« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月31日 (火)

内部統制の限界論と開示統制(その2)

月曜日から日経の夕刊で「法化社会 日本を創る」と題して、ドキュメント「挑戦」新シリーズが開始されたようですね。王子製紙がなぜ北越製紙の三菱商事に対する新株の第三者割当について訴訟で争わなかったのか、「王子は紳士的、日本的解決にこだわって、明確な目的意識のもとに行動しなかったのではないか」という一般的な理解で終わる記事が目につくなかで、この第一回目の記事では、企業が「訴訟に持ち込む」決断をすることのムズカシサが十分伝わる内容になっております。現在進行形の報道だけではわからない、当事者に近い人でないと理解できない事情というものが、こういったM&Aの世界では「切り札」として結果の是非を左右してしまうというのはオソロシイですね。企業のコンプライアンス経営とM&Aの成否というものは、ひょっとすると隣り合わせにあるのかもしれない、とこの記事を読んで感じました。シリーズモノですんで、今後の展開にまた期待をしております。

さて、一昨日の「内部統制の限界論と開示統制」の続編を書こうと思っていた矢先、読売と朝日のネットニュースで東京証券取引所のリリース記事が掲載されていました。(上場企業の虚偽記載には注意勧告 東証が新制度 朝日ニュースより)財務諸表の虚偽記載については改善報告書の提出など、東証による自主規制ルールが存在しているわけですが、財務諸表等の計算書類以外の有価証券報告書記載事項の虚偽記載につきましては、自主ルールとしての処分は存在しなかったようです。そこで今後は役員事項や事業上のリスクに関する記載等に虚偽が認められた場合には「注意勧告」なる処分をもって対応する方針が発表されました。これ、2日前の「内部統制の限界論と開示統制」のエントリーに掲載いたしました図式を見ていただければおわかりのとおり、いわゆる「開示統制」に関わる問題です。金融商品取引法に内部統制評価報告制度が導入された経緯や、そこで運用されるであろう内部統制の概要が少しずつ理解されてきますと、今度は内部統制には限界があることや、経営者による確認書制度との関係などが少しずつ理解されてきます。そして、その次に問題点として浮かび上がってくるのが、この「開示統制」との関係でありまして、私的な結論としましては、「金融商品取引法において内部統制評価報告制度を導入した目的を達成するためには、内部統制システムだけでなく、この開示統制も構築する必要がある」「ライブドア事件は、内部統制の限界論に包摂されてしまう事件であって、どんなに内部統制を構築してみたところで、開示統制が機能しなければ第二のライブドア事件は生まれる」ということであります。西武鉄道事件の際に、東証からの指示に促されて大量の訂正報告書が出されたことが、企業会計審議会に内部統制部会を設置する原因になったことは知られているところですが、監査制度の及ばない財務情報以外の企業情報におきましても、その真実性を担保する制度が検討されなければ、投資家に自己責任を負担させるに足る情報提供には値しないと考えられます。もちろん2004年ころから、この「開示統制」が経営者確認書制度を補完するために重要である、といった議論はなされていたと思います。ただ、金融商品取引法が「確認書」を義務付けることとなるために、その経営者評価の合理性を確保するために「開示制度のデュープロセスを企業自身が整備運用する」必要性が高まったこと、そして海外取引所との提携問題や、海外の機関投資家・議決権行使アドバイザーの台頭など、いわゆる「外圧」によってコーポレートガバナンス評価の重要性を無視できなくなってきたことなどによりまして、企業価値を表示する「数字以外の企業開示情報」の重要性についても(内部統制問題と並び)議論せざるをえなくなってきた、と言えるのではないでしょうか。いま、一般の事業会社にとりましては、内部統制評価報告実務への対応で忙しい時期だとは思いますが、じつはこの「開示統制」につきましても、内部統制同様に大きな意味があると認識していただいたほうがよろしいのではないか、と考えたりしております。

