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2006年9月22日 (金)

ダスキン株主代表訴訟控訴審判決(その2)

日弁連法務研究財団の「会社法実務研究会」で、ダスキン株主代表訴訟控訴審判決を中心に研究発表をさせていただきました。神戸大学のK教授をはじめ、学者の先生方や企業法務に詳しい弁護士の方々とあれこれ議論するのは楽しいですし、また新たな論点が見つかったりしまして、非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。なお、判例タイムスの最新号にダスキン訴訟控訴審判決が全文掲載されていることは先日ご紹介したとおりですが、中央経済社「ビジネス法務11月号」では、このダスキン訴訟控訴審判決に関する東京のコンプライアンスに詳しい先生によります評釈(および控訴審判決の企業経営実務に及ぼす影響)が掲載されておりますので、ご参考にされてはいかがでしょうか。

上のビジネス法務11月号の論稿もそうですし、きょうの研究会における出席者のご意見もそうでしたが、ダスキン控訴審判決は、取締役らによる不祥事公表義務というものを一律に認めたものではなく、これを(取締役会を構成する役員らの)リスク管理の方法に不行届きがあった事例、と解釈するほうが穏当のようですし、このあたりは以前の私のエントリー(その1)における解釈とも合致するところであります。ただ、私は内部統制システムの構築義務と、危急時における取締役、監査役らのリスク回避義務とは異なる概念だと考えておりました。しかしながら、ちょっとこのあたりも検討事項になるんじゃないか、という気もしてきました。たとえば、もしダスキンという企業が、平時において「こういった不祥事が、こういった時期において判明した場合には、当社はこういった対応をとる・・・」と細かく規定していた場合(本当に将来の危機を予想して相当詳細に規定できるかどうかは別としまして)、もしその規定にしたがって、今回は当社の不祥事を非公表とする、との結論を取締役会がとったとすると、この判例と同様に各取締役、監査役に善管注意義務違反があった、との評価は同じだったでしょうか?もし、詳細に将来リスクの発生を予想して、それに向けての対応方法まできちんと決めていたのであれば、本件をリスク管理としての対応のまずさ、といったところこそが問題だと捉えますと、いちおうリスク管理規定に従った行動をとった、ということで役員らが免責される可能性も出てくるのではないか、と思いますがいかがでしょうかね。リスク発生時におけるその回避措置の是非(平時において、こういった場合には公表しない、と決めた規則の内容の妥当性)ということは別の問題として発生するかもしれませんが、すくなくともそういったリスク管理の運用面まで平時に検討するということになりますと、その回避策自体も内部統制システムの構築義務の一貫である、といった解釈も成り立つかもしれません。そもそも、会社法で理解されている内部統制システムの構築、といいますのはどういったシステムを構築するべきか、といったところだけでなく、その構築されたシステムをどう運用してきたか、というものも含むものと理解しております。このように危機対応のシステムまで含めて内部統制システムを構築していれば、そのシステムが信頼に値するものである以上は取締役は「信頼の抗弁」に近い考え方として、内部統制システムの構築義務違反に関する免責の対象になる、と考えてもいいように思われます。(神田教授が会社法における内部統制の問題は、リスク管理体制の構築と取締役の自由保障機能にある、と説明されるところとも通じるかもしれません)

さらに、そもそもクライシスマネジメントとして、あとでマスコミから「会社ぐるみの隠蔽工作ではないか」と問われたときに、「いえ当社は、クライシスマネジメント規約に則り、行動することになっておりますので、その規約に基づいて非公表といたしました」と堂々と説明できるかどうか、といったあたりもひとつの問題として成り立つのではないでしょうか。いずれにしましても、今後の判例などにおいて、公表すべき「不祥事」とはいったいどの範囲の不祥事を指すのか、発覚の時期次第では、そもそも不祥事を公表すべき義務があると考えるのか、またそのあたりについて事案の集積を待ちたいと思います。

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コメント

久々にコメントさせていただきます。個人的には、内部統制の問題は取締役の目が企業の隅々まで行き届かないことから、監視体制を構築せよという監視義務の一環としてとらえています。少なくとも今までの出された内部統制構築義務違反に関する裁判例はこの文脈で考えられているという理解です。取締役がいざ事情を知ったときにどのように行動するのかという部分に明確な規範など存在しないのであって、取締役が拘束されるべき有事のシステムは存在しないし、存在したとしてもそれに従ったら免責となるというシステムは現実的にありえないのではないかと考えています。システムを構築するのも取締役の判断であれば、それを覆すのも判断でしょうから、ダスキンのケースでいえば公表する事案を吟味するための社内規則が存在したとしても、それを覆すための権限が与えられている以上は取締役の免責という部分は難しいのではないでしょうか。取締役会における決議が過去の取締役会の判断を(内部的に)拘束できるかというとそれは難しいのではないでしょうか。

