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2006年10月15日 (日)

金融商品取引法における「異質なるもの」

世間では「内部統制ブーム」がまだまだ続いているようでして、私もセミナーの参考にさせていただこうと、いろいろな学者、実務家の方の「金融商品取引法」解説本を読んだりしております。(私の知りうるかぎりでは、メジャーなところでは9冊~10冊くらいは出版されているのではないでしょうか)しかしながら、どの本も、これだけ「日本版SOX法」と言われ続けているにもかかわらず、ほとんど内部統制報告実務(内部統制報告書関連)について「突っ込んだ解説」がなされているものは見当たらないようですね。もちろん、省令・府令が公表されていないので、深く解説したくても解説できない、といった事情があるかもしれません。ただ私としましては、どうも金融商品取引法(改正証券取引法)といった大きな法律のなかにあって、この内部統制報告実務に関しましては、(体系的にみて)かなり他の部分との「関連性の薄い」項目であることに起因しているものではないか、と推察しております。

まずなんといいましても、金融商品取引法は、従来から「投資サービス法」と言われてきたわけでありますが、この内部統制報告実務というのは、投資サービス法とはほとんど関係を持っていない分野ですよね。昨年7月に神田教授が責任編集をされている「投資サービス法への構想」におきましても、「内部統制」という言葉は索引にすら出てきません。だいたい解説本を執筆されている方は、平成10年ころからの金融サービス法の構想からワーキンググループなどに参画している方が多く、金融商品に関する横断的規制、柔構造規制といった内容についてはお詳しいのですが、途中から問題になってきた企業開示関連の行為規範については、ワーキンググループで議論されていなかったと思いますので、そのあたりが関係しているのかもしれません。まず、これだけでも内部統制報告実務というのは異質な存在ではないか、といった思いがいたします。

もちろん、投資サービス法構想のころから、企業情報の開示に関してまったく注意が払われていなかった、というわけではないようです。先にあげましたように組織再編時において株主や一般投資家が不利益を受けないような仕組みや、企業情報のうち、何を強制的に開示させるようにすべきか、といった開示規制問題については議論されていたようです。しかしながら「財務計算に関する書類その他の情報の適正化を確保するための体制評価制度」についてはあまり関心がもたれなかった。ただ、これもなんとなく納得できるところがあります。「企業情報の開示に関する項目」として考えてみますと、内部統制報告書の報告内容自体はなんら「開示」とは関係ないわけですよね。開示と関係するのは、財務諸表についてでありまして、その根拠となっている数値、項目の信頼性を確保するための制度が内部統制報告書制度であります。したがいまして、四半期報告や公開買付制度、大量保有報告書制度などにように、その報告内容が投資家の判断指針になる、というものではなく、むしろ代表者の確認書と同じく、財務情報の報告内容の透明性を高める制度ということになりそうです。(ちなみに、企業改革法の本場アメリカにおける内部統制報告書はどうなっているかといいますと、たとえばIBMの2006年アニュアルレポートの12ページには、内部統制報告書が記載されておりますが、その報告内容をみましても、八田先生が著書・日本経済新聞社「内部統制の考え方と実務」95頁で見本として記載していらっしゃるものと、ほとんど同じでありまして、報告書自体が投資判断に資するような記載内容は一切ありません。まぁアメリカの場合は、日本の金融商品取引法とは異なり、内部統制報告書自体真正に作られたことが、CEOの宣誓義務の対象となりますので、あまり余計なことは書かないのが当然といえば当然かもしれませんが。)そうなりますと、企業開示といいましてもその中でも、この内部統制報告書というものは、かなり異質な存在になるものと思われます。衆議院や参議院で、この金融商品取引法の成立におきましては、たくさんの附帯決議が出されておりますが、どちらの附帯決議におきましても、この内部統制報告実務に関するものはひとつもありません。金融商品取引法案が議論されていたころには、この内部統制報告実務というものはあまり大きく採り上げられることもなかったわけです。業者ルールの横断化、柔構造化、自主規制のあり方や敵対的買収防衛ルールと投資家保護といったあたりが中心課題であって、この内部統制報告書といったものが、「横からスルっと」入り込んだようなイメージではないでしょうか。

