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2006年10月31日 (火)

内部統制の限界論と開示統制(その2)

月曜日から日経の夕刊で「法化社会 日本を創る」と題して、ドキュメント「挑戦」新シリーズが開始されたようですね。王子製紙がなぜ北越製紙の三菱商事に対する新株の第三者割当について訴訟で争わなかったのか、「王子は紳士的、日本的解決にこだわって、明確な目的意識のもとに行動しなかったのではないか」という一般的な理解で終わる記事が目につくなかで、この第一回目の記事では、企業が「訴訟に持ち込む」決断をすることのムズカシサが十分伝わる内容になっております。現在進行形の報道だけではわからない、当事者に近い人でないと理解できない事情というものが、こういったM&Aの世界では「切り札」として結果の是非を左右してしまうというのはオソロシイですね。企業のコンプライアンス経営とM&Aの成否というものは、ひょっとすると隣り合わせにあるのかもしれない、とこの記事を読んで感じました。シリーズモノですんで、今後の展開にまた期待をしております。

さて、一昨日の「内部統制の限界論と開示統制」の続編を書こうと思っていた矢先、読売と朝日のネットニュースで東京証券取引所のリリース記事が掲載されていました。(上場企業の虚偽記載には注意勧告 東証が新制度 朝日ニュースより)財務諸表の虚偽記載については改善報告書の提出など、東証による自主規制ルールが存在しているわけですが、財務諸表等の計算書類以外の有価証券報告書記載事項の虚偽記載につきましては、自主ルールとしての処分は存在しなかったようです。そこで今後は役員事項や事業上のリスクに関する記載等に虚偽が認められた場合には「注意勧告」なる処分をもって対応する方針が発表されました。これ、2日前の「内部統制の限界論と開示統制」のエントリーに掲載いたしました図式を見ていただければおわかりのとおり、いわゆる「開示統制」に関わる問題です。金融商品取引法に内部統制評価報告制度が導入された経緯や、そこで運用されるであろう内部統制の概要が少しずつ理解されてきますと、今度は内部統制には限界があることや、経営者による確認書制度との関係などが少しずつ理解されてきます。そして、その次に問題点として浮かび上がってくるのが、この「開示統制」との関係でありまして、私的な結論としましては、「金融商品取引法において内部統制評価報告制度を導入した目的を達成するためには、内部統制システムだけでなく、この開示統制も構築する必要がある」「ライブドア事件は、内部統制の限界論に包摂されてしまう事件であって、どんなに内部統制を構築してみたところで、開示統制が機能しなければ第二のライブドア事件は生まれる」ということであります。西武鉄道事件の際に、東証からの指示に促されて大量の訂正報告書が出されたことが、企業会計審議会に内部統制部会を設置する原因になったことは知られているところですが、監査制度の及ばない財務情報以外の企業情報におきましても、その真実性を担保する制度が検討されなければ、投資家に自己責任を負担させるに足る情報提供には値しないと考えられます。もちろん2004年ころから、この「開示統制」が経営者確認書制度を補完するために重要である、といった議論はなされていたと思います。ただ、金融商品取引法が「確認書」を義務付けることとなるために、その経営者評価の合理性を確保するために「開示制度のデュープロセスを企業自身が整備運用する」必要性が高まったこと、そして海外取引所との提携問題や、海外の機関投資家・議決権行使アドバイザーの台頭など、いわゆる「外圧」によってコーポレートガバナンス評価の重要性を無視できなくなってきたことなどによりまして、企業価値を表示する「数字以外の企業開示情報」の重要性についても(内部統制問題と並び)議論せざるをえなくなってきた、と言えるのではないでしょうか。いま、一般の事業会社にとりましては、内部統制評価報告実務への対応で忙しい時期だとは思いますが、じつはこの「開示統制」につきましても、内部統制同様に大きな意味があると認識していただいたほうがよろしいのではないか、と考えたりしております。

とりわけ国家権力が、自らの権限によって企業の自由な経済活動へ調査権限を行使せず、その自由意思をもって企業情報の「公表」に期待する時代におきましては、「確認書」制度を通して、企業のトップの責任と開示のプロセスとが密接に結びつくこととなります。東証が新設する「注意勧告制度」というものも、おそらく「経営者が確認書を出しているんだから、虚偽情報の責任は負ってもらいますよ」と堂々と経営者に言い放つための地ならしのひとつになると思われます。そこでおそらく今後の「開示統制」に関するポイントは①有価証券報告書の財務情報以外の企業情報に関する信頼性確保と②(すでに経営者が誓約書を提出している)適時開示におけるデュープロセス、この2点にあるのではないでしょうか。「貯蓄から投資へ」といった市場資本主義を誘引しながら、かつ自己責任を投資家に堂々と申し向けられるほどの信用性ある企業情報開示のあり方を模索するならば、行き着くところはこういった統制活動にまでたどりつくのではないでしょうか。ただし、政府が内部統制や開示統制など、企業が自主的に取り組む姿勢に期待する制度を重視するのであれば、その制度が有機的に運用されるための「アメとムチ」が必要です。その「ムチ」にあたるものが経営者の確認書制度であるとしたら、「アメ」の部分はいったい何なのでしょうか?そのあたりを続編で考えてみたいと思います。(以下、その3につづく)

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2006年10月30日 (月)

買収防衛策の事業報告における開示

本当は「内部統制の限界論と開示統制(その2)」をエントリーする予定だったんですが、「三角合併のルールがなかなか決まらない」といった記事や、明星食品さんの適時開示情報の話題などもありますし、ちょっと法律雑誌「ビジネス法務」12月号(中央経済社)で興味深い論稿がありましたので、そちらのご紹介をさせていただこうかと思います。

この12月号では「買収防衛の2ndステージ」なる特集が組まれておりまして、(お!?( ̄O ̄;)このブログにコメントくださる「あの方」のお名前も・・・・)そのなかに企業法務(総務?)担当者の皆様にとってはとても気になりそうな東京の著名法律事務所の先生方による「事業報告における買収防衛策の開示」なる論稿が掲載されております。来年の上場企業の株主総会に向けて、事業報告にどういったことを書くべきか、といった話題ですね。いわゆる会社法施行規則127条の条文の解釈をもとに、株式会社の支配に関する基本方針についての開示の要否や、開示をしないことの影響、そして実務指針としても参考となりそうな記載内容の例示、企業価値向上策および支配防止策に関する記述方法などが、かなり具体的な意見とともに著されておりまして、非常に参考になります。

ちなみに会社法施行規則127条というのは以下のとおりであります。

(株式会社の支配に関する基本方針)
第百二十七条  株式会社が当該株式会社の財務及び事業の方針の決定を支配する者の在り方に関する基本方針(以下この条において「基本方針」という。)を定めている場合には、次に掲げる事項を事業報告の内容としなければならない。
一  基本方針の内容
二  次に掲げる取組みの具体的な内容
イ 当該株式会社の財産の有効な活用、適切な企業集団の形成その他の基本方針の実現に資する特別な取組み
ロ 基本方針に照らして不適切な者によって当該株式会社の財務及び事業の方針の決定が支配されることを防止するための取組み
三  前号の取組みの次に掲げる要件への該当性に関する当該株式会社の取締役(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の判断及びその判断に係る理由(当該理由が社外役員の存否に関する事項のみである場合における当該事項を除く。)
イ 当該取組みが基本方針に沿うものであること。
ロ 当該取組みが当該株式会社の株主の共同の利益を損なうものではないこと。
ハ 当該取組みが当該株式会社の会社役員の地位の維持を目的とするものではないこと。

江頭先生の「株式会社法」では、この会社法施行規則127条に関しまして、

会社の支配に関する基本方針(買収に関する防衛策等)を定めている場合には、それに関する事項(買収防衛策の内容等)を記載しなければならない

とだけ、サラっと記載されておりますが(530頁)、この論稿を拝読いたしまして、よくよくこの条文の文言などを丁寧に読んでおりますと、解釈上、なかなか問題点もあるもんだなぁと、感心をいたしました。いろんな疑問点が湧いてきたのですが、2点だけ記しておこうかと思います。

まず新株予約権等を用いた敵対的買収防衛策を導入しようとしている(たとえば平時に事前警告型の買収防衛プランを導入する場合など)にもかかわらず、この規則127条による開示をしなかった場合、有事におけるその差止の裁判においては、防衛策を発動した会社は不公正な発行と認定されるリスクは高まるのかどうか、といった論点であります。どうも他の著名法律事務所のM&Aに詳しい先生のご意見(旬刊商事法務1758号40頁)や、立案担当者編著本のご意見では(論点解説・新会社法456頁)、リスクが高まるといった見解のようですが、この論稿におきましては反対意見を述べておられます。この対立は「平時導入説」に関する認識の違いや、裁判になると一体「何が」判断対象となるのかといったことへの将来予測の認識の違いによるものに起因するように思います。この論点の見解の相違が、総会準備に大きく影響するとは思えませんが(そもそも上場企業でしたら、取引所ルールとして適時開示しますよね・・・)、もし現実の差止裁判となった場合に、「127条で(防衛策があれば開示してくださいね)とルールが書いてあるのに、開示しなかった、ということは、なにか取締役にとって合理的に説明できないような目的があったんじゃないか、それはたとえば保身目的であったり、本当は有事なのに平時導入にみせかけるつもりだったり」と裁判所に推認を抱かせないでしょうかね。たしかに127条は「それが存在しない場合にまで基本方針を決定して開示せよ」とまでは言っておりませんので、ペナルティとして「不公正な発行」と認定されることにはならないと思いますが、やはりリスクとしては高まると考えてもおかしくないように思われます。

たしかに敵対的買収防衛策導入の真の目的が、買収提案者を排除する(もしくは実際に発動する)ものではなくて、純粋に株主に現経営者と買収提案者のどちらに経営を委託するかを冷静に決めてもらうための時間作りのためのものに過ぎない、といったことを突き詰めて考えて見ますと、「それだったら平時に防衛策を導入しようが、有事になって導入しようが現取締役側の導入動機の正当性には代わりがない」と思われますし、「有事・平時」で適法性を分類するための根拠となる「グリーンメイラー」なる存在につきましても、今回のスティールパートナーズが明星食品に最初にちょこっと「MBO」提案をしてみせたことからも明らかなとおり、なかなか裁判上でグリーンメイラーであることを立証することは困難なのが現実でありますから、あまり平時・有事で分類することにつきましてはその有意性がないのかもしれません。ただ取締役は会社に対して善管注意義務を負っている分、有事の行動には非常に大きな行動上の制約があり(私はこれを有事におけるコンプライアンス問題の一つだと考えています)、その行動の選択肢は限られてきます。経営判断法理の範囲が狭くなるといっても過言ではないと思います。そういった状況のなかでは、裁判所は合理的な取締役の行動原理を認定して、そのとおりに行動したのか、そのとおりに行動しなかった場合には、取締役に合理的な説明がつくのかどうか、など司法が「保身目的」を推論することが可能な領域が広くなると思われますし、もしそこに平時における防衛指針のようなものが存在するならば、その裁判所による推論可能な領域は狭くなるものと思われます。そういった意味からすると、私的にはある程度は「平時導入説」的な発想でこの「127条の開示をしなかった場合のリスク」を検討することも可能ではないかな・・・と考えますが、皆様はいかがでしょうか。

さて、もうひとつの論点ですが、これは先の論稿には出ておりませんが、日立製作所やダイキン工業が発表しているような防衛ルールについては開示の必要があるんでしょうかね?要は「防衛策は具体的に決めていないけれども、もし株式の大量保有者の存在が明らかになった場合には、うちの会社は既存の株主利益を守るために、なんらかの行動に出ますよ。それは持ち合いかもしれないし、第三者割当かもしれないし、ポイズンピルかもしれませんよ」といった内容の会社支配に関する基本方針の決定です。今後ますます防衛策導入を検討する企業は増えてくると思いますが、こういった基本方針を開示する企業も出てくるのではないでしょうか。そういったケースではこの127条はどのように機能するのでしょうか。このあたりは現実の総会実務にも影響の出る論点だと思いますし、どなたか著名な弁護士の方に解説いただければ社外役員たる地位にあります私のような者にとりましては幸いであります。

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2006年10月29日 (日)

内部統制の限界論と開示統制

金曜、土曜と59期の新人弁護士さん(10月登録)の研修合宿に参加してきました。大阪と奈良の県境にあります山の中のセミナーハウス(アイアイランド)だったもので、パソコンの通信(エッヂ)もできず、帰ってきてやっとコメントなどを拝見させていただきました。やはり「世界史未履修問題」については文部科学省だけでなく内閣自体も緊急の課題として扱っているようですね。また、今週中には政府としての解決案を公表する予定とのことですから、続きのエントリーも書き上げる予定にしております。

さて、本日は「内部統制と情報開示」のシリーズ第二弾であります。「内部統制の見える化」といったもの、つまり内部統制(ここでは金融商品取引法上の内部統制評価報告実務、いわゆる日本版SOX法に関する内部統制)と企業情報の開示につきましては、私はあくまでも「財務情報」自体が開示の対象であって、内部統制そのものが開示の対象ではない、といった見解を述べましたが、これにはYOSHIさんや とくめいきぼう さんより異論若干のご意見を頂戴いたしました。最初に申し上げておきますが、最近の内部統制関連の新聞記事や、HPでの特集などを見ておりましても、「内部統制の見える化」は日本版SOX法と関係がある、企業活動の透明性を促す、といった立場(解釈?)が主流のようであることは間違いございません。私の意見は「本当にそうなのかな?」といった問題点を指摘させていただいているものですから、そのつもりでお読みいただきますと幸いです。

