改訂監査基準と内部統制監査
今朝(10月19日)の日経新聞には、昔のテレビ番組の資産価値を真剣に検討する研究会が発足したり、大手のリース会社が合併する記事が掲載されていたり、ということでバランスシートへの無体財産やリース資産の項目化など、会計基準の変更(国際標準化)に伴って社会が大きく動く姿が垣間見れます。「これからの20年は会計の時代」というのは、このブログの大きなテーマのひとつになっておりますが、いくら「会計は経済の後追い」と言われておりましても、引当金の積み増し要求などの事例からみても特定の業界や個々の企業の存亡を左右する力が企業会計の世界にはあるわけでして、会計に「見積り予想」とか「実質的判断」「国際標準」の要請が強くなればなるほど、経済社会を動かす力を持ちうる制度だと思います。また、それだけ会計専門職の方々の責任と権限は大きくなるものと思いますね。おそらく会計基準や監査基準というものの持つ規範力につきましても、今後いろいろなところで研究される対象になるんじゃないでしょうか。
私のような法曹からしますと、そういった会計基準、監査基準というものはそれ自体の理解があまり「メシの種」にはならないものですから、あんまり真剣に検討したこともなかったわけでして、「監査論」なる基本書もあまり読んだことはありませんが、やはり「内部統制評価報告書」に対する監査実務というものの実務指針も出る、ということですから、すこしばかり「改訂監査基準」の中身を検討したりしております。それで、またこういった基準や、その解説書などを読んでおりますと、(いつもと同じように)いろいろとわけのわからない疑問が湧いてまいります。この改訂監査基準というのは、一般に公正妥当な監査基準でありますから、相当高いレベルの規範力を持っていると思うのですが(基本的には平成19年3月期の決算から適用される、ということですよね。もう適用してもいいとも書いてありますが)、この監査基準の「第三実施基準」の「三 監査の実施」第2項におきまして、
2 監査人は、ある特定の監査要点について、内部統制が存在しないか、あるいは有効に運用されていない可能性が高いと判断した場合には、内部統制に依拠することなく、実証手続により十分かつ適切な監査証拠を入手しなければならない。
と規定されております。おそらく、この規定は金融商品取引法193条の2第2項の「内部統制評価に関する監査証明」制度の運用についても規範力を有するものと思いますが、これ、普通に素直に考えますと、もし金商法における監査人(公認会計士もしくは監査法人)の内部統制評価監査において「経営者の内部統制評価は信頼できない」といった不適正意見を述べる場合、その監査人はこの監査基準にしたがって、実証手続によって財務諸表監査の適正性判断のために十分かつ適正な監査証拠を入手しなければならないように読めるのですが、本当にそうなってしまうんでしょうか?要するにある程度内部統制がしっかり確保されているからこそ、財務諸表監査において「試査」が可能になるわけですから、試査ができないことになる、と理解していいんでしょうかね。でも、もしこういった解釈が正しいとしたら、財務諸表監査と内部統制報告実務における監査とは同一人が行うことを前提とした場合、内部統制監査に不適正意見を表明する監査人って、出てこないんじゃないでしょうか?実証手続によって監査証拠を入手しながら財務報告の信頼性を精査する、というのは現実問題として困難なんじゃないですかね。 「実施基準」はあくまでも内部統制監査に関する基準でしょうから、財務諸表監査の実施基準とは別なわけで、最終的に内部統制報告実務が「財務諸表の信頼性確保」にあるとしたら、この監査基準がまともに適用されてしまうような気もします。そうなると実は上場企業にとっては、内部統制評価報告書を作成することというのは、あんまり恐れるほどのこともないようになってしまわないでしょうかね。内部統制評価報告書そのものについての「確認書」というものも徴求されないわけですし。
