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2006年9月29日 (金)

続・Eメールと堀江氏の刑事裁判

夕方、私が副幹事長をしている弁護士団体の先輩副幹事長よりメールが届きました。「二回試験(司法修習生の卒業試験)で107人も落第者が出た!当会関係事務所でも誰か採用予定者に該当者がいないか確認して」とのこと。いやいや呆然、唖然・・・・・。落第者が107名・・・・・・ですか?(朝日ニュースはこちら)信じられませんです。私のころ(42期)は、不合格者はゼロですし、それが当たり前のような時代でしたので、いくら合格者が3倍程度(1500名)になったとしましても、最高裁は司法修習生に対して厳格になったとしか言いようがありません。とりあえず追試組の方、少しばかりバッチをつけて法廷に立つ日が遅れますが、どうか追試はここ一番、死ぬ気で頑張ってください。

半数程度の方が「刑事弁護」科目で及第点に達しなかったとのことですが、これも意外ですね。「知識」ということよりも「センス(結論の妥当性とか、弁護人としての基本的な訴訟活動のあり方)」に若干問題があった、ということでしょうか。私もあまり「センス」においては偉そうなことは言えない弁護士ですが、先日「Eメールと堀江氏の裁判」をエントリーいたしましたが、ここのところ宮内氏の証人尋問が続いておりまして、やはり前回エントリーでの予想どおり、宮内氏は検察側から事前に聞いていなかったような(堀江→宮内)メールを弁護側から証拠として提出され、どうもうまく証言ができないようであります。おまけにライブドアの不透明な利益の一部を宮内氏が流用していた事実まで認めてしまっており、弁護側としては最高のパフォーマンスを出しているのではないでしょうか。情報通の方の話では、すでに裁判長も、宮内氏の証言に対してはかなり懐疑的に受け止めているようでして、このままだと検察側も苦しいのではないか、と考えても不思議ではないような気がします。

ところで、前回のエントリーでは、「共謀」とは個々具体的な話し合いの内容や、話し合った日時場所の特定、犯行の分担など、詳細な事実認定が必要と書きましたが、もうすこし深く検討したほうがいいようにも思えてきました。「Aをどついたろか」と共謀した甲と乙のうち、乙がAだと思って殴った相手が実は別人であるBだったという場合、はたして謀議に参加した甲には、暴行罪の共謀共同正犯が成立するのでしょうか?甲と乙が「誰でもええから、あそこにいてる奴らの誰かをどつこ」といった謀議だった場合には、乙が誰かを殴って帰ってきた場合に暴行罪の共同正犯が成立することはまちがいないと思いますが、先の例と差異はあるでしょうか。もし差異があるとすれば、たとえ宮内証言がふらふらしていたとしても、検察有利は動かないような気がしますね。

本件は偽計取引とか、粉飾決算が問題となっているケースですから、どういった手法を用いるかということよりも、どんな手段であれ健全な株式市場の価格形成機能を歪めること自体が犯罪性が認められます。偽計という文言からは、その具体的な手法までは特定できませんし、また粉飾決算というのも、その粉飾にいたる方法については具体的に明示されておりません。したがいまして、ある保護法益を侵害することに向けられた共同謀議が認定されれば、その手法についてはそれほど個々具体的な内容まで意思の連絡が認められなくても共謀があった、と裁判所が認定する可能性が十分あるように考えます。これまでの弁護側の戦略はすばらしいと思いますし、100%の力を出し切っていることは当然だと思いますが、宮内氏が主導的な立場であって、堀江氏はスキームを十分理解していなかった、という図式が浮き彫ったとしましても、悲しいかな元来証券取引法上の刑罰規定はいずれも、その構成要件事実があいまいなものであります。したがいまして、市場の価格形成機能を歪める行為によって、ライブドアの利益を図ることが目的とされているのであれば、ある程度あいまいな謀議内容だとしましても、全体としてみると堀江氏にも法益侵害に関する謀議があったと認定されることになるかもしれません。(つまり、先にあげた例でいいますと、誰かあいつらのひとりを殴ろう、と謀議をして、実際にどうやって殴るか、誰を殴るかといったことをそのうちの一人が考えて、これを実行に移したような場合、謀議の内容は曖昧なものかもしれませんが、おそらく共謀共同正犯が成立する、という考え方)

もうすこし、宮内証言の続きを検討してみたいと思います。

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2006年9月28日 (木)

株主代表訴訟と監査役の責任

ダスキン控訴審判決(問題の整理編)に、監査役サポーターさんから、コメントをいただきまして、私も勉強のために少しばかり調べてみました。(コメント、ありがとうございます)

1 株主代表訴訟で監査役の責任が認定されたのは、おそらくこれが初めてのケースではないかと思いますが、どうなんでしょうか?(破産会社について、破産管財人が提起した訴訟では前例があったように思いますが。)

監査役も会社に対して善管注意義務を負う立場にあるわけですが、その責任が認められた判例というのは(すくなくとも上場企業という限定でいいますと)非常に少ないように思います。破産管財人が提起した訴訟とおっしゃっているのは、会社更生手続中の会社に関して、更生手続開始前3年間に違法配当を行ったにつき、取締役、監査役の責任が問われた事例(判例時報854号43頁)のことではないか、と思われます。(東京地裁決定昭和52年7月1日)いわゆる粉飾決算の内容について、適法適正なものと報告したことが監査役の任務懈怠と認定されたもの(35億円を取締役と連帯して支払う)です。

ただ有名な大和銀行事件につきましても、ニューヨーク支店に往査に出かけた監査役に対して、大阪地裁の判決は当時の会計監査人の財務省証券の保管残高確認方法が不適切であったことは、往査に出向いた監査役は当然に知りえたものであって、その検査方法の不備を看過した点においては当該監査役は任務懈怠の責を負うものと判示されております。(ただし、任務懈怠による損害の範囲が証拠上確定できないとして請求は棄却されておりますが)

2 この訴訟では、社内・常勤監査役は、何故被告とされなかったのでしょうか。この社外監査役は、弁護士で事件の調査にもあたったから被告とされたのでしょうか。(つまり、監査役として、というよりも、関係した弁護士がたまたま監査役で、代表訴訟の土俵に乗っかった、ということに過ぎないのでしょうか。)

判決文を原審、控訴審と読み直しましたが、いずれも「なぜ常勤監査役が被告に含まれていないのか」を裏付ける事実関係は掲載されておりませんでした。これは裁判所の判断とは関係ありませんので(もともと被告として選定されていない。代表者に不祥事の即時公表を強く勧めた当時の社外取締役さんもそうですが)、原告株主の意思を推測するしか方法はないわけでありますが、おそらく監査役サポーターさんと同趣旨の見解からではないでしょうか。代表訴訟を提起する時点における株主の方々の情報は限定されていると思いますが、積極的に不祥事を隠蔽することに加担した人は誰か、といったあたりから、当該社外監査役が被告としての地位に立つべしとされたのではないかと思われます。そもそも、社内で違法添加物混入肉まんが売られていた、といった噂が蔓延していたころに、社外取締役のおひとりの提言で調査委員会が発足し、当該社外監査役の方は、その調査の中心的役割を果たされたようです。その調査において判明した事実からすれば、当時、公表を遅らせることに関してのリスク判断は十分可能であったとみなされたのではないでしょうか。ただ、取締役会で正式に調査報告がなされたのが、匿名による不祥事通報がなされる半年も前ですから(事実認定は控訴審判決内容に基づく)、当該取締役会に出席していた他の監査役にも、経営判断を行う立場にはないにしても、なんらかの責任が生じるようにも思えますね。このあたりは、判決のなかで判断が示されているわけではございませんので、これ以上はなんとも申し上げようのないところではございますが。(もし、このブログをご覧の方で、詳細経緯をご存知でしたら、差しさわりのない範囲でご示唆いただけますと幸いです。)

先の大和銀行事件におきましては、なかなか厳しいものがございますが、一般的にはこれまでの監査役に対する判例の立場というのは比較的寛容だったのではないでしょうか。(ひょっとすると、代表訴訟において提訴請求の関係などから、監査役が被告に選定されにくかった、という問題もあるかもしれませんが。事実、ダスキン訴訟におきましても、原告株主は当初、提訴請求の相手方を間違っていたようです)それはやはり、現実の会社における監査役の立場だとか、現実の職務などからして、「経営判断に監査役自身が関与している」と同視しうるような場合以外にまで、監査懈怠というのを真正面から問うことはしなかったんじゃないか、と思います。ただコーポレート・ガバナンスの開示(監査役の資質の情報開示)や、内部統制システム構築論の進展(相当性判断)、会計監査人との連携強化の必要性など、最近の監査役を取り巻く監査環境の変化から考えますと、これまで同様、監査役の責任について裁判所は寛容であるかといいますと、そういうことはないような気がします。

また、社外監査役に弁護士とか公認会計士など、いわゆる法務財務の専門職の人間が就任しているケースでは、その責任が認められる確率というのは高まるのかどうか、これも重要な問題ですね。(予測可能性が一般の常勤監査役よりも高まるわけですから、注意義務違反というものも認定されやすくなるような気がします)さらに今回は、代表訴訟と監査役の責任ということで論じましたが、代表訴訟と社外取締役の責任という点でも、また別個の論点を提示することが可能かと思います。たとえば、ダスキン事件のケースでは、先の「公表を強く勧めた」社外取締役は被告に含まれておりませんが、社外取締役としては、どこまでのことをやっておけば善管注意義務違反に問われないのか、本件のように文書で代表者に反対意見を送っておけばいいのか、取締役会の議事録にきちんと反対意見を留めることが必要なのか、辞任しなければいけないのか、自ら進んでリスクを背負って公表しなければいけないのか・・・・などなど。

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2006年9月27日 (水)

塩崎官房長官と公開会社法制の行方

安部首相誕生と同時に、塩崎恭久氏が官房長官に就任されました。(たしかご子息は東京の大手法律事務所で弁護士をされていますよね)昨年、ある会合で一度だけ、塩崎センセイとお会いした(といいましても、1分くらいの立ち話ですが)ことがありますが、日銀ご出身のスマートさと共に、精力的で、朗らかで、「ひとりで4人分くらいの仕事しているんじゃないのかなぁ」と思わず驚嘆した記憶があります。おそらく世間の関心は、拉致問題担当のほうにあるのではないか、と思いますが、私も一昨年くらいから、ずっと塩崎氏の発言をフォローしてきました。(関連エントリーはこちらです。もう1年ほど前のエントリーですが)私は拉致問題担当というよりも、この方の会社法制、会計制度へのグローバルな考え方にたいへん興味を抱いておりまして、安部首相とも非常に近い関係にあり、かつ官房長官といった地位からしても、今後ますます日本の公開会社法制度が、この方の考え方に近い方向へ動き出すのではないかといった予感がいたします。そもそも、新会社法の要綱試案には「内部統制」といった言葉はどこにもなかったわけでして、この方が委員長を務めておられた委員会からの提言によって、ある時期の法制審議会で、ほぼ異論のないままにサクっと、「内部統制の会社法における規定化」が導入されてしまった経緯もあります。(これは旬刊商事法務で、江頭教授の論稿を読んで知りました)

政治が法律の世界に力を持つことの是非はともかく、この塩崎新官房長官のHPにおける政策提言(我が国の企業統治、企業会計制度のさらなる強化に向けて    リーダーシップを持つオープンな日本へ)などを読んで、今後の公開会社法制の行方をうらなってみると・・・・・・・・・・・

上場企業における「財務情報の信頼性確保のための内部統制報告実務」の充実が急務、ただし、最近は国際会計基準の統一(コンバージェンス)のほうが、もっと急務になってきたんじゃないでしょうか。

企業情報開示の重要性とりわけ不正会計を厳しく取り締まるため、監査法人改革、日本版SEC創設、刑罰の厳格化。証券取引所の自主規制機能の強化充実。

コーポレート・ガバナンス改革。とりわけ社外取締役、社外監査役の独立性強化、監査役、監査委員の財務会計知見の要件強化。

結局のところ、東京を国際的な資本市場として発展させるための諸策については、積極的に実現させる方向に動き出したようでありまして、今後も公開会社法制に関する制度改革が進むものと予想しております。このブログでも何度も自説を述べておりますが、これからは「会計の時代」、会計士の皆様からはよくご批判を受けるところでありますが、いわゆる会計監査人による不正発見の権利と義務、という問題も現実化してくるのではないでしょうか。(いえ、あくまで私ひとりの感想ではございますが・・・・・)

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2006年9月26日 (火)

飲酒運転に病的酩酊はあるのか?

