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2006年7月31日 (月)

責任限定契約と求償権(こりゃたいへん!?)

週末は大阪弁護士会と公認会計士協会近畿会との「社外監査役実務研究会」の合同合宿に参加しておりましたので、日曜日の夜、ヘロヘロになって帰宅しております。25人くらいの合宿でしたが、みなさん勉強熱心でたいへん刺激になりました。自らの浅学を恥じるばかりでした。(幹事のみなさま、いろいろとありがとうございました)

ところで、この合宿ですこしばかり話題になりましたのが、JICPAジャーナル8月号の座談会記事「会計参与の行動指針及び中小企業の会計に関する指針について」におきまして、筑波大学大学院弥永真生教授が「責任限定契約と賠償責任を履行した会計監査人の求償権」に関して発言された箇所であります。弥永先生のご発言は概ねつぎのとおりです。

最近、会計監査人の責任限定議案を株主総会に出すことをやめる、という記事がよく新聞に掲載されているが、取締役としては会計監査人の責任を限定しておかないと、自分に責任がふりかかってくるおそれがある、(判例がないのではっきりとしたことはいえないが)、会計監査人と取締役と監査役とは一般的に連帯責任を負うので、取締役や監査役の責任が会社との関係で限定されていても、会計監査人の責任が限定されていないと、会計監査人は取締役や監査役に求償することができてしまう、賠償した後に求償できるのである、要するに会計監査人の責任まで限定しておいてもらわないと、特に社外取締役と社外監査役は会社から2年分しか請求されないけれども、会計監査人から「あなたの寄与分がかなりあるから払え」といわれたら、払わざるをえないわけである(ここで座談会の参加者の方々から「ほーー!」「これは興味深い!」と感嘆のお声がかかる。)

え!? ( ̄□ ̄;)  まぢですか? ( ̄▽ ̄;) ・・・・・

そういえば、私が社外監査役を務める会社は、会計監査人の責任限定も通しましたので問題はありませんが、社外監査役の責任限定だけ通して、会計監査人の責任限定については定款変更議案を通していない企業も多いと思います。この弥永教授の見解によれば、今後会計監査人の方々は、「私の責任限定も通さないと、みなさんの責任限定は意味がなくなりますよ」と説得する好材料になるわけですね。おそらく弥永教授の見解では、監査役と会計監査人との監査上の過失によって会社に損害を発生させた場合に、会社に対する賠償責任は不真正連帯債務の関係にたち、会社の監査役に対する免除の意思表示は相対的効力しかもちえないから、会計監査人は監査役の限定責任を超える範囲の責任は会社に対して単独で負うわけですが、もしこの責任を果たしたときには、過失の負担割合に応じて、監査人に求償できる(つまり、会社と監査人との間では責任限定契約が存在するが、この契約の存在は会計監査人には対抗できないので、判例でもし共同過失の割合が定められたとしたら、その割合分については監査役の責任を追及できる)というものであります。うーーーん、そういえば、こんなに深くは考えていなかったような・・・・。こりゃ、たいへんなことになってきたかも・・・・。

弥永教授曰く 「会計監査人の責任について研究している人があまり多くないから気づかれていないのですけれども、裁判所が採る可能性の高い解釈はこれなのです」

うーーん、これはヤバイかも。。。でも本当に会計監査人が賠償債務を履行した場合に、責任限定契約を締結している社外監査役は、会社に責任を負担する限度を超えて、その負担割合に応じて会計監査人に求償権を行使されてしまうんでしょうか?おそらく社外取締役や社外監査役の方において、そういった意識をお持ちの方はいらっしゃらないのではないでしょうか?私はどうも、この弥永教授のご見解にはすこしばかり反論したい気分になってまいりました。(ささやかなブログのなかであれば、おそるおそる著名な先生のご見解に反論することも許されるかと思いますので・・・・・)

