富山の冤罪事件と刑事司法制度
(1月24日 追記あります)(1月26日 追記あります)
およそ「ビジネス法務」を語る本ブログの話題とはかけ離れてしまいますが、この話題だけは法曹の一人として見逃すことができない悲しい事件であります。1月20日のニュースでもご承知のとおり、無実だった39才の男性が強姦および強姦未遂で有罪となり、3年の服役(2年1月で仮出獄)を終えた後に真犯人が逮捕された、というものであります。県警は謝罪をすべく、その男性を探しているのでありますが、いまだ所在不明とのこと。服役中にこの男性の父親は亡くなり、あまりにも悲しすぎる事件であります。なお、この事件の詳細につきましては、富山朝日ニュースの報道が参考になります。
逮捕直前までは否認していたものの、容疑を認めたために、その後の客観的証拠との整合性を軽視したあげくの実刑確定という経過には、疑問を禁じえません。私が第一に申し上げたいことは、捜査機関というのは、なにも富山県警、富山地検だけでなく、どこもだいたい「同じようなもの」だということであります。この事件が30年ほど前の出来事であれば皆様も納得されるかもしれませんが、これは2001年の出来事であります。最近は「それでも僕はやっていない」の映画のような「痴漢冤罪」が話題となっているようですが、現実に誰でも逮捕勾留されるリスクがあるだけでなく、ひとつまちがえますと「有罪」まで確定して一生「犯罪者」扱いをされてしまうリスクすらかかえている、ということであります。この捜査機関の行動については、もちろん非難されるべき点がたくさんあることは承知しておりますが、これが「現実の姿」であることを以前より当然であると認識している者としましては、とりたてて憤慨するところのものではございません。
むしろ、こういった冤罪事件を引き起こしてしまった「刑事司法制度」の現実に関する衝撃があります。どうして弁護人はこのように客観的な証拠のない事件で「被告人の無罪」を疑わなかったのだろうか、どうして強姦被害者は、「この人ではない」とはっきりと申し出ることができなかったのだろうか、どうして刑事裁判官は、検察官の証拠と被告人の証言との矛盾について、職権で調査しなかったのだろうか(もしくは弁護人にその旨、促さなかったのだろうか)、こういった点を皆様はどうお考えになるでしょうか?もし、皆様がこういった経緯で起訴されてしまった事件で「裁判員」に選ばれたとしたら、そして本件のように、あとで真犯人が逮捕されて、自分が有罪と判定した人が、まったく普通の生活者であって、その人の幸福な人生を奪ってしまったとすれば、どうお考えになるでしょうか?「それは、気が弱くて反抗できなかった被告人の態度にも問題があるし、また捜査機関が悪いから自分は関係ない」ということでは済まされないものと私は思います。捜査機関の行動というものがこういった誤認を「ある程度の確率で含んでいるのが当然」である以上、まちがっても「無実の人を有罪にしない」「被害者のために、真犯人を有罪にする」ことを使命としなければならないのは、まさに刑事司法に携わる者すべての責任であります。たいへん不謹慎な物言いで、恐縮ではございますが、裁判員制度が始まるまでの間におきまして、ぜひこの事件の顛末を詳細に調査していただき、出版化、映画化していただけたら・・・と切に期待しております。
以上は純粋な私の心情を吐露したところでありますが、しかしながら現実の刑事司法裁判というものはたいへん奥深いものであります。邪推にすぎないのでありますが、こういったことも考えられるかもしれません。(これは私の過去の経験に基づく邪推であります)被告人は当初否認をしていた、ということでありますが、捜査機関の威嚇によって意に反して犯行を認めてしまった。自白調書もとられてしまい、あいまいながら強姦被害者の供述調書との整合性もある程度、固められてしまった。国選弁護人はこの被告人が真犯人ではないと疑うようになり、被告人へ公判での無罪主張を勧めるようになった。しかしながら、被告人は弁護人に質問をした。「ここで否認に転じて、有罪になる可能性はどのくらいありますか?もし否認したまま有罪になったら、態度が悪いとして情状が悪くなりますか?このまま認めて、公判でも素直に謝罪したらどのくらい服役すればいいですか?実は父親がもう、長くないので、なんとか父親の最後の面倒だけはみてやりたいのです。」