ダスキン株主代表訴訟控訴審判決(問題整理編)に、またまたコメントをいただき、誠にありがとうございます。いつもコメントをお寄せいただいております常連の方々のご意見からしますと、どうも私の意見は分が悪いようでして、このブログを訪れる法律専門家の方は、企業コンプライアンス的にみて会社役員に厳しい立場(いや、それは期待の裏返しというものなのかもしれませんね)のようであります。問題の整理編でこのシリーズを終わらせようかとも思っておりましたが、とーりすがりさんや濡れ衣と戦う会社員さん、そしてMEさんのご意見などをもう一度検討したうえで、再度続編をエントリーすることにいたします。(いつも個別のお返事が遅れましてすいません・・・・・・)

さて、「飲酒運転と企業コンプライアンス」シリーズも、すでにいくつかのエントリーを立てておりましたが、これも以前より、飲酒運転による刑事処分(罰金を含めて)を民間企業の懲戒免職処分と結びつけようといった私の意見が厳格に過ぎるのではないか、との疑問を何名かの方々より呈されておりました。どうして厳格に過ぎるのか、いろいろと考えているのですが、ひとつの可能性として、お酒を飲んでいるときの規範意識の低下というものにぶつかるのかもしれません。私自身が、飲酒時のハイな状態というものを理解していない可能性もありそうです。いくら厳罰でのぞむ、といいましても、お酒を飲んだ状態のときに、平常の規範意識が存在しなければ、なんら飲酒運転という犯罪への抑止力が働かないわけでして、そのあたりは私自身があまりお酒に強いほうではないので飲酒時における規範意識の低下については理解できないところなのかもしれません。たとえば、最近よく報道されるところの「痴漢事件」につきましても、現役の警察官の方が痴漢で現行犯逮捕されたり、某著名な経済学者の先生が逮捕されたときには、即座に「なんと破廉恥なことだろう」と思いますが、逮捕された当時に「酒に酔っていて、触ったかどうかも覚えていない」と言われますと、やったことは厳しく処罰されねばなりませんが、なんかどことなく、その人に対する破廉恥さの評価については減少されてしまうような、そんな気分になってしまいます。こういったことと同様に、この飲酒酩酊といった状態は、人の普段の規範意識を鈍麻させてしまうほどのものであると理解してよろしいのでしょうか。

私は過去に刑事事件で3回、無罪判決をもらった経験がございますが、そのうちの1回が「病的酩酊による責任能力なし。よって無罪」というものでありました。病的酩酊は単純酩酊と比較したものでありまして、飲酒酩酊によって脳波に影響を受け、別人格の人間に変わってしまう、というものであります。私が担当した強盗致傷事件の被告人の場合は、この病的酩酊に該当するという奈良県立医科大学の教授(裁判所が選任した正式な鑑定人であります)の意見書(詳細な実験と検査に基づく意見)がそのまま裁判所でも採用され、完全無罪を得た事例であります。(検察側も控訴せず確定)この事例のように、飲酒事故を引き起こしたようなケースにおいても、ひょっとすると、その飲酒によって被告人が別人格となって、なんの規範意識もないままに、そのまま飲酒運転をしてしまうような場合もあるのかもしれません。

(追記)昨日の夜は、ほとんど睡魔に襲われながらエントリーを書いてしまったため、不適切な内容が散見され、修正をいたしました。司法書士をめざす会社員さんから、問題点のご指摘を受けておりますので、そちらのコメントもあわせてご覧いただくと幸いです。また、誤解のないように申し上げますと、「病的酩酊」=責任能力なし ではございません。責任能力は法律上の判断ですので、たとえ医学的に「病的酩酊」であるとしても、裁判官の判断として責任能力あり、とされる可能性もありますし、限定責任能力ありとされる可能性もあります。

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2006年9月25日 (月)

COSO「中小公開企業向け」ガイダンス

taka-pooさんや、fujiさんのコメントにもありましたように、先日私のブログが日経新聞で紹介されまして、(お蔭さまで)アクセス数も増えたところで、またまたたいへん恐縮ではございますが、ずいぶんとマニアックな話題に戻らせていただきます。いわゆる金融商品取引法における内部統制報告実務(金商法24条の4の4)に関するものでありまして、金商法の立案担当者編著による「一問一答・金融商品取引法」(商事法務)127頁以下においても、「できるだけ速やかにこれらを策定する必要がある」とされている「実施基準」の話題であります。なんだか「内部統制ブーム」が先走っているなかで、真打ちであります「実施基準」が未だ登場しない、というところで、気をもんでいらっしゃる企業担当者の方も多いかもしれません。とりあえず2008年4月以降に開始される事業年度より、この内部統制報告実務が適用されることとなりますので(金商法附則15条)、整備、再構築をできるところからスタートさせている企業が多い、というのが実情ではないでしょうか。

ということで、既に情報通の方はご承知かもしれませんが、2006年7月11日にトレッドウエイ委員会支援組織委員会(COSO)から公表されました「財務報告に係る内部統制ー中小規模公開企業のためのガイダンス」の意義と概要が、内部統制部会の委員でいらっしゃる町田教授のもとで概説されております(月刊監査研究9月号)。これ、休日にじっくり読ませていただいたのですが、おそらく(公開草案のリリースが予定されている)内部統制報告実務の実施基準にも大きな影響を与えるのではないか、とひそかに推測しております。その「推測」の根拠は以下のとおりであります。(なお、これは私ひとりの勝手な推測であります。それ以上のなにものでもございませんので、悪しからず)

1 内部統制部会の委員である町田教授自身が「今後の日本における内部統制報告実務にとって重要な示唆を含むものであるように思われる」と述べていらっしゃること

2 アメリカSOX法の適用にあたって、批判の多かったところを意識しながら、今後適用が開始される中小公開企業向けに、「経営者評価」を特に意識しながらまとめられたものであること

3 そういった意味で、「全公開企業への適用が予定されている」日本の内部統制報告実務に適用することに違和感がないこと(文書化やIT統制などの面において、ギチギチに行為準則が定められたものではなく、各企業ごとに適用可能な程度の柔軟性をもったものであるために、日本の企業文化に合ったSOX法に変容させながら内部統制報告実務を形成しやすいものと思われます)

4 昨年12月に出されました企業会計審議会内部統制部会の「あり方案」の考え方とも合致していること

5 アメリカの大規模公開企業のように、そもそも職種による分業化や専門家が進んでいない日本の企業組織にとっては、「経営者が横断的な監視機能を有していて、比較的財務報告に有能な人材をそろえていない」アメリカの中小公開企業向けのシステムのほうが、組織形態の面からいってもなじみやすいものであると思われること

また、町田教授の説明によりますと、このCOSOガイダンスは、中小公開企業だけではなく、大規模公開企業においても、効率経営を重視する目的で導入することは可能とされておりますので、日本における大規模公開企業への適用を排除するものでもないようです。もちろん、このまま日本の実施基準に落とし込まれる、ということはないでしょうが、そこにリリースされております20の原則と75の属性につきましては、今後の実施基準の解釈にあたってもおおいに参考とされるところではないでしょうか。この原則と属性を検討したうえでの感想としましては、やはり経営者不在での内部統制報告実務というものはありえないわけでして、どの原則、属性を検討しましても、そこには取締役会、監査役(COSOでは監査委員となっております)、外部監査人、内部監査人らの連携と協力というものが中心に据えられていることが理解できます。結局のところ、財務報告の信頼性を確保するために、どこから手を付ければもっとも有効な結果が得られるか、といった観点から選定されたものでありますから、統制環境の有効性確保にもっとも大きな力点が置かれている、というのが私の印象であります。

ところで、この町田教授の論稿は、あくまでも要旨の概説でありまして、詳細なCOSO中小公開企業向けガイダンスの全文につきましては、その翻訳権を日本内部監査協会が取得されたそうです。ガイダンス全文が出版される予定のようですが、(なお、英文のものにつきましてはCOSOのHPから、現在でも有料でダウンロード可能です)内容につきましては非常に興味のあるところでして、おそらく今後実施基準の公開草案が出された際には、その対応方法の具体化に向けて、各社それぞれの実情に合わせる工夫を考えるための参考書として大いに役立つのではないか、と期待しております。なんといいましても、上場企業の経営者は「確認書」の提出が義務付けられるわけですから(金商法24条の4の2ほか)、内部統制の評価の主役は経営者であります。その経営者が頭で考えても理解できないほど難解なものであってはいけないわけであります。

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2006年9月24日 (日)

ダスキン控訴審判決(問題の整理)

祝日にもかかわらず、「ダスキン株主代表訴訟控訴審判決(その2)」には、貴重なコメントありがとうございます。neon98さんに代表されるとおり、企業の平時におけるリスク管理をもって、有事の免罪符にすることは無理があるのではないか・・・とのご指摘が意見としては多いようでして、ご意見拝聴し、今後再考してみたいと思います。やはり、企業不祥事の存在を全役員が知ってしまった時点における「危機管理」の問題として、その有事におけるリスク管理というものは、別途、その時点における状況から検討すべき問題と捉えるべきなのかもしれませんね。(ありがとうございました。)

ただ、そう考えますと、やはり議論のための整理もまた必要になってくるわけでありそうですね。コンプライアンス・プロフェッショナルさんがおっしゃるとおり、「平時」の企業不祥事防止のためのリスク管理という面からとらえますと、ダスキンはある程度、まじめに(当時の基準から考えて)不祥事リスク回避に取り組んでおられたようでして、問題はやはり全社的に「過去に違法添加物混入の肉まんを、事実を知りつつ販売した」「事実を隠すために口止め料を払ってしまった」ということを認識したときの対応の是非、ということになります。なお、ここで留意すべきことは、全役員が認識した時点では、すでに(消費者が全部食べてしまっていて)商品回収の必要はなく、また健康被害に関する可能性ももはや存在しない、ということであります。

1 「公表」以外に対応策は存在しないだろうか?

