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2006年7月31日 (月)

責任限定契約と求償権(こりゃたいへん!?)

週末は大阪弁護士会と公認会計士協会近畿会との「社外監査役実務研究会」の合同合宿に参加しておりましたので、日曜日の夜、ヘロヘロになって帰宅しております。25人くらいの合宿でしたが、みなさん勉強熱心でたいへん刺激になりました。自らの浅学を恥じるばかりでした。(幹事のみなさま、いろいろとありがとうございました)

ところで、この合宿ですこしばかり話題になりましたのが、JICPAジャーナル8月号の座談会記事「会計参与の行動指針及び中小企業の会計に関する指針について」におきまして、筑波大学大学院弥永真生教授が「責任限定契約と賠償責任を履行した会計監査人の求償権」に関して発言された箇所であります。弥永先生のご発言は概ねつぎのとおりです。

最近、会計監査人の責任限定議案を株主総会に出すことをやめる、という記事がよく新聞に掲載されているが、取締役としては会計監査人の責任を限定しておかないと、自分に責任がふりかかってくるおそれがある、(判例がないのではっきりとしたことはいえないが)、会計監査人と取締役と監査役とは一般的に連帯責任を負うので、取締役や監査役の責任が会社との関係で限定されていても、会計監査人の責任が限定されていないと、会計監査人は取締役や監査役に求償することができてしまう、賠償した後に求償できるのである、要するに会計監査人の責任まで限定しておいてもらわないと、特に社外取締役と社外監査役は会社から2年分しか請求されないけれども、会計監査人から「あなたの寄与分がかなりあるから払え」といわれたら、払わざるをえないわけである(ここで座談会の参加者の方々から「ほーー!」「これは興味深い!」と感嘆のお声がかかる。)

え!? ( ̄□ ̄;)  まぢですか? ( ̄▽ ̄;) ・・・・・

そういえば、私が社外監査役を務める会社は、会計監査人の責任限定も通しましたので問題はありませんが、社外監査役の責任限定だけ通して、会計監査人の責任限定については定款変更議案を通していない企業も多いと思います。この弥永教授の見解によれば、今後会計監査人の方々は、「私の責任限定も通さないと、みなさんの責任限定は意味がなくなりますよ」と説得する好材料になるわけですね。おそらく弥永教授の見解では、監査役と会計監査人との監査上の過失によって会社に損害を発生させた場合に、会社に対する賠償責任は不真正連帯債務の関係にたち、会社の監査役に対する免除の意思表示は相対的効力しかもちえないから、会計監査人は監査役の限定責任を超える範囲の責任は会社に対して単独で負うわけですが、もしこの責任を果たしたときには、過失の負担割合に応じて、監査人に求償できる(つまり、会社と監査人との間では責任限定契約が存在するが、この契約の存在は会計監査人には対抗できないので、判例でもし共同過失の割合が定められたとしたら、その割合分については監査役の責任を追及できる)というものであります。うーーーん、そういえば、こんなに深くは考えていなかったような・・・・。こりゃ、たいへんなことになってきたかも・・・・。

弥永教授曰く 「会計監査人の責任について研究している人があまり多くないから気づかれていないのですけれども、裁判所が採る可能性の高い解釈はこれなのです」

うーーん、これはヤバイかも。。。でも本当に会計監査人が賠償債務を履行した場合に、責任限定契約を締結している社外監査役は、会社に責任を負担する限度を超えて、その負担割合に応じて会計監査人に求償権を行使されてしまうんでしょうか?おそらく社外取締役や社外監査役の方において、そういった意識をお持ちの方はいらっしゃらないのではないでしょうか?私はどうも、この弥永教授のご見解にはすこしばかり反論したい気分になってまいりました。(ささやかなブログのなかであれば、おそるおそる著名な先生のご見解に反論することも許されるかと思いますので・・・・・)

1 弥永教授説の実質的な妥当性

座談会参加者から「ほー!」「それは興味深い!」と感嘆の声があがるほど、弥永説は意外な解釈ではないでしょうか。会社法が427条に規定する責任限定契約を社外監査役と締結するケースにおいては、おそらく社外役員の責任を軽減して、能力のある方になるべく社外役員に就任してもらおうとの意図があるはずです。また、情報収集能力に限界のある立場の社外役員であっても積極的に会社活動へ関与しやすいように、との趣旨もあるはずです。もし、監査役と会計監査人との連携において、監査行為に共同による軽過失が認められて会社に損害を与えた場合、責任限定契約を結んだことが無意味となってしまうのでは、この427条の制定されたことはほとんど無意味になってくるのではないでしょうか。そもそも、当事者の意思解釈として、関係当事者の誰もがこういった求償権の行使を予想しているとは考えられず、この結論は合理性があるとは思えないのです。また、この解釈によると、会計監査人だけではなく、一般の取締役が賠償責任を負担する場合においても、責任限定契約を締結している社外監査役にも軽過失及び負担割合が認められる場合には、その賠償責任を果たした取締役から求償権の行使を受けることになりますが、そもそも会社と社外監査役との責任限定契約締結に賛同した取締役が、契約の趣旨に反して求償権を行使できると考えるのは妥当でしょうか。私はどうも、実質的な結論の妥当性に疑問があると思います。

2 不真正連帯債務と債務者間の内部求償権に関する根拠

従来の我妻説をいわれるものは、不真正連帯債務の関係に立つ賠償債務については負担割合というものは観念できないのであって、求償権もないと言われていました。しかしながら最近の判例(最高裁判例平成10年9月10日 判例時報1653号101頁)などをみても、(判例及び最近の通説は)「当事者の公平の理念から」不真正連帯債務の関係にたつ賠償債務の債務者間に負担割合を認めるかどうかは、個々の具体的な事例にそって考えるべきであるとして、基本的に負担割合を認め賠償責任を履行した一部債務者から別の債務者に対する求償権行使を認める立場のようです。そもそも、債務者の共同行為による債務不履行(もしくは不法行為)で他人に損害を与えた場合に、その賠償債務が不真正連帯債務と解釈される理由は、過失の競合が、それぞれ寄与しあって最終の被害を発生させたのでありますから、被害者との関係ではそれぞれが全部責任を負担させるのが妥当であること(債務者間の公平は内部負担割合によって調整すれば足りると判断されてること 公正の理念より)と、被害者救済の思想(無資力の行為者の危険転嫁)によるものだと思われます。したがいまして、「当事者間の公平」を考えた場合に、たまたま債権者が連帯債務者のひとりに対して責任限定(免除)の意思を表示した場合に求償権行使まで制限されるとなりますと、(不真正連帯債務ですから、免除は相対的効力しか有しないとされますので)被害原因に寄与した者どうしの負担割合による責任返済の期待(これは債務者の法的利益といえましょう)を一方的に債権者が奪ってしまうのは不公平だという認識が働くわけです。つまり、上記の不真正連帯債務と解釈することで被害者への各債務者の全部履行責任を認める趣旨からすれば、被害者には「誰からでも全部の履行を請求できる」ことまでは認めるが、「誰がどれだけ負担して、全額を払うか」ということまでは選択させる必要はないということです。

3 会計監査人が責任限定監査役に求償権を行使できない法的理由

さて、そう考えますと、会社と社外監査役との責任限定契約が存在する場合も同様に扱う必要があるでしょうか。私は賠償責任が発生した後における債権者の責任限定(免除)と賠償責任が発生する前における責任限定契約とは明らかに事案が異なるものと思います。なぜなら事前に責任限定契約が締結されているケースでは、共同の過失行為によって損害賠償責任が発生した時点において、債権者には「誰がどれだけ負担して、全額を払わせるか」といった選択の余地はないからであります。逆に申し上げますと、会計監査人は社外監査役が会社との間で責任限定契約を締結していることは事前に承知しているわけですから、たとえ監査において共同過失があり、その過失の割合が認められるとしましても、負担割合に応じて負担すればいい、といった期待については保護する必要はなく、これを保護しなくても(会計監査人が全額負担を覚悟すべきことは十分予測可能であって)不合理とはいえないからであります。

こういった理由からしますと、会計監査人と社外監査役との不真正連帯債務として認められる部分は社外監査役の責任限定の範囲内のみであり、これを超える部分(これを債務とよぶか、たんに責任とよぶかは別として)については、そもそも会計監査人と社外監査役間において不真正連帯債務の関係にたつものは存在しない、したがって求償権の根拠となる負担割合というものも存在しない、と考えるべきではないでしょうか。

弥永教授のいろいろな論点に関するご見解、とりわけ会計と法律にまたがる論点を的確に解釈される素晴らしさにつきましては、いつもたいへん感服申し上げておりますが、どうも今回の責任限定契約と求償権負担に関わる論点の解釈にはちょっとご異議申し上げたいところであります。私の考え方に大きな勘違いがあるかもしれませんし、これはいろいろなご意見、ご批判がございますでしょうから、もっといろいろなブログで議論が発展すればいいなぁと。。。(たいへん稚拙な私の法解釈のお話を最後までお読みいただき、ありがとうございました)

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2006年7月28日 (金)