あと、法律的な発想を会計基準や監査基準に持ち込んでいいものかどうかはわからないのですが、金融商品取引法において義務化される四半期開示については、逐一内部統制評価書の提出とか、内部統制監査というものはなされないわけですよね。そこで行われる監査のレベルというのは、「レビュー」になるものと解しておりますが、それも一応は投資家を誤った判断に導かない程度の「真実性」を確保するために行われるわけですから、当然のこととして内部統制の有効性についても評価されているのではないでしょうか。しかし、その評価というのはなにをもって有効と考えるのでしょうかね。その直前に行った内部統制報告書への監査結果を援用する、と考えるのでしょうか。このあたりも実にわかりにくいところでありまして、もし議論が整理されている文献などございましたら、どなたかお教えいただけますと幸いです。
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コメント
内部統制評価の結果によって内部統制に依拠した監査が適切でないと判断された場合には実証手続きによって監査証拠を入手しなくてはならないというのは仰る通りです。そして効率的な監査を実施するためには、内部統制評価の結果として内部統制に依拠した監査を実施出来るという結果のほうが望ましいことも仰る通りです。
ですが貴殿の文中にも書かれてあるように内部統制評価はあくまで財務諸表の適正性を確認する目的の一環として行われるものですから、問題のある内部統制に依拠した監査を実施した結果、不適当な監査意見を表明した場合には問題となります。
>実証手続によって監査証拠を入手しながら財務報告の信頼性を精査する、というのは現実問題として困難なんじゃないですかね。
各社の事情が違うでしょうから一概には言えないとは思いますが、取引量がさほど多くなければ実証手続きによって十分な監査証拠を入手することは可能です。むしろ内部統制評価に多大な工数を要するので、実証手続きによって監査証拠を入手したほうが効率的な場合すらあります。
もちろん超大企業の監査においては実証手続きだけで十分な監査証拠を入手することは不可能です。しかし超大企業の場合にはそれなりの内部統制組織が整備されていますので内部統制の評価結果が悪いというケースも少ないでしょう。
四半期開示における内部統制評価については前期の内部統制評価をベースにすることは確かですが、依拠する前提として前期と今期の内部統制の変更の有無の確認を行ったうえで内部統制に依拠しているはずです。
(内部統制に変更があった場合にはその把握と問題点の有無の確認などの手続きが行われるはずです。)
ただしレビューは年次決算監査と比較して証明力としては弱いものであり、分析的手続きを中心としておこなわれることになりますので、"実証手続きありき"の手続きではないことに留意していただく必要があると思います。
投稿: とくめいきぼう | 2006年10月20日 (金) 22時28分
>とくめいきぼうさん
詳細なご説明、ありがとうございました。
>ただしレビューは年次決算監査と比較して証明力としては弱いものであり、分析的手続きを中心としておこなわれることになりますので、"実証手続きありき"の手続きではないことに留意していただく必要があると思います。
私はレビューと監査のレベルの違いがよくわかっていなかったようですね。レビューというのは、どうなんでしょうか、書類の上での審査ということで認識していいのでしょうか。要するに「信頼できないとまではいえないといった認識の表明」で足りる、と理解していいのでしょうかね。そうすると実証手続ありき、といった前提ではなくなると・・・
ところで、「内部統制評価には多大な工数を要する」とありますが、ここに少し関心があります。これは「評価について多大な工数がある」ということなのか、内部統制の仕組みそのものに工数を要する、ということなんでしょうか。もし前者だとしますと、そういった評価は経営者がそもそも認識する必要があると思うのですが(今度の内部統制評価報告実務を前提としますと)このあたりはやはり現場で実際に財務諸表監査に携わる方々の感覚というものがないとなかなか理解しにくいところかなぁと思いました。また、お時間のあるときで結構ですので、教えていただけますでしょうか。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: toshi | 2006年10月21日 (土) 02時08分
後からすいません。
大企業にはそれなりの内部統制が整備されているのが通常だから、評価結果が悪い、ということはあまりない、ということでしたら、内部統制評価報告実務というのは、あまり大企業は気にしなくてもいい、と解釈していいのでしょうか?