1 弥永教授説の実質的な妥当性

座談会参加者から「ほー!」「それは興味深い!」と感嘆の声があがるほど、弥永説は意外な解釈ではないでしょうか。会社法が427条に規定する責任限定契約を社外監査役と締結するケースにおいては、おそらく社外役員の責任を軽減して、能力のある方になるべく社外役員に就任してもらおうとの意図があるはずです。また、情報収集能力に限界のある立場の社外役員であっても積極的に会社活動へ関与しやすいように、との趣旨もあるはずです。もし、監査役と会計監査人との連携において、監査行為に共同による軽過失が認められて会社に損害を与えた場合、責任限定契約を結んだことが無意味となってしまうのでは、この427条の制定されたことはほとんど無意味になってくるのではないでしょうか。そもそも、当事者の意思解釈として、関係当事者の誰もがこういった求償権の行使を予想しているとは考えられず、この結論は合理性があるとは思えないのです。また、この解釈によると、会計監査人だけではなく、一般の取締役が賠償責任を負担する場合においても、責任限定契約を締結している社外監査役にも軽過失及び負担割合が認められる場合には、その賠償責任を果たした取締役から求償権の行使を受けることになりますが、そもそも会社と社外監査役との責任限定契約締結に賛同した取締役が、契約の趣旨に反して求償権を行使できると考えるのは妥当でしょうか。私はどうも、実質的な結論の妥当性に疑問があると思います。

2 不真正連帯債務と債務者間の内部求償権に関する根拠

従来の我妻説をいわれるものは、不真正連帯債務の関係に立つ賠償債務については負担割合というものは観念できないのであって、求償権もないと言われていました。しかしながら最近の判例(最高裁判例平成10年9月10日 判例時報1653号101頁)などをみても、(判例及び最近の通説は)「当事者の公平の理念から」不真正連帯債務の関係にたつ賠償債務の債務者間に負担割合を認めるかどうかは、個々の具体的な事例にそって考えるべきであるとして、基本的に負担割合を認め賠償責任を履行した一部債務者から別の債務者に対する求償権行使を認める立場のようです。そもそも、債務者の共同行為による債務不履行(もしくは不法行為)で他人に損害を与えた場合に、その賠償債務が不真正連帯債務と解釈される理由は、過失の競合が、それぞれ寄与しあって最終の被害を発生させたのでありますから、被害者との関係ではそれぞれが全部責任を負担させるのが妥当であること(債務者間の公平は内部負担割合によって調整すれば足りると判断されてること 公正の理念より)と、被害者救済の思想(無資力の行為者の危険転嫁)によるものだと思われます。したがいまして、「当事者間の公平」を考えた場合に、たまたま債権者が連帯債務者のひとりに対して責任限定(免除)の意思を表示した場合に求償権行使まで制限されるとなりますと、(不真正連帯債務ですから、免除は相対的効力しか有しないとされますので)被害原因に寄与した者どうしの負担割合による責任返済の期待(これは債務者の法的利益といえましょう)を一方的に債権者が奪ってしまうのは不公平だという認識が働くわけです。つまり、上記の不真正連帯債務と解釈することで被害者への各債務者の全部履行責任を認める趣旨からすれば、被害者には「誰からでも全部の履行を請求できる」ことまでは認めるが、「誰がどれだけ負担して、全額を払うか」ということまでは選択させる必要はないということです。

3 会計監査人が責任限定監査役に求償権を行使できない法的理由

さて、そう考えますと、会社と社外監査役との責任限定契約が存在する場合も同様に扱う必要があるでしょうか。私は賠償責任が発生した後における債権者の責任限定(免除)と賠償責任が発生する前における責任限定契約とは明らかに事案が異なるものと思います。なぜなら事前に責任限定契約が締結されているケースでは、共同の過失行為によって損害賠償責任が発生した時点において、債権者には「誰がどれだけ負担して、全額を払わせるか」といった選択の余地はないからであります。逆に申し上げますと、会計監査人は社外監査役が会社との間で責任限定契約を締結していることは事前に承知しているわけですから、たとえ監査において共同過失があり、その過失の割合が認められるとしましても、負担割合に応じて負担すればいい、といった期待については保護する必要はなく、これを保護しなくても(会計監査人が全額負担を覚悟すべきことは十分予測可能であって)不合理とはいえないからであります。

