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2006年5月30日 (火)

「ライブドア監査人の告白」読後感

もともとcritical-accountingさんの「会計や監査の話などなど」ブログで近刊情報を知りまして、発売と同時に読みきってしまいました。著者である田中慎一氏に近い久野氏、小林氏が先日の第一回ライブドア刑事公判でいずれも公訴事実を全面的に否認している中での発刊ですので、法曹という立場からの詳細なコメントは差し控えたいと思いますが、まだライブドア強制捜査、堀江氏ら逮捕劇の記憶が新鮮なこの時期に、地検特捜部の動き出す場面から立件に至る経過を詳らかにした書物はたいへん貴重です。おそらく経済事件の刑事弁護を担当したことのある弁護士からみると、会計士さん方がお読みになる感想とは一味違った部分で興味をもたれるのではないでしょうか。今年1月下旬頃、私のブログでも連日ライブドア強制捜査に関するエントリーをアップしておりまして、そのときに「いったいライブドアの監査役の人たちは何をしていたんだろうか・・・・」とはがゆい気持をずっと抱いておりましたが、こうやって現場におられた会計監査人の方の告白を読み、いままでの(表舞台に登場しない監査役の方々へ抱いておりましたイメージも少しばかり変わり)モヤモヤがすーっと溶解してくるような感覚を持ちました。

以前ご紹介した企業会計審議会内部統制部会長の八田進二教授の著書「内部統制の考え方と実務」のなかに、「もしライブドアに対して内部統制監査があったとしたら、今回の事件は防げただろうか」といった問いかけがあります(74頁以下)。私は八田先生が「外部監査人による内部統制監査によって、ライブドアの事件は防ぐことができた」とする結論に対しては非常に懐疑的な印象を持ちまして、堀江氏、宮内氏による経理操作はCOSOモデルによる「内部統制の限界」であって、どんなに内部統制システムを構築したって不正を防止することはできないだろう、といった諦観を抱いておりました。しかしながら、この田中氏の「港陽監査法人による2004年9月期の審査」(ロイヤル信販、キューズ・ネットに対する売上取引の真相究明)に関する監査法人の対処経過を読み、たしかに、架空売上計上に関する証拠評価に限界がある場合、もし「財務情報の重要な部分に関する内部統制の重大な欠陥」といった切り口があったら、もっと会計監査人はライブドア経営陣に対して毅然とした態度で臨むことができたんだろうなぁ、というのが素直な感想であります。会社の商品価値を適正に一般投資家に伝えるための機能も大切かもしれませんが、会計監査人が自信をもって「ダメなものはダメ」と毅然とした態度でクライアントに臨むための武器としても、内部統制監査というものが機能することを知りました。

さて、この時期に、田中氏が告白本を著されたことや、田中氏の潔い対応への感想などにつきまして、会計専門家でない私がここで述べることはいたしません。おそらく田中氏は賞賛や非難を受けることは承知の上で、ともかく真実を語りたい、といった一心でこの本を世に送り出したものと思いますので、(株式分割や株式交換、そしてプーリング法、パーチェス法等に関して、一生懸命にわかりやすく説明しようと努力するその態度をみればよくわかります)その語りたかった真実(らしきもの)の部分を、もう少し時間をかけて、私なりに咀嚼してみたいと思っております。

しかし、新興企業の場合、証券会社やコンサルタント、会計監査人から監査役に至るまで、その経営陣との「最初の出会い」がどれほど大切で、一歩間違えるとどれほど恐ろしいものか、(自分の経験も含めて)あらためて痛感いたしました。

(追記)

critical-accountingさんも早速「告白」の感想をアップされてます。(TBからどうぞ)

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2006年5月29日 (月)

法化社会の企業責任(日経シンポ)

今朝(5月29日)の日経朝刊にも要旨が記載されておりますが、日経ネット(法化社会の企業責任)におきまして、詳細な講演記録、座談会記録な閲覧できます。内容につきましては、また一度検討したうえで意見を書きたいと思っております。

この週末、新刊の「ライブドア監査人の告白」を読みました。試験制度が変わり、公認会計士試験の受験者数も増えたようですが、これから公認会計士の道をめざす方々は、この「会計士の資格を返上して」田中慎一氏が書き下ろした独白をお読みになってどういった感想を抱くのでしょうか。また、大手監査法人で監査業務に従事されている現役会計士の先生方はどうでしょうか。上場企業の監査役を勤める方々はどうお考えになるでしょうか。

447831221401_ss500_sclzzzzzzz_v50820755_さまざまな立場によって、受け止め方も違うでしょうが、港陽監査法人はなぜライブドアの粉飾を止められなかったのか、今回の事件をこれからの監査制度にどう生かすべきか、真摯に考えてみることが、この本を著した作者の心意気に応えることになるんじゃないでしょうか。(つぎのエントリーでこの本について考えたことを書いてみたいと思っています)

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2006年5月28日 (日)

判例を形成する弁護士の力量

ビジネス法務といいながら、このブログではほとんど独禁法関連のエントリーがありません。(過去に橋梁鋼談合事件くらいでしょうか・・・もう、記憶もあいまいですが)社外監査役やコンプライアンス委員をしている企業が業種的に「談合」とは無縁の世界ですし、事務所事件としましても、これまで縁がなかったせいか、まとまった勉強をしていないのが現状であります。しかし、新聞紙上では毎日のように談合事件が報道されていますし、金融機関の不公正取引事例など、いわゆる企業コンプライアンスに関連する事件が最近とくに目に付きます。「専門」とまではいえなくても、「あれ?これって、下請法のガイドラインにひっかからない?」「景表法的にはだいじょうぶなの?」「専門の先生のとこで相談したほうがいいかも」くらいには嗅覚を養っておかないと、法曹資格をもった役員としては恥ずかしい場合もありそうです。

ということで、ひさしぶりに神戸大学の泉水先生の「独占禁止法の部屋」のHPをたずねましたが、泉水先生もブログを始められたようで、独占禁止法の部屋ブログを閲覧いたしました。BBS黎明期の泉水先生のBBSはとてもアカデミックな話題がてんこもりで、よく書き込みをさせていただき、また大阪弁護士会での研究会の際にも、一度質問をさせていただきましたっけ?(なつかしいです。あのころはまだ大阪市大の教授でいらっしゃったと記憶しておりますが。たしか司法試験委員もされていたような・・・)

泉水先生のブログで「鑑定書書きます!?」というエントリーを拝読して、思わず「うーーーん」と唸りたくなりました。やっぱり、独禁法事件というコテコテの専門分野の畑を土足でウロウロすると、こういったプロの先生方の逆鱗に触れる場合もあるということですね??(⌒◇⌒;) 被告側が大企業で、原告側が中小企業の場合、とりわけ不公正取引などが争点となったケースですと、「せっかくおもろい事件やのに、なんで争点を明確にせえへんねん!」と怒られてしまいそうな代理人になってしまう可能性はあるわけでして(中小企業には、専門弁護士に行き着くまでの情報が届かない場合もありますし、またなんといっても金銭的余裕がないケースも多いかもしれませんが)泉水先生ご指摘のとおり、情熱が足りない場合もあるかもしれません。個別事件の処理を第一義とする私のような一介の弁護士にとりましては、こういった政策形成機能を持つ裁判のような場合、判決をもらう場合には、まず説明責任を尽くしたうえで依頼者の同意をとりつけるようにしています。やっぱりどんなに立派な判決をもらっても、敗訴してしまえば当事者の経済的利益はゼロですんで、当事者に和解のチャンスがあって少しでもお金が入りそうな(原告側)事件であれば、とりあえず当事者本人の意向を聞いておかないと、あとで懲戒モノなんですね。そこのところが大企業に挑む中小企業の代理人弁護士としましては、非常にむずかしいところであります。(まぁ、和解を少しでも有利に運ぶために、できるだけ裁判官の顔色をみながら、可能な限り、争点はきちんと明示するようには心がけてはおりますが。でも、鑑定書作成費用と和解によって相手方からとれるであろう金額の比較、などという、また頭の痛い経済的算定が待っておりますが・・・・)

ただ、ホント、当事者との関係を抜きにしましても、泉水先生のおっしゃるようなケースは弁護士としてもキビシイ判断を迫られる場合が多いと思います。このまま最高裁で敗訴して、おかしな先例を作ってしまうんじゃないか、後に続く人達の裁判の機会を奪ってしまうんじゃないか、といった若干萎縮した気持は、たとえ自分なりに十分論点の主張は尽くしたと自信をもって上告受理申立をしたとしても、ココロのどこかに抱いているはずです。私はちょっと弱気かもしれませんが、こういったケース、「争点判決」ではなく、敗訴しても「事例判決」になるように、個別具体的な事例の特色をできるだけ書き加えて、もしこの裁判が敗訴確定したとしても、類似のほかの事例にはなるべく影響を与えないように努力するかもしれませんね。

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2006年5月27日 (土)

ふたたび「グレーゾーン」とは・・・

今日(5月26日)は日弁連の定期総会に出席するため、さきほどまで岡山におりまして、名物の「ばらずし」(ちらし寿司とはちょっと違う)を堪能して帰ってきました。今日の日弁連総会でも「グレーゾーン金利撤廃賛成決議」がほぼ全会一致で可決されましたが、きょうの話はこのサラ金の「グレーゾーン」ではなくて、(前にも一度議論させていただきましたが)会社法や証券取引法にからむ「違法ではないが、不公正と思われる行為」のほうのグレーゾーンのことであります。とりわけ、最近金融商品取引法案(現在、参議院で審議中)の中身を少しばかり勉強しておりまして、(といいましても、「辰のお年ごさん」クラスのようなご専門の方からみれば、恥ずかしい程度なのですが)その骨格はほぼ現行の証券取引法と変わらないのではないか、と思っておりますが、やはり「業者ルール」を金融商品に対して横断的に適用させる必要があることから、ずいぶんと「有価証券」概念、「金融商品」概念、「金融指標」概念が柔軟化して定められております。また行為規範のところも、客体を「プロ」と「アマ」に分類することから、一律の行為規範の適用ではなく、客体によって柔軟に対応できるような規定になっているようで、おそらく金融商品取引法それ自体をみても、どういった行為が違法となるのか、適法となるのかよくわからないところが多いんじゃないでしょうか。結局のところ、業者対投資家(一般市民)との間における取引ルールや、業者間のルール(取引や公開買付などの開示ルールを含む)といったことは、法を離れて、業界の慣行とか、自主規制機関の判断とか、業界団体のマニュアルのようなものによって「グレーなのか、シロなのか」を決しなければいけない領域というものが法改正後もたくさん存在するような気がします。

