« 監査法人の即時反論制度と守秘義務 | トップページ | 不正会計の予防に向けて(その4) »

2006年10月 4日 (水)

「通行手形」としての日本版SOX法の意義

最近、弁護士会で大きな問題となっておりますのが、弁護士の職務上取寄請求の厳格化であります。もともと法律専門職の資格を保有している者が、その職務上の必要性から他人の戸籍謄本や課税証明書などを取寄せる場合には、その資格を信頼されたうえで、個人の戸籍謄本などを独自に取寄せることができます。ところが、最近法律上の資格保有者が、この制度を悪用して、取寄せた謄本や証明書を金融業者に横流しする、といった不祥事が発生しておりまして、法務省等はこの取寄制度を厳格な要件のもとで運用する方向に制度改正を検討しております。弁護士会はこれに反対しているわけでありますが、要はごく少数の法律職資格者の悪行によって、マジメに仕事に取り組んでいる大多数の資格者の信頼が大きく崩れてしまい、その法律家としての日業業務に大きな影響が出てしまうわけです。

前々回のエントリーで高橋篤史記者の新刊「粉飾の論理」をご紹介しましたが、この書物の後半部分では、メディア・リンクス、丸石自転車、駿河屋などの不正会計問題について論じられております。企業の適時開示情報だけを読んで、いろいろと論評するのが恥ずかしくなるくらいに、この記者の不正を生む背景への取材内容は興味深いものがありますね。これらの諸々の事件の背景などをお読みになった方は、「こんな事態にはうちの会社はならない。現行の管理体制で十分、不正会計問題は阻止できる」と自信を深める方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、そういった不正経理問題によって資本市場全体の信頼が失われ、先の弁護士会の問題と同様に、資本市場全体の信頼保護のための「内部統制報告実務の重要性」というものの意義も、かなり大きいのではないか、と改めて認識いたしました。カネボウについて、前々回のエントリーでも述べましたが、大きな伝統企業といったところは、そこそこ内部統制システムがいちおう整備されているのが当然でありまして、そこにおいて不正経理が行われる、というのはそもそも内部統制に重大な欠陥があった、というよりもむしろ内部統制の限界によって説明されるべき事件に該当するのかもしれません。内部統制システムの構築によって「重大な欠陥」を埋めるべきは、こういった中小の公開企業(あるいは公開準備企業)にあるのではないでしょうか。そこで日本版SOX法を今後導入することで、財務報告の信頼性確保のためにシステム整備が急務とされるところは、規模としては小さいものであっても、上場企業としての最低限度の統制環境の整備ではないか、と思うところであります。リスクアプローチ、という言葉がふさわしいかどうかはわかりませんが、内部統制報告実務を導入することによって、最小の費用で最大の効果を上げることが可能となるのは、おそらくこういった新興IT系企業や、伝統企業であっても比較的規模が小さく、経営面で思わしくないパフォーマンスに甘んじている企業への適用ではないか、と推測いたします。この「粉飾の論理」を読み終えた感想としましては、たとえ上場企業といっても、裏の道と親密になるケースは非常に多く、また違法と思われる取引についても、「バレなきゃだいじょうぶ」とばかりに、平気で繰り返されているものも多く、そういったごく一部の上場企業のために、マジメに財務政策に取り組んでいるの資金調達には大きな影響が出てくるわけでして、(最近の会計基準の変更なども、不正会計事例の歴史をたんねんに振り返ってみると、どこが問題となって変更されるに至ったのか等、理解できる部分が多いですね)こういった中小規模の公開企業の財務報告上の不正防止こそ、資本市場に参加するすべての方に重要な意義を持つのではないか、と思います。