取締役会上程基準は開示すべきではないか

王子・北越のTOB紛争のほうにばかりエントリーが偏ってしまいまして、すっかりパロマ事件に関するフォローをさぼっておりましたところ、ろじゃあさんや、kitiomuさんが立派なエントリーをお出しになっておられて、(しかし、ろじゃあさんのエントリーは過去のパロマの裁判判決にまで遡って新たな問題点を見つけてこられて、スゴイですね。kitiomuさんのエントリーはアメリカの製造物責任論にまで言及されていて、・・・・・こういった労作を無料で読めるのがブログのいいところかな・・などと思いつつ 注 このブログ右のトラックバックをご参照ください)もはや私のフォローさせていただく余地もなくなってしまったような気もしてきました。

ただ、今日(7月27日)あたりの新聞報道を読んでおりますと、パロマは非上場企業ではありますが取締役会を年1回程度しか開催しておらず、経営上の重要事項については実質的に社長に近いごく一部の経営陣によって決められていたようなことが報じられております。(取締役会40年機能せず 「昼食会兼ね取締役会」一転「別室で」 読売)そういえば以前、西武鉄道についても7年間、取締役会は開催されていなかったことが明らかになりましたが、こういった明白な商法違反の恒常化が、取締役間の情報共有化を阻害し、今回の被害拡大につながった、ともいえるのかもしれません。

このブログでは、ちょっと前から「常務会」「執行役員」についてスポットを当てたりしておりますが、「取締役会」については開催したことがない、という企業はそんなにあるわけもないと思いますが、ほとんどの重要案件は常務会や経営会議で審議してしまって、総務部のほうで段取りしてもらった招集通知をもとに、ちょこちょこっと形式的に取締役会を開催してしまっている企業もけっこうあるんじゃないでしょうか。今回のパロマの事件もそうですが、取締役会の意義として、各取締役の監督機能を果たすための情報共有化ということが言われますが、そういった共有化のためには執行担当取締役のきちんとした報告が取締役会でなされることが不可欠だと思われますし、もしそういった情報共有化の努力が取締役会でなされていないとすれば、結局は今回のパロマと同じように、重要な事実を取締役が知らなかった、といった事態が想定され「取締役会が開催されていなかった」ということと、あまり変わらない運用になってしまっているようにも思われます。

金融検査マニュアルなどを見ましても、銀行の意思決定の迅速化をはかるための常務会や経営会議の存在意義は認められておりますし、たとえ会社法に規定がなくても、現実の上場企業における常務会、経営会議が経営効率化のために寄与していることについてはこれを認めざるをえないと思います。この5月に各上場企業から出されました内部統制システムの基本方針におきましても、取締役の職務執行の効率化をはかるために常務会や経営会議で十分審理したうえで取締役会の上程することが書かれておりますし、常務会というものの存在自体、会社法の期待する内部統制システムの整備内容としても認知されたものではないかと考えます。ただ、だからといって取締役会の形骸化を許容するわけにはいきませんので、きちんと取締役会の場において、構成員たる取締役らにおいて重要情報の共有化がはかられているかどうか、チェックできる仕組みというものも、企業不祥事防止(コンプライアンス経営)のためには必要ではないでしょうか。

ということで、私的には、取締役会で何を決めるべきか、何が報告されるべきか、といった上程基準、報告基準なるものを(おそらくこのたびの会社法における内部統制システム整備事項としてそれぞれの企業で決議されたでしょうから、今の時点では各社保有していらっしゃると思いますが)内部統制システムの整備事項として開示すべきだと考えます。開示すべき、ということは、なにも常務会の機能の一部を取締役会に移転せよ、ということではなく、個別の企業が、いったいどういったリスク管理体制を考えているのか、取締役会上程基準をみると評価が可能になるような気がします。もちろん昭和48年の最高裁判例(取締役の監視義務に関する指針となっている判例)同様、取締役の監視義務の範囲が上程基準によって画されるというわけではなく、上程されていること以外に広く及ぶということは認めるのですが、その会社がいったい何を重要と把握して、なにを重要ではないと考えているのか、その経営方針が理解できるでしょうし、また株主や従業員、債権者、メインバンク、消費者など、その企業がステークホルダーに対してどういった優先順位をつけているのか、といった方針についても認識できるように思います。また、それほど詳細な基準でなければ、重要な企業秘密を公開してしまう、といったおそれもないと思います。

このたびの会社法における内部統制システムの整備運用については、そのシステム自体が第三者から「見える、わかる」ものでなければいけないはずですし、経営の効率化(常務会の活用)と、コンプライアンス(取締役会における情報共有化)の調和点を求めるにあたって、取締役会上程基準の策定とその開示は不可欠ではないだろうか、と思う次第であります。(そういえば、このたびの新会社法によって取締役会の存在しない株式会社というものが認められましたが、そういった会社の取締役の監視義務というのは、なにを根拠に認めることになるんでしょうかね?たしかいままでは取締役会の監督機能というところに根拠をもってきましたが、さて善管注意義務かな?いや、それだと取締役会設置会社でも、同じところに根拠を求めないといけないか・・・・・)

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2006年7月26日 (水)

王子と北越は本当に敵対的なのか?

(7月26日お昼 追記あり)(7月27日 お昼 追記あり)

辰のお年ごさんより、ひさしぶりにコメントをいただきました。「王子製紙と北越製紙、敵対的TOBと色づけされていますが、本当にそうなのでしょうか?・・・・・・」いや、私もまったく同感です。王子製紙、北越製紙、三菱商事それぞれの記者会見の報道などから、「新たな敵対的M&A時代の幕開け」「大企業による企業買収への道」といった見出しが躍り、もはや王子製紙が北越製紙に対して敵対的TOBを仕掛けることへの期待感は(世間的に)高まっているかのようであります。野村證券が日本の証券会社としては初めて王子製紙側のM&Aフィナンシャルアドバイザーに就任した、とのことですから、普通に考えますと王子側に分があるようにも思えますね。しかしながら、王子製紙側の全社的リスク管理といった観点から考察してみますと、本当にこの騒動は「敵対的」に進むのかどうかといいますと、私は随分と懐疑的でありまして、やはり(最初のエントリーでも書きましたが)どっかで和解的な解決が図られるのではないかと予想しておりますし、その和解的解決の指導も含めた野村證券のアドバイスが期待されているのではないか、と思うのであります。

「会社は誰のものか」といったM&Aの本論に戻るような言い方になってしまいますが、やはり連結ベースで従業員数2800名にも及ぶ北越製紙を傘下に収めるにあたって、敵対的買収による北越従業員のモチベーションの低下というものは相当大きいのではないかと思います。製紙業界は2000年に入ってからも、相次ぐ人員削減によって厳しい労働環境となったはずで、そんななか北越製紙は苦労して採算改善をはかり高収益企業に好転させてきたわけで、また将来の北越製紙のために新潟の軽量コート紙生産設備も開発させたのはずです。おそらく経営陣が保身目的によって敵対的買収防衛策に走ったとしても、従業員だってそれを知りつつ経営陣に賛同するのは当然ではないでしょうか。いままで、こういった実業ベースでの経営統合というものは対等合併、しかも相当に対等性に気を使って統合を図った例くらいしかシナジー効果を上げていないわけでして、上場企業を吸収合併するにあたり、対等性なくして成功させるのはまず日本では無理ではないか、と私は素直に予想します。

価格競争のライバルを一社でも少なくして紙業界における価格安定を図ることや、中国市場を欧米列強製紙会社の寡占から解放するために、中国ビジネスのリスク低減を図ることは、日本全体の製紙業界を守ろうとする王子製紙の高い志のあらわれでしょうし、だからこそ野村證券もこれを支援するに至ったであろうことは私もたいへん理解できるところなのですが、それで「力ずく」の方法を用いることは、シナジー効果どころか、せっかくの良質な上場企業のパフォーマンスを減少させてしまうだけに終わってしまいませんでしょうか。支配権プレミアムというのは、その企業の将来的な価値を現在価格に引きなおして算出されるものだと理解しておりますが、そもそも将来的価値というのは、買収されたほうの企業の従業員のモチベーション低下といったことをどこまで加味しているのでしょうか。とりわけ今回のように、業績が好調な企業の場合、その従業員も企業に対する思い入れもあるでしょうし、ここまでの道のりで削減されていった仲間達への思いや、その分過重となった労働への思い入れなど、経済的な対価関係だけでは割り切れない意識というものがあるはずです。こういった抵抗を残したまま統合を敢行しても、たしかにライバルの数を減らすといった目的は達成できるかもしれませんが、王子製紙の目指す国内市場のスクラップアンドビルドは絶対に達成できないと思うのですが、いかがでしょうか。

王子製紙が筆頭株主である中越パルプと三菱製紙との合併合意は、昨年わずか発表から3ヶ月で白紙撤回されましたが、これは三菱製紙側の関連会社の社員95パーセントの反対署名によるところが示すとおり、社員の猛反発によるもののようです。(ニッセイ基礎研究所の報告による)これまでの投資ファンドや新興企業による敵対的TOBと異なり、今回は伝統企業による業績の良い企業に対する買収ですから、やはり「企業はモノでなく、ヒトである」という論理が教科書的に妥当するケースだと思います。だからこそ、王子は北越製紙との統合においては(最終的には)敵対的であってはならないと思いますし、リスク管理として、敵対的に買収するのであれば計画を撤回すべきではないか、と思う次第であります。(ここまで苦労をともにしてきた従業員の人たちの前で、これからの荒波にもまれようとしている北越企業の舵取りをする経営陣たちが、たとえパフォーマンスであっても、毅然と大企業に立ち向かう姿勢を見せなければ、経営陣として失格だとは思いませんか?どこまで、その姿を見せ続けるべきかは、まだ私にもわかりませんが・・・・・)

