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2006年10月27日 (金)

世界史未履修問題解決の行方は(2)

(10月27日午後 追記あります)

内部統制と企業情報開示に関するYOSHIさんやとくめいきぼうさんのご意見や、佐山教授の日経ネット論稿「M&Aと利益相反問題」、法律雑誌「ビジネス法務」12月号の中村直人先生のインタビュー記事、不正経理を原因としたユニココーポの会社更生、そして公募増資における引受審査の厳格化問題などなど、あまりに面白すぎてツッコミを是非させていただきたい論点がたくさんあるのですが、残念ながら私自身も本業の集中審理が重なっておりますので、やはり昨日のエントリーの続編のみを書かせていただきます。(ビジネス法務といいながら、路線が少し変わっておりますがご容赦願います)

さきほど毎日ネットニュースを読んでおりましたところ、すでに未履修問題を抱えた高校は35都道府県の244校にまで及んでいるとのことだそうです。ここまできますと、もはや一部の学校の問題として捉えることができず、学習指導要領の法的効力を検討しながら、どうやって大学受験を間近に控えた高校生や浪人の方々が安心して勉強に打ち込める環境を整えるか、その問題解決の糸口を探る必要がありそうです。

ところで学習指導要領というものは「法的効力」を有する、という言い方を昨日のエントリーでしておりましたが、判例をみますと、この言い方は少し不正確だったようです。学習指導要領の法的効力を争点とした判例といいますのは(ほかにもあるかもしれませんが)平成10年1月20日に大阪高裁で判決が言い渡された鯰江中学「日の丸」裁判の控訴審判決が代表的なものではないでしょうか。この大阪高裁の判決は、学習指導要領については行政法上の「告示」にあたるものとして、原則的には法的効力を有するものであるが、その告示内容の解釈によっては法的効力をもたない部分もある、とされております。この裁判につきましては、生徒や教職員の思想信条の自由と関係深い論点を扱っておりますが、そういった部分を捨象して純粋な法的論点として検討した場合でありましても、科目履修に関する指導基準といった部分は、(たとえそれが義務教育の範疇を超えている場合であったとしても)やはり教育基本法や施行規則などの法令解釈として法的効力はある、と判断される可能性が高いものと思います。

ただ、ここから先が問題であります。行政庁における「告示行為」に法的効力ある、としてもその名宛人は誰なのか、法的効力はどういった性質のものなのか、について検討する必要があろうかと思われます。学習指導要領といったものの名宛人は(このあたりは私は専門家ではないので誤解があるかもしれませんが)各学校の代表者、つまり学校の校長先生や学校法人の理事の方になるのではないでしょうか。(注記 なお、行政法上は法的効力を有する告示行為は名宛人のない行政行為のひとつ、と分類されていることが多いようです。ただし判例上では、その告示行為によって具体的に利害関係を有する者について訴えの利益を認めているものもあり、実質的に見ると名宛人が存在する場合もあるといえそうです)また、「法的効力の性質」ですが、この告示行為に反する行為に及んだ場合には、各学校がペナルティを受けるものであって、もしそのペナルティの結果、その学校のルールにしたがったために不利益を受ける生徒達につきましては法律上の「反射的不利益」(もしくは本来履修すべき科目を受講せずに大学受験が可能となった場合に受ける反射的利益)に過ぎないものと捉えることが可能ではないでしょうか。したがいまして、教育を受ける側にまで法的効力が及んでいるとは考えにくく、「学習指導要領に法的効力がある」→「生徒達は単位不足で卒業できない」とは法論理的にはつながらないと考えることができるものと思います。となりますと、学校側の義務違反状態が継続しておりましても、学校(もしくは教育委員会?)の裁量行為として卒業を認めることは可能であって、卒業の効力には影響が出ないと解釈することが妥当なのではないでしょうか。(注記 もちろん、私は学校側がそうすべき、と申し上げているのではなく、あくまでも法的にはこういった解釈も成り立つのではないか・・・という趣旨で記載しているものであります。)

ただ、ここで別の問題として、それでは大学側が、こういった未履修の状態で卒業した生徒達を既習の受験生と同等に扱わなければいけないのかどうか、という論点が出てまいります。これもムズカシイ問題でありますが、大学受験資格の設定というのも、おそらくは明確な法令違反による資格条件もしくは著しく不合理な資格条件を定めない限りは、大学側の自由裁量行為に属するものでしょうから、未履修者と既習者との平等をどう考えるかは、その大学ごとに決定すべき問題になってくるように思います。