とりわけ国家権力が、自らの権限によって企業の自由な経済活動へ調査権限を行使せず、その自由意思をもって企業情報の「公表」に期待する時代におきましては、「確認書」制度を通して、企業のトップの責任と開示のプロセスとが密接に結びつくこととなります。東証が新設する「注意勧告制度」というものも、おそらく「経営者が確認書を出しているんだから、虚偽情報の責任は負ってもらいますよ」と堂々と経営者に言い放つための地ならしのひとつになると思われます。そこでおそらく今後の「開示統制」に関するポイントは①有価証券報告書の財務情報以外の企業情報に関する信頼性確保と②(すでに経営者が誓約書を提出している)適時開示におけるデュープロセス、この2点にあるのではないでしょうか。「貯蓄から投資へ」といった市場資本主義を誘引しながら、かつ自己責任を投資家に堂々と申し向けられるほどの信用性ある企業情報開示のあり方を模索するならば、行き着くところはこういった統制活動にまでたどりつくのではないでしょうか。ただし、政府が内部統制や開示統制など、企業が自主的に取り組む姿勢に期待する制度を重視するのであれば、その制度が有機的に運用されるための「アメとムチ」が必要です。その「ムチ」にあたるものが経営者の確認書制度であるとしたら、「アメ」の部分はいったい何なのでしょうか?そのあたりを続編で考えてみたいと思います。(以下、その3につづく)

10月 31, 2006 内部統制の限界論と開示統制 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月30日 (月)

買収防衛策の事業報告における開示

本当は「内部統制の限界論と開示統制(その2)」をエントリーする予定だったんですが、「三角合併のルールがなかなか決まらない」といった記事や、明星食品さんの適時開示情報の話題などもありますし、ちょっと法律雑誌「ビジネス法務」12月号(中央経済社)で興味深い論稿がありましたので、そちらのご紹介をさせていただこうかと思います。

この12月号では「買収防衛の2ndステージ」なる特集が組まれておりまして、(お!?( ̄O ̄;)このブログにコメントくださる「あの方」のお名前も・・・・)そのなかに企業法務(総務?)担当者の皆様にとってはとても気になりそうな東京の著名法律事務所の先生方による「事業報告における買収防衛策の開示」なる論稿が掲載されております。来年の上場企業の株主総会に向けて、事業報告にどういったことを書くべきか、といった話題ですね。いわゆる会社法施行規則127条の条文の解釈をもとに、株式会社の支配に関する基本方針についての開示の要否や、開示をしないことの影響、そして実務指針としても参考となりそうな記載内容の例示、企業価値向上策および支配防止策に関する記述方法などが、かなり具体的な意見とともに著されておりまして、非常に参考になります。

ちなみに会社法施行規則127条というのは以下のとおりであります。

(株式会社の支配に関する基本方針)
第百二十七条  株式会社が当該株式会社の財務及び事業の方針の決定を支配する者の在り方に関する基本方針(以下この条において「基本方針」という。)を定めている場合には、次に掲げる事項を事業報告の内容としなければならない。
一  基本方針の内容
二  次に掲げる取組みの具体的な内容
イ 当該株式会社の財産の有効な活用、適切な企業集団の形成その他の基本方針の実現に資する特別な取組み
ロ 基本方針に照らして不適切な者によって当該株式会社の財務及び事業の方針の決定が支配されることを防止するための取組み
三  前号の取組みの次に掲げる要件への該当性に関する当該株式会社の取締役(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の判断及びその判断に係る理由(当該理由が社外役員の存否に関する事項のみである場合における当該事項を除く。)
イ 当該取組みが基本方針に沿うものであること。
ロ 当該取組みが当該株式会社の株主の共同の利益を損なうものではないこと。
ハ 当該取組みが当該株式会社の会社役員の地位の維持を目的とするものではないこと。

江頭先生の「株式会社法」では、この会社法施行規則127条に関しまして、

会社の支配に関する基本方針(買収に関する防衛策等)を定めている場合には、それに関する事項(買収防衛策の内容等)を記載しなければならない

とだけ、サラっと記載されておりますが(530頁)、この論稿を拝読いたしまして、よくよくこの条文の文言などを丁寧に読んでおりますと、解釈上、なかなか問題点もあるもんだなぁと、感心をいたしました。いろんな疑問点が湧いてきたのですが、2点だけ記しておこうかと思います。

