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2006年10月31日 (火)

内部統制の限界論と開示統制(その2)

月曜日から日経の夕刊で「法化社会 日本を創る」と題して、ドキュメント「挑戦」新シリーズが開始されたようですね。王子製紙がなぜ北越製紙の三菱商事に対する新株の第三者割当について訴訟で争わなかったのか、「王子は紳士的、日本的解決にこだわって、明確な目的意識のもとに行動しなかったのではないか」という一般的な理解で終わる記事が目につくなかで、この第一回目の記事では、企業が「訴訟に持ち込む」決断をすることのムズカシサが十分伝わる内容になっております。現在進行形の報道だけではわからない、当事者に近い人でないと理解できない事情というものが、こういったM&Aの世界では「切り札」として結果の是非を左右してしまうというのはオソロシイですね。企業のコンプライアンス経営とM&Aの成否というものは、ひょっとすると隣り合わせにあるのかもしれない、とこの記事を読んで感じました。シリーズモノですんで、今後の展開にまた期待をしております。

さて、一昨日の「内部統制の限界論と開示統制」の続編を書こうと思っていた矢先、読売と朝日のネットニュースで東京証券取引所のリリース記事が掲載されていました。(上場企業の虚偽記載には注意勧告 東証が新制度 朝日ニュースより)財務諸表の虚偽記載については改善報告書の提出など、東証による自主規制ルールが存在しているわけですが、財務諸表等の計算書類以外の有価証券報告書記載事項の虚偽記載につきましては、自主ルールとしての処分は存在しなかったようです。そこで今後は役員事項や事業上のリスクに関する記載等に虚偽が認められた場合には「注意勧告」なる処分をもって対応する方針が発表されました。これ、2日前の「内部統制の限界論と開示統制」のエントリーに掲載いたしました図式を見ていただければおわかりのとおり、いわゆる「開示統制」に関わる問題です。金融商品取引法に内部統制評価報告制度が導入された経緯や、そこで運用されるであろう内部統制の概要が少しずつ理解されてきますと、今度は内部統制には限界があることや、経営者による確認書制度との関係などが少しずつ理解されてきます。そして、その次に問題点として浮かび上がってくるのが、この「開示統制」との関係でありまして、私的な結論としましては、「金融商品取引法において内部統制評価報告制度を導入した目的を達成するためには、内部統制システムだけでなく、この開示統制も構築する必要がある」「ライブドア事件は、内部統制の限界論に包摂されてしまう事件であって、どんなに内部統制を構築してみたところで、開示統制が機能しなければ第二のライブドア事件は生まれる」ということであります。西武鉄道事件の際に、東証からの指示に促されて大量の訂正報告書が出されたことが、企業会計審議会に内部統制部会を設置する原因になったことは知られているところですが、監査制度の及ばない財務情報以外の企業情報におきましても、その真実性を担保する制度が検討されなければ、投資家に自己責任を負担させるに足る情報提供には値しないと考えられます。もちろん2004年ころから、この「開示統制」が経営者確認書制度を補完するために重要である、といった議論はなされていたと思います。ただ、金融商品取引法が「確認書」を義務付けることとなるために、その経営者評価の合理性を確保するために「開示制度のデュープロセスを企業自身が整備運用する」必要性が高まったこと、そして海外取引所との提携問題や、海外の機関投資家・議決権行使アドバイザーの台頭など、いわゆる「外圧」によってコーポレートガバナンス評価の重要性を無視できなくなってきたことなどによりまして、企業価値を表示する「数字以外の企業開示情報」の重要性についても(内部統制問題と並び)議論せざるをえなくなってきた、と言えるのではないでしょうか。いま、一般の事業会社にとりましては、内部統制評価報告実務への対応で忙しい時期だとは思いますが、じつはこの「開示統制」につきましても、内部統制同様に大きな意味があると認識していただいたほうがよろしいのではないか、と考えたりしております。

とりわけ国家権力が、自らの権限によって企業の自由な経済活動へ調査権限を行使せず、その自由意思をもって企業情報の「公表」に期待する時代におきましては、「確認書」制度を通して、企業のトップの責任と開示のプロセスとが密接に結びつくこととなります。東証が新設する「注意勧告制度」というものも、おそらく「経営者が確認書を出しているんだから、虚偽情報の責任は負ってもらいますよ」と堂々と経営者に言い放つための地ならしのひとつになると思われます。そこでおそらく今後の「開示統制」に関するポイントは①有価証券報告書の財務情報以外の企業情報に関する信頼性確保と②(すでに経営者が誓約書を提出している)適時開示におけるデュープロセス、この2点にあるのではないでしょうか。「貯蓄から投資へ」といった市場資本主義を誘引しながら、かつ自己責任を投資家に堂々と申し向けられるほどの信用性ある企業情報開示のあり方を模索するならば、行き着くところはこういった統制活動にまでたどりつくのではないでしょうか。ただし、政府が内部統制や開示統制など、企業が自主的に取り組む姿勢に期待する制度を重視するのであれば、その制度が有機的に運用されるための「アメとムチ」が必要です。その「ムチ」にあたるものが経営者の確認書制度であるとしたら、「アメ」の部分はいったい何なのでしょうか?そのあたりを続編で考えてみたいと思います。(以下、その3につづく)

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