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2007年1月29日 (月)

企業の不作為と刑事犯罪の成立(パロマ事件)

すでに皆様ご承知のとおり、1月27日にパロマ工業およびその親会社であるパロマ社に対して警察庁による強制捜査が行われまして、相当数の資料が押収された、とのことであります。28日の読売新聞の報道によりますと、経営陣の不作為の立件を視野にいれているとのことでありまして、再建計画にも大きな影響が出る可能性が出てくるかもしれません。2005年11月に発生した18歳の大学生の方の死亡事故のみが、業務上過失致死被告事件の公訴時効期間(5年)を経過しておりませんので、この最後の1件が、警察庁にとりましては、刑事責任追及のためのヨリドコロになるものと思われます。(もちろん、今後、5年以内の被害発生の事実が判明すれば別でありますが・・・)

1 不作為による業務上過失致死罪成立の可能性

ところで、このパロマの強制捜査の件でありますが、最近のいろいろな企業不祥事発生の報道ニュースに気をとられてしまいまして、「いまごろ、パロマの強制捜査?ずいぶんと遅いのではないか?」といったイメージを持って受け止められてしまいそうでありますが、今後の企業コンプライアンスを考えるにあたって大きな意味を持つかもしれません。といいますのも、経営陣の刑事責任を問うために、経営陣の「不作為」に対して業務上過失致死罪の適用が考えられているからであります。普通は交通事故や医療ミスなどでも連想できますように、被疑者による何らかの「作為」があり、これが「本来要求される注意義務を尽くさずに、漫然と作為に至った」ことを構成要件該当事実と認定するわけでありますが、先の読売新聞のニュースにもありますとおり、今回は一企業の経営陣の「不作為」を問題にするわけであります。「なにもしなかった」ということが果たして業務上過失致死事件の構成要件に該当するのでしょうか。「不作為」をもって刑事事件で有罪となるためには、パロマの経営陣の作為義務、つまり被害者を出さないための行動が容易にとれた状況にあり、また死に至るような被害者が出ることが容易に予想できた状況であったために、経営陣がこの当時、具体的にこのような行動に出なければならなかった(具体的な作為義務の特定)にもかかわらず、経営陣はあえてそのような行動に出なかった、というところまでを警察検察が立証できなければ立件は困難なはずであります。さらにやっかいなのは、「作為」が存在するのであれば、被害者の死亡との間に因果関係が比較的容易に認定できるはずでありますが、「不作為」となりますと、目に見える行動が存在しないために相当な因果関係の有無がかなり曖昧であります。たとえばパロマの件におきまして、修理業者による「不正改造」というものが中間に介在していることが予想されますが、もし不正改造が被害者の死亡と関係している場合には、「たとえパロマの経営陣がきちんと作為義務を尽くしていたとしても、被害者が死亡していた可能性がある」ということになり、因果関係が認められず、業務上過失致死の構成要件該当性は否定されることとなります。

きちんと調べたわけではございませんので、すこし誤解があるかもしれませんが、エイズ薬害刑事事件(厚生省ルート)の裁判において、厚生省の担当課長さんが「不作為による業務上過失致死罪」によって有罪判決を受けたことがあったと記憶しております。あのときも不作為の業務上過失致死というものが認められるのだろうか、といった議論があったかと思いますが、国民の生命の安全を守ることに高度の職責を有する行政官であったことや、行政庁という立場上、作為義務の根拠となる「被害状況に関する事実の認定およびその情報分析の機会および能力」があること、そしてどのような被害回避措置をとるべきか指揮監督できる能力を具備していたことなどが、刑事責任を基礎付ける理由になったのではないかと推測いたします。果たして、このたびのパロマの経営陣につきましては、このエイズ薬害刑事事件のときの行政官と同じように、作為義務を基礎付ける根拠がそろっているといえるかどうかは、まだまだ未知数ではないでしょうかね。もちろん強制捜査がなされているわけでありますから、裁判所の令状が発令されているわけでして、ある程度の根拠もあるかもしれませんが、令状が出るのと、刑事事件で関係者が有罪となるのは、その立証の程度において大きな違いが出てまいりますので、押収された資料等から、非常にハードルの高いところを飛び越えることができるような証拠を見つけ出さないといけないのが現状ではないか、と思ったりしています。