まず新株予約権等を用いた敵対的買収防衛策を導入しようとしている(たとえば平時に事前警告型の買収防衛プランを導入する場合など)にもかかわらず、この規則127条による開示をしなかった場合、有事におけるその差止の裁判においては、防衛策を発動した会社は不公正な発行と認定されるリスクは高まるのかどうか、といった論点であります。どうも他の著名法律事務所のM&Aに詳しい先生のご意見(旬刊商事法務1758号40頁)や、立案担当者編著本のご意見では(論点解説・新会社法456頁)、リスクが高まるといった見解のようですが、この論稿におきましては反対意見を述べておられます。この対立は「平時導入説」に関する認識の違いや、裁判になると一体「何が」判断対象となるのかといったことへの将来予測の認識の違いによるものに起因するように思います。この論点の見解の相違が、総会準備に大きく影響するとは思えませんが(そもそも上場企業でしたら、取引所ルールとして適時開示しますよね・・・)、もし現実の差止裁判となった場合に、「127条で(防衛策があれば開示してくださいね)とルールが書いてあるのに、開示しなかった、ということは、なにか取締役にとって合理的に説明できないような目的があったんじゃないか、それはたとえば保身目的であったり、本当は有事なのに平時導入にみせかけるつもりだったり」と裁判所に推認を抱かせないでしょうかね。たしかに127条は「それが存在しない場合にまで基本方針を決定して開示せよ」とまでは言っておりませんので、ペナルティとして「不公正な発行」と認定されることにはならないと思いますが、やはりリスクとしては高まると考えてもおかしくないように思われます。

たしかに敵対的買収防衛策導入の真の目的が、買収提案者を排除する(もしくは実際に発動する)ものではなくて、純粋に株主に現経営者と買収提案者のどちらに経営を委託するかを冷静に決めてもらうための時間作りのためのものに過ぎない、といったことを突き詰めて考えて見ますと、「それだったら平時に防衛策を導入しようが、有事になって導入しようが現取締役側の導入動機の正当性には代わりがない」と思われますし、「有事・平時」で適法性を分類するための根拠となる「グリーンメイラー」なる存在につきましても、今回のスティールパートナーズが明星食品に最初にちょこっと「MBO」提案をしてみせたことからも明らかなとおり、なかなか裁判上でグリーンメイラーであることを立証することは困難なのが現実でありますから、あまり平時・有事で分類することにつきましてはその有意性がないのかもしれません。ただ取締役は会社に対して善管注意義務を負っている分、有事の行動には非常に大きな行動上の制約があり(私はこれを有事におけるコンプライアンス問題の一つだと考えています)、その行動の選択肢は限られてきます。経営判断法理の範囲が狭くなるといっても過言ではないと思います。そういった状況のなかでは、裁判所は合理的な取締役の行動原理を認定して、そのとおりに行動したのか、そのとおりに行動しなかった場合には、取締役に合理的な説明がつくのかどうか、など司法が「保身目的」を推論することが可能な領域が広くなると思われますし、もしそこに平時における防衛指針のようなものが存在するならば、その裁判所による推論可能な領域は狭くなるものと思われます。そういった意味からすると、私的にはある程度は「平時導入説」的な発想でこの「127条の開示をしなかった場合のリスク」を検討することも可能ではないかな・・・と考えますが、皆様はいかがでしょうか。

さて、もうひとつの論点ですが、これは先の論稿には出ておりませんが、日立製作所やダイキン工業が発表しているような防衛ルールについては開示の必要があるんでしょうかね?要は「防衛策は具体的に決めていないけれども、もし株式の大量保有者の存在が明らかになった場合には、うちの会社は既存の株主利益を守るために、なんらかの行動に出ますよ。それは持ち合いかもしれないし、第三者割当かもしれないし、ポイズンピルかもしれませんよ」といった内容の会社支配に関する基本方針の決定です。今後ますます防衛策導入を検討する企業は増えてくると思いますが、こういった基本方針を開示する企業も出てくるのではないでしょうか。そういったケースではこの127条はどのように機能するのでしょうか。このあたりは現実の総会実務にも影響の出る論点だと思いますし、どなたか著名な弁護士の方に解説いただければ社外役員たる地位にあります私のような者にとりましては幸いであります。

