内部統制監査の「品質管理」
金融商品取引法上の内部統制評価報告制度に関する「公開草案」も公表され、いよいよ草案自体に対する議論も始まるものと思われます。第一法規出版社主催の「緊急内部統制セミナー」では東京、大阪、名古屋で内部統制部会のメンバーの方々が実施基準の解説をされる、ということでして、おそらく満員盛況のセミナーになるんでしょうね。(ちなみに、私も大阪会場分につきまして、早速申し込みましたが・・)
大きな枠組みで申しますと、この制度は金融商品取引法上の「流動性の高い事業型有価証券」に関する企業情報開示制度のひとつ(制度の柔構造化)という位置づけでありますので、金融商品取引法の制度趣旨との整合性を常に考えておく必要があると思います。あたりまえのことかもしれませんが、内部統制を有効と評価するための水準とか、内部統制監査における適正意見表明の最低水準という概念(線引き)をどう考えるのか、これはおそらく実施基準を一読しても明確な回答は出てこないはずです。そういった場合に、やはり法律の制度趣旨とか、金融商品取引法の企業情報開示制度の中に、内部統制評価報告制度を導入した経緯などを参照しながら検討していく作業は今後のステップとしては不可欠だと思います。
たとえば、内部統制評価に非常に厳格に対応する上場企業があったとします。この企業の経営者は、一般に公正妥当と認められる内部統制評価基準に従うと、自社の内部統制には不備があると認められ、その後の不備解消の努力もむなしく事業年度の最終日までその欠陥は補正できず、「内部統制は不備がある」と評価したとします。しかしながら、内部統制監査を担当する監査人は、会計基準にしたがえば有効と判断していい、と考えている、としましょう。この場合、内部統制監査を担当する監査人(監査法人もしくは公認会計士)は、経営者の評価は間違っている(つまり、この企業については、他社の内部統制評価と比較しても、一般に公正妥当と認められる内部統制評価基準によれば内部統制は有効である、と判断される)と意見表明する(つまり、経営者意見について不適正意見を述べる)ことは十分ありうることなのでしょうか?理屈のうえではありうると考えられるでしょうが、さて財務報告の信頼性を確保するための開示情報という観点からみますと、一方で企業が「信用性に問題あり」と述べて、もう一方では監査人が「信用性には問題なし」と述べているわけです。財務諸表監査の場合には、経営者が数字によって意見を表明し、これに監査人が「信用性あり、なし」と意見を出すわけですから、これは投資家の自己責任で判断する材料としては、わかりやすいですね。しかし、数字を出した企業自身が「信用性はない」と言いながら、監査人が「信用性あり」と意見を表明したとしますと、そもそも投資家は開示情報のどれを信用していいか混乱するだけであって、投資家の自己責任の根拠となる企業情報開示制度としては、おそらく不適切なものになってしまうのではないでしょうか。もし今後、証券取引所が、この内部統制評価報告制度の運用を「上場基準」に反映させることになるとしたら、上記のようなケースではどういった取扱をするのか、非常に興味のあるところです。(企業側が信用性に問題あり、といいながら監査人が問題なし、と意見表明した場合に、もし粉飾決算や不正経理問題が発覚しますと、監査人の責任問題はクローズアップされる可能性も高くなりそうですね)
普通に考えてみましても、内部統制監査をされる監査人の方の監査スキルというものは、どこまで信用性があるのでしょうか。これは経営者による内部統制評価報告書に監査証明をつける、というものですから、「開示情報の適正性」に関わる問題として無視できないところだと思います。ある監査人は「甘い」けどある監査人は「厳格である」といった事態が発生する可能性というものは、いくら会計基準の適用のプロとはいえ、これまでの長い歴史を持つ財務諸表監査の場合とは大きく異なるところではないでしょうか。そこで、内部統制監査における「品質管理」を誰が担保して、開示情報としての適正性を確保するのか、といった問題にぶつかるような気がします。たとえば実施基準には「監査人は内部統制監査を行うに当たっては、本基準のほか、監査基準の一般基準および監査に関する品質管理基準を遵守するものである」と記述されております。したがいまして、いわゆる監査基準における「品質管理基準」に監査人が従うことで内部統制監査の品質管理はなされている、とも言えそうです。しかしながら、会社法におきましては、会計監査人の内部統制を監査役が報告を受ける、といった制度が会社法規則において定められております。これは会計監査人への監査役の監督手続を経ることで、第三者に公表される計算書類の適正性が担保される、との考えに基づくものでありまして、事後チェックである品質管理制度だけでは公表数字の適正性は担保できないことを物語っているように思います。これと同様、金融商品取引法における企業情報開示に関する手続の適正を重視するならば、やはり評価報告書が開示されるまでの手続の中で、こういった監査人の内部統制監査のチェックというものも(理屈のうえでは)考えておかなければいけないのではないでしょうか。たとえば、監査役は、その内部統制監査を担当する監査人のスキルについて、監査法人の研修制度や、監査経験などからみて問題なし、と判断する必要がある、といった議論をどこかでしておく必要があるかもしれません。
この実施基準の公開草案を読んでおりますと、全社的内部統制評価と業務プロセス評価の関係とか、IT統制の基本的枠組みとか、内部統制監査とか、いたるところに会社法や金融商品取引法の制度趣旨、導入経緯との整合性から由来する疑問点が浮かび上がってくるようですね。
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コメント
11月23日付け日本経済新聞における記事をご覧になられたでしょうか?