ところが世はまさに「内部統制ブーム」となりました。内部統制部会長の八田教授の言葉をお借りすれば「内部統制ビッグバン真っ只中」といった感がいたします。ただ、どうも金融商品取引法のご専門の方々の見方と世の中のパッションとは「乖離(かいり)」といいますか「齟齬(そご)」といいますか、大きな溝が横たわっているように思えてしかたありません。会社法と金融商品取引法と別個に「内部統制」といった言葉が登場したことや、不正会計事件の頻発によって監査法人の信頼性に疑問が呈されて政治的配慮が働いたことなど、すぐに思いつくところの要因もあるでしょうが、それだけでは一過性の話題にはなるかもしれませんが、世を挙げての「ビッグバン」とまではいかないような気もします。そこで、これまでブームとなってきた大きな要因というものを私なりに二つ挙げてみたいと思います。

1 コンプライアンス経営への企業の渇望

病院やファッションホテルのM&Aや、今はなつかしい「住専」の顧問などの仕事を楽しくやっておりました4年ほど前に、ひょんなことから「内部統制」ということに興味を覚えまして、それから会計士さんにいろいろと教えていただいたりして、この言葉をずっと追っかけてきたわけでありますが、「内部統制」がメジャーになる過程ではCOSOフレームワークにある「法令遵守」と密接に結びついて登場してきた、と記憶しております。(ちなみに、私が保有しております資格に公認コンプライアンス・オフィサーというものがございますが、この試験科目にも「内部統制」というのがございます。)ご承知のとおり、金融商品取引法における内部統制といいますのは、主として「財務情報の適正化を目的とする」ということですから、直接的には法令遵守とは結びつかないのではありますが、内部統制≒法令遵守≒コンプライアンス、といったイメージが今でも非常に強いことは事実です。「真の会社の姿を投資家に見せる」ことが目的のはずなのに、それ以上のコンプライアンス経営が実現できる、といった目的までがくっついてしまっているのではないでしょうか。(それはどちらかというと会社法における内部統制システムの整備構築のほうの話に近いと思います)もちろん、金融商品取引法における内部統制の実現によって、そういったコンプライアンス経営の向上に寄与することは間違いないのでしょうが、それは各企業の戦略的な部分(攻めの内部統制システム)であり、本来は内部統制報告実務とは無関係のはずです。しかしながら、コンプライアンス経営の処方箋というものが、「目に見える形」ではなかなか掴むことができないところへ、可視的な魅力をもつ「COSOフレームワーク」をひっさげて「内部統制」が登場してきたわけですから、まさに「藁をもすがる」気持ちで皆が飛びついた、といったところが真相のような気がします。

2 「小さな政府」「事後規制の社会」と企業の自己責任

最近の「企業の事故報告義務の法制化」にも見られるところですが、「小さな政府構想」によって「事前規制から事後規制の社会へ」といった社会の風潮に、少しずつですが法制度も変わりつつあるようでして、そういった社会風潮に、この「内部統制システムの整備」という社会的なルールが非常に親和性があるのではないでしょうか。つまり、社会的なルールを企業に遵守させるにあたり、行為規範や厳罰によって「お金をかけてでも権力が関与する部分」と「企業の活力ある行動によってルール遵守を期待する部分」の明確な峻別の思想に合致したシステムだと思います。ご承知のとおり、会社法の改正や(改正証券取引法を含む)金融商品取引法の成立というものは、いわばひとつの国策でありまして、いかにして日本の資本市場を繁栄させることに寄与するか、というところに焦点があてられております。(もちろん、会社法は有限会社の株式会社化といった中小企業改革も重要なポイントになっておりますが)この資本市場の繁栄のためには、大きく二つの方法があって、ひとつは市場参加者に競争をさせて、全体のレベルを上げて、投資金額を増加させる方法であり、もうひとつは「1社のために1000社が信用を失わないための政策」つまり、不正な手段で競争しようとする参加者を断じて許さない、とする方法であります。政府の限られた資源を有効に配分するためには、この「1社のために1000社の信用を失わない」ための政策、つまり「競争にまかせておいては、ルールが守られない部分」につきましては、証券取引等監視委員会の充実とか、監査法人改革だとか、会計士さん方の権限と責任の強化とか、証券取引所改革、証券取引業協会の改革、そして金融庁と検察庁の組織強化などに充当されることになると思います。内部統制の議論のなかにも「内部統制の限界論」というものが出てまいります。これはまさに、この「1社のために1000社の信用を失う」可能性のある場面が想定されているわけでして、そこでは内部統制は残念ながら機能しない、とされております。したがいまして、そういった場面には「経営者や財務の最高責任者による有価証券報告書(半期報告書、四半期報告書なども含む)の確認制度」とその違反に対する厳格なサンクションによって補完することが予定されています。