こういった理由からしますと、会計監査人と社外監査役との不真正連帯債務として認められる部分は社外監査役の責任限定の範囲内のみであり、これを超える部分(これを債務とよぶか、たんに責任とよぶかは別として)については、そもそも会計監査人と社外監査役間において不真正連帯債務の関係にたつものは存在しない、したがって求償権の根拠となる負担割合というものも存在しない、と考えるべきではないでしょうか。

弥永教授のいろいろな論点に関するご見解、とりわけ会計と法律にまたがる論点を的確に解釈される素晴らしさにつきましては、いつもたいへん感服申し上げておりますが、どうも今回の責任限定契約と求償権負担に関わる論点の解釈にはちょっとご異議申し上げたいところであります。私の考え方に大きな勘違いがあるかもしれませんし、これはいろいろなご意見、ご批判がございますでしょうから、もっといろいろなブログで議論が発展すればいいなぁと。。。(たいへん稚拙な私の法解釈のお話を最後までお読みいただき、ありがとうございました)

7月 31, 2006 内部統制義務と取締役の第三者責任 | | コメント (4) | トラックバック (2)

2006年7月28日 (金)

取締役会上程基準は開示すべきではないか

王子・北越のTOB紛争のほうにばかりエントリーが偏ってしまいまして、すっかりパロマ事件に関するフォローをさぼっておりましたところ、ろじゃあさんや、kitiomuさんが立派なエントリーをお出しになっておられて、(しかし、ろじゃあさんのエントリーは過去のパロマの裁判判決にまで遡って新たな問題点を見つけてこられて、スゴイですね。kitiomuさんのエントリーはアメリカの製造物責任論にまで言及されていて、・・・・・こういった労作を無料で読めるのがブログのいいところかな・・などと思いつつ 注 このブログ右のトラックバックをご参照ください)もはや私のフォローさせていただく余地もなくなってしまったような気もしてきました。

ただ、今日(7月27日)あたりの新聞報道を読んでおりますと、パロマは非上場企業ではありますが取締役会を年1回程度しか開催しておらず、経営上の重要事項については実質的に社長に近いごく一部の経営陣によって決められていたようなことが報じられております。(取締役会40年機能せず 「昼食会兼ね取締役会」一転「別室で」 読売)そういえば以前、西武鉄道についても7年間、取締役会は開催されていなかったことが明らかになりましたが、こういった明白な商法違反の恒常化が、取締役間の情報共有化を阻害し、今回の被害拡大につながった、ともいえるのかもしれません。

このブログでは、ちょっと前から「常務会」「執行役員」についてスポットを当てたりしておりますが、「取締役会」については開催したことがない、という企業はそんなにあるわけもないと思いますが、ほとんどの重要案件は常務会や経営会議で審議してしまって、総務部のほうで段取りしてもらった招集通知をもとに、ちょこちょこっと形式的に取締役会を開催してしまっている企業もけっこうあるんじゃないでしょうか。今回のパロマの事件もそうですが、取締役会の意義として、各取締役の監督機能を果たすための情報共有化ということが言われますが、そういった共有化のためには執行担当取締役のきちんとした報告が取締役会でなされることが不可欠だと思われますし、もしそういった情報共有化の努力が取締役会でなされていないとすれば、結局は今回のパロマと同じように、重要な事実を取締役が知らなかった、といった事態が想定され「取締役会が開催されていなかった」ということと、あまり変わらない運用になってしまっているようにも思われます。

金融検査マニュアルなどを見ましても、銀行の意思決定の迅速化をはかるための常務会や経営会議の存在意義は認められておりますし、たとえ会社法に規定がなくても、現実の上場企業における常務会、経営会議が経営効率化のために寄与していることについてはこれを認めざるをえないと思います。この5月に各上場企業から出されました内部統制システムの基本方針におきましても、取締役の職務執行の効率化をはかるために常務会や経営会議で十分審理したうえで取締役会の上程することが書かれておりますし、常務会というものの存在自体、会社法の期待する内部統制システムの整備内容としても認知されたものではないかと考えます。ただ、だからといって取締役会の形骸化を許容するわけにはいきませんので、きちんと取締役会の場において、構成員たる取締役らにおいて重要情報の共有化がはかられているかどうか、チェックできる仕組みというものも、企業不祥事防止(コンプライアンス経営)のためには必要ではないでしょうか。

