世間では「内部統制ブーム」がまだまだ続いているようでして、私もセミナーの参考にさせていただこうと、いろいろな学者、実務家の方の「金融商品取引法」解説本を読んだりしております。(私の知りうるかぎりでは、メジャーなところでは9冊~10冊くらいは出版されているのではないでしょうか)しかしながら、どの本も、これだけ「日本版SOX法」と言われ続けているにもかかわらず、ほとんど内部統制報告実務(内部統制報告書関連)について「突っ込んだ解説」がなされているものは見当たらないようですね。もちろん、省令・府令が公表されていないので、深く解説したくても解説できない、といった事情があるかもしれません。ただ私としましては、どうも金融商品取引法(改正証券取引法)といった大きな法律のなかにあって、この内部統制報告実務に関しましては、(体系的にみて)かなり他の部分との「関連性の薄い」項目であることに起因しているものではないか、と推察しております。
まずなんといいましても、金融商品取引法は、従来から「投資サービス法」と言われてきたわけでありますが、この内部統制報告実務というのは、投資サービス法とはほとんど関係を持っていない分野ですよね。昨年7月に神田教授が責任編集をされている「投資サービス法への構想」におきましても、「内部統制」という言葉は索引にすら出てきません。だいたい解説本を執筆されている方は、平成10年ころからの金融サービス法の構想からワーキンググループなどに参画している方が多く、金融商品に関する横断的規制、柔構造規制といった内容についてはお詳しいのですが、途中から問題になってきた企業開示関連の行為規範については、ワーキンググループで議論されていなかったと思いますので、そのあたりが関係しているのかもしれません。まず、これだけでも内部統制報告実務というのは異質な存在ではないか、といった思いがいたします。
もちろん、投資サービス法構想のころから、企業情報の開示に関してまったく注意が払われていなかった、というわけではないようです。先にあげましたように組織再編時において株主や一般投資家が不利益を受けないような仕組みや、企業情報のうち、何を強制的に開示させるようにすべきか、といった開示規制問題については議論されていたようです。しかしながら「財務計算に関する書類その他の情報の適正化を確保するための体制評価制度」についてはあまり関心がもたれなかった。ただ、これもなんとなく納得できるところがあります。「企業情報の開示に関する項目」として考えてみますと、内部統制報告書の報告内容自体はなんら「開示」とは関係ないわけですよね。開示と関係するのは、財務諸表についてでありまして、その根拠となっている数値、項目の信頼性を確保するための制度が内部統制報告書制度であります。したがいまして、四半期報告や公開買付制度、大量保有報告書制度などにように、その報告内容が投資家の判断指針になる、というものではなく、むしろ代表者の確認書と同じく、財務情報の報告内容の透明性を高める制度ということになりそうです。(ちなみに、企業改革法の本場アメリカにおける内部統制報告書はどうなっているかといいますと、たとえばIBMの2006年アニュアルレポートの12ページには、内部統制報告書が記載されておりますが、その報告内容をみましても、八田先生が著書・日本経済新聞社「内部統制の考え方と実務」95頁で見本として記載していらっしゃるものと、ほとんど同じでありまして、報告書自体が投資判断に資するような記載内容は一切ありません。まぁアメリカの場合は、日本の金融商品取引法とは異なり、内部統制報告書自体真正に作られたことが、CEOの宣誓義務の対象となりますので、あまり余計なことは書かないのが当然といえば当然かもしれませんが。)そうなりますと、企業開示といいましてもその中でも、この内部統制報告書というものは、かなり異質な存在になるものと思われます。衆議院や参議院で、この金融商品取引法の成立におきましては、たくさんの附帯決議が出されておりますが、どちらの附帯決議におきましても、この内部統制報告実務に関するものはひとつもありません。金融商品取引法案が議論されていたころには、この内部統制報告実務というものはあまり大きく採り上げられることもなかったわけです。業者ルールの横断化、柔構造化、自主規制のあり方や敵対的買収防衛ルールと投資家保護といったあたりが中心課題であって、この内部統制報告書といったものが、「横からスルっと」入り込んだようなイメージではないでしょうか。
ところが世はまさに「内部統制ブーム」となりました。内部統制部会長の八田教授の言葉をお借りすれば「内部統制ビッグバン真っ只中」といった感がいたします。ただ、どうも金融商品取引法のご専門の方々の見方と世の中のパッションとは「乖離(かいり)」といいますか「齟齬(そご)」といいますか、大きな溝が横たわっているように思えてしかたありません。会社法と金融商品取引法と別個に「内部統制」といった言葉が登場したことや、不正会計事件の頻発によって監査法人の信頼性に疑問が呈されて政治的配慮が働いたことなど、すぐに思いつくところの要因もあるでしょうが、それだけでは一過性の話題にはなるかもしれませんが、世を挙げての「ビッグバン」とまではいかないような気もします。そこで、これまでブームとなってきた大きな要因というものを私なりに二つ挙げてみたいと思います。
1 コンプライアンス経営への企業の渇望