エントリーのなかでも少し触れておりますが、私は「会社法における内部統制システムの構築」論につきましては、「見せる内部統制」といった概念は成立するものであると考えておりますが、いわゆる日本版SOX法といわれるところの「金融商品取引法における内部統制評価報告実務」におきましては、やはり「みえる化」(見せる化)とは関係ないものと思っております。(文書化やフローチャート、情報の記録保管といった要請は当然にございますので、これも「見せる化」になるといわれればそうかもしれませんが、これらは経営者自身による客観的評価を担保したり、監査人による監査のための証憑にすぎないものでありまして、やはり一般投資家に対して内部統制の仕組みを理解してもらう、といったものではありません。)金融商品取引法における企業情報の開示という概念につきましては、自己責任を負担してもらうために必要な一般投資家への正確な情報開示、ということが基本になるはずです。したがいまして、この内部統制報告実務が金融商品取引法によって規定されている以上は、「開示」という概念も、どうしても投資家への情報提供といった意味合いが強いのではないでしょうか。そうしますと、どうしても詳細な内部統制システムそのものが「見せる」(見える?)対象とは考えにくいように思われます。もちろん、監査役や内部監査人におけるモニタリングということも「見える化」のひとつである、といった意見もあるかもしれませんが、私の理解では、それは会社法における内部統制、つまり(そういったモニタリングの制度も含めて)コーポレートガバナンスの状況として、株主による評価の対象となるものと考えれば足りるものであって、金融商品取引法のなかに採り入れる必要はないのではないか、と考えておりますが、いかがでしょうか。

そもそも日本版SOX法と企業開示をくっつけてしまいますと、「それでは目に見えないものは評価されないの?」といった問題にぶつかってしまいます。けっしてそんなことはないわけでして、たとえばYOSHIさんが指摘しておられる「監査役は株主に代わってモニタリングをしているから、開示にあたるのではないか」といったところも真実ですから、こういった監査役や内部監査人の努力といったものは「全社的内部統制」や「統制環境」への評価として取り込むべきだと思います。内部統制評価報告実務の制度と代表者確認制度というものを財務諸表の信頼性確保のために「本当に役立つもの」として日本の法務会計制度に根付かせるためには、できるだけ「内部統制の限界範囲を狭くすること」と経営者自身が評価したと「擬制する」根拠をしっかりと考えることでしょうから、その工夫は、会社法上は別として金融商品取引法上では、あまり「見せる化」「見える化」にこだわらないことです。

金融商品取引法の制度趣旨と内部統制評価報告実務との関係を図示すれば、以下のようになる、と私は理解しております。

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本来、金融商品取引法は「投資サービス法」として成立したものでありますが、最近の不正会計事件や、有価証券報告書の訂正問題が極めて投資家の市場への信頼を低下させるものであるために、「企業情報の信頼性向上」といった要請も取り込んでいるものと理解されます。そういった理解のともで、金融商品取引法の制度趣旨との整合性を考えますと、上記のような図式化が成り立つのではないでしょうか。なお、確認書制度は現在は取引所ルールでありますが、内部統制評価報告実務がスタートする時点で同時に施行される予定であります。確認書制度は、有価証券報告書や四半期報告書の全般に及ぶものですから、その開示情報全体において経営者の記載事項の確認書が要求されることとなりますが、内部統制は「財務諸表等の計算書類」の信頼性確保ということになり、具体的な範囲におきましては今後の実施基準によって決まるものと考えられます。「その他の企業情報」というところにつきましては、内部統制システムによって正確性が確保される、というものではありませんので、そこには別途「開示統制」を各企業に要請することになります。(この開示統制問題と適時開示ルールにつきましては、また明日にでも続きとしてアップいたします)

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2006年10月27日 (金)

世界史未履修問題解決の行方は(2)

(10月27日午後 追記あります)

内部統制と企業情報開示に関するYOSHIさんやとくめいきぼうさんのご意見や、佐山教授の日経ネット論稿「M&Aと利益相反問題」、法律雑誌「ビジネス法務」12月号の中村直人先生のインタビュー記事、不正経理を原因としたユニココーポの会社更生、そして公募増資における引受審査の厳格化問題などなど、あまりに面白すぎてツッコミを是非させていただきたい論点がたくさんあるのですが、残念ながら私自身も本業の集中審理が重なっておりますので、やはり昨日のエントリーの続編のみを書かせていただきます。(ビジネス法務といいながら、路線が少し変わっておりますがご容赦願います)

さきほど毎日ネットニュースを読んでおりましたところ、すでに未履修問題を抱えた高校は35都道府県の244校にまで及んでいるとのことだそうです。ここまできますと、もはや一部の学校の問題として捉えることができず、学習指導要領の法的効力を検討しながら、どうやって大学受験を間近に控えた高校生や浪人の方々が安心して勉強に打ち込める環境を整えるか、その問題解決の糸口を探る必要がありそうです。

ところで学習指導要領というものは「法的効力」を有する、という言い方を昨日のエントリーでしておりましたが、判例をみますと、この言い方は少し不正確だったようです。学習指導要領の法的効力を争点とした判例といいますのは(ほかにもあるかもしれませんが)平成10年1月20日に大阪高裁で判決が言い渡された鯰江中学「日の丸」裁判の控訴審判決が代表的なものではないでしょうか。この大阪高裁の判決は、学習指導要領については行政法上の「告示」にあたるものとして、原則的には法的効力を有するものであるが、その告示内容の解釈によっては法的効力をもたない部分もある、とされております。この裁判につきましては、生徒や教職員の思想信条の自由と関係深い論点を扱っておりますが、そういった部分を捨象して純粋な法的論点として検討した場合でありましても、科目履修に関する指導基準といった部分は、(たとえそれが義務教育の範疇を超えている場合であったとしても)やはり教育基本法や施行規則などの法令解釈として法的効力はある、と判断される可能性が高いものと思います。

ただ、ここから先が問題であります。行政庁における「告示行為」に法的効力ある、としてもその名宛人は誰なのか、法的効力はどういった性質のものなのか、について検討する必要があろうかと思われます。学習指導要領といったものの名宛人は(このあたりは私は専門家ではないので誤解があるかもしれませんが)各学校の代表者、つまり学校の校長先生や学校法人の理事の方になるのではないでしょうか。(注記 なお、行政法上は法的効力を有する告示行為は名宛人のない行政行為のひとつ、と分類されていることが多いようです。ただし判例上では、その告示行為によって具体的に利害関係を有する者について訴えの利益を認めているものもあり、実質的に見ると名宛人が存在する場合もあるといえそうです)また、「法的効力の性質」ですが、この告示行為に反する行為に及んだ場合には、各学校がペナルティを受けるものであって、もしそのペナルティの結果、その学校のルールにしたがったために不利益を受ける生徒達につきましては法律上の「反射的不利益」(もしくは本来履修すべき科目を受講せずに大学受験が可能となった場合に受ける反射的利益)に過ぎないものと捉えることが可能ではないでしょうか。したがいまして、教育を受ける側にまで法的効力が及んでいるとは考えにくく、「学習指導要領に法的効力がある」→「生徒達は単位不足で卒業できない」とは法論理的にはつながらないと考えることができるものと思います。となりますと、学校側の義務違反状態が継続しておりましても、学校(もしくは教育委員会?)の裁量行為として卒業を認めることは可能であって、卒業の効力には影響が出ないと解釈することが妥当なのではないでしょうか。(注記 もちろん、私は学校側がそうすべき、と申し上げているのではなく、あくまでも法的にはこういった解釈も成り立つのではないか・・・という趣旨で記載しているものであります。)

ただ、ここで別の問題として、それでは大学側が、こういった未履修の状態で卒業した生徒達を既習の受験生と同等に扱わなければいけないのかどうか、という論点が出てまいります。これもムズカシイ問題でありますが、大学受験資格の設定というのも、おそらくは明確な法令違反による資格条件もしくは著しく不合理な資格条件を定めない限りは、大学側の自由裁量行為に属するものでしょうから、未履修者と既習者との平等をどう考えるかは、その大学ごとに決定すべき問題になってくるように思います。

このように考えますと、文部科学省としましては、大学側への即時対応や、指導要領違反に対する学校側への処分など、早期に対策を立てて、その内容を速やかに公表することが、これまでの裁判所の見解との整合性なども踏まえ、もっとも適切な判断となるのではないでしょうか。なお、こういった結論に対しましては、unkownさんが的確に指摘されているとおり、卒業もしくは受験において、既習者と未履修者との不平等問題が残ることは事実です。ただタテマエになるかもしれませんが、そもそもこれからの日本を背負う若い人に「世界史は必須」であると考えて指導要領ができあがっているわけですから、むしろ不利益を受けているのは未履修者であるともいえそうですし、受験だけを平等原則と対比して考えるのも少し筋が違うようにも思えます。このあたりはまた、今後の文部科学省や各都道府県の教育委員会の現実の対応などをみながら、また検討してみたいと思います。(普段あまり研究していない分野のことを記述しておりますので、赤面ものの誤解もあるかもしれません。そのあたりは「場末のブログ」として御容赦のほどお願いいたします。また忌憚のないご意見、叱咤激励をお待ちしております)

(追記)

文科省大臣から、コメントが出されております。(ニュースはこちら)卒業までに未履修者にはかならず履修してもらう、冬休みもあるし、放課後もある、とのこと。つまりは「卒業」を基準に考えた場合の「不公平」をもっとも重視した厳格な要請のようです。ただ、この方法だと、学校側のミスで不利益を被った(何を損害とみるか、というのはまた難しい問題ですが)生徒方から学校側は民事上の法的責任を問われる可能性があるのではないか、ということと、受験後の補修授業でも構わないとした場合に、やはり受験のうえでの不平等は解消されない、といった問題は残ってくるように思います。

それと、もうひとつよくわからないのが、この大臣の発言は既習者と未履修者のどっちが不公平な扱いを受けた生徒と捉えているのでしょうか。私は文部科学省が指導する科目を受けられなかった未履修者のほうが「文部科学省側からみれば」不公平な取扱を受けたほうだと思いますが、いかがでしょうか。もしそうだとすると、不公平をあえて甘受するほうが履修の利益を放棄すれば済む話です。また、既習者が不公平な扱いを受けたというのであれば、履修の時期は「年度内」という言い方は不平等が解消されませんので、不適切な発言になります。さらに、文部科学省が卒業認定の要件と定めているから、といった行政目的上の理由で未履修者への履修を要請するのであれば、そもそも「不公平」を持ち出すことは理由としては許されないはずですよね。このあたりはどう理屈がつくのでしょうか。

いずれにしましても、この問題はまだまだ大きな問題に発展していくようです。

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2006年10月26日 (木)

世界史未履修問題解決の行方は

(10月26日午前 追記あります)(追記その2 あります)

私のブログの性格上(また、わざわざビジネスタイムに閲覧されている方々の趣向の問題も勘案いたしますと)東京電力のフジテレビTOB応募に関する株主代表訴訟控訴審判決のほうのニュースをテーマに、またあれこれと議論させていただくほうが適切なのかもしれませんが、どうも今朝から「世界史未履修問題」が気になっておりまして、企業コンプライアンスへの参考という観点から、今後の文部科学省や各都道府県の教育委員会の対応や決断に注視しておりますので、触れないわけにはいかない話題であります。コンプライアンスというものを単なる「法令遵守」と定義付けるのではなく、世間の情勢に関する自社の適正な対応方法といったものと捉えるならば、先日の東芝とソニーのパソコン電池発火問題への対応と同様、今後「未履修問題」は他校に発展していくのかどうか、もし発展するとした場合、様々な利害関係者の利益や法的ルール(学習指導要領)をどう考慮して、すばやく公表するのか、そのあたりの対応が極めて参考になると思われます。

今朝、最初に高岡南高校の「世界史未履修事件」のニュースを聞いたとき、これは他でもやってるに違いないと感じましたが、案の定、10月25日深夜時点で、全国で65校の高校が未履修を公表しております。3年生はこのままでは卒業資格がなく、また既に卒業した生徒のなかにも、卒業資格を有していないまま大学へ進学した生徒がたくさんいるそうです。学習指導要領には法的拘束力がありますので、これはたいへんな問題になってしまいましたね。おそらく社会科よりも理科系のほうが「未履修」者は多いと思われますので、理科科目についてもたくさんの「未履修三年生」の公表が続くのではないでしょうか。

何の悪気もなかった未履修三年生にとりましては、大学受験の総仕上げの時期に、まったく自己の試験科目と関係ない科目の補習をするわけですから、非常に気の毒でありまして、なんとか特例措置を認めてあげたら、とも思いますが、いっぽうにおいて、いままでそういった受験科目でないものを、学校でマジメに授業を受けてきた生徒方にとりましては、特例措置は平等原則違反もはなはだしい、というクレームがつくことも必至だと思われますから、この問題の収拾は容易ではありません。

今後どれだけ未履修高校が増えるのか(公表するのか)、そのあたりをもうすこしチェックしてみたいと思いますし、「収集がつかないほど多数の未履修高校の存在が判明した場合の対応方法なども検討してみたいと思っております。すくなくとも社会の混乱を最小限度に抑え、なおかつ今後同様の「受験対策のために未履修とする高校」が再度出てこないような厳格な措置を考えてみたいですね。

(追記)bunさんがなかなかおもしろいコメントを投稿されておられます。こういった意見をもっと新聞やテレビニュースで誰か堂々と発表してもらえませんでしょうかね?(勇気いるかな・・・)また「法務の国ろじゃあ」のろじゃあさんが、同じ話題で詳細なエントリーを書いていらっしゃいますので、ご参考にされてはいかがでしょうか。

(10月26日午後8時 追記その2)

予想どおり、早くも未履修高校の数が98になりました。(読売新聞ニュース)安部首相は「子どもたちの将来に影響がでないよう配慮してもらいたい」と述べておられますが、この「子どもたち」というのは、いったいどの範囲をさしているのでしょうかね?未履修の子だけでしょうか、既習の子も含むのでしょうか。いずれにせよ、(たいへん厳しいようですが)未履修の生徒方のみに配慮するということは、1点を争う大学受験においては、既習の生徒を著しく不公平に扱うことになりそうですが、そのあたりは受験においてどのように配慮されるのでしょうか。それとも既習の生徒への配慮なく、未履修の生徒のみ特別扱いでの受験をさせる、ということは既習の方々から法令違反を申し立てられることはないのでしょうか。

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2006年10月24日 (火)

内部統制と企業情報開示

(追記あります)

お昼にも少しコメント欄に記載したのですが、今朝(10月23日)の日経新聞第二部では広告特集として「内部統制とIT」に関する特集が組まれておりました。とくに関心を持ちましたのは、第一面の西室社長(東京証券取引所代表取締役)のインタビュー記事でして、内部統制の整備が企業の透明性を高める、といった趣旨のものでした。この「内部統制と企業情報開示」の問題点は、内部統制論のなかでも最も理解が困難なところだと認識しておりますので、どんなことが話題になっているんだろう・・・・・と読み進めていたのでありますが、ちょっと途中から落胆してしまったような次第であります。

やはり、よくあるようにコーポレート・ガバナンスの議論と、日本版SOX法の議論と、市場における企業情報開示の問題が混乱しているように思えますし、結論的には日本版SOX法への備えはIT統制によって盤石を期せ、といったところに落ち着いておりまして、どうしても「広告特集」記事であることからくる限界のようなものを感じました。これを読んでの感想としましては、「これでは今後、経営者になる人はいないんじゃないか」とか「経営者は神様ではない」といったところでしょうか。そもそも日本版SOX法(金融商品取引法)で問題となる(企業によって整備されるべき、とされる)内部統制というのは、市場における企業情報開示とどんな関係があるのでしょうか?なぜ内部統制システムの整備を進めることが「企業の透明性を高める」ことになるのでしょうか?企業情報の開示という視点で考えれば、日本版SOX法においては財務諸表の正確性だけを経営者の確認書と並列的に内部統制評価報告書が担保すれば済む話であって、評価の対象とされる内部統制の仕組みなどはそもそも開示される対象ではないのでは?