10月 30, 2006 買収防衛策の事業報告における開示 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年10月29日 (日)

内部統制の限界論と開示統制

金曜、土曜と59期の新人弁護士さん(10月登録)の研修合宿に参加してきました。大阪と奈良の県境にあります山の中のセミナーハウス(アイアイランド)だったもので、パソコンの通信(エッヂ)もできず、帰ってきてやっとコメントなどを拝見させていただきました。やはり「世界史未履修問題」については文部科学省だけでなく内閣自体も緊急の課題として扱っているようですね。また、今週中には政府としての解決案を公表する予定とのことですから、続きのエントリーも書き上げる予定にしております。

さて、本日は「内部統制と情報開示」のシリーズ第二弾であります。「内部統制の見える化」といったもの、つまり内部統制(ここでは金融商品取引法上の内部統制評価報告実務、いわゆる日本版SOX法に関する内部統制)と企業情報の開示につきましては、私はあくまでも「財務情報」自体が開示の対象であって、内部統制そのものが開示の対象ではない、といった見解を述べましたが、これにはYOSHIさんや とくめいきぼう さんより異論若干のご意見を頂戴いたしました。最初に申し上げておきますが、最近の内部統制関連の新聞記事や、HPでの特集などを見ておりましても、「内部統制の見える化」は日本版SOX法と関係がある、企業活動の透明性を促す、といった立場(解釈?)が主流のようであることは間違いございません。私の意見は「本当にそうなのかな?」といった問題点を指摘させていただいているものですから、そのつもりでお読みいただきますと幸いです。

エントリーのなかでも少し触れておりますが、私は「会社法における内部統制システムの構築」論につきましては、「見せる内部統制」といった概念は成立するものであると考えておりますが、いわゆる日本版SOX法といわれるところの「金融商品取引法における内部統制評価報告実務」におきましては、やはり「みえる化」(見せる化)とは関係ないものと思っております。(文書化やフローチャート、情報の記録保管といった要請は当然にございますので、これも「見せる化」になるといわれればそうかもしれませんが、これらは経営者自身による客観的評価を担保したり、監査人による監査のための証憑にすぎないものでありまして、やはり一般投資家に対して内部統制の仕組みを理解してもらう、といったものではありません。)金融商品取引法における企業情報の開示という概念につきましては、自己責任を負担してもらうために必要な一般投資家への正確な情報開示、ということが基本になるはずです。したがいまして、この内部統制報告実務が金融商品取引法によって規定されている以上は、「開示」という概念も、どうしても投資家への情報提供といった意味合いが強いのではないでしょうか。そうしますと、どうしても詳細な内部統制システムそのものが「見せる」(見える?)対象とは考えにくいように思われます。もちろん、監査役や内部監査人におけるモニタリングということも「見える化」のひとつである、といった意見もあるかもしれませんが、私の理解では、それは会社法における内部統制、つまり(そういったモニタリングの制度も含めて)コーポレートガバナンスの状況として、株主による評価の対象となるものと考えれば足りるものであって、金融商品取引法のなかに採り入れる必要はないのではないか、と考えておりますが、いかがでしょうか。