ということで、私的には、取締役会で何を決めるべきか、何が報告されるべきか、といった上程基準、報告基準なるものを(おそらくこのたびの会社法における内部統制システム整備事項としてそれぞれの企業で決議されたでしょうから、今の時点では各社保有していらっしゃると思いますが)内部統制システムの整備事項として開示すべきだと考えます。開示すべき、ということは、なにも常務会の機能の一部を取締役会に移転せよ、ということではなく、個別の企業が、いったいどういったリスク管理体制を考えているのか、取締役会上程基準をみると評価が可能になるような気がします。もちろん昭和48年の最高裁判例(取締役の監視義務に関する指針となっている判例)同様、取締役の監視義務の範囲が上程基準によって画されるというわけではなく、上程されていること以外に広く及ぶということは認めるのですが、その会社がいったい何を重要と把握して、なにを重要ではないと考えているのか、その経営方針が理解できるでしょうし、また株主や従業員、債権者、メインバンク、消費者など、その企業がステークホルダーに対してどういった優先順位をつけているのか、といった方針についても認識できるように思います。また、それほど詳細な基準でなければ、重要な企業秘密を公開してしまう、といったおそれもないと思います。

このたびの会社法における内部統制システムの整備運用については、そのシステム自体が第三者から「見える、わかる」ものでなければいけないはずですし、経営の効率化(常務会の活用)と、コンプライアンス(取締役会における情報共有化)の調和点を求めるにあたって、取締役会上程基準の策定とその開示は不可欠ではないだろうか、と思う次第であります。(そういえば、このたびの新会社法によって取締役会の存在しない株式会社というものが認められましたが、そういった会社の取締役の監視義務というのは、なにを根拠に認めることになるんでしょうかね?たしかいままでは取締役会の監督機能というところに根拠をもってきましたが、さて善管注意義務かな?いや、それだと取締役会設置会社でも、同じところに根拠を求めないといけないか・・・・・)

7月 28, 2006 「執行役員」「常務会」を考える | | コメント (11) | トラックバック (1)

2006年7月26日 (水)

王子と北越は本当に敵対的なのか?

(7月26日お昼 追記あり)(7月27日 お昼 追記あり)

辰のお年ごさんより、ひさしぶりにコメントをいただきました。「王子製紙と北越製紙、敵対的TOBと色づけされていますが、本当にそうなのでしょうか?・・・・・・」いや、私もまったく同感です。王子製紙、北越製紙、三菱商事それぞれの記者会見の報道などから、「新たな敵対的M&A時代の幕開け」「大企業による企業買収への道」といった見出しが躍り、もはや王子製紙が北越製紙に対して敵対的TOBを仕掛けることへの期待感は(世間的に)高まっているかのようであります。野村證券が日本の証券会社としては初めて王子製紙側のM&Aフィナンシャルアドバイザーに就任した、とのことですから、普通に考えますと王子側に分があるようにも思えますね。しかしながら、王子製紙側の全社的リスク管理といった観点から考察してみますと、本当にこの騒動は「敵対的」に進むのかどうかといいますと、私は随分と懐疑的でありまして、やはり(最初のエントリーでも書きましたが)どっかで和解的な解決が図られるのではないかと予想しておりますし、その和解的解決の指導も含めた野村證券のアドバイスが期待されているのではないか、と思うのであります。