もちろん日本版SOX法を離れて、「あるべき内部統制」を語るのであれば、立派なシステムを導入することも有意義ですし、また会社法上の内部統制のように、その基本方針が事業報告やガバナンス報告書によって開示対象とされるのであれば、それは株主による評価の問題となりますから、IT統制は重要といえると思います。しかしそれらは日本版SOX法とは関係ないわけですし、文書化や「見える化」と言われるものも、それは経営者評価の客観化や、監査証明における証憑としての必要性に由来するものでありまして、株主に見せるためのものではありません。以上が私の「内部統制と企業情報開示」に関する理解ですが、それでもなお「日本版SOX法への対応が、企業情報の開示制度に影響する、つまり企業の透明性を高める」ということが真実であるならば、そういった理論的な根拠や実質的な社会的要請といったものをとても知りたいところであります。

11月24日午後追記

本件エントリーとは直接関係ありませんが、アメリカのブッシュ大統領がSOX法の見直しを示唆する発言をしたようです。(日経ニュース)このまま厳格な要件のもとで企業改革法を適用させておくと新規公開企業がロンドンに流れてしまうことへの懸念でしょうか。ただ、SOX法といいましても、内部統制評価報告書についての404条問題はごく一部ですから、どのあたりの見直しが検討されるのでしょうかね。

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2006年10月23日 (月)

内部監査人と内部統制との関係について

先週の「改定監査基準と内部統制監査」につきましては、皆様方のコメントでたいへん勉強させていただいております。世間一般における「内部統制ブーム」の核心をついたご意見もありますし、非常に興味深く拝読させていただきました。たしかに「内部統制」が目指すものがいったいどこにあるのか?IT統制ということが重要ということでありましたら、「○○会社のシステムパッケージを納入していれば監査人からお墨付きを得られる」ことになるんでしょうか?コンプライアンス経営維持が重要ということでありましたら「△△コンサルタントの経営指導を受けていたら、監査人からみて統制環境の有効性評価としてはオッケー」ということになるんでしょうか?このあたりは、「日本版SOX法」なる言葉とともに、内部統制ブームを盛り上げてきたところとも非常に深く関連するところですし、このブログでも一度きちんと採り上げてみたいと思います。ただ、私は法曹ということですので、こういった内部統制評価報告実務と弁護士との関係についても併せて検討する予定にしております。

さて、このたびの内部統制評価報告実務における弁護士の役割は後回しにしまして、この10月20日に「公認内部監査人受験者数が急増している」といった日経ニュースがありました。(内部監査人の資格試験受験者急増 日経ニュース)間違いなく、金融商品取引法における内部統制評価報告実務への対応によるものと思います。私もこのたびの内部統制評価報告実務におきましては、この「内部監査人」の存在は「監査役」の存在と同様に非常に大きなポイントになると予想しておりますし、各上場企業が「内部監査室」改革にもっと性急に取り組むべきだと考えております。その理由としましては、①内部統制はシステムを整備するだけでなく、その運用の適正性も要求されるわけですから、運用面での監視に社内における監査専門職が不可欠②監査人(監査法人および公認会計士)による経営者評価を担保するものとしては内部監査人と監査役および監査人との連携が不可欠③大きな会社ほど、経営者による内部統制評価には「擬制」がつきまとうのは現実であって、誰かの内部統制評価を適正と評価することによって、経営者自身が評価したものと同視しなければいけないわけですから、その「誰か」というのは信頼できる内部監査人を選任することが不可欠(これは「監査役」では成り立ちません。監査役は外観的独立性がありますので、経営者の手足となって監査するものとは評価できないからです)、といったところからであります。現実の内部監査人の方々のお仕事といいますのは、以前のエントリーでも書かせていただきましたが、企業によってマチマチでありまして、いわゆる業務監査に専念されている企業とか、いわゆるエリートコースの一貫としての「肩書き作り」のために1年ないし2年の腰掛職務、といったところもあり、まだまだ内部統制構築といった論点と結びつけていらっしゃらない企業も多いと思われます。

ちなみに、このCIA資格の運営をされている「日本内部監査協会」というところは、現在の日本の「内部統制」の理論的考察、という面におきましては、トップレベルではないでしょうか。私も最新事情につきましては、この内部監査協会さんのHPにおけるリリースを参考にさせていただいているところも多く、「現実を見据えた実務基準」を提言されているものと思います。ただ、公認内部監査人(CIA)資格保有といいますのは、たしかに社内における内部管理体制構築の重要性を認識することにとっては有意義かもしれませんが、その資格を取得した者が社内に存在することだけで、内部統制構築に有効な専門家が誕生する、と短絡的に考えるべきではないと思います。私も公認コンプライアンス・オフィサーやCFE(公認不正検査士 世界に2万人以上の資格保有者が存在する)の資格を取得させていただきましたが、それはあくまでも最低水準の知識・技能を保有していることに過ぎず、社内・社外にかかわらず、その知識・技能をどう現実の企業社会で生かす経験を積んでいくか、ということのほうがよっぽど重要だと思います。つまり冒頭でも述べましたように、「公認内部監査人」資格を保有する者が社内に存在することが、それだけで監査人によるお墨付きになるのではなく、その内部監査人が「実施基準」の趣旨を十分理解したうえで、どれだけ社内で知恵と汗をかいているか、といった行動こそが「有効性評価」に大きな影響を与えるものになると考えております。また、資格保有の有無にかかわらず、そのような内部監査人が行動できる社内環境を作ることは経営者独自の責任にかかってくるのではないでしょうか。そういう意味で、私は「内部監査人」は決して腰掛的なイメージではなく、あくまでも社内専門的な職種である必要があると思いますし、業務監査といったイメージでもなく、財務情報の信頼性を判断できるにふさわしい財務やITシステムへの知識を持つ方であれば、かなり有利なのではないかと予想しております。

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2006年10月22日 (日)

刑事裁判と即決和解(のようなもの)

最近は企業法務的なお仕事が多くなったことで、あまり刑事裁判の面白さに触れる機会も少なくなってしまいましたが、新人弁護士の倫理教育のなかでも題材とされているものでありますが、「刑事公判調書の民事執行力付与の制度」というものがあります。いや実は私も若い先生から教えてもらうまでは全く知りませんでしたので、倫理研修のなかでは、「弁護過誤」をやってしまう一人になっていたようです。「刑事公判調書の執行力付与申立」の制度といいますのは、平成12年の被害者保護に関する一連の刑事手続改正の際に採り入れられた制度ということでして、刑事裁判の公判中に、被害者と被告人との間におきまして、民事賠償に関する示談が成立した場合に、その損害賠償債務の執行力を付与することの申立を双方が行った場合には、その旨を公判調書に記載する、そうしますと、その損害賠償債務には執行力が付与されて、改めて公正証書による合意をしたり、民事裁判を提起しなくても「判決をもらったのと同じ」効果が発生する、というものであります。被害者と被告人だけでなく、たとえばその損害賠償債務を連帯保証する人につきましても、その申立に参加すれば、執行力が付与されるようです。以前は刑事弁護人をやっておりまして、被害者から示談の条件として「公正証書による執行許諾文言付の合意書」を作成することを要求され、よく公証役場に伺うことがありましたが、時間や費用もかかりますし、こういった制度で代替できるということはかなり利用価値の高いものだと思います。

刑事裁判の公判調書で民事賠償の執行力が付与されるわけですから、この制度は一見しますと、現在法務省で議論されている「附帯私訴」制度に似ているように思えます。(交通事故や暴力事件などの刑事裁判の裁判官が、被害者と被告人間における民事損害賠償請求訴訟の審理も合わせてできる、といった制度)しかしながら、附帯私訴のケースでは、実際に損害賠償の範囲などを法廷で争うような事案も考えられますし、純粋な口頭弁論期日が開催されることが前提ですから、どうも根本的に違うもののように思います。附帯私訴の場合には、被害者側代理人の弁護士さんもおつきになるでしょうが、先の執行力付与の申立の場合には、あまり代理人による申立が予定されていないもののようです。むしろ刑事裁判に即決和解の制度がくっついたようなもの、と考えたほうがいいのではないでしょうか。即決和解制度といいますのは、あまり一般の方にはなじみが薄いかもしれませんが、我々弁護士にとりましては、比較的よく利用する制度であります。紛争当事者間で財産的問題で紛争が発生した場合に裁判所以外の場所で交渉を重ね、最終的に合意に至った場合、その和解条項について簡易裁判所に起訴(提訴)前の和解に関する申立をして、その和解条項に強制執行力を得るという制度です。たとえば建物賃貸借に関する家主と借家人との紛争について、もし合意が得られたとしましても、公正証書で金銭債務については執行力を付与することはできましても、明渡に関する執行力は付与されません。その点、即決和解制度によりますと、裁判所で公権的に和解条項が調書化されますので建物や土地の明渡に関しても執行力を得られます。

実際に執行力付与の申立をされた弁護士の方が、裁判所もどういった運用をすべきかよく理解していないところもあった、とおっしゃっておられましたので、実際にもこの執行力付与の制度というものが頻繁には利用されていないのかもしれません。被害者保護の問題は今後、小さくなることはありませんので、これをご覧になっていらっしゃる同業者の方も、一度ご検討されてはいかがでしょうか。

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2006年10月20日 (金)

改訂監査基準と内部統制監査

今朝(10月19日)の日経新聞には、昔のテレビ番組の資産価値を真剣に検討する研究会が発足したり、大手のリース会社が合併する記事が掲載されていたり、ということでバランスシートへの無体財産やリース資産の項目化など、会計基準の変更(国際標準化)に伴って社会が大きく動く姿が垣間見れます。「これからの20年は会計の時代」というのは、このブログの大きなテーマのひとつになっておりますが、いくら「会計は経済の後追い」と言われておりましても、引当金の積み増し要求などの事例からみても特定の業界や個々の企業の存亡を左右する力が企業会計の世界にはあるわけでして、会計に「見積り予想」とか「実質的判断」「国際標準」の要請が強くなればなるほど、経済社会を動かす力を持ちうる制度だと思います。また、それだけ会計専門職の方々の責任と権限は大きくなるものと思いますね。おそらく会計基準や監査基準というものの持つ規範力につきましても、今後いろいろなところで研究される対象になるんじゃないでしょうか。

私のような法曹からしますと、そういった会計基準、監査基準というものはそれ自体の理解があまり「メシの種」にはならないものですから、あんまり真剣に検討したこともなかったわけでして、「監査論」なる基本書もあまり読んだことはありませんが、やはり「内部統制評価報告書」に対する監査実務というものの実務指針も出る、ということですから、すこしばかり「改訂監査基準」の中身を検討したりしております。それで、またこういった基準や、その解説書などを読んでおりますと、(いつもと同じように)いろいろとわけのわからない疑問が湧いてまいります。この改訂監査基準というのは、一般に公正妥当な監査基準でありますから、相当高いレベルの規範力を持っていると思うのですが(基本的には平成19年3月期の決算から適用される、ということですよね。もう適用してもいいとも書いてありますが)、この監査基準の「第三実施基準」の「三 監査の実施」第2項におきまして、

2 監査人は、ある特定の監査要点について、内部統制が存在しないか、あるいは有効に運用されていない可能性が高いと判断した場合には、内部統制に依拠することなく、実証手続により十分かつ適切な監査証拠を入手しなければならない。