そもそも日本版SOX法と企業開示をくっつけてしまいますと、「それでは目に見えないものは評価されないの?」といった問題にぶつかってしまいます。けっしてそんなことはないわけでして、たとえばYOSHIさんが指摘しておられる「監査役は株主に代わってモニタリングをしているから、開示にあたるのではないか」といったところも真実ですから、こういった監査役や内部監査人の努力といったものは「全社的内部統制」や「統制環境」への評価として取り込むべきだと思います。内部統制評価報告実務の制度と代表者確認制度というものを財務諸表の信頼性確保のために「本当に役立つもの」として日本の法務会計制度に根付かせるためには、できるだけ「内部統制の限界範囲を狭くすること」と経営者自身が評価したと「擬制する」根拠をしっかりと考えることでしょうから、その工夫は、会社法上は別として金融商品取引法上では、あまり「見せる化」「見える化」にこだわらないことです。

金融商品取引法の制度趣旨と内部統制評価報告実務との関係を図示すれば、以下のようになる、と私は理解しております。

Naibu001_4 

本来、金融商品取引法は「投資サービス法」として成立したものでありますが、最近の不正会計事件や、有価証券報告書の訂正問題が極めて投資家の市場への信頼を低下させるものであるために、「企業情報の信頼性向上」といった要請も取り込んでいるものと理解されます。そういった理解のともで、金融商品取引法の制度趣旨との整合性を考えますと、上記のような図式化が成り立つのではないでしょうか。なお、確認書制度は現在は取引所ルールでありますが、内部統制評価報告実務がスタートする時点で同時に施行される予定であります。確認書制度は、有価証券報告書や四半期報告書の全般に及ぶものですから、その開示情報全体において経営者の記載事項の確認書が要求されることとなりますが、内部統制は「財務諸表等の計算書類」の信頼性確保ということになり、具体的な範囲におきましては今後の実施基準によって決まるものと考えられます。「その他の企業情報」というところにつきましては、内部統制システムによって正確性が確保される、というものではありませんので、そこには別途「開示統制」を各企業に要請することになります。(この開示統制問題と適時開示ルールにつきましては、また明日にでも続きとしてアップいたします)

10月 29, 2006 内部統制の限界論と開示統制 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年10月27日 (金)

世界史未履修問題解決の行方は(2)

(10月27日午後 追記あります)

内部統制と企業情報開示に関するYOSHIさんやとくめいきぼうさんのご意見や、佐山教授の日経ネット論稿「M&Aと利益相反問題」、法律雑誌「ビジネス法務」12月号の中村直人先生のインタビュー記事、不正経理を原因としたユニココーポの会社更生、そして公募増資における引受審査の厳格化問題などなど、あまりに面白すぎてツッコミを是非させていただきたい論点がたくさんあるのですが、残念ながら私自身も本業の集中審理が重なっておりますので、やはり昨日のエントリーの続編のみを書かせていただきます。(ビジネス法務といいながら、路線が少し変わっておりますがご容赦願います)

さきほど毎日ネットニュースを読んでおりましたところ、すでに未履修問題を抱えた高校は35都道府県の244校にまで及んでいるとのことだそうです。ここまできますと、もはや一部の学校の問題として捉えることができず、学習指導要領の法的効力を検討しながら、どうやって大学受験を間近に控えた高校生や浪人の方々が安心して勉強に打ち込める環境を整えるか、その問題解決の糸口を探る必要がありそうです。

ところで学習指導要領というものは「法的効力」を有する、という言い方を昨日のエントリーでしておりましたが、判例をみますと、この言い方は少し不正確だったようです。学習指導要領の法的効力を争点とした判例といいますのは(ほかにもあるかもしれませんが)平成10年1月20日に大阪高裁で判決が言い渡された鯰江中学「日の丸」裁判の控訴審判決が代表的なものではないでしょうか。この大阪高裁の判決は、学習指導要領については行政法上の「告示」にあたるものとして、原則的には法的効力を有するものであるが、その告示内容の解釈によっては法的効力をもたない部分もある、とされております。この裁判につきましては、生徒や教職員の思想信条の自由と関係深い論点を扱っておりますが、そういった部分を捨象して純粋な法的論点として検討した場合でありましても、科目履修に関する指導基準といった部分は、(たとえそれが義務教育の範疇を超えている場合であったとしても)やはり教育基本法や施行規則などの法令解釈として法的効力はある、と判断される可能性が高いものと思います。