内部統制システムの本場である米国ではSOX法の構築、運用システムが企業収益を圧迫していることが記事になっておりました。
当該記事は過大かつ過剰な法律による要求は健全な企業にも過大なシステム運用のコストを強いるという要旨でしたが、私も同様に思っておりました。
もちろん、エンロンやカネボウのような企業が今後出てこないことを目的に内部統制システムが注目を浴びているのでしょうが、健全な企業が過大なシステム運用に関して負担を強いられるという問題も同時に考えなければならないのではないでしょうか。
現在の内部統制の議論は、米国の制度の導入ありきで進められているようで、細かい問題(もちろん管理者様が細かい問題をつぶさに解決しようと腐心されていることは存知上げてますが)を考えていないように感じております。
穿った考えですが、本当に悪いことをやる企業は、内部統制システムなど無視して(若しくは内部統制を監査する者も含めて)悪いことをするわけですから、弁護士事務所や会計事務所だけが過大な収入を得るのみで、全く意味のない法律になってしまうのではないかと懸念しております。
当方、商法及び会社法は門外漢故、的違いの議論をしているかもしれませんが、内部統制システム及び監査の弊害及びコストに関する管理者様の見解を頂けたら幸いと思います。
投稿: 一院生 | 2006年11月24日 (金) 03時38分
toshi先生、はじめてコメントさせていただきます。
先日の日本監査役協会主催の「内部統制部会」に出席していた、ある金融機関の者です。
IBMの内部統制システムを拝聴して、感じましたことは、どんなに精緻な内部統制システムを構築したとしても、やはり経営者レベルの不正を免れることはできない、といった印象です。内部統制システムに不備があった場合に、責任を問われるのは経営者でしょうが、その経営者がそもそも内部統制関連以外のところで刑事民事の責任を問われるのですから、いったい内部統制を高い費用で構築することにどんな意味があるのでしょうか。私は一院生さんのご意見に賛同します。
やはりIBM本社による内部監査(これはたいへん参考になりました)のように、ガバナンスの問題として経営者不正に対処するのが本流であって、現在話題になっている内部統制がどれほどの効用を持つのか、私もtoshi先生のお考えを知りたいところであります。
支離滅裂な文章、ご容赦ください。
投稿: くれどおる | 2006年11月24日 (金) 11時09分
こんばんは。
今日のエントリーは難しいですね。
何度か読み返してみましたが、私にはどうもよく理解できません。
>たとえば、監査役は、その内部統制監査を担当する監査人のスキルについて、監査法人の研修制度や、監査経験などからみて問題なし、と判断する必要がある、といった議論をどこかでしておく必要があるかもしれません。
監査役は、結局、金商法上の内部統制監査について、最終的に責任を負う(より具体的には、内部統制監査の任にあたる外部監査人の監査の品質を保証する)ということになってしまうのでしょうか。
とすると、そんなことができる(そんなスキルやノウハウを保有する)監査役が世の中にどれほどいるのだろうか、監査役のなり手がいなくなってしまうのではないだろうか、ならば監査役にも資格制度を導入すべきではないか? という”諦念”に行き着いてしまうのではないかと思います。
現実的な議論ではないように思えてなりません。
投稿: 監査役サポーター | 2006年11月26日 (日) 23時15分
一院生さん、くれどおるさん、監査役サポーターさん、有難うございます。
一院生さんのご指摘の監査コストについては、私どもの企業グループでは、経常利益の3%に達しています。経常利益率を3%も押し下げるというのは、大変なコスト負担です。しかも、くれどおるさんの言われるように、現在の内部統制システムでは、社員の不正防止に少しは役立つと思いますが、粉飾防止には、ほとんど役に立ちません。なぜなら、粉飾には、トップの関与が不可欠でありますが、現在の内部統制システムは、トップの関与を防止する機能はきわめて弱いからです。