そのいっぽうで、競争によって「自然に守られることになるルール」につきましては、各参加企業に委ねられるものと思われます。その代表的なものが、この「内部統制」であります。つまり、たとえ今後企業会計審議会から「実施基準」の草案が出たとしましても、それはけっして各企業にある独自のコーポレート・ガバナンスの姿まで変容させるものではありません。企業にはその歴史から培われた社風があり、慣習があり、行動規範があります。そのなかで、それぞれの企業が「合理的」と思われる財務情報の信頼性を確保するための内部統制システムは、上場企業であるかぎりは絶対にあるはずです。このたび内部統制報告実務が運用されることになりますが、企業の自主的な規律が、本当に上場企業として耐えうるものなのかどうか、それを経営者自身が評価し、監査人が経営者の姿勢を評価する、というものですから、決してこれまでの各上場企業のコーポレート・ガバナンスまで変容させるはずはありませんし、そのような行為規範にはなりえないはずであります。つまり、基本的には、この内部統制報告書の制度というものは、企業の自主性を尊重したうえでの「開示統制」(企業が財務諸表という開示すべき情報を、どういった手段で保管、管理、公表するかといったシステム。ただし、アメリカのSOX法では、内部統制と開示統制は異なる概念とされています)ではないか・・・というのが私の理解であります。ところが、どうも世の中では、この「内部統制評価基準」そのものが、「1社のために1000社が信用を失うのを防ぐ」ための基準のように受け止められているのではないか・・・・・、そういったところがまた「ブーム」を巻き起こしている大きな要因ではないか、と考えたりしております。

まだまだ他にも、この金融商品取引法における「内部統制報告実務」につきましては、疑問点がたくさんあります。たとえば内部統制評価の正当性を担保するものはいったいなんだろうか(これが正しい内部統制の評価である、というモノサシは最終的には誰が持っているんだろうか)とか、先日の「内部統制と真実性の原則」との関係で、財務諸表の真実性というものが「相対的」であるならば、そもそも「相対的である」ものについて、その正確性についても相対的であるはずでしょうから、担保されるべき「正確性」という概念にも幅があるのではないか、などなど。考え出したらきりがありません。

以上はまったくのオリジナルな考えですが、私はまもなく世に迎え入れられるであろう「実施基準」が公表される前に、こういった心構えで待ち望んでおります。

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コメント

>このたび内部統制報告実務が運用されることになりますが、企業の自主的な規律が、本当に上場企業として耐えうるものなのかどうか、それを経営者自身が評価し、監査人が経営者の姿勢を評価する、というものですから、決してこれまでの各上場企業のコーポレート・ガバナンスまで変容させるはずはありませんし、そのような行為規範にはなりえないはずであります。つまり、基本的には、この内部統制報告書の制度というものは、企業の自主性を尊重したうえでの「開示統制」(企業が財務諸表という開示すべき情報を、どういった手段で保管、管理、公表するかといったシステム。ただし、アメリカのSOX法では、内部統制と開示統制は異なる概念とされています)ではないか・・・というのが私の理解であります


この部分につきしては、先生のオリジナルな見解とのとこですが、私も全く同感であります。

少なくとも、日本国内における企業における内部統制というのは、歴史的に見てもコンプライアンスの意味で用いられてきており、大和銀行事件や神戸製鋼所事件、経済産業省等の論文などを見ても、企業不祥事の防止を中心とするコンプライアンスの意味で用いられており、それが、会社法により明文化されて日本企業における内部統制論が結実したというのが、やはり原則であると思います。

 先生もご指摘の通り、本来、証券取引法の改正の議論の中では、内部統制報告実務は本筋の議論ではなかったわけで、西武事件やカネボウ事件などの財務報告に関する記号不祥事事案が続発したために、急遽、従来証券取引所レベルで任意の制度として実施されていた確認書制度等を加味して、金融商品取引法の議論に内部統制報告書の実務が追加されたわけで、私も従来よりコメントの中で書いてきた、コンプライアンスベースの内部統制論が原則で、上場企業については、その公益性から財務報告に関する内部統制が付加されるというのが本来の思考順序だと思います。
 そして、財務報告に関する内部統制報告実務についは、その趣旨から考えると、いかに適正な財務報告を開示させるか、その手続きが社内に構築されているのかという開示統制の議論に収れんされるわけであり、それを「内部統制」なる言葉を用いることが混乱の原因であると考えます。