超大企業も、小さな公開企業も、いずれも同じ「実施基準」や「監査基準」の適用を受けるということであれば、素直に考えますと統制評価については大企業にとってはハードルが低くなると思うのですが、それは正しいのでしょうか。人によっては超大企業だと職務分掌が進んでいるために、かえって「財務報告の信頼性」確保のためのハードルは高くなり、その有効性評価は厳しくなる、と聞いたことがありますが。
このあたりとても疑問をもっています。
投稿: unknown | 2006年10月22日 (日) 02時17分
あくまで一般論であろう記述と認識してですが、
>「しかし超大企業の場合にはそれなりの内部統制組織が整備されていますので内部統制の評価結果が悪いというケースも少ないでしょう。」
この部分には、この記述を裏付ける証拠は何なのか、どのように実証するのか、と疑問を感じています(すみません、テーマと結びつけた感じの記述となりました)。
超大企業とはどの程度の企業を想定しての記述かは分かりませんが、私は、超大企業であろうと、、必ずしも内部統制が整備されているとはいえないと思いますし、内部統制の評価結果が悪いというケースも少ないとは言い切れないと考えます。
現に内部統制法制化の過程で企業不祥事の例としてでてくる企業名は、名だたる企業ばかりです(あの中にないくらいの超大企業を想定しての話なら分かりませんが・・・)。最近の例で見ても、松下電器やトヨタですら、内部統制の体制としては弱い所があるんではないかと思わせる事例がおきています。
大企業は、組織が大きく、従業員も多すぎるために、逆に内部統制は利きにくくなるというのが、私の実務を通じての感想です。例を挙げても、
・セクショナリズムに代表される部署の利益の最優先思想(いわゆる企業内での内輪の争い)
・部門を越えた全社的な統制システム構築時の調整等の困難さ
・伝統やブランド意識が統制環境として社風や従業員の思考・行動パターンとしてしみこんでいて過去の悪習や時代遅れのやり方・考え方に縛られる
・ルールの落としこみ等をみても部署ごとに解釈の差が生じたり、従業員が多すぎて末端や現場まで十分に浸透しない(一部、伝言ゲーム的に自分たちの解釈や思い込みが入り込む)
・部署の力関係で統制活動の実効性が左右されやすい
・組織が大きいため、稟議や牽制が多岐・多重になり、かえって過剰統制となって効率性を阻害する他、社会心理学的な同調作用により、稟議等に多くの管理職が関与するため、一人一人の責任が薄まり、無責任状態を生みやすい(=統制の形骸化を生みやすい)
・組織が大きすぎるために、現場からのリスク情報が上がりにくく、リスク抽出の内容が包括的・一般的なものになりやすく、具体性にかける
など、かえって(超)大企業だから逆に内部統制の不備が見られるケースを多々みて参りました。もし、「超大企業の場合にはそれなりの内部統制組織が整備されていますので内部統制の評価結果が悪いというケースも少ない」ということを前提として内部統制評価や内部統制監査を考えるならば、その前提自体に疑わしい部分もあり、それほど意味のある制度にはならないと思います。
投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年10月22日 (日) 03時29分
>大企業にはそれなりの内部統制が整備されているのが通常だから、評価結果が悪い、ということはあまりない、ということでしたら、内部統制評価報告実務というのは、あまり大企業は気にしなくてもいい、と解釈していいのでしょうか?
これはまったくの誤解です。「通常」だから評価報告実務を行わなくてよいという制度ではありません。むしろ大企業の場合には取引形態も連結子会社も多いでしょうから実務負担は重いと思います。
>この部分には、この記述を裏付ける証拠は何なのか、どのように実証するのか、と疑問を感じています(すみません、テーマと結びつけた感じの記述となりました。
お書きになられているように一般論ですよ。
>ところで、「内部統制評価には多大な工数を要する」とありますが、ここに少し関心があります。これは「評価について多大な工数がある」ということなのか、内部統制の仕組みそのものに工数を要する、ということなんでしょうか。もし前者だとしますと、そういった評価は経営者がそもそも認識する必要があると思うのですが(今度の内部統制評価報告実務を前提としますと)このあたりはやはり現場で実際に財務諸表監査に携わる方々の感覚というものがないとなかなか理解しにくいところかなぁと思いました。
前者の意味です。内部統制報告書制度は経営者が内部統制に関する評価を行い報告する制度です。
アメリカのSOX法では監査人が直接企業の内部統制評価に関する意見を表明することになっていますが、日本では監査人は「経営者の内部統制に関する評価」が適切に行われ報告されているかどうかを確かめる制度です(ダイレクトレポーティングの不採用)。なかなか理解しにくい点だとは思いますが、この点について特に留意していただかなければ混乱する部分だと思います。
投稿: とくめいきぼう | 2006年10月22日 (日) 09時12分