SOX法の本場アメリカにおきましても、いまだ中小規模の公開企業への適用は猶予されているわけでありますが、猶予されている公開企業の数でこそ全体の70%程度に上りますが、実は資本市場全体の規模でいえば90%程度の企業にはすでにSOX法は適用されているわけです。つまり、公開企業数全体の30%程度の企業が、資本市場を形成する資本の90%程度を保有しているわけですから、全体のごくわずかである中小規模の公開企業にとってはこのままSOX法の適用を排除したとしても、全体への影響はそれほど大きくないのでは・・とも言えそうであります。しかしながら、すでにこのブログでも以前に報じましたが、アメリカのSECは中小公開企業への要件の緩和化については検討するものの、中小公開企業へのSOX法適用免除を否定しました。これは、やはりごく一部の極端に内部統制が構築されていない企業の不祥事によって、市場全体が大きな影響を被るおそれがある、といった考え方の延長線上にあると思っております。

こういったところから、日本版SOX法の狙いというものは、内部統制部会長の八田教授の表現で申し上げますと「市場参加のための通行手形」としての意義にあるものと思います。(すくなくとも、この「通行手形」なる意味は、こういった企業にこそ、内部統制システムを最低限度のラインをクリアしてほしい、といった要望を含むもののように理解いたしました。)直接金融によって資金調達をはかりたい企業にとっての最低限度維持すべき内部統制システムのあり方を検討し、これを常に携行することによって初めて資本市場に参加できる、といったイメージであります。

|

« 監査法人の即時反論制度と守秘義務 | トップページ | 不正会計の予防に向けて(その4) »

コメント

おはようございます。
最近、内部統制報告書制度に掛かりっきりになっている者です。この制度だけを見ていますと、先生方が仰るように「通行手形」最低限クリアするべき制度と思います。しかし、内部統制報告書を監査することと財務諸表を監査することとの明確な相違が良くわかりません。結局、同じことを異なる視点から監査するだけのことではないでしょうか。両者とも財務報告が適正であるという点が成果物なのではないでしょうか。そうであれば、2度手間でしかない。思いますに、会計監査制度そのものの問題なのでは。一部で言われていますように会社と直接契約する監査人が監査をする以上、客観性を担保することは究極的には困難ではないでしょうか。本質的には会計監査制度そのものを検討する必要があるのでは。
企業実務担当者としては、制度化される以上やらなければならないわけですが、目先の対応を制度化するのではなく、本質的な検討をした上で、こうだ、というところを制度化してもらいたいものだと思っているのは、私だけでしょうか。
すみません、グチってしまいました。

投稿: 法務次長・課長 | 2006年10月 4日 (水) 06時18分

いつも勉強させて頂いております。今頃何を言うのかとお叱りを頂戴しそうですが、内部統制は上場会社を中心に組み立て、且つその中のミドルサイズ以下の企業に効力があるとしますと、未上場企業にたいして内部統制の目的とする効率性はともかく法令順守・資産の保全は自律的に行うことは要求しないのでしょうか。会社法でも要求されていませんが、一番問題は世間の風に当たらない場所にいる法人にあるのではないでしょうか。
また、言葉の定義・目的に幅があると会社の中では動けないのですが、海外の概念の移転で審議会が終始しているのではないでしょうか。内部統制にいわれる目的ごとに規程をつくることはピントはずれでしょうか。

投稿: serateru | 2006年10月 4日 (水) 10時08分

おひさしぶりです。
私も内部監査担当者として、最近の実施基準問題の渦中で逡巡しております。いちおう大手監査法人のもと、すでにSOX法対応プログラムはかなり進んでいるほうだと思います。ただ、通行手形という言葉は八田先生だけでなく、武井一浩弁護士なども好んで使っておられるわけですが、いまプログラムの進展にしたがって「財務情報の正確性」を内部統制によって確保していく、ということが全体の目的となっており、不正防止という面はあまり意識されておりません。目の前で対応している者にとっては、このコンプライアンスの機能といったものをどう反映させていけばいいのか、よくわからないところです。おそらく同じ悩みを抱えている担当者もいらっしゃるのではないでしょうか。
先生のいわれることも、導入経緯などを考えると理解できるのですが、(とりあえず私のところは大規模企業に該当しますので)内部統制を進めるためのインセンティブをほかのところに求めていただければ(笑)と思っております。長々と失礼しました。

