証券取引の世界と行政法理論
先週金曜日の「定款変更議案の分割決議」には、胡桃さんやpipiさんなどから有益な情報、ご意見を頂戴しまして、どうもありがとうございました。企業年金連合会から先週末に出されました「2006年株主総会インハウス株主議決権行使結果について」などを読んでおりますと、今年の株主総会で定款変更議案につき、実際に分割決議(提案の分割?)を行った企業は26社ほどあったそうですから、今後も各企業において導入が検討されていくんではないでしょうか。定款変更議案が可決された企業におきましても、神戸製鋼所のように結果として66,9%の賛同、総会議場において投票用紙を出席株主に配って、5時間半にわたって採決を行ったところもありましたので、大口株主への事前説明とともに、定款変更目的ごとに一般株主へのわかりやすい説明も必要になってくるのではないか、と思います。(ちなみに、2日の神戸新聞日曜版に私の「神戸製鋼所のデータ改ざん問題への意見」が顔写真入りで掲載されております。ご覧になられた方は、またご批判含め、ご意見お待ちしております)
さて、皆様すでにご承知のとおり今年6月14日に金融商品取引法が公布されまして、今後の証券取引規制における証券取引所のあり方、証券業協会のあり方、直接上場企業と接する立場にある証券会社の内部統制のあり方などが活発に議論されるようになっております。この6月30日にも、証券会社の市場仲介機能等に関する懇談会の論点整理が公表されました。なお、証券市場を開設する取引所を巡る諸問題への対応につきましては、「証券取引所のあり方等に関する有識者懇談会」というところが別途検討中であります。金融システム改革による各種自由化と事前規制の廃止という風潮のなかで、市場ルールの適正化、市場取引の活性化のために、法律による参加者の規制というよりも、市場参加者らによる自主規制によって市場の公正性を実現しようとの関係当事者らの強い意欲のあらわれだと認識できます。「みんなで違法行為をしたら怖くない。摘発されたら運が悪かったと思ってあきらめよう」といったエンフォースメントからみた「グレーゾーン」をできるかぎり撤廃し、「まじめにコンプライアンスルールを守っている企業が損をしない」世界を作るためには、証券取引の世界における自主規制ルールの強化については、私は賛成したいと思っております。ただし、何度かこのブログでもテーマとして掲げたことがあるのですが、自主規制の強化による市場の公正性の維持、強化が正当性を主張できるのは、規制する主体の行動が完全に正しいことであることが前提であります。その「正しさ」を、いったいどこで担保するのか、という議論も、自主規制強化の議論のなかで、あわせて検討されなければいけない、というのが持論であります。
以前、私はこの「正しさ」の正当性を法律による委任という民主主義社会における法源との関連性に求めようとしました。そして、今回は別の面から考察してみたいと思います。つまり、金融商品取引法が証券取引所や証券会社、証券業協会などに期待するところからすれば、その自主規制の規制主体であるそれらの団体の規制目的は、かなり公共性の高い目的によるものであって、したがって、いわゆる行政裁量論を勉強するときに出てくるような一般原則、たとえば比例原則、平等原則、規制目的の適法性審査、規制に関する考慮要素の検討(他事考慮、考慮要素不足)が規制主体に厳格に要求されるのではないか、といった論点であります。もちろん、こういった原則は本来憲法上の人権問題と関連するものであることは当然でありますが、上記のような団体は、一面においては純粋な営利団体であるが、一面においては本来国が持つべき権限を、事後規制社会への変容のなかで移譲されていると考えられるのであって、これからの自主規制主体の正当性を担保するためには、行政裁量論をこういった世界に応用することで規制主体と規制される上場企業との関係のバランスを図るには有益だと思われるからであります。自主規制する側におきましても、専門技術性や迅速性、高度な政策性といったことからくる「広い裁量」が認められますし、また規制される側におきましても、裁量の濫用や逸脱といった点を争う機会を付与されて、司法判断やADR(裁判外紛争処理機関)で規制対象の行動の正しさを精査することが可能となるわけです。すでに、自主規制の浸透している世界における行政裁量論の検討ということは、証券取引の世界以外では先駆的に議論されているところもありまして、また各論的なところは別の機会にご紹介したいと思います。
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