私は、内部統制監査の品質保証は、監査役が行うべきと考えています。監査役サポーターさんが言われるように、現在、そうしたスキルやノウハウを有する監査役は確かに少ないと思いますが、これから勉強すればいいのではないでしょうか。今出来ないから、将来も出来ないというのは、あまりにも、人間の成長力を過小評価しているように感じます。私は、監査役の役割がどうすれば高まり、ひいては社会的な評価を向上させることが出来るのか、ということを真剣に考えていますが、監査役サポーターさんのご意見は、私から見れば、三流監査役のサポーターであって、本当の監査役の地位向上をお考えになっていないのではないかと危惧します。一流監査役を輩出するにはどうすればいいのか、監査役サポーターさんの素晴らしい頭脳で我々を導いていただけませんでしょうか。なにとぞ宜しくお願いいたします。
投稿: 酔狂 | 2006年11月27日 (月) 08時36分
酔狂さんのご意見は、鋭い一面をご指摘されていると思うのです。
日本の監査役制度は、監査役が取締役の業務執行をチェックすることであり、監査役がその任務を果たしていれば、多くの企業不祥事や問題の発生は基本的には防げるケースが多いと私は思うのです。監査役は、取締役とは独立した機関であり、上場会社は監査役会設置会社であることから半数以上は社外監査役となる。
監査役が存在しない米国の制度を、そのまま適用するよりも、米国制度の良い点は活かし、同時に日本制度の良い点も活かすと言う方向でないと、無駄な費用が生じるが効果は薄いになりかねないと思うのです。
内部統制報告書は、文書として作成する報告書であるから、当然その意義は高いものと認めますが、これに関連して企業が支出する費用を多少押さえても監査役報酬を高くして監査役により一層の働きをしていただく方が、効果があるような気がするのです。例えば、社外取締役も含め全員常勤で監査願う。外部のコンサルタントや弁護士、会計士への相談や委託費用も監査役に支出いただいてより高度な監査を実施願う。
最後に思ったのは、もし高い監査報酬であるが、代表訴訟の免責額も2年間の対価ではなく10年間でOKですなんて監査役立候補者があらわれたらどうなるのだろうと。
投稿: 売れない経営コンサルタント | 2006年11月27日 (月) 12時10分
一言、訂正です。
私のコメントの3行目、「経常利益率を3%押し下げ」というのは、「経常利益を3%押し下げ」の誤りです。大変、失礼いたしました。
投稿: 酔狂 | 2006年11月27日 (月) 12時17分
コメントを頂戴しました皆様方、
管理人不在の状態が続いておりまして、誠に申し訳ございません。ちょっとエントリー、コメントとも更新できないほど週末から忙しい状況になっておりまして、今夜あたりには、また正常どおりに更新可能となりそうですんで、もうしばらくお待ちください。
ただ、一点のみ「一院生さん」からのご質問にお答えいたします。
内部統制に関する法制度がまったく意味のないものになってしまうのではないか、とのご指摘であります。運用次第では一院生さんのご懸念は当るかもしれません。しかしながら、私が講演などでも、この点強く指摘させていただいているのは、内部統制を語らなければいけない社会的背景であります。ときどき、私のブログではこういった背景事情に焦点を当ててみたりもするのですが、一度まとめてエントリーしたいと思っております。私は社会的背景は今後も内部統制の議論を必要としている方向に向かいつつあると考えています。したがいまして、運用さえ誤らなければ、今後もガバナンスや開示制度と併せ、コンプライアンスや企業活動の効率化に十分資する制度として普及すると考えております。
(すいません、もうすこし書こうと思いましたが、また1時からの業務に復帰する時間となりましたので、このへんで・・・)
投稿: toshi | 2006年11月27日 (月) 12時55分
こんばんは。
一院生さんやくれどおるさんのコメントを拝見いたしますと、やはり、「内部統制(internal control)」と「コーポレート・ガバナンス」を区別して議論する必要性を感じます。
以下、整理のため、幾分議論を単純化します:
「内部統制」は経営者が(自分の見えない部分の)社内の不正を防止するための仕組み、「コーポレート・ガバナンス」は経営者自身の不正を防止する仕組みです。
①金商法の「財務報告に係る内部統制」はあくまでもは「内部統制」ですから、経営者自身の不正を防止することに重きは置かれておりません。だからこそ、限界が論じられる訳ですし、経営者自身による評価が意味を持つのではないでしょうか。