会社法に関しましても、先日ご紹介した法律時報の「座談会記事」や、6月1日号の旬刊経理情報の巻頭コラム(落合誠一教授による)を読んでおりますと、「違法」「適法」でなく、会社を取り巻くステークホルダーの行為や会社自身の行為が「公正か不公正か」といった問題が今後いろいろな場面で議論の対象になることが有識者の間でも予想されていることがわかります。会社法で明文上禁止されていないから「だいじょうぶ」とまでは言えなくて、たしかに明文上はオッケーのようだけれども、その行為の社会的な意味をよく考えてみると、不公正ではないか・・・・・、不公正と判断される以上は法律のうえでもなんらかの不利益を甘受してしかるべきではないか・・・・・、といった考え方の可否を、どっかで一度検討してみる価値はあるのではないかと思います。とりわけ「大きな政府」から「小さな政府」へといった規制緩和の進む社会を前提としますと、原則的には事前規制が撤廃される(もしくは曖昧化される)ことが多くなるわけで、そこに自主規制とか、委任の趣旨がよくわからない政令とか、業界団体マニュアルといった統制方法が介入する余地も多くなりそうでして、そういったものに安易に頼っていれば企業行動やステークホルダーの行動が「公正」か「不公正」かを明確化できるように錯覚してしまう可能性もあるわけです。

そこで法の適用される全ての社会ということではなく、競争によって収益を上げ続けなければならない会社といったものを前提に「公正か不公正か」の判断基準を考えてみますと、そこにはふたつの大きな仕分けができるのではないでしょうか。ひとつは会社の効率化(経済的効率)からみる基準と、もうひとつは社会的責任といいますか、他人との共存を前提とした会社の倫理面からみる基準に分けて検討する必要があるように思います。

たとえば、私がいまたいへん興味をもっております「内部統制」につきましても、ちょっと前まではSOX法404条の適用といったものが「財務報告の信頼性確保のため、企業不祥事防止のための画期的な手法」と信じられていたところですが、すでに本場アメリカでは、とても大部分の公開企業ではコスト的に支えることのできない制度であることが理解されはじめてきました。株主への利益還元の機会を奪ってまでも財務報告の信頼性確保の施策を講じることは、やはり経済的な効率といった面からも、また倫理的な面からも不公正だと評価されるかもしれません。また日本におきましても、経営陣に内部統制の重要性を気づかせることはなんら非難されることではなく、それは素晴らしいことだとは思いますが、会計監査人に評価される指針を一律に公開企業に適用させるために、その統制システムの構築を強制することが、はたして先の判断基準に照らして公正といえるかどうかは、まだ議論の余地があるような気がしています。

法律家が議論する実益のあるものとしての「グレーゾーン」とは何か、もしグレーゾーンがあるとして、シロかグレーかは誰が判断するのか、その判断はどんな構成要素によって変わりうるのか、それとも時代が変わっても、いったん誰かが「グレー」と言い出したら変わるのは困難なのか。ホント、こういった問題をきちんとどっかで考えてみると、事後規制時代における企業のリスク管理の研究にも大きな功績を残すのではないでしょうか。

※話は変わりますが、厚生労働省からたいへん興味深い報告書が出ております。

投資ファンド等により買収された企業の労使関係に関する研究会報告書

私のごく近くに、この問題にたいへん造詣の深い弁護士がおりますので、また彼の意見なども参考にしてじっくり考えてみたいと思います。

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2006年5月25日 (木)

講演のお知らせです。

さてさて、身の程もわきまえず、先日の弁護士会での講演の続きとしまして、一般の企業担当者向けに講演をさせていただきますので少しばかりご紹介を。

内部統制報告の実務対応と金融商品取引法案解説セミナー

実は私自身の気持ちとしましては、同出版社主催の相澤哲さんの京都講演の後であることや、同日(30日)、私の尊敬いたします大阪の著名弁護士さんの「金融機関向け新会社法解説」などと重なっておりますので、「私は少人数でマニアックな話題を」と考えておりましたが、100名様まで募集予定(って、ちょっと多いんとちゃうの?・・・)ということですんで、最終募集をさせていただきます。

やはり講演の中心は会社法、金融商品取引法案、コーポレートガバナンス報告書における「内部統制」の企業実務の対応といったところでしょうか。この分野は会計士さんの講演が多いと思いますので、できるだけ法曹からみた実務というところに焦点をあてた内容にしたいと思っております。関西地区の皆様で、こういったマニアックな話題に「なにげに」興味をお持ちの方、もしお時間がございましたら、ごゆるりと足をお運びくださいませ。

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2006年5月24日 (水)

神戸製鋼のデータ改ざん問題

企業コンプライアンスやCSR問題、そして内部統制などに興味をお持ちの方でしたら、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか・・・・・・・・・(神戸製鋼株主代表訴訟における裁判所の和解所見)・・・・・・・。そうです、2002年、特殊株主への違法な利益供与が発覚して、当時の取締役が代表訴訟の対象となった事件の和解成立の年ですが、その和解の際、裁判所は異例の所見を発表しました。その要旨は下記のとおりです。

神戸製鋼所事件和解における裁判所所見(2002年4月5日 神戸地裁)
「企業トップの地位にありながら、内部統制システムの構築を行わないで放置してきた代表取締役が、社内においてなされた違法行為について、これを知らなかったという弁明をするだけでその責任を免れることができるとするのは相当ではない」「違法行為を防止する実効性ある内部統制システムの構築、およびそれを通じての社内監視等を十分尽くしていなかったとして、関与取締役や関与従業員に対する監視義務違反が認められる可能性もある」「神戸製鋼所のような大企業の場合、職務分担が進み、ほかの取締役や従業員全員の動静を正確に把握することは事実上不可能で、取締役は利益供与のような違法行為や企業会計規則をないがしろにするにする裏金操作が行われないよう、内部統制システムを構築する義務がある」

なお、この和解には和解金の支払いのほか、社外者を含む「コンプライアンス委員会」設置、コンプライアンス経営に関する声明の新聞紙上への掲載も合意されておりました。(商事法務1626号参照)

和解合意書のとおり2003年にはコンプライアンス委員会が設置され、その3年後であるこの5月、新聞報道のとおり、自家発電所において基準値を上回る有害物質を排出し、その事実を報告しなかったり、データを改ざんしていた事実が発覚し、株式会社神戸製鋼所自身もこの事実を認めました。(神戸製鋼のHPより)しかも新聞報道によればデータの改ざんや事実の無申告は、この5年ほど続いていた、ということです。過去最高益を出し、創業100年の国際企業として、環境リスクによる醜聞は非常に厳しいものがあるのではないでしょうか。たしかに2003年発足のコンプライアンス委員会の主たる目的が財務情報の信頼性確保にあったとしましても、神戸製鋼がリリースしているコンプライアンス委員会設置のお知らせ 行動規範の実施基準を見る限りでは、今回のような不祥事防止のためにも鋭意努力する、といった内容ですから、この度の事件につきましては、こういった統制活動が機能していなかったのではないか、という疑いが残りますし、「はたして巨大企業において、内部統制というものはホントに機能するもんだろうか、やっぱり官主導の外部統制のほうが日本企業には適合するんではないだろうか」といった諦念すら芽生えてきそうな気がします。

ここでまず第一に考えるべきは、データの改ざんや、法令違反行為の隠蔽が「誰に向かって行われていたのか」ということです。現場からコンプライアンス責任者への報告自体に虚偽があったのであれば「内部統制の限界」事例に含まれそうですし、責任者から「外へ向かって」虚偽報告がされていたのであれば、内部統制の重要な欠陥もしくは不備があったということになります。いずれにしましても、2003年から今年までの神戸製鋼のリリースを追っていきましても、「コンプライアンス委員会の活動報告」や「横断的リスク管理責任者による定例報告」のようなものがまったく見当たりません。つまり、新しい会社法で要求されているところの「体制整備」の重要な要素が欠落しているようです。(ちなみに、私がコンプライアンス委員をしております企業は、過去に委員会発足の原因を生ぜしめた不祥事発生の翌事業年度より、コンプライアンス委員会報告をリリースしております。もちろんこれには社内で反対意見もありますが)会社法における内部統制にしましても、金融商品取引法で要求される内部統制報告実務の基準にしましても、「システム構築」の重要ポイントは「運用」です。たとえば23日に適時開示情報としてリリースされました株式会社大阪証券取引所の「内部統制システム整備に関する決議」を参考にされたらおわかりになると思いますが、コンプライアンス体制を整備する事項のなかに、組織横断的な(フラットな)常設コンプライアンス部署を設置し、そこが定期的に調査報告を出すことが明示されています(考査課)。つまり、体制整備といえるためには、運用を常にチェックする部門もしくはシステムがあって、初めて「整備状況が相当である」と言えるはずです。そうでなければ、このたびの神戸製鋼のデータ改ざん事例のように、誰がどういった目的で改ざんしたり、事実を隠蔽していたのか、といった調査の信用性が失われることとなり、とりわけ今回の場合550時間分ものデータ記録の「紙が紛失してしまった」と報告されていますが、果たして本当に「紙切れの状態を放置していた」だけなのか、あえて「紙を破棄したのか」不明のままに終わってしまうのではないでしょうか。もし、コンプライアンス委員会報告や内部監査人による定期報告といったものが存在しないとすれば、裁判で内部統制システムの構築義務違反が争点となった際に、データ記録の紙が保管されていない点を原告株主側が有利に援用して「取締役もしくは会社はデータを隠した」と主張されたとすれば、裁判所は立証責任の転換を認める可能性もあるのではないでしょうか。

まだまだ神戸製鋼自身が経済産業省へ報告書を提出しなければいけない段階なので、断定的なことは申し上げられませんが、つい4年ほど前に内部統制構築義務違反(の可能性がある)として、建設的にコンプライアンス委員会を設置した企業が、その舌の根の乾かぬうちに、本件のような問題を生じさせたことについては、非常にショックでありまして、今度こそどういった統制活動を行っているのか、投資家にわかるような運用と開示を怠ってほしくないと思います。関西を代表する国際企業らしいところをみせてください。

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2006年5月23日 (火)

「会社法大改正」と企業社会のゆくえ

Jihou0605ほかのブログでもほとんど話題にはなっておりませんが、法律時報5月号では、新会社法が特集記事となっておりまして、「会社法」大改正と企業社会のゆくえ、として座談会記事ほか6名の著名な学者、実務家の方々によるレベルの高い「書き下ろし」論稿が1400円で読めてしまいます。まだ全てに目を通したわけではありませんが、論考のバランス(ファイナンス、内部統制、金融商品取引法との関連、会計基準、外国法制との関連、企業再編問題など)が極めて秀逸です。また、なんといいましても、前田教授、中村直人弁護士、北原直氏(全国中小企業団体中央会)、野村修也教授による座談会の取り上げるテーマのおもしろさは格別です。先日、神田教授が「会社法における内部統制と金融庁内部統制部会のリリースしている内部統制報告実務の基準のあり方との関係については、よくわからないところがある」と商事法務で述べていらっしゃるところを読んで、ホッとしたことを書きましたが、この座談会記事(けっこう長いです)を読んでおりましても、「あれはホンマによぅわからん・・・」「ホンマは誰もわかってないんちゃうか?」「あの解釈はどうもあやしい・・・」みたいな(関西風は私の脚色ですが)トークがいたるところにちりばめられておりまして、全編興味をそそる話題で「てんこもり」であります。あまりにたくさんの論点が語られておりますが、とりわけ私の興味をそそるのは