(7月26日お昼 追記)

昨夜は記事を見落としておりましたが、北越製紙の買収防衛策導入に関する東証への事前相談の際、直前に統合提案を受けていたことを東証側に情報提供していなかったようです。(東証の社長はこれに不快感を表明した、とのこと 朝日新聞ニュース)少しずつ事実関係が明らかになってきますが、やはり王子製紙からの統合提案については、東証や三菱商事に事前に告知せずに第三者割当決定や買収防衛策導入に踏み切った、との報道は正しいようです。今後の事件の動向に若干影響を及ぼすような内容かと思いました。

(7月27日お昼 追記)

本業がバタバタしているため、きちんとしたエントリーもできず「追記」で処理しておりますが、毎日ニュースによりますと王子製紙は三菱商事が増資の合意を撤回しない場合でもTOBを開始する方針を固めた、との報道がされています。これは差止請求のための下準備とみるべきか、それとも三菱商事が撤回しやすいような道を作った、とみるべきか、それとも報道にあるように「断固、闘う」という熱い意思表示とみるべきなのか。いずれにせよ、ヤマ場が来るような予感がしますね。。。

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2006年7月25日 (火)

王子製紙・北越製紙統合問題と競争制限

私は大阪のインディーズ系弁護士ですので、M&Aの専門家でも、独禁法の専門家でもございませんが、たとえばもし私が北越製紙の社外役員の立場であれば、三菱商事と提携したほうが企業価値が向上するのか、それとも王子製紙の子会社となるほうが企業価値が向上するのか、わかりやすい説明を株主に対して行わなければならないわけですし、なにか大きな決断をする場合には、株主の代弁者として行動しなければならないわけですよね。

そこで、どういった視点で検討すべきなのか、ということですが、もちろんTOB価格と時価との比較も大切かもしれませんが、支配権プレミアムはとるべきなのか、それとも一般株主のプレミアム取得の機会を減少せしめても三菱商事との提携をとったほうが有利なのか、そのあたり判断根拠となりうるような、なにかいい基準はないものでしょうか。事前審査制度があるために、独禁法違反に関するリスクはあまりないのかもしれません。しかし、競争制限が製紙業界に及ぼす影響をきちんとみておくことは必要ではないでしょうか。北越と王子が統合されるような事態に至った場合、水平的な競争制限が発生します。しかし、ここ10年ほど製紙業界は値引き競争が激化して値崩れが発生し、どこかの大手製紙会社が音頭をとって、また製品の値上がりを成功させる、といった状況がみられたようでして、競争制限には厳格な対応が必要だったのかもしれませんが、東南アジア経済圏からの輸入が活発化したことで、もはや内需との関係から日本における競争制限だけを規制していても、独禁法のめざす成果を期待することはできなくなってきた、さらに製紙業界全体の活性化のために海外における市場獲得を目的として国際競争力をつける必要性も認められることから、あまり水平的なところでの競争制限的な対応はとるべきではないようにも思えます。

いっぽう三菱商事が正式に北越製紙を傘下におさめて、原料から製品製造、営業までを一気にまとめるような場合には、いわゆる垂直的な合併に近い状況に至るために、北越の経営効率化は格段に高まるものと思われますが、一方で製紙業界に原料供給という面で競争制限が働くこととなり、業界全体の利益という点からはマイナスに働く要素となるのではないでしょうか。今後、中国市場の覇権を日本製紙グループや王子製紙など比較できないほどの大きな欧米企業と争うことになるわけですから、ここはぜひ一企業の内部問題ということではなく、日本の製紙業界の将来にとって北越製紙はどう対応すべきか、という視点も(社外役員にとっては)大切ではなかと思います。このあたりはまったくの素人考えなので、またご教示ください。

きょうもいろいろと動きがあったようですが、まだ今後交渉の経過がどうなるのか予想もつきませんので、備忘録程度に自分なりの問題点と思われる点を書きとめておく程度にしておきます。

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2006年7月24日 (月)

王子製紙、北越製紙へ敵対的TOB

王子製紙の中国進出のためのビルドアンドスクラップ政策のためには、規模の大型化と国内基盤の整備が不可欠でしょうから、統合提案というのも理由があるように思われますが、北越製紙としては統合提案を拒否し、三菱商事による資本参加の道を求めているようです。

王子製紙、北越製紙へ敵対的TOB(日経ニュース

王子製紙のTOB実施は、三菱商事との提携撤回を条件としているようですから、北越製紙の一般株主に支配権プレミアム35%の価値を取得させる機会を失わせてでも、三菱商事との提携を選ぶことの合理的な説明を北越製紙の取締役が一般株主に説明できるのかどうか。ひょっとすると、基礎的な事実関係が変動するかもしれませんし、まだなんともいえない状況ですね。

しかし、王子製紙と三菱商事は、共同出資によって世界一の環境保護のための森林管理企業を作っているくらいですから、国策的にも両社が禍根を残すような紛争を起こすことはありえないのではないでしょうか。むしろ、欧米の大規模な製紙企業がアジアに進出している現在、日本企業間で紛争をしている余裕はないでしょうから、行政の介入はあっても、司法判断に至るようなケースにはならないと思っております。もちろん、王子と北越、それぞれに感情的になる経緯はあると思いますが、三菱製紙さんとの関係も含めて、どっかで和解的解決が図られるものと予想しております。

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2006年7月23日 (日)

コンプライアンス経営はむずかしい・・・(完)

2週間ほど前に「コンプライアンス経営はむずかしい・・・」をエントリーしまして、その2も追加したところでずいぶんと時間が経過してしまいました。やっと(その3)で完結いたします。このシリーズには、いろいろなご意見を頂戴しまして、私自身も支店長への処遇問題と、役員らに対する評価、そしてこれらを社内でどう公表すべきか、委員会において何度か検討してまいりました。

7月19日にbunさんよりいただいたコメントも傾聴に値するところが多いと思います。「内部統制」というのは、たしかに「人が人を裁く」とまでは申しませんが「人が人を評価する」ことにつながる組織作用ですよね。いままで権力をもったことがない人が、突然権力を持ち、これを行使することの「恐ろしさ」というものは、これまでにも私もこのブログで2度ほど指摘したところであります。統制が有効かどうか、といった経営者の評価にしても、監査人による監査にしても、結局のところ、現場責任者に対するヒアリングなどを元に決めるわけですから、そこには現場責任者の評価やヒアリングした人の(ヒアリング結果への)評価の問題が横たわっているわけですね。考えてみると、この「評価の客観性」といったものはどうやって担保されるんでしょうか。内部統制システムの構築運用のプロなんて、そんなにいるものではありませんし、おそらくどんなに実施基準を客観的に定めてみても、そこに評価する人間の主観を排斥することはできないと思います。内部統制システム構築の重要性といったものは理解しているつもりですが、そこにはこういった「頼りなさ」も併存していることを肝に銘じておきたいところですね。(IT統制ということも、いま金融商品取引法において問題になっているのは、経営者によるITコントロールの評価問題ですから、同じ問題意識が必要でしょうね)その企業で社内常識として慣行化されている組織活動をできるだけ受け入れて、つまり新しい理屈(理論)はなるべく謙抑的に行使して、あまり杓子定規に内部統制のマニュアルを社内にはめこまないようにすべきなのかもしれません。

さて、このたびのエントリーにつきましては、何名かのロースクールの先生方からも有益な示唆をいただきました。(どうもありがとうございます)まずは、当該支店長および担当取締役の行動形式に疑問がある、とのご指摘です。通常は本件のような場合(新規取引先の開拓)、まず支店長に取締役会上程事項があれば、常務会でいろいろと審議するはずであって、突然支店長が担当取締役の意向を無視するとしても、常務会を飛び越えて取締役会に上程することなどできるのであろうか、との疑問を呈しておられます。ご指摘のとおりだと思います。ただ、この会社は経営会議は実質的に取締役会で行い、毎月1回数時間かけて支店長クラスの提案であっても実質審理を取締役会で行います。(非上場、上場の区別については触れないでおきます)前回のエントリーでも言及しましたが、常務会というところで実質的な経営会議が開催されるのが通常ですから、すこしめずらしい部類に入るかもしれません。まぁ、経営陣としても、支店長と担当取締役との事前協議に絶大なる信頼を寄せているといってもいいかと思いますが、ほかの取締役もおそらく事前協議がなされていたものと、あたりまえのように認識していたようです。(私はその場におりませんので、これは推測にしかすぎませんが)

そして、もうひとり、商法学者の方のご意見ですが、「結果がよければ不問にふすことはありえない選択肢であると思います。しかし、柔軟な対応はありうると考えます」「私が経営トップであれば、ルール違反者を処分するとともに、ルール違反が出ざるを得なくなったような会社の意思疎通の悪さ、保守的な稟議の実情について、改善の意思表明を行い、改善計画を策定します。ルールをまもって行動することが、会社の利益や社員のやる気を損なわないことを明らかにすべきと思われるからです。」「おそらく経営トップの方にそのような考え方を進言することは、平取締役にとって難しいだけでなく、山口先生のような外部の専門家にとっても困難なことだろうと推測いたします。ですから以上は机上の空論です。ただ、それ以外の行動が違法だとは思いたくありませんが、理想を完全に無視することも、私には気持悪く感じられます」

