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2006年9月 5日 (火)

ペナルティの実効性を考える

「内部統制システムの整備が企業の法令遵守(コンプライアンス)に役立つ」ということは巷間よく言われるところであります。西武鉄道事件を契機として、日本版SOX法導入を金融庁が決定し、企業会計審議会のなかに内部統制部会が設立されたことをみましても、「企業不正防止への取組みと内部統制システムの整備」との関係については切っても切れない関係にあることはよく知られているところだと思われます。ところで、なぜ内部統制システムの整備が企業の法令遵守と結びつくのでしょうか?経営管理体制がきちんと整備される、というのは従業員の行動規範をきちんと決められたり、社員教育が行き届くからなのでしょうか、それとも悪いことをするだけの裁量権を社員から奪ってしまうほどの監視システムが誕生するからなのでしょうか?このあたり、皆様方はどのようにお考えになっていらっしゃるんでしょうか。私は、従業員の業務執行に及ぼす影響を否定するわけではありませんが、内部統制システムの整備がコンプライアンス向上に結びつく理由は、それが「社長の経営姿勢への評価」につながるから、つまりペナルティの実効性が経営者への人的な評価に影響を与える制度だからだと考えております。

大阪には御堂筋線という地下鉄があります。この御堂筋線には「女性専用車両」と「携帯電話OFF車両」というのが設けられておりまして、いずれもドア部分に大きく指定車両であることがわかる掲示板が張られております。「女性専用車両」のほうは、まちがいなく男性は乗りませんし、たとえ乗車したとしましても、あわてて車両を換える男性がほとんどだと思います。ところが「携帯電話OFF車両」のほうはといいますと、ほとんどの乗客が平然と携帯の画面をみてメールをうったり、ゲームに興じたりということでして、まったくといっていいほど携帯電話を乗車時に電源OFFに切り替える方はいらっしゃいません。また、これを咎める乗客の方もいらっしゃいません。どちらも社会的に必要が感じられるところから設けられた車両であって、マナー違反への社会的な評価の程度は同じはずであります。にもかかわらず、どうして女性専用車両はマナーが守られて、携帯電源0FF車両のほうは守られないのでしょうか?これはおそらく、規律違反に対する評価は同じであったとしても、女性専用車両への男性乗車ということには「副次的な社会的評価」というものがついてまわるからだと思います。つまり、規則違反という評価のほかに、女性専用車両へ乗る男性は「変態」とか「変質者」とか「性犯罪への匂い」のような評価が副次的についてまわるところがあり、これを男性が極端に嫌がる傾向があるからではないでしょうか。これがたとえば台湾のように、女性専用車両は「両性の平等に反する」といった男性による人権運動の盛り上がりと結びつきますと、その「変質者扱い」といった評価が消えてしまいますから、堂々と男性が自らの信念のもと「女性専用車両」へ大勢で乗り込み、結局女性専用車両廃止へと向かうことになるわけであります。(読売新聞ニュース)つまり、社会に存在する規則に伴うペナルティの実効性を支えているものは、その違反に対する根本の制裁とは別の「プラスα」の部分である、といったケースは案外多いと思われます。

これを企業法務といった視点から眺めてみますと、企業の法令違反やその業界における自主規制違反へのペナルティをいうのが、正規のものですとあまり痛くもかゆくもない、というものが実に多いですね。ところが、そういった法令違反を行った企業はその違反が発覚することで「企業倒産のおそれ、経営不安の兆候あり」といった社会的評価と結びついたり「反社会的勢力とのつながりを連想させる」といった評価と結びついたりする場合ですと、極端にリスク評価としての緊急性が高まり、全社あげて法令遵守に尽力するようになるわけです。いま、金融商品取引法における内部統制報告実務に話を戻しますと、以前のエントリーでも書きましたが、企業が内部統制システムの構築のための実施基準に反する行動に出たとしましても、それだけではほとんどペナルティをいうものは企業に課されないわけですね。(もちろん有価証券の不実記載に該当するほどに、内部統制システムの構築をまったくしていないのに万全だと報告するような場合は別です)監査法人による内部統制評価への不適正意見がバンバン出るといった事態もあまり考えらませんから、これも内部統制システム整備がコンプライアンス経営に影響する要因とはならないようです。