Ⅰ 事前警告型敵対的買収防衛プラン(発動時の株主承認型を含む)の問題点

Ⅱ 譲渡制限優先株式と買収防衛プラン

Ⅲ 子会社の機関設計の自由化と企業グループとしての内部統制システム

Ⅳ 代表訴訟の不提訴理由通知制度の実務に及ぼす影響度

Ⅴ 立法担当者の条文解釈にひそむ盲点

といったところでしょうか。この座談会、私だけが知らなかっただけで、実はいろんなところで話題になっているのかもしれません。(と思わざるをえないほど面白いですよ)

もうすこし、自由な時間ができましたら、真剣に内容を検討してみたいと思っておりますが、とりあえず本日はご 紹介まで。(あっ、そういえば今日、ある出版社の方から、「企業会計6月号にめっちゃおもろいバトル記事あるでぇ!」(これも脚色ありですが・・・)との情報を教えていただきました。うーーん、読みたいけど今週は私が責任者になってる総会があったり、日弁連の定期総会で岡山に出かけたりと、忙しいんで、誰か情報がございましたら、また教えてください・・・・。)

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2006年5月22日 (月)

なぜ「内部統制」はわかりにくいのか(2)

前回のエントリーには、まるさんや、コンプライアンス・プロフェッショナルさんより、たいへん有益なご意見を頂戴しました。(休日にもかかわらず、ありがとうございます。m(_ _)m ~★)「内部統制の議論」と「コーポレートガバナンスの議論」との関係についての私論はまた後ほどということにしまして、「なぜ内部統制の議論はわかりにくいのか」につきまして、ほかの要因についても考えてみたいと思います。

昨年あたりから、日本でも「企業買収」や「M&A」という言葉が当たり前のように使われ、敵対的買収などがさかんに報道された折、日本はアメリカの20年前と同様の事態になっている、とのコメントをよく耳にしました。実際、日本での企業買収実務におきましては、アメリカの判例や企業価値算定方法など、買収実務に参考となる先例が豊富に存在しており、よくわからない問題が発生したときにも、アメリカの先例を参考にしていると、なんとなく日本における問題解決策が読めるようなイメージを持ちました。

ところが、同じように「企業価値」と密接な関係をもつ「内部統制」についてはどうでしょう。アメリカに参考となる先例はあるのでしょうか。「日本版SOX法」・・などと、金融商品取引法(の一部)が呼称されるほどですから、アメリカに本場SOX法があるではないか、COSOフレームワークがあるではないか・・・・と反論されるかもしれません。しかしながら本場のSOX法といっても4年の歴史しかないうえに、まだ70パーセントの上場企業には適用されていません。コントロールシステムを導入することのコストに見合うベネフィットが得られるかどうかについての検証方法(調査方法)すら定まっていないのが現状です。前回のエントリーとも関連しますが、果たして「内部統制」といったものが、「開示強制され、クリア条件を強制される」システムとしたほうがいいのか、それともその企業の特殊性や成長段階に応じて「経営陣が経営管理体制として保有する秘伝、職人芸」のままのほうが株主への利益還元に資するのか、ホンネのところ、よくわからないところがあるんじゃないでしょうか。

なにわともあれ、コーポレートガバナンスの理論と結びついてしまった(とされている)わけですから、我々社外監査役たる立場にある者にとりましても、これを「開示強制され、会計専門家による評価の対象とされ、最低条件をクリアしなければいけない」ものとして検討しなければいけないわけですので、すくなくとも、この日本版SOX法における「内部統制」、会社法における「内部統制」といったものは理解する努力はしなければいけないのが現実の「オトナの対応」なわけであります。

ということで、それでは金融庁会計審議会内部統制部会から公表される「実務指針」を参考にして考えてみようか・・とも思いますが、まだ公表されていませんね。あっそういえば、3月に八田先生からお聞きした話によりますと、5月にアメリカのSECとPCAOBの合同ラウンドテーブルがあるので、そこでの報告や今後の方針などが日本の実務指針の参考になる、とのことのようでした。予定どおり5月初旬と5月10日にラウンドテーブルが開催されたようでして、5月17日、18日ころのSECやPCAOBのリリースによりますと、SOX法の適用が当分の間免除されるのではないか、と推測されていた(全公開企業の)70%にのぼる中小公開企業にも、結局のところSOX法の適用を(2006年12月以降に開始される事業年度より)強制することが決定されたようでして、そのかわり中小公開企業に対する適用基準を柔軟に検討する、とのこと。(ん?ということは実務指針は複雑化するってことでしょうか?)また、これまで適用が強制されていた公開企業に対する内部統制監査についても、①重大な欠陥と重要な不備との区別の判断基準の可視化②トップダウン型のリスクアプローチの積極的導入③監査に関与する他の社員との仕事の共有④内部統制監査と財務諸表監査の統合的作成などの検討が開始されたようでして、これでは日本の内部統制部会が昨年12月に公表した「あり方」案のほうが先行しているのではないか、とも錯覚してしまうような現実であります。(最近のラウンドテーブルの報道内容につきましては、どこの大手監査法人のHPでも解説されていないので、私自身が拙い外国語能力を駆使して英文HPより解釈したところです。もし誤りがございましたら、ご指摘をお願いいたします)

日本が参考にしようとしていたアメリカのSOX法実務が、いままさに企業の負担増加にあえぐ姿を目の当たりにして変容している現実があるわけでして、「内部統制」がわかりづらいのは当然のように思えます。これではますます「内部統制」をいかに考えるべきか、悩みの種は増えるばかりであります。(またまた、つづく)

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2006年5月20日 (土)

なぜ「内部統制」はわかりにくいのか?

私が社外監査役を務める会社も、きょうが決算報告(5月19日)でして、決算内容や定款の一部変更議案などが適時開示情報として掲載されました。ちなみに、内部統制システムの整備事項(基本方針)につきましては、5月上旬に臨時取締役会を開催いたしましたので、すでに開示済であります。本来ならばここで「ほっと一息」のところなんですが、これから証券取引所に提出が求められております「コーポレートガバナンス報告書」の策定が残っておりまして、経営陣の方達は、社外役員の属性やら、買収防衛策の内容やら、内部統制システムの整備状況など、自社のアピールすべき内容をうまく工夫しながら株主への説明責任を果たさなければなりません。さて、他の上場企業の皆様は、この「ガバナンス報告書」、どういった内容に仕上げていらっしゃるんでしょうか?ちょっと興味ありますね。

さて、会社法による「内部統制システム整備義務」につきましては、ほぼどこの上場企業も取締役会で決議を済ませているところだと思われますが、つぎの「内部統制モノ」の関心は「ガバナンス報告書」とともに、金融商品取引法によって義務付けられる「内部統制報告実務」のほうではないでしょうか。最新の商事法務では、「内部統制特集」ということで、神田教授も「よくわからない」と吐露されていらっしゃいますが、あの神田教授でさえ理解不能な概念が、私のような場末の弁護士にわかるはずもありません。それでは、なんでこんなにわかりずらいものなんだろうか・・・・と考えてみるのが、このシリーズであります。おそらく、企業会計審議会内部統制部会より指針作りを委嘱されている「作業部会」が内部統制報告実務の実務指針を公表するのは7月ころではないか、と噂されておりますので、ちょっとそれまでの間、不定期連続モノとしておつきあいください。

私もこの「内部統制」という概念、考えれば考えるほど、わからない部分が増えてきてしまいました。とりあえず、まず真っ先に疑問点として浮かんでくるのは、「日本版SOX法」の目指すべき方向性であります。いったい「日本版SOX法」という言葉が使われるとき、その法律は上場企業に何を求めている、とみなさまは認識されていますでしょうか?

内部統制というのは、企業の効率性を追求することを第一義とする「経営管理システム」である、つまり「経営そのもの」だと捉えて、日本版SOX法もベストプラクティスを企業に求める、と考えるのであれば、目指すべきは「内部統制の理想形」になると思います。そこではたくさんの費用を捻出して、高価なITシステムを導入して、人的組織豊富な内部監査室を作り上げることが要請されるのかもしれません。公表されるべき「実務指針」も、企業の導入すべき理想の統制システムを提案するといったことになろうかと思います。しかしながら、経営管理システムといった定義では、「開示」といった概念が含まれておりません。そもそも金融商品取引法で内部統制報告が問題とされるのは、それが「開示と第三者による評価」の対象になっているからであります。そうしますと、「内部統制システム」は経営者による「門外不出の秘伝」、「職人芸」の世界から脱却して、わかりやすく株主(投資家)に開示され、評価される対象に変容されたとみるべきでして、まさにコーポレートガバナンスの世界で議論される概念になってしまったようです。第三者に評価されるべきものですから、当然のことながら(他社比較のための)評価基準、「監査」の水準で合理的保証を与える監査人の評価基準が決められるわけでして、そのために「実務指針」は内部統制の有効性評価のためのミニマムスタンダードを示す必要が出てくるはずです。

会社法も金融商品取引法も、率直なところ「国策法」(富国強兵法)になってしまった現在、コーポレートガバナンスに関する考え方も変わり、私は「内部統制システム」といった、本来経営者のための職人芸を、コーポレートガバナンス理論の一種に押し込める素地は出来上がったと思っております。したがいまして、現在議論されております「内部統制」はシステムの開示と第三者による評価という概念とは密接に結びついているものと認識しておりまして、おそらく金融商品取引法下における内部統制報告の実務指針は、企業規模にしたがって「ここまでやればだいじょうぶ」といった最低限度のラインを示すものになると推測しております。誤解をおそれずにいいますと、従業員数が30名ほどの公開企業においては、電話とファックスさえあれば「IT対応」としては十分である、といった認識をもっております。(もし「おかしい」と思う方がいらっしゃれば、内部統制部会の昨年11月から12月にかけての議事録をご参照ください)

これだけの結論の違いが生じますのは、そもそも「内部統制システムとコーポレートガバナンスの関係」をどう考えるか、といった思考整理の出発点に起因するものではないかと思っております。(つづく)

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2006年5月18日 (木)

法律事務所のハコ(続編)