投稿: sara.onji | 2006年10月 4日 (水) 11時13分

 法務次長・課長のコメントに対するコメントで、本論から外れてしまいますが…。
 内部統制監査と財務諸表監査の相違ですが、私は以下のように理解しています。
・財務諸表監査:財務諸表の適正性を保障する。
・内部統制監査:会社が実施している内部統制監査の有効性を保障する。
 ややこしいのは、「財務諸表監査」を実施するためにも会計監査人が内部統制の評価を実施している点ではないかと思います。
 「財務諸表監査」でも試査の範囲を決定するために内部統制の評価を会計監査人自らが実施しています(監査基準委員会28号参照)。しかしながら、「財務諸表監査」は財務諸表が正しく作られているかどうかの意見表明を行うのみであり、内部統制の整備状況に関しての意見表明は行いません。また、たとえ内部統制が構築されていなくても、「財務諸表監査」に必要な監査証拠が得られれば意見表明が可能です。
 一方、「内部統制監査」は、会社自らが実施している内部統制監査が適切に実施されているかどうかに対する意見表明ですから、外部監査人(≒監査法人)は直接内部統制の整備状況の調査を実施しません。<実務上はそういかないと思いますが。

 US-SOXでは、「内部統制監査」も監査人自らチェックしているので、「財務諸表監査」としての内部統制の評価と手続を共有化して効率化しましょう、という流れになっていると思います。
 日本版SOXでは、会社自らが実施した内部監査を外部監査人がチェックすることになると思うのですが、(1)会社が実施している内部監査が、外部監査人が満足できるレベルに達することができるか?、(2)外部監査人たる会計士は、主に”財務諸表監査としての内部統制の評価”に長けているだけであり、COSOに言う「業務の有効性と効率性」「コンプライアンス」に関しての評価を実施するだけのノウハウはない、という問題点があるかと思います。
 (1)に関しては、結局「財務諸表監査」で外部監査人がチェックしており、「『内部統制監査』は外部監査人によりダイレクトチェックでないからUS-SOXより楽」と言うのは幻想に過ぎないと思っています。<ここらへんは「まるちゃん~(http://maruyama-mitsuhiko.cocolog-nifty.com/security/)」の2006.09.06付記事が詳しいと思います。私は、「財務諸表監査」の外部監査人が行うレベル相当のものを内部監査人が行わなければならず、かなりハードルが高いのではと懸念しています。<特に人材面で
 (2)に関しては、そもそも「金融商品取引法」で「財務計算に関する書類その他の情報の適正性を確保するために必要な体制について評価」しか求められていないのかも知れませんが…。(sara.onjiさんの懸念点ですね)

 だいぶ横道に逸れました。法務次長・課長さんが懸念されている(?)、「監査人が被監査会社から報酬を貰う点」は、「財務諸表監査」か「内部統制監査」かに関連する問題ではなく、もっと本質的な問題点かと思います。

 個人的には(1)の懸念点があるので、「ずいぶん高い通行手形だなぁ」と思っています。US-SOXで13%のMaterial Weaknessがあったとのことなので(http://www.thinkit.co.jp/cert/article/0606/9/1/2.htm)、マザーズ等の小規模上場会社も対象としている日本では、もっと高い確率でMWが付くと思われます。複数年(3年でしたっけ?)MWが続いて上場廃止、ことごとく市場が縮小したりして?

