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2006年6月22日 (木)

内部統制システム構築と取締役の責任論(前編)

ここのところ、ダスキン株主代表訴訟控訴審判決に非常に興味を持ちまして、仕事の合間には、ずっと高裁の判決文を読んでおります(もちろん、生計を立てていかないといけませんので、本業優先ではありますが・・・)株主側は一生懸命「ダスキン取締役が構築すべきだった内部統制システムとは、このようなものである」と具体的な主張をされておりまして、被告取締役側も、これに対応して一生懸命反論しているものですから、どういった思考経過をたどって(高等裁判所の裁判官)が、当時の取締役らには内部統制システムの構築義務(善管注意義務)はなかったんだ、と判断したのか、非常におもしろい内容になっておりまして、今後の裁判における争い方に参考になるところが多いように思われます。

本当に事案を簡略化して事実関係をご紹介しますと、平成12年の初めころから、中国の下請工場でミスタードーナッツの飲茶セット「大肉まん」を作らせて、これをフランチャイジーのお店(いわゆるミスド)で販売していたのですが、平成12年終わりころに、日本で未認可の添加物が含まれていることが発覚し、担当取締役らは、これを知りながら在庫品を全て販売してしまった、その半年後には、(関係当事者による業務担当取締役への恐喝事件なども発生したことから)社内で問題が大きくなり、全ての取締役、監査役の知りうるところとなったわけですが、社内処分を決めただけで、もう販売もしていないし、消費者になんらかの被害報告も出ていないから、ということで取締役会でも、そのまま放置する方針をとった、というものです。なお、平成14年4月ころに匿名の告発が厚生労働省になされ、直ちに共同通信社の知りうるところとなり、会社ぐるみの隠蔽が報道され、その後ダスキンは正式に記者発表した、というものであります。今回の高裁判決では、原審で善管注意義務違反がない(いや、これは不正確かもしれません。取締役らの「公表しないとした方針」と損害とされている信用毀損との間に因果関係が認められない以上、善管注意義務違反の有無を議論してもしかたない、といったほうが正確かと思われます)とされていた取締役会を構成する取締役や当時の監査役に、「たとえ販売が終了して、流通する商品がなくなり、また消費者に違法添加物による被害が認められないとしても、取締役や監査役らには、公表すべきかどうか判断する必要があり、十分な検討をすることもなく、消極的に事実を隠蔽したのは、善管注意義務違反にあたる」とされ、各2億円あまりの損害賠償責任を課されております。(事実関係の紹介部分おわり)

まず、この高裁判決の評価で問題となりそうな点は、そもそも業務担当取締役以外の取締役や監査役に責任を認めた根拠は、内部統制システムの構築義務違反という法的判断に依拠するのかどうか、という点ではないかと思われます。ひょっとするとこの控訴審判決を評論される方のなかには、この高裁判決は、リスク管理体制整備義務違反を取締役全員に認めたのであって、内部統制システム構築義務違反を認めた、と評価できるのではないか、と結論付ける方もいらっしゃるかもしれません。ただ、そもそも内部統制システムの構築責任を会社法のなかで議論する実益は、取締役の自由保障機能(誠意をもってコンプライアンス経営に努力する取締役は、むやみに監視義務違反に問われない)と、監視義務の補完機能(たとえ情報が、取締役に届いていない場合であっても、重要情報が届くようなシステムを構築することを怠るのは任務懈怠である)にあると思われますので、今回の事件のように、取締役全員が「企業不祥事の隠蔽工作」を知ってしまった後の各取締役らの対応が問題となるケースにおきましては、(会社の重要事実を取締役会で共有するためのシステムが不全だったとか、情報を共有した際における行動規範が具備されていなかったといった問題が論じられているわけではありませんので)そもそも内部統制システムの構築論を持ち出すまでもなく、いわゆる取締役の善管義務と経営判断の法理の関係で議論すれば足りるのではないか、と私は考えています。つまり、各取締役の責任を認めた本件高裁判決におきましても、一審原告である株主が主張している何点かの内部統制システム構築義務違反の事実は、いずれも高裁は認めなかったのでありまして、依然、取締役に内部統制システム構築義務を認めるためのハードルは高いものと感じた次第であります。なお、内部統制システム構築義務を原告株主が持ち出した場合に、これに対抗して取締役側は経営判断の法理を抗弁として提出することが多いと思われますが、こういったケースで原告株主側は「リスクアプローチの応用」によって反論すべきではないか、といった問題を昨年8月25日のエントリー(内部統制システム構築論と経営判断の法理)で少し書かせていただきましたので、そちらも参考にしていただきますと、議論が進化するのではないかと思います。まさに、この高裁判決は、このリスクアプローチの応用によって、経営判断の法理を突き崩しております。(判決文のなかで、「本件は経営判断の問題ではない」と明言されています)

さて、本件判決におきまして、各取締役に会社に対する損害賠償責任が認められた根拠としては、内部統制システム構築義務違反の問題ではないとした場合、それでは善管注意義務のひとつとして、取締役らには不祥事の「公表義務」が認められたと評価すべきなのでしょうか。この判決を報じたマスコミはこぞって「裁判所が公表義務認める」との見出しを打ちましたし、また一審原告株主の代理人弁護士らの記者会見におきましても、弁護士の方が「これは公表義務を認めた画期的な判決である」といったコメントが出されましたので、そういった企業不祥事隠蔽を防止するための「公表義務」といったものを認めたようにも思えます。しかしながら、どうもよく判決文を読んでみると、そういった公表義務といったものをダイレクトに認容したものでもなさそうであります。(少なくとも私はそう感じました。このあたりは異論もあろうかと思いますが)それでは、裁判所はいったいどんな法的根拠をもって、「積極的に公表することはしない」方針を固めた取締役らの責任を認めたのでしょうか?このあたりは、取締役の責任論(会社の利益と株主の利益は一致するのかどうか。取締役は誰の委任を受けて業務を行うのか。会社の社会的責任に法的価値を認めるのか)という大きな問題に関わってくるように思います。(以下、明日につづく)

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