とーりすがりさんは、当時の食品衛生法に違反する行為があったのだから、「法令違反」が存在するので、そこから公表すべし(違法行為を公表しないという経営判断はあるのだろうか)とされております。また、経営コンサルタントさんも、公益通報者保護法を例にとって、法令違反には公表といった措置を内在するものとして捉えていらっしゃるようです。ただ、とーりすがりさんのご指摘のところは、おそらく商品回収が必要な場合に、行政庁への届出が必要、といったことを指しておられるのではないでしょうか。最近の自治体の条例などでは、食品安全基本法に基づき、食品の回収を行うときには「公表」しなければならない、と規定しているものもありますが、本件でそういった報告義務が「行為規範」として規定されていたのかどうかは少し疑問が残ります。なお、行為規範としての「報告義務」「公表義務」が存在する場合ですと、これを無視して非公表となると、現在の判例通説の立場からすると取締役の善管注意義務違反は容易に認められるところだと思われます。また、違法添加物混入を知りながら、肉まんを売り切ってしまった取締役らについては「法令違反」を問題とすることができますが、本件では「その他の取締役の責任」が論点でしょうから、ダイレクトに食品衛生法の違反行為と全役員の責任とが結びつくかどうかはひとつの問題であろうかと思われます。

それでは有事における取締役のリスク回避義務違反があった、という構成で考えてみますと、ここでは「公表すべし」以外に、その取締役の義務履行方法はありえませんかね?たとえば、法律では明確に規定されているわけではないけれども、官公庁に対する事後の報告義務ということで足りる(つまり一般消費者に対する公表義務はない)と構成することはできないでしょうか?ここでいうところの「リスク」といいますのは、会社の信用毀損のリスクということでしょうから、ともかく過去の企業不祥事を行政庁に報告をしておけば、それなりにマスコミに叩かれる度合いも少なくなるのではないかな・・・と考えられるような気がいたします。これが上場企業でしたら、適時開示、という問題も出てくるかもしれませんが、ダスキンのように非上場企業の場合でしたら、「当否は別として」公表以外の方法によっても、その法的責任を免責される対応方法は考えられるのではないでしょうか。

2 バレなければ公表しなくてもいい?

平時におけるリスク管理によっては有事における不祥事(全社的な隠蔽行為)は免責されない、といった前提に立つならば、やはりこの問題には必ずぶつかると思います。企業の有事におけるリスク回避義務として、公表もしくは報告といった外部への情報開示が法的義務として要求されるのかどうか。この控訴審判決は、結局のところ「口止め料を支払っていた相手との契約を解除した」わけですから、おそらく違法添加物入りの肉まん販売の事実は高い確率で発覚する、ということを前提条件に役員らのリスク管理方法の不適切性を論じているようです。つまり過去の不祥事が発覚する可能性について、よく検討もせずに問題を先送りしているところが、経営判断の法理を持ち出すまでもなく、その善管注意義務違反に問われたところであった、と認識しております。そうであるならば、かなり高い確率で不祥事が発覚しない、と予期されるのであれば、やはり公表義務は存在しないと考えられるような気がいたしますが、いかがでしょうか。(裁判を前提に考えるならば、発覚しないと思っていたところが、発覚してしまった場合に、発覚しないと判断したことに合理性があったといえるケースが想定できるか、ということになります)「バレなければ公表する必要はない」といった結論を採用することには躊躇を覚えますが、「倫理上の非難の対象」とはなりえても、法的責任まで認めることについては異論もあるのではないでしょうかね。ちなみに、ダスキンの役員のなかで唯一、被告になっておられない社外取締役の方が、当時社長に対して緊急提言(一日も早く公表せよ、との内容)を書面で送っておられますが、その社外取締役が公表を促した理由も、その内情を知っている外部第三者に対する「口止め料の提供禁止」という事情からみて、もはやダスキンは過去の不祥事を隠蔽しきれない、彼らが密告する前に、一日でも早く公表せよ、という趣旨からであります。

もちろん私は、コンプライアンスは「法令違反」だけではない、と考えておりますので、過去の不祥事は、たとえ商品回収の必要性や、消費者の安全維持の必要性が存在しなくなったとしても、公表はしたほうがいいとは思います。ただ、そこから役員の法的責任までストレートに導くことには、公表することが行為規範として明示されていないかぎりは若干躊躇を覚えます。もし、私が役員セミナーなどでこの問題を解説するとしましたら、やはりこの問題は危機におけるリスク管理の問題、つまり何をリスクをみるか、という問題とそのリスクの大きさはどの程度か、という問題に分けて論じると思います。前者はリスクの質が基準となります。不祥事の内容と、それに対する社会的非難の度合いを検討することになります。そして、後者についてはまさにリスクの量、つまり「発覚しやすいかどうか」という問題であります。ただし、今の世の中の動きからすれば、企業ぐるみの不祥事隠蔽への社会的非難の度合いはますます強まり、また通報制度の法制化など、そういった不祥事が発覚しやすい方向へと向かっているものと思いますから、結論的には取締役に「公表義務」を認めるのと、それほど大きな差はなくなるのかもしれません。

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2006年9月22日 (金)

ダスキン株主代表訴訟控訴審判決(その2)

日弁連法務研究財団の「会社法実務研究会」で、ダスキン株主代表訴訟控訴審判決を中心に研究発表をさせていただきました。神戸大学のK教授をはじめ、学者の先生方や企業法務に詳しい弁護士の方々とあれこれ議論するのは楽しいですし、また新たな論点が見つかったりしまして、非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。なお、判例タイムスの最新号にダスキン訴訟控訴審判決が全文掲載されていることは先日ご紹介したとおりですが、中央経済社「ビジネス法務11月号」では、このダスキン訴訟控訴審判決に関する東京のコンプライアンスに詳しい先生によります評釈(および控訴審判決の企業経営実務に及ぼす影響)が掲載されておりますので、ご参考にされてはいかがでしょうか。

上のビジネス法務11月号の論稿もそうですし、きょうの研究会における出席者のご意見もそうでしたが、ダスキン控訴審判決は、取締役らによる不祥事公表義務というものを一律に認めたものではなく、これを(取締役会を構成する役員らの)リスク管理の方法に不行届きがあった事例、と解釈するほうが穏当のようですし、このあたりは以前の私のエントリー(その1)における解釈とも合致するところであります。ただ、私は内部統制システムの構築義務と、危急時における取締役、監査役らのリスク回避義務とは異なる概念だと考えておりました。しかしながら、ちょっとこのあたりも検討事項になるんじゃないか、という気もしてきました。たとえば、もしダスキンという企業が、平時において「こういった不祥事が、こういった時期において判明した場合には、当社はこういった対応をとる・・・」と細かく規定していた場合(本当に将来の危機を予想して相当詳細に規定できるかどうかは別としまして)、もしその規定にしたがって、今回は当社の不祥事を非公表とする、との結論を取締役会がとったとすると、この判例と同様に各取締役、監査役に善管注意義務違反があった、との評価は同じだったでしょうか?もし、詳細に将来リスクの発生を予想して、それに向けての対応方法まできちんと決めていたのであれば、本件をリスク管理としての対応のまずさ、といったところこそが問題だと捉えますと、いちおうリスク管理規定に従った行動をとった、ということで役員らが免責される可能性も出てくるのではないか、と思いますがいかがでしょうかね。リスク発生時におけるその回避措置の是非(平時において、こういった場合には公表しない、と決めた規則の内容の妥当性)ということは別の問題として発生するかもしれませんが、すくなくともそういったリスク管理の運用面まで平時に検討するということになりますと、その回避策自体も内部統制システムの構築義務の一貫である、といった解釈も成り立つかもしれません。そもそも、会社法で理解されている内部統制システムの構築、といいますのはどういったシステムを構築するべきか、といったところだけでなく、その構築されたシステムをどう運用してきたか、というものも含むものと理解しております。このように危機対応のシステムまで含めて内部統制システムを構築していれば、そのシステムが信頼に値するものである以上は取締役は「信頼の抗弁」に近い考え方として、内部統制システムの構築義務違反に関する免責の対象になる、と考えてもいいように思われます。(神田教授が会社法における内部統制の問題は、リスク管理体制の構築と取締役の自由保障機能にある、と説明されるところとも通じるかもしれません)

さらに、そもそもクライシスマネジメントとして、あとでマスコミから「会社ぐるみの隠蔽工作ではないか」と問われたときに、「いえ当社は、クライシスマネジメント規約に則り、行動することになっておりますので、その規約に基づいて非公表といたしました」と堂々と説明できるかどうか、といったあたりもひとつの問題として成り立つのではないでしょうか。いずれにしましても、今後の判例などにおいて、公表すべき「不祥事」とはいったいどの範囲の不祥事を指すのか、発覚の時期次第では、そもそも不祥事を公表すべき義務があると考えるのか、またそのあたりについて事案の集積を待ちたいと思います。

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2006年9月21日 (木)

証券業界の自主規制新ルール(上場審査基準)

日本証券業協会が新規公開株式の引受審査基準として、24項目をまとめ、2007年には自主規制に関する新ルールを導入する方針だそうです。(日経ニュースはこちら)証券取引所も上場基準を厳格化する、という方針が2週間ほど前に報道されておりましたので、そちらと歩調をあわせるカタチで証券業協会も投資家保護のために上場審査基準の厳格化をはかる、ということでしょうか。金融商品取引法が成立した後の、法律、内閣府令、取引所規則、日証協基準、そして証券会社内規といったものが、幾重にも証券発行企業に重くのしかかってくるでしょうから、とりわけ今後上場を検討している企業にとりましては、これらの上場ルールへの遵守体制を構築するのはひとつの大きな事業といえそうですね。

きょう、大阪のあるコンプライアンス・コンサルタント企業の幹部の方々と夕食を共にさせていただきましたが、この日証協が義務付ける上場審査基準のことも、席上にて話題になっておりました。たとえば「反社会的勢力との関係の有無と排除への取組み」という審査基準ですが、これまでの審査項目でいいますと「スクリーニング」、つまり上場準備企業の役員クラスに、反社会的勢力とのつながりのある人物が存在しないか、関連企業にフロント企業は存在しないか、といったことだけが問題視されていたわけです。しかし今後は「排除への取り組み」までが上場審査の対象になる、ということでして、「反社会的勢力(一般に暴力団、えせ右翼、えせ同和、総会屋などが代表的ですが、そもそも、この反社会的勢力というのが、どこまでの団体を含むのか、ということ自体も問題となります)と密接な関係を持つことの未然の防止対策と、関係が生じた際の断絶体制の構築」が、すくなくとも過去3年から5年にわたって、企業内できちんと整備されているか、ということの審査も新たに要求されるようです。(公開適格性審査)

しかしこの「反社会的勢力との関係の有無と排除への仕組み」という基準はなかなかイメージがつかみにくくてムズカシイ基準ですね。そのコンプライアンス・コンサル企業の方のお話を聞いていて、この基準をクリアするためには、最低限度はまずスクリーニングに関する特殊情報の調査が必要となりますし、また「仕組み」についてはこれも長年の経験に基づくコンプライアンス対応策の設計が必要になってくるようです。「これで万全」といったものは体制として構築できるものではなさそうですので、上場準備企業は、とりあえず最小限度、これだけは反社会的勢力との関係を発生させることを防止するだけの手段となりうる、といえるだけの体制作りにできるだけ早期に対処しなければなりません。そのコンサル企業のノウハウをあまりここで詳細に紹介することはできませんが、お聞きして「なるほど」と思えるところはたくさんございました。なお、そういったノウハウはIT全盛の時代、グーグルで検索して蓄積できるようなものではございません。実際には広範な人的ネットワークの駆使と、現実の修羅場をくぐった経験、専門家集団との協力体制は不可欠ですし、なによりも複数名の社員をクライアント企業に派遣して実際に業務に従事させたり、役員との交流を通じて何ヶ月もその企業の内実を観察するところから始まる、というあたりも徹底されています。こういったプロのコンサルタント業務もたいへんだなぁと思いましたが、今後こういったコンプライアンス体制構築への取組みを始める必要のある上場準備企業も「たいへんかも・・・」と思った次第であります。いずれにしましても、こういった反社会的勢力との関係というものは、ほとんどがまず自社内部における「公開されたくない不祥事」「司法機関以外での解決を必要とする紛争」といったグレーゾーンを企業が抱え込むことに発端があるでしょうから、そういった芽を根絶する体制こそ真剣に検討すべきところでありましょう。