このように考えますと、文部科学省としましては、大学側への即時対応や、指導要領違反に対する学校側への処分など、早期に対策を立てて、その内容を速やかに公表することが、これまでの裁判所の見解との整合性なども踏まえ、もっとも適切な判断となるのではないでしょうか。なお、こういった結論に対しましては、unkownさんが的確に指摘されているとおり、卒業もしくは受験において、既習者と未履修者との不平等問題が残ることは事実です。ただタテマエになるかもしれませんが、そもそもこれからの日本を背負う若い人に「世界史は必須」であると考えて指導要領ができあがっているわけですから、むしろ不利益を受けているのは未履修者であるともいえそうですし、受験だけを平等原則と対比して考えるのも少し筋が違うようにも思えます。このあたりはまた、今後の文部科学省や各都道府県の教育委員会の現実の対応などをみながら、また検討してみたいと思います。(普段あまり研究していない分野のことを記述しておりますので、赤面ものの誤解もあるかもしれません。そのあたりは「場末のブログ」として御容赦のほどお願いいたします。また忌憚のないご意見、叱咤激励をお待ちしております)

(追記)

文科省大臣から、コメントが出されております。(ニュースはこちら)卒業までに未履修者にはかならず履修してもらう、冬休みもあるし、放課後もある、とのこと。つまりは「卒業」を基準に考えた場合の「不公平」をもっとも重視した厳格な要請のようです。ただ、この方法だと、学校側のミスで不利益を被った(何を損害とみるか、というのはまた難しい問題ですが)生徒方から学校側は民事上の法的責任を問われる可能性があるのではないか、ということと、受験後の補修授業でも構わないとした場合に、やはり受験のうえでの不平等は解消されない、といった問題は残ってくるように思います。

それと、もうひとつよくわからないのが、この大臣の発言は既習者と未履修者のどっちが不公平な扱いを受けた生徒と捉えているのでしょうか。私は文部科学省が指導する科目を受けられなかった未履修者のほうが「文部科学省側からみれば」不公平な取扱を受けたほうだと思いますが、いかがでしょうか。もしそうだとすると、不公平をあえて甘受するほうが履修の利益を放棄すれば済む話です。また、既習者が不公平な扱いを受けたというのであれば、履修の時期は「年度内」という言い方は不平等が解消されませんので、不適切な発言になります。さらに、文部科学省が卒業認定の要件と定めているから、といった行政目的上の理由で未履修者への履修を要請するのであれば、そもそも「不公平」を持ち出すことは理由としては許されないはずですよね。このあたりはどう理屈がつくのでしょうか。

いずれにしましても、この問題はまだまだ大きな問題に発展していくようです。

10月 27, 2006 学問・資格 |

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話題の「学習指導要領」。 高校の必修科目をまとめておきます。 書いてある年度の入学生から適応のはず。 年の後の( )内の言葉はキーワード(?)です。 昭和24年(試案) ・国語、一般社会、体育 ・社会科は国史、世界史、人文地理、時事問題から1科目 ・数学科は... [続きを読む]

受信: 2006年10月27日 (金) 10時32分

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受信: 2006年11月 6日 (月) 10時24分

コメント

jalポルノ事件さん

恐縮ではございますが、管理人の判断におきまして削除させていただきました。ご容赦ください。

投稿: toshi | 2006年10月27日 (金) 10時47分

toshiさんへ
ろじゃあがエントリーの中で遵守すべき枠組みはなんなのかということに触れたのも「裁量」と「権限」と「責任」の帰属関係が外部からはわかりづらいと感じたからでございました。
ですから、厳密な意味での法的な(行政法上の)評価・当否の問題とこの状態をどう収束させるべきかという問題は、本来ならその区別を踏まえて論ずるべきことかと思います。
この点は、やはりこの領域における枠組みについて裁量と権限と責任を有する主体による枠組みの整理を明らかにした上での将来ある若者達の「時間」と「機会」の保護のための迅速な対応がとにもかくにも必要だと思います。
奥歯にモノが挟まったような言い方でごめんなさい。
「事情判決」の手法と同列に論ずると専門家の方々からはそれこそ怒られるかもしれませんが、筋論だけで解決しようとすると難しい問題が多い類の問題だと思います。
責任の所在とそれへの処罰の問題よりも「いま何をどうするべきか」と「何をしておかないとどういう問題が起こるか」と「それらの結果により将来ある若者に精神的負担がどれほどかかってしまうかあるいはどれほど混乱が生じるか」という問題についての対応をまずは優先させるべきだと思うんですよ。
我々だって昔は受験生だったわけですから、自分達が同じ立場におかれてしまったとしたらどう考えるか、大人にどうして欲しいかを考えてみるべきだと思うんですけどねえ。
その意味では既存のマスコミの方々にも、巻き込まれてしまった若者の状態をどうしてあげればいいのかという問題解決のために自分達が何ができるかの部分でのより大きな寄与を期待したいところです。