こんばんは。
「(超)大企業こそ内部統制は効いていないのではないか」とのコンプロさんの見方には、私も同意できますが、そもそも論で言えば、「内部統制」というのは組織が肥大化すればするほど必要性が高まるものですから、これは当たり前と言えば当たり前の話ではないかと思います。社長がすべてを見渡せ掌握可能な「小規模会社」に「内部統制」の概念の入る余地はないからです(尤も会社法の求める内部統制は、コーポレート・ガバナンス的な要素が混入していますので、少し違うかもしれません)。
ただ、少し違和感を覚えるのは、(超)大企業のいわゆる「不祥事」が全て内部統制の文脈で語られることです。コンプロさんの挙げられているM社やT社の件は、本当に「内部統制」の問題なのでしょうか。企業「不祥事」らしきことが起こると(報道されると)すぐに内部統制に引っ掛けて論じ(たが)る今の風潮が、「内部統制議論」を判りにくくし、過大な対応を迫る脅迫観念を醸成し、あるいは、それをビジネス・チャンスかのごとく売込み攻勢を掛ける一部業界人を次々に生み出すように思えてなりません。
個別の事件・事故については、それぞれに原因があり、同種・類似のものが頻発するようなら、その企業に構造的な原因があるのかもしれませんが、それが全て内部統制の問題で片付けられるなら、話は簡単ですよね。個々の企業には起こったことの責任をキチンと取ってもらいたいし、再発防止策も徹底して欲しいと思いますが、それは内部統制の概念を持ち出さなくてもできるでしょう(原因の究明や再発防止策の検討の際に、内部統制の方法論、例えばCOSOのフレームワークを念頭におくとやり易い、あるいは、説明の道具としては便利、という面は確かにあろうか思います)。
投稿: 監査役サポーター | 2006年10月22日 (日) 22時20分
監査役サポーターさんのご質問にお答えします。
私自身、企業不祥事が発生したという結果論で、内部統制に不備があると論じることは、もっとも嫌う所であり、結果論だけで言っているわけでは決してありません。昨年来、このブログに同じことは一貫してコメントさせて頂いており、私も、たとえば堀江被告で有名なL社を内部統制の問題として扱っている八田先生の書物などには、強い疑念を抱いております。
本来、コーポレート・ガバナンスの文脈やコンプライアンスの文脈で論じるべきものを、内部統制で論じるからこそ内部統制の概念が分かりにくくなるというのはもっともな指摘であり、その点は私も強く賛同するところです。
それでは何故、T社やM社を引き合いに出したかの点ですが、1.超大企業という文脈にふさわしいこと、2.両社については、あくまで内部統制の体制に弱いところがあるのではないかと言ったまでで、内部統制がないとか、機能していないとは言っておりません。
私が説明も無くT社やM社を引き合いに出したのがそもそもの始まりではありますが、それでは監査役サポーターさんは、両社の不祥事は内部統制とは関係がないと考えておられているのでしょうか?
M社については、テレビCMまで使っての商品回収告知で世の中はさすがM社と論じる風潮がありますが、対応としては事故の認知からかなりの時間を要しています。詳細について論じるのは本意ではありませんし、M社の姿勢を考えると適切ではないと考えますので、深入りはしませんが、対応が遅れた原因の一つとして、事業から発生しうるリスクに対して統制活動として実現可能な最善策が予定されていたとは思えず、また商品回収というメーカーにはつきもののリスクに対しての統制手法の優先順位が適切ではなかったと私は評価しております(リスクに対する統制手法の制度化や、リスクを踏まえて対応の優先順位を予め行っておくのは、内部統制の問題です。)。
またT社については、大阪での不正契約問題や熊本県警とのリコールをめぐる騒動など、報道を元に判断する限り、現場において発生するリスクに対する認識や牽制機能の不備等があったのではないかと思わせる部分があります。
内部統制はあくまで「合理的保証」を提供するものですから、内部統制を構築していれば絶対に企業不祥事を防止できるわけではないですが、結果のみを捉えて内部統制の不備を論じることが妥当でないのと同時に、内部統制を免罪符にして結果に対する謙虚な評価を行わないのは正しい姿勢とは思えません。
今の統制レベルでいいのか、より最善な現実的統制手法は無いのか、もれている重大なリスクは無いのか、このあたりを再度企業として見直す場合は、結果を参考にしながら「カイゼン」に取り組むことが、何より内部統制の強化に資するのであり、逆にこのようなケースで自社の事例のみならず他社の事例を他山の石として、内部統制の構築強化に努めることが、真に企業に求められる内部統制構築に対する真摯な姿勢であるというべきです。
内部統制は結果論ではありませんが、結果を活用しない内部統制構築論は空疎であるばかりでなく、(不祥事という)結果が発生していないからよしとするという内部統制の形骸化をより誘発するまでです。
以上、監査役サポーターさんのご質問に対する回答と私見を述べさせていただきました。