ただ、ここから先が問題であります。行政庁における「告示行為」に法的効力ある、としてもその名宛人は誰なのか、法的効力はどういった性質のものなのか、について検討する必要があろうかと思われます。学習指導要領といったものの名宛人は(このあたりは私は専門家ではないので誤解があるかもしれませんが)各学校の代表者、つまり学校の校長先生や学校法人の理事の方になるのではないでしょうか。(注記 なお、行政法上は法的効力を有する告示行為は名宛人のない行政行為のひとつ、と分類されていることが多いようです。ただし判例上では、その告示行為によって具体的に利害関係を有する者について訴えの利益を認めているものもあり、実質的に見ると名宛人が存在する場合もあるといえそうです)また、「法的効力の性質」ですが、この告示行為に反する行為に及んだ場合には、各学校がペナルティを受けるものであって、もしそのペナルティの結果、その学校のルールにしたがったために不利益を受ける生徒達につきましては法律上の「反射的不利益」(もしくは本来履修すべき科目を受講せずに大学受験が可能となった場合に受ける反射的利益)に過ぎないものと捉えることが可能ではないでしょうか。したがいまして、教育を受ける側にまで法的効力が及んでいるとは考えにくく、「学習指導要領に法的効力がある」→「生徒達は単位不足で卒業できない」とは法論理的にはつながらないと考えることができるものと思います。となりますと、学校側の義務違反状態が継続しておりましても、学校(もしくは教育委員会?)の裁量行為として卒業を認めることは可能であって、卒業の効力には影響が出ないと解釈することが妥当なのではないでしょうか。(注記 もちろん、私は学校側がそうすべき、と申し上げているのではなく、あくまでも法的にはこういった解釈も成り立つのではないか・・・という趣旨で記載しているものであります。)

ただ、ここで別の問題として、それでは大学側が、こういった未履修の状態で卒業した生徒達を既習の受験生と同等に扱わなければいけないのかどうか、という論点が出てまいります。これもムズカシイ問題でありますが、大学受験資格の設定というのも、おそらくは明確な法令違反による資格条件もしくは著しく不合理な資格条件を定めない限りは、大学側の自由裁量行為に属するものでしょうから、未履修者と既習者との平等をどう考えるかは、その大学ごとに決定すべき問題になってくるように思います。

このように考えますと、文部科学省としましては、大学側への即時対応や、指導要領違反に対する学校側への処分など、早期に対策を立てて、その内容を速やかに公表することが、これまでの裁判所の見解との整合性なども踏まえ、もっとも適切な判断となるのではないでしょうか。なお、こういった結論に対しましては、unkownさんが的確に指摘されているとおり、卒業もしくは受験において、既習者と未履修者との不平等問題が残ることは事実です。ただタテマエになるかもしれませんが、そもそもこれからの日本を背負う若い人に「世界史は必須」であると考えて指導要領ができあがっているわけですから、むしろ不利益を受けているのは未履修者であるともいえそうですし、受験だけを平等原則と対比して考えるのも少し筋が違うようにも思えます。このあたりはまた、今後の文部科学省や各都道府県の教育委員会の現実の対応などをみながら、また検討してみたいと思います。(普段あまり研究していない分野のことを記述しておりますので、赤面ものの誤解もあるかもしれません。そのあたりは「場末のブログ」として御容赦のほどお願いいたします。また忌憚のないご意見、叱咤激励をお待ちしております)

(追記)

文科省大臣から、コメントが出されております。(ニュースはこちら)卒業までに未履修者にはかならず履修してもらう、冬休みもあるし、放課後もある、とのこと。つまりは「卒業」を基準に考えた場合の「不公平」をもっとも重視した厳格な要請のようです。ただ、この方法だと、学校側のミスで不利益を被った(何を損害とみるか、というのはまた難しい問題ですが)生徒方から学校側は民事上の法的責任を問われる可能性があるのではないか、ということと、受験後の補修授業でも構わないとした場合に、やはり受験のうえでの不平等は解消されない、といった問題は残ってくるように思います。