先日の全国社外取締役ネットワーク関西地区勉強会の際、私はある大手商社の元専務取締役だった方に、「どんなに人格者の社長であっても、長い間トップに君臨していると、自分の耳に心地いいことを言ってくれる人を近づけて、不快なことを言い続ける人を疎ましく思うようになる。そして、気づいたときには、もう周りには自分に対するイエスマンしかいなくなってしまって、結局、現場の大切な声が周囲からも聞こえなくなるもんです」と伺いました。いや、これが会社の現実の姿であって、本当に商法学者の方が指摘されるように、経営トップに対して(業績がそんなに悪くもないのに)改善策を進言するのは非常にむずかしいのです。ましてや、今回のような会社に実質的な損害が発生していないどころか、支店長の暴走(内規違反)による新規顧客開拓があたって、過去最高の利益を計上し続けている、といった状況のなかで、問題の原因のひとつである取締役会の意思疎通の悪さを改善することについては、非常に困難のともなうところであります。

しかしながら、これだけスピード経営が要求される現代において、企業の全社的リスク管理の基礎は社内における意思伝達経路の健全性ではないかと思います。たしかに、この支店長は短期的には多大な企業価値の増加をもたらしたことは認めます。しかしながら、結果が良好であることで内規違反を不問に付すような対応が社内常識になってしまいますと、リスク管理といった面においては大きな汚点を残すことになり、経営トップにおける行動規範の無視、といった評価にもつながってしまうことになります。これは持続的な成長をはかるための企業の力の減退、つまり長期的にみた企業価値の低下をもたらすことだと認識しておりまして、やはり当該支店長への会社としての厳格な対応は否定できないものと思います。一番最初に申し上げたように、たしかに「社内常識」への内部統制思想による挑戦は、一時的には士気の低下を招く部分もあるかもしれませんが、やはりここは「社内公表」に工夫をすることによって、内部規律の確保(そして内部規律を守る意識の浸透)をはかるべきだと考えております。(行動規範を無視した成功は、当社の成功とは考えていない、とまで言い切っていいと思います)また、社内公表には、私も経営陣における意思疎通の悪さを十分指摘する必要があろうかと思いますので、辛口の意見にはなりますが、コンプライアンス委員会による意見として、社内に調査意見を併せて公表していただくよう、要望することにいたします。(やっぱり、この役回りは第三者的立場にある私のような人間でないと、おそらく社長は素直に聞いてくれないようですので)

刑事告訴という点は、まだ私のなかでくすぶり続けているものの、あまり積極的な意見は述べず最終判断を経営陣に委ねることとしました。この支店長が潔く、この業界から身を引き、まったく別の世界で生きていくことが決まったことも、その要因になるかもしれませんが。「経営陣の意思疎通の悪さを改善する」・・・・、これは今後の内部統制システム構築と運用が叫ばれる時代において、遠くて近い、永遠のテーマかもしれません。また、一つ前のエントリーでも書かせていただいたことと通ずるところがありますが、「社内力学、つまり社内で不可避に生じる人間関係の錯綜にも耐えうる内部統制のあり方」、これも今後の内部統制構築に関する議論のなかで、きちんと検討すべき課題ではないかと考えております。みなさま、いろいろと貴重なご意見をいただき、勉強させていただきました。あらためてお礼申し上げます。  (完)

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2006年7月21日 (金)

株式会社の体制整備と「執行役員」

最近、いろいろな企業の方からお声をかけていただくようになりまして、社内研修、といいましても、役員セミナーのようなものですが、そういったいわゆる少人数の研修をさせていただくことが増えてきました。(上場企業もあれば、非上場企業もありますが)私のような者でも、企業コンプライアンスに関するなんらかのご助言をさせていただき、役立つものであれば望外の幸せと思い、臆面もなくお引き受けするのですが、経営サイドの方とお話をしていて思うことは、会社法に規定のない「常務会」と「執行役員」というところが、実質的に大きな力を持っていらっしゃる、という「不思議」であります。新会社法も施行されて、巷の本屋さんでは、そろそろ「会社法」のしっかりとした基本書の第二版あたりがたくさん山積みされておりますが、そういった本をいろいろと読んでみましても、この「常務会」「執行役員」というものの実質的な支配力のようなところに触れているものはあまりみかけません。

たしかに、会社法に規定のないものでありますから、基本書においてもそれほど触れる必要がないのかもしれません。しかしこの5月に上場企業各社から開示されました「内部統制システムの整備に関する基本方針」を調べてみますと、けっこう多くの企業が「常務会」「経営会議」「執行役員」といった用語を使って、取締役の職務執行の効率性確保のための体制、法令定款に適合する職務執行確保の体制を説明されておりまして、また、東証コーポレートガバナンス報告書におきましても、このあたりが広くガバナンスのあり方を決定する構成要素として説明されております。そこで、このブログはせっかく「内部統制と企業価値を深く考察する」マニアックな人たちの集う場所ということですから、今後おりにふれて、この「執行役員制度」、「常務会」といったものに、スポットをあててみようと思っております。

といいましても、まだ私自身、人様にご教示できるほど、なにもわかっているものではございません。ただ、上述の内部統制システムの整備に関する基本方針をいろいろと比較してみますと、取締役の職務執行の効率化とか、責任の明確化と謳いながら、実はあまり取締役と執行役員との責任分担の明確化がなされていないのではないだろうか、と思う次第であります。取締役が意思決定機能と監督機能に特化して、業務執行については全ての権限を執行役員に移譲した、という説明がほとんどなされていません。(そういった説明があれば理解できるところなのですが)取締役は執行役員制度を設立した以降であっても、職務執行を担当し、その一部(執行権限の一部?)を執行役員に移譲できる、といったものや、いまでも職務執行は取締役に責任があり、これを包括的に執行役員に委任できる、といったものもありますが、いずれにせよ、業務執行の最終責任者は代表取締役であるとしても、その次の責任者は誰なのか、会社からリリースされた文書を読んでもよくわからないのです。「うちの会社は取締役が執行役員を担当ごとに監督しています」といった説明がないのはなぜなんでしょうか。取締役が経営意思決定と監督に特化しているならば書いてないのも理解できるのですが、職務執行の責任者たる地位を維持しているのであれば、当然に執行役員の職務との管理監督関係がはっきりと示されていなければならないはずです。

このあたりは、執行役員制度を採用するにいたったオモテ向きの理由と、ホンネの理由との齟齬に由来しているところではないかと思うのですが、いずれにせよ、内部統制システムの構築は、会社法の場合は全社的な機関設計に関わるものですし、不祥事が起こってから「オレは責任がない」などと、役員の方々が逃げることは今後かなり難しくなってくると思いますので、このあたりも、会社法には規定はないかもしれませんが、いちおう責任権限の明確化をはかるべきではないかな、と思ったりしております。(このあたり、まだまだ私もよく実務を知らないところもありますので、またご教示いただけるとありがたいです)ライブドアのように「執行役員社長」といった肩書きも時々みかけますし、この執行役員なる地位もしくは肩書きが、対外的にはどのような効果を発生させるのか、といった問題(これはかなり従来の法律問題に近いと思われますが)も今後少し触れてみたいと思っております。

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2006年7月19日 (水)

内部統制の整備と取締役の責任(日本取締役会セミナー)

昨日のエントリーで「パロマ工業問題が大きなヤマ場を迎えることになりそう」と申し上げておりましたが、予想よりも早くヤマ場が来てしまったようです。johnさんがご指摘のとおり、コンプライアンス、とりわけ今回は「初期対応」の重要性についてたいへん考えさせられるところです。ただ、識者の方よりメールを頂戴して思ったのですが、きょうの報道をみましても、まだパロマ経営陣による公表内容に「?」と思われる内容が含まれておりまして、新たに公表された死亡事故など、なにゆえ今頃になって発表されたのか、そのあたりの経緯に関する報告内容を待ってみます。そのあたりが判明しませんと「初期対応」だけの問題かどうか、断言できないようにも思えますね。

ということで少し話は変わりますが、きょう(7月18日)お昼から東京で日本取締役協会「内部統制研究会」主催(第一法規出版協賛)によるセミナー「内部統制の整備と取締役の責任」を聴講させていただきました。以前6月7日のエントリーでこの「内部統制研究会」に非常に関心を持っているということを書かせていただきましたが、きょうが実質的なキックオフミーティングということでして、研究会の方々を含め100名以上の参加者で「ものすごい活気」でした。

