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2006年10月12日 (木)

相場操縦に対する逆転有罪判決(2)

先にエントリーしておりました例の相場操縦事件控訴審判決についてでありますが、未だ控訴審判決の全文は見当たりませんので、読めていないものの、判例タイムス1185号や金融・商事判例1220号、そして旬刊商事法務1729号などの文献から、大阪地裁の原審無罪判決と、その学術的解説などに目を通してみました。また、興味深いことに最新版の「証券取引法読本」(河本・大武)と「証券取引法」(神崎・志谷・川口)とでは、この地裁無罪判決に対する評価がまったく反対である、ということですね。かように証券取引法に関する刑事事犯の違法性評価というものは、未だ混沌としたところが多いですし、不公正取引やインサイダー取引で今後困難な裁判が予想される堀江氏、村上氏の刑事裁判にも、こういった証券取引法違反事件に対する裁判所の法令適用の姿勢が大きく影響をしてくるように思います。

こういった判例解説や、このたびの控訴審判決に対するニュース記事とをつき合わせて考えますと、先日の「相場操縦に対する逆転有罪判決」でいろいろと検討しておりました点につき、かなり考え違いをしていたところがあることに気づきました。やはりbunさんからご指摘のありましたとおり、出来高が相場変動に及ぼす影響といったところだと思います。出来高がボラティリティに影響を与える、ということであれば、当然行使価格にも影響を与えますし、また自己両建取引が、価格にニュートラルである、という前提で考えてみても、株券オプション取引にあたっては、売買のタイミングをつかむためには、その出来高の多少は、流動性をチェックする材料にはなりえるのではないでしょうか。売買可能性の判断についても、やはり価格変動操作といった概念に含まれるとも言えるような気がします。(このあたりは、詳しい方にお教えいただければありがたいのですが)

いずれにしましても、原審は「仮装売買」といった文言を、「実質的な権利変動を伴わない取引」と解釈しており、非常に文言に忠実な解釈をした結果でありまして、刑事事件における罪刑法定主義的解釈としては正論だとは思います。ただ、松井証券さんのQ&Aなどでも明確に定義されているように、そもそも売買の経済合理性に着目したうえで、「仮装売買」を解釈するならば、おそらく

仮装売買(かそうばいばい)
取引量が多いことや価格が一定水準であるように見せかけるために、意図的に行われる売買のことです。例えば一人の投資家が保有している株式について、同一価格で買付けと売付けを申し出るといった取引が、これにあたります。なお、二人の人が通謀して「自分が売るから、おまえ買ってくれ」というような取り決めをして売買を行うことを馴れ合い売買といいます。この取引において実質的な権利の移転はありませんが、記録のうえでだけの売買を作り出すことができるわけです。相場操縦の一つとして証券取引法で禁止されています。

といった感じで、最初から「取引量が多いように見せかける目的で、意図的に行われる売買」つまり「出来高目的の売買」を「仮装売買」の定義に含んでしまう、という刑法的解釈もアリなのかもしれませんね。こういった目的論的解釈が可能となるのも、157条に概括的に不公正取引を処罰対象とするような、かなり曖昧な構成要件が(もともと)規定されているからだと思います。証券取引の分野におきましては、そもそも最初から進化する資本市場において発生可能な不公正取引を詳細に予想することは困難ですから、投資家保護のためには、あいまいな構成要件でいちおうの網をかけておく、ということも必然性がある、という考え方に基づいたものではないか、と思われます。また、繁盛目的以外にも、相場操縦目的(つまり価格変動目的)が必要かどうか、といった論点につきましても、先日のエントリーでは、投資家保護よりも市場の公正性・透明性確保を目的とするのであれば高裁のような判断になりやすい、と書きましたが、この高裁判断においても、やはり基本的には「一般投資家保護」を重点として解釈をしているようです。つまり、先に述べましたとおり「出来高が一般投資家の取引意欲に影響を与える」ものであるならば、やはり出来高を信用して、オプション価格を算定したり、売買機会の選択をする投資家が存在することは確実なわけですから、被告人が「株式のプロ」である場合には、出来高操作が投資家の行動に影響を与えることは十分認識できる、と判断されたことが予測されます。ということで、そのような操作による投資家の具体的な損害についても無視できない、といった判断に至ったのではないでしょうか。(ただ、このあたりにつきましても、それでは「無視できないほどの大きな損害が今回の件で発生してたのかどうか」はよくわからないところでありまして、(本件で問題とされる損害の程度が)科罰的な違法性を基礎付ける程度のものかどうかは、原審のようにちょっと異論もあって当然だと思われます)とりあえずは、高裁判決の全文を読んでみたいですし、また被告人側は、上告予定とのことでありますので、また最高裁ではどういった判断が出されるのか、注目されるところであります。