「会社は誰のものか」といったM&Aの本論に戻るような言い方になってしまいますが、やはり連結ベースで従業員数2800名にも及ぶ北越製紙を傘下に収めるにあたって、敵対的買収による北越従業員のモチベーションの低下というものは相当大きいのではないかと思います。製紙業界は2000年に入ってからも、相次ぐ人員削減によって厳しい労働環境となったはずで、そんななか北越製紙は苦労して採算改善をはかり高収益企業に好転させてきたわけで、また将来の北越製紙のために新潟の軽量コート紙生産設備も開発させたのはずです。おそらく経営陣が保身目的によって敵対的買収防衛策に走ったとしても、従業員だってそれを知りつつ経営陣に賛同するのは当然ではないでしょうか。いままで、こういった実業ベースでの経営統合というものは対等合併、しかも相当に対等性に気を使って統合を図った例くらいしかシナジー効果を上げていないわけでして、上場企業を吸収合併するにあたり、対等性なくして成功させるのはまず日本では無理ではないか、と私は素直に予想します。

価格競争のライバルを一社でも少なくして紙業界における価格安定を図ることや、中国市場を欧米列強製紙会社の寡占から解放するために、中国ビジネスのリスク低減を図ることは、日本全体の製紙業界を守ろうとする王子製紙の高い志のあらわれでしょうし、だからこそ野村證券もこれを支援するに至ったであろうことは私もたいへん理解できるところなのですが、それで「力ずく」の方法を用いることは、シナジー効果どころか、せっかくの良質な上場企業のパフォーマンスを減少させてしまうだけに終わってしまいませんでしょうか。支配権プレミアムというのは、その企業の将来的な価値を現在価格に引きなおして算出されるものだと理解しておりますが、そもそも将来的価値というのは、買収されたほうの企業の従業員のモチベーション低下といったことをどこまで加味しているのでしょうか。とりわけ今回のように、業績が好調な企業の場合、その従業員も企業に対する思い入れもあるでしょうし、ここまでの道のりで削減されていった仲間達への思いや、その分過重となった労働への思い入れなど、経済的な対価関係だけでは割り切れない意識というものがあるはずです。こういった抵抗を残したまま統合を敢行しても、たしかにライバルの数を減らすといった目的は達成できるかもしれませんが、王子製紙の目指す国内市場のスクラップアンドビルドは絶対に達成できないと思うのですが、いかがでしょうか。

王子製紙が筆頭株主である中越パルプと三菱製紙との合併合意は、昨年わずか発表から3ヶ月で白紙撤回されましたが、これは三菱製紙側の関連会社の社員95パーセントの反対署名によるところが示すとおり、社員の猛反発によるもののようです。(ニッセイ基礎研究所の報告による)これまでの投資ファンドや新興企業による敵対的TOBと異なり、今回は伝統企業による業績の良い企業に対する買収ですから、やはり「企業はモノでなく、ヒトである」という論理が教科書的に妥当するケースだと思います。だからこそ、王子は北越製紙との統合においては(最終的には)敵対的であってはならないと思いますし、リスク管理として、敵対的に買収するのであれば計画を撤回すべきではないか、と思う次第であります。(ここまで苦労をともにしてきた従業員の人たちの前で、これからの荒波にもまれようとしている北越企業の舵取りをする経営陣たちが、たとえパフォーマンスであっても、毅然と大企業に立ち向かう姿勢を見せなければ、経営陣として失格だとは思いませんか?どこまで、その姿を見せ続けるべきかは、まだ私にもわかりませんが・・・・・)

(7月26日お昼 追記)

昨夜は記事を見落としておりましたが、北越製紙の買収防衛策導入に関する東証への事前相談の際、直前に統合提案を受けていたことを東証側に情報提供していなかったようです。(東証の社長はこれに不快感を表明した、とのこと 朝日新聞ニュース)少しずつ事実関係が明らかになってきますが、やはり王子製紙からの統合提案については、東証や三菱商事に事前に告知せずに第三者割当決定や買収防衛策導入に踏み切った、との報道は正しいようです。今後の事件の動向に若干影響を及ぼすような内容かと思いました。

(7月27日お昼 追記)

本業がバタバタしているため、きちんとしたエントリーもできず「追記」で処理しておりますが、毎日ニュースによりますと王子製紙は三菱商事が増資の合意を撤回しない場合でもTOBを開始する方針を固めた、との報道がされています。これは差止請求のための下準備とみるべきか、それとも三菱商事が撤回しやすいような道を作った、とみるべきか、それとも報道にあるように「断固、闘う」という熱い意思表示とみるべきなのか。いずれにせよ、ヤマ場が来るような予感がしますね。。。