それと、もうひとつよくわからないのが、この大臣の発言は既習者と未履修者のどっちが不公平な扱いを受けた生徒と捉えているのでしょうか。私は文部科学省が指導する科目を受けられなかった未履修者のほうが「文部科学省側からみれば」不公平な取扱を受けたほうだと思いますが、いかがでしょうか。もしそうだとすると、不公平をあえて甘受するほうが履修の利益を放棄すれば済む話です。また、既習者が不公平な扱いを受けたというのであれば、履修の時期は「年度内」という言い方は不平等が解消されませんので、不適切な発言になります。さらに、文部科学省が卒業認定の要件と定めているから、といった行政目的上の理由で未履修者への履修を要請するのであれば、そもそも「不公平」を持ち出すことは理由としては許されないはずですよね。このあたりはどう理屈がつくのでしょうか。

いずれにしましても、この問題はまだまだ大きな問題に発展していくようです。

10月 27, 2006 学問・資格 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2006年10月26日 (木)

世界史未履修問題解決の行方は

(10月26日午前 追記あります)(追記その2 あります)

私のブログの性格上(また、わざわざビジネスタイムに閲覧されている方々の趣向の問題も勘案いたしますと)東京電力のフジテレビTOB応募に関する株主代表訴訟控訴審判決のほうのニュースをテーマに、またあれこれと議論させていただくほうが適切なのかもしれませんが、どうも今朝から「世界史未履修問題」が気になっておりまして、企業コンプライアンスへの参考という観点から、今後の文部科学省や各都道府県の教育委員会の対応や決断に注視しておりますので、触れないわけにはいかない話題であります。コンプライアンスというものを単なる「法令遵守」と定義付けるのではなく、世間の情勢に関する自社の適正な対応方法といったものと捉えるならば、先日の東芝とソニーのパソコン電池発火問題への対応と同様、今後「未履修問題」は他校に発展していくのかどうか、もし発展するとした場合、様々な利害関係者の利益や法的ルール(学習指導要領)をどう考慮して、すばやく公表するのか、そのあたりの対応が極めて参考になると思われます。

今朝、最初に高岡南高校の「世界史未履修事件」のニュースを聞いたとき、これは他でもやってるに違いないと感じましたが、案の定、10月25日深夜時点で、全国で65校の高校が未履修を公表しております。3年生はこのままでは卒業資格がなく、また既に卒業した生徒のなかにも、卒業資格を有していないまま大学へ進学した生徒がたくさんいるそうです。学習指導要領には法的拘束力がありますので、これはたいへんな問題になってしまいましたね。おそらく社会科よりも理科系のほうが「未履修」者は多いと思われますので、理科科目についてもたくさんの「未履修三年生」の公表が続くのではないでしょうか。

何の悪気もなかった未履修三年生にとりましては、大学受験の総仕上げの時期に、まったく自己の試験科目と関係ない科目の補習をするわけですから、非常に気の毒でありまして、なんとか特例措置を認めてあげたら、とも思いますが、いっぽうにおいて、いままでそういった受験科目でないものを、学校でマジメに授業を受けてきた生徒方にとりましては、特例措置は平等原則違反もはなはだしい、というクレームがつくことも必至だと思われますから、この問題の収拾は容易ではありません。

今後どれだけ未履修高校が増えるのか(公表するのか)、そのあたりをもうすこしチェックしてみたいと思いますし、「収集がつかないほど多数の未履修高校の存在が判明した場合の対応方法なども検討してみたいと思っております。すくなくとも社会の混乱を最小限度に抑え、なおかつ今後同様の「受験対策のために未履修とする高校」が再度出てこないような厳格な措置を考えてみたいですね。

(追記)bunさんがなかなかおもしろいコメントを投稿されておられます。こういった意見をもっと新聞やテレビニュースで誰か堂々と発表してもらえませんでしょうかね?(勇気いるかな・・・)また「法務の国ろじゃあ」のろじゃあさんが、同じ話題で詳細なエントリーを書いていらっしゃいますので、ご参考にされてはいかがでしょうか。