率直な感想を申し上げるならば、現在の会社法、金融商品取引法における内部統制実務をリードする方々のお話は非常におもしろかったですし、新幹線代を払ってでも聴講する価値はございました。(おそらく日本取締役協会のHPに内容がアップされることと思います)ただ、この「内部統制研究会」の目標としている「会社法と金融商品取引法における内部統制実務の融合」という点につきましては、まだまだ進むべき方向すら模索中ということで、具体的なヒントは提示されなかったように思います。一般企業が限りある資源を最適配分するために、この「融合問題」は今後の内部統制実務において非常に検討する価値のある問題だと認識しておりますので、今後ともこの研究会の成果について注目していきたいと思っています。あと、少し気になりましたのが、「会社法には罰則がないが、金融商品取引法には罰則がある」といった表現です。たしかに罰則はありますが、これは「内部統制システムを整備しないことによる罰則」ではなくて、内部統制報告書を提出しない、あるいは虚偽の内容の報告書を提出した場合の罰則のことでありますから、「内部統制システムの整備不良」に関して言えば、どちらも罰則はないことになります。(また、証券取引所規則のレベルで申し上げても、財務諸表に不備があれば上場廃止となりますが、内部統制システムに不備があっても上場廃止にはならないはずです  なお、grandeさんよりご指摘のとおり、東京証券取引所の「上場制度総合整備プログラムの作成について」におきまして、財務報告に係る内部統制に関する監査意見において、内部統制に重要な欠陥がある旨記載された場合において、当該重要な欠陥があるその翌々年においてもなお改善されず同様の意見が出された場合には、上場廃止することを検討する、とあります とりあえず検討中ということですが、訂正しておきます。)

なお、以下は研究会において聴講した内容(金融商品取引法上の内部統制報告実務に関して)を、私なりに(感想風に)まとめたご報告ですので、内容の真偽に関する責任はすべて私にございます。あらかじめご了承ねがいます。

「やっぱり、内部統制報告実務基準は30ページ、実施基準は200ページを超えるものになるみたい」
「前にブログでワールドカップが終るころには実施基準公開草案が出るみたいって書いたけど、早くても9月ころになるみたい」
「昨年12月の基準案のⅠ、Ⅱ、Ⅲと同じように、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲに対応する形で実施基準が出るみたいで、とりわけⅡの経営者評価のところがとても苦労されているみたい。ただし、Ⅲの監査実務については、(取り扱うのが会計専門家ということなので)基準と実施基準とが一体化して作成されているみたい。」
「上場企業を大企業と中小企業に分類して、基準を変えるとか、評価レベルを変えるといったことは一度も部会で議論されたことはないし、今後も検討される気配はないみたい」
「IT統制については、やっぱり経営者がITをコントロールできるかどうか、といった部分が重要になるみたい」

などなど、ほかにもたくさん感想はございますが、こんな場末のブログでも、最近のアクセス数から考えますと関係者の方々にご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんので、このあたりで控えさせていただきます。

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2006年7月18日 (火)

コンプライアンス経営はむずかしい(パロマ問題)

(7月18日午後 追記あります)

本当は(その3)として、一昨日のお話の続きを書こうかと思ったのですが、「公表」のむずかしさという意味で、パロマ工業問題について(番外編)として触れておくことにします。新聞やニュースでご承知のとおり、死亡事故被害者ご遺族による執念の追跡調査を発端として、パロマ湯沸かし器の安全装置の改造問題が大きな事件に発展してきています。7月14日にパロマの代表者が記者会見した内容が、事実と大きく食い違っていたことを17日の夜にパロマ側が認めたようですから(北海道新聞ニュース)、今後もこの事件は大きなヤマ場を迎えることになりそうです。(とりあえず、まず被害拡大を防止するために、対応機種の点検が不可欠でしょうね)

私がこの事件に対するパロマ側の対応をみていて思うことは、やはり「コンプライアンス経営はむずかしい」ということであります。「コンプライアンス」の意味を法令遵守と捉えているのが現経営陣の方々ではないでしょうか。「死亡事故の原因は安全装置の瑕疵によるものではない、何者かによる不正改造に起因するものである。したがって、製造物責任ではない。過去に損害賠償請求訴訟は起こされたが、勝訴もしくは和解で終了しており、過失もしくは欠陥は認められていない。たとえパロマサービスによる保守管理のなかで不正改造がなされたとしても、パロマとは資本関係のない会社の行ったものであり、管理監督責任はない。事故原因を当初から調査によって確認していたとしても、それは現場の調査であって、経営陣まで届いていなかったため、対策をとることはできなかった」というところでしょうか。事故の発生時期が1980年代から1990年代ということですから、ひとつひとつのパロマ側の公表内容をみるかぎりは、明確な法令違反というものは回避できているようにも思えます。

しかしながら、「コンプライアンス」の意味は単に法令遵守ということではない、社会の公器として、時代の流れのなかで、企業に要請されるルールや常識といったものを的確に理解して、リスクに対応することこそがコンプライアンスの真の意味であると考えるならば、果たして今回のパロマ側の対応が正当なものといえるかどうかは疑わしいように思われます。とりわけ「安全第一」を企業の最大の理念と謳い、安全装置の開発によってここまでの名声を築き上げた企業でありますから、その安全に傷がつくような一大事が発生した現在、あまりにも対応としては遅々としたものではないでしょうか。誰の責任かはさておいて、確認した18件すべての事故に不正改造が関係していることが判明した現時点では、まず今後の被害拡大を最大限の努力によって防ぐ決意を一般消費者に示す必要があるように思います。(パロマのHPをみて、あまりにもサミシイ広報と感じるのは私だけでしょうか

また、たしかに1990年代には「内部統制システムの構築・整備」など企業に強く意識されていたわけではありませんので、「現場の調査内容が経営陣には届いていなかった」と言われてしまえば、「それは法的に善管注意義務違反です」とまではいえないかもしれませんが、しかし、調査の対象は死亡事故ですよね。安全第一をモットーに掲げている企業において、死亡事故調査報告が正確に経営陣にまで届かないということは、常識的にありえる話なのでしょうか。もし経営陣の公表を信じるとしても、それはおおよそ常識からは逸脱した内容だと思われますので、なぜそういった事態になってしまったのかは、きちんと説明をしなければ「隠蔽があった」との疑惑は拭いきれないように思われます。ここのところが、本当の意味でのコンプライアンス経営のセンスではないでしょうか。

さらに、資本関係がないから、パロマサービスの保守管理については責任はない、との答弁ですが、そもそも資本関係にはないとしても、パロマの名称使用を許諾しており、その企業の保守管理によってパロマガス湯沸かし器の安全性神話を長年保持してきたわけですから、いわば保守管理業者の業務によって多大な利益を得てきたことは間違いないわけです。そういったことからすれば、保守管理業務のうえで「不正改造」があったことについて、被害者らに迷惑をかけたことを詫びるべきではないのでしょうか。そもそも、老朽化によって「改造」を余儀なくされたのは、安全装置に技術上の問題点が残っていたわけですから、私からすれば「不正改造」によって安全神話を維持し続けた責任の一端はパロマ本体にある、とさえ評価できるのではないかと思うのですが、皆様はいかがでしょうか。

「公表」の仕方は、あるときは企業の生命を維持し、あるときは断ち切るほど、重要かつ困難なリスク管理です。でも、よくある危機管理マニュアル、といったものはあてにならないような気がします。どんな事態になろうとも、こういったリスク管理を支えるのは「コンプライアンス経営」を経営者自身がいかに考えるか、そのあたりの「法やルールの精神」ではないか、と思います。いま、この時点で一体何をすることが企業価値の毀損を最小限度に食い止めることができるのか、パロマ工業のこの問いに対する答えこそ、企業の真価が問われるところになりそうです。

(7月18日 夜 追記)

たくさんのアクセスを頂戴し、また私の意見に対するご賛同、ご批判のメールを頂戴しております。私のブログをずっとご覧の方々にはご理解いただいていると思うのですが、このパロマ問題を取り上げましたのは、あくまでも公表といった場面における企業コンプライアンスに焦点をあてて、企業対応を検討することに主眼を置いております。決して被害者救済とか、企業擁護といった当事者的発想からのものではございません。したがいまして、どちらかの代理人的な観点から利益擁護のための理屈を考えだすことは目的ではございませんので、どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。あと、いまパロマのHPを閲覧しましたら、昨日とは異なる表示がなされておりましたので、本文中の「寂しい」といった表現は訂正させていただきます。

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2006年7月16日 (日)

コンプライアンス経営はむずかしい・・・(その2)

先週、たくさんのコメントをいただいた「コンプライアンス経営はむずかしい・・・・」の続編であります。(まだ、コメントにお返事をさせていただいていない方もいらっしゃって、心苦しいのですが)とりあえず、書きたいことが山ほどありますので、(その2)と(その3)に分けて整理してみたいと思っております。実は、前のエントリーには、コメント以外にも、メールもたくさん頂戴いたしまして、コメントもそうですが、基本的にはbunさんの意見への賛成、反対といったあたりで分かれているようです。つまり、有能で実際にも会社の利益を飛躍的に伸ばして、私利私欲もなく会社のために内規違反を犯した者については、最小限度の制裁として、その旨社内にも公表すればいい、という立場と、どんなに私利私欲なく、また会社の業績を伸ばしたとしても、内規違反は厳しく処罰されるべきであり、(私のように刑事告訴も辞さず、といった立場は少数のようですが)しかるべき対応をして、その旨公表すべき(ただし、役員についても問題点を指摘すべき)といった立場であります。単に関係者をまるく収める、といった問題解決型の方法を検討するのではなくて、もっと前向きな方法、つまりこの企業にコンプライアンス経営を浸透させることを目的として、いったいどのような対応をすべきなのか、といった視点から検討しなければならず、そこが一番むずかしいところではないでしょうか。