たいへん好評でしたので、「続編を書きますね!」などと言っているうちに、すっかり忘れておりました「法律事務所のハコ」シリーズですが、その第2弾をエントリーいたします。(というか、読者の方もすっかり忘れておられたと思いますが・・・笑)

いまから数年前、大阪弁護士会は「弁護士法人化問題」で大揺れに揺れておりました。なんで大騒ぎになっていたか、と申しますと、「弁護士事務所の法人化を認めてしまうと、法人成りした東京の大規模事務所が大阪事務所(支店)を開設することは目に見えている!そうなったら(おいしい事件を東京の事務所にとられてしまって)大阪の法律事務所は経営が立ち行かなくなるではないか!我々の業務問題どころか、市民への適切な法的サービスを提供する能力さえ低下してしまうぞ!!」「法人化大反対!」・・・・・・・・・いや、これは誇張でもなんでもなく、本当に大阪の弁護士の大半が同様の懸念(不安)を抱いておりました。私自身もそういった不安を確信に近い状態で抱いておりました。最終的には、東京の大規模法律事務所のアソシエイトの登録換え問題なども事務レベルでいろいろと対策を検討しておりました。

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さて法人化が自由となり、数年が経過しました。この5月の「自由と正義」(日弁連が発行している弁護士向けの月刊誌)で大規模法律事務所のパートナーの方々の座談会が特集記事として掲載されておりました(ちなみに、NOT、AMT、MHM、NT、AKの5大法律事務所)業務内容や経営方針、人事問題、渉外と国内事件の比率など、どれもたいへん興味のある内容でしたが、5つの大規模事務所とも声をそろえて「法人化はメリットがありませんので検討しておりません」「地方事務所ですか?うーーーん(苦笑)、当事務所の日常業務として受け入れるような需要が地方にあるかどうか・・・。とりあえず考えておりません」(5大事務所のアンケート結果でも、地方事務所開設の予定なし、とのこと)

・・・・・・・・・( ̄△ ̄;)エッ・・?

あの大阪の騒ぎはなんだったんでしょう・・・・・・・。( ̄▽ ̄;)?

この座談会記事を読んで「たいしたもんだなぁ」と感心いたしましたのは、以前の「法律事務所のハコ」でも少し感想めいたことを書いたのですが、大規模事務所は「パイを取り合って大きくしよう」といった気持を持ってお仕事されているわけではないんですね。そもそもどこの大規模事務所も「渉外系」として産声を上げて、外資系企業の日本参入の拡大とともに組織力をつけてきたわけですが、その限界を感じてか、今度は国内企業におけるリーガルサービスの需要の掘り起こしに尽力して、規模を売り物にできる「法化社会」を作り上げてきたわけです。簡単に申し上げるならば、「儲けたから大きくしよう」ではなくて、借金して大きなハコを作ってしまったから、長期的な視野にたって、このハコに見合う仕事を開拓していこう、といった気概に満ち溢れた「この10年」だったんではないでしょうか。だから地方のパイを奪って、大きくなろう、などといったチマチマとした戦略など、東京の大規模事務所の経営陣の先生方はまったく持っていらっしゃらなかったんではないでしょうか。「お金持ちになりたいんじゃなくて、自分がやりたい仕事のために、たまたま大規模事務所が必要だった」といったところが真実だとすれば、地方で「自分がやりたい仕事のために手弁当で頑張って人権救済活動に勤しむ」ことと、それほど大きな違いはないように読めたのですが、いかがでしょうか。(ただ、大規模法律事務所というのは、その業態からみて経営リスクの分散化が非常に困難であって、経営陣は夜も眠れないときがあるんじゃなかろうか・・・といったことも少し感じました)

新会社法が施行されて、外資脅威論のようなものが再燃し始めておりますが、果たして本当に外国の優良企業は日本市場をターゲットとして日本の企業買収に動き出すのでしょうか。それほど本当に日本のマーケットは魅力的なんでしょうか。案外、あの数年前の大阪弁護士会と同じような風潮が蔓延しているだけだったりして・・・・、などと考える今日この頃でありました。

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2006年5月16日 (火)

行政法専門弁護士待望論

私は「行政法」を選択科目として司法試験を受験しましたが、ここ数年、受験生の負担軽減ということを理由に行政法が試験科目から廃止されておりました。(新司法試験においては公法系ということで、すこしだけ復活したようですが・・・)戦後の司法試験では、商法と行政法のいずれか選択、という時代もありましたので、本当は法曹にとってたいへん重要な法律学のひとつだと思っております。ここ数日、中央青山監査法人の行政処分(一部業務停止)といった大きな事件を中心にエントリーを書いておりましたが、こういった企業社会に影響を与える行政処分といったものの正当性を担保するためには、行政法に強い弁護士というのも社会の要請として必要ではないかなぁ・・・・と考えたりしております。

もちろん、公害関連の国賠事件を多数手がけていらっしゃる弁護士とか、環境問題の取消訴訟や不服審査手続をライフワークとして頑張っていらっしゃる方も多いとは思いますが、ご推察のとおり、ある思想とか信念に基づいて原告団長をやるとか、集団訴訟をとりまとめる、といった高尚なことを考えているものではございません。このたびの監査法人に対する行政処分のように、企業活動に多大な影響を与える行政処分の適正性や、その根拠となる政令や自主規制ガイドラインの是非などを、法律を根拠に当該行政庁と交渉のできる法律家という意味であります。東京の大手法律事務所の著名な先生が、昨年の夢真事件の際に政令の解釈問題を直談判したことなどもこれに該当すると思いますし、独禁法や税務に関しても、ときどき活躍される先生方がいらっしゃるようです。

ただ、こういった行政法に強い弁護士が育たなかったのは、クライアントと行政との関係から由来しているものだったと考えられます。いくら弁護士が「これは行政の解釈が間違っているから、ぜひとも闘いましょう」と慫慂しましても、お上にたてついて、「江戸の仇を長崎で討たれる」のではかなわない、といった風潮が強いために、結局のところ泣き寝入りを余儀なくされるといったことが多かったように思います。しかしながら、最近の耐震強度偽装事件やPSE問題の発生原因でもありますように、事前規制から事後規制(大きな政府から小さな政府)へと時代の流れが変わってきますと、企業を取り巻く「お上の規制」も廃止され、もっぱら規制撤廃のリスクは企業の自己責任に変わってくるわけでして、行政に反抗することによる「仕返し」的規制概念が今後も次第に少なくなってくることが予想されます。そうなりますと、行政処分の違法性、行政裁量の妥当性などを、企業が真正面から取り上げるインセンティブも生まれてくるわけでして、そこに「カラダを張って」企業を違法・不当な行政処分から守る弁護士の職責といったものもクローズアップされる時代が来るのではないかと思います。ただ、なんでもかんでも、訴訟に持ち込むといった対応では、そのぶん企業もリーガルリスクを背負い込むことになってしまって、あまり得策とはいえないでしょうから、「比例原則」「平等原則」「適正手続」などの諸原則を用いて、行政裁量の範囲で交渉できる能力だったり、自社だけには処分が適用されないための「行政庁側の言い訳」をこちらで考えてあげて、その既成事実をきちんと作り上げる工夫だったりするわけでして、おそらくこういった能力は机上の「行政法」の学問では身に付くことはないと思います。むしろ、任期付き公務員になって政策立案者側に回ったり、処分を下すほうに回ったり、紛争の裁定人の経験を積んだりしたほうが専門的知識を涵養するには得策かもしれません。もちろん、(これまでのエントリーでも何度か紹介しましたが)私のように、たとえ「風俗弁護士」といわれようとも(?)、風俗産業のクライアントの警察行政処分に異議を述べて、「3ヶ月間の営業停止」を「30日間の営業停止」にもっていくような経験を積むことも大切かもしれません。(監査法人とファッション○○○では、ちょっと比較もできませんが)

平成16年以降の改正公認会計士法が適用されるような監査法人の行政処分の指針をみましても、監査法人が処分される懲戒事由および処分の加重・軽減事由はきわめて曖昧なものでして、いくら公認会計士・監査審査会が発足したから客観性が担保されると言いましても、とうてい法の支配が妥当するような運用は期待できないと思われます。私自身、市場の活性化のために刑事罰ではなく、行政処分を多用することはやむをえないものと考えますが、それならばフリーハンドの世界のまま「行政処分」を放置しておくことはなんとしてでも避けるべきでして、そのためにも(とりわけ大型法律事務所におかれまして)行政手続に強い若手弁護士を育成していただきたいものです。

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2006年5月15日 (月)

監査法人交代のリスクマネジメント

先週の「会計監査人の内部統制(3)」には、たくさんのコメント、TBありがとうございました。立石さんやKOHさんがご指摘のように、中央青山監査法人の「内部管理体制の不備」は直接の処分理由とはなっておらず(つまり、今後是正すべき点の指摘)、直接の(監査法人への)処分理由は懲戒根拠が「虚偽証明・不当証明」、懲戒事由が「社員の故意による虚偽・不当証明」ということになるんでしょうね。(ご指摘どうもありがとうございます。)ただ、本件で問題とされている会計士の行為が平成16年4月1日施行の改正公認会計士法の施行日前のものであったとしましても、おそらく監査法人の社員として監査証明業務を執行した者以外に、監査法人をも行政処分の対象とするわけですから、改正公認会計士法のもとにおける金融庁の「公認会計士・監査法人に対する懲戒処分の考え」と同様、実質的には当該監査法人の「社員に対する内部管理体制の不備」を主たる理由として両罰的に処分の対象としている、と考えるのが妥当ではないでしょうか。そもそも、このたび問題となっております「一部業務停止」は「行政処分」です。行政処分は刑事処分と異なって、なんらかの行政目的を達成するために、必要最小限度の範囲内において一般企業の憲法で保障されている経済活動の自由を制約することです。たとえば、ひとりの会計士さんが故意に不正経理に関与したのであれば、その方の資格を抹消すればいいわけでして、なにもその会計士さんが所属する監査法人の業務まで停止する必要はありません。もし何千人もの会計士さんが所属する監査法人の業務を、憲法違反にならずに停止する必要があるのであれば、それはその監査法人が「第二、第三の不正監査に関与する会計士さんを発生させる環境」があるからでありまして、それがまさしく監査法人の内部管理体制のことになると考えられます。