投稿: Mulligan | 2006年10月 4日 (水) 20時44分

 すいません、前コメントの最初の文に、法務次長・課長さんへの敬称がもれてしまいました。ご寛恕いただければ。

投稿: Mulligan | 2006年10月 4日 (水) 22時56分

 法務次長・課長さんがおっしゃるように、内部統制監査と財務諸表監査の区別が付かなくなるのはある意味良くわかるような気がします。

 私も金融商品取引法のいわゆる日本版SOXを勉強すればするほど、こんなことをごちゃごちゃと議論してるの?これのどこが内部統制なの?と感じてしまう次第で(そもそものCOSOモデルというと、財務報告の信頼性確保は内部統制の目的の一つでしかないわけですから、財務報告の信頼性確保のための内部統制という言い方自体に???を覚えるのですが)、財務報告の信頼性確保を意図すればするほど、それはつまり財務諸表の適正表示といういわば外見を見繕うため方策でしかなく、表示内容、いわゆる外見を正しく見せようとすればするほど様々な工作を誘発するんのではないかと感じております。
 もっと端的に財務諸表の信頼性を確保するなら、法務次長・課長さんも言うとおり、営利を目的とした監査法人がそこに絡むこと自体に無理があるのであり、会計監査システムそのものを変えることがベストなわけですが、今までの会計慣行と公認会計士さんの専権意識との関係で抜本的な手を入れられないところに、資本主義経済の限界があるのかもしれません。

 今までの粉飾等に多くの監査法人や公認会計士が関与してきたという現実を見据えて、職業倫理として、公認会計士の先生方(内部統制部会の委員も大多数が公認会計士)が一念発起してこの抜本的な部分に手を入れなければ真の意味での財務報告の信頼性は確保できないわけで、このあたりをご都合主義的に回避している現在の非本質的な議論は、我田引水、枝葉末節の感を否めず不毛なものだと考えております。手厳しいようですが、八田先生の書物を読んでも公認会計士としての性なのか、このあたりを触れていないため、論理の飛躍がみられ、そのことが内部統制に関する議論を分かりにくい方向に導いているのではないかと危惧しております(これだけではなく、文書化=IT化であるかのような営利ベースの内部統制論や米国SOX法直輸入の内部統制論もその一因ですが)。

 前置きが長くなりましたが、内部統制監査と財務諸表監査の違いですが、両者の違いは、証券取引法の会計監査と会社法の会計監査の違いから考察してみてはいかがでしょうか(厳密な意味では内部統制監査=証券取引法の会計監査ではありませんが。後に詳述。)。

 この点について、監査論で有名な明治大学教授で金融庁企業会計審議会監査部会長を務める山浦久司教授の名著、「監査論テキスト」(中央経済社刊)に、以下のような記述があります。
 「証券取引法の監査報告書が財務諸表の「適正表示」に関する意見を結論としているのに対して、会計監査人の監査報告書は、計算書類の「適法性」に関する意見を結論とする点で、同じ公認会計士や監査法人の意見でも、意見表明の形態を異にします」(同書・P41)。
 そして、会計監査人監査制度(いわゆる会社法の財務諸表監査)が「適法性」に関するものであるというのは、同書によると、(イギリスのある委員会が出した報告書の抜粋ですので、日本とは若干語句の使い方が違いますが)「年次監査はコーポレート・ガバナンスの礎石の1つである。所有と経営の分離を前提にすれば、取締役は株主に送付する年次報告書ならびに財務諸表の手段でもって自ら受託責任について報告することを要求される。」(同P53)。そして、その後に、「ここに述べられているように、経営に関して責任を有する取締役は、彼らに資金を託した株主に、自分の責任の履行状況を財務諸表によって報告する」と解説しています。
 ここで言う、(受託)責任の履行状況というのが、「適法性」ということであり、委任契約に基づく善管注意義務から導かれるのでしょう。だからこそ、会社法の代表訴訟などでは、財務諸表に問題があったり受託資金の不適切な運用があった際には、取締役の善管注意義務として法的責任が検討されるというロジックになるのではないでしょうか。
 