と規定されております。おそらく、この規定は金融商品取引法193条の2第2項の「内部統制評価に関する監査証明」制度の運用についても規範力を有するものと思いますが、これ、普通に素直に考えますと、もし金商法における監査人(公認会計士もしくは監査法人)の内部統制評価監査において「経営者の内部統制評価は信頼できない」といった不適正意見を述べる場合、その監査人はこの監査基準にしたがって、実証手続によって財務諸表監査の適正性判断のために十分かつ適正な監査証拠を入手しなければならないように読めるのですが、本当にそうなってしまうんでしょうか?要するにある程度内部統制がしっかり確保されているからこそ、財務諸表監査において「試査」が可能になるわけですから、試査ができないことになる、と理解していいんでしょうかね。でも、もしこういった解釈が正しいとしたら、財務諸表監査と内部統制報告実務における監査とは同一人が行うことを前提とした場合、内部統制監査に不適正意見を表明する監査人って、出てこないんじゃないでしょうか?実証手続によって監査証拠を入手しながら財務報告の信頼性を精査する、というのは現実問題として困難なんじゃないですかね。 「実施基準」はあくまでも内部統制監査に関する基準でしょうから、財務諸表監査の実施基準とは別なわけで、最終的に内部統制報告実務が「財務諸表の信頼性確保」にあるとしたら、この監査基準がまともに適用されてしまうような気もします。そうなると実は上場企業にとっては、内部統制評価報告書を作成することというのは、あんまり恐れるほどのこともないようになってしまわないでしょうかね。内部統制評価報告書そのものについての「確認書」というものも徴求されないわけですし。

あと、法律的な発想を会計基準や監査基準に持ち込んでいいものかどうかはわからないのですが、金融商品取引法において義務化される四半期開示については、逐一内部統制評価書の提出とか、内部統制監査というものはなされないわけですよね。そこで行われる監査のレベルというのは、「レビュー」になるものと解しておりますが、それも一応は投資家を誤った判断に導かない程度の「真実性」を確保するために行われるわけですから、当然のこととして内部統制の有効性についても評価されているのではないでしょうか。しかし、その評価というのはなにをもって有効と考えるのでしょうかね。その直前に行った内部統制報告書への監査結果を援用する、と考えるのでしょうか。このあたりも実にわかりにくいところでありまして、もし議論が整理されている文献などございましたら、どなたかお教えいただけますと幸いです。

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2006年10月19日 (木)

建築設計監理契約の法的性質論(判決)

昨日、平成15年から係属しておりました建築紛争裁判で大阪地裁第20民事部の判決を頂戴いたしました。あしかけ4年での原審判断です。この事件を契機に、私は今非常にトレンディで社会的に注目されております「建築紛争調停制度」への反対意見書を弁護士会、裁判所へ提出したことがございます。建築紛争といいますのは、施主と建築請負業者、施主と設計監理業者、そして設計監理業者と建築請負業者の間において、「旧態依然」の解決方法がまかり通っている世界でありまして、「法の支配」がなかなか浸透していない世界だと思っております。その建築紛争の調停制度といいますのは、そこに弁護士と建築士資格をもったおふたりの調停委員が「裁判の途中から参加」されて、専門家的立場から当事者双方を説得して、円満解決を図る、という制度であります。この「あしかけ4年の判決」のとおり、建築紛争は専門的判断の要素が強いものでして、医療過誤と並び、弁護士にとってもけっこうつらい仕事です。(;´д` ) トホホ したがいまして、調停制度自体は、たしかに早期解決に向けて関係者が努力するわけですから、有意義であることは間違いありません。ただ、こういった調停をあまりに使いすぎますと、マンションやビル建設における法的ルールの開発が遅れてしまい、請負業者や設計監理業者のコンプライアンス経営体制がいつまでたっても構築されません。1年半ほど前に、私の意見を一度真剣に裁判所に申し伝えた経験がございましたが、その後実務が少しは変わったのかどうか、そのあたりは私も検証しておりませんので不明のままであります。

この事件も裁判官の強い説得のもと、私も当事者も「調停回付」を最終的には承服いたしましたが、そこでの手続はあまり効果的なものではありませんでした。結局、こちらが調停委員の最終調停案を承諾しないまま、また裁判に戻りまして、闘い続けたものであります。原審判断は結果的には完全勝訴となりましたが、勝訴の最大の原因は横に置くとしても、その裁判所の判断理由のなかで、非常に画期的な判断が下されました。いわゆる施主と設計監理会社との間における「建築設計監理契約」の法的性質論であります。これは請負契約か、準委任契約か、というところで実務上争いのあるところですが、最後まで判決にこだわったことから、非常に今後の建築紛争、およびマンションやビル建築の際の契約書の法的解釈に有益となる判例が出たものと思われます。

一昨日のエントリーでも少し触れましたが、こういった判決が出るのは、代理人だけの努力ではどうしようもありません。「そろばん」を離れて、将来の建築業界の発展や、建築業者と取引をする施主が安心して建築を依頼できるシステムの構築などを真剣に検討できる当事者の存在が不可欠であります。(注1)先にあげました「裁判所が示した法的性質論」は決してこちらに有利なものばかりではありません。(詳細についての解説は、控訴審が係属する可能性が高いので、ここでは差し控えさせていただきます)しかしながら、こういった判断が裁判所から示されることは、おそらく関係業者全体のインフラになるものと思いますし、おそらく控訴されるでしょうから、また控訴審判決でも、どのように考えられるのか、実務的にたいへん有意義なものになりそうです。

なお、この判決内容につきましては、また法律雑誌等に掲載されるものと思いますので、建築紛争事案にご興味がございましたら、「建築設計監理契約の法的性質」論につきまして、後日ご留意いただければと思います。

(注1)敵対的買収防衛策発動の是非などを問う裁判なども、代理人は「ウハウハ」かもしれませんが(失礼・・)、争っている企業にとっては「そろばん」を離れて社会的インフラ形成に寄与しているところもあるかもしれませんね。

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2006年10月18日 (水)

東芝のソニーに対する損害賠償請求

あちこちのニュースで「東芝が株主の目を意識して、ソニーに対する損害賠償請求を検討中」と報道されています。(読売ニュース 株主の目を意識し賠償検討中)以前、「経営の自由度って?」のエントリーの際にも申し上げましたが、この「株主代表訴訟のおそれがあるので、・・・」とか「株主に対する説明責任がつかないので」なるフレーズも、昔の「バブルがはじけて・・・」と同じもので、なんとなく聞き手が納得するのを期待しながら、実は問題を深く掘り下げて解明することを放棄するフレーズなのであまり好きになれません。もし私が東芝の株主だったら、「実損(バッテリー交換に要する費用全て)はソニーが負担するって言ってるんだし、どこもソニーのバッテリー使ってたんだから市場占有率もブランド価値毀損も知れてるんじゃないの?それよりも、今後同様の事態に陥ったときに、経済産業省の情報とどうやってリンクさせて、どうやって製品の安全性を公表すべきか、そのリスク管理方法を説明してよ」と強く要望したいですね。とりわけ、株主の目を意識するほどの事態でありましたら、来年度の事業報告のなかにおきまして、東芝の社外取締役の方々が、この問題についてどのように発言をされたか、ガバナンス的発想からぜひ知りたいところであります。

もちろんこの問題をフォローしているわけではございませんので、これは場末の弁護士による、単なる「外野席からのつぶやき」にすぎませんが、そもそも「株主の目を意識した提訴」というのは、どういうことなんでしょうか?このまま実損だけをソニーに負担してもらう、という解決方法では、取締役は株主から「責任追及を怠った」として訴えられる可能性がある、ということなんでしょうか。でも東芝はソニーを提訴することによって「やぶへび」にはならないんでしょうかね?9月1日の時点では、東芝は「たとえソニーのバッテリーを使っていてもうちの製品は安全です」と安全宣言を出していたのではないでしょうか?(ノートパソコンのソニー製バッテリー対応記録)たとえば、現時点ではソニー側が実損については負担します、という状況にありますが、もし東芝が正式にソニーを訴えた場合、ソニーのほうも「それならうちだって、おたくと完全に争いますよ。おたくも9月1日の時点では、他社パソコンのシステム設計に問題があると考えていたわけですから、うちもおたくの製品のシステム設計との共同責任と主張します」とか言われてしまう可能性はないのでしょうか?ともかく東芝としては(ソフトローの世界において)実損についてはソニーが負担するとしているわけですから、もし提訴した場合には(ハードローの世界において)最低限度、ソニーの債務不履行、もしくは過失(もしくは瑕疵)が認められて、実損部分については勝訴しなければならないわけです。(その場合にも時間と紛争費用を要します)そのうえでブランド毀損や市場占有率の低下による損害との因果関係が問題となるわけですが、もしソニーの債務不履行や過失が一部しか認められないような場合には、おそらく現状よりも認容金額が低くなってしまう可能性もあるんじゃないでしょうか。つまり裁判を起こすことによって、ぎゃくに株主から責任を追及されるケースもあるのではないか、と思いますがどうなんでしょうかね。このあたりは暗黙の了解の世界(内々の取引の世界)から、とつぜん裁判による「シロクロつける世界」へ移行するときのとっても怖い領域だと思いますし、みずほ証券が東証を訴える事案とは少し様子が違うところではないでしょうか。

あまりよく前提事実がわかっていない状況で書いておりますので、事実関係についての誤りがありましたらまたご指摘いただければ幸いです。ただ、提訴するといっても、実損以外の損害を、どういった法的根拠で構成するんでしょうかね。債務不履行による損害賠償請求でしょうか、製造物責任でしょうか、商事売買における瑕疵担保責任でしょうか、それとも基本取引契約の解釈問題なのでしょうか。いずれにしましても、東芝のこれまでのリリースが、今後の法的紛争に大きな影を落とすような気がしますが。

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2006年10月17日 (火)

検察官の不当発言に賠償命令

これはすごい判決ですね。(検察官の不当発言で賠償命令)おそらく報道内容から推察しますと、夫が痴漢行為で逮捕、勾留、起訴された事件で、妻が決死の覚悟で検察官との会話内容を録音したものと思います。(失礼しました。典型的な痴漢行為ではないようです。朝日ニュース)ここまで夫を信じきった奥様の執念というか、肝っ玉の太さには涙が出てきそうになります。株主代表訴訟や住民訴訟もそうですが、世を動かす判決というのは、「そろばん」からは生まれませんね。やっぱり正義感とか執念とか、人間の内に秘められたパッションからしか生まれないですし、代理人(弁護人)にもこれと調和する「何か」が求められる気がします。

しかも裁判長は大阪地裁のエース、森部長ですね。9月30日の民事裁判シンポジウムには裁判所代表として登壇されていました。何度か森部長のもとで裁判に関与して、悔しい思いもしましたが、頭脳明晰、バランス感覚抜群の裁判官です。できれば判決文が早期にネットなどで公開されるといいですね。

(10月18日追記)

nobuさんもご指摘のとおり、読売新聞朝刊に録音内容(全てではないと思いますが)が掲載されています。これをもって「取調べの可視化」へ進むのかどうかはわかりませんが、こういった内容が「一部の検事さんの異常行動」とみるべきなのか、「あれ?これくらいなら恒常的ではないの?」とみるかでずいぶんと違ってくるように思います。少なくとも、高松の次席検事さんは「われわれの主張が認められずに残念」といったコメントを残していらっしゃいますので、素直に読めば「検察はこれくらいやって当然と思っている。このやり方が裁判所に認められずに悔しい」といった解釈も成り立つように思いますが、皆様はどう受け止められたでしょうか?

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2006年10月15日 (日)

金融商品取引法における「異質なるもの」

世間では「内部統制ブーム」がまだまだ続いているようでして、私もセミナーの参考にさせていただこうと、いろいろな学者、実務家の方の「金融商品取引法」解説本を読んだりしております。(私の知りうるかぎりでは、メジャーなところでは9冊~10冊くらいは出版されているのではないでしょうか)しかしながら、どの本も、これだけ「日本版SOX法」と言われ続けているにもかかわらず、ほとんど内部統制報告実務(内部統制報告書関連)について「突っ込んだ解説」がなされているものは見当たらないようですね。もちろん、省令・府令が公表されていないので、深く解説したくても解説できない、といった事情があるかもしれません。ただ私としましては、どうも金融商品取引法(改正証券取引法)といった大きな法律のなかにあって、この内部統制報告実務に関しましては、(体系的にみて)かなり他の部分との「関連性の薄い」項目であることに起因しているものではないか、と推察しております。

まずなんといいましても、金融商品取引法は、従来から「投資サービス法」と言われてきたわけでありますが、この内部統制報告実務というのは、投資サービス法とはほとんど関係を持っていない分野ですよね。昨年7月に神田教授が責任編集をされている「投資サービス法への構想」におきましても、「内部統制」という言葉は索引にすら出てきません。だいたい解説本を執筆されている方は、平成10年ころからの金融サービス法の構想からワーキンググループなどに参画している方が多く、金融商品に関する横断的規制、柔構造規制といった内容についてはお詳しいのですが、途中から問題になってきた企業開示関連の行為規範については、ワーキンググループで議論されていなかったと思いますので、そのあたりが関係しているのかもしれません。まず、これだけでも内部統制報告実務というのは異質な存在ではないか、といった思いがいたします。

もちろん、投資サービス法構想のころから、企業情報の開示に関してまったく注意が払われていなかった、というわけではないようです。先にあげましたように組織再編時において株主や一般投資家が不利益を受けないような仕組みや、企業情報のうち、何を強制的に開示させるようにすべきか、といった開示規制問題については議論されていたようです。しかしながら「財務計算に関する書類その他の情報の適正化を確保するための体制評価制度」についてはあまり関心がもたれなかった。ただ、これもなんとなく納得できるところがあります。「企業情報の開示に関する項目」として考えてみますと、内部統制報告書の報告内容自体はなんら「開示」とは関係ないわけですよね。開示と関係するのは、財務諸表についてでありまして、その根拠となっている数値、項目の信頼性を確保するための制度が内部統制報告書制度であります。したがいまして、四半期報告や公開買付制度、大量保有報告書制度などにように、その報告内容が投資家の判断指針になる、というものではなく、むしろ代表者の確認書と同じく、財務情報の報告内容の透明性を高める制度ということになりそうです。(ちなみに、企業改革法の本場アメリカにおける内部統制報告書はどうなっているかといいますと、たとえばIBMの2006年アニュアルレポートの12ページには、内部統制報告書が記載されておりますが、その報告内容をみましても、八田先生が著書・日本経済新聞社「内部統制の考え方と実務」95頁で見本として記載していらっしゃるものと、ほとんど同じでありまして、報告書自体が投資判断に資するような記載内容は一切ありません。まぁアメリカの場合は、日本の金融商品取引法とは異なり、内部統制報告書自体真正に作られたことが、CEOの宣誓義務の対象となりますので、あまり余計なことは書かないのが当然といえば当然かもしれませんが。)そうなりますと、企業開示といいましてもその中でも、この内部統制報告書というものは、かなり異質な存在になるものと思われます。衆議院や参議院で、この金融商品取引法の成立におきましては、たくさんの附帯決議が出されておりますが、どちらの附帯決議におきましても、この内部統制報告実務に関するものはひとつもありません。金融商品取引法案が議論されていたころには、この内部統制報告実務というものはあまり大きく採り上げられることもなかったわけです。業者ルールの横断化、柔構造化、自主規制のあり方や敵対的買収防衛ルールと投資家保護といったあたりが中心課題であって、この内部統制報告書といったものが、「横からスルっと」入り込んだようなイメージではないでしょうか。