なお、中央青山が不正経理問題に絡んで、過去に二度ほど「戒告」処分を受けている点や、瑞穂監査法人に対して、業務停止処分を発令した前例との事例比較などによって、どうしても厳しい処分とせざるをえなかった、という事情もあるのかもしれませんが、これらは行政処分の量刑にあたり、処分の公正性、明確性をはかるための加重・軽減事由にはなりえても、行政処分を課す「処分根拠」そのものにはなりえないと思いますが、いかがでしょうか。もし別紙2に記載されているような(平成11年3月決算時点から15年決算時点までに)内部管理体制の不備が中央青山に存在しなかったとして、その監査法人に所属するたったひとりの社員の故意による虚偽証明の態様が悪質である場合には、何千人もの社員が存在する監査法人に対して両罰的に「業務停止」という処分が下るようには思えませんので、やはり実質的な処分根拠は監査法人の内部管理体制の不備にある、といわざるをえないように考えておりまして、やはり監査法人の内部統制のレベルといったものが、どの程度のものであればよいのか、客観的な基準というものが開示されないままに、このたびの社会的混乱に至ったといわざるを得ないように思います。

なお、今回の金融庁の処分にあたって、金融庁は処分直前にPCAAOB(公認会計士・監査審査会)の意見を聞いておりますので、そのあたりで、どういったやりとりがあったのか、もしくは5月9日に開催されましたPCAAOBの会合で、どういった委員間のやりとりがあったのか明確にされますと、行政処分の量刑理由(内部管理体制の調査結果)といったものも明らかになるかもしれません。(ちなみに、PCAAOBは昨年10月より四大監査法人に対して品質管理レビューを行っておりますので、そのあたりの調査結果も判断根拠になっているのかもしれません)

ひるがえって考えてみますと、このたびの中央青山の行政処分に対して、十分に監査人交代(もしくは一時会計監査人の選任)のリスクを検討していた企業がどれほどあったでしょうか。監査法人が刑罰を受けたり、課徴金を賦課されるということであれば、それは監査対象企業において自主的に検討すればいい話でしょうが、金融庁の業務停止処分ということであれば、自分のところを担当している当該監査法人の社員の人たちとの関係が良好であったとしても、会計監査人の交替を余儀さくされるわけでして、企業にとっては大きなリスクになるはずです。このたびのような金融庁の業務停止処分の出される経緯からしますと、監査法人のどういった内部統制に問題があれば会計監査人交代のリスクがあり、どういったPCAAOBによる意見形成がなされるのか不明なことも併せ考えますと、中央青山以外の監査法人でもふたたび同様の事態が発生する可能性は十分あるように思いますし、このリスク回避のために一般企業がどういったリスク管理をしていればいいのか、そのメルクマールは不明のままであります。

とりわけ、何度も申しますが、新会社法のもとでは、監査役は会計監査人たる監査法人の内部統制状況の報告を受け、これをチェックしなければなりません。客観的な監査基準もないままに、どうやって監査法人の内部統制をチェックすればいいのか、これからそういった監査基準ができあがるのか、皆目見当もつきません。今回のケースをモデルとして金融庁の行政処分のあり方が議論され、会計士協会による自主規制部門の強化や、課徴金制度の強化、刑事罰の厳格化などの代替措置も検討されるでしょうが、今後会計監査人とよりよい関係を築かなければならない企業の監査役にとりましては、「いつ監査法人が交替しても会社がリスクを負わない程度の」連携と協調のあり方を考えておいたほうがいいのかもしれませんし、信頼関係のある「連携と協調」を必要とするのであれば、中央青山がなにゆえ「一部業務停止」「2月」とされたのか、そこにいたる理由を公正透明にしていただきたいと強く願うところであります。

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2006年5月13日 (土)

会計監査人の内部統制(3)

第163回国会 財務金融委員会の議事録などを読んでみたり、知り合いの会計士さんにお聞きしたりして、「パートナー・レビュー」の意味もなんとなくわかりかけてきました。と同時に、いつも拝見しているkeizokuさんのブログで「処分理由(別紙2)に思うこと」のエントリーを拝読いたしまして、やはり問題点はこのあたりにあるんじゃないかなぁ・・・と、すこしばかり自分の興味の焦点が絞られてきたような気がいたしました。(ちなみに、金融庁がこのたびの中央青山監査法人に一部業務停止の行政処分を発令した理由につきましては、こちらです。)

すでにご承知のとおり、この金融庁の行政処分発令によって、上場企業の会計監査体制に大きな影響を及ぼし始めておりまして(すでに今回の処分によって会計監査人変更を決めた企業もあり、また受け皿監査法人を認容する大臣発言もあるようですが)対象監査法人にも、そして企業社会にも重大な行政処分であることは明らかです。こういった処分がなされる場合、対象となっている監査法人としては不服申立を行う権利があると思いますが、そういった申立がなされる気配はありません。それはやむをえないとしても、内部管理体制の「不備」(こういった場合、「不備」以外にどういった評価基準があるのかはわかりませんが)を理由に処分を行うのであれば、まず「あるべき内部管理体制」に関するガイドラインが存在するか、もしくは存在しないのであれば、相手方に不服申立を行うことが保証される程度に詳細な理由が必要なのではないでしょうか?たとえば法人の刑事罰のように、すでに両罰規定が存在していて、その監査法人に在職する(もしくはしていた)会計監査担当者個人が罰則を受けることを前提に処罰される、というのであれば理解できるのですが、本件は行政処分であって、また両罰規定のようなものも存在しない中での法人への処分です。ということであれば、当然に法人に対する処分理由は必要であって、はたしてこの程度の処分理由が、その影響と比較して反論することが可能な程度の実質的な理由になっているのかどうか、極めて怪しいのではないかなぁと感じております。結局、最初に「厳罰にすべし、という結論ありき」であって、keizokuさんのおっしゃるように「なにか法人全体を厳罰にできるいい理由はないかなぁ」といったところで「内部統制」を持ち出したような印象を与えているのではないでしょうか。ここのところは、金融庁が明治安田生命に対して業務停止処分を発令した場合とは大きく異なるところです。(明治安田の場合には、発令よりずっと前から調査を行い、その際に再生防止に関する指示を出し、また会社側も再発防止の宣誓をしていたにもかかわらず、金融庁からみて「結局、なにもしていなかったではないか」と判断した経過がありました)

さらに、今回の処分理由でわからないところは、果たしてパートナーレビューが適正になされていれば今回のカネボウの不正監査は防止できたのでしょうか?品質管理レビュー全体が正しく機能していれば(どういった体制であれば適正と評価できるのか、そこのところが果たして合意ができているのかどうかも疑わしいのですが)合理的に判断して、このたびの会計士と経営陣との癒着による不正監査は防止できたのでしょうか?金融庁が考えている「あるべき品質管理レビュー」といったものが、その企業から受ける監査報酬との関係で十分採算があるものなのでしょうか?すくなくともこういった問題点をきちんと考えて、明確な回答が出ないのであれば、今回の処分が法律に基づく適正手続を経た処分と言えるのでしょうか?

私が会計士の先生や学者の先生方に教わった「内部統制理論」によれば、「内部統制には必ず限界がある」といったことでして、これはおそらくどの先生方もお認めになるものと思います。そこには「内部統制の無視」や「共犯」などによって内部統制が無効となるケースが想定されております。たとえば、カネボウ事件の場合、経営陣と会計士が不正経理を共謀して行っていたようなケースでは、誰が品質管理レビューでそれを発覚させることができるのでしょうか。とりわけ平成3年以降導入されたリスク・アプローチによる監査方法によるのであれば、その企業の会計を長年見てきた会計士以上にリスク評価が可能な外部の人間というのは存在しないはずでありまして、だからこそ奥山理事長は「監査法人が騙された」と言い放っておきながら、あとで逮捕者が出た段階で「本部のほうは知らなかった」と言い直さずにはいられなかったわけですよね。(発言を変更していること自体、私には監査法人の内部統制の限界を感じるのですが・・・・・)

とくに中央青山監査法人を弁護する目的でのエントリーではありませんが、この金融庁の理由では、今後同様の事態が発生した場合における有効な先例にはなりえないことは間違いないところでして、世論の流れ、報道機関の興味の流れによって、これからも場当たり的な処分が下される可能性があり、果たして安定した会計監査というものが、これを契機に十分検討されるだけの土壌が育成されるのかどうか、極めて心もとないのではないか、と思っている次第であります。なお、こういった処分理由に触れた現役の会計士さん方にとって、これを真摯に受け止めてお仕事ができるのでしょうか。どうも、私の周囲の方のお話をお聞きしたかぎりでは、もともと「レビューパートナー」に提出すべき書類を作成することは「やっつけ仕事」であって、どうもその効果といったものに十分な期待をかけていないのが通常ではないか、と思ったりしております。

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2006年5月12日 (金)

「公開会社法」への道しるべ

会社法の講演をさせていただいて幸運だったことは、講演のためのいろいろな調査研究をしているうちに(といいましても仕事を抱えながらですから、そんなにたいしたことはできませんでしたが)、会社法の条文や制度趣旨だけでなく、これからの「会社法のたどる道」に関して、あれこれと考えることができたことでしょうか。

ここのところの中央青山監査法人に対する金融庁の行政処分や、それに続く実務界の混乱ぶりをみておりますと、どうも自民党の政務調査会、金融調査会、法務部会の合同小委員会が提言した内容のとおりに、会社法制が動いているような気がします。気になる提言といいますのは、平成17年10月21日にだされました「わが国の企業統治、会計監査制度等のさらなる強化に向けて」と平成16年12月17日に出されました「最近の資本市場、コーポレートガバナンスの諸問題に関する中間論点整理」のふたつであります。(塩崎センセイのHPからの引用になっておりますが他意はございません。ただ、ほかのところから引用できなかっただけであります。塩崎センセイは大阪の若手経営者育成に尽力されておられまして、これからも竹島問題などでバンバン頑張っていただきたいと思っております。ただ当時の小委員会委員長という立場ですんで、自らのHPで提言内容を公開されていらっしゃるんだと思います)

これらの提言によって、実際に会社法の要綱試案にもなかった内部統制システム構築(取締役等の職務の執行の適正を確保するための体制整備事項の決定)に関する規程が会社法に盛り込まれたことは有名な話でありますが、それ以外にも会計監査人の独立性確保に関する公認会計士協会の自主規制や、有価証券報告書への虚偽記載の厳罰化(これは改正証券取引法)、監査の品質管理の重要性を第一に考えた「監査法人の内部統制の不備を理由とした」金融庁の業務停止処分、監査法人の内部統制状況の監査役への報告義務(会社計算規則)、そして社外監査役の属性、とりわけ「財政または会計に関する知見の有無」の事業報告書における開示など、数え上げるときりがないほどに、会社法の実務への運用方針に多大な影響を与えているのは間違いないと思います。さらに、まだ導入はされておりませんが、会計監査人に「不正発見義務」を負担させる旨の提言がなされており、その適用の前提としての監査法人自身への刑罰の適用問題と、このたびの厳罰化(行政処分という意味ではありますが)といった現実が、まさに「会計士さんたちの倫理の法制化」へと向かう道の途上にあることを物語っているように思えてなりません。もちろん、そういった誠実義務が課されるぶん、会計士監査の報酬の適正化も盛り込まれております。