 一方で、証券取引法の監査報告書は、確かに有価証券報告書等において「当監査法人は、上記の連結財務諸表が、わが国において一般に公正妥当と認めれる企業会計の基準に準拠して・・・・キャッシュフローの状況を適正に表示しているものと認める」という監査意見が付されることが一般的ですので、その意味で、財務諸表が適正に表示されていることを監査しているものと考えられます。
 そして、金融商品取引法では、この財務諸表の表示が適正である旨及びその理由を経営者に評価宣言させ(代表者確認書と内部統制報告書)(この理由として、使われるのがいわゆる財務報告の信頼性確保にむけた内部統制システムの存在、すなわちこういう仕組みが存在する、こういう手続きでチェックを行い、ミスを防いでいる、この仕組みはこのような形で有効に機能しているなど、が使われる)、その報告書(手続き、すなわち財務報告の信頼性確保のための内部統制の手続きや仕組みそのもではなく)を公認会計士や監査法人が監査し、意見を表明するということになるわけです。

 ちなみに、早稲田大学法務研究科教授の黒沼悦郎氏が書かれた「金融商品取引法入門」(日経文庫)では、有価証券報告書について、「金融商品取引法の内部統制報告書は、有価証券報告書の虚偽記載を防止するために内部統制の有効性を高めるための制度ですが、内部統制報告書が適正に作成されていることは、有価証券報告書に虚偽記載がないことを保証するものではなく、虚偽記載があった場合の関係者の責任を免責するものでもありません」(同書P73)と解説されています。

以上、長くなりましたが、財務諸表監査と内部統制監査の違いを、諸先生の書物を引用させて頂き、述べてみました。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年10月 5日 (木) 00時39分

法務次長・課長さんの「ぼやき」のおかげで、このエントリーが、内部統制報告実務の根幹にかかわる問題を議論する場に発展しそうな雰囲気になりました。せっかくですから、ダスキン事件のときと同様、続編を綴ることといたします。そのなかで、内部統制監査と財務諸表監査の関係について真正面から検討したいと思います。おそらくたくさんの方が同じような疑問を抱きつつ、日々の業務に没頭しているような気がします。
なお、せっかくですから、まだここでの議論もお待ちしております。

投稿: toshi | 2006年10月 5日 (木) 02時57分

 昨日は、本論からそれた部分もありましたので、改めて、この問題についての私見を述べさせて頂きます。

 昨日は、制度があるという前提を横において、そもそも制度設計がおかしいという観点からの考察でしたが、企業実務を踏まえた場合は、法律というものは無視できませんので、制度として制定された以上はそれを踏まえて考えていかざるを得ないことは間違いがありません。

 この観点から考えれば、日本版SOX法は、先生のおっしゃるように資本主義市場で上場企業としての資格を有するための、上場企業が上場企業であるための最低限の通行手形であるということは、私もそのように思います。

 ただ、内部統制が主に「財務報告に関する内部統制」を意味するかというとそうではないと思います。最低限というにはその通りだと思いますし、上場企業として避けては通れない喫緊の課題であることは間違いがありませんが、内部統制の本筋には、会社法で考えているようなコンプラアンスやリスク管理ベースの内部統制を据えざるを得ないのではないかと考えております。