ところが世はまさに「内部統制ブーム」となりました。内部統制部会長の八田教授の言葉をお借りすれば「内部統制ビッグバン真っ只中」といった感がいたします。ただ、どうも金融商品取引法のご専門の方々の見方と世の中のパッションとは「乖離(かいり)」といいますか「齟齬(そご)」といいますか、大きな溝が横たわっているように思えてしかたありません。会社法と金融商品取引法と別個に「内部統制」といった言葉が登場したことや、不正会計事件の頻発によって監査法人の信頼性に疑問が呈されて政治的配慮が働いたことなど、すぐに思いつくところの要因もあるでしょうが、それだけでは一過性の話題にはなるかもしれませんが、世を挙げての「ビッグバン」とまではいかないような気もします。そこで、これまでブームとなってきた大きな要因というものを私なりに二つ挙げてみたいと思います。

1 コンプライアンス経営への企業の渇望

病院やファッションホテルのM&Aや、今はなつかしい「住専」の顧問などの仕事を楽しくやっておりました4年ほど前に、ひょんなことから「内部統制」ということに興味を覚えまして、それから会計士さんにいろいろと教えていただいたりして、この言葉をずっと追っかけてきたわけでありますが、「内部統制」がメジャーになる過程ではCOSOフレームワークにある「法令遵守」と密接に結びついて登場してきた、と記憶しております。(ちなみに、私が保有しております資格に公認コンプライアンス・オフィサーというものがございますが、この試験科目にも「内部統制」というのがございます。)ご承知のとおり、金融商品取引法における内部統制といいますのは、主として「財務情報の適正化を目的とする」ということですから、直接的には法令遵守とは結びつかないのではありますが、内部統制≒法令遵守≒コンプライアンス、といったイメージが今でも非常に強いことは事実です。「真の会社の姿を投資家に見せる」ことが目的のはずなのに、それ以上のコンプライアンス経営が実現できる、といった目的までがくっついてしまっているのではないでしょうか。(それはどちらかというと会社法における内部統制システムの整備構築のほうの話に近いと思います)もちろん、金融商品取引法における内部統制の実現によって、そういったコンプライアンス経営の向上に寄与することは間違いないのでしょうが、それは各企業の戦略的な部分(攻めの内部統制システム)であり、本来は内部統制報告実務とは無関係のはずです。しかしながら、コンプライアンス経営の処方箋というものが、「目に見える形」ではなかなか掴むことができないところへ、可視的な魅力をもつ「COSOフレームワーク」をひっさげて「内部統制」が登場してきたわけですから、まさに「藁をもすがる」気持ちで皆が飛びついた、といったところが真相のような気がします。

2 「小さな政府」「事後規制の社会」と企業の自己責任

最近の「企業の事故報告義務の法制化」にも見られるところですが、「小さな政府構想」によって「事前規制から事後規制の社会へ」といった社会の風潮に、少しずつですが法制度も変わりつつあるようでして、そういった社会風潮に、この「内部統制システムの整備」という社会的なルールが非常に親和性があるのではないでしょうか。つまり、社会的なルールを企業に遵守させるにあたり、行為規範や厳罰によって「お金をかけてでも権力が関与する部分」と「企業の活力ある行動によってルール遵守を期待する部分」の明確な峻別の思想に合致したシステムだと思います。ご承知のとおり、会社法の改正や(改正証券取引法を含む)金融商品取引法の成立というものは、いわばひとつの国策でありまして、いかにして日本の資本市場を繁栄させることに寄与するか、というところに焦点があてられております。(もちろん、会社法は有限会社の株式会社化といった中小企業改革も重要なポイントになっておりますが)この資本市場の繁栄のためには、大きく二つの方法があって、ひとつは市場参加者に競争をさせて、全体のレベルを上げて、投資金額を増加させる方法であり、もうひとつは「1社のために1000社が信用を失わないための政策」つまり、不正な手段で競争しようとする参加者を断じて許さない、とする方法であります。政府の限られた資源を有効に配分するためには、この「1社のために1000社の信用を失わない」ための政策、つまり「競争にまかせておいては、ルールが守られない部分」につきましては、証券取引等監視委員会の充実とか、監査法人改革だとか、会計士さん方の権限と責任の強化とか、証券取引所改革、証券取引業協会の改革、そして金融庁と検察庁の組織強化などに充当されることになると思います。内部統制の議論のなかにも「内部統制の限界論」というものが出てまいります。これはまさに、この「1社のために1000社の信用を失う」可能性のある場面が想定されているわけでして、そこでは内部統制は残念ながら機能しない、とされております。したがいまして、そういった場面には「経営者や財務の最高責任者による有価証券報告書(半期報告書、四半期報告書なども含む)の確認制度」とその違反に対する厳格なサンクションによって補完することが予定されています。

そのいっぽうで、競争によって「自然に守られることになるルール」につきましては、各参加企業に委ねられるものと思われます。その代表的なものが、この「内部統制」であります。つまり、たとえ今後企業会計審議会から「実施基準」の草案が出たとしましても、それはけっして各企業にある独自のコーポレート・ガバナンスの姿まで変容させるものではありません。企業にはその歴史から培われた社風があり、慣習があり、行動規範があります。そのなかで、それぞれの企業が「合理的」と思われる財務情報の信頼性を確保するための内部統制システムは、上場企業であるかぎりは絶対にあるはずです。このたび内部統制報告実務が運用されることになりますが、企業の自主的な規律が、本当に上場企業として耐えうるものなのかどうか、それを経営者自身が評価し、監査人が経営者の姿勢を評価する、というものですから、決してこれまでの各上場企業のコーポレート・ガバナンスまで変容させるはずはありませんし、そのような行為規範にはなりえないはずであります。つまり、基本的には、この内部統制報告書の制度というものは、企業の自主性を尊重したうえでの「開示統制」(企業が財務諸表という開示すべき情報を、どういった手段で保管、管理、公表するかといったシステム。ただし、アメリカのSOX法では、内部統制と開示統制は異なる概念とされています)ではないか・・・というのが私の理解であります。ところが、どうも世の中では、この「内部統制評価基準」そのものが、「1社のために1000社が信用を失うのを防ぐ」ための基準のように受け止められているのではないか・・・・・、そういったところがまた「ブーム」を巻き起こしている大きな要因ではないか、と考えたりしております。

まだまだ他にも、この金融商品取引法における「内部統制報告実務」につきましては、疑問点がたくさんあります。たとえば内部統制評価の正当性を担保するものはいったいなんだろうか(これが正しい内部統制の評価である、というモノサシは最終的には誰が持っているんだろうか)とか、先日の「内部統制と真実性の原則」との関係で、財務諸表の真実性というものが「相対的」であるならば、そもそも「相対的である」ものについて、その正確性についても相対的であるはずでしょうから、担保されるべき「正確性」という概念にも幅があるのではないか、などなど。考え出したらきりがありません。

以上はまったくのオリジナルな考えですが、私はまもなく世に迎え入れられるであろう「実施基準」が公表される前に、こういった心構えで待ち望んでおります。

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2006年10月14日 (土)

製品事故報告と企業コンプライアンス

ここのところ、消費生活用製品安全法の改正案が閣議決定され、来年の通常国会へ上程されるというニュースが目に付きますね。(朝日ニュースほか多数)特定製品についてのみ、厳しい事故報告義務を課すのではなく、ネガティブリスト方式によって、他の法律で既に報告義務が課されている生活用品以外のすべての生活用品に政府に対する重大事故報告義務を課す、というものです。つまり非常に多くのメーカーさんが、この報告義務を課される対象企業となりますし、製品事故にまつわる経済産業省、消費者センター、メーカー、消費者、販売業者、輸入業者、下請業者など、製品を取り巻くステークホルダーそれぞれが、その対応方法を真剣に検討しなければいけない制度であります。

いろいろな記事や改正法案の内容などを検討してみますと、この改正案は会社法上の内部統制システムのあり方と密接に関係する制度を内包しておりますし、これまでは裁判でもなかなか認められることのなかった「内部統制システムの構築義務違反」=「取締役らの善管注意義務違反」といった図式を連想させるものでして、たいへん興味深いものですね。 また「財務報告の信頼性確保」ということよりも、リスクマネジメントと一体となった(経済産業省が以前から提唱していた)内部統制システムのあり方を各社で検討するためのモデルになることは間違いないと思われます。詳細なところは追って別のエントリーに譲ることとして、まず実際の企業の対応方針として懸念されるところは、事故報告に対する正確性と迅速性というふたつの相反する要請をどこでどう調和させるか、といったかなりの難問を解決しなければならない、ということであります。これは、政府に対する「報告」ということのほかに、製品事故に関する「公表」といった企業行動もどこかで必要になるのではないか(これはダスキン控訴審事件からの教訓として)という課題を併せ検討する必要性が認められるからであります。正確性といいますのは、いたずらに一般消費者に不安を与えないように、また取引業者を回復困難な信用毀損状態に陥らせないために、できるかぎり正確な情報を伝えなければならない(事故発生原因が、製品の欠陥によるものなのか、消費者による悪意的使用法によるものなのか、中間の第三者による行為の介在によるものなのか)ということであり、また迅速性といいますのは、被害拡大をできるかぎり速やかに防止し、かつ被害情報を速やかに収集しなければならない、といった、いずれも企業のクライシスマネジメントの要請に起因するものであります。

たとえば製品販売業者は(努力義務になる予定だそうですが)、消費者から事故報告を受けた場合には、すみやかにメーカー側に報告をする義務が規定されますし、また消費者センターに申し出られた製品事故については、これも速やかに政府に報告をする運用となります。また、経済産業省は受領した事故報告を公表し、同様の情報が集積されることによって製品自体における欠陥が推定される場合には、メーカーと機種名を公開する、という対応方針とのことですから、メーカー側としましても、どのタイミングで「報告」だけでなく一般消費者に対して「公表」や「対応措置」を明らかにするか、非常にむずかしい選択を迫られるわけです。パロマの事故や、シュレッダー事故などから判断しますと、製品事故とういものは大規模の企業にとりましても、その信用問題やステークホルダーへ与える損害の程度は大きいことが予想されますので、「報告すべきかどうか」「公表すべきかどうか」「いかなる措置を会社としてとるべきか」など、おそらく取締役会で十分な資料のもと検討すべき事柄ではないかと思います。(もちろん、何が重大事故に該当するか、といった基準は法令等で規定するそうですが、この法律が適用される業種が広範に及ぶ以上はかなり解釈の余地を残すものになると思われます)有事対応のあり方ももちろん重要ではありますが、平時のリスクマネジメントとして、この報告義務のために企業としては何をしておけばいいのでしょうか。

こういった報告義務の法制度が発達し、その法制度をもとに業者団体によるルール作り、社内における規則制定等が行われるにいたり、いままで比較的抽象的な規範概念として捉えられていた「会社法上の内部統制システムの構築義務」といったもののレベルが、取締役の注意義務の範囲を具体的に確定できるレベルにまで、かなり近づいてきたような感があります。上場、非上場に関係なく、製品事故への対応に関するリスクマネジメントをどうすべきか、いろいろとこれから検討していきたいと思います。

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2006年10月13日 (金)

11月2日に講演をさせていただきます(広告)

私のブログは、ココログのアクセス解析によりますと、約60パーセントの方々が東京から閲覧されていらっしゃいますので、たいへん心苦しいのですが、私の大阪での講演の広報をさせていただきます。

来る11月2日に北浜フォーラムにて「企業における内部統制実務セミナー」が開催され、私もトップバッターとして講演をさせていただきます。主催は証券会社の方にはお馴染みかと思いますが、あのエス・ピー・ネットワークさんでして、大阪証券取引所さんが後援ということであります。

ご案内はこちらでございます。(申込書も添付されております)

まだ20日ほど先でありますが、内部統制部会による「実務指針」など出てたらどうしましょうかね??ちょっと演題が変更されるかもしれません。ただ、大証とエスピーさんのタッグによるものですから、基本的な流れは引受審査に耐えうる企業コンプライアンス、といったところを中心に講演させていただくことになると思います。また、来週はこういった講演に備えまして、いろいろと証券会社の引受審査部門のプロフェッショナルの方ともお話をさせていただく予定にしております。内部統制監査に強い公認会計士の先生方も控えておられますので、上場準備企業だけでなく、内部統制実務に関与されていらっしゃる上場企業のご担当者の方にも、有益なお話ができるよう、がんばりますので、ご興味のある方は北浜フォーラムまでお越しいただければ・・・と思っております。(すいません、きょうは完全な広告モードになってしまいました。)

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2006年10月12日 (木)

相場操縦に対する逆転有罪判決(2)