そこで、さきほどのペナルティの実効性を高めるための「プラスα」理論を内部統制システムの世界にも応用する必要があります。内部統制システム構築違反、といった形式的な社会的制裁を考えるのではなく、経営者の人格や資質と違反とを結びつけるわけですね。つまり内部統制に関する自社の有効性評価は社長の責任のもとで行うこととして、不実記載がないことと、なぜないと判断したのかその理由を書いた確認書を経営者自身の名前で提出することを義務付けることになります。そして、そもそも内部統制システムを有効なものとして社内で整備する責任者は経営者本人であること、その自覚を有効性評価において最重要課題として位置づけることを監査基準として明記すべきであります。そうすることによって、もし社内で不祥事が発覚した場合には、それが「限界」事例に該当しないかぎり、内部統制システムの構築義務違反の問題が発生しまして、「社長失格」「社長の人格評価の低下」といった問題を代表者がつきつけられることになるわけです。この「みっともない社長」という評価そのものが、経営者に内部統制システム構築の重要性を認識させ、本気で取り組む姿勢を築き、本来的に内部統制システムの整備が企業不祥事を減らす大きな要因になりえます。

内部統制部会長の八田教授は、9月1日の内部統制に関するセミナーにおきまして、経営者不在の日本版SOX法への対応に苦言を呈された、とのことであります。私も経営者不在の統制システム構築はマズイと考えておりますが、それは上記のとおり、経営者が関与していなければ、違反行為に対するペナルティの実効性が失われるからだと認識をしております。きちんとした内部管理体制ひとつも形成できない経営者はみっともない・・・、こういった意識を涵養する土台を作らなければ、そもそも日本の社会に内部統制システムの構築といった概念は御堂筋線の「携帯電源OFF車両」と同様、かけ声だけで終わってしまうシステムになりかねないと思うのですが、いかがでしょうか。

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コメント

fujiです。今日の日経朝刊の経済教室に神田先生が新会社法と金融商品取引法について論じられていますね。個人的にこれだと思ったのは法律の「改正の方向は世界における動向と整合的である」とするうちの5番目で内部統制システムが「機能していれば万が一何かが起きたとしても経営者の個人責任は問われない」というところです。人間って何かルールを作るとそれに拘束されることに対する負担感から反発が多いですが、それさえ守れば責任から解放されることにまで理解が及ばないのですよね。

投稿: fuji | 2006年9月 5日 (火) 09時47分

初めてコメント差し上げます。
いつも面白い切り口でtoshiさんのブログが
毎朝の楽しみになっております。
八田先生の最近の言動や、toshiさんのご指摘
もなんとなく頭では理解できるのですが
さて、「経営者の関与」が必要な内部統制とは
いったい具体的にはどんなイメージなんで
しょうか。
企業行動規範とか、倫理綱領とかコンプライ
アンス原則を経営者が作るとして、その浸透
をはかる、といったイメージでいいのでしょう
か。私のなかではシステムの構築というのは
道徳的な意味合いはなく、それはシステム
構築の枠外にあるもの、経営者の関与というの
はできあがったシステムにいかに経営者の主張
をのせるか、といった問題と捉えているので
すが、おかしいのでしょうか。
経営者の関与ということを強調しますと、
システムの有効性というものが、その経営者の
思想信条に左右される、ということはありま
せんでしょうか。
そのあたりがとってもボーっと曖昧な感じが
しておりまして、いつも悩んでおります。
toshi先生の客観的な整理をまた期待しており
ます。

投稿: ソフトロー研究者 | 2006年9月 5日 (火) 10時25分

■全国共通 女性専用車両 総合スレッド Part10■
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/rail/1154337115/

投稿: ■全国共通 女性専用車両 総合スレッド Part10■ | 2006年9月 5日 (火) 14時52分

>fujiさん
コメント、ありがとうございます。私も神田教授の日経論稿、読みました。以前ご紹介しました「会社法入門」にも、会社法において内部統制システムの整備を論じる意味はリスク管理機能と自由保障機能と書かれていますね。昭和50年代初めに、法律の世界で初めて「内部統制」を論じた神崎先生も、監視義務を曖昧に議論することが取締役の職務に萎縮的効果を与えていることを問題視したすえのものでした。
ただ、現実の問題としては、「どこまでシステムを整備すれば善管注意義務違反にならないのか」ということですが、このあたりは株主に被害が発生したときに問題になるわけですから、単に経営判断原則に守られている、といった安易な気持で対応していてはいけないだろう・・・といった印象を持っております。

>ソフトロー研究者さん
はじめまして。コメント、ありがとうございます。私はけっして経営者の思想信条そのものが評価対象になるわけではないと思います。
たとえば不正経理を回避するためには経営者としてどうすればいいのか、ということ自体、それほど道徳といった問題を持ち出す必要はないのではと思います。「経営者」が内部統制の有効性を評価するのが報告実務の基本ですが、それではどのように評価すれば有効性判断ができるのか、それを説明できなければ「確認書」は出せないはずだと思いますので、そこが各社もっとも重要なところだと考えております。それは「人」に起因することもあれば「規則や組織」に起因するところもあって、各社各様ではないでしょうか。ここのところは「アットホームな会社」の続編でまた触れてみたいと思います。もうすこし整理にお時間をください。

投稿: toshi | 2006年9月 6日 (水) 09時51分

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