投稿: neon98 | 2006年9月22日 (金) 03時31分

最後の一文、「取締役会における過去の決議が将来の取締役会の判断を(内部的に)拘束できるかというとそれは難しいのではないでしょうか。」が正しいです。失礼しました。

投稿: neon98 | 2006年9月22日 (金) 15時12分

読んでおりまして、「リスク管理規定というのは
免罪符ではないのではないか?」という疑問を抱
きました。法律で義務づけられているというのな
ら裁量の余地は無いと考えられますけれども、そ
うでなければやはり経営判断の問題となって来る
と思います。

近○先生がどのように仰ったのか大変興味のある
ところですけれども、そもそも法令違反の事実を
非公表にすることが経営判断として許される場合
が果たしてあり得るのだろうかという素朴な疑問
もあります。

会社法が義務づける内部統制の法的性質に関する
部分も含めましてneon98さんのご意見に賛成です。

投稿: とーりすがり | 2006年9月22日 (金) 18時52分

公益通報者保護法との関連で考えてみたのです。公益通報者保護法は公益通報者の解雇の無効のみならず、第9条においての事業者による通報対象事実の中止その他是正のために必要と認める事業者による措置を求めていると解釈するのです。

公表を公益通報者保護法を求めているのではないと言えるが、ダスキン事件の場合にあっては、消費者・マーケットに既に販売されていたものであるから、必要な措置には事実の公表が含まれていたと私は考えます。

企業の不祥事の発端は、内部告発・内部通報に始まることが、そのほとんどであると私は考えるのです。経営者の義務は、自社のリスク管理の一貫として内部通報が行われやすい体制、それに対する措置が内部通報者を含め関係者に納得がいく形で実行される体制が作られることが重要と思うのです。

企業のガバナンス・内部統制の方向はコンプライアンスとしての法の遵守・社会正義の貫徹であろうと思うのです。外部通報による非難はリスクが大きいと思います。車メーカがリコールするのは、基本的にはリスク管理・内部統制の現れと私は考えるのです。

投稿: 売れない経営コンサルタント | 2006年9月22日 (金) 22時11分

こんばんわ。実は昨日の会社法実務研究会に参加していたりします(笑)ダスキン高裁判決に関する先生のレジュメは、以前から実務家の間で出回っておりまして、「お!中身が少し改訂されてるぞ!」と少し驚いた次第です。
ちょっと疑問に思いますのが、平成11年当時に、「もし公表しないでいれば、あとで必ずバレる」とか「いま公表するのと、後でバレて公表を余儀無くされるのとでは損害が違う」という認識が世間で一般化していたのかどうか、という問題です。平成18年という「現在」からすれば、2ちゃんねるがあったり、労働流動化が激しくなったり、内部通報制度があったり、ということで、「不祥事はバレる」という認識に立てますが、いまから7年も前にそういった認識が今と同じといえるかどうかはとても疑問に思います。また、マスコミが会社ぐるみの隠蔽といった問題(そもそも当時のマスコミの誤報もあるわけですが)を大々的にとりあげる傾向といったものが、その当時からあったと言えるのかどうか、そのあたりも確証はないのでは・・と考えたりします。
結局、公表すべし、という経営判断が成り立つとすれば、それは「早く公表しなければ損害が拡大する」という事実認識が、当時の取締役らにおける共通認識であった、という前提がなければ、取締役の義務違反とは結びつかないのではないでしょうか。もし、そういった前提がなければ、過去の不祥事(すでに消費者に健康被害もなく、出回っている商品も存在しないような本件の場合)について、なぜ公表義務が発生するのか、toshi先生の言われるように説明がつかないと思います。
コンプライアンスに関する法的な問題を議論するときにむずかしいのは、何がコンプライアンス違反となるのかは、その時代によって変容する、というところにあると考えます。「取締役の不祥事公表義務」というものが明文化されていない場合、裁判所はそれが取締役の遵守すべき義務に該当するかどうかは、その当時の社会風潮についても十分な検討が必要であるでしょうし、私自身としては、この判決文は「最近の風潮」にひきづられた判決だなぁといった感想をもっています。
取締役の監視義務違反といった曖昧な基準から、内部管理に尽力している取締役を解放するために内部統制構築論を考える(つまり自由保障機能)というのであれば、その当時のコンプライアンスとは何かを検討したうえで、「こういった場合には公表しない」といった内部規則が決議のうえ規定されているのであれば、それはひとつのリスク管理(損失の危険の管理に関する体制整備)にあたるものと思いますし、私は取締役が免責される可能性は十分にあると思いました。長くなって、申し訳ありません。