あれから、私達コンプラ委員会の委員は、さらに調査を進めまして、事件の真相が次第に明らかになってきました。実は取締役会が、支店長の稟議上程を却下したのは、そのセクションを担当する取締役による強い反対があったからでした。「社内の常識」として、この会社の支店長(けっこうたくさんいらっしゃいます)が新規取引の開始を稟議にかける場合には、その担当取締役と内々に相談をして、ゴーサインが出たところで正式な取締役会審査上程、という段取りとなるそうですが、この支店長は担当取締役の能力に疑問を感じており、これまでの社内の常識を無視して、いきなり取締役会審査にかけたところ、これをおもしろく思わなかった担当取締役が待ったをかけて、取締役会で猛反対をして、ほかの取締役もこれに同調してしまった、というのが真相のようであります。おそらく、これまでの社内常識のとおりに、この支店長が担当取締役の顔をたてて事前相談をしていれば、取締役会では問題なく稟議が下りていたものと思われます。

こういった「社内常識」、実際に何の規則性もないわけですが、どこの会社にもあるかもしれません。私が思うに、こういった「社内常識」は悪い面ばかりでもないようです。たとえば、支店長クラスの管理職が、一生懸命アイデアを出して、事業化しようと意気込んで稟議を上げたときに、「いや、この案はまだ早い。もうすこし君の出番が来るまで待て」と落ち着かせて、役員会で無下に却下されてやる気をなくすのを防ぐ、という効果もあります。しかしながら、人間関係から一つ間違えると、今回のように、企業価値を飛躍的にアップさせるようなアイデアが、取締役会で却下されてしまうことにもなりかねないわけです。こういった人間関係のからむ原因事実を、そのまま社内で公表するわけにもいきませんが、やはり内部統制システムの構築といった観点から、取締役会への意思伝達方法、取締役による情報収集方法に問題があったと結論付けることとしました。私として取締役らに提案したのは、そういった「社内常識」は内部統制システム構築といった視点からみて問題があるので廃止すること、そして「社内常識」を廃止することによる弊害については、斬新なアイデアを上程する支店長クラスの者に、書面だけでなく役員会でプレゼンをしてもらって、十分意見交換を行い、「敗者復活の機会」を与えることを保証する、といったものであり、社内への公表も含め、社長にもこれに納得してもらいました。(いろいろと人間関係の面で問題も残りましたが、これを書いていると終わらないので割愛させていただきます・・・)

「公表」といった点から検討した場合、取締役らの反省点としては上記のとおりですが、さて人望の厚かった当該支店長への会社としての正式な対応については、どのように公表すべきでしょうか。現実に会社の業績を向上させた人なんだから、内規違反はあるけれども敗者復活がなければ他の社員にも悪影響が出るのではないか、とも考えら得るような気がします。このあたりについては、(その3)でメールをいただいた方の意見などをご紹介しながら、まとめたいと思っております。

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2006年7月14日 (金)

内部統制報告実務と真実性の原則

(14日午前 追記あります)

「週刊経営財務」の7月10日号では、金融庁総務企画庁企業開示課の課長さんによるスペシャルインタビュー記事が特集されておりまして、世間で注目されている「金融商品取引法」に基づく内部統制報告実務(経営者の評価と監査法人、公認会計士による監査証明)の「基準および実施基準」の公表時期について語られております。そこでは、四半期財務情報に関する監査基準の策定と歩調を合わせて、(努力目標として)年内いっぱいを目途にされているとか。(ん?ということは、実施基準の公表は来年になってしまう可能性もある、ということのようですね。やはりずいぶんと作業量は膨大なものになっているんじゃないでしょうか)

このブログでも先日紹介いたしましたが、やはりアメリカにおきましても、結局のところ中小規模の公開企業にもSOX法404条を適用する方向にあるとのことでして、この課長さんの言によりますと、日本の企業に内部統制報告実務を適用するにあたっては、基本的には事業規模にかかわらず、法律に定めたスケジュールにしたがって、適用する方向で検討されているようです。

中小規模の公開企業でも日本版SOX法の施行が過度の負担にならないように、(すでにご承知のとおり)トップダウン型のリスクアプローチが採用されたり、評価区分が少なくされたり、ダイレクト・レポーティングは採用しない、とされているわけですが、まぁ、それでも「大企業と中小規模の公開企業とで同じレベルの統制システムが要求されるのか?」といった問いには答えられていないんですよね。それで、今後の勝手な予測ではありますが、つぎの四つに分けて検討する必要があるのではないか、と思います。ひとつは大企業も中小公開企業も同じ基準で同じ程度の「監査レベル」を要求する、ふたつめはクリアすべき基準に差をもうけるが「監査レベル」は同等とする、三つめは基準に差をつけないけれども、合理的保証に到達する「監査のレベル」に差をもうける、四つめは基準も監査レベルにも差をもうける、といったところだと思います。(会計士でもないのに、勝手な推測によるものですから、基本的な誤りがあるかもしれませんが・・・・)昨年12月に内部統制部会から出されました「基準のあり方案」を読みましても、このあたりは出てこなかったと思います。

なぜこういったところが気になるかといいますと、そもそも金融商品取引法で議論される内部統制報告実務というのは、財務報告の信頼性確保ということを最終目標としているわけですから、いわゆる「会社の数字が正しいことを担保する」のが目的なわけです。しかし、私が聞きかじった素人知識によると、会計の世界の「数字の正しさ」というのは、絶対的真実ではなくて、相対的真実だということですよね。相対的真実でいい、というのは「誰のための会計制度か」という会計への見方に起因するところと、「おおよそ真実に近ければいい」といった社会的要請からくるところがあると思うんですけど、時間的、予算的制約からくる中小規模の公開企業のシステム構築負担を考えた場合、やはり社会的要請として、大企業とは基準や監査レベルに差をもうけたとしても、「真実性の原則」には反しないと考えられるのではないでしょうか。さかのぼって考えてみましても、「相対的真実」が許容される世界だからこそ、内部統制という概念が会計の世界で生き続け、そして発展してきたわけですし、いわば人間社会がうまく回っていくための「妥協の産物」のようなところがあるんではないかと。ですから概念フレームワークのような理論の産物ではなくて、結論の妥当性から帰納的に考えて、「これくらいのところでシステムを作ってくれたらいいですよ」みたいな判断基準の作り方も十分ありのように考えられるのではないでしょうか。

こういった考え方をしておりますと、今度は「じゃあどこからが大規模で、どこからが中小か」といった仕分けの問題が発生してくるわけでして、それなりに合理性のある区分がなかなか説明のつかないところでありますが、会計の世界における「真実性」をつきつめて考えていくと、内部統制報告実務のあり方にも大きな影響を与える要因が出てくるのではないか、と素人ながらに疑問を抱いております。(あっそうそう、野村総研さんのHPで、IT統制を中心とした日本版SOX法への対応方法が展開されており、示唆に富む提言もなされております。ご興味のある方はご参考にされてはいかがでしょうか)

(14日午前 追記)

7月7日のITコンプライアンス・フォーラム2006における八田先生(内部統制部会長)の講演要旨報告がZDNETJAPANのHPにアップされています。最近は「内部統制議論のひとり歩き」に警告を発する機会の多い八田先生ですが、今回も経営者不在の内部統制論について指摘されておられます。最近の八田先生のご発言からすると、先生は、なんとか会社法における内部統制と日本版SOX法における内部統制との「融合」(融合まではいかなくても、接点を探る)を図ろうと努力されているのではないか・・・と感じるのは私だけでしょうか。

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2006年7月11日 (火)

売上架空計上事案を考える

(7月13日午後 追記あり)

いよいよココログも正念場の48時間を迎えます。(11日午後2時より13日午後2時までのロングランメンテ。その間、コメントもTBもできませんので、ご了承ください)この半年、とりわけ「ココログフリー」が開設されて以来、お金を払っている利用者のアクセス障害がひどくなり、逆に広告主の存在する無料版のほうは「サクサク状態」ということで、もはや有償ココログ利用者の怒りは頂点に達しておりまして、ココログブログのいたるところで訴訟提起の予告がなされております。

(こんな時期ではございますが)私のブログもおかげさまで、「コンプライアンス経営はむずかしい・・」のエントリーには20を超えるコメントを頂戴しておりましたところ、その話題の内容に近いようなネクストウェアの売上架空操作問題が公表され、10日はストップ安(監理ポスト入り決定)となってしまいました。つい先日の神戸製鋼のデータ改ざんもショックでしたが、このネクストウェア社も著名弁護士を内部統制システムフェアの講演に招聘するなど、日本版SOX法対応システムを提案する企業であるがゆえに、これはたいへんイタイ話題になってしまったようです。

売上が特定取引先に偏ってしまっていたり、債権回収が長期で滞留していて不自然であったことや、取引先への事情聴取で判明したこと、対象社員が注文書、検収書、残高確認書を自ら偽造していたことなどをみるかぎり、ひとりの社員の違法行為にまったく会社が気づかなかったようにも思えますが、やはり少しばかり疑問も感じますよね。ソリューション事業の売上額が15億で、今回の架空売上額が10億ですから、偽装取引の占める割合が3分の2に及ぶわけでして、どう考えても在庫商品(サービス事業)の流れからみて不自然であることは誰がみてもわかるはずですよね。これって、本当に特定社員による不正だったんでしょうか、それとも「コンプラ経営は・・・」で述べたように、周辺社員による黙認という事情はなかったのでしょうか。もしかりに複数社員が認知していなかった、ということでしたら、どういった内部統制システムがとられていたんでしょうか。ともかく厳正な調査をやってみないと不思議で仕方ないと思われます。「不正経理はどんなに内部統制システムを立派に構築してもなくならない」ことは自明であります。ただ、最小限度の損失で済むような方策を検討することは可能だと思っています。

運良くココログのメンテが成功し、久しく体感していない「サクサク状態」が復活した暁には、また週末あたりにでも、「コンプライアンス経営はむずかしい・・・」の続編をアップする予定です。(とりあえず、いまは48時間のメンテが成功することを祈るばかりです・・・もし成功しなかったら・・・・?)

