(12月29日午後 内容を若干修正、追加しました)
「財務報告の信頼性に係る内部統制報告制度実施基準」の公開草案につきまして、各団体より、意見書が提出されているようでして、「意見書の内容について先生のご意見をお聞かせください」といったご要望がいくつかございました。そもそも意見書への対応は金融庁が行うものでありますので、私なんぞが意見書への賛否を申し上げることはたいへん畏れ多いのですが、ちょっと「年末年始スペシャル」といたしまして、日本監査役協会さんや、その他の著名団体さんのお出しになった意見書の内容について考えてみることも、私自身の考えの整理に有益と思い、採り上げてみることといたしました。(内部統制モノは、どちらかといいますと、普段の業務に関連するところでありますが、普段は具体的な対策を検討することが多いわけでありまして、あまり理論を詰めて考えることもありませんが、ともかく今回はいろいろと理屈について考えてみたいと思います)とりあえず、最初は日本監査役協会さんの意見書(PDF形式)についてであります。(実は日本監査役協会さんからは12月27日に「内部統制に関する社長アンケート結果」(PDF形式)も公表されておりまして、こちらもたいへんおもしろいですよ。)
A4で4ページの比較的短めの意見書でありますが、中身はいつもの日本監査役協会さんの意見書と同様、委員の方々が「あれこれ」と議論をされて、十分推敲されて提出されたものであろうと推測されます。金融庁内部統制実施基準への総括的な意見内容としましては、その3ページ下のほうに記載されておりますように、「監査役又は監査委員会はモニタリングを行う立場にないばかりか、監査役又は監査委員会が内部統制に関して及ぼしている影響等について、監査人から「考慮」される立場にもありません」というところに集約されているかと思われます。要はこの内部統制報告制度の実施基準は、内部統制に関係を有する各会社機関等の役割と責任について、経営者にやや力点を置きすぎているといった批判が妥当するのではないか、というものであります。以前、「酔狂さん」のご質問にお答えする形で、監査役と内部統制監査への相当性判断の可否についていろいろと検討いたしましたが、会社法上の権限分配の理論と内部統制制度との関連性という論点につきましても、以前からけっこう難問だなぁと私も感じておりました。私はこの日本監査役協会さんの意見書を読みまして、監査役さんと金融庁内部統制ルールとの接点として、以下のようなアプローチがあるのではないか、と考えております。本日はその視点だけを適示するにとどめておきます。(以下はあくまでも、私自身の個人的見解であります)なお、日本監査役協会さんの意見書の内容は、監査役監査基準の条文(現在公開草案が出されているものも含めて)との整合性にも留意して検討する必要があろうかと思われますので、本格的に検討したい方には、そちらもきちんと把握されることをお勧めいたします。
1 会計基準の「法規性」と監査役の違法性監査
会計基準というものが、果たして「法」としての強制力をもちうるのかどうか、という論点につきましては、以前からこのブログでも何度か続きモノで検討してきましたが、このたびの内部統制報告制度におきましても、この実施基準というものは「一般に公正妥当と認められる会計の基準」に該当するわけですから、他の会計基準と同様のレベルで「法規範」性を有するものかどうか、そのあたりを議論する必要があるのではないでしょうか。法規範性を有するものであるならば、経営者による評価基準や内部統制監査人による監査基準の適用につきまして、監査役による監査対象に含まれるでしょうし、たとえ違法性監査の内容に含まれないとしましても、その基準の適用が著しく基準の趣旨と異なる場合にはやはり監査の範囲に含まれてくるのではないか、と思われます。(このあたりは会社法監査の場合は「監査役の会計監査」の範囲内の問題でしょうが、証券取引法上の監査については別途検討されるべき問題だと思います)こういった監査役の監査の範囲と会計基準の法規範性の関係については検討されたのかどうか、というところがまず気になります。(なお、会計基準の法規範性の論点につきましては、江頭先生の「株式会社法」560ページ以下が詳しくて参考になります)
2 COSOフレームの位置づけ