そして、これらの提言内容をみて、一番驚くのは「会社法」から「公開会社法」を分離して、これまでの商法ではなく、証券取引法を根本とした法律の制定が最終目標のように提言されております。先日、商事法務のコラム「スクランブル」をこのブログでも取り上げまして、スクランブルの筆者の方は、証券取引法の改正によって、実はこれまでの会社法の基本方針として規程されていた諸制度が変容されていくのではないか、との危惧を抱いておられ、私も同じようなことを考えておりました。そうなってきますと、今後の会社情報の一般投資家への開示はさらに重要性を増してゆき、提言にあるとおり、監査役と会計監査人との連携、強調の必要性が増すために、提言どおり「監査役には財政、会計等の専門的知見を有するもののみ就任できる」といった結論に至るような気がいたします。

昨日の私の講演でも同業者の方々に申し上げましたが、果たしてこういった新会社法の目指す方向を、われわれ法曹がどう考えたらよいのか。株式を公開している会社の「法の支配」はいったいどのように考えるべきなのか。どこで法の支配を貫けばよいのか。日々の業務に追われて、会社法の解釈ばかりに目を向けておりますと、まだまだ会社法そのものがどこかへ動き出していく、その胎動を見過ごしてしまわないものか、講演の準備などをしておりまして、懸念するところが大きくなってきました。この「公開会社法への道しるべ」シリーズ、これからも折に触れて書き連ねていきたいと思っております。

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2006年5月11日 (木)

弁護士会・どっと・こむ

生まれてはじめて大阪弁護士会のホールで講演をさせていただきました。「新会社法における内部統制システム構築について」ビデオまで回っている・・・・・・・・・・

5回連続講演のまんなかの3回目担当だったんですが、4月に開催された前の2回は大阪で「商法の権威者」のような方々が担当され、諸事情ございまして「サプライズ人事」で私が3回目ということになりました。あまりの熱気と「ぜひ、皆様のお役に立てる知識と考え方をお持ち帰りいただきたい」といったリキミからか、途中で頭が真っ白になってしまいまして、2度ほど解説内容を間違えてしまいました。(皆様、たいへん失礼をいたしました)

しかし同業者の方々はみなさん、お優しい。文句言わず最後までおひとりも中座もせず、居眠りもなく真摯な態度でお聞きくださいました。ココロより感謝申し上げます。第4回はこれまた事業再生マネジメントで著名な方の講演、ひとりの聴講生に戻って、楽しみに勉強させていただきます。

そういえば、中、高、大学とずっと体育会系で育ちまして、一生懸命練習して試合に負けたとき、2時間くらいは悔し涙にくれるのですが、すぐに気持が切り替わってクラブ仲間と馬鹿騒ぎをしていたのを思い出しました。そういった経験がいまの自分に生かされているのかもしれません。トホホ・・・あっ次、頑張りますね。。。

PS

このたびの中央青山の業務停止処分関連エントリーは、さすがに会計士さん方のブログでものすごい力作ばかりです。会計士さん方にとって、メチャメチャ忙しいこの時期に、ホント頭が下がります。。。TBありがとうございました。>みなさまがた

私は金融庁の処分理由のうち、管理体制の不備内容が気になりましたが、「レビュー・パートナー」という言葉の意味が正確にはよくわかりません。監査チームの同僚による再点検、といった意味なのでしょうか?(審査機関による審査と対比されておりますが)このあたりは、昨年10月ころから、さかんに中央青山の「再発防止宣言」のなかでも言われておりましたが、レビュー・パートナーの体制不備というのは「とても尋常なことではない」のでしょうか?

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2006年5月10日 (水)

会計監査人の内部統制(2)

5月10日は大阪弁護士会で「新会社法における内部統制システム構築」に関する講演をさせていただきます。同業者の方(およそ300名らしい)の前で講演するのは緊張いたしますが、これも勉強ですし、法律家の視点からさまざまなご批判、ご意見を賜るいい機会と思い、お引受けしました。講演に関する感想など、またエントリーしたいと思います。

中央青山の一部業務停止に関する問題につきましては、公認会計士・監査審査会が金融庁の諮問に対して業務停止やむなし、との答申を出したような報道がされておりますが、まだ処分内容が正式に明らかにされておりませんので、もうすこししてから感想を書きたいと思いますが、気になりましたのは旭化成は「業務停止の見込み」といった報道を受けてすばやく監査法人変更予定を表明したこと。9日に出されました旭化成の内部統制整備に関する決議内容は、それはもう自信に満ちたものであって、「全部やってますよ」といった報告書形式に近いものになっています。今回のすばやいコメントも、世界に向けて情報開示をしている会社の方針を表現したものかもしれませんね。帝人の整備決議も素晴らしいと思いましたが、こちらも普段から予算をかけてCSR経営を真剣に履行している企業の姿が認識できる内容でした。

中央青山もたくさんの契約企業があるわけですし、PwCとの海外提携の問題もありますから、業務停止の範囲を決定するのもたいへんかとは思いますが、こういったキビシイ処分が出るというのは、もはや会計の国際化は待ったなし、というところまで来ているのかもしれません。日本企業が生き残りをかけて国際舞台で戦うためには、外国に通用する市場をつくって(刑罰の厳格化、証券取引等監視委員会の権限強化)外国に通用する会計監査を整備し(監査人の責任厳格化、コンバージェンス、内部統制監査)、そして情報開示(コーポレートガバナンス報告書)を進めていくことは必須だと思いますが、そういった制度作りに日本も走り出した、ということなんでしょうか。とりあえず仕事柄、私は金融庁の処分理由や、是正措置命令(って、今回の場合ありますよね?)の内容に興味があります。今後の監査法人の内部統制のあり方を知る上で貴重な先例的意味を持つものと確信しております。

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2006年5月 9日 (火)

会計監査人の内部統制

(異常なアクセス数になっておりますが、おそらく監査法人エントリーを閲覧していただいていることが原因かと思われます)

すでに新聞、ネットニュースでご承知のとおり、中央青山監査法人に対する行政処分が発令される見込みとなったようでして、taka-pooさんがコメントされているとおり、昨年11月の予想どおり、新会社法施行後の行政処分となりました。(過去のエントリーはtaka-pooさんが引用されていらっしゃる「中央青山と明治安田生命の処分を比較する」をご参照ください)処分内容につきましては、公共性の高い団体への監査業務についてはそのまま継続できるものとして、上場企業およびそれに準ずる規模の一般企業への監査業務が停止の対象になるのでは、との報道がなされております(毎日ニュース)もちろん、3月決算の会社は商法監査の真っ最中でしょうから、停止命令による業務停止時期は7月ころになるようです。

現時点でのコメントは差し控えますが、会社法計算規則(施行規則ではありません)の159条には、監査役会設置会社の場合、会計監査人は計算規則158条1項の特定監査役に対して、自らが所属する監査法人の独立性に関する事項や法令遵守に関する事項、契約内容、その他会計監査人の職務の執行が適正に行われることを確保するための体制に関するその他の事項について、会計監査報告の際に報告をすること、と規定されております。

つまり、新会社法のもとでは、監査役は会計監査人となっている監査法人の内部統制システムの整備状況を監査する必要があるわけでして、今回もし金融庁が中央青山監査法人の「内部管理体制の欠陥」を理由に業務停止処分を発令する、といった事態になりますと、今後、上場企業等の監査役は、監査法人の内部統制システムの整備体制を具体的にチェックする必要が出てきそうです。(しかし、果たして現実にはどこまでそんなことができるのか、まだわかりませんが。でも企業の監査役にとっては、けっこう真剣に考えるべき問題になりそうですね。とりあえず仕事中ですので、思いついたことだけコメント程度に残しておきます)

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続・経営の自由度ってなんだろう?

一昨日のエントリー(経営の自由度ってなんだろう?)で、最近定型的に使用されるフレーズ「会社法では経営の自由度が増した分、株主への説明責任が増える」というのが、どうも理解しがたい、と述べましたが、それとちょっと関連する記事を見つけました。

読売ニュース(株主還元に数値基準、企業年金連合会が検討開始

そういえば、取締役会設置会社で会計監査人を設置している会社の場合、取締役の任期を選任後1年以内の最終決算期に関する定時株主総会までとする株式会社であれば、取締役会決議によって剰余金の分配が一年に何回もできることになりましたから、こういった点をみると経営の自由度は増した、といえることは間違いないですね。おそらくこのたびの定時株主総会において取締役の任期1年、剰余金配当は取締役会で決議できる、とする定款変更議案を定時総会に提出する株式会社もけっこうあるんじゃないでしょうか。ただ、会社法459条1項によれば、株主の配当議題提案権を定款で奪うことができる反面、取締役の任期は1年になるわけですから、取締役の配当政策に不満がある株主は取締役の選任を否決すればいいわけでして、この規程の趣旨をみますと、定番フレーズのように「経営の自由度が増した分、株主への説明責任も増えた」ように思えます。

でも、この読売新聞ニュースのように、機関投資家が配当性向を最低30%以上でないと取締役に対して異議を述べる、といった一定の基準を設けてしまいますと、それは既に「説明責任」の問題ではなくなってしまいますよね。配当政策に不満があれば選任議案を否決すればいい、といった趣旨であれば、そこにはなぜ配当率を低くしたのか、取締役は株主を説得して、配当政策に合意していただく余地もありますから、「説明責任」ということがピッタリあてはまりそうですが、最初から「何%以上の配当性向がなければ異議を述べます」といった基準を策定してしまいますと、そもそも「説明責任」を議論する実益がなくなってしまいます。5年間の配当性向を平均して1年あたり何%、といった基準であればまだしも、もし1年ごとに何%の基準に達しなければダメ、というのであれば、いったい株式会社の取締役らは何を株主に説明すればいいのでしょうか。

報道ベースですが、(新会社法施行によって)取締役会の裁量の幅が広がったために、企業年金連合会は経営監視を強める必要がある、との判断からこういった数値基準を検討するに至ったとのことですが、数値基準を設定するということは、なにも経営を監視していないに等しいことにならないでしょうか。たとえば投資ファンドなんかが「あなた達が経営している会社は、これだけの内部留保がありながら、ここ数年新たな設備投資や財務政策をなんらとっていないじゃないか。それなら配当を増やしなさい。それでなければ異議を述べる」といった要求をするのが正解なんじゃないでしょうか。(これだったら、十分会社の開示情報を分析したうえでの要求と思います。)普通に考えれば、連合会が株式を保有している会社の開示情報については何も見ないし、分析もしないで、ただ最終数値によって機械的な処理をすればいいということに(理屈のうえでは)思えて、これまでの企業年金連合会が発表している「議決権行使基準」の内容とは明らかに異なるもののようです。もちろん、株主の権利行使は万能ですし、運用を受託されている機関投資家の立場からすれば何をしたってかまわないと言われればそれまでではありますが、企業の経営戦略やガバナンスの情報を開示することによって、できるだけ持続的成長力のある株式会社の企業価値を一般投資家に判断できるように市場の育成を図るのがこれからの政府の目標ではなかったのか、と思いますし、会社法が期待しているのは、そのための株式会社の説明責任ではないか、と理解しておりますが、これはあくまでも私の考えが単に甘いものであって、実際には、このたびの企業年金連合会の検討内容などから考えますと、やはり経営自由度の増加と株主への説明責任の増加とは、現実の世界では無関係なのではないか、との疑念がぬぐいきれません。どっかでアメリカ流のガバナンス理論を採り入れて、またどっかで大陸的なガバナンス理論を採り入れて、それらを「耳に心地よい言葉でつなげ合わせ」たような、そんな曖昧さが新会社法には存在するような気がしています。

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2006年5月 7日 (日)

毎日新聞の統計分析に異議あり!