(とりあえずメンテは成功したようでして、サクサク状態が復活したみたいです。どうか、深夜の混雑した時間帯でも、同じ状態でありますように・・・)

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2006年7月10日 (月)

金融商品取引法への素朴な疑問

「続・コンプライアンス経営はむずかしい・・・」のエントリーを立ち上げようかと思いましたが、ちょっとココログの管理画面が不安定のため、メンテナンス終了後にまたアップする予定であります。それまでは、コメント欄に追加コメントを掲載いたしますので、どうかそちらのほうをご覧いただければ幸いです。

改正証券取引法の一部が施行されたり、商事法務や金融法務関連の雑誌で解説が始まり、いよいよ金融商品取引法への本格的な検討も開始される時期になってきたように思いますが、またまた非常に稚拙で基本的な疑問がございます。最近はこのブログにも(たいへんありがたいことに)たくさんの法曹実務家や、法務関係者の方々がお見えになるようですので、またお教えいただきたいのですが、金融商品取引法のなかに「金融商品」に関する定義規定がありますよね。あの金融商品に関する定義は、今回の法案のなかで、なにか意味を持つのでしょうか?商事法務での金融庁の方々による連載が始まったり、東大法科大学院の先生による解説本が出たりしておりますので、このあたりを最初に書かれてあるかと期待して読んでみたのですが、どうも意識して書かれているフシがありません。

行為規範として規制対象となるのは取扱業者でありますが、金融商品取扱業者の定義は「金融商品を扱う者」ではなくて、「有価証券」など、個別の金融商品を掲示して「第一種」「第二種」と定義しておりますので、「金融商品」を定義することとの関連性はないように読めます。「金融指標」という定義もありますが、それと連動して個別に金融商品の定義が取扱業者の範囲を確定する意味を持っているようにも思えないのですが。

そもそも、未だ金融商品取引法は「ホップ、ステップ、ジャンプ」のうち「ステップ」の段階の法律であって、今後の銀行業や保険業など、もっと広範な範囲での横断的な法律の完成を予定して「とりあえず定義だけを書いた」と考えればよいのでしょうか?同じようなところで悩んでいらっしゃる方もおられるかもしれませんので、あえて恥ずかしい気持を抑えて無責任な疑問点を挙げてみました。(造詣の深い方がおられましたら、またお教えいただければ・・・・と)

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2006年7月 9日 (日)

ご迷惑をおかけしておりますm(;∇;)m

ご承知の方もいらっしゃるかとは思いますが、ココログの絶不調が続いており、更新どころか、皆様方のコメントやTBにも支障を来たすことになってまいりました。「ココログメンテのブログ」というところが出来ておりまして、そこには山のような苦情が寄せられ、さながら一時のPSE問題による経済産業省の部長さんのブログのような状態になっております。

7月11日から48時間のメンテナンスが敢行されるようですが、それまでもブログの更新ができないかもしれませんので、あしからずご了承ください。なお、「コンプライアンス経営はむずかしい・・・」のエントリーには、たくさんのコメント、そしてメールを頂戴いたしまして、反響の大きさに驚いております。できるだけコメント欄を活用して、お返事を書かせていただきますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

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2006年7月 7日 (金)

コンプライアンス経営はむずかしい・・・

(追記です。 コメント数が多くなりますと、右のコメントツリーにうまく乗っからないみたいです。全部にはコメントをお返しできておりませんが、ちょこちょことお返事させていただいておりますので、よろしければ下のコメントのところをご確認ください。)

世間の景気がよくなってきたせいか、企業のコンプライアンス委員会にも、最近むずかしい対応を迫られるケースが出てきます。いま、私が関与しております件も、どういった結論を出すべきか迷っております。(個別企業が特定されないよう、事案は抽象的にしか紹介できませんので、あしからずご了承ください。)

事案は支店長の使い込み、いわゆる業務上横領事件です。その支店長は社内では非常にやり手で、部下の信頼もかなり厚い方です。しかしながら、この1年ほどで相当程度の金額を流用していたことが判明しました。(判明したのは、財務情報に関する内部統制システム構築の作業によるものです。)

支店長と私が面談をして、流用金員のほぼ全容が解明されたのですが、すべて本社に稟議があがっていたにもかかわらず、「リスクが高い」として却下した取引事案に関するものでして、その取引を独断で進めるべく、接待交際費やリスク低減のための準備調査費用に充当されていました。(つまり、私的流用は一切ありませんでした)。そして、その支店長の努力の甲斐(?)あってか、取引先開拓は順調でして、前年比2,5倍の収益を計上する「最優秀営業店」となり、事実を知らない一般社員はその支店長を尊敬しております。

もちろん、取締役会の意思決定に反して、独断で取引を進め、会社の金員を流用した事実については「領得意思」はないものの、会社に対する害意は認められるでしょうから、刑事告訴の対象にはなるでしょう。(収益を上げていても、使い込みしている以上は、損害が発生していると考えられます)しかし、世間の好景気と支店長の才覚によってこの企業は近年まれに見る好成績を残しました。本人は流用の事実が発覚しないと思っていたようですが、残念ながら会計士の先生と内部監査人の調査によって発覚してしまい、いまは不満はあるものの、退職の準備をしているところであります。

私がいちばんムズカシイなあと思うのは、支店長に対する処分ということよりも、この問題をどう社内で広報すべきか・・・・・というところです。たしかに悪いことをしたが、彼は取締役らの保守的な取引活動に風穴をあけ、会社に好成績をもたらし、若い社員たちに新しいビジネスモデルを提案した。正直、今後の会社にとって「もったいない」んです。しかし、一方で業務執行の適正性確保といった面からみれば、稟議決定違反にもかかわらず、つっぱしった支店長が、いい結果を残したからといって、会社は甘い処分にしていいのだろか。

最後は取締役会の決断に委ねるとして、私はやはり懲戒、刑事告訴相当として報告を上げるしかないのでしょうね。私がワルモノになるのはいいのですが、会社の士気にかかわるのは、どう役員の方々が問題を広報するか、にあると思っています。(それにしても、やっぱり財務報告の信頼性を高めるためのシステム構築って、やってみると現場の「ヤバイ恒常的業務」が出てきたりしますね。これ、現場と闘うのはたいへんですよね。リベート問題なんか、いっぱい出てきたりして・・・)

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2006年7月 6日 (木)

監査役の財務会計的知見(その2)

5月1日のエントリー(監査役の財務会計的知見その1)では、なぜ会社法施行規則は、監査役に「財務会計的知見があるときはその旨」を事業報告書に記載させて、「法務的知見」については記載させないのだろうか・・・会計士さんは会社法が「監査役になってほしい職業」として期待されて、どうして弁護士は期待されていないのだろうか・・・・といった(半分ひがみのような気持から)問題点を指摘させていただきました。(^◇^;)

今月号の「ジュリスト」(1315号)では、「会社法規則の制定」といった大きな特集が組まれておりまして、上村先生、尾崎先生、稲葉先生をはじめとした稲門軍団の諸先生方が、新会社法とその政省令の問題点を鋭く批判する・・・といった内容で完結している、とてもヨミごたえのある論稿集になっております。(この特集記事は1850円で購入するだけの価値がありますねぇ)そして、この特集論稿のなかで、おひとり早稲田大学以外の教授として寄稿されていらっしゃいます中東正文氏(名古屋大学教授)の「株式会社の監査と内部統制」については、もっとも私的に興味のあるテーマでしたので、じっくりと拝読させていただきましたが、そのなかにこの「監査役の財務会計的知見」に関する問題点が指摘されておりました。(ちなみに、会社法施行規則121条8項では「監査役又は監査委員が財務及び会計に関する相当程度の知見を有しているものであるときは、その事実」を事業報告書の内容にすべきである、と定められております。「財務及び会計に関する相当程度の知見というのは、会計専門家としての国家資格を有していることだけでなく、長年経理や財務の職に就いていたことなども含むとされているようですが、ひょっとすると私が保有している公認不正検査士(CFE)の資格なんかも、継続研修の単位が会計士さんと互換性があったりしますので、これに該当するのかもしれません)そして、私の不知を恥じるのみですが、すでに早稲田大学の意見(会社法規則へのパブコメ)として、監査役等に求められるのは法的な思考力であって、法的な視点から財務及び会計に不正な操作が行われているのではないかを監督することが期待されているのであるから、監査役等の資質については法律その他の会社経営に関する相当程度の専門的知見を有している場合も事業報告において開示すべきである、といった主張がなされていたんですね。また、中東教授も同様の意見を述べて、現在の規則に対する問題点として挙げておられます。