 言葉の本来の語源は確かに従来より会計用語として使われてきたものですが、それにこだわり、開示統制に「内部統制」の言葉を当てたことに問題の根源があるような気がします。


投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年10月16日 (月) 20時36分

私は元来、単細胞な人間ですので、物事を極力単純化して考えたいのですが…。

私の理解はこうです。

①会社法の求める「内部統制」は「コンプライアンス」と「業務の効率性」のためのもの、金商法の求める内部統制は「財務報告の信頼性」のためのもの。目的においては相互にラップしない。

②上場会社については、この2法により、COSOのいう3つの目的を達成することができる(達成しなければならない)。非上場会社にとっては、「財務報告の信頼性」は無関係。

③なお、「コンプライアンス」と「業務の効率性」は、単純に並列的なものと捉えるべきでなく、相互に影響しあうもの、更に言えば、ギリギリの場面では、相互に減殺しあう効果を持つものと理解すべきであり、従って、両者の絶妙なバランスを取ることが経営者の腕の見せどころ。

私自身は、このような理解の仕方は、極めて実践的で、少なくとも実務対応を迫られている立場の人たちを精神的にラクにする説明と思っております(肉体的にもラクになるかというと疑問ですが)。

なお、このような単純な理解にたっても、なお理解し難い点は以下の点です。

1)企業会計審議会報告によると、「内部統制」の4つめの目的として「資産の保全」が出てきます。ジャパン・オリジナルを打ち出すのは結構なのですが、これの意味するところが、正直言ってよく理解できません。勉強不足なので、これに関する詳細な解説に触れていないのですが、よく聞かれる説明として「日本においては資産の保全が重要だから」とか「日本には監査役制度があるから」といったものがあります。「資産の保全」の重要性って日本固有の話なんでしょうか? また、委員会設置会社はどうなるんでしょうか?

2)行財政改革の一環として公益法人制度改革が進行中ですが、公益法人にも会社法類似の制度を導入し、「内部統制」という考え方も採用されているようです。公益法人の「内部統制」にも「業務の効率性」が入ってくるのかどうかは知りませんが、もしこれが入ってくるとまた訳の判らないことになりそうです。営利法人でない公益法人に「効率性」は関係ないと思われるからです。

投稿: 監査役サポーター | 2006年10月17日 (火) 00時00分

こんばんは。こちらでは初めてコメントさせていただきます。いつも興味深く拝見しております。
非常におもしろい整理だと思いますし、先生のフレームワークを参考にしたいのですが、内部統制(日本版SOX法としての)が、競争による結果として守られるべきルールとなる、という意味がどうしても理解しにくいところです。開示統制という意味がよくわかっていないからかもしれませんが、「実施基準」によって拘束される以上は、やはりそこには自由な競争ということでは済まない部分があるように思います。最低限度これだけは守りなさい、といった行為規範性を持つのが「実施基準」ではないでしょうか。その最低限度の基準を守っているかどうかを監査証明するのが内部統制監査だと理解しているのですが。それとも、もうすぐ公表されるという「実施基準」には、具体的な企業が「それに従えばクリアできる」といった具体的な指針にはなりえない、その実現については創意工夫が要求される、ということなのでしょうか。
このあたりは、このたびの内部統制報告書関連の問題にとって極めて重要な論点だと思いますし、先生の見解をもう少しお聞きしたいと思っております。また勉強させていただきますので。

投稿: 上新庄経済大学教授 | 2006年10月17日 (火) 01時18分

どうもです。
コンプライアンス・オフィサー試験の試験委員に八田教授が就任されているのですね。ビックリしました。このまえフォーラムで講演されていたときには、まだ試験委員に名を連ねていらっしゃらなかったと思いますが。
ところで、今回のエントリについては私も「監査役サポーター」さんの意見に賛成です。金融商品取引法と会社法の内部統制の理解についてはサポーターさんの整理のようにシンプルに考えるべきではないでしょうか。内部統制部会の基準としての「資産の保全」という4つめの目的は完全に金融庁と日本監査役協会(法務省)との妥協の産物です。ただ、このあたりはtoshiさんが常々言われているとおり、妥協の産物がゆえに、ふたつの内部統制理論を融合するための「橋渡し」的な使い方はできそうですよね。監査役の活躍や、内部監査人と会計監査人との連携など、日本企業特有の監査体制を「評価対象」として考慮すべし、というところで調整機能をもつ便利な概念ではないでしょうかね。