7月 26, 2006 王子製紙・北越製紙へ敵対的T0B | | コメント (12) | トラックバック (1)

2006年7月25日 (火)

王子製紙・北越製紙統合問題と競争制限

私は大阪のインディーズ系弁護士ですので、M&Aの専門家でも、独禁法の専門家でもございませんが、たとえばもし私が北越製紙の社外役員の立場であれば、三菱商事と提携したほうが企業価値が向上するのか、それとも王子製紙の子会社となるほうが企業価値が向上するのか、わかりやすい説明を株主に対して行わなければならないわけですし、なにか大きな決断をする場合には、株主の代弁者として行動しなければならないわけですよね。

そこで、どういった視点で検討すべきなのか、ということですが、もちろんTOB価格と時価との比較も大切かもしれませんが、支配権プレミアムはとるべきなのか、それとも一般株主のプレミアム取得の機会を減少せしめても三菱商事との提携をとったほうが有利なのか、そのあたり判断根拠となりうるような、なにかいい基準はないものでしょうか。事前審査制度があるために、独禁法違反に関するリスクはあまりないのかもしれません。しかし、競争制限が製紙業界に及ぼす影響をきちんとみておくことは必要ではないでしょうか。北越と王子が統合されるような事態に至った場合、水平的な競争制限が発生します。しかし、ここ10年ほど製紙業界は値引き競争が激化して値崩れが発生し、どこかの大手製紙会社が音頭をとって、また製品の値上がりを成功させる、といった状況がみられたようでして、競争制限には厳格な対応が必要だったのかもしれませんが、東南アジア経済圏からの輸入が活発化したことで、もはや内需との関係から日本における競争制限だけを規制していても、独禁法のめざす成果を期待することはできなくなってきた、さらに製紙業界全体の活性化のために海外における市場獲得を目的として国際競争力をつける必要性も認められることから、あまり水平的なところでの競争制限的な対応はとるべきではないようにも思えます。

いっぽう三菱商事が正式に北越製紙を傘下におさめて、原料から製品製造、営業までを一気にまとめるような場合には、いわゆる垂直的な合併に近い状況に至るために、北越の経営効率化は格段に高まるものと思われますが、一方で製紙業界に原料供給という面で競争制限が働くこととなり、業界全体の利益という点からはマイナスに働く要素となるのではないでしょうか。今後、中国市場の覇権を日本製紙グループや王子製紙など比較できないほどの大きな欧米企業と争うことになるわけですから、ここはぜひ一企業の内部問題ということではなく、日本の製紙業界の将来にとって北越製紙はどう対応すべきか、という視点も(社外役員にとっては)大切ではなかと思います。このあたりはまったくの素人考えなので、またご教示ください。

きょうもいろいろと動きがあったようですが、まだ今後交渉の経過がどうなるのか予想もつきませんので、備忘録程度に自分なりの問題点と思われる点を書きとめておく程度にしておきます。

7月 25, 2006 王子製紙・北越製紙へ敵対的T0B | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月24日 (月)

王子製紙、北越製紙へ敵対的TOB

王子製紙の中国進出のためのビルドアンドスクラップ政策のためには、規模の大型化と国内基盤の整備が不可欠でしょうから、統合提案というのも理由があるように思われますが、北越製紙としては統合提案を拒否し、三菱商事による資本参加の道を求めているようです。

王子製紙、北越製紙へ敵対的TOB(日経ニュース

王子製紙のTOB実施は、三菱商事との提携撤回を条件としているようですから、北越製紙の一般株主に支配権プレミアム35%の価値を取得させる機会を失わせてでも、三菱商事との提携を選ぶことの合理的な説明を北越製紙の取締役が一般株主に説明できるのかどうか。ひょっとすると、基礎的な事実関係が変動するかもしれませんし、まだなんともいえない状況ですね。