先にエントリーしておりました例の相場操縦事件控訴審判決についてでありますが、未だ控訴審判決の全文は見当たりませんので、読めていないものの、判例タイムス1185号や金融・商事判例1220号、そして旬刊商事法務1729号などの文献から、大阪地裁の原審無罪判決と、その学術的解説などに目を通してみました。また、興味深いことに最新版の「証券取引法読本」(河本・大武)と「証券取引法」(神崎・志谷・川口)とでは、この地裁無罪判決に対する評価がまったく反対である、ということですね。かように証券取引法に関する刑事事犯の違法性評価というものは、未だ混沌としたところが多いですし、不公正取引やインサイダー取引で今後困難な裁判が予想される堀江氏、村上氏の刑事裁判にも、こういった証券取引法違反事件に対する裁判所の法令適用の姿勢が大きく影響をしてくるように思います。

こういった判例解説や、このたびの控訴審判決に対するニュース記事とをつき合わせて考えますと、先日の「相場操縦に対する逆転有罪判決」でいろいろと検討しておりました点につき、かなり考え違いをしていたところがあることに気づきました。やはりbunさんからご指摘のありましたとおり、出来高が相場変動に及ぼす影響といったところだと思います。出来高がボラティリティに影響を与える、ということであれば、当然行使価格にも影響を与えますし、また自己両建取引が、価格にニュートラルである、という前提で考えてみても、株券オプション取引にあたっては、売買のタイミングをつかむためには、その出来高の多少は、流動性をチェックする材料にはなりえるのではないでしょうか。売買可能性の判断についても、やはり価格変動操作といった概念に含まれるとも言えるような気がします。(このあたりは、詳しい方にお教えいただければありがたいのですが)

いずれにしましても、原審は「仮装売買」といった文言を、「実質的な権利変動を伴わない取引」と解釈しており、非常に文言に忠実な解釈をした結果でありまして、刑事事件における罪刑法定主義的解釈としては正論だとは思います。ただ、松井証券さんのQ&Aなどでも明確に定義されているように、そもそも売買の経済合理性に着目したうえで、「仮装売買」を解釈するならば、おそらく

仮装売買(かそうばいばい)
取引量が多いことや価格が一定水準であるように見せかけるために、意図的に行われる売買のことです。例えば一人の投資家が保有している株式について、同一価格で買付けと売付けを申し出るといった取引が、これにあたります。なお、二人の人が通謀して「自分が売るから、おまえ買ってくれ」というような取り決めをして売買を行うことを馴れ合い売買といいます。この取引において実質的な権利の移転はありませんが、記録のうえでだけの売買を作り出すことができるわけです。相場操縦の一つとして証券取引法で禁止されています。

といった感じで、最初から「取引量が多いように見せかける目的で、意図的に行われる売買」つまり「出来高目的の売買」を「仮装売買」の定義に含んでしまう、という刑法的解釈もアリなのかもしれませんね。こういった目的論的解釈が可能となるのも、157条に概括的に不公正取引を処罰対象とするような、かなり曖昧な構成要件が(もともと)規定されているからだと思います。証券取引の分野におきましては、そもそも最初から進化する資本市場において発生可能な不公正取引を詳細に予想することは困難ですから、投資家保護のためには、あいまいな構成要件でいちおうの網をかけておく、ということも必然性がある、という考え方に基づいたものではないか、と思われます。また、繁盛目的以外にも、相場操縦目的(つまり価格変動目的)が必要かどうか、といった論点につきましても、先日のエントリーでは、投資家保護よりも市場の公正性・透明性確保を目的とするのであれば高裁のような判断になりやすい、と書きましたが、この高裁判断においても、やはり基本的には「一般投資家保護」を重点として解釈をしているようです。つまり、先に述べましたとおり「出来高が一般投資家の取引意欲に影響を与える」ものであるならば、やはり出来高を信用して、オプション価格を算定したり、売買機会の選択をする投資家が存在することは確実なわけですから、被告人が「株式のプロ」である場合には、出来高操作が投資家の行動に影響を与えることは十分認識できる、と判断されたことが予測されます。ということで、そのような操作による投資家の具体的な損害についても無視できない、といった判断に至ったのではないでしょうか。(ただ、このあたりにつきましても、それでは「無視できないほどの大きな損害が今回の件で発生してたのかどうか」はよくわからないところでありまして、(本件で問題とされる損害の程度が)科罰的な違法性を基礎付ける程度のものかどうかは、原審のようにちょっと異論もあって当然だと思われます)とりあえずは、高裁判決の全文を読んでみたいですし、また被告人側は、上告予定とのことでありますので、また最高裁ではどういった判断が出されるのか、注目されるところであります。

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2006年10月11日 (水)

MSCBと内部統制の限界論

最近拝読いたしました「粉飾の論理」(高橋篤史著・東洋経済新報社)や、昨日の社外監査役実務研究会における会計士さんのお話に触発されまして、ここのところMSCB(転換価額修正条項付転換社債型新株予約権付社債)、転換予約権付優先株式、行使価額修正型新株予約権のスキームにとても興味が湧いてきました。いろいろなブログ、雑誌、書物などを読んでおりますが、10%程度のディスカウント買取価格が「特に有利な条件」に該当するかどうかは著名な法律学者の方々に、また金融商品としての発行価格の適正性に関する判断基準の研究は金融関係の方や公認会計士の先生方にお任せするとして、とりあえず「社外監査役からみたMSCBとコンプライアンス」といった視点で検討してみたいと思います。

このMSCBの議論の方向性というのは、コンプライアンスという面からみますと、金融商品取引法上の内部統制システム構築論、いわゆる日本版SOX法導入の議論とよく似ているところがありますね。そもそもMSCB自体が「発行すること自体、株式の希釈を招き、株価を低下させるけしからん存在だ」といった議論が先行して注目を浴びたのですが、その後大手の証券会社さんがそれなりにMSCBや新株予約権発行による実績を築き、これは発行企業と買受(引受といったほうがいいような実態だと思うのですが、いちおうアンダーライティング業務とは違いますから、買受ですよね)証券会社との合意内容と、資金需要が正当なものであるかぎりは、株価の需給関係をコントロールでき、関係者にとってはとてもハッピーなスキームである、という考え方があとから浸透しつつある、といった具合ではないでしょうか。ただ、逆に申し上げると、発行企業と買受証券会社(もしくは買受証券会社に貸し株をする大株主)の間におきまして、ひとつボタンの掛け違いが発生しますと、既存株主に大損害を与えてしまうほどのリスクを抱えているスキームであることは間違いないわけでして、これもやはりコンプライアンス的な発想で、検討しておく必要はあろうかと思うわけです。もちろん経営が順調な企業につきましては、公募増資や間接金融によって資金調達は可能でしょうから、むしろ比較的規模が大きくなく、資金調達の必要性はあるが、諸々の事情で他の資金調達手段はちょっと困難ではないか、といった上場企業向けのお話であることは確かでしょう。

日本版SOX法の導入という問題も、そもそもカネボウ事件やライブドア事件など、不正経理の撲滅を目的として法制化が検討されはじめたわけでありますが、現在はどちらかといいますと、コンプライアンスというよりも統制活動までを含めて財務情報の信頼性確保といった目的(いちおう法令遵守とは別の目的として)が最重要視されていて、経営者の不正防止というよりも、もっと広く財務情報の信頼性向上のために有益な管理行為とは何か、といったところで議論が広がりを見せているのが現実ではないでしょうか。それでいて、内部統制には限界がある、とされており、おそらくライブドア事件やカネボウ事件というものは、この「限界」の範疇に入る、つまり、当初の目的とは違って、どんなに頑張って内部統制システムを構築してみても、防ぎきれない経営者の暴走として捉えられてしまうおそれもあるわけです。(「全社的統制システム」や「統制環境」といったところで、取締役や監査役の人的関係を広く判断基準に加えて、内部統制の不備もしくは欠陥とすることが可能という考え方もありうるわけでして、まぁここはおそらく異論のあるところだとは思いますが)

そこでMSCBの話に戻りますが、こういった資金調達スキームが企業にとって有用であり、今後も広く活用されるべきもの、つまり認知度が高くなったとした場合に、会社の一方的な経営判断によって既存株主が著しい損害を被ったり、一部の上場企業にあったような経営の末期症状にある企業が、背任に等しいような金銭流用の道具として用いられるといった弊害を除去する方法とは、いったいどういったものが考えられるのでしょうか。日本で発行されるMSCBにつきましては、有価証券届出書の提出が必要であり、また適時開示の対象ともなりますから、開示制度の充実といった方向性がもっとも適正であるかなぁとも思われますね。しかしながら、「開示制度によるコンプライアンスの実現」というものは、そこに開示された情報によって、投資家が「これは怪しい」といった判断が可能であることが前提で、初めて問題企業の淘汰を実現できるものだと思いますし、現在のように適格機関投資家にだけ販売されるようなものであればけっこうですが、これがもし一般投資家にも購入してもらる商品になりうるとしたら、はたして開示情報によって、どれだけ有益な投資判断ができるのか、きわめて疑問があるように思います。CBの譲渡制限条項や、大株主からの貸し株の有無などを含めて、その内容が開示されることは重要だとは思いますが、それだけではもっとも「開示統制によって、不正利用が防止されることが期待される企業」に対してはあまり効果はないかもしれません。

資本市場における企業のコンプライアンスを考えるにあたって、その1社のステークホルダーの被害を予防すれば足りると考えればいいのか、それとも不埒な1社が発生したために、ほかの数千社の上場企業までが市場の信頼性を失うことで迷惑を被るわけで、その数千社の迷惑予防まで考えなければいけないのか、そのあたりは意見の分かれる可能性がありそうです。アメリカあたりの市場では到底発行規制のために発展しないMSCBであっても、それが日本の市場促進の機能を果たすのであれば、「不埒な上場企業によって、多数の市場参加企業が迷惑を被ることとなる」ために、日本の資本市場の信頼性確保のために、開示統制を超えて、行為規範の増強や、監視機関による十分な監視活動、事後的な刑罰強化まで必要になるのかもしれません。そして、このあたりの企業コンプライアンスに関する考え方によって、発行企業の役員のMSCBへの対処方法も変わってくるように思います。

まぁ、もしMSCB発行といった事態になった場合には、おそらく証券会社のほうから、発行企業へ(価格やリーガルチェックなどの)意見書を書いてもらえるような専門家(弁護士等)を紹介してもらえるのが通常でしょうから、とりあえずは社外監査役としては、そういった専門家のご意見に従えば、善管注意義務を問われる可能性は薄くなるのではないでしょうかね。(しかし、証券会社が紹介する専門家が、買受を中止する方向でいろいろと指導してくれるようには思えませんが)(具体的な社外監査役の行動のあり方への持論につきましては、たいへん長くまりましたので、また後日につづく・・・ということで・・・)

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2006年10月10日 (火)

監査役と信頼の権利(信頼の抗弁)

祝日(9日)にもかかわらず、朝から共同執筆の最終原稿読み合わせの会合に出てまいりました。公認会計士グループと弁護士グループによる「社外監査役実務指針」に関する出版に関するものであります。来年の株主総会の参考書としてに間に合うように、出版予定日から逆算してみますと、もうあんまり締め切りまで時間的な余裕がない、ということで、なかなかハードな作業です。ここ数日間に最初から最後まで目を通しましたが、なかなかいい出来栄えになっておりまして、上場企業の常勤監査役、非常勤社外監査役、法務、内部監査担当者の方にはかなり参考になるものではないか・・・と勝手に想像したりしております。(また、出版の時期になりましたら、このブログでも広報させていただきたい、と思います)

いろいろと議論しているなかで、最後まで共同執筆本の調整がむずかしい論点がございまして、ひとつは「監査役に信頼の抗弁は成立するか」といったものがありました。大和銀行事件や、ダスキン事件など、監査役の責任追及がなされた事案を参考に、いろいろと検討しているところでして、果たして監査役会設置会社において、監査業務を各監査役間で分担しているケースでは、その分担された業務をきっちりとやっておけば、監査役は信頼の権利によって免責されるものであるか、といった論点であります。つまり、3人以上で監査役会を構成する監査役が、被告として株主代表訴訟を提起された場合に、監査の任務懈怠責任というものが、その分担業務ゆえに、その責任の程度・範囲が異なるケースはあるか、といったものであります。監査役制度自体が日本に独特のガバナンス体制でありますから、そもそも海外の判例理論として形成され、取締役会を構成する取締役の責任免除問題に適用される「信頼の抗弁」が、そのまま監査役にも適用されるであろうか・・・といった疑問を素直に抱いてしまうところですよね。ただ、研究会の大方の意見としては、監査役という職務が独任制の機関であるとしても、監査役会において監査計画をたてて、それぞれの役割分担をはっきりと決めて、他の監査役の監査業務に十分な信頼をおける状況が認められた場合には、監査役にも信頼の抗弁は認められていいのではないか、といったところでした。このほかにもMSCBの発行に関与する監査役の対応等についても議論がなされましたが(最初はMSCBの発行など、経営判断の問題であってあまりにもマニアックやな・・・と考えていたのですが、引受審査が受けられなかったり、かなり小規模な上場企業であって資金調達手段が限定されるようなところもあるようですんで、そういった企業における監査役にはけっこう現実的な問題かもしれません)、こういった議論の内容につきましては、またご紹介させていただきます。

PS きょう、お昼に会計士の先生と食事をしましたが、その折に「会計士資格者以外の人達も監査法人の社員持分を保有する」ことができるようになる、といった最近の話題に話が及びました。(監査法人への出資、会計士以外にもーー日経ニュース)私は、この問題はニュースで報道されておりますように、どちらかといいますと、監査法人の内部統制や品質管理の問題と密接に関係していて、「監査法人の経営管理」の一環である、と認識していたのですが、どうも理由はそれだけではなく、監査法人の経営多角化とも密接に関係しているようですね。監査法人がいろいろなサービスをクライアントに提供していきたいところですが、会計士以外の職業の方をヘッドハンティングしたとしても、これまでは出資が認められておらず社員たる身分を有していないために、その監査法人内部における出世の道が閉ざされており、インセンティブが生まれない、といったところを改善することも、また大きな理由のようです。存じ上げませんでした。