※本日は、このエントリーの話題以外にも、日経朝刊に出ておりました「同和鉱業の長期保有株主優遇策と株主平等原則」問題(やっぱり、私と同じことを考えている方もいらっしゃったんですね。私はいまでも、その経済的利益に関する平等とは別に、支配権に影響を与える優遇策に該当するものと考えておりますし、株式の受給関係を直接企業がコントロールするような方策は、そもそも適正な株価形成機能を毀損するので、自社株買いのように法の予定するもの以外には認められないのではないか、と考えておりますが、どうなんでしょうか・・・)や、富士火災の行動規範の無効確認訴訟問題(これは企業コンプライアンスと行動規範との関係を検討するにあたって非常に興味深いですね)などなど、エントリーを残しておきたい話題が豊富でありましたが、またまた時間が足りなくなってしまいました。。。残念ですが後日、とさせていただきます。

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2006年9月19日 (火)

コンプライアンス経営はむずかしい(判決編)

判例タイムスの1214号(9月15日号)に、蛇の目ミシン株主代表訴訟最高裁判決(平成18年4月10日判決)と、ダスキン訴訟控訴審判決(同年6月9日判決)の全文が掲載されております。(ダスキン判決につきましては研究したい、という方が多いようですので、やっと・・・という感がありますね)今週、ある研究会の発表担当であることと、現在執筆中の共著本のなかに判例要旨を引用する必要があることで、この二つの判決をこの機会にもう一度、きちんと読み直してみました。各裁判における法律上のもっとも大きな争点につきましては、それぞれ蛇の目ミシン最高裁判決ダスキン公訴審判決というエントリーで、すでにコメントをさせていただいておりますので、本日は企業コンプライアンス、とりわけ経営陣のコンプライアンスに焦点をしぼって書き留めておこうと思います。

この二つの判決に共通する問題点というのが、実はいくつかあるみたいです。取締役らの違法行為とされていますのは、蛇の目ミシンのケースでは取締役らによる仕手筋に対する高額の利益供与によって最終損害額340億円の被害を会社に与えたということ、ダスキンのケースでは口止め料の支払と違法添加物混入の豚まんを販売して、これを隠匿していた、というものです。いずれもマスコミで大々的に報道され、社会的な非難を浴びた事件だったのですが、これらの判決文をよく読んでみますと、いずれもその原因となる小さな事件が発生しているわけです。この小さな事件への取締役らの対応こそ、全社的な大きなコンプライアンス問題に発展するかどうかの分水嶺だったようです。

まず蛇の目のケースですが、銀行から蛇の目ミシン工業に移籍して蛇の目の役員になっていた方が、仕手筋のI氏からの連日連夜の脅しによって平常心を失い、他の役員の反対を押し切って、I氏の経営する会社の借金を蛇の目が責任をもって返済する旨の確約書をI氏に提出してしまった、というものです。「これはヤバイ」と思った他の取締役らも、とりあえず確約書を提出してしまった取締役をかばう気持と、こういったゴタゴタが世間に知れ渡ると、名門企業の信用が毀損されてしまう、といったブランド保護主義的な考え方から、けっきょくのところ仕手筋の言うがままに高額の利益供与や仕手筋が経営する会社への融資支援(担保提供)に走っていくことになります。そして、もうひとつのダスキンですが、こちらはある日本を代表する著名洋酒メーカーの子会社(飲茶事業の技術支援をしていた。この技術支援会社が、結局のところ、日本で使用が許可されていない添加物が使われていることを知らなかった、ということで、大きな事件の発端を作ったものである)をかばおうとしたところから(つまり長年の取引とか、これからの取引のことを考えてかばおうとしたものと思われます)、ずるずると口止め料を払ったり、違法添加物混入を知りながら豚まんを売り続けていた、というものであります。社内で違法添加物混入の事実が明確に判明して、その後取締役や監査役らが公表しない方針を決定したことも、身内の不祥事発覚を防止しようとしたことと企業ブランドを守ろうとしたことからだと思われます。社内で発生した比較的小さな不祥事、それを抜本的に解決することをせずに、身内をかばう意識とか、企業ブランドを保護しようという意識、そして隠し通せると考えたリスク管理に関する認識の甘さというものが、企業の信用を回復しがたい重大な不祥事へとつながる図式は、まさに二つの判決事実に共通するところといえそうです。

こういった比較的小さな不祥事を知った取締役の対応、という点に裁判所はたいへん厳しい法令遵守を求めているわけであります。蛇の目では、心労の重なった役員が確約書提出する行動はわからないでもないが、その時点で他の役員達も警察に届け出るなどして損害発生を予防することができた、としております。つまりその時点で企業不祥事を明るみに出すことを求めているものでして、これはダスキン事件において、取締役全員が不祥事を知った段階で公表すべきかどうか、きちんとリスク回避可能性を検討すべきであった、とする高裁の判断とも似ております。ただ、ここで非常にムズカシイのは、行動当時の取締役らの常識から考えて、本当に警察への届出やマスコミへの公表ということが期待可能性があったと言えるかどうか、という問題であります。蛇の目の違法行為につきましては平成元年ころのお話ですから、いわゆるバブル経済真っ只中、誰も右肩上がりの疲弊を信じていなかった時代でしたから、300億円くらいは、また財務政策によってなんとかなる、といった楽観論が世間に蔓延していた時期のお話であります。そんな時代背景のなかで、取締役らに警察への届出、という常識が通用したのかどうか。また、ダスキン事件につきましても、そもそも「公表義務」というものが取締役にあるのかどうかも不明ではありますが、とりあえず取締役ら(公表しなくても)は、発覚するおそれは少ないだろうし、そもそも発覚しても大きな問題になることはないだろう、と楽観視されていたのではないでしょうか。こういった時代背景のなかにおける経営判断を検討するに、果たして二つの裁判(判決内容)が要求しているような経営陣のコンプライアンス対応が、本当に行動として結びつくものだったのかどうか、これを考えますとコンプライアンス経営はやはりムズカシイものだと思います。

こういった事態を踏まえて、今度は取締役のリスク回避義務との関係で、「ダスキン事件と内部統制システム整備」というエントリーを次回に書いてみたいと思っております。(それにしましても、蛇の目最高裁判決を読んでみて、1回も監査役という言葉が出てこないのは違和感がありました。やはり平成4年ころからの商法改正などによって、これまで次第に監査役の地位が向上していることは間違いないと思います。

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2006年9月16日 (土)

Eメールと堀江氏の刑事裁判

堀江貴文被告人の刑事裁判に宮内氏が証言を行ったというニュースがあちこちで掲載されておりました。(たとえばライブドアニュース)投資事業組合が実体のあるものかどうか、といった論点につきましては、ちょっと弁護側に不利ではないか・・・とも考えているのですが、きょうの宮内氏の証言内容を報道内容だけから判断しますと、けっこう堀江氏にも勝算がありそうな気がしてきました。共謀を裏付けるためには、宮内氏と野口氏の詳細な証言が不可欠だと思いますが、野口氏から証言をとれない今、宮内氏から具体的な堀江氏との共謀の事実が証拠として認定できるかどうか、非常に大きな争点となっています。弁護側として、闘いやすい土俵に持ってきたような感じです。そもそもスキーム自体が偽計取引や粉飾決算の構成要件に該当するかどうか、という土俵で戦うとしたら、公認会計士の資格まで保有するような優秀な捜査検事、公判検事に互角に戦うのはちょっとキビシイと思っていたのですが、「共謀」で闘う(関与、指示)のであれば、これは刑事裁判の伝統的な闘い方でしのげますから、被告人が完全否認している以上、弁護人にとってはこれ以上有利な条件はないほど闘いやすい土俵といえるでしょう。

根拠1 宮内氏の供述があまりにも曖昧ではないか?

なんといいましても宮内氏がスキームを知りすぎているのがマズイですよね。もし堀江氏のほうが全体のスキームに詳しい人であれば、ある程度宮内氏側があいまいな供述であっても「やむをえない」でしょうが、そもそも財務会計的な知見を有している宮内氏は、詳細に堀江氏にスキームを説明して、堀江氏の理解度まで認識できる立場にあったわけですから、違法行為の共謀関係にあることまでを詳細に証言できる立場にあります。そのような宮内氏が「・・・と堀江氏が理解していると思った」とか「要望か指示か、といわれれば指示だった」などと、ちょっと刑事弁護人からすると異議を出しても不思議でないくらいに信じられないようなあいまいな供述に終始しているとすれば、検察側としてもヤバイですよねぇ。(冷汗・・・)もし野口さんが主導的立場にあって、全体のスキームを統率していた、という組み立てが可能であれば、宮内氏が「ボク、わかんなぁい・・」状態で堀江氏の公判に臨むということもできますから、曖昧供述でも「やむをえない」と考えられますが、野口さんの証言がとれない以上は、検察も宮内氏の公判を維持するためには「ボク、わかんなぁい」状態にもできませんし、堀江氏立件のためには、どうしても「宮内氏はスキームに詳しい人」という構図は維持せざるをえないわけですね。

2 Eメールは刑事裁判の証拠になるのか?

前から気になっていたのですが、メールというものが果たして共謀共同正犯における「共謀」を基礎付ける事実、もしくは規範的な実行行為と捉える際の構成要件事実を立証できる証拠として役にたつのでしょうか?民事事件であれば、裁判官の心証が51対49でもシロクロをつけるわけですから、おおいにメールの証明力を認めても問題ないわけですが、刑事事件では検察官はほぼ100%有罪の確からしさを証拠で固めないといけないわけでして、メールがどこまで共謀を基礎付ける事実を証明できるのかおおいに疑問が残ります。(無罪推定原則)とりあえず事前にどういった指示があったのか、違法行為をどこまで認識していたのか、短いメールのやりとりだけではどうにも立証できないのではないか、といった懸念があります。つまり「共謀」というのは、人と人とが相対していた状況、いつ、どこで、誰と誰が、何を話して、その後どういう行動に出て、その利益はどう分配したか、といったところが客観的に認定されて「確からしさ」が基礎付けられるわけでして、むしろメールというのは、逆にあまり人と人との接触がなかったという客観的事実を基礎付けることにもなりますし、また堀江氏側が、自分の発したメールはこういう意味だった、と有利に援用することも可能になるはずです。よく考えるとメールというのは刑事裁判にとっては「両刃の剣」ではないか・・・と思ったりしております。

あくまでもニュース情報からの推測ですから、なんとも自信たっぷりには申し上げられませんが、この裁判、弁護人側としてはツッコミどころがけっこうあるんじゃないでしょうかね。

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2006年9月15日 (金)

不正会計の予防に向けて(その3)

ちょうど1年前の2005年9月16日に 不正監査防止のための抜本的解決策 というエントリーをたてまして、そのころから不正会計予防と公認会計士さんの役割といったことを真剣に考えるようになりました。カテゴリーの「不正監査防止のための・・・」をクリックしていただきますと、(赤面しそうな内容のものもありますが)これまでの関連エントリーがお読みいただけます。1年前に考えていたことが、よりいっそう現実的な問題になりつつあるようでして、概ねハズしてはいなかったんだなぁ、とホッと胸をなでおろしているところであります。公認会計士さん方の不正発見義務といいますか、積極的な不正調査権限というものにつきまして、またまた少し考えているところをまとめておきたいと思います。