②他方、会社法の「内部統制」は、①の要素もあるものの、実のところ「コーポレート・ガバナンス」の要素が大きい。だからこそ、監査役の監査環境・体制が構成要素に含まれたり、監査役の評価(監査)が制度化されていたりするのではないでしょうか。(因みに、この部分に、会計監査人の監査環境・体制が構成要素として何故出てこないのかを考えてみると面白いと思います。)
つまり、経営者の不正を防止する機能を発揮するのは、会社法(旧商法も同様)であり、そこでのメインプレイヤーは監査役である、というのがわが国の法の建前なのではないかと思う訳です。
以上はあくまでも「法の建前」です。ここからが厄介なんですが、現実はその建前どおりではない訳です。会社法(旧商法)は、監査役に強力な武器を数々与えていますが、それが使われる例は殆ど聞かれません。そればかりか、その武器を使わなかったが故に(厳密には、期待可能性や因果関係が問題となり得ましょうが、取敢えず割愛します)起きてしまった不正・不祥事に対し、法的にも社会的にも監査役が非難・問責されるという例も殆どありません。
監査役制度100年、現制度の原型からでも30年。この30年間の商法改正の歴史を監査役制度を軸にして眺めますと、企業不祥事防止への思いの歴史と言える訳です。
にも拘わらず、こういう事実が厳然とある訳です。
私が「現実論を」というときの発想の一端は以上のようなものです。
私は、法の建前と現実の狭間で悩み、苦闘している監査役さんに共感を覚えますし、その中でご自分の置かれた状況を踏まえ精一杯の努力を日々積み重ねて地に足の着いた活動をしていらっしゃる監査役さんを心から尊敬します。しかし、監査役を「一流」とか「三流」とかにランク付けすることも、その「地位向上」にも全く興味はありません。
投稿: 監査役サポーター | 2006年11月28日 (火) 01時04分
ご意見ありがとうございます。
監査役制度に対する思いや、内部統制制度(あえてここではそう呼ばせてもらいます)への理解など、皆様方で若干温度差があるようですし、これも当然のことと心得ております。
ただ、管理人としての若干のコメントをさせていただきます。
まず、金商法上の内部統制評価報告制度につきましては、やはり経営者不正に関しましても、かなり大きな目的となっているものと思います。評価結果の公表自体を経営者が行うものですし、そこに統制環境や全社的内部統制を評価したうえでの監査人監査証明が付されるわけですから、経営者の不正に及ぶ可能性なども検討されるものと思われます。
また、現実論としましては、金商法の例をあげるまでもなく、会社法上でも監査法人の内部統制に関する報告を監査役は受けることになっています。果たして、監査役が会計監査人(監査法人)の内部統制システムが有効かどうか、どうやってその報告内容から判断するのでしょうか?たしかに現実にはムズカシイ問題でしょうが、これも内部統制監査の品質管理と同様、どこかで監査役が思い悩む必要があるかと思いますし、同様の論点が金商法上に現れましても、それほど違和感のあるものではない、と私は考えております。
監査役レポーターさん曰く
>とすると、そんなことができる(そんなスキルやノウハウを保有する)監査役が世の中にどれほどいるのだろうか、監査役のなり手がいなくなってしまうのではないだろうか、ならば監査役にも資格制度を導入すべきではないか? という”諦念”に行き着いてしまうのではないかと思います。
資格制度とまではいえませんが、現実に自民党の商法部会の提言では、社外監査役は会計的知見を有するものでなければならない、とされていたわけですし、これも現実化する可能性はあろうかと思います。(私はこのブログで反対意見を述べておりますが)スキルやノウハウにつきましては、現在「監査役スタッフ制度」の養成もなされておりますし、また監査役独自での専門家委託というのも、会社法における内部統制の基本方針の一貫として規定された企業も多いと思われます。私自身のスタンスとしましては、監査役制度も、現実論に立脚した議論も必要でありますが、やはり「こうあるべき」といった議論が「実現困難な理想」ではないかぎりは価値あるものと思います。
投稿: toshi | 2006年11月28日 (火) 03時09分
おはようございます。