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2006年10月 7日 (土)

相場操縦に対する逆転有罪判決

本来ならば、私はいまごろ釧路人権大会に出席している予定でありましたが、父の病状が芳しくなく、「帰りたくても帰れない」場所にいることがなんとも無謀な状況となりましたので、大阪にとどまっております。(世話役として、いろいろと準備をしてまいりましたので、お伴できないことはなんとも申し訳ないのですが、こればっかりはいたし方ありません。)

お昼からの看病疲れのため、まともにブログをしたためるだけの気力が乏しい状況ではありますが、ひとつだけ気になったニュースがございましたので、備忘録程度に留めておきます。ホリエモン、村上ファンドと証券犯罪に関する貴重な判例が形成される予感がいたしますが、きょう大阪高裁でも、相場操縦行為(仮想売買、馴れ合い取引)に関する逆転有罪判決が出されたようです。(大証の相場操縦、元副理事長に逆転有罪判決ー読売ニュース)いわゆる証券取引法159条の相場操縦の禁止条項違反ということですね。

第159条 何人も、他人をして証券取引所が上場する有価証券(以下この条において「上場有価証券」という。)、有価証券指数又はオプション(以下この条において「上場有価証券等」という。)について、上場有価証券の売買、有価証券指数等先物取引、有価証券オプション取引又は上場有価証券若しくは上場有価証券の価格に基づき算出される有価証券店頭指数(以下この条において「上場有価証券店頭指数等」という。)に係る有価証券店頭デリバティブ取引のうちいずれかの取引が繁盛に行われていると誤解させる等これらの取引の状況に関し他人に誤解を生じさせる目的をもつて、次に掲げる行為をしてはならない。
1.権利の移転を目的としない仮装の上場有価証券の売買をすること。
2.金銭の授受を目的としない仮装の有価証券指数等先物取引又は上場有価証券店頭指数等に係る有価証券店頭指数等先渡取引若しくは有価証券店頭指数等スワップ取引をすること。
3.オプションの付与又は取得を目的としない仮装の有価証券オプション取引又は上場有価証券店頭指数等に係る有価証券店頭オプション取引をすること。
(中略)
9.上場有価証券店頭指数等に係る有価証券店頭指数等スワップ取引の申込みと同時期に、当該取引の条件と同一の条件において、他人が当該取引の相手方となることをあらかじめその者と通謀の上、当該取引の申込みをすること。
10.前各号に掲げる行為の委託等又は受託等をすること。

1990年代の後半から、株券オプション取引が、東証と大証で開始されたわけでありますが、大証における人気が「イマイチ」だったために、平成15年7月ころから、大証の元理事長さんが、客寄せの目的で(ほかの数名と共謀して)株券オプション取引の仮想取引や馴れ合い取引を多数回やって出来高を人為的に増やしてしまった、という行為が相場操縦に該当するということで起訴された事件であります。そして、原審(大阪地裁)は、①オプション取引の新規自己両建取引は、現物株の仮想売買とは実質的には仕組みを異にするので、権利の付与・取得を目的としない159条1項3号に該当する取引とはいえないこと②159条は全体として相場操縦によって価格を操作し、投資家が不測の損害を被ることを防ぐために定められたものであるが、本件の自己両建取引はもっぱら大証における取引高が東証の取引高に勝つために行われたもおであって、価格の変動を目的としたものではなく、投資者の被害も微々たるものである、といった理由から、大証元理事長に対して無罪判決を言い渡しております。

上記のニュース記事しかみておりませんので、詳細はわかりませんが、大阪高裁の判決では、オプション取引の両建取引の実質的な仕組みを検討して、ということよりも、特定銘柄の価格変動を目的とするような場合以外にも、つまり価格変動を目的とせず単に出来高の大きさを変える目的の行動であったとしても、それは「相場操縦」に含まれる、としたことが争点とされたようです。これまでの相場操縦事犯に関する判例では、いずれも不公正な取引方法を用いて、価格変動を企図し、その結果として利得を得ていたような事案がほとんど全てでありますが、本件のように価格変動をかならずしも目的としていないような場合でも相場操縦罪が認められる、とした判例の意義は、今後の実務の参考になりそうですね。証券取引法は「投資家保護」という目的を謳ってはおりますが、ダイレクトに保護法益としているものではなくて、市場の公正をはかることを通じて、結果的に投資家保護に資する、といった考え方を重視しますと、この高裁判断のような結論に至るのかもしれません。ただ、この事案につきましては、原審判断が正しい、とする著名な学者さん方もいらっしゃいますので、今後も最終結論までは予断を許さない争点かもしれません。

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2006年10月 6日 (金)

内部統制と真実性の原則(1)

ここのところ、金融商品取引法上の重要論点である「内部統制報告実務」について、皆様方よりいろいろなご意見を頂戴しているわけですが、私自身もよくわかっていない部分がありまして、今後少しずつでも交通整理をしていきたいと思っております。そんななかで、会計士さん方とお話していて、法曹の私によく理解できないのが「内部統制と真実性の原則」との関係であります。これは何か関係しているのか、それとも内部統制報告実務と会計の大原則である真実性の原則とは、そもそも無関係なのか、そのあたりがひとつめの疑問であります。

会計学で言われるところの「真実性の原則」というものは、ある目的、つまり証券取引法による財務会計を例にとれば、投資家が健全な投資判断をなしうる程度の正確性が保証されていること、つまり相対的な真実性が認められれば足りる、ということですよね。(そうでなければ減価償却とか、繰り延べ税金資産といった概念が出てこないですよね)したがいまして、まず監査人(公認会計士または監査法人)が監査の対象としているものは、ある一定の期間におけるある企業の経済活動を、会計慣行というお約束によって数字で反映したもの、ということであって、つまりは(真実性が担保されている)数字の正確性が対象になると考えられます。しかしながら、内部統制報告実務における監査の対象というものは、経営者の出した「有効性に対する評価」であって、「内部統制の有効性」そのものではありませんよね。そもそも内部統制監査に「真実性の原則」が適用されるものかどうかも私にはよくわからないのですが、もし適用されるとしましても、ダイレクトレポーティングをしない監査において「他人の評価」の真実性という概念は果たして成り立ちうるのでしょうか?それとも、ダイレクトレポーティングは採用されないけれども、監査人独自で証拠を採取して、内部統制の有効性評価を別途監査人で行い、最終的に他人の評価と突き合わせるので、財務諸表監査の手法と同じである、とするのでしょうか?私にはどうも、この会計原則である「真実性の原則」という概念をもってきた場合、「過去の事実があったかなかったか」という意味で考えるならば、財務諸表監査にはなじむ概念ですが、「会社のシステムが有効かどうか」といった「評価」を問題とする内部統制監査は、かなり異質な業務が監査人に付与されるような気がするのですが、いかがでしょうかね。

それともうひとつの疑問でありますが、この内部統制監査における「適正意見」というものは、なにを目的とみたときに「内部統制の有効性がある」と評価できるのか、ということです。もちろん金融商品取引法上の内部統制報告実務は「財務報告の信頼性確保」を目的としているわけでありますが、ほかの3つの目的(業務の有効性効率性確保、コンプライアンス、資産の保全)とも密接に関連している、というのが八田教授の見解であります。(八田進二著・「内部統制の考え方と実務」51頁以下 日本経済新聞社2006年)そうしますと、監査人としては、たとえば法令遵守という視点からみて有効だ、とか、資産の保全という目的からみて有効とは言いがたいとか、いろいろな視点から判断すべきなのか、逆にいいますと、経営者の有効性評価の際に、4つの目的の総合判断として、自社の内部統制システムの有効性を評価すべきなのか、そのあたりはどう整理されればよいのでしょうか?このあたり、実施基準や監査基準が公開されることである程度、煮詰まってくるのかもしれませんが、もうすこし今後の議論の進展のためにも整理が必要ではないか、と思う次第であります。

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2006年10月 5日 (木)

不正会計の予防に向けて(その4)

昨日の「通行手形としての日本版SOX法の意義」には、たくさんのアクセス、そして非常に質の高いコメントを頂戴しまして、本当にありがとうございました。会計ネタは、このブログでもっともアクセス数が伸びるエントリーでして、先日の日経新聞でご紹介いただいたときに次ぐほどのアクセス数を記録いたしました。もちろん、皆様方のコメントの厚さに依拠するところが大きいわけでして、元記事の内容が薄いぶん、皆様方の厚いコメントで補っていただけますと幸いです。また、熱いコメントに対して、きちんとお返事をさせていただこうかと考えております。

さて、本来ならば昨日のエントリーの続編をすぐにでもアップすべきところではございますが、またまた気になる金融審議会ニュースが出ておりまして、いつも拝見させていただくブログでもあちこちで話題になっているところですので、すこしだけ私のブログでも採り上げておきます。またまた企業会計モノではございますが、金融審議会におきまして、会計士の独立性を確保することを目的として、企業不正を発見した会計士さんに、金融庁(証券取引等監視委員会?)への通報義務を課そう、といった提案が(金融庁より)出されたそうであります。これは朝日ネットニュースだけが記事として掲載しておりまして、同日の日経ニュースでは、会計士(監査法人)のローテーション期間の短縮化が議論されたことを記事として掲載しておりますね。

ニュースはこちら でありますが、その内容を少しだけ要約いたしますと「ライブドアやカネボウの粉飾決算事件などにより、会計監査制度の見直しを進めている金融庁は、監査人が企業の重大な不正行為を発見した場合には、当局への通報を義務付ける仕組みの導入を、公認会計士制度部会で提案した。会社と監査人との癒着防止、独立性確保のためのものであり、審議会で意見がまとまれば公認会計士法などの改正に盛り込む方針。この提案に対しては賛成意見も出たが「監査の検察化を招きかねない」との慎重意見も出ている。(その他、監査報酬の決定権を取締役会から監査役に移すことも検討課題とされている)」といったところでしょうか。このブログで再三、問題としてきました「監査人の不正発見義務」「監査人の不正調査権限」といったところとダイレクトに結びつくような(金融庁による)提案かどうかは、ちょっと上の記事では明らかではないようです。たまたま監査業務のなかで不正経理を発見することは監査人にとっても起こりうるところでして、会社法監査におきましても、法397条におきまして、会計監査人の監査役に対する不正行為報告義務が規定されているところであります。もちろん、会社が「贈賄」や「株主への利益供与」など、不正行為の会計処理について「使途不明金」などで処理しているケースなどでは、(違法行為は存在しても、会計的には適正と認められますから)そもそも違法行為を報告する義務など監査人にはありえないのではないか、といった理論的な問題(いわゆる「期待ギャップ」問題)もあるわけですが、実務慣行としては日本公認会計士協会の実務指針においても追認されているところですし、例外的に会計監査人に認められる「業務監査」のひとつとして考えられるところであります。この会社法監査の考え方を、証取監査にも採用して、(監査役ではなく)金融庁への報告義務を課す、といった制度変更が問題となっているだけであれば、「職責」という意味におきましては、それほど会計士さんのこれまでのお仕事と大きく異なることはないようにも思えますがいかがでしょうか。(業務監査権限を持つ監査役への報告義務というのは、そもそも監査役の職務遂行を適正なものとするために会計監査制度に当然に含まれるものであって、いっぽうの金融庁への報告義務というのは、監査人が会社から付託された義務の範囲外の特別の行為規範ではないか、といった理論上の問題は残るかもしれませんが。)

ただ、もしこういった制度の導入が、公認会計士法の改正によって、会計士さん方の職責の変更にまで及ぶとしたら、これは大きな問題でありまして、「不正発見義務」「不正調査権限」の問題と結びつく可能性も否めないように思われます。私の理解するところでは、そもそも公認会計士さんの監査業務における職責といいますのは「財務諸表の適正性監査」のみではなかったかと思います。このあたりは昨日のエントリーに対するコメントとも関連するかもしれませんが、内部統制報告実務に関する監査業務というものも、はたして本来の公認会計士さんの職責からみるとかなり異質なものではないでしょうか。(これまでも内部統制監査というものは実際に行われていたのですが、それはあくまでも財務諸表監査に付随するもの、もしくはその適正性を補完するもの、として行われていたものですよね)そういった異質なものがなし崩し的に会計士さんの職責として含まれていくとすれば、その延長線上に「コンプライアンス経営維持に貢献する」職責といったものも、くっついてしまう可能性も出てくるように思います。いわば、「期待ギャップ」を埋めてしまうような政策を金融庁が考えることもあながち否定できないようにも思えます。ただ、そこまでいきますと、これはもう会計士さん特有の専門家責任の範囲が拡大することは自明のこととなりますし、「不正」「重大な違法」「立証責任」などの言葉が「法律用語」として仕事のうえに乗っかってきますので、おそらく監査人という仕事がとんでもないことになってしまうはずであります。ここのところは、以前と同様、私は慎重な議論が必要だと思いますし、監査人の検察化などは到底ありえない話だと考えております。

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2006年10月 4日 (水)

「通行手形」としての日本版SOX法の意義

最近、弁護士会で大きな問題となっておりますのが、弁護士の職務上取寄請求の厳格化であります。もともと法律専門職の資格を保有している者が、その職務上の必要性から他人の戸籍謄本や課税証明書などを取寄せる場合には、その資格を信頼されたうえで、個人の戸籍謄本などを独自に取寄せることができます。ところが、最近法律上の資格保有者が、この制度を悪用して、取寄せた謄本や証明書を金融業者に横流しする、といった不祥事が発生しておりまして、法務省等はこの取寄制度を厳格な要件のもとで運用する方向に制度改正を検討しております。弁護士会はこれに反対しているわけでありますが、要はごく少数の法律職資格者の悪行によって、マジメに仕事に取り組んでいる大多数の資格者の信頼が大きく崩れてしまい、その法律家としての日業業務に大きな影響が出てしまうわけです。