弁護人として、「いや、あなたがやっていないのであれば、最高裁まで争ってでも無罪を勝ち取ろう」と言うのは簡単であります。しかし皆様が、もし弁護人だとして、先のような質問を投げかけられて、正論を堂々と言えるでしょうか?弁護士は、ときに他人の人生を背負う岐路に立たされることがあります。先の富山朝日ニュースを読んでいて、ふと、そんな状況が思い浮かんだのであります。公判前整理手続きなども始まり、裁判員制度の導入に向けて「刑事司法制度」が市民にわかりやすくなることはたいへん良いことだとは思いますが、その「わかりやすくなる」裏側には、こういった刑事裁判当事者の「人生をかけた思い」が、いたるところに眠っている可能性があることを、裁判員になられる方々へ知っていただきたいと切に願っております。
(1月24日追記)
昨日の報道によると、この男性がみつかり、1時間にわたって検察がこれまでの報告をして、謝罪したとのことであります。
(1月26日追記)
本日の報道によりますと、法務大臣がこの富山冤罪事件について正式に謝罪をした、とのことであります。皆様がたのコメントにもありましたように、「ちっぽけな新聞記事であってはならない」との感覚は正しかったようですね。法務大臣が正式に謝罪するのが当然であるほど、この件は刑事司法にとって大きな汚点だと思っています。ただ、法務大臣による謝罪ではすまないもの、つまり(裁判所も含めて)刑事司法全体がこの男性に、なんらかの意思を表示すべき問題(それが「遺憾」という言葉であってもいいかもしれません)だと、私自身は考えています。
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コメント
とても悲しい事件です。
失敗は、必ず起こります。でも、警察、検察などの権力者はそれを最少にする努力を常すべきであると共に、失敗した時の責任の取り方が不十分と考えられています。特に、失敗を第三者の出来事の様な表現は、人を馬鹿にしているように聞こえます。記事で、
当時の取り調べについて、小林勉刑事部長は「威迫などはしていない。取り調べ方法は適切だったが、裏付け捜査が不十分で欠陥があったと言わざるを得ない」と話した。
ではなく、心から申し訳ないと思うなら、
「不適切な取り調べでありました。裏づけ捜査も不十分で、欠陥がありました。容疑を掛けただけでも、大変な事であり、その上、冤罪を掛けるというご迷惑をかけた方の事を考えると、捜査関係者一同、社会的にどのような叱責を受ける覚悟はしています。」
位のコメントを出し、そのような行動を取り、マスコミも、そのあたりまで突っ込んだ報道をして欲しいです。
投稿: 濡れ衣と戦った会社員 | 2007年1月22日 (月) 12時44分
おひさりぶりです。
いつも山口先生のブログは拝見しているのですが、なかなか書き込みができずに失礼しております。
後半部分の推論については、なるほどと感心をいたしました。富山の事件の報道を読みましたが、弁護人の先生はどこまで被告人のために時間を割いて弁護されたのか?やはり都会あたりとちがって、地方では国選弁護が本当にたいへんな仕事と聞いておりますから、やむをえないところもあったのではないでしょうか。
被害者救済への気持ちが強くなればなるほど、検察も警察も、ホシを挙げることに執着します。あまり偏見はもっていませんが、山口先生の言われるとおり、現代でもなお「客観的証拠が存在しないか、あるいは矛盾のある事件」が平気で起訴されていますよね。裁判員制度が導入されるとなると、こういった捜査の違法をどうやって被告人の判決に結びつければいいのか、考えてみるとかなり重要な課題を抱えているような気もします。
投稿: mocomoco | 2007年1月22日 (月) 17時32分
初めて書き込みします。
どうもマスコミの報道のやり方というのに(今更ですが)疑問を禁じえません。
この事件でもそうですが、記事の取り上げ方が、その問題の大きさの割には小さいんではないかと思います(何ヶ月か前にも同じような冤罪事件の記事がありましたが、それもそんなに大々的に取り上げられていなかったと思います)。
例えば企業不祥事については(最近の不二家の事件等)大きく取り上げられやすいですが、しかし不二家の事件では今のところ命に関わるような事故は起こっていないはずです(12年前の食中毒事件は別として。これからの調査でとんでもない事故が暴露されるかもしれませんが)。
しかしこういう冤罪事件が発生すれば、逮捕された被告は社会的に抹殺されるでしょう。仮に無罪が証明されたとしても、一度性犯罪の容疑がかかった人間がそうそう社会復帰できるものでしょうか?
