経営の自由度って何だろう?
会社法の施行日だった5月1日の新聞には、よく新会社法の紹介記事で「(新しい会社法は)経営の自由度が増した分、株主に対する説明責任が要求される」と書いてありました。会社法の講演をいろいろと聴いておりますが、講師の先生ガタもよく「新会社法は経営の自由度が拡大しましたので・・・」といった表現をされておりました。ここにきて、この「経営の自由度が増した」といった表現が新会社法の一種の定番フレーズになってきちゃったみたいですね。
でも、この「経営の自由度が増した」って、いったいどういう意味なんだろう。どういったことが商法から新会社法に変わったから「経営の自由度が増した」と表現するんでしょうか。さらに言えば、経営の自由度が増したことと、株主の説明責任が重くなったこととはア・プリオリに繋がる関係にあるんでしょうか?
昔、よく破産管財人をやっていた頃、破産宣告申立をされる代理人の先生方の申立書には、破産原因として「バブルが崩壊したために・・・」とか「バブルがはじけて・・・」といった表現が多用されていましたが、そりゃ確かにバブル崩壊のあおりをくった、といった表現が間違いではないでしょうが、破産した会社の破産原因を「バブル崩壊」といった曖昧な用語で表現してしまいますと、それ以上の分析ができなくなってしまいます。バブル崩壊の裏には「主たる債務者の倒産によって保証債務の負担を余儀無くされた会社」もあれば、「金儲けに目がくらんでゴルフ会員権を買いまくった会社」もあるわけで、そういった破産原因の特徴を隠蔽するかのごとく「バブル崩壊によって」と表現されますと、真実を申告しているのかどうか、疑わしく思ってしまうケースもありました。こういった誰でも使えるフレーズというのは、一見説明には便利に思えるのですが、どうもそっから先を見ようとしないといいますか、思考停止の状態に陥らせてしまうんではないか・・・と一抹の危惧をおぼえます。
一昨日、ご紹介した神田教授の「会社法入門」30ページ以下におきましても、2001年以降の商法改正の流れを説明するところで「最近の言葉でいうと、自由度が増える分だけアカウンタビリティ(説明責任)も増大していることになる」と述べておられます。でも、これは新会社法成立までの商法改正に関する説明であって、果たして新会社法の特徴としては、このように言い切れるのかどうか、私は懐疑的です。(よく考えてみますと、上記の神田先生の説明からしますと、すでに商法改正の時点で「経営の自由度」は相当程度増していたはずですから、そっからさらに新会社法で増した、というのは一体どこを指すのか、悩んでしまいますね。たとえばすぐ頭に思い浮かぶのは資本政策に関する種類株式とか、組織再編における対価の柔軟化などでしょうが、そういった経営判断における選択と株主への説明責任というのはどうつながるんでしょうか?もちろん株主の反対意見を述べる権利の保護とは異なりますよね。おそらく説明責任という用語は経営判断の公正さ、透明さを担保する、といった意味で使われているのかと思っておりますが)まず、世間で定着した感のある「経営の自由度が増した」という場合、会社法のどの部分を指してそう言っているのか、コンセンサスが得られていないんじゃないかな、といった疑問があります。設立の際に株式会社を選択するのか、LLCなのか、特例有限会社なのか、組織再編の際における総会決議不要な場合の拡大を意味するのか、書面決議や特別取締役制度なのか、それともやっぱり定款自治の拡大を意味しているのか、どこまでを含めての共通言語として使われているんでしょうか。その含める範囲の度合いによって「説明責任」の中身も変わってくるように思います。この説明責任というのも、取締役の法的な説明義務を指しているのか、会計監査人や監査役、社外取締役など、株主に代わって監視する人たちへの報告を指しているのか、それとも事業報告など一般株主への直接的な説明機会の確保(開示)を指しているのか、どういった意味で使われているのかすらわかりません。わかっている方にはわかっておられるものと推測いたしますが、私を含めてよく理解していない人たちにとっては、問題に対する思考を停止させて、「わかったつもりになる」のに適したフレーズになってしまっているように思えます。
さらに、よく会社法の成立過程を考えてみますと、経営自由度が増したと一般に言われている制度や、株主への説明責任が増えたとされるシステムとの関係は、必ずしも整合的に導入されたものとは言えない気がします。ある(経営自由度を増すといわれる)制度は経済団体からの強い要請で平成15年の要綱試案の時代から導入が検討されていたと思えば、ある説明責任を強化したとされる制度は平成16年から発生した企業不祥事の再発防止のために(突然)自民党のキモイリで導入された経緯がある、といったところで、けっこう「ツギハギ」によって成立したところも多いのではないでしょうか。そういった成立までの過程をつぶさに見ていきますと、論理整合性がさもあるかのように「経営自由度の増加といった政策をとった反面、説明責任を強化した」という表現はどうも会社法をお化粧した表現のようで、「バブルがはじけて・・・」と同様のニオイを感じてしまいます。
(PS)先日、コメントを頂戴しました「kitiomuさんのブログ」、ひさびさに「マイブログ集」に追加いたしました。日本とNYの弁護士資格をお持ちの方ですが、コンプライアンス関連、リスクマネジメント関係の企業法務ネタの引き出しをたくさんお持ちのようですし、なによりも私と違って「近江商人の血を引く国際派弁護士」というのがスゴイ・・・・・。(今後ともよろしくお願いいたします。)
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コメント
toshiさん,こちらこそよろしくお願いいたします。いつも読んでいるブログに自分のことが書かれているのを見て,びっくりするやら恐縮するやら。実はいつものように「ぶらり」とこちらを訪問したところリンクがあるのに気が付きまして,慌ててtoshiさんへのリンクを追加させていただいたところでした(アセアセ)。(ちなみに,近江商人の「血を引く」というわけではないのですが,出身が滋賀県ということもあって,興味があります。)
エントリについてですが,「自由あるところに責任あり」というのはとても響きがよいので,思考を停止したくなる気持ちも分かります。話が抽象的になってしまうのですが,個人的には,規制が緩くなったことで選択の機会が増え,なぜそれを選択したのか説明しないといけない場面が増えた,という風に漠然と考えていました(ほとんど思考停止と同じですね,これじゃ)。
改めまして,今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: kitiomu | 2006年5月 6日 (土) 05時21分
>kitiomuさん
コンプラ関係のお仕事をされている同業の方というのは比較的希少ではないか、と思っております。こちらこそ、いろいろと勉強させていただきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いします。
「近江商人の血を引く国際派弁護士」といったフレーズはちょっと大袈裟でしたかね。滋賀県のご出身ということと「三方よし」のフレーズをブログで発見しましたので、ついつい「近江商人」と関連付けてしまいました。
投稿: toshi | 2006年5月 7日 (日) 13時57分