投稿: sara.onji | 2006年10月17日 (火) 01時35分

>コン・プロさん
いつもご意見ありがとうございます。1950年代から会計学の世界では「内部統制」という概念が使われておりますが、法律の世界でも1973年には(先日亡くなられた)神崎教授が「内部統制」という概念を法律の世界で用いておられます。そこには、やはりコンプライアンス的な発想がこめられておりまして、ひっそりと棲み分けのようなものがあったんじゃないだろうか・・・と思います。アメリカにおける使用法なども検討する必要があるのかもしれませんが、やはり倫理的色彩を帯びた部分については今後も否定できない用語のように思いますね。議論をむずかしくさせている原因のひとつだと私も思います。

>監査役サポーターさん
ご意見ありがとうございます。
>私は元来、単細胞な人間ですので、物事を極力単純化して考えたいのですが…。
とんでもございません。いつも鋭いツッコミで回答に四苦八苦しております( ̄~ ̄;)非上場会社におきましても、任意提出に関する条文はございますので、無関係とはいえないと思いますが、基本的にはおっしゃるところは理解できます。効率性とコンプラが相殺しあう場面といいますのは、たとえば取締役会の迅速な意思決定に関する問題点などをさすものと思われます。金融商品取引法における「内部統制」につきましても、概念論的にはやはり財務情報の適正性確保、にあると言わざるをえないと思います。ただどうでしょうか、これでは「ロマン」が感じられないんですよね(笑)なんといいますか、企業の前向きな姿勢が評価されるというか、(連邦量刑ガイドラインみたいな)たとえ失敗しても前向きな姿勢が評価される仕組みとして考えたほうがいいように思います。たとえば純粋に財務情報の適正性だけでオッケーということでしたら、公認会計士協会推奨の「仕組み保証パッケージ」を企業が組み込めばオッケーみたいな、そんなイメージのものでも足りるのではないかと。企業はやはり人が中心であって、ハードローで規律する部分もあればソフトローが適用されていい場面もある、と考えないとあまりにも非効率になるのではないかと思います。財務情報の適正性も、結局はそこに働く人たちの組織を反映すると思います。コンプライアンスや効率性確保への姿勢や、資産保全レベルの高さなど、いろいろな目的の綜合判断によって検討されるべきものではないかと考えたいところです。(なお、資産の保全という目的は、たしかにsaraさんのおっしゃるところが当っているかもしれませんが)

投稿: toshi | 2006年10月17日 (火) 21時06分

 「ロマン」とは先生らしい例えですね。
 確かに世の中は、金融商品取引法と日本版SOX法が別の法律であるかような様相を呈しております。そして日本版SOX法というと、すべてIT化、会計情報システムの導入をいうかのような状況に、ある意味驚きを隠せないのが、現実です。
 面白いのは、日本版SOX法の本を書いているのが、ほとんどシステム、IT関係者で、金融商品取引法の本を書いているのが、金融庁の方や弁護士と、出筆者の属性まで異なることです。

 今のIT偏重の状況には、八田教授も苦言を呈しておりますが、そもそもは、COSOの中で、統制活動の一環として触れられていたITの活用を、あたかも新たな内部統制の概念であるかのように、COSOの最新化と張り切りすぎてしまったことに端を発しているようでなりません。
 監査役サポーターさんも指摘されているように、ジャパン・オリジナルをグローバルスタンダード化しようしているとも思える張り切りぶりがかえって、内部統制を分かりにくくし、本質を見失わせているように思えてなりません。
 
 内部統制はあくまで「人」が中心であるからこそ、一筋縄ではいかないし、企業活動も「人」が行うものであるからこそ、ヒューマンエラーや企業不祥事も起きるのです。「人」の要素に着目して動的なシステムであるというのがCOSOや内部統制の本質であるのに、システムを導入すれば(すなわち、「人」の要素を排除する)いいというかんがえは、非常にむなしく聞こえてしまいます。このあたりは、先生の感覚と非常に近いものがあるのかもしれません(すみません、文学的センスがないので「ロマン」に匹敵するフレーズは使えません(笑))

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年10月17日 (火) 23時09分

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