そして、この中東教授の論稿では、もうひとつ「会計監査人による監査」のなかで、計算関係書類の監査の実効性に関する(会社法規則の)問題点を指摘されていらっしゃいます。要するに、新しい会社法のもとでは、会計監査人による監査は、事業報告の内容については監査対象になっておらず、もっぱら計算書類の監査のみを担当することになったわけですが、会計関係書類の作成過程を(会計監査人が)検証しないままに、監査を求められた数字や会計処理の適正性をどうやって判断できるのであろうか・・・といった疑問を呈しておられます。もちろん、会社法上の会計監査人設置会社の商法監査と上場企業における証取監査とは異なるわけですから、金融商品取引法24条による内部統制報告実務とは異なる取扱もありうることはわかるのですが、たしかに会社法上の計算書類の作成過程というものは、上場企業の場合は概ね、財務情報の信頼性確保のためのシステムが構築される必要がある、といったところでは類似ではないかと思われますので、事業報告が提出されないで、会計監査人にとって、どうやって計算書類の作成過程の適正性が担保されるのだろうか、との問題点が生じてくるのも当然のことではないか、と思われます。

私もこの「会計監査人による監査における計算書類の監査実効性」については、金融商品取引法との関係から疑問に思っておりましたが、「会社法規則はおかしい」とまでは言い切れないのではないかなぁ、とも考え直しております。といいますのは、さきほどの会社法が期待する監査役像(会計的知見をもった監査役)と、この計算書類に対する会計監査人の監査との規定が連関している、といった考え方も成り立つのかもしれない、と思うからです。会社法が定める内部統制の中身というのは、取締役の職務執行の適正性を確保するための体制整備が中心でありまして、その体制には機関としての監査役や会計監査人の職務執行の仕組みや運用状況も「株主への開示の対象として」含まれているはずです。そうしますと、監査役と会計監査人との「連携」の仕組みや運用状況も評価対象になるはずだと思いますし、もし監査役に会計的知見を有する者が就いているとするならば、そういった連携も充足されやすくなりますし、会計監査人による計算書類の監査においても、(書類作成過程に関する適正性について、会計監査人が監査役に質問するなどによって)監査役の事業報告内容への理解度が生かされることになります。たしかに、個別に規則条文を眺めておりますと、私も同様の疑問を抱いておりますが、それぞれの規則の相互関係を会社法の精神にさかのぼって検討してみると、違う解釈もあるのかなぁとも思えますが、どうなんでしょうかね。。

もちろん、私も法曹ですし、監査役に要求される資質として、法務的知見を要求すべき、といったスタンスのほうが少しだけうれしいのは間違いありませんが、でもなぜ法務的知見が会社の機関たる監査役に要求されるのか、法曹は会社に必要なときだけ「外部の第三者」として関与すれば、その法務的知見は十分会社の要求を満たすのではないか、といった疑問に、現在のところ明確な回答は持ちえておりません。「会計的知見」というのは、やはり企業経営にとっては、会計処理が恒常的な作業であって、会計監査人とは別個に「恒常的に」監視する必要性というものが理解できるように思えます。そのあたりにも、たとえば社外監査役として「法務的知見」と「会計的知見」とでは、開示対象としての価値に差があっても不思議はないといった判断に至る理由があるのかもしれません。

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2006年7月 4日 (火)

買収防衛策と特別背任罪

7月3日の日経朝刊「試される司法第2部揺らぐルール」の記事に、すこしばかり目を引く記述がありました。昨年のことになりますが、ライブドアがニッポン放送側の買収防衛策を「過剰防衛」として刑事告訴してきた場合、受理すべきかどうか、について検察庁内では昨年3月ころに松尾検事総長(当時)が最高検幹部に真剣に問いかけたということでして、その結果「保身目的の買収防衛策で一般株主に損害を与えれば、役員を特別背任罪に問う可能性がある」との結論に達したそうであります。以前からこのニッポン放送の新株予約権発行による防衛策については、すこしだけ刑事責任の可否が問題になっておりましたが、買収防衛策の導入に刑事問題が真剣に検討されていた、という事実には正直ビックリしました。

「保身目的」というのは、(銀行の損失の先送りを目的としたような)不正融資などを行った取締役の刑事問題を問う場合には、会社の損害も比較的顕在化しておりますので、なんとなく理解できるのですが、買収防衛策を導入する場面でも同じような意味で「保身目的」と使用していいのかどうかはすこしばかり躊躇をおぼえます。松尾元検事総長は「株主など国民に大きな影響を与えるルール逸脱には、最後の砦としての刑事制裁が必要になってくる」と検察の姿勢を述べておられます。ニッポン放送ライブドア事件の頃は旧商法の時代でありますし、従前の商法にも刑事罰が規定されていたわけですが、新しい会社法のもとでは、こういった利害関係者間の損害発生の事態に備えて、刑事処分も検討課題になってくるんでしょうか。会社法が旧商法よりも行為規範化してしまい、またコーポレートガバナンス論との関係で、企業の国際競争力アップのための「国策法」的なものになっている、といった一般的な説明内容と、こういった刑事処分適用可能性の拡大、といったこととが、すこしばかり整合しているような気がします。

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2006年7月 3日 (月)

証券取引の世界と行政法理論

先週金曜日の「定款変更議案の分割決議」には、胡桃さんやpipiさんなどから有益な情報、ご意見を頂戴しまして、どうもありがとうございました。企業年金連合会から先週末に出されました「2006年株主総会インハウス株主議決権行使結果について」などを読んでおりますと、今年の株主総会で定款変更議案につき、実際に分割決議(提案の分割?)を行った企業は26社ほどあったそうですから、今後も各企業において導入が検討されていくんではないでしょうか。定款変更議案が可決された企業におきましても、神戸製鋼所のように結果として66,9%の賛同、総会議場において投票用紙を出席株主に配って、5時間半にわたって採決を行ったところもありましたので、大口株主への事前説明とともに、定款変更目的ごとに一般株主へのわかりやすい説明も必要になってくるのではないか、と思います。(ちなみに、2日の神戸新聞日曜版に私の「神戸製鋼所のデータ改ざん問題への意見」が顔写真入りで掲載されております。ご覧になられた方は、またご批判含め、ご意見お待ちしております)

さて、皆様すでにご承知のとおり今年6月14日に金融商品取引法が公布されまして、今後の証券取引規制における証券取引所のあり方、証券業協会のあり方、直接上場企業と接する立場にある証券会社の内部統制のあり方などが活発に議論されるようになっております。この6月30日にも、証券会社の市場仲介機能等に関する懇談会の論点整理が公表されました。なお、証券市場を開設する取引所を巡る諸問題への対応につきましては、「証券取引所のあり方等に関する有識者懇談会」というところが別途検討中であります。金融システム改革による各種自由化と事前規制の廃止という風潮のなかで、市場ルールの適正化、市場取引の活性化のために、法律による参加者の規制というよりも、市場参加者らによる自主規制によって市場の公正性を実現しようとの関係当事者らの強い意欲のあらわれだと認識できます。「みんなで違法行為をしたら怖くない。摘発されたら運が悪かったと思ってあきらめよう」といったエンフォースメントからみた「グレーゾーン」をできるかぎり撤廃し、「まじめにコンプライアンスルールを守っている企業が損をしない」世界を作るためには、証券取引の世界における自主規制ルールの強化については、私は賛成したいと思っております。ただし、何度かこのブログでもテーマとして掲げたことがあるのですが、自主規制の強化による市場の公正性の維持、強化が正当性を主張できるのは、規制する主体の行動が完全に正しいことであることが前提であります。その「正しさ」を、いったいどこで担保するのか、という議論も、自主規制強化の議論のなかで、あわせて検討されなければいけない、というのが持論であります。

以前、私はこの「正しさ」の正当性を法律による委任という民主主義社会における法源との関連性に求めようとしました。そして、今回は別の面から考察してみたいと思います。つまり、金融商品取引法が証券取引所や証券会社、証券業協会などに期待するところからすれば、その自主規制の規制主体であるそれらの団体の規制目的は、かなり公共性の高い目的によるものであって、したがって、いわゆる行政裁量論を勉強するときに出てくるような一般原則、たとえば比例原則、平等原則、規制目的の適法性審査、規制に関する考慮要素の検討(他事考慮、考慮要素不足)が規制主体に厳格に要求されるのではないか、といった論点であります。もちろん、こういった原則は本来憲法上の人権問題と関連するものであることは当然でありますが、上記のような団体は、一面においては純粋な営利団体であるが、一面においては本来国が持つべき権限を、事後規制社会への変容のなかで移譲されていると考えられるのであって、これからの自主規制主体の正当性を担保するためには、行政裁量論をこういった世界に応用することで規制主体と規制される上場企業との関係のバランスを図るには有益だと思われるからであります。自主規制する側におきましても、専門技術性や迅速性、高度な政策性といったことからくる「広い裁量」が認められますし、また規制される側におきましても、裁量の濫用や逸脱といった点を争う機会を付与されて、司法判断やADR(裁判外紛争処理機関)で規制対象の行動の正しさを精査することが可能となるわけです。すでに、自主規制の浸透している世界における行政裁量論の検討ということは、証券取引の世界以外では先駆的に議論されているところもありまして、また各論的なところは別の機会にご紹介したいと思います。

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