しかし、王子製紙と三菱商事は、共同出資によって世界一の環境保護のための森林管理企業を作っているくらいですから、国策的にも両社が禍根を残すような紛争を起こすことはありえないのではないでしょうか。むしろ、欧米の大規模な製紙企業がアジアに進出している現在、日本企業間で紛争をしている余裕はないでしょうから、行政の介入はあっても、司法判断に至るようなケースにはならないと思っております。もちろん、王子と北越、それぞれに感情的になる経緯はあると思いますが、三菱製紙さんとの関係も含めて、どっかで和解的解決が図られるものと予想しております。

7月 24, 2006 王子製紙・北越製紙へ敵対的T0B | | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年7月23日 (日)

コンプライアンス経営はむずかしい・・・(完)

2週間ほど前に「コンプライアンス経営はむずかしい・・・」をエントリーしまして、その2も追加したところでずいぶんと時間が経過してしまいました。やっと(その3)で完結いたします。このシリーズには、いろいろなご意見を頂戴しまして、私自身も支店長への処遇問題と、役員らに対する評価、そしてこれらを社内でどう公表すべきか、委員会において何度か検討してまいりました。

7月19日にbunさんよりいただいたコメントも傾聴に値するところが多いと思います。「内部統制」というのは、たしかに「人が人を裁く」とまでは申しませんが「人が人を評価する」ことにつながる組織作用ですよね。いままで権力をもったことがない人が、突然権力を持ち、これを行使することの「恐ろしさ」というものは、これまでにも私もこのブログで2度ほど指摘したところであります。統制が有効かどうか、といった経営者の評価にしても、監査人による監査にしても、結局のところ、現場責任者に対するヒアリングなどを元に決めるわけですから、そこには現場責任者の評価やヒアリングした人の(ヒアリング結果への)評価の問題が横たわっているわけですね。考えてみると、この「評価の客観性」といったものはどうやって担保されるんでしょうか。内部統制システムの構築運用のプロなんて、そんなにいるものではありませんし、おそらくどんなに実施基準を客観的に定めてみても、そこに評価する人間の主観を排斥することはできないと思います。内部統制システム構築の重要性といったものは理解しているつもりですが、そこにはこういった「頼りなさ」も併存していることを肝に銘じておきたいところですね。(IT統制ということも、いま金融商品取引法において問題になっているのは、経営者によるITコントロールの評価問題ですから、同じ問題意識が必要でしょうね)その企業で社内常識として慣行化されている組織活動をできるだけ受け入れて、つまり新しい理屈(理論)はなるべく謙抑的に行使して、あまり杓子定規に内部統制のマニュアルを社内にはめこまないようにすべきなのかもしれません。

さて、このたびのエントリーにつきましては、何名かのロースクールの先生方からも有益な示唆をいただきました。(どうもありがとうございます)まずは、当該支店長および担当取締役の行動形式に疑問がある、とのご指摘です。通常は本件のような場合(新規取引先の開拓)、まず支店長に取締役会上程事項があれば、常務会でいろいろと審議するはずであって、突然支店長が担当取締役の意向を無視するとしても、常務会を飛び越えて取締役会に上程することなどできるのであろうか、との疑問を呈しておられます。ご指摘のとおりだと思います。ただ、この会社は経営会議は実質的に取締役会で行い、毎月1回数時間かけて支店長クラスの提案であっても実質審理を取締役会で行います。(非上場、上場の区別については触れないでおきます)前回のエントリーでも言及しましたが、常務会というところで実質的な経営会議が開催されるのが通常ですから、すこしめずらしい部類に入るかもしれません。まぁ、経営陣としても、支店長と担当取締役との事前協議に絶大なる信頼を寄せているといってもいいかと思いますが、ほかの取締役もおそらく事前協議がなされていたものと、あたりまえのように認識していたようです。(私はその場におりませんので、これは推測にしかすぎませんが)