昨晩の私の書込みは、またまた支離滅裂でしたね。そして幾分ムキになっている風でもあり、お恥ずかしい限りです。深夜のこと故、何卒ご容赦を。
ところで、先生に一つご教示賜りたいのですが・・・。
>会計的知見を有するものでなければならない
についてですが、先生ご指摘の文脈とは違いますが、会社法施行規則により、今期事業報告から、社内・社外を問わず、監査役についてこれにつき要開示(記載)とされております。立案担当者の解説では、「必ずしも会計士・税理士といった公的資格保有に限らず、企業において長年経理関係業務に携わってきたという事実をもって知見あり、としてもよい。」などとされています(現にその線に沿った実例が出現し始めております)。
前々から非常に不思議だったのですが、施行規則には、何故「財務・会計の知見」だけが採用され、「法務(法令)の知見」が採用されていないのでしょうか。「業務監査」「会計監査」をそのコア職務とする監査役としては、「法令の知見」は「財務・会計の知見」と並んで必要スキルではないかと思います。更には、新会社法においては、会計監査については、旧商法以上にその「二次性」「間接性」が明確化されております(会計監査人の職務執行の監視に重きが置かれたため。会計監査人設置会社の場合)ので、むしろ「法令の知見」の方が重要なのではないかとも思われます。また、統計的に言いますと、社内監査役で法務のバックグラウンドを有する人は非常に少数なのですが(片や、財務・会計のバックグラウンドを有する人は非常に多い)、社外監査役は先生のように法律専門家は結構多数いらっしゃいます(少なくとも会計士・税理士より多い)。
この点を解説したものが見当たらないのですが、とても不思議なのです。かんぐり過ぎかもしれませんが、何かしら深い意図があるような気がしてならないのですが。
あ、それから、「『監査役スタッフ制度』の養成」って、何でしょうか?
投稿: 監査役サポーター | 2006年11月28日 (火) 07時08分
過去30年間、企業不祥事防止のために監査役制度を強化するという法律改正が続いてきましたが、ただ一点にだけ目をつぶってきたものがあり、その点が明確に改正されなければ監査役制度の改正には実効性がでてきません。誰も表立っていわないのですが、監査役の人事権を社長が放棄し、監査役の指名権を完全に監査役会に任せる、ということです。委員会設置会社では、指名委員会に権限がありますので、監査役会設置会社でもできないことはない筈です。目をつぶってきた、この一点が解決されるだけで、監査役制度は本当に実効性のあるものとなるでしょう。誰もが認識を共有していながら誰も口をつぐんだままですので、それを承知の上で、あえてコメントしておきます。
投稿: unknown | 2006年11月28日 (火) 07時55分
「監査役の指名権を完全に監査役会に任せる。」とは、「監査役の選任に関わる議案は、監査役会が提出する。」との提案だと思いますが、極めて興味ある提案と思います。(日本の監査役制度を意味ある制度、有効な制度にする。)
社外監査役は会計・法律の専門性の為の制度ではなく、取締役とは独立して株主の立場から監査を行うという主旨で設けられたと考えます。しかし、現実には、社外取締役と同様に取引先(例えば、メインバンク)の方に非常勤で就任していただくと様なケースが見受けられる。時には、取締役会は社長決定を形式的に承認する機関となってしまっている場合もある。
一方で、様々な問題を企業は抱えており、自分が動いて問題を掘り起こしてしまったら、この会社は大変なことになると悩んでおられる監査役さんもおられることと思います。こんな場合、核心問題でなくとも、指摘すれば任期満了でお別れとなってしまう。
投稿: 売れない経営コンサルタント | 2006年11月28日 (火) 11時37分
>監査役サポーターさん
いえいえ、監査役サポーターさんのコメントの面白いところは、切れ味の鋭さにあると思いますので、今後とも(その矛先が私に向いている分には、たいへん勉強になると思っておりますので)よろしくお願いいたします。深夜に書かれる点は私も同じでして、「監査役レポーターさん」などと書いているのは失笑モノですね(笑)
監査役スタップ養成といいますのは、日本監査役協会における補助職養成のためのワーキングを指しております。かなりたくさんの企業が参加されているようです。