2 企業法務への投影

ただ、パロマの事件におきまして、本当に「不作為による業務上過失致死事件」が立件され、有罪と認定されるような場合には、企業法務的にはかなり大きな影響が出ることが予想されますので、今後も本件についてはフォローしておくほうがいいのではないでしょうか。先に述べましたとおり、もし「作為義務」というのが企業トップに課されるのであれば、それはどのような業種の経営者に課されるのか、その企業の取締役会でどのような議論がなされるべきなのか、情報収集はどのようにしなければいけないのか、収集された情報をもとに、経営陣はどのような事実確認を行い、そしてどのような行動に出なければいけないのか、といったことが公権的解釈として示されることになるはずであります。とりわけ、自社製品によって人的被害が出た可能性が高まった場合などには、その企業の経営者はいったいどういった内部統制システムを構築して、更なる被害拡大を未然に防止すべきなのか、企業の自立的規範のあり方を考えるうえでの重要な指針を与えるかもしれません。

そしてもうひとつ、企業法務的に重要でありますのは、こういったパロマの事件に業務上過失致死罪が立件されるといたしますと、おそらく今後、企業不祥事がマスコミ等で騒がれた場合には、被害者や一般の方による告訴、告発が増えるのではないか、という企業リスクの問題であります。被害拡大を抑止するための対策を企業が怠ったようなケース、たとえば組織ぐるみで公表を差し控えていたとか、被害事実をまったく分析していなかったようなケースにおきまして、被害者や一般市民にとりましては、損害賠償請求や代表訴訟などの民事的救済措置を検討するだけでなく刑事訴追を要求するために、もしくは民事賠償のために必要な事実認定の資料を確保するために、まずは告訴告発を利用して捜査機関に動いてもらう、といった戦略がとりやすくなるのでは・・・とも思えます。これは企業のリスクとしても大きなものとなりますが、経済刑法の分野において、捜査機関にとりましても、大きな負担になってくると思われます。ただ、そういった時代が到来することが、今後の企業不祥事防止にとって、ひとつの有効な手段になるのかもしれませんし、それが当然の時代背景となりつつあるのかもしれません。もし、こういった問題の整理のために、「不作為による業務上過失致死罪適用」に関する有益な先例などをご存知の方がいらっしゃいましたら、またご教示いただけますと幸いです。

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コメント

こんばんは。

会社法全面適用初年度の期末が近づき、何かと気忙しくなって来ました。このブログを拝見する時間的余裕が段々と無くなってきたのですが、疑問点などを一つ、二つ・・・

①不作為の業過で、トップを捕まえられるのでしょうか? 作為犯の場合でも同様でしょうが、一般に企業犯罪と呼ばれるような事件を刑法犯である業過で立件しようとしても、せいぜい担当の部長、取締役レベルどまりで、社長・会長まではいかないような印象があります。余程の小規模・閉鎖的かつワンマンの会社(内部統制の必要性がないほどに、トップが会社全体を見渡せる規模の会社)ならいざ知らず、通常規模の会社で、社長・会長にそこまでの注意義務を認定するのは難しいのではないか思います。P社は確かに非上場・同族会社とされていますが、それほどの規模ではないと思います。それとも、3ヶ月に1回の取締役会さえ開催されていない、なんていう例示は、この会社がことほど左様に小規模・閉鎖的なワンマン会社であるとと強調したいのでしょうか(警察は)?

②企業犯罪を(刑事的に)断罪するなら、やはり企業自体(法人)が処罰されるべきではないでしょうか(公認会計士制度改革を引合いに出すつもりはありませんが)。その意味では、両罰規定のある特別法(業法など)での処断が望まれるところです。尤も本件では、適用できる特別法がないのかもしれませんね。

③本件を「不作為犯」ではなく「作為犯」で立件することは相当困難なのでしょう(というよりも、そんなのはハナから無謀な、法律無知者の発想なのかもしれませんが)が、こういう視点でみると、少し違う角度から眺めることができそうです。
つまり、不作為犯で構成する以上、(取締役以下が対象となるとすると)どうしても品質保証部門とかアフターサービス部門のように、市場・顧客に近い立場の役職者がターゲットになります。他方、作為犯と構成しようとすると、もっと川上、例えば企画・開発・設計部門の役職者がターゲットになりそうです。そう考えると、刑事当局(刑事司法)というのは随分ツミな存在だなぁとも思えて来ます。作ったヤツが悪いのか、売ったヤツが悪いのか、回収しないヤツが悪いのか・・・鶏か卵かみたいな立論かもしれませんが、「相当」因果関係ではなく、単純な事実的因果関係によれば、そういうものを作らなければ結果(致死という被害)は発生しなかった訳ですから、素朴な感情とはしては何とも割り切れなさを感じます。まぁ、だからこそ、トップの刑事責任追及に迫ろうとしているのかもしれませんね。

ちょっと、このブログのコンセプトにそぐわない書込みになってしまいました。大変失礼致しました。

投稿: 監査役サポーター | 2007年1月31日 (水) 01時10分

いつもありがとうございます。
力作のコメントですが、きょうは最初のコメントについて。

私も同感であります。不作