病院やファッションホテルのM&Aや、今はなつかしい「住専」の顧問などの仕事を楽しくやっておりました4年ほど前に、ひょんなことから「内部統制」ということに興味を覚えまして、それから会計士さんにいろいろと教えていただいたりして、この言葉をずっと追っかけてきたわけでありますが、「内部統制」がメジャーになる過程ではCOSOフレームワークにある「法令遵守」と密接に結びついて登場してきた、と記憶しております。(ちなみに、私が保有しております資格に公認コンプライアンス・オフィサーというものがございますが、この試験科目にも「内部統制」というのがございます。)ご承知のとおり、金融商品取引法における内部統制といいますのは、主として「財務情報の適正化を目的とする」ということですから、直接的には法令遵守とは結びつかないのではありますが、内部統制≒法令遵守≒コンプライアンス、といったイメージが今でも非常に強いことは事実です。「真の会社の姿を投資家に見せる」ことが目的のはずなのに、それ以上のコンプライアンス経営が実現できる、といった目的までがくっついてしまっているのではないでしょうか。(それはどちらかというと会社法における内部統制システムの整備構築のほうの話に近いと思います)もちろん、金融商品取引法における内部統制の実現によって、そういったコンプライアンス経営の向上に寄与することは間違いないのでしょうが、それは各企業の戦略的な部分(攻めの内部統制システム)であり、本来は内部統制報告実務とは無関係のはずです。しかしながら、コンプライアンス経営の処方箋というものが、「目に見える形」ではなかなか掴むことができないところへ、可視的な魅力をもつ「COSOフレームワーク」をひっさげて「内部統制」が登場してきたわけですから、まさに「藁をもすがる」気持ちで皆が飛びついた、といったところが真相のような気がします。
2 「小さな政府」「事後規制の社会」と企業の自己責任
最近の「企業の事故報告義務の法制化」にも見られるところですが、「小さな政府構想」によって「事前規制から事後規制の社会へ」といった社会の風潮に、少しずつですが法制度も変わりつつあるようでして、そういった社会風潮に、この「内部統制システムの整備」という社会的なルールが非常に親和性があるのではないでしょうか。つまり、社会的なルールを企業に遵守させるにあたり、行為規範や厳罰によって「お金をかけてでも権力が関与する部分」と「企業の活力ある行動によってルール遵守を期待する部分」の明確な峻別の思想に合致したシステムだと思います。ご承知のとおり、会社法の改正や(改正証券取引法を含む)金融商品取引法の成立というものは、いわばひとつの国策でありまして、いかにして日本の資本市場を繁栄させることに寄与するか、というところに焦点があてられております。(もちろん、会社法は有限会社の株式会社化といった中小企業改革も重要なポイントになっておりますが)この資本市場の繁栄のためには、大きく二つの方法があって、ひとつは市場参加者に競争をさせて、全体のレベルを上げて、投資金額を増加させる方法であり、もうひとつは「1社のために1000社が信用を失わないための政策」つまり、不正な手段で競争しようとする参加者を断じて許さない、とする方法であります。政府の限られた資源を有効に配分するためには、この「1社のために1000社の信用を失わない」ための政策、つまり「競争にまかせておいては、ルールが守られない部分」につきましては、証券取引等監視委員会の充実とか、監査法人改革だとか、会計士さん方の権限と責任の強化とか、証券取引所改革、証券取引業協会の改革、そして金融庁と検察庁の組織強化などに充当されることになると思います。内部統制の議論のなかにも「内部統制の限界論」というものが出てまいります。これはまさに、この「1社のために1000社の信用を失う」可能性のある場面が想定されているわけでして、そこでは内部統制は残念ながら機能しない、とされております。したがいまして、そういった場面には「経営者や財務の最高責任者による有価証券報告書(半期報告書、四半期報告書なども含む)の確認制度」とその違反に対する厳格なサンクションによって補完することが予定されています。
そのいっぽうで、競争によって「自然に守られることになるルール」につきましては、各参加企業に委ねられるものと思われます。その代表的なものが、この「内部統制」であります。つまり、たとえ今後企業会計審議会から「実施基準」の草案が出たとしましても、それはけっして各企業にある独自のコーポレート・ガバナンスの姿まで変容させるものではありません。企業にはその歴史から培われた社風があり、慣習があり、行動規範があります。そのなかで、それぞれの企業が「合理的」と思われる財務情報の信頼性を確保するための内部統制システムは、上場企業であるかぎりは絶対にあるはずです。このたび内部統制報告実務が運用されることになりますが、企業の自主的な規律が、本当に上場企業として耐えうるものなのかどうか、それを経営者自身が評価し、監査人が経営者の姿勢を評価する、というものですから、決してこれまでの各上場企業のコーポレート・ガバナンスまで変容させるはずはありませんし、そのような行為規範にはなりえないはずであります。つまり、基本的には、この内部統制報告書の制度というものは、企業の自主性を尊重したうえでの「開示統制」(企業が財務諸表という開示すべき情報を、どういった手段で保管、管理、公表するかといったシステム。ただし、アメリカのSOX法では、内部統制と開示統制は異なる概念とされています)ではないか・・・というのが私の理解であります。ところが、どうも世の中では、この「内部統制評価基準」そのものが、「1社のために1000社が信用を失うのを防ぐ」ための基準のように受け止められているのではないか・・・・・、そういったところがまた「ブーム」を巻き起こしている大きな要因ではないか、と考えたりしております。
まだまだ他にも、この金融商品取引法における「内部統制報告実務」につきましては、疑問点がたくさんあります。たとえば内部統制評価の正当性を担保するものはいったいなんだろうか(これが正しい内部統制の評価である、というモノサシは最終的には誰が持っているんだろうか)とか、先日の「内部統制と真実性の原則」との関係で、財務諸表の真実性というものが「相対的」であるならば、そもそも「相対的である」ものについて、その正確性についても相対的であるはずでしょうから、担保されるべき「正確性」という概念にも幅があるのではないか、などなど。考え出したらきりがありません。
以上はまったくのオリジナルな考えですが、私はまもなく世に迎え入れられるであろう「実施基準」が公表される前に、こういった心構えで待ち望んでおります。