10月 12, 2006 経済刑法関係 |

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受信: 2007年4月11日 (水) 09時43分

コメント

こんにちは。拙コメントを好意的に取り上げていただいて恐縮です。

つまるところ、証券取引法が禁じている価格操作のインセンティブがあるのは市場参加者なので、この法律でそうした市場参加者とは立場の違う、「取引所の人間の不正」を取り締まれるのか、が争いの元になっているように思いました。

2点ほど付け加えさせていただきたいことがございます。

1.構成要件該当性の厳密な検討、ということについて、自己売買取引がある場合とない場合とで同じ価格形成がなされるかというと、ほぼ絶対にあり得ないのですが、実はこの「あり得ないということの証明」が、物理的に・理論的に、できないんです。もし「あり得ないということの証明ができないので無罪」ということであれば、法が改正されない限り無罪と言っているに等しいのですが、私にはそれではあまりに杓子定規というか客観性を重視し過ぎる判断だと思います。

2.また、価格情報以外に「取引量」という価格に付随するが保護されるべきかについて、もしかすると法が暗に理論的支柱としている伝統的なミクロ経済学が、価格という情報だけが流通することによって実現する効率性を分析の主眼にしているのを取り上げて、それを根拠に、保護されるべき情報は「価格」のみである、と主張される方がおられるのかも、と思います。しかし現実問題を考える上で純粋な意味で「価格」という数字だけ流通すればいいかというと、そうではないと思うんですね。伝統的なミクロ経済学で仮定されている「価格に上下の硬直性がない」ということは、投資家に形成される価格が瞬時に伝わって、その価格でしかるべき取引の判断が瞬時になされる、ということですから、情報伝播のタイムラグが皆無であるということなのです。お察しの通り、これは極めて非現実的な仮定でありまして、現実的な問題を考える上では、形成された「その価格の時刻」も保護されるべき重要な付随情報であると言えると思います。同じ価格でも時間が違えば意味が違い、正反対の投資行動すら生みます。また、取引量についても、価格情報でないからといって直ちに保護されるべきでないかというと、現実的に帯びている意味を考えれば、そうではないと思います。同じ価格でも取引量で全く意味が違う。伝統的なミクロ経済学における価格は、完全に流動的なので、現実問題として生じる取引量(流動性)については、考慮されていないのだと理解しています(誤解があったらご叱正をお願いします)。しかし現実的にはそんなこと(どの価格も完全に流動的であること)はあり得ないので、現実的な市場運営を考える上では、別途考慮が必要なのだろう、と思います。

投稿: bun | 2006年10月12日 (木) 09時58分

toshi先生おひさしぶりです。
ここにコメントをされる方のレベルが高いので、やや書き込みにくいのですが、素人考えとして聞いてください。
私は株券オプション取引についてはまったくの素人ですが、出来高が株式の価格形成や売買のタイミングに影響を与える、ということは自明のこととして考えてよろしいのでしょうか?この大証副理事長さんの犯行は東京と大阪の証券取引所において株券オプション取引が開始される時点でのことですから、もし自明のものでないと構成要件の該当性を判断する基準にはなりえないのではないかな、と疑問を持ちました。ある程度、このオプション取引が運営されてから、はじめてこのような認識が生まれる、というものではないのでしょうかね。
もうひとつは、こういった人為的に相場形成をする行為については取引所を運営する者に対して行政取締法規が存在するはずで、そういった取締法規によって対処することが予定されているのではないか、と思うのですが。この原審の大阪地裁判決は、よく読むと証券取引法157条以下の刑罰の加重の度合がなぜ生じているかをていねいに論証しています。そのなかで、繁盛目的だけでなく、なんらかの利益取得に向けた目的があるからこそ、この159条違反は罰則が重いのである、といった理由付けになっていますね。そこには、こういった立場の人たちには行政処分によって対応すれば足りるのであって、そもそも利益獲得や投資家への害意が存在しないような本件の被告人に対しては限定的に解釈するのが筋だと思いました。
勝手な思いつきで書いてしまい、長文になってしまい恐縮です。

投稿: まほろば | 2006年10月12日 (木) 11時52分

bunさん、まほろばさん、コメントありがとうございます。とりわけ、bunさんには実質的なところで出来高の価格形成に及ぼす影響についてコメントをいただき、感謝しております。
実は、私もまほろばさんのような疑問は持っております。証券会社の方や、証券取引法関連の先生より、本件につきましてはメールで有益な示唆を頂戴しておりますので、またまほろばさんのご指摘などを踏まえまして、(その3)をエントリーしたいと思っております。ただ、こっから先はなんといいましても、高裁の問題整理の仕方を認識することが先決ですね。

投稿: toshi | 2006年10月13日 (金) 02時35分

まほろば様・toshi様

生意気ながらレベルの高い議論が展開されていて、それぞれの方の視点・立場も実にごもっともでして、勉強になります。私には法学的な知見が全く欠けておりまして、にわか勉強にしても気をつけたいとは存じますが、言い過ぎ、不見識などには是非忌憚のないご叱正をお願いいたします。

投稿: bun | 2006年10月13日 (金) 08時46分

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