投稿: あすくる | 2006年9月23日 (土) 02時03分

追加で失礼いたします。あすくるです。
手元にレジュメがないままに記憶をたどって書きましたので、平成11年→平成12年かもしれません。
また、裁判所が「不祥事はバレる」と判断したのは、口止め料を支払ったような過去があり、その支払った対象者に対してダスキンが社内処分を行ったからだ、という説明をtoshi先生がされていたような記憶もありますので、付言しておきます。
なお、近○教授は、この問題については静かに聞いておられて、コメントをされていなかったと記憶しております。

投稿: あすくる | 2006年9月23日 (土) 02時11分

件の行為は食品衛生法違反なんですよね(確か)。
でしたらその事実を知った場合には直ちに当局に届け
出なければならないように思うのですが。
違法行為を隠蔽することを許すような経営判断という
ものがありうるということにまだ疑問を感じています。
「不祥事公表義務」とするより「法令遵守義務」に包
摂されると考えた方がいいようにも思います。

#取締役の責任論についてとくに素晴らしい研究業績
 を残されている近○先生には是非コメントしていた
 だきたかったです。

投稿: とーりすがり | 2006年9月23日 (土) 07時46分

この判決については、あすくるさんなどのご指摘の通り、当時の社会風潮を考えると、本件の取締役については、当時は社会通念上義務はなくても、裁判時の現在は義務ありとする風潮の中で、裁判時の基準で判断されるという(結果無価値的な発想:個人的には行為無価値的立場ですので、一部結果無価値への批判的意味合いを含めています)酷な結果になっていると思います。

 ただ、内部統制システムの議論との関係で、この判決を現代の社会風潮の中で、どのように解釈し、企業実務家として教訓化していくかはまた、別の観点から考察すべきだと思います。
 そして、内部統制システムとの関係で考えた場合、私は、クライシスマネジメント(プレス発表・対応等を含めたクライシス・コミュニケーションを含む)は、内部統制システムの一部として会社法上も整備しなければならないとされていると解釈しており、会社法施行直後のセミナー等から一貫して(コンサルティングの場面でも)、受講者(やクラインアントに)の方には、クライシスマネジメントの体制やBCP(事業継続計画)までをも整備、少なくとも検討対象としておかなければなりませんよ、と訴え続けてまいりました。根拠は、あすくるさんもご指摘の通り、法務省令の「損失の危険の管理に関する規程その他の体制」の部分、及び内部統制の法的性質(善管注意義務:当時の取締役一般に求められる経営者としての認識。企業不祥事等が絶えない現在は、企業の危機管理上(経営上)クライシスマネジメントの体制整備は一般に求めらていると考えられます。したがって取締役に求められる善管注意義務としては、当然にクライシスマネジメントの体制整備も内部統制システムの一部として求められている)です。

 そして、クライシスマネジメントに関する体制を整備すれば、本件事案が、その会社の公表基準を満たすのか、満たすとすればどのような形でプレスをしていくのかを判断していくことになります。過去の例であっても健康被害の申し出等が当時クレームとしてあがってきたかなどを調査をして無ければない、あればあるで、公表していくことになります。

 私も早速判例タイムズを買って判例を読んでみましたが、ダスキンとしては雪印食品の例を受けて社内で様々な取り組を行っており、ただ、クライシスマネジメント等に関する対処は杜撰な部分があったと考えざるをえないのではないかと評価しています(当時としては、よくやっていた企業だと思いますので、前述の取締役に酷という記述はその意味です)。

 もちろん、内部統制システムの整備は完全な免罪符ではありませんので、整備されていてそれが社会通念上合理的なものであれば取締役の免責になるが、社会通念上不合理なものであればそもそも善管注意義務という本質を有することから考えても取締役一般に求められる注意義務に足りていなかったものとして免責はされないと考えます。(実質的に違法性阻却の判断がはいりますが、このあたりは刑法の違法性阻却事由の判断と共通してくるのでしょうか。)


以上、かなり長くなりましたが、あくまで内部統制システムに関する私見と、ダスキン事件の内部統制システムとの関係での評価を書かせていただきました。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年9月23日 (土) 10時28分

みなさま、ご意見ありがとうございます。個別の意見に対しては追って回答させていただくこととして、とりあえず問題整理に関するエントリーを立てました。

投稿: toshi | 2006年9月24日 (日) 03時29分

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