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2006年9月19日 (火)

コンプライアンス経営はむずかしい(判決編)

判例タイムスの1214号(9月15日号)に、蛇の目ミシン株主代表訴訟最高裁判決(平成18年4月10日判決)と、ダスキン訴訟控訴審判決(同年6月9日判決)の全文が掲載されております。(ダスキン判決につきましては研究したい、という方が多いようですので、やっと・・・という感がありますね)今週、ある研究会の発表担当であることと、現在執筆中の共著本のなかに判例要旨を引用する必要があることで、この二つの判決をこの機会にもう一度、きちんと読み直してみました。各裁判における法律上のもっとも大きな争点につきましては、それぞれ蛇の目ミシン最高裁判決ダスキン公訴審判決というエントリーで、すでにコメントをさせていただいておりますので、本日は企業コンプライアンス、とりわけ経営陣のコンプライアンスに焦点をしぼって書き留めておこうと思います。

この二つの判決に共通する問題点というのが、実はいくつかあるみたいです。取締役らの違法行為とされていますのは、蛇の目ミシンのケースでは取締役らによる仕手筋に対する高額の利益供与によって最終損害額340億円の被害を会社に与えたということ、ダスキンのケースでは口止め料の支払と違法添加物混入の豚まんを販売して、これを隠匿していた、というものです。いずれもマスコミで大々的に報道され、社会的な非難を浴びた事件だったのですが、これらの判決文をよく読んでみますと、いずれもその原因となる小さな事件が発生しているわけです。この小さな事件への取締役らの対応こそ、全社的な大きなコンプライアンス問題に発展するかどうかの分水嶺だったようです。

まず蛇の目のケースですが、銀行から蛇の目ミシン工業に移籍して蛇の目の役員になっていた方が、仕手筋のI氏からの連日連夜の脅しによって平常心を失い、他の役員の反対を押し切って、I氏の経営する会社の借金を蛇の目が責任をもって返済する旨の確約書をI氏に提出してしまった、というものです。「これはヤバイ」と思った他の取締役らも、とりあえず確約書を提出してしまった取締役をかばう気持と、こういったゴタゴタが世間に知れ渡ると、名門企業の信用が毀損されてしまう、といったブランド保護主義的な考え方から、けっきょくのところ仕手筋の言うがままに高額の利益供与や仕手筋が経営する会社への融資支援(担保提供)に走っていくことになります。そして、もうひとつのダスキンですが、こちらはある日本を代表する著名洋酒メーカーの子会社(飲茶事業の技術支援をしていた。この技術支援会社が、結局のところ、日本で使用が許可されていない添加物が使われていることを知らなかった、ということで、大きな事件の発端を作ったものである)をかばおうとしたところから(つまり長年の取引とか、これからの取引のことを考えてかばおうとしたものと思われます)、ずるずると口止め料を払ったり、違法添加物混入を知りながら豚まんを売り続けていた、というものであります。社内で違法添加物混入の事実が明確に判明して、その後取締役や監査役らが公表しない方針を決定したことも、身内の不祥事発覚を防止しようとしたことと企業ブランドを守ろうとしたことからだと思われます。社内で発生した比較的小さな不祥事、それを抜本的に解決することをせずに、身内をかばう意識とか、企業ブランドを保護しようという意識、そして隠し通せると考えたリスク管理に関する認識の甘さというものが、企業の信用を回復しがたい重大な不祥事へとつながる図式は、まさに二つの判決事実に共通するところといえそうです。

こういった比較的小さな不祥事を知った取締役の対応、という点に裁判所はたいへん厳しい法令遵守を求めているわけであります。蛇の目では、心労の重なった役員が確約書提出する行動はわからないでもないが、その時点で他の役員達も警察に届け出るなどして損害発生を予防することができた、としております。つまりその時点で企業不祥事を明るみに出すことを求めているものでして、これはダスキン事件において、取締役全員が不祥事を知った段階で公表すべきかどうか、きちんとリスク回避可能性を検討すべきであった、とする高裁の判断とも似ております。ただ、ここで非常にムズカシイのは、行動当時の取締役らの常識から考えて、本当に警察への届出やマスコミへの公表ということが期待可能性があったと言えるかどうか、という問題であります。蛇の目の違法行為につきましては平成元年ころのお話ですから、いわゆるバブル経済真っ只中、誰も右肩上がりの疲弊を信じていなかった時代でしたから、300億円くらいは、また財務政策によってなんとかなる、といった楽観論が世間に蔓延していた時期のお話であります。そんな時代背景のなかで、取締役らに警察への届出、という常識が通用したのかどうか。また、ダスキン事件につきましても、そもそも「公表義務」というものが取締役にあるのかどうかも不明ではありますが、とりあえず取締役ら(公表しなくても)は、発覚するおそれは少ないだろうし、そもそも発覚しても大きな問題になることはないだろう、と楽観視されていたのではないでしょうか。こういった時代背景のなかにおける経営判断を検討するに、果たして二つの裁判(判決内容)が要求しているような経営陣のコンプライアンス対応が、本当に行動として結びつくものだったのかどうか、これを考えますとコンプライアンス経営はやはりムズカシイものだと思います。

こういった事態を踏まえて、今度は取締役のリスク回避義務との関係で、「ダスキン事件と内部統制システム整備」というエントリーを次回に書いてみたいと思っております。(それにしましても、蛇の目最高裁判決を読んでみて、1回も監査役という言葉が出てこないのは違和感がありました。やはり平成4年ころからの商法改正などによって、これまで次第に監査役の地位が向上していることは間違いないと思います。

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