金融相懇談会の東証に対する要望(自主規制部門を分離しての上場認容)ということが14日の新聞にも掲載されておりましたし、私が参加させていただいておりますIPO研究会でも話題になっておりましたが、今後の証券取引所や証券業協会における自主規制としての上場審査基準の厳格化が議論されるなかでの関心事は、どうやって持続的成長を実行できる企業を見抜くべきか、つまり上場準備段階において不正会計の兆候の発見方法と、その上場審査対象企業に本当の支配力のある会社(個人)はいったい誰なのか(特定できるのかどうか)、といったところだそうです。いずれの関心事につきましても、グループ経営が主流となっているなかで「選択と集中」をはかる企業グループ全体の現況を上場審査段階で把握したいでしょうし、また新興上場企業の寿命が早ければ3年から5年と言われているなかで、上場企業自体が健全に売買(企業再編)されるための会計の健全性が確保されているかどうか、といったところの問題が共通しているようです。取引所ルールと証券業協会の自主ルールとの関係がいったいどうなるか、といった問題も残るわけですが、ともかく審査基準の厳格化の実効性を確保するために「公認会計士さん(監査法人)に存分に活躍してもらいたい」といった方向での期待が高まりつつある(会計上のコンプライアンス実現への期待)ようですので、そこに「監査人への積極的な調査権限の付与」が検討課題として上がってくるように思われます。これは証券取引等監視委員会の権限が強化されるとしても、それと並行して自主ルールの一貫として浮上してくる問題のようですね。

投資事業組合とその会計基準の変更について

47826082 ライブドアの会計監査を担当された田中慎一さんと、著名ブロガーの保田隆明さん(ちょー・ちょー・いい感じ)による共著「投資事業組合とは何か」(ダイヤモンド社 9月1日発売)を興味深く拝読いたしました。私の友人(大阪弁護士会ではかなり有名な弁護士さん)が、「今度の堀江氏の刑事裁判はひょっとしたら無罪になるかも。投資事業組合の実体に焦点をあてて弁護したらおもしろい結果になるかもよ」などとおっしゃっておられたので、「ほんまかいな?」と思って、ちょっと勉強のために購入しました。会計専門家の方からすれば、当たり前のことかもしれませんが、私くらいのレベルの者にとりましては、投資事業組合の社会的有用性、経済的意義、運用実務などが非常にわかりやすくコンパクトに解説されたものとして、たいへん有意義な本であります。この本を読み、私自身の堀江氏の刑事事件に対する予想が変わる、ということはありませんでしたが、投資事業組合に対する会計基準の変更に関する記述は、とりわけ興味深いものでした。そもそも株式会社のような「組織法」ではなく契約法によって組織が出来上がっている投資事業組合の支配力(緊密者)の判定というものは、非常に曖昧な基準ではないかという気がして、これを監査人の方はどういった証拠に基づいて連結対象かどうかを判断するのだろうか、これはひょっとして監査人に相当な調査権限が存在しなければ「契約部分の真実性」まで合理的に認定することは困難ではないか、下手をすると、判断する監査人によって、結論がバラバラになってしまうのではないか、レビューする監査法人の上部審査の方々についてはどうか、と素直に思うところであります。ただ一方におきまして、積極的な調査権限を監査人に認めるということは、監査人自身に不正発見義務を認めることとなり、非常に広大な範囲において監査人の債務不履行(不法行為)が認定される余地が出てくるのではないか、まさに(この本のコラムにあるとおり)会計士受難の時代に突入するのではないか、といった危惧も残るところであります。著者はこういった調査権限を付与すべきである、といった立場のようでありますが、果たして公認会計士協会によるコンセンサスは得られる問題なのかどうか、そのあたりがとても関心のあるところであります。

そこで、私自身の見解としましては、やはり現行の監査人の報酬制度を前提とするかぎりにおきましては、監査人(公認会計士または監査法人)に積極的な不正発見義務というものを認めて、不正経理の証拠発見までを期待するのは、かなりしんどいのではないか、と思います。現実にお金をいただいている企業について、その監査のなかで「たまたま」不正を発見した場合には監査役に報告をする、というあたりまでは可能でしょうが、そもそも性悪説を前提とした不正発見作業を行うということは、うーーん、かなり現実感に乏しい気がします。ということでして、監査人に不正経理発見の権利と義務を付与することについてはいろいろとクリアすべき問題がありそうですんで、慎重を期すべきたと思います。そもそも「不正の発見」作業というものは、法律と会計の融合物だと理解しております。今後、法律家と会計専門家の共同作業が必要な場面だと思い、私自身も関心を寄せている分野であります。このあたりの議論はいろんな方々の意見をお聞きして、勉強したいところです。(ただこのたびの本における投資事業組合と会計基準の変更といったあたりを読んでおりますと、監査人にとってバイアスのかかった状態で、会計基準の解釈を行うことを防止する役割としましては「不正発見義務」といった概念も有効なのかもしれないなぁ・・・などとも考えたりしております。このあたりはまた「不正会計予防に向けて」(4)でまとめておきたいと思っております。)

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2006年9月14日 (木)

続・敵対的買収への対応策「勉強会」

まほろばさんからコメントをいただきました。

>「企業会計10月号」の野村證券の方の論稿は、私も興味深く読みましたが、要は「経営の王道」に戻りなさい、という趣旨と捉えました。証券会社の方なので、市場というものを大事にする発想で至極真っ当な考え方と思います。

いや、本当にそのとおりだと思います。「あたりまえのことを愚直に実行することが、本来の企業防衛ではないかと考える。会社は第一義的には株主のものだが、社会の共有財産という面も有している。共有財産の価値を毀損するような買収がかけられたときには、これらのステークホルダーが、きっと味方になってくれるであろう。」(企業会計10月号47ページ)と、執筆された野村證券の方もおっしゃっています。また、経済同友会の北城代表幹事は、「株主、顧客、利害関係者のどこに対して敵対的であるのか、あるいは現経営陣に対して敵対的であるのかの判断をどうつけていくのかが課題になる」と、このたびの王子・北越問題を振り返っての感想を述べておられます。(ロイターニュース)現経営陣に対して敵対的であったとしても、株主、顧客、従業員などに対して友好的(賛同的)であれば、敵対的買収は成功するのかもしれませんし、すべてに対して敵対的であればなかなか買収が成功する可能性は低くなるのかもしれません。一般的には「敵対的買収」というのは現経営陣の意に反して統合提案を仕掛ける、というものを指すのでしょうが、現実の買収の成否を考えるのであれば、誰に対して敵対的なのか、もっと詳細に検討しておく必要がありそうです。とりとめのない話になりますが、いろいろと考えていることを以下に記しておこうと思います。

このたびの王子と北越のTOB紛争におきまして、7月24日に王子製紙がリリースした「北越製紙との経営統合」と題する提案書と、この9月12日に北越、日本製紙によってリリースされた「戦略提携の共同検討開始に関する合意」と題する報告書を詳細に比較してみますと、一般の株主が、どちらのほうが「企業価値を高める」提案なのか、判断することはおそらく困難だと思います。どちらの提案も北越製紙が大手製紙会社と提携することが前提でありまして、ただ片方は完全子会社化を狙い、片方は北越の独立性を認めつつも提携による相互シナジーを狙うというものであります。それではなぜ北越の独立性を認めたほうが北越の企業価値を高めることになるのか、読み比べてみても、説得的な説明はなされていない、と判断しました。(従業員のモチベーションが下がる、ということがいちおうの理由とされていますが、それ以上のわかりやすい説明というものはありません)ということは、やはりドライな敵対的買収といいますのは、まず第一にはTOB価格で勝負しなければ到底成功する可能性は低いということだと思われます。今後のTOB実務におきまして「意見表明の機会」というものが確保されるとしましても、(開示情報としての重要性という点は理解できるのですが)それが本当のところ、どの程度株主の選択に影響を及ぼすものか、ちょっと心許ないと感じるのは私だけでしょうか。

また、いろいろと「王子・北越紛争の総括」に関する記事などから考えてみますと、「敵対的買収防衛策」というのは、実は一つではなくて二つある、と割り切ったほうがいいのかもしれませんね。ひとつは最近主流の「事前警告型敵対的買収防衛策」に代表されるような、いわゆる発動の威嚇による「時間稼ぎ」のための防衛策で、もうひとつは株主や顧客、従業員などと現経営陣との良好な関係作り。したがって普段から株主価値の実現のために努力していて、たとえTOB価格が魅力あるものであっても、株主や従業員が現経営者を支援してくれる、といった信頼関係のある企業であれば、そもそもひとつめの防衛策は不要になるのかもしれません。また、逆にそういった信頼関係に不安があるケースであれば、TOB価格次第では敵対的買収が成功する確率が高くなるわけですから、現経営陣が支援をとりつけるための時間的余裕をもらうための「防衛策」が必要になってくるということだと思われます。

ただ、ここまではこのたびの王子・北越紛争による教訓として、頭で納得できるものだとしても、なかなか納得するのがムズカシイ一般的な疑問点もありそうです。たとえばまほろばさんのおっしゃるように株主共同利益を守ることを主たる目的とするのではなく、国力を確保したり、軍事転用技術を守ることを目的としてライツプランなどの防衛策を導入するということが可能なのか、ということであります。果たして国の財産としての日本企業の技術が、外国企業に流出されるのを防止するために防衛策を導入することが取締役の会社に対する善管注意義務に反することにならないのだろうか、といった疑問点であります。昨日、金融庁が東証に対して買収防衛策導入を検討するよう要望した、との記事が掲載されておりましたが、これも日本の社会的インフラを外国に買収されるのを防止するのが最も大きな目的でして、主たる目的が株主の共同利益を確保するため、というのとは少しニュアンスが異なるようです。企業価値研究会の論点公開で出された買収防衛策の目的論とは、また違った意味での防衛策のあり方、これを模索するのも「再検討」に含まれるのでしょうか。

そしてもうひとつが、TOB価格の引き上げについてであります。先のロイター通信の報道内容によりますと、北越のフィナンシャルアドバイザーであったクレディスイスの法人本部長の方が「なぜ王子はTOB価格の引き上げをしなかったのだろう」と述べておられます。しかしTOB価格の引き上げといいますのは、そもそも最初に提案した価格はいったいなんだったんだろう、と株主が疑問に思うところではないでしょうか。そもそもMACのように、投資ファンドが戦略的にTOBを仕掛ける、という場面であればなんとなく納得もできるのですが、事業再編型の買収場面では、自社の株主の利益と買収先株主の利益とをギリギリのラインで調整したうえでのTOB価格の決定となるはずではないでしょうか。それを短期間のうちに、状況の変化に応じて価格を引き上げる、というのでは、買収提案自体の信用性に欠けることになるように思うのですが。自社の株主への影響なども検討しながら価格を算定するわけでしょうが、どうもTOB価格引き上げを正当化する根拠がよく理解できません。また、どなたかこのあたりの整理をご教示いただければ幸いです。

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2006年9月13日 (水)

コメントへのお返事がムズカシイなぁ・・・

9月に入りまして、本業の裁判事件の準備やら、釧路での人権大会に向けての準備やらでなかなか腰をすえてブログを更新する時間がとれない状況にあります。なんとか一本、深夜にアップしたりするわけですが、最近の皆様方のコメントがまた正論が多くて(笑)、回答させていただくのも、けっこう難しかったりします。ちょっとコメントへのお返事が遅れ気味ではありますが、どうかそのあたりをご斟酌いただければ幸いです。(言い訳)日本製紙と北越製紙が提携に関する計画書をリリースされたのですが、これが王子製紙が出している統合提案とどう違うのか(アライアンスの意味とは)とか、まほろばさんがコメントくださった敵対的買収の目的論とか、昨日の勉強会ネタの続きエントリーなどなど、本当は今夜書きたい!と思っていることがたくさんあるのですが、なんせまた明日重要な会議がございますので、今夜はこのへんで。

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2006年9月12日 (火)

