内部統制が機能していなかったと評価する結果論的な発想が、今の世の中に強い点です。法律上の責任も問われる以上、裁判所などではもっと精緻な分析・検討がなされるかと思いますが、結果論だけで内部統制を論じるならば、最初から完璧な不祥事防止という結果を出すのは無理である以上、内部統制論は机上の空論になってしまいますし、実際に内部統制を構築するため日々悩んでいる企業経営者や担当者の努力を無駄にするものになってしまいます。
取組が一部でも評価されなければ、誰も取組まなくなります。結果論ではない、生身の人間が関係するという大前提の部分を忘れずに、理屈としても柔軟性・実効性のある内部統制の議論がなされることを期待しております。
投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年4月20日 (木) 15時58分
会計屋なので法の解釈に誤りがありましたらご指摘下さい。取締役の職務に係ることは、コーポレート・ガバナンスに関することと理解しています。アメリカの会社の召集通知を見ると、取締役会の最適人数ということが、大体言及されています。曰く、少数のメンバーで議論することが効率的にボードの運営を行えると。また、取締役と経営幹部の報酬の開示も、「効率性」に関係があるのではないでしょうか。
投稿: CG watcher | 2006年4月21日 (金) 17時53分
>CG watcherさん
はじめまして。コメントありがとうございます。「取締役会の最適人数」ですか。アメリカの場合は完全に意思決定機関として機能するわけですから、企業規模や業種、そしてその企業がどの成長過程にあるか等から「最適人数」というものを検討するわけでしょうね。おそらくCGwatcherさんのご指摘は間違いではないと思います。「効率性」といった意味にはピッタリくるように思います。報酬の開示の点につきましては、企業業績と連動するとはいえ、いろんな考え方があると思いますので、一概には「効率性」と関連があるかどうかは私にはちょっとわかりません。どちらかといいますとコンプライアンスに近い発想からではないか、と思っております。
また、ご意見、気軽に残してくださいね。
投稿: toshi | 2006年4月22日 (土) 02時23分