そして、もうひとり、商法学者の方のご意見ですが、「結果がよければ不問にふすことはありえない選択肢であると思います。しかし、柔軟な対応はありうると考えます」「私が経営トップであれば、ルール違反者を処分するとともに、ルール違反が出ざるを得なくなったような会社の意思疎通の悪さ、保守的な稟議の実情について、改善の意思表明を行い、改善計画を策定します。ルールをまもって行動することが、会社の利益や社員のやる気を損なわないことを明らかにすべきと思われるからです。」「おそらく経営トップの方にそのような考え方を進言することは、平取締役にとって難しいだけでなく、山口先生のような外部の専門家にとっても困難なことだろうと推測いたします。ですから以上は机上の空論です。ただ、それ以外の行動が違法だとは思いたくありませんが、理想を完全に無視することも、私には気持悪く感じられます」

先日の全国社外取締役ネットワーク関西地区勉強会の際、私はある大手商社の元専務取締役だった方に、「どんなに人格者の社長であっても、長い間トップに君臨していると、自分の耳に心地いいことを言ってくれる人を近づけて、不快なことを言い続ける人を疎ましく思うようになる。そして、気づいたときには、もう周りには自分に対するイエスマンしかいなくなってしまって、結局、現場の大切な声が周囲からも聞こえなくなるもんです」と伺いました。いや、これが会社の現実の姿であって、本当に商法学者の方が指摘されるように、経営トップに対して(業績がそんなに悪くもないのに)改善策を進言するのは非常にむずかしいのです。ましてや、今回のような会社に実質的な損害が発生していないどころか、支店長の暴走(内規違反)による新規顧客開拓があたって、過去最高の利益を計上し続けている、といった状況のなかで、問題の原因のひとつである取締役会の意思疎通の悪さを改善することについては、非常に困難のともなうところであります。

しかしながら、これだけスピード経営が要求される現代において、企業の全社的リスク管理の基礎は社内における意思伝達経路の健全性ではないかと思います。たしかに、この支店長は短期的には多大な企業価値の増加をもたらしたことは認めます。しかしながら、結果が良好であることで内規違反を不問に付すような対応が社内常識になってしまいますと、リスク管理といった面においては大きな汚点を残すことになり、経営トップにおける行動規範の無視、といった評価にもつながってしまうことになります。これは持続的な成長をはかるための企業の力の減退、つまり長期的にみた企業価値の低下をもたらすことだと認識しておりまして、やはり当該支店長への会社としての厳格な対応は否定できないものと思います。一番最初に申し上げたように、たしかに「社内常識」への内部統制思想による挑戦は、一時的には士気の低下を招く部分もあるかもしれませんが、やはりここは「社内公表」に工夫をすることによって、内部規律の確保(そして内部規律を守る意識の浸透)をはかるべきだと考えております。(行動規範を無視した成功は、当社の成功とは考えていない、とまで言い切っていいと思います)また、社内公表には、私も経営陣における意思疎通の悪さを十分指摘する必要があろうかと思いますので、辛口の意見にはなりますが、コンプライアンス委員会による意見として、社内に調査意見を併せて公表していただくよう、要望することにいたします。(やっぱり、この役回りは第三者的立場にある私のような人間でないと、おそらく社長は素直に聞いてくれないようですので)

刑事告訴という点は、まだ私のなかでくすぶり続けているものの、あまり積極的な意見は述べず最終判断を経営陣に委ねることとしました。この支店長が潔く、この業界から身を引き、まったく別の世界で生きていくことが決まったことも、その要因になるかもしれませんが。「経営陣の意思疎通の悪さを改善する」・・・・、これは今後の内部統制システム構築と運用が叫ばれる時代において、遠くて近い、永遠のテーマかもしれません。また、一つ前のエントリーでも書かせていただいたことと通ずるところがありますが、「社内力学、つまり社内で不可避に生じる人間関係の錯綜にも耐えうる内部統制のあり方」、これも今後の内部統制構築に関する議論のなかで、きちんと検討すべき課題ではないかと考えております。みなさま、いろいろと貴重なご意見をいただき、勉強させていただきました。あらためてお礼申し上げます。  (完)

7月 23, 2006 コンプライアンス経営はむずかしい | | コメント (1) | トラックバック (1)