監査役がそもそも「違法性監査」を旨とする以上、「法律的素養」といったものは先験的に要求されているのかもしれません。そこに「弁護士」といった法律専門職のイメージがちらついたりもするのですが、そうではなくて、社内で総務や法務の経験を有するとか、そういったレベルものもでもいい、というイメージが正しいのかもしれません。したがいまして、「財務会計的知見」というところも、社内経理部の経験者というのもオッケーということになるのかもしれませんね。
ところで、私は弁護士でありながら、監査役サポーターさんご指摘の「深い意図」のところに少しだけ足を突っ込んでいる者ですので、そのあたりの詳しい事情についてはここではご勘弁ください。
>unkounさん、経営コンサルタントさん
ご意見どうもありがとうございます。
監査役の選任議案を取締役が総会に上程する場合には、他の監査役の同意が必要となりますので、いちおう制度のうえでは人事権にシバリがかけられているといえそうです。また、株主からの選任といった使命を比較的忠実に監査業務に反映させる「社外監査役」という制度もあります。ただし、実体としましては、おっしゃるとおり代表者によるワンマン的な指名によって決まるところが多いわけですし、それゆえに監査が形骸化する原因ともいえます。ただどうでしょうか、こういった実体からみて、もし完全に監査役が人事権を掌握したとしましても、やはり監査役ご自身の職務への意識が向上しないかぎりは、社長による実質的指名、といった風潮は変わらないのではないでしょうか。私はいまある制度をどのように監査役という職務に就いている方々が、有効に利用すべきか、まずそちらを検討するほうが、本当の意味での「企業不祥事防止」への抑止的効果を得られると思っておりますが。甘いでしょうかね?
また、ご意見お待ちしております。
投稿: toshi | 2006年11月30日 (木) 02時50分
>toshiさん
多分甘いと思います。監査役をやっている友人が少なからずいますが、その全てが社長の意向により任命されており、自分の将来のことも社長次第だと言っています。任期4年をまっとうできないかもしれないと本気で心配している監査役もいます。企業不祥事防止のために監査役制度を改正し続けてきたわけですが、一向に実効性があがらないのは、人事権が社長に残されたままだからです。「君はよく頑張ってやってきてくれたから、後は監査役とすることにより、その労に報いてやりたい」、あるいはこんなことも「君は常勤監査役としてよくやってくれた。次の総会で取締役に選任し、常務にしようと思っている。現場復帰だ。活躍を期待している。」社長の言葉です。
わが身が危ないので、今回もハンドル名は書きません。
投稿: unknown | 2006年11月30日 (木) 07時25分
toshiさん、unknownさん、有難うございます。
「いまある制度をどのように監査役という職務に就いている方々が、有効に利用すべきか、まずそちらを検討するほうが、本当の意味での「企業不祥事防止」への抑止的効果を得られる」と言われるtoshiさんのご意見に全面的に賛成です。
unknownさんは、「企業不祥事防止のために監査役制度を改正し続けてきたわけですが、一向に実効性があがらないのは、人事権が社長に残されたままだからです」といわれます。確かにそうした側面も否定は出来ません。しかし、果たして原因はそれだけでしょうか。私は、実効性が上がらないのは、すべての監査役が自らの職責を全うするために十分な努力をしていないのではないか、という点に原因があるように感じます。自らに原因を求め、反省することなく、他に原因を求め、責任転嫁をするという考え方には、私は、賛同できません。
unknownさんのお考えで少し気になるのは、監査役のご友人が自分の処遇に対する不安から、現在の仕事を手加減されているような印象があり、それを認めておられることです。人生観の相違といえばそれまでですが、私は、再任されなくても、年金があるわけですから、その範囲で生活すれば、生活が出来ないということはありません。とすれば、将来がどうなろうと、現在の監査役の仕事に全力投球するほうが、監査役の実効性を高めることが出来、自分も充実した人生を送れるのではないかと思います。