前々回のエントリーで高橋篤史記者の新刊「粉飾の論理」をご紹介しましたが、この書物の後半部分では、メディア・リンクス、丸石自転車、駿河屋などの不正会計問題について論じられております。企業の適時開示情報だけを読んで、いろいろと論評するのが恥ずかしくなるくらいに、この記者の不正を生む背景への取材内容は興味深いものがありますね。これらの諸々の事件の背景などをお読みになった方は、「こんな事態にはうちの会社はならない。現行の管理体制で十分、不正会計問題は阻止できる」と自信を深める方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、そういった不正経理問題によって資本市場全体の信頼が失われ、先の弁護士会の問題と同様に、資本市場全体の信頼保護のための「内部統制報告実務の重要性」というものの意義も、かなり大きいのではないか、と改めて認識いたしました。カネボウについて、前々回のエントリーでも述べましたが、大きな伝統企業といったところは、そこそこ内部統制システムがいちおう整備されているのが当然でありまして、そこにおいて不正経理が行われる、というのはそもそも内部統制に重大な欠陥があった、というよりもむしろ内部統制の限界によって説明されるべき事件に該当するのかもしれません。内部統制システムの構築によって「重大な欠陥」を埋めるべきは、こういった中小の公開企業(あるいは公開準備企業)にあるのではないでしょうか。そこで日本版SOX法を今後導入することで、財務報告の信頼性確保のためにシステム整備が急務とされるところは、規模としては小さいものであっても、上場企業としての最低限度の統制環境の整備ではないか、と思うところであります。リスクアプローチ、という言葉がふさわしいかどうかはわかりませんが、内部統制報告実務を導入することによって、最小の費用で最大の効果を上げることが可能となるのは、おそらくこういった新興IT系企業や、伝統企業であっても比較的規模が小さく、経営面で思わしくないパフォーマンスに甘んじている企業への適用ではないか、と推測いたします。この「粉飾の論理」を読み終えた感想としましては、たとえ上場企業といっても、裏の道と親密になるケースは非常に多く、また違法と思われる取引についても、「バレなきゃだいじょうぶ」とばかりに、平気で繰り返されているものも多く、そういったごく一部の上場企業のために、マジメに財務政策に取り組んでいるの資金調達には大きな影響が出てくるわけでして、(最近の会計基準の変更なども、不正会計事例の歴史をたんねんに振り返ってみると、どこが問題となって変更されるに至ったのか等、理解できる部分が多いですね)こういった中小規模の公開企業の財務報告上の不正防止こそ、資本市場に参加するすべての方に重要な意義を持つのではないか、と思います。

SOX法の本場アメリカにおきましても、いまだ中小規模の公開企業への適用は猶予されているわけでありますが、猶予されている公開企業の数でこそ全体の70%程度に上りますが、実は資本市場全体の規模でいえば90%程度の企業にはすでにSOX法は適用されているわけです。つまり、公開企業数全体の30%程度の企業が、資本市場を形成する資本の90%程度を保有しているわけですから、全体のごくわずかである中小規模の公開企業にとってはこのままSOX法の適用を排除したとしても、全体への影響はそれほど大きくないのでは・・とも言えそうであります。しかしながら、すでにこのブログでも以前に報じましたが、アメリカのSECは中小公開企業への要件の緩和化については検討するものの、中小公開企業へのSOX法適用免除を否定しました。これは、やはりごく一部の極端に内部統制が構築されていない企業の不祥事によって、市場全体が大きな影響を被るおそれがある、といった考え方の延長線上にあると思っております。

こういったところから、日本版SOX法の狙いというものは、内部統制部会長の八田教授の表現で申し上げますと「市場参加のための通行手形」としての意義にあるものと思います。(すくなくとも、この「通行手形」なる意味は、こういった企業にこそ、内部統制システムを最低限度のラインをクリアしてほしい、といった要望を含むもののように理解いたしました。)直接金融によって資金調達をはかりたい企業にとっての最低限度維持すべき内部統制システムのあり方を検討し、これを常に携行することによって初めて資本市場に参加できる、といったイメージであります。

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2006年10月 2日 (月)

監査法人の即時反論制度と守秘義務

昨年8月4日に会計監査人の守秘義務というエントリーを備忘録程度に残しておりまして(内容は証取監査に関するものでしたので、すこしタイトルが正確ではありませんが)、そのなかで、会計監査人も一般向けに辞任や解任に至ったときになんらかの説明をすべきではないか、といった問題を書き記しておりましたが、今朝の日経ニュースによりますと監査法人が上場企業から受任している業務について解任された場合の「即時反論制度」なるものを、金融庁が検討している、との興味深い記事がありました。(監査法人、解任反論即時に、金融庁検討)会社法上では、会計監査人には株主総会や監査役会によって解任された場合には、意見表明の機会が付与されておりますので、ここで問題とされている即時反論制度といいますのは、証取法上の財務諸表監査、内部統制報告における監査証明業務というところを指しているようです。(記事のうえでも、監査法人による即時反論は一般投資家保護のため、とあります。)そういえば、一昨日(9月29日)の日経新聞でも、上場企業と監査法人との間における(上場企業側からの)辞任要求による辞任や監査法人側からの辞任申出というものが最近増加している、との記事がありましたし、モノ言う監査法人の強化が、投資家保護につながる、といった考え方に基づくものなのでしょうかね。

法的に「解任」された場合に限られるのか、実質的に解任と等しい「辞任要求による辞任」や監査法人側からの「辞任」の場合も含むのかなど、細かいところまではまだわかりませんが、いずれにしましても、上場企業側は適時開示によって「なぜ監査法人を解任したのか」、その理由を説明できますが、監査法人側は「守秘義務があるためにお答えできない」といった回答がなされるケースがありましたので、投資家保護のための即時反論権といいますのは、「監査意見を述べる目的の範囲内においては、守秘義務違反とはならない特別の要件」のひとつになりそうです。

もし、この制度が実現するとなると、監査法人に対して上場企業側も意見を述べやすくなると思いますが、監査法人側としましては①上場企業による言われっぱなしを防止する、②守秘義務から解放される(ただし、限界はありますが)、③その企業とのおつきあいの初期段階から、自説を述べやすくなる、④(上場企業との主張合戦により)外部から、その監査法人の真の実力を把握しやすくなる(ディスクロージャー)などのメリットも考えられるところであります。昨日ご紹介いたしました新刊「粉飾の論理」の298頁以下におきましても、カネボウ事件の監査人であった元会計士の神田氏が、その証言として「カネボウの監査業務において、もし10年前にもっと会計上の問題を厳しく指摘していたならば、こういったことは起こらなかったであろう」といった言葉があります。監査法人がオフィシャルに堂々と反論する、といった制度の枠組みがあれば、いまよりも少しばかり上場企業と監査法人との関係もドライになるんじゃないか・・・と期待したいところであります。

ところで、監査法人の独立性を強化して投資家保護をはかる、といった理由のほかに、こういった即時反論制度を設ける理由として考えられるのが金融商品取引法上の「内部統制報告実務」の導入にあるのではないでしょうか。財務諸表監査の場合には、なにが公正妥当な会計慣行であるか、といった点について企業側と監査法人側で見解の相違があった場合、最終的には意見の一致をみて、過去1年間の項目や計算方式の修正をはかることが可能でありますが、経営者による内部統制評価の監査となりますと、過去に遡って修正をはかる、ということが理屈のうえでは苦しいように思います。内部統制の有効性評価というのは、1年間のプロセス評価でありまして、整備された内部統制システムが、同じ状態で一年間稼動していたかどうか、といった「運用」(時間軸を持ちます)評価であります。これは事実の積み重ねに関する評価でありますから、内部統制監査の段階で、経営者と有効性に関する評価に食い違いが発生してしまいますと、修正というものが効かなくなってしまうのではないでしょうか。財務諸表監査ということでしたら、やはり専門家意見による評価部分につきましては、企業側も尊重せざるをえないところが多分にあると思うのですが、内部統制監査というのは「事実認定」であり、要は「内部統制システムが1年間適正に稼動していた」という事実を、どういった証拠から導くかということでありまして、その証拠評価に関しては会計専門家と企業とは五分と五分の関係にあるように思えます。まだ、このあたりは自論としてまとまってはいないのですが、今後詰めて考えておかなければいけないところだと思いますし、企業側と監査人側で見解が相違した場合の「逃げ道」として、こういった即時反論制度のようなものもあれば便利かなぁと思ったりしております。

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2006年10月 1日 (日)

カネボウ事件と内部統制構築論

(葉玉さんのブログ関連の追記あります)

昨日(金曜日)は、日本取締役協会の内部統制研究会で東京に出張しておりまして、新幹線の往復で新刊の「粉飾の論理」(高橋篤史著 東洋経済新報社 1800円)を読んでおりました。このブログにも一度登場していただきました江上剛さんの新刊『不当買収』とどっちにしようかと迷いましたけど、なんか表紙の雰囲気に魅かれて買っちゃった、という感じでした。。。今度は江上さんの新刊も、登場する金融機関の名前などからも現実の世界を連想しやすい小説でオモシロそうなんで、ぜひ購入したいと思います。(なお、研究会のほうは、武井一浩弁護士の講演だったんですが、そちらのほうの感想などはまた日を改めまして。あっそうそう、ブログでコメントをいただくME先生とも初めてお会いしましたね。)

39468 「粉飾決算はなぜ起こるのか?」と一言でテーマを掲げてしまいますと、新聞報道を要約したようなドキュメントタッチを連想するのですが、東洋経済の30代後半のこの高橋記者さんの執拗なほどの現場主義は、かなり私の琴線に触れるものがあります。とりわけカネボウ事件の粉飾発生の要因を、興洋染織側からスポットをあてて検証する様は、なかなか読み応え十分です。主にカネボウ事件とメディアリンクス事件に焦点を絞って、不正会計(粉飾)が発生する背景事情を非常に広く深く検証(現場の声を集めたり、現場の資料を検討するなどによる)されておりまして、企業コンプライアンスや内部統制などにご関心のある方にはご一読をお勧めします。ただ、カネボウの連結決算に関する説明などは、かなり詳細なチャート図が出てきますし、ときどき芸術的会計操作(著者の表現です)に関する説明なども、財務会計的知見をお持ちの皆様がたからすれば、すっと読めるところでも、私のような者には、その中身を理解するのに、何度も読み返したりしないと頭に入りませんので、「すっとばし読み」はかなり困難な書物だという感想です。( ̄▽ ̄);/

この本を読んであらためて感じますのは、粉飾決算が発生する経緯というのは、非常に複雑であって、机上で考案された処方箋などでは到底抗いきれるものではない、ということですね。伝統企業らしく、カネボウにも財務報告の信頼性を確保するための内部統制システムは存在していたことがわかりますし、その運用も適正になされていたことも、この本を読んで理解できるところであります。(カネボウ社内部の中央信用管理委員会の存在など)それでも、粉飾決算は発生してしまうんですね。このカネボウの事例というのは、そもそも内部統制システムとは無関係なのか、それとも内部統制の限界論として位置づけるべきなのか、それとも内部統制のどこかに「重大な欠陥があった」と考えるべきなのか、財務報告の信頼性、という観点から、読者の方のご意見というのをお聞きしてみたいと思います。まあ金融商品取引法に、日本版SOX法が導入されるに至った原因として、一般にこのカネボウ事件の存在があるとされています(そもそも最初の「投資サービス法の構想」段階では、内部統制報告実務というのは、どこにもなかったはず・・・)ので、「内部統制構築とは無関係」とは、なかなか考えにくいのかもしれませんが、粉飾決算を未然に防ぐことが本当に経営管理体制をいじることだけで可能なものかどうか、ちょっとこの本を読みますと自信を喪失してしまいそうな気もいたします。また、上場企業であれば、どこの企業でも、こういった深みにはまっていく要因はおそらく抱えていることが理解できるのではないでしょうか。

私が偉そうに言えるものでもありませんが、もしこういったカネボウ型の粉飾決算を予防することができるとするならば、①取締役・監査役等役員間の情報の管理、伝達に関する明確な規約の存在とその運用、②独立性の高い社外役員の登用、③上司から無理を言われたときの逃げ場としての「外部通報制度」(内部通報であれば、おそらく無理やと思います。少なくとも中立第三者的な方がおられる窓口が必要)、④そしてなによりも経営トップの姿勢に尽きるものと思います。

あっそれから、「運」もありますよね。カネボウ事件で逮捕された2名の方々は、どこでもやってることじゃないか・・・といった気持を最後まで持っていたんじゃないでしょうか。ロレアルが、そして花王が、もし化粧品事業をつつがなく買収していたとしたら・・・・・、お二人の人生は天地ほどの差であったに違いありません。それと「嗅覚」も必要かもしれません。しょせん、粉飾とは「どこからが粉飾で、どこまでがセーフなのか」明確な線引きはできないでしょうし、その線引きも時代によって変わるものでしょうから、「これは危ない・・・」といった独特のセンス(嗅覚)のようなものも、ブレーキをかけることができる立場の人に具備されているかどうか、そのあたりも重要なことではないかと考えたりしております。

(追記)9月30日付けで、葉玉匡美検事さんが「会社法であそぼ」のブログから引退されました。東京地検特捜部に異動される、とのこと。neon98さんのときもそうでしたが、いつも閲覧させていただいていた方が、ブログ界から引退されるというのは、非常にさびしいものですね。(ブログをライブドアからココログに移転された時点で、すでに決定されていたんでしょうね。)短い間でしたが、会社法施行日前後にわたる激動の時期に、その交通整理をされた功労に感謝いたします。また、「会社法であそぼ」を引継がれるサミーさんには、どうかサミーさんなりの色を出して、立案担当者としてのご意見を積極的に配信していただくことを期待しております。(なお、さっそくこのブログリストも、サミーさんのブログに訂正させていただきました。)葉玉さん、本当にお疲れさまでした。今後はよりいっそう「日本のため」に頑張ってください。

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