投稿: コンプライアンス・プロショナル | 2006年10月23日 (月) 00時38分
いろいろなご意見、ありがとうございます。かなり内部統制ブームの核心に触れるご議論もあり、勉強になりました。(とくめいきぼうさんには、早々にご回答いただき、感謝いたします)皆様方のご意見を拝読っさせていただきながら、議論の整理をするために、一度別エントリーを立ててみたいと考えました。具体的にはまず、なぜ内部統制がここまでブームになったのかを考えてみたいですし(単に法律ができたから、企業不祥事が増えたから、というものではなく)、今後の内部統制の限界論の発展や、経営者による有効性評価の擬制(これは絶対に今後必要になってくる考え方だと思います)と絡めた問題提起をしてみたいと思っております。
(なお、ホストとして、このエントリーのまとめに入ったつもりはございませんので、こういった論点に関するご意見、まだまだお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。)
投稿: toshi | 2006年10月23日 (月) 02時35分
>とくめいぎぼうさん
基本的な質問に答えていただきありがとうございました。
やるべき仕事としてはたいへんだけれども、実際にはすでに内部統制に関する仕組みが整備されているところもおおいので評価は問題がない場合もおおい、と理解しました。
ダイレクトレポーティングはしないけれども、経営者の評価の有効性を審査する、ということと、これまでの内部統制監査の手法との違いというのは一体どういったところなのでしょうか。いろんな本を読んでもよくわからないのです。いつも質問ばかりで恐縮ですが、どなたか教えていただければと。
投稿: unknown | 2006年10月23日 (月) 11時01分
こんにちは。
コンプロさんのおっしゃるのは全くそのとおりでありまして、私も該社の「不祥事」が「内部統制とは関係がないと考えて」いる訳では必ずしもありません。もう少し正確にいうと、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」「そういう側面もあるのではなかろうか」、いずれにせよ、「断言できるだけの材料(情報)はない」というところでしょうか。
ただ、企業不祥事を「語る」(「分析する」という第三者的な観点ばかりでなく、「企業内部において実践する」という当事者的なアプローチも含みます)際の切り口としては、「内部統制」ばかりではなく、例えば畑村先生などの「失敗学」のようなものもある訳でして…。色々な方法論、手法を活用していけばいいのではないか、と思ったりする訳です。
いまの"ブーム"を非常に苦々しく思っておりますもんですから、ついこんな書き方になってしまいましたが、ご容赦のほど。
投稿: 監査役サポーター | 2006年10月23日 (月) 11時09分
監査役サポーターさん、私も同じく、内部統制バブルを憂いおります。
私も、監査役サポーターさん同様、内部統制は内部統制だけの問題だけでは片付かず、特に実務を行う場合は(指導する場合も含めて)、ご指摘の失敗学はもちろん、経営学や組織論、社会心理学、行動科学など様々な要素を加味して、熟慮してやっていかなければ行かず、システムだけを入れて終わり的な発想を最も危惧しております。
「人」が介入するからこそ、心理学的要素や失敗学のベースにもなっているヒューマンエラーなどの要素を加味しなければ、実効的な内部統制の構築・推進ができないため、極めて大掛かりで大変な作業であるというのが私の実感です。
私も、社会心理学的な観点からの考察も必要と、大学の心理学の教授等とも情報交換をして、内部統制を考察しているところです。
失敗学的な内部統制の捉え方など、またぜひご教示願えれば幸いでございます。
投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2006年10月23日 (月) 12時18分
本日の日経朝刊の第二部が「内部統制とIT」に関する特集を組んでいますね。とくに「内部統制と開示」に関する興味深い話題になっています。これ、ぜひ議論してみたいところです。
投稿: toshi | 2006年10月23日 (月) 12時53分
JSOX対応のため引き起こされた内部統制のヒートアップに疑問を感じます。
一連の不祥事は経営者レベルの不正であり、内部統制はは経営者不正を封じるには少し弱いと思うからです。
投稿: 読者 | 2006年10月25日 (水) 11時25分
>読者さん
はじめまして。
マスコミでさかんに取り上げられ、また現実に上場企業で準備に着手されてきましたので、内部統制とJ-SOXの関係についてはきちんと整理する時期が来たと思います。
ただ、こういった盛り上がりの原因というのはどこにあるのか、ここのところを知っておくのも貴重だと思いますし、以前にも申し上げましたとおり、ここを検討するエントリを立てる予定にしております。
また、ご意見ください。
投稿: toshi | 2006年10月26日 (木) 11時44分