敵対的買収への対応策「勉強会」

ある上場企業の「敵対的買収への対応に関する勉強会」に参加してきました。某信託銀行の株式市場部の方々が中心となって、某企業の役員セミナーのようなカタチでたいへん美しいパンフレットを参照しながら約1時間半ばかり講演をされる、といったものであります。結局のところは、これからも敵対的買収については増えることはあっても、減ることはない、したがって役員の皆様方としてはそろそろ買収防衛策を検討してみてはいかがでしょうか、という「売り込み」に近いものでした。そういえば、最近発売されました「企業会計10月号」に「敵対的買収防衛策の再検討」といった特集が組まれておりまして、そのなかに野村証券の方が「個人的意見として」たいへん興味深い論稿を発表されておられます。意見こそ若干異なるものの、勉強会のパンフレットの内容は、そこに記載されている調査内容とほぼ同様のものでした。(どこの金融機関も、ほぼ同じ内容の調査結果とその分析を出しておられるみたいですね。)約3900社ある上場企業のうち、4%程度の企業がこの7月までに敵対的買収防衛策を導入した、ということのようですが、果たして今後も買収防衛策の導入企業は増えるのでしょうか。また、たとえ増えるとしても、どういったカタチの防衛策を各企業が導入されるのでしょうか。

先の野村証券の担当者の方も(個人的意見として)述べておられるように、私自身も今後も買収防衛策を導入する企業の数は「上場企業数全体の半分くらい・・」ということまでは到底増えるものではないと思っております。さりとてこのたびの王子・北越のTOB問題での印象からみて、今後は敵対的買収を仕掛ける企業は、ドライに統合提案を仕掛けてくる可能性もありますので、検討のためにはそれなりの合理的な範囲での時間を必要とすることはたしかでありまして、すべての企業に敵対的買収策が不要となる、というわけでもないように思います。そこでこの「勉強会」を拝聴して思いましたのは、技術的な防衛策の中身をいろいろと役員にレクチャーするよりも、いったいどんな企業であれば今後も敵対的買収防衛策を導入すべきか、ということをレクチャーするほうが、役員のココロをググっと引き寄せられるのではないか、といったことであります。

役員をその気にさせる「買収防衛策」の売り込み方(その1)

まず防衛策導入にあたっては、やはり株主の反応がもっとも気になるところでありますが、先の「企業会計」の論稿によりますと、最近の機関投資家や議決権行使助言会社は、同じプランの買収防衛策であったとしても、その導入企業によって賛同したり反対したり、という風潮があるようです。(松下型プランを例にとって説明されておられます)つまり買収防衛策の導入に関する賛否の判断を行うにあたっては、その防衛プランのスキームだけで判断するのではなく、その企業が通常いかにして企業価値向上策を検討しているか、といった諸策を含めて総合的な判断をされている、というものであります。したがいまして、いくら現在主流の事前警告型防衛プランの中身を解説されたとしましても、「これで万全」ということにはならないわけでして、機関投資家の賛同を得るために、いかにして平時の企業価値向上策を積み上げていくべきか、といったこともアドバイスすべき問題となりえます。そこでまず買収防衛策の売り込みはけっしてアンチョクなものではない、といったイメージを上場企業の役員さん方に印象付ける必要があると思います。

役員をその気にさせる「買収防衛策」の売り込み方(その2)

金融機関特有の無形資産を「企業価値論」と結びつける必要があると思われます。普通、シナジー効果というものは100と100のパフォーマンスが、統合効果として200以上のパフォーマンスとなることを指すものと理解しております。しかしながら、事業再編型のM&Aというのは少し前提が異なる場合もあるのではないでしょうか。たとえば王子製紙が100として北越製紙が50のパフォーマンスを有していたとします。普通、企業価値の向上が見込める統合、という場合、王子の100というのは統合後も変わらない数値であって、統合によって170くらいになるものだと考えるのではないでしょうか。しかし、そもそも150→170のパフォーマンスを発揮するというのは、その紙業全体がまだまだ伸び盛りにある、ということが前提だと思われます。しかし業界全体の将来を検討した結果、輸入紙に押されたり、電子ペーパー化によって需要が減少するといったような「業界の先細り」が予想されるケースですと、「王子は100が80になってしまうのは間違いなく、北越も50が40になってしまうけれども、事業再編によって150のパフォーマンスを維持できる」という企業価値論も成り立つように思います。もし、こういった「やむをえない事業再編」型のM&Aに巻き込まれる可能性があるとすれば、そういった業界全体の将来像を把握できる金融機関の力を防衛策導入の前後にも生かすべきでしょうし、金融機関の情報力や判断力が大いに重宝がられることになりそうな気がします。(ということで、先日のAOKIとフタタの統合問題の際、フタタからの依頼でアドバイスを行った三井住友銀行は、紳士服業界の将来をどのように予想したのか、そのあたりがとても興味のあるところです)

自社の株主利益を毀損する強圧的な敵対的買収者から自社を守るということと、もし将来的に自社の株主にとって有利と思われる買収者が現れた場合には、株主の判断によって潔く経営権を譲り渡す、というための「防衛策」の導入が理想であるならば、そもそも平時から企業価値向上への施策を検討していることだけを宣言する「ダイキン工業型」の構えというのも、日本では正しい姿なのかもしれない、といったことを少し思いながら、次回への続きモノとさせていただきます。

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2006年9月11日 (月)

飲酒運転と企業コンプライアンス(補足)

昨日は休日にもかかわらず「飲酒運転と企業コンプライアンス」のエントリーにたくさんのアクセス、ありがとうございました。m(_ _)m 社会的な関心事でありますし、今後の各企業の対応はいったいどうなるのか、かなり興味深いところではありますね。ただ、あれからいろいろと考えてみたんですが、飲酒運転で刑事処分→→解雇処分といった具合に直ちに結論付けていいものかどうか、ちょっと悩ましい問題もありそうなので、補足として記しておきます。最近の世論の傾向としてはそういった結論に導くほうが非難を受けずにすむような気もいたしますが、もう少し「企業のコンプライアンス」といった見地から検討を加えたほうがよさそうな感じがいたします。

社会的制裁と刑事的制裁との関連性

たとえばある企業の社員が飲酒運転で人身事故を起こし、未だ刑事処分は確定していないものの本人は飲酒運転であったこと、過失行為が存在していたことは認めている、といったケースを考えてみましょう。(おそらくほとんどの飲酒による交通事故はこのケースにあてはまると思われます)このようなケース、企業としては刑事処分以前においても解雇処分を下すこともできると思われますが、この解雇処分は事故を起こした社員にとってみると立派な「社会的制裁」にあたります。ここから先は、一般の方はご存知ないかもしれませんが、「勤め先から解雇処分を受けた」という社会的制裁は、社員の刑事裁判におきましては社員に有利な情状事由に該当いたします。たとえば実刑となるのか、執行猶予がつくのか「極めて微妙」な場合ですと、この「すでに解雇処分を受けた」という事由は、裁判官が執行猶予を付ける方向に限りなく近づける材料となります。事故に至らない単なる飲酒運転だけ、というケースの場合ですと、もし解雇処分が先行した場合には検察官による正式起訴→略式起訴(罰金のみ)、もしくは起訴猶予といった方向にまで刑事処分が甘くなることも考えられます。つまり、刑事司法の世界では、おそらく「会社を辞めさせられた」という事実は、かなり被疑者、被告人への社会的な制裁の度合いは強いものと認識されておりますので、刑事処分の寛大化へ大きな影響力を有していることだけはご理解いただいたほうがよろしいかと思います。

やはり刑事処分が確定した後に会社の対応も検討しよう、という選択が無難かもしれませんが、これもすこし問題はあります。交通事犯ですから、通常は在宅事件でありまして、事故を起こした人が起訴されるのは(正式起訴の場合)、事故発生から1年後、というのも珍しくありません。飲酒事故を起こしておきながら、企業はなんらの対応もせずにそのまま雇用している、といった印象で周囲から企業の対応を評価されるリスクは残りますね。

いずれにしましても、飲酒運転と企業コンプライアンスの問題も、いろいろと考えてみますと各企業がいったいどんな社訓をもち、どんな行動倫理をもって経営活動を日々継続しているのか十分検討したうえで、諸問題をクリアしながら最終判断を下していかなければいけないと思われます。単なる社会的な風潮や、周囲の会社の反応を参考にするだけで自社の対応を決めるべき問題ではなさそうですし、私自身もいろいろと思い悩むところであります。ただし、企業は「飲酒運転に関する社会的風潮を真剣に検討することなく、自社利益を優先して単に社員をかばっているだけ」と決して思われないように、きちんと説明責任が果たせるような対応をとる必要があります。

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2006年9月10日 (日)

飲酒運転と企業コンプライアンス

きょうは最近相談を受けましたコンプライアンス関連の話題をひとつ。

きょうも飲酒運転による痛ましい事故のニュースが掲載されておりますし、(姫路市職員による飲酒運転事故)また、最近の悪質な飲酒運転への社会的関心を背景に、警察も悪質な飲酒運転事例について公表基準を変更するようです。(千葉県警の方針)2001年に、飲酒運転に関する刑罰が厳格化しまして、飲酒運転による事故件数はかなり減っていたようですが、今年はついに減少傾向に歯止めがかかってしまいました。(今年7月末までの集計結果、日本損害保険協会の調査による)酒酔いおよび酒気帯び運転による交通事故は繰り返され、飲酒運転による交通事故は単なる過失行為というよりも「限りなく未必の故意に近い認識ある過失」と社会的に評価される時代になってきたのではないでしょうか。(ちなみに、認識ある過失とは、酒を飲んでいるために、普段よりは注意力が散漫になって、事故を起す可能性が高くなるかもしれないけど、自分にはそんなことはない、と確信している状態を指します)

さて、社員が業務時間外に飲酒運転をして、検問にひっかかり、酒気帯び(呼気検査で一定以上のアルコールが検出された場合)もしくは酒酔い運転(検知値に関係なく、その言動から明らかに酔っていると判断される場合)で刑事罰(罰金を含む)で処分された、ということが会社に発覚した場合、はたして会社としてその社員を懲戒処分に付することは可能でしょうか。就業規則や服務基本規程などに明確な定めがない限り、これまでの裁判例をみますと、社員の私的な時間における飲酒運転につきましては、原則として会社の秩序維持にとって重大な悪影響を与えるものではなく、過失的行為によるものであることを理由に懲戒処分に付すことはできない、つまり懲戒権の濫用に該当する、というのが基本のようであります。こういった事例は昭和48年(住友セメント事件)、49年、52年ころにみられます。 しかしリベラルな気風の強かった判例の時代から30年が経過した今、同じように社員は飲酒運転の末、たとえ業務上過失致死傷の結果を招来しなかった場合においても、過去の判例と同様、会社からの懲戒権行使を否定することはできるのでしょうか。また、一緒に酒を飲んでいた同僚達は、懲戒の対象となるのでしょうか。飲酒運転をして人身事故でも起さないかぎり、罰金くらいならだいじょうぶ・・・と安易に考えてもいられない情勢になってきたのではないかな・・・というのが私の印象です。

たしかに最近の風潮として、飲酒運転の社会悪としての評価が強まり、人的な部分での非難の度合いが強まった、ということも理由として挙げられるかもしれませんが、それだけでは会社による処分との結びつきは薄いもののように思います。(けしからん!やめさせろ!では、法律的根拠とはなりえません)会社が社員の私生活の非行を懲戒のための評価基準とすることは過度の私生活への干渉となるおそれがあるからです。しかしながら企業コンプライアンスという面からみますと、飲酒運転事故が減少するなかで、かえって飲酒運転の「破廉恥性」が高まり、「○○の社員、飲酒運転で物損事故」といった報道がなされる可能性が高まりつつあることや、飲酒運転の常習性の高さからみて、交通事故の再犯による企業の使用者責任(運行供用者責任)を問われる可能性が高まること、重大な犯罪行為を未然に予防するために、厳格な刑罰に代えて社会的制裁によって補完することは、事前規制から事後規制へ(大きな政府から小さな政府へ)といった現代の要請とも合致しており、企業による合理的な範囲での私生活への干渉と言えるのではないか、といったことから、むしろ企業活動の正当な行為として懲戒権を行使できると解釈する余地もあるような気がします。このあたりは、最近のセクハラ事件や社内での不倫事件によって企業が社員を懲戒処分に付する、という事例において、解雇処分を有効とする判例が多くみられるところと合致してくるのではないでしょうか。