投稿: ろじゃあ | 2006年10月27日 (金) 12時10分

ろじゃあさん、ご意見ありがとうございます。
この問題については、関係者がどこまで、自分の責任の所在を
かえりみることなく、生徒の受験という問題を真剣に考えることが
できるのか、そのあたりにとても関心があり、このブログでも
採り上げたような次第です。
そもそも「閉鎖的」な感が否めない教育行政の現場でいったい
どんな緊急対応がなされるのか、その緊急対応の後にどんな抜本的
解決案が検討されるのか。結論的には政治的配慮によって決着する
のでしょうが、その解決策の妥当性を検討するときに、「筋論」も
参考になるかと思っております。
緊急対応といえば、今週中にも政府としての措置が発表されると
いうことのようですんで、またその折にでも触れてみます。

投稿: toshi | 2006年10月29日 (日) 12時29分

toshi先生
久しぶりにコメントを寄せさせて頂きます。
10月がテンパリモードだったのですっかり乗り遅れた感があるのですが、私のエントリでも未履修問題に触れましたので、エントリの中でご紹介させていただきました。

法律のはしっこの世界にいるものとしては、学習指導要領に書かれている「卒業要件」から、今回の「補習」を必要とする理由が見えない・・・というよりもむしろ「必要の無い理由」が見えてきてしまっています。
今回のケースで「補習を受けなかったことで卒業認定されなかったら、訴訟で勝てるのか?」を知りたい気もありますが、実際にこんなことをしている間があったら補習を受けて無事卒業するほうが「はるかにコストが安い」ので、現実には分からないのだろうな・・・等と感じています。消費者保護系の弁護士さんなどは、この問題についてどう考えているのか興味のあるところです。

また、今後も勉強させていただきたいと思います。

投稿: Swind@立石智工 | 2006年11月 2日 (木) 22時46分

立石さん、おひさしぶりです。
学習指導要領に法的拘束力があることは間違いない通説だと思います。
ただ、その法的拘束力が生徒の卒業認定の効力にまで及ぶものかどうか、といったところは別問題だというのが私の意見です。法的拘束力があるといっても、それは教職員へのシバリにすぎず、生徒の取扱については校長に広範な裁量権があると理屈のうえでは考えられるのではないでしょうか。単位不足の生徒を卒業させる、というのも、たとえば校長にそういった裁量権があるならば可能だと思います。まああくまでも理屈のうえでの話しでありまして、大きな混乱を起こして生徒に悪影響を与えることもできないので、裁判沙汰になることはないと考えておりますが。

投稿: toshi | 2006年11月 3日 (金) 02時19分

文科省から通達が出されました。
必履修科目を未履修で既に高等学校を卒業した者については、
下記イ及びロの理由から、各学校長において当該者の卒業認定を取り消す必要はないこと。

イ  上記のとおり卒業認定は学校教育法等の規定に基づく各学校長の権限であること。


ロ  未履修で既に高等学校を卒業した者については、未履修が本人の責めに帰すべきものではなく、取り消すことにより当該者に不利益を被らせることは適当ではないこと。

としております。(今回特例ともなにも書いてないようです。?)

しかし、小生のブログにも主張しましたが、なにも既卒者に対して
課さないということであれば、いろいろ問題が生じるとおもいますが
法律的には如何なのでしょうか?

卒業認定が学校長の権限であるということだけであれば、これからも
どんな不正なことが出てきても仕方がないということになりませんか

たとえば、大学の受験科目数に対応した授業カリキュラムを編成する。
これも大学入試の対策の観点からは生徒のためですから。

投稿: 期待人 | 2006年11月 3日 (金) 11時23分

>期待人さん

コメントありがとうございます。どうも政府は今回の特例措置について「これは今回かぎりのこと」と念押ししてリリースされたようですね。
おそらく期待人さんのいわれるように「やったもん勝ちでは不公平ではないか。じゃあこれからも履修漏れをしたほうがマシということか」なる反論を回避するためではないか、と思います。
私もちょっと「不公平感」というものは拭いきれません。ただ、卒業生については、本文やコメントにも書きましたが、学習指導要領の法的拘束力が「教育を受けるべき」生徒にも及んでいるのかどうかは、ちょっとムズカシイところではないでしょうか。いわばそれで卒業していれば反射的利益(もしくは立派な世界史の授業を受けられなかったのであれば、それは反射的不利益なのかもしれません)ということになって、あとで校長が卒業を取り消す、ということも「法的安定性」の見地からはできないものと思います。むしろ未履修のまま入学を許可した大学側の配慮の問題になろうかと思います。大学側としては、そういった虚偽の通知書を受け取って合格を許可しているわけですから、それを取り消すかどうかは大学の裁量にかかっていると思います。このたびのことで、文部科学省は大学側に配慮を求めているようですが、こういった理由からではないでしょうか。おそらく在校生については大学側もなんらの措置もとらないと思いますが、これから受験もしくは推薦入試となると、やはり他の受験生との公平性というところを問題にする大学も出てくるかもしれません。

投稿: toshi | 2006年11月 5日 (日) 02時31分

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