 すなわち、どんなに財務報告に関する内部統制が整備され、有効に機能して財務諸表が適正に表示されていても、コンプライアンス違反や消費者に著しい不利益を与えたりすれば、社会からの信頼を失い、株価が急落して、株主は一瞬にして大きな損をするわけです。この部分は、財務諸表の信頼性を確保するための内部統制を充実させても、いわば事業にともなうリスク管理の失敗やコンプライアンス違反に基づくものである以上、防ぎようの無い損害となるわけです。
 もちろん、財務諸表は企業の事業の成績表ですから、そこから事業場のリスクも読み取るべきという考え方もありますが、それができないから有価証券報告書には財務諸表以外の要素の記述が求められてくるわけです。
 言い換えれば、違法行為や公序良俗違反をやる(いわゆる悪徳商法)ことでも売上と利益は上がるわけですから、財務諸表の信頼性のみを確保しても株価が急落して投資家の保護にかけるケースがあるわけですし、1年ごとの成績である財務諸表よりも日々の事業活動を適正に行い、日々の株価を企業の原因で急落させない(市場取引である以上、当然に株価は上下しますが)ことが実は投資家、特に株取引の素人である個人投資家の保護の観点からは極めて重要になるわけです(機関投資家等のプロの投資家は、プロとしての注意義務も高いので、判断が甘いといわれるのでしょう)。
 そして、この日々の適正な事業活動による株価の暴落を防ぐという観点からは、財務諸表の信頼性確保に向けた内部統制ではなく、会社法ベースのコンプライアンスやリスク管理をベースとした内部統制を構築していく必要があると考えているのです。

 そして、さらに突き詰めれば、以前も別のエントリーのコメントで書かせていただいたかと思いますが、財務会計は制度会計と言われるように、一定の制度、会計慣行にしたがって行われるわけですから、究極的にはコンプライアンスの問題に包含されるわけです。これも以前書かせていただきましたが、金融庁基準案に示された4つの目的には主従の関係があり、業務の効率性と有効性、コンプライアンスという2つの主目的を達成するための内部統制を構築すれば、おのずと、合理的な程度において(内部統制はあくまで合理的な保証ですから)資産は保全され、財務諸表も適正に表示されることになる(資産が保全されるかどうかは未知数ですが、合理的な程度において少なくとも財務諸表は適正に表示されて来るはずです)と考えております。

 日本版SOXは、最低限の通行手形出ることは疑いがありませんが、内部統制構築の主眼は、果たして財務報告の信頼性確保のための内部統制であるという考えには、大いに懐疑的です。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年10月 6日 (金) 00時06分

はじめまして。
表題について、私見を述べたいと思います。

一言で言うと、「財務会計の常識、ものづくりの非常識。」となるのでしょうか。

ものづくりの発想と財務会計を主な生業としている人たち(特に会計士)との発想の違いについて、以前から大きく違うなと思っていました。また、ISO9000が日本で騒ぎになった時、今回の表題と似たような議論があったことを思い出したので、昔を思い出して見たいと思います。さらに、似たようなことが、もっと昔の「TQC(現TQM)」が流行った時も議論したことがあったことを思いだしたので・・・・・。

会計士が行なう「財務諸表監査」は、ものづくりから見ると「検査」に近い考え方に見えます。規格に照らして悪いものははねて出荷しないということです。
「内部統制報告書」は、ものづくりから見ると「工程でつくり込む」一つの手段と考えることができます。ただし、今進めている金融庁の制度では、そんなこと規定しておりませんが。

ものづくりの世界では、いくら「検査」を厳しくしても不良品が減らないので、「工程でつくり込む」という発想が常識になっています。今から、30年も前のことです。「工程でつくり込む」とは、不具合がおきた時に、どの工程にで問題が発生し、何が原因だったかを調べ、原因を除去することを意味します。この問題発見から一緒になって問題を解決する行為を「QC診断」等と呼んでいます。

ものづくりの世界では、当初アメリカから「品質監査」という手法を教わったのですが、なかなかなじめず、「QC診断」等と言うようになっていった経緯があります。悪いところを摘発するだけでは、現場の人たちが付いてこなかったのです。
お医者さんのように処方箋を書き、現場と一緒になって改善することで、品質が改善されていきました。

有名な解剖学者が言っていましたが、人間、同じ作業を繰り返し繰り返しやっていると、それがその世界の常識になってしまうと。会計士は、ものづくり側から見ると、「検査官」です。それも外部の。金融業界の「金融検査マニュアル」の世界
検査をする人の発想に近いように見えます。
ちなみに弁護士は、問題を指摘するだけでなく解決するのが仕事ですから、「診断」に近い発想をします。経営コンサルもそうです。