こういう明らかに不適切な捜査について、マスコミはもっと追求すればいいのにと思ってしまいます(国民の関心も高いと思いますし)。
投稿: m.n | 2007年1月22日 (月) 21時06分
以前同行していた友人が19時頃交通事故に遭いました。救急車に付き添い入院させてから、警察に行き事情説明を行ったのですが、警官の作成した調書をそのまま認めないと留置場に泊まってもらうと言われ、反論したところ、大きな声とスポットライトによって恐怖心で腰砕けになりました。まして、犯人扱いされたのであれば相当な苦痛が生じていたでしょう。いかなる場合でも相手のことを考えるフェアネス・惻隠の情と言うことは力の強い立場にいる者にこそ必要です。また、弁護士という職業のもつ本来の存在する価値はフェアネスの追求でしょうから、先生がんばってください。
投稿: うだつあがらず | 2007年1月22日 (月) 23時07分
私もm.nさん同様、マスメディアの報道姿勢について強い疑問を感じます。なぜこんなにも扱いが小さいのか(周防監督の映画の封切の日にあたり、”話題性”もあるのに)? 不二家、スーパーゼネコンの談合、「あるある大辞典」もいいんですが、それにしてもなぜこんなに小さな扱いなのか。警察、検察、弁護士に対する批判らしい批判もない。おそらく今後追跡記事もあまりないんでしょう。まるで「はてさて世にも不思議なことがあるもんです」的な書き方です。
それにしても、警察は刑事部長、検察は次席、と組織のトップは出て来ません。企業不祥事の場合、トップが記者会見で謝罪するかどうかが一つのポイントになっている感がありますが、それと比較してどうなんでしょう。おそらく何ら処分もないんでしょう。
また、裁判官も出て来ません。警察、検察、弁護士がどんなにいい加減でも裁判官さえしっかりしていれば、冤罪は防げる筈なのに(なんて、青臭いこと言ったら笑われるでしょうか)。
企業の内部統制を語るとき、「経営者(トップ)の倫理感」の重要性がよく言われます。営利追求を本来的目的とする私企業にこういう言葉を使うのは、よくよく考えれば非常に違和感を覚えるのですが、むしろ今回のように「司法」の世界で起こった「不祥事」についてこそ、そういった観点で、広くかつ深く突っ込んで頂きたいものです。
投稿: 監査役サポーター | 2007年1月23日 (火) 00時23分
皆様、コメントどうもありがとうございます。
マスコミの取り上げ方への疑問を呈されている方が多いですね。
冤罪=検察批判といった定説で処理されてしまうのが、こういった事件のマスコミの扱い方の典型かと思います。ましてや監査役サポーターさんのような「裁判官への疑問」といったところまで踏み込む記事というのは、なかなかマスコミとして勇気がいるところでしょうし、それこそ刑事裁判のあり方まで熟知していなければ踏み込むことすらできないかもしれません。
うだつあがらずさんのおっしゃるとおり、警察の取調室というのは、本当におそろしいですよ。窓のない3畳くらいの狭い部屋で、電気スタンドくらいしか置いてません。あのなかで被疑者がまず完全に心理的な絶対服従者になるまで、ガンガン供述を強要されるはずであります。取調官と対等に渡り合うためには、私は黙秘権を行使する以外にはないと思います。(ただ、この場合には、しゃべるまで一切調書はとらない、といった心理的拷問が待っているわけでありますが・・・)
もちろん巨悪を糾弾するための大きな役割が捜査機関には存在することは重々承知しておりますし、尊敬すべき検察官の方もたくさんいらっしゃいます。しかしながら、社会的正義のための行動が完全にシロということはありえないわけでして、そのグレーの部分に光をあてて、将来の適正手続きの実現のために尽力しなければいけないのが弁護人のおおきな役割でもあると思います。
まさにこの富山の事件につきましては、検証すべきさまざまな問題があることをご理解いただけたら・・・と思いますね。また、ご意見をお待ちしております。
投稿: toshi | 2007年1月23日 (火) 02時00分
検察や警察の幹部が次々と男性のところに謝罪に行っているようですが、あれは誠意をもって謝罪しているのではなく、否認から自白に転じた経緯などを外に漏らしてほしくないからでは?
投稿: hop-hop | 2007年1月29日 (月) 10時35分