きょうは全くビジネス法務とは無関係の話題ですが、振り込め詐欺の被害者数は東京が大阪の30倍ということで、毎日ニュースは「東京人はお人よし?」などと見出しをつけております。毎日ニュースはこちら(振り込め詐欺、都民はお人よし?)

ちょっと待ってくださいよ。。。それじゃ、まるで大阪人はとんでもない人情味薄い民族のように聞こえますよ。絶対、そんなことないですよ。

あえて反論すれば、東京人は「ええかっこしぃ」「世間体を気にする」からひっかかるんです。東京の人と大阪の人では息子さんが捕まったときの反応が違います。「先生、なんとしてでも48時間以内に釈放されるように頑張ってください。お金はいくらでも出しますから」というのが東京の人。「先生、あいつ公務員やから、なんとか起訴猶予にしてやっておくんなはれ。そやけど20日間でっか?それやったらこれからどうするか、ブタバコのなかでよう考えるようにゆうてやってください」これが大阪の人。弁護士にすべて任せるのが東京の人。弁護士を依頼しても、自分で警察に行って「刑事さん、もう息子堪忍してえな。わしがこっぴどく、しばいとくさかいに。」と自分で交渉しにいくのが大阪の人。

おそらく弁護士や警察の世話になること自体、極力避けたいといった意思が東京の人には働くのではないでしょうか。いっぽう大阪の人は警察や弁護士の世話になったとしても、「ホンマ、アホなことしよって」とは思いますが、あんまり恥と思ったり、世間体を気にしたりはしませんね。もし弁護士と称する者から電話で示談金の話が急に出たとしても、「先生、とりあえず本人と刑事さんに会ってきますわ」とか「わし息子に代わって謝ってきますさかい、被害者の住所教えておくんなはれ。そのほうが示談金も下げてくれるかも知れへんし。そのとき示談金ももっていくさかい、先生もいっしょについてきてくだはれや」といったところでしょう。

もちろん、上の解説はすこし誇張したところはありますが、お人よし、薄情といった人間性の違いによるものではないことは確かですよ。信じてください。。。

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2006年5月 6日 (土)

経営の自由度って何だろう?

会社法の施行日だった5月1日の新聞には、よく新会社法の紹介記事で「(新しい会社法は)経営の自由度が増した分、株主に対する説明責任が要求される」と書いてありました。会社法の講演をいろいろと聴いておりますが、講師の先生ガタもよく「新会社法は経営の自由度が拡大しましたので・・・」といった表現をされておりました。ここにきて、この「経営の自由度が増した」といった表現が新会社法の一種の定番フレーズになってきちゃったみたいですね。

でも、この「経営の自由度が増した」って、いったいどういう意味なんだろう。どういったことが商法から新会社法に変わったから「経営の自由度が増した」と表現するんでしょうか。さらに言えば、経営の自由度が増したことと、株主の説明責任が重くなったこととはア・プリオリに繋がる関係にあるんでしょうか?

昔、よく破産管財人をやっていた頃、破産宣告申立をされる代理人の先生方の申立書には、破産原因として「バブルが崩壊したために・・・」とか「バブルがはじけて・・・」といった表現が多用されていましたが、そりゃ確かにバブル崩壊のあおりをくった、といった表現が間違いではないでしょうが、破産した会社の破産原因を「バブル崩壊」といった曖昧な用語で表現してしまいますと、それ以上の分析ができなくなってしまいます。バブル崩壊の裏には「主たる債務者の倒産によって保証債務の負担を余儀無くされた会社」もあれば、「金儲けに目がくらんでゴルフ会員権を買いまくった会社」もあるわけで、そういった破産原因の特徴を隠蔽するかのごとく「バブル崩壊によって」と表現されますと、真実を申告しているのかどうか、疑わしく思ってしまうケースもありました。こういった誰でも使えるフレーズというのは、一見説明には便利に思えるのですが、どうもそっから先を見ようとしないといいますか、思考停止の状態に陥らせてしまうんではないか・・・と一抹の危惧をおぼえます。

一昨日、ご紹介した神田教授の「会社法入門」30ページ以下におきましても、2001年以降の商法改正の流れを説明するところで「最近の言葉でいうと、自由度が増える分だけアカウンタビリティ(説明責任)も増大していることになる」と述べておられます。でも、これは新会社法成立までの商法改正に関する説明であって、果たして新会社法の特徴としては、このように言い切れるのかどうか、私は懐疑的です。(よく考えてみますと、上記の神田先生の説明からしますと、すでに商法改正の時点で「経営の自由度」は相当程度増していたはずですから、そっからさらに新会社法で増した、というのは一体どこを指すのか、悩んでしまいますね。たとえばすぐ頭に思い浮かぶのは資本政策に関する種類株式とか、組織再編における対価の柔軟化などでしょうが、そういった経営判断における選択と株主への説明責任というのはどうつながるんでしょうか?もちろん株主の反対意見を述べる権利の保護とは異なりますよね。おそらく説明責任という用語は経営判断の公正さ、透明さを担保する、といった意味で使われているのかと思っておりますが)まず、世間で定着した感のある「経営の自由度が増した」という場合、会社法のどの部分を指してそう言っているのか、コンセンサスが得られていないんじゃないかな、といった疑問があります。設立の際に株式会社を選択するのか、LLCなのか、特例有限会社なのか、組織再編の際における総会決議不要な場合の拡大を意味するのか、書面決議や特別取締役制度なのか、それともやっぱり定款自治の拡大を意味しているのか、どこまでを含めての共通言語として使われているんでしょうか。その含める範囲の度合いによって「説明責任」の中身も変わってくるように思います。この説明責任というのも、取締役の法的な説明義務を指しているのか、会計監査人や監査役、社外取締役など、株主に代わって監視する人たちへの報告を指しているのか、それとも事業報告など一般株主への直接的な説明機会の確保(開示)を指しているのか、どういった意味で使われているのかすらわかりません。わかっている方にはわかっておられるものと推測いたしますが、私を含めてよく理解していない人たちにとっては、問題に対する思考を停止させて、「わかったつもりになる」のに適したフレーズになってしまっているように思えます。

さらに、よく会社法の成立過程を考えてみますと、経営自由度が増したと一般に言われている制度や、株主への説明責任が増えたとされるシステムとの関係は、必ずしも整合的に導入されたものとは言えない気がします。ある(経営自由度を増すといわれる)制度は経済団体からの強い要請で平成15年の要綱試案の時代から導入が検討されていたと思えば、ある説明責任を強化したとされる制度は平成16年から発生した企業不祥事の再発防止のために(突然)自民党のキモイリで導入された経緯がある、といったところで、けっこう「ツギハギ」によって成立したところも多いのではないでしょうか。そういった成立までの過程をつぶさに見ていきますと、論理整合性がさもあるかのように「経営自由度の増加といった政策をとった反面、説明責任を強化した」という表現はどうも会社法をお化粧した表現のようで、「バブルがはじけて・・・」と同様のニオイを感じてしまいます。

(PS)先日、コメントを頂戴しました「kitiomuさんのブログ」、ひさびさに「マイブログ集」に追加いたしました。日本とNYの弁護士資格をお持ちの方ですが、コンプライアンス関連、リスクマネジメント関係の企業法務ネタの引き出しをたくさんお持ちのようですし、なによりも私と違って「近江商人の血を引く国際派弁護士」というのがスゴイ・・・・・。(今後ともよろしくお願いいたします。)

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2006年5月 5日 (金)

混乱の先に見える「株主」とは・・・

(5月5日お昼に追記あります)

MAC(村上ファンド)と阪神電鉄との反論合戦はいよいよ佳境に入ってきたようでして、5月4日のMACによるリリースはかなり辛辣な内容になっているようです。昨年10月にこのブログのエントリーにおきまして、(どっちの側でもいいので)私は安全対策と震災対策を最優先として説明すべきではないかと述べておりましたが、ここにきてやっと阪神電鉄の経営陣も労働組合も「安全対策が最優先であって、そのためには切り売りは許されない」と公表されるに至りました。(ちなみに村上氏は昨年10月の阪神株買収の報道前から国土交通省を訪れ、阪神電鉄の安全対策について詳細な説明を受けていたことが判明しておりますので、それなりに安全対策が企業価値に与える影響を真剣に検討していたふしがあります。)いずれにしましても、MACの「経営監視」路線による取締役選任問題は、これからの村上ファンドの将来を占う意味でたいへん重要な展開になってきたようです。

将来を占う意味で重要な展開になってきた、といえば阪神電鉄の玉井氏の発言も興味があります。(読売取材毎日取材)社外取締役というコーポレートガバナンスにおける重要な立場にいらっしゃる方が、これからどんな役割を果たすのか。玉井さんの活躍次第で、今後の日本における「社外取締役」の有用性議論に多大な影響が出ると言っても過言ではないと考えております。全国社外取締役ネットワークの会合で有識者の方々にお聞きしましても、その事実上の役割論といいますと、現経営陣へのコンサルタント的役割への期待、株主への説明責任を尽くすことの支援への期待、そして株主利益の代弁者としての期待といった様々な期待のうえに成り立っているのが現実のようです。いずれの役割を重視するにせよ、おそらく現在の玉井氏に期待されているのは、もはや平時における株主利益の最大化ではなくて、有事における株主利益の最大化をはかることだと思われますが、いったい玉井氏の最大利益をはかろうとお考えになっている「株主」とは誰のことを指しているのでしょうか?過半数を握ろうとしている大株主なのか、それともモノ言わぬ一般株主なのか、それとも現在の総株主の混在する意見の集約なのか、それとも将来の阪神電鉄グループに期待をする(未だ現実の株主ではない)一般投資家を含めた「抽象的株主」なのか。いったいどの株主を見据えて判断をすれば社外取締役としての公正なる判断を下すことになるのでしょうか。