企業人としては、今回の財務報告に係る制度化を云々を議論するよりも、その法制化を契機として、自分の会社をいかに良くしていくか、潰れない会社にしていくかのための出発点と考えたいと思っていますし、そうでもしないと、J-SOXが、「財務のISO」になりかねません。でないと、J-SOXなんて、とてもまじめにやってられません。法律だから、それをクリヤーすればいいと思うのでは、あまりにも寂しいではありませんか。

結果を良くするには、「工程でつくり込む」。そのために「内部統制」を監査(診断)し、報告書にまとめる、と私は捉えています。従って、「内部統制報告書」は、改善の始まりです。本質的には、企業としては、ここからが監査の始まりなのです。
だから、表題の結論ですが、決して同じものではありません。ものは考えようです。所詮、道具なのですから。

会計士が、「内部統制報告書」を監査するとき、財務諸表の結果とどう結びつけるか、つけないかは、非常に興味があるところです。

中途半端ですが、今回はこの辺でやめておきます。もう少し、考え方を整理してmailすべきかもしれませんが、とりあえず、私見を述べさせていただきました。

**********************************************************************************
ものづくりの現場から、TQCの推進を経て、本支店の管理業務を経験し、現在、内部監査部門に所属し、J-SOXのプロジェクトがメインになりつつある元技術者より。

投稿: 技術屋の内部監査人 | 2006年10月 7日 (土) 12時49分

追記:
表題抜きの投稿でした。

表題は、『「内部統制報告書」を監査することと、「財務諸表」を監査することとの違いについて』です。

投稿: 技術屋の内部監査人 | 2006年10月 7日 (土) 13時33分

技術屋の内部監査人さん、はじめまして。詳細なご意見ありがとうございます。気がついた点や、ご異論については、中途半端とか未整理などとおっしゃらずにどんどん書き込んでください。
内容を拝見しますと、基本的にはコンプライアンス・プロフェッショナルさんのご意見に近いのではないか、と推察いたします。私はよく講演で「やったほうがいい」の議論と「やらなければならない」の議論は整理したほうがいい、と説明しております。業務の有効性・効率性向上のためには、経営管理の一貫として、内部統制システムの整備構築すること(そして、改善していくこと)は技術屋の内部監査人さんの言われるとおりだと思いますし、本当に内部統制の向上を図ることで会社をよくする気概をもつことが重要だと思います。これは「やったほうがいい」レベルの議論だと私は認識しております。いっぽう「最低限度のクリアー」を必要とするところも無視できないわけでして、これが金融商品取引法における内部統制報告実務というところです。おそらく、各企業がもっとも関心を寄せているところではないか、と思います。サンクションについては議論もあるところですが、とりあえず上場企業としては「やらなければいけない」基準というものを考えなければいけないし、ともかくルールには従わなければいけない部分は存在する、といったところから出発しなければいけないように理解しております。
この「やったほうがいい」統制活動と日本版SOX法をくっつけたり、会社法上の内部統制と金融商品取引法上のそれが峻別されないままに「内部統制」という言葉を使ってしまうところに議論の混同を招来してしまう原因があるように考えております。アメリカではこの9月にも、PCOABやSECが404条の運用について議論をしているようです。内部監査人さんが言われるように「検査」なのか「診断」なのか、会計士さん方の内部統制報告書への関与のしかたが議論されています。「工程で作りこむ姿を評価する」のが監査人の使命のようにも思えますし、それは「製品の検査」とも異なるようにも思います。

投稿: toshi | 2006年10月 8日 (日) 03時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「通行手形」としての日本版SOX法の意義:

« 監査法人の即時反論制度と守秘義務 | トップページ | 不正会計の予防に向けて(その4) »