監査役の職責は、監査役監査基準で「企業の健全で持続的な成長を確保し、社会的信頼に応える良質な企業統治体制を確立する」と定められています。改定前の旧基準では、監査役の職責は、健全性の確保に重点が置かれていましたので、職責のハードルは非常に高くなっています。この職責を全うするには、どうすればいいのか、私は真剣に考えて、実践に努めています。toshiさんの「監査役ご自身の職務への意識が向上しないかぎり」何も変わらないのではないかとのご指摘に、深く賛同する所以です。
投稿: 酔狂 | 2006年11月30日 (木) 08時18分
酔狂さんのご意見は全くの正論で、正論には反論が難しいのですが。「一隅を照らす」人たちが多くなれば、監査役・監査役会の機能は大変有効に発揮できるようになるでしょう。しかし、現実的に経営トップと監査役の意見が対立した場合、その結果はどうなるのでしょうか。取締役・取締役会には人事権がありますが、監査役には人事権はありません。会社組織内での対立の結果は人事権の行使で終わるのが常です。監査役には、訴訟や監査報告書への意見の記載という権限がありますが、これらの権限の行使は非現実的です。であるからこそ、監査役制度の強化をいくらやっても実効性はあがらず、また今後もあまり期待はできないと思っております。酔狂さんのような立派な監査役が日本に満ち溢れるようになれば、そのときは監査役会制度は機能するようになるでしょうし、職業としての独立取締役の任務を果たす人材にも不自由しなくなる時代となるでしょう。そうすれば、経営のモニタリング機能も国際水準となりましょう。果たして、そこに至るまでどれくらいの時間がかかるのか。
投稿: unknown | 2006年11月30日 (木) 09時01分
コメント欄を汚して申し訳ございません。
unknownさんが、述べておられることは、貴重なのだと思ったのです。法や制度がこうなっているから問題なしとすることへの警告・反省を与えて頂いているのだと思いました。法や制度は完璧ではないと思います。常に問題点を抽出しつつ改善していく努力が必要なのだと思います。
投稿: 売れない経営コンサルタント | 2006年11月30日 (木) 11時24分
unknownさん、貴重なコメント、有難うございます。
私は、自分の体験でしか語れませんが、ご指摘の「現実的に経営トップと監査役の意見が対立した場合」という経験が私には、全くありません。会社のことですから、多くの波風が立ちますが、その中で、意見の不一致がなかったのは、少なくとも私は、トップを信頼しているからだと思います。当然、最初の段階で意見の不一致はありますが、話し合っていくうちに、不一致が氷解していくというのがこれまでのパターンでした。
監査役の職責について前に触れましたが、旧基準では、健全性の確保に重点が置かれていましたので、トップとの関係は、対立関係だったと思います。しかし、新基準では、比較にならぬくらいの高度な職責が課せられており、それを実践するには、トップと信頼関係を築き、協働しないと、とても職責を全うすることは出来ません。私は、もともと対立意識は余りありませんでしたが、新基準の下で、信頼関係をベースにすべきだと考えが固まってからは、非常にすっきりとした思いで仕事に取り組むことが出来るようになりました。
同じ制度であっても、私と、UNKNOWNさんのご友人とでは、ずいぶんと隔たりがあるように感じますが(といっても、私が十分に出来ているといっているわけでは決してありません)、その理由は、toshiさんの言われる「監査役の職務への意識」の相違にあるのではないかと思います。繰り返すことになりますが、他に責任転嫁をする前に、まず自らを振り返ることが大切ではないかと思います。
投稿: 酔狂 | 2006年11月30日 (木) 16時41分
unknownさん、酔狂さん、経営コンサルタントさん、ご意見ありがとうございます。
せっかく、「監査役の職務への意識」といった大きな(しかも簡単に結論が出ない)問題が提起されたのですから、エントリーのなかで具体的な事例を(私の職務上の守秘義務に反しない範囲で)ご紹介して、私の意見を述べたいと思います。
私の知り合いの社外監査役の方から、相談を受けている事例です。「先生だったらどうしますか」ということで、私も非常に悩んでいる事例です。また、皆様方のご意見なども頂戴できましたら、と思います。
投稿: toshi | 2006年12月 2日 (土) 02時13分