最近の日本における「コーポレートガバナンス」理論といったものは、どちらかといいますとコンプライアンス経営との親和性をもった議論だと認識しておりましたが、昨日ご紹介いたしました神田教授の「会社法入門」では、どうも世界的傾向として「ガバナンス理論」は企業不祥事防止といった目的とともに、企業のパフォーマンスを向上させる目的も重要視されている(したがって、会社法改正の歴史についても、この2000年以降のガバナンス改正については「規制」なのか「緩和」なのかわからない、と述べておられます)ようです。(2004年に出版されました「コーポレートガバナンスと商法の役割 中央経済社」では、ここまで明確には述べていらっしゃらなかったと記憶しておりますが)こういった認識が多数を占めるようになりますと、今後「社外取締役」に関する議論が進化するでしょうし、果たして今回のような事案におきまして、もし今後玉井氏が阪神電鉄の行く末を決定するキーマン的立場で行動されるのでしたら、「企業パフォーマンスに与える社外取締役の影響」という意味では、大きな試金石になるのではないか、と注目をしております。

(追記)

今朝の朝日ニュースでは、玉井監査役の選任提案の撤回もありうるようなことが記載されております。5月中旬(17日ころまで)に阪急とMACとの合意をめざしたい、といった阪急代表のご意見も公表されているようで、もう少しゆっくりとフォローしてみたいと思います。

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2006年5月 4日 (木)

神田教授の「会社法入門」

4004310059 最近、内部統制システム関連の勉強をしておりましたところ、昭和57年に出されました神崎克郎教授(関西学院大学法科大学院教授、当時神戸大学)の「法曹時報34巻4号」の論文で、「内部統制組織の構築」が論じられておりまして、たいへん驚いた次第です。なぜ神崎先生が「内部統制」を商法のなかで議論しようとしていたのか、と申しますと昭和48年に出されておりました「取締役会を構成する業務担当以外の取締役の監視義務」に関する最高裁判例と、当時さかんに議論されておりました「企業の社会的責任論」(いまのCSRと違い、ずいぶんとイデオロギー色の強かった議論ですよね)に焦点をあてて、アメリカの内部統制システム構築に関する判例などを参照しながら、会計の世界ではなく、法律学の世界で「内部統制構築を議論する意義」を公表されていたのです。取締役の監視義務を、個々具体的な事案のなかで議論する「場当たり的な」事実認定(およびその法的評価)では、取締役にとって、どこまでの監視をすれば免責されるのか、非常に曖昧であって、萎縮的効果も発生してしまうため(その結果、取締役の職務執行の効率性まで失われてしまう)、取締役の「やるべき範囲」を自ら構築して、その代わり業務の適正を確保する体制の構築整備に努力していれば、監視義務違反には問わない、といった理論を提唱されていました。

いままさに新会社法のもとで、内部統制システムが重要な柱として議論されるに至り、この神崎教授の論文で用いられている「内部統制システム」の定義も、ほぼ同じままに会社法の条文、会社法施行規則の条文に採り入れられておりまして、24年も前に神崎先生が遠くに見つめておられた「法律学における内部統制システムの構築」が、ついにこの5月、姿を現したことになります。残念ながら、神崎教授はこの「内部統制の法律学における意義」が世に現れる瞬間を見届けることなく、若くしてこの3月に逝去されましたが、その魂は神田教授の岩波新書「会社法入門」76ページで(わずかではありますが、しかし明確に)記述されております。

ろじゃあさんもご紹介されていらっしゃいますが、この「会社法入門」、私などが評論するなど、到底畏れ多いのですが、感動モノであります。私はまず「あとがき」から読みました。あの「会社法(弘文堂)」のはしがきを読んだときと同じか、それ以上の感動を覚えました。あえてここではご紹介いたしませんが、どうか会社法を学ばれている方、この「あとがき」をご一読ください。どんな感想を持たれるでしょうか。私は一読して、なんかとっても肩の力が抜けて、楽な気持になりました。それから、内容的には「株主代表訴訟の問題点」「会社の法令違反行為と取締役の責任」あたりに、ビックリするくらい斬新でおもしろいことが書かれております。各論につきましては、またブログのいままでの関連エントリーと絡めて考えてみたいと思っています。

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2006年5月 2日 (火)

村上ファンドと阪神電鉄株式(速報版)

18時30分に阪神電鉄から開示情報が出ています。現取締役(4期8年にわたる社外取締役を務めた方)と村上氏を含む8名のMAC関係者、合わせて9名の取締役選任に関する株主提案のようです。

いつ提案書を開封したのかわかりませんが、ずいぶんと阪神電鉄現経営者側の考え方も述べられております。(午後5時に開封したのではなかったのかなぁ・・・・・)「本日、受領しました」とありますが、受領したのは3日ほど前だったんでは?報道では阪神側が5月2日まで開封しないことの了承をMAC側に求めた、ということですから、受領日はさかのぼるのではないでしょうか。

それから、この阪神電鉄側の見解は臨時取締役会で決議されたのか、それとも一部の役員の見解なのか。もし臨時取締役会を開いたのであれば、「内部統制整備に関する決議」もやっておかないと違法になってしまいますよね。(とりあえず、お仕事中なんで、よくわからないままに速報版です)

と、言っているうちに阪急HDからも現経営陣の考えに賛同する開示情報が出されましたよ(18時50分)関西のゴールデンウィークは、おそらく「タイガースとジャイアンツ」よりも「タイガースとタカラヅカ」の話題でもちきりになりそうですね。

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阪急HDのS&P格付け変更

(関西ネタで失礼します)先週のエントリー「タイガースとタカラヅカ」におきまして、私は阪神と阪急の統合効果については悲観的だと述べておりましたが、同じような予想を立てておられる格付け機関もあるようです。(S&P格付け変更情報はこちら)そこで阪急HDの格落ちの根拠とされているのは、①鉄道敷設地域の競合による補完機能の不存在②梅田再開発の効果不透明③百貨店事業へのHDの持株比率の低さ、といったところのようです。もし阪急と村上ファンドとの交渉が決裂して、この統合の話が流れた場合(もしくはTOBが不成立に終わった場合)には、格付けを変更しない、ということですが、(企業信用情報といったことは私の専門外なので、よくわかりませんが)素直に考えたらこのS&Pとおんなじ理屈で「やめといたら・・・」といった発想になるのが自然だと思います。大阪在住の一般株主の素直な感覚からすると、「大阪文化の象徴である阪神を救え」といった感情論で訴えかけられると「そうだそうだ!」と賛同したくなるんですが、「統合によるシナジー効果が期待できる」といった企業価値論で訴えかけられると「ほんまかいなぁ??」と懐疑的になってしまいます。

しかし、阪急阪神連合と村上ファンドの交渉・・・・、いったいどうなっているんでしょうか?5月2日の午後5時に阪神は村上ファンドから届いている株主提案の内容を公開するそうですが、いったい何が書いてあるのか、興味のあるところです。いずれにせよ、交通が便利になってくれるのが一番ありがたいので、私的には阪神は京阪か(難波まで阪神が伸びることを条件に)南海、近鉄と提携するのがベストだと思っております。梅田再開発といった短期的利益をとるよりも、沿線の利便性アップによる長期的利益をとったほうが企業価値が高まると思うんですが、いかがなものでしょうか。

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2006年5月 1日 (月)

監査役の財務会計的知見(その1)

みなさま、GWをいかがお過ごしでしょうか。いよいよ新しい会社法が施行されました。このブログでも人気シリーズ(と勝手に解釈しておりますが・・)である内部統制モノについて、また適宜エントリーを追加していく所存ですので、またよろしくお願いいたします。

ということで、内部統制モノではありませんが、新会社法施行記念ということで、すこしばかり会社法ネタを考えてみたいと思います。今年の株主総会では旧法手続でも新法手続でも、経過措置がありますので、あまり関係はありませんが、来年度以降の事業報告書におきましては、公開会社の場合ですと「監査役又は監査委員が財務及び会計に関する相当程度の知見を有しているものであるときは、その事実」を記載することが義務付けられております。(会社法施行規則118条、119条2号、121条8号)この規程の真意について、すこしばかり考えてみたい、というのが主たるテーマであります。監査役の監査対象は「違法性監査」に限られるのか、「妥当性監査」にも及ぶのか、といった神学的論争を検討する、といった高尚なものではありませんが、すくなくとも、この会社法施行規則が定めるところからすれば、公開企業における監査役は(常勤、非常勤とも)財務会計に関する知見を有するほうが株主にとっては望ましい・・・といった価値判断があると捉えることができそうです。(ここまでは間違いないですよね?)そもそも「財務及び会計に関する相当程度の知見」といったものが何を示すものなのか、議論の必要もあろうかと思いますが、すくなくとも「法務」に関する知見は開示する必要はなくて、財務および会計に関する知見は開示する価値があるというのは、「日本版SOX法」ならともかく、「会社法」の制度趣旨からどう判断すべきなのでしょうか。法務に関する相当程度の知見が監査役に必要なことは最低限度の要件であるから記載するまでもないことで、それ以上に会計的知見があればプラスポイントだと認識するのか、それとも法務に関する知見はどうでもいいが、会計的知見についてはプラスポイントだと認識すべきなのか、そのあたりはどうなんでしょうか。とりあえず会社法施行規則の条文からすれば、私が社外監査役を務める上場企業も、この6月に株主様方からの信認を得られるならば公認会計士の資格を有する方を社外監査役として迎える予定にしておりますが、そうしますと、私の知見については開示される必要はなく、新任の会計士さんの知見については事業報告書に記載され、株主様からの企業価値判断に資する情報となるはずです。公開企業との「資格の密着度」といった視点からすれば、会計士の資格と弁護士の資格では「密着度」が異なる、といった考え方もできそうですが・・・。

会社法の要綱試案の際には、まったく検討もされていなかった「内部統制システム構築」といったテーマが、自民党の商法に関する委員会からの提言(正確には中間とりまとめ案)が出されたことによって、法制審議会ではほとんど何の反対も出されずに「要綱案」には導入されたわけですが、この自民党の委員会提言では、「監査役は会計的知見を有するものでなければならない」といったところまで踏み込んだ書き方がされておりまして、そのソフトランディング(妥協策)として、このたびの規則案が策定されたのではないか、と私は勝手に推測をしております。そういった政治的問題はともかくとして、それではこの新会社法における監査役の役割と「財務会計的知見」について理論的実務的な観点から考えてみたいと思います。なお、昨年5月にブログを開設して以来、私は何度も「これからの20年間は企業会計の時代」と宣言しておりますが、そういった視点での考えですので法曹としてのヒガミとか無関係に冷静沈着に考えていく予定であります。(と、問題点を指摘するのみで今日はつづく・・・・・)

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