ちなみに、昭和59年6月20日の東京高裁判例ですが、これは酒酔い運転で物損事故を起こし、罰金5万円に処せられた一般会社の社員につきまして、会社の解雇処分を無効(懲戒権の濫用)としております。その理由としては
Ⅰ 事件が報道されず、被害も軽微であって、会社の社会的評価は毀損されていない
Ⅱ 過去に同種の前科前歴はない
Ⅲ ほかの従業員も解雇は重すぎるといっている
Ⅳ 労働基準局が解雇予告除外認定をしていない
Ⅴ 同業他社ではもっと軽く処分されている
Ⅵ 会社はこれまでほかの社員にももっと軽微な処分をしている
Ⅶ 公務員も停職以下の処分となっている
などとされております。さて、約20年前のこの判例の判断理由、いまの世の中でも、そのまま通用するものでしょうか。懲戒処分といっても解雇は重いけど、降格処分は妥当、など、いろいろな判断もありうるかもしれません。このあたりの感覚、これがまさにコンプライアンスを支えるところだと思います。

さて、私が相談を受けた会社につきましては、このほど飲酒運転によって刑罰を課されるに至ったケースではかなり厳しい懲戒処分の対象とすることにいたしました。(とりあえず自転車による酒酔い運転は除外しますが、警察が自転車にも酒酔い運転の摘発を強める模様ですので、今後の検討課題)そもそもその企業はお客様に深夜までお酒をサービスする会社であります。飲酒運転を助長しないよう細心の注意を払って酒食を楽しんでいただく企業でありながら、その従業員が平然と飲酒運転をし、これに寛容でいること自体、企業の行動指針に反するものであります。ただし、従業員に対する広報をしっかりとして、就業規則の変更を行い、いつからの行為について適用するのかを明示することになります。広報文のなかには「たとえその社員がどんなに有能で、企業に貢献していたとしても、企業行動倫理に反する行為は断じて許しがたい」との社長の宣言が含まれております。また、当然のことながら運転行為に及ぶことを知りつつ、酒席に同席していた社員も懲戒の対象となります。また、社員の飲酒運転については内部通報制度による報告義務を課すこととしました。さらにこういった就業規則変更を広く一般の方向けに広報することとなります。
さて、このような企業の対応、皆様がたは厳しすぎると考えますでしょうか、当然だとお考えになりますでしょうか。

 

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2006年9月 8日 (金)

新弁護士会館からの眺め

既にお気づきの皆様も多いと思いますが、ブログのメインページの風景を更新いたしました。この風景はこの9月4日より使用が開始されました大阪弁護士会の新会館13階会員ロビーから撮影したものであります。(新会館使用開始のニュースはこちら)

Dscn1634 総工費52億円(もちろん、会員の負担であります)、ずいぶんと立派な建物です。12階の専用会議場は、さながら国際会議場のような豪華さです。ちなみに10月から開始される司法支援センターも、この会館のなかにございます。屋上にヘリポートが設置されておりますが、ん?いったいどんなときにこのヘリポートは使用されるんでしょうかね?

Dscn1639 13階から裁判所界隈の風景を撮影したものです(右のレンガ色の建物が大阪地裁です)

右下にちょこっと見えますのが今までお世話になった旧会館です。すでに裁判所に売却されまして、今後は来るべき裁判員制度のための裁判員控え室として利用されることが予定されているようです。ずっと遠方にダイヤのマークが光るビルが見えますが、そこにはその隣のビルには、全国で第7位の弁護士在籍数を誇る大阪の名門事務所が存在いたします。

Dscn1643 同じ13階より大阪北浜方面を撮影したものです。左下に白い建物が見えますのは、旧大阪証券取引所でして、その隣の高い立派なビルは新しい大阪証券取引所ビル(通称大証ビル)であります。このブログでも何度かご紹介いたしました「法律事務所のハコ」の舞台であります名門事務所が上層階に控えております。ホンマにこのビルは豪華です。おそらくこの法律事務所に司法修習生が事務所訪問をしたら、「こんな事務所で働きたい!」と思うのではないでしょうか。(しかし、私の友人の弁護士は「こんな事務所に修習生が訪問したら、どんだけ働かされるんやろか・・・・とビビるんちゃうか?」とのコメントでした)

今夜はご紹介した二つのビルで働いていらっしゃる方々が私の事務所に遊びに来られたので、3人で焼肉を食べ、ブログの話をして、お互いのプライベートなど楽しくお話させていただきました。3人とも今夜が初対面でしたが、いやいや、楽しいオフ会でしたね。(あ、もちろんコメントはなしですよ。どなたかバレちゃいますから・・・・・・・・)

(追記)大阪の名門事務所の方より「先生、まちがってますよ。ダイヤの隣のビルですよ」とご指摘を受けました。(たいへん失礼いたしました。早速訂正いたしましたです。ご覧いただき、ありがとうございました。。。)

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2006年9月 6日 (水)

堀江被告人の裁判と金融商品取引法

ライブドア前社長・堀江貴文被告人の公判が連日開廷され、検察側証人尋問が始まりましたが、なんとなく世間のムードでは「過去の人の刑事裁判」のような取り扱い方をしているような気がします。私も一般の事件とは異なり、公判前整理手続を経ている事件というものの争点整理がどこまでなされているのか、実務的によくわからないところもありますので、コメントがしずらい事件ですね。

宮内被告人ほか数名の事件が先行して、ほとんど争うこともないわけですから、風説の流布や偽計取引と評価されている全体のスキームの違法性や、投資事業組合などを利用した粉飾決算の実態について争うことは、堀江氏にとってはかなりしんどい闘いになりますね。新聞などで争点と指摘されているところとは少し異なるかもしれませんが、私は結局のところ、堀江氏の刑事公判に特有の争点、つまり「共謀」や「積極的関与」の有無が最大の弁護側の闘いどころではないかと思います。「共謀」というのは意外と立証するのは難しいです。他人のやったことを自分が実行したのと同じように評価して「正犯」として犯罪が成立するわけですから、自分と実行者との関係や最終目的に向けての認識、実行者との意思疎通の有無など、被告人が否認した場合にはけっこう立証すべき事実は多いはずです。実行行為に反復継続性があるような場合は容易に「共謀」を認定できるケースも多いのですが、本件の場合はそんなに反復継続性のある実行行為ではなかったように記憶しておりますが。(さて、どうでしたかね?)

企業法務に携わっていらっしゃる方々は、この裁判どう受け止めておられますでしょうか。「ホリエモンは有罪か無罪か」といったところに関心が向いてしまいますと、連日の報道をフォローする気持も少し萎えてきてしまうかもしれません。しかし少し視点を変えてみますと、ホリエモンの企業法務に及ぼす功績といったものもかなり大きいのではないか、と思えてきます。検察側と全面的に対決する事件であるがゆえに、これは企業法務にとって貴重な財産になりそうです。

まずひとつめは「メールと刑事裁判」の関係です。このたびの金融商品取引法における内部統制報告実務では、IT統制の評価基準としてメール等情報の保存管理に関する体制に焦点があてられるようです。今回のライブドア事件の捜査では、膨大な量のメールが証拠として押収されたり、(復元ソフトによって)復元されております。こういったメールによる意思疎通や犯行認識というものが、果たして刑事裁判ではどういった効果を及ぼすのか。検察はメールを用いてどのように立証計画を組み立てているのか、また裁判所はメールを証拠として、どういった犯罪事実を根拠付けるのか、それともメールは刑事裁判の証拠としては役に立たないのか、そのあたり、とりわけ「共謀」や「積極的な関与」が争点になっているだけに、おそらく判決では詳細に解説がなされることでしょう。したがいまして、検察官による立証計画におけるメールの用い方、弁護側によるメールの「証拠能力の乏しさ」(証明力の乏しさ?)に関する解説方法などを含めて、「メールと刑事裁判」の関係を研究することは、今後の内部統制報告実務の発展にかなり大きな役割を持つことはまちがいないと思います。

そしてもうひとつが不公正取引の処罰に関するところであります。「偽計取引」などというものは、定義すら語る人によってマチマチですが、意外によく検察が立件するときに利用する条文ですよね。今回の事件でもし堀江被告人が有罪とされる場合、裁判所はこのスキーム自体がどういった理由で「偽計取引」に該当するのか、おそらくこれも否認事件である以上は詳細に検討されることになると思われます。以前ホリエモン逮捕の折には、私のブログでは「罪刑法定主義」との関係でエントリーを立てておりましたが、どうも資本市場における不公正取引規制を実効性あるものとする要請からみますと、かなり罪刑法定主義が後退せざるをえない、というところが世間の一般常識のようでした。そうであるならば、相場操縦における「誘引目的」に関する判例同様、せめて裁判所における先例にこそ、今後の「偽計取引」の範囲を合理的に限定する機能を期待したいところであります。金融商品取引法には157条において立派な不公正取引取締のための包括禁止規定が存在するにもかかわらず、そちらは適用せずに158条の「風説の流布」「偽計取引」を用いて立件するといった手法は、今後も増えるものと思われます。つまり157条に代わって158条が一般法規としての有用性を持ちうるのであるならば、ぜひこのたびの裁判所の判断において今後の実務に参考となる判断基準を打ち立てていただきたいものであります。

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2006年9月 5日 (火)

ペナルティの実効性を考える

「内部統制システムの整備が企業の法令遵守(コンプライアンス)に役立つ」ということは巷間よく言われるところであります。西武鉄道事件を契機として、日本版SOX法導入を金融庁が決定し、企業会計審議会のなかに内部統制部会が設立されたことをみましても、「企業不正防止への取組みと内部統制システムの整備」との関係については切っても切れない関係にあることはよく知られているところだと思われます。ところで、なぜ内部統制システムの整備が企業の法令遵守と結びつくのでしょうか?経営管理体制がきちんと整備される、というのは従業員の行動規範をきちんと決められたり、社員教育が行き届くからなのでしょうか、それとも悪いことをするだけの裁量権を社員から奪ってしまうほどの監視システムが誕生するからなのでしょうか?このあたり、皆様方はどのようにお考えになっていらっしゃるんでしょうか。私は、従業員の業務執行に及ぼす影響を否定するわけではありませんが、内部統制システムの整備がコンプライアンス向上に結びつく理由は、それが「社長の経営姿勢への評価」につながるから、つまりペナルティの実効性が経営者への人的な評価に影響を与える制度だからだと考えております。

大阪には御堂筋線という地下鉄があります。この御堂筋線には「女性専用車両」と「携帯電話OFF車両」というのが設けられておりまして、いずれもドア部分に大きく指定車両であることがわかる掲示板が張られております。「女性専用車両」のほうは、まちがいなく男性は乗りませんし、たとえ乗車したとしましても、あわてて車両を換える男性がほとんどだと思います。ところが「携帯電話OFF車両」のほうはといいますと、ほとんどの乗客が平然と携帯の画面をみてメールをうったり、ゲームに興じたりということでして、まったくといっていいほど携帯電話を乗車時に電源OFFに切り替える方はいらっしゃいません。また、これを咎める乗客の方もいらっしゃいません。どちらも社会的に必要が感じられるところから設けられた車両であって、マナー違反への社会的な評価の程度は同じはずであります。にもかかわらず、どうして女性専用車両はマナーが守られて、携帯電源0FF車両のほうは守られないのでしょうか?これはおそらく、規律違反に対する評価は同じであったとしても、女性専用車両への男性乗車ということには「副次的な社会的評価」というものがついてまわるからだと思います。つまり、規則違反という評価のほかに、女性専用車両へ乗る男性は「変態」とか「変質者」とか「性犯罪への匂い」のような評価が副次的についてまわるところがあり、これを男性が極端に嫌がる傾向があるからではないでしょうか。これがたとえば台湾のように、女性専用車両は「両性の平等に反する」といった男性による人権運動の盛り上がりと結びつきますと、その「変質者扱い」といった評価が消えてしまいますから、堂々と男性が自らの信念のもと「女性専用車両」へ大勢で乗り込み、結局女性専用車両廃止へと向かうことになるわけであります。(読売新聞ニュース)つまり、社会に存在する規則に伴うペナルティの実効性を支えているものは、その違反に対する根本の制裁とは別の「プラスα」の部分である、といったケースは案外多いと思われます。