(10月26日午後8時 追記その2)

予想どおり、早くも未履修高校の数が98になりました。(読売新聞ニュース)安部首相は「子どもたちの将来に影響がでないよう配慮してもらいたい」と述べておられますが、この「子どもたち」というのは、いったいどの範囲をさしているのでしょうかね?未履修の子だけでしょうか、既習の子も含むのでしょうか。いずれにせよ、(たいへん厳しいようですが)未履修の生徒方のみに配慮するということは、1点を争う大学受験においては、既習の生徒を著しく不公平に扱うことになりそうですが、そのあたりは受験においてどのように配慮されるのでしょうか。それとも既習の生徒への配慮なく、未履修の生徒のみ特別扱いでの受験をさせる、ということは既習の方々から法令違反を申し立てられることはないのでしょうか。

10月 26, 2006 学問・資格 | | コメント (13) | トラックバック (4)

2006年10月24日 (火)

内部統制と企業情報開示

(追記あります)

お昼にも少しコメント欄に記載したのですが、今朝(10月23日)の日経新聞第二部では広告特集として「内部統制とIT」に関する特集が組まれておりました。とくに関心を持ちましたのは、第一面の西室社長(東京証券取引所代表取締役)のインタビュー記事でして、内部統制の整備が企業の透明性を高める、といった趣旨のものでした。この「内部統制と企業情報開示」の問題点は、内部統制論のなかでも最も理解が困難なところだと認識しておりますので、どんなことが話題になっているんだろう・・・・・と読み進めていたのでありますが、ちょっと途中から落胆してしまったような次第であります。

やはり、よくあるようにコーポレート・ガバナンスの議論と、日本版SOX法の議論と、市場における企業情報開示の問題が混乱しているように思えますし、結論的には日本版SOX法への備えはIT統制によって盤石を期せ、といったところに落ち着いておりまして、どうしても「広告特集」記事であることからくる限界のようなものを感じました。これを読んでの感想としましては、「これでは今後、経営者になる人はいないんじゃないか」とか「経営者は神様ではない」といったところでしょうか。そもそも日本版SOX法(金融商品取引法)で問題となる(企業によって整備されるべき、とされる)内部統制というのは、市場における企業情報開示とどんな関係があるのでしょうか?なぜ内部統制システムの整備を進めることが「企業の透明性を高める」ことになるのでしょうか?企業情報の開示という視点で考えれば、日本版SOX法においては財務諸表の正確性だけを経営者の確認書と並列的に内部統制評価報告書が担保すれば済む話であって、評価の対象とされる内部統制の仕組みなどはそもそも開示される対象ではないのでは?

もちろん日本版SOX法を離れて、「あるべき内部統制」を語るのであれば、立派なシステムを導入することも有意義ですし、また会社法上の内部統制のように、その基本方針が事業報告やガバナンス報告書によって開示対象とされるのであれば、それは株主による評価の問題となりますから、IT統制は重要といえると思います。しかしそれらは日本版SOX法とは関係ないわけですし、文書化や「見える化」と言われるものも、それは経営者評価の客観化や、監査証明における証憑としての必要性に由来するものでありまして、株主に見せるためのものではありません。以上が私の「内部統制と企業情報開示」に関する理解ですが、それでもなお「日本版SOX法への対応が、企業情報の開示制度に影響する、つまり企業の透明性を高める」ということが真実であるならば、そういった理論的な根拠や実質的な社会的要請といったものをとても知りたいところであります。

11月24日午後追記

本件エントリーとは直接関係ありませんが、アメリカのブッシュ大統領がSOX法の見直しを示唆する発言をしたようです。(日経ニュース)このまま厳格な要件のもとで企業改革法を適用させておくと新規公開企業がロンドンに流れてしまうことへの懸念でしょうか。ただ、SOX法といいましても、内部統制評価報告書についての404条問題はごく一部ですから、どのあたりの見直しが検討されるのでしょうかね。

10月 24, 2006 内部統制と企業情報の開示 | |