監査役の「内部統制に関する独立的評価」というものが、全社的内部統制の評価要素のひとつとなることは理解できても、その監査役の内部統制に関する独立的評価そのものが、モニタリングの担い手と評価されることについて、疑問が呈されています。ここで検討すべきなのは、内部統制報告制度の実施基準におきまして、COSOフレームはいかなる役割を与えてくれているのか、ということであります。「監査人がモニタリングの担い手として位置づけられている」との表現からしますと、COSOフレーム自体を目に見える形でイメージされているのではないでしょうか。そもそも私の理解では、COSOフレームは経営者評価のための概念であって、あくまでも「モノサシ」にすぎないというものであります(COSOフレームとコーポレート・ガバナンスのあり方とは無関係であります)。したがいまして、もし経営者や監査人が監査役の内部統制評価へのかかわり方を「考慮」したとしましても、その後COSOフレームの構成要素を「いじる」、つまり監査役の独立的評価方法に経営者が変更を加えるような作業ができるかどうか、といったこととは別問題だと思います。つまり「いじる」ことが可能なのは、監査役(監査委員会)自身であるわけですから、監査役による内部統制の独立的評価とCOSOフレームを構成要素とした経営者評価、監査人監査とは会社法等の既存の法制度(つまり監査役の権限の問題)とは矛盾しないものと思うのですが、このあたりはいかがでしょうか。私自身は、監査役が独自の観点から「内部統制」を監査したり、その権限と職責をまっとうしている姿を、投資家保護という目的のために「モニタリング」という構成要素を通じて援用するにすぎないのであって、監査役の権限、職責を制限したり、そのあり方を変容させたりすることを意味するものではないと解しております。
そもそも、この会社法上の監査役の権限と責任の問題をここで取り上げるのであれば、金融商品取引法上の内部統制報告制度とコーポレート・ガバナンスの関係についても議論する必要があると思います。投資家保護のための企業情報開示制度の一貫である内部統制報告制度は、これまで会社法上のコーポレート・ガバナンスの議論とどういった関係に立つのでしょうか?企業の内部管理体制自体を株主に開示するものであればガバナンスの議論とは関係が深くなると思いますが、そもそも私は「経営者確認書制度」と同様、内部統制報告制度はあくまでも財務情報の信頼性担保のための制度と解釈しておりますので、コーポレート・ガバナンスの議論とはあまり関係がないと考えております。そもそもネーミングを「内部統制評価報告制度」と称すべきだと思っておりますが、ここでの議論におきましては、あまり会社法上の監査役の権限や責任との関係を重視する必要はないように思うのですが。たしかに、「モニタリング」の担い手として、取締役会や監査役(監査委員会)の監視機能が経営者評価の対象となる、ということは、経営者と監査役、取締役会との「上下関係」を連想させるものであることは否めないところですし、ここに監査役協会さんが異議を述べるのも「もっとも」のように思えます。しかしながら全上場企業への一斉適用を前提として、かつ、経営者不正防止を最大の目的とする制度設計を施し、そしてダイレクトレポーティングを採用しない監査制度を前提とした「内部統制報告制度」である以上は、実務的に内部統制監査人と、内部監査人、監査役、取締役会との情報共有を促進して、監査の実効性を高めるためには「やむをえないもの」として工夫されたところではないかのかなぁと。(ホンネのところでいえば)ただ、私はCOSOフレームの捉え方や、内部統制報告制度とコーポレート・ガバナンスの関係などからみて、かろうじて論理破綻は解消できるのではないかとみております。
3 会社法施行規則との関係は?
上場企業の場合を念頭に置きますが、会社法上の内部統制システムの構築(業務の適正を確保するための体制構築)にあたりましては、取締役会は監査役の職務の実効性を確保するための体制整備についても、会社法施行規則のなかで規定しております。(規則100条3項)一般に内部統制システムの整備と申しますのは、そのなかには、監査役の職務の実効性を確保するための環境整備もありますし、そういった体制がうまく運用されるような仕組みや運用状況を検証する仕組みも「システム構築」のなかに含まれるものと思われます。そのあたりも取締役会の専決事項でありますが、それは監査役の内部統制に関する独立的評価と矛盾しないのでしょうか、しないとすれば、金融商品取引法上の内部統制ルールとどこが違うのでしょうか、そのあたりも興味深いところでありますし、議論の整理が必要なところではないか、と考えております。
つい先日、監査役協会より監査基準の改訂(公開草案)がリリースされておりまして、そのなかに「監査役による内部統制監査指針」なるものの存在が明らかにされております。その監査指針というものの詳細はまだリリースされておりませんので、おそらくこのあたりの整理と、今後の内部統制実施基準の確定をまってリリースされるのではないか、と思われます(つづく)