これを企業法務といった視点から眺めてみますと、企業の法令違反やその業界における自主規制違反へのペナルティをいうのが、正規のものですとあまり痛くもかゆくもない、というものが実に多いですね。ところが、そういった法令違反を行った企業はその違反が発覚することで「企業倒産のおそれ、経営不安の兆候あり」といった社会的評価と結びついたり「反社会的勢力とのつながりを連想させる」といった評価と結びついたりする場合ですと、極端にリスク評価としての緊急性が高まり、全社あげて法令遵守に尽力するようになるわけです。いま、金融商品取引法における内部統制報告実務に話を戻しますと、以前のエントリーでも書きましたが、企業が内部統制システムの構築のための実施基準に反する行動に出たとしましても、それだけではほとんどペナルティをいうものは企業に課されないわけですね。(もちろん有価証券の不実記載に該当するほどに、内部統制システムの構築をまったくしていないのに万全だと報告するような場合は別です)監査法人による内部統制評価への不適正意見がバンバン出るといった事態もあまり考えらませんから、これも内部統制システム整備がコンプライアンス経営に影響する要因とはならないようです。

そこで、さきほどのペナルティの実効性を高めるための「プラスα」理論を内部統制システムの世界にも応用する必要があります。内部統制システム構築違反、といった形式的な社会的制裁を考えるのではなく、経営者の人格や資質と違反とを結びつけるわけですね。つまり内部統制に関する自社の有効性評価は社長の責任のもとで行うこととして、不実記載がないことと、なぜないと判断したのかその理由を書いた確認書を経営者自身の名前で提出することを義務付けることになります。そして、そもそも内部統制システムを有効なものとして社内で整備する責任者は経営者本人であること、その自覚を有効性評価において最重要課題として位置づけることを監査基準として明記すべきであります。そうすることによって、もし社内で不祥事が発覚した場合には、それが「限界」事例に該当しないかぎり、内部統制システムの構築義務違反の問題が発生しまして、「社長失格」「社長の人格評価の低下」といった問題を代表者がつきつけられることになるわけです。この「みっともない社長」という評価そのものが、経営者に内部統制システム構築の重要性を認識させ、本気で取り組む姿勢を築き、本来的に内部統制システムの整備が企業不祥事を減らす大きな要因になりえます。

内部統制部会長の八田教授は、9月1日の内部統制に関するセミナーにおきまして、経営者不在の日本版SOX法への対応に苦言を呈された、とのことであります。私も経営者不在の統制システム構築はマズイと考えておりますが、それは上記のとおり、経営者が関与していなければ、違反行為に対するペナルティの実効性が失われるからだと認識をしております。きちんとした内部管理体制ひとつも形成できない経営者はみっともない・・・、こういった意識を涵養する土台を作らなければ、そもそも日本の社会に内部統制システムの構築といった概念は御堂筋線の「携帯電源OFF車両」と同様、かけ声だけで終わってしまうシステムになりかねないと思うのですが、いかがでしょうか。

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2006年9月 3日 (日)

同和鉱業の株主安定化策と平等原則

日本郵政も、新しい会社において敵対的買収防衛策の導入(ライツプランだそうですが)を検討している、とのトップの発言がありました。最近はあちこちの上場企業で事前警告型買収防衛プラン導入のお知らせが開示されておりますので、買収提案を受けるような事態にでもならない限りはあまり報道されることもなくなってきましたね。(ちなみに、私の名前も8月29日、ある企業の開示情報(防衛プラン導入のお知らせ)に出ております。いわゆる独立第三者委員会委員でありますが・・・・・( ̄▽ ̄;) 大阪じゃないので、なんかありましたら、けっこうタイヘンですけど・・・)

ところで、8月30日の開示情報によりますと、製錬、環境事業で著名な同和鉱業(株)が、3年間継続して株式を保有した株主に行使を認める条件付きの新株予約権(保有株式1株につき0.05株)を11月に無償割当されるそうです。(同和鉱業・長期株主に新株予約権 読売ニュース こちらは日経ニュース)「株主還元策」ということですが、実質的には「株主安定策による敵対的買収防衛策」といった意味合いが強いのかもしれません。いろいろなブログを拝見しましても、また株価動向を見ましても、株主還元策としては画期的であり注目に値する、とのこと。持株会社制への移行の時期とも合わせた公表タイミングもあって、比較的評判がいいみたいです。

あまり法律上の論点などに触れていらっしゃるブログもなさそうですので、私の理解不足なのかもしれませんが、そもそも「3年間保有した株主だけに行使を認める」という行使条件付きの新株予約権の無償割当というのは、株主平等原則に反することにはならないのでしょうか。会社法では109条で平等原則が規定されておりますが、最近は敵対的買収防衛策(とりわけライツプラン)との関係や、株主優待制度との関係などで、すこしだけ問題になったりするわけですが、企業の資金調達の多様性を重視する立場から、あまり平等原則を厳格に考えることはせずに、合理的な範囲での取り扱い上の差別化は許容範囲にある、とみる見解が通説的だと思われます。ただ、なにが不合理な取扱に該当するか、といいますと、たとえば支配株主が多数決原理を濫用して、少数株主に不利益を与えるような取扱などは、許容されない平等原則(つまり平等原則違反としての不公正発行)に該当する可能性があるようですね。このあたりは昨日発売されました江頭憲治郎教授の「株式会社法」124頁から126頁あたりでも、「株主平等の原則とその限界」「株主の義務-誠実義務」あたりで少し論じられているところであります。そもそも会社法は法定保有期間要件(差止請求権を行使できる株主の保有期間要件など)を個別に規定して、その平等原則の例外を定めているのでありますから、法定されていない場合の持株数に比例しない株主の権利の差別化は認められない、といった理屈も成り立つのかもしれません。

もう少し実質的に考えてみますと、保有期間3年で新株予約権を行使できる、という条件で毎年一回、同じ比率で割当を続行するとして、全株式の半分に該当する株式は流動性があり、半分は支配株主がそのまま保有した場合には、10年後には支配株主は約58%の株式を支配できることになり、20年後には約68%を保有できることになります。たしかに、どの株主でも3年間保有すれば新株予約権を行使することができるわけですから、経済的な利益という面では平等に取り扱われている気もしますが、会社を支配しうる株主とそうでない少数株主とでは支配利益という意味でいえば長期保有へのインセンティブには大きな違いがあるわけでして(そもそも1億円ほどの株式を保有している場合でも、3年度に同じ株価であっても500万円分ですから、これが短期売買を目的とした人たちに長期保有を勧めるだけの動機付けになるのでしょうか。やはり会社支配の意欲が上乗せされていなければそうそう長期保有を決定付ける理由にはならないようにも思えますが)、そうであるならば(これが一回かぎりのお祭り行事ということでしたら別でありますが)この無償割当は少なくとも支配株主による資本多数決濫用のおそれのある制度ではないかな・・・・・とも思ったりします。株主優待制度というものは、あくまでも株主への経済的利益の平等配分の是非が問題となっている点で、また同じく株主還元策といわれている「自社株買い」というのは、あくまでも法令で認められている制度を利用したものである点で、こういった長期保有株主だけに株式を付与する制度とは異なるもののように思いますが、いかがでしょうかね。

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2006年9月 2日 (土)

監査役のジレンマ

大阪弁護士会と公認会計士協会近畿支部との共同執筆「二次合宿」に突入しております。社外監査役の実務指針に絞った共著本制作のための全体合宿ですが、朝から夕方まで議論をしておりますと、公認会計士さん方の会社法へ向けた思考過程というものも次第に理解できつつありまして、非常に参考になりますね。

ところで、「社外監査役の善管注意義務」といったものを検討するなかで、すこしおもしろかったのが「監査役のジレンマ」です。会社法はコーポレート・ガバナンスの一貫として、監査役制度の強化(体制整備事項のひとつとして)をはかっておりますので、一般的には監査役はその職責をまっとうするために、取締役らに対して監査役事務局の充実など、その監査環境の整備を要求するところが多いと思います。(このあたりは内部統制システム整備に関する基本方針として、各上場企業からも既に情報の開示がされております)監査役による要求の結果、専任事務局の設置まで実現した企業というところは、よほどの大手企業でないとなかなか困難なのが現状のようで、とりあえず内部監査部や総務部などとの兼任事務局といったものが設立されたところが多いのではないでしょうか。まぁ、たとえそのような事務局であったとしましても、これまでの企業一般における監査役制度への重要度は、このたびの会社法が成立したことを契機として確実に上昇したことは間違いないところだと思います。

さて、監査環境が旧法時代と比較して格段に整備されたのであれば、たしかに監査役の権限強化ということが現実のものになるわけですが、果たしてそれで監査役の方々は「自分達の地位が上がった」と喜んでおられるのでしょうか。どうも、手放しで喜んでばかりもいられないようでして、きょうの共同研究では、監査役の監査環境が整うということは、それだけ(常勤も含めて)監査役の善管注意義務の及ぶ範囲が広くなったり、要求レベルが高くなったりするのではないか、ということがかなり議論の対象になりました。おそらく実際にも監査役制度への社会の信頼が高まるぶん、もし社内の違法行為の兆候を見逃したような場合には、いままでの監査役でしたら「そやけど、調べたくても調べられへんやんか」と逃げることもできたかもしれませんが、これからは監査役スタッフを使って、あるいは会計監査人や内部監査人との連携によって調べようと思えば調べることができたのに、基本的な任務を怠った、と評価される場面が増えてくるように思われます。ここのところは、あまり議論されてこなかったかもしれませんが、よく考えてみますと弁護士や公認会計士が社外監査役や社外取締役に就任する場合の、社外役員の善管注意義務のレベルの問題と同じことがいえそうです。たとえば常勤監査役から監査役会において、さまざまな情報を提供されたとして、法律や会計の専門的な知見を有する社外監査役と、そうでない監査役とでは、同じ情報を共有していたとしても、「気づき」の度合いは異なって当たり前でしょうし、せめて専門家としての一定水準の能力を有していれば気づくべき問題を認識できなかったという場合、通常の社外取締役においては重過失がないとされるケースでも、その監査役が会計士さんや弁護士の場合でしたら、重過失の認定されることは十分ありうる話です。逆に申し上げますと、そういった専門的知見を有する社外監査役が存在することはコーポレートガバナンス報告書などによって開示の対象となりますから、社会的な信用が高まることと裏腹の関係に立つのかもしれません。

会社のなかにおきまして、監査役(会)制度の地位が上がってしかるべきだとは思うのですが、それは反面からいいますと、「聞かないでよかった話まで、聞かないといけなくなる、もし聞いてしまったら確実になんらかの対応が必要となる」ということですから、監査役の方々は思い責任を背負い込んでしまった現実を直視する必要がありそうです。上場企業の場合ですと、こういった場合に監査役会における職務分担の合意によって、いわゆる信頼の抗弁が成り立つほどの責任限定手段をとりうるかどうか、このあたりも次の問題として浮上してくるようですが、これはまた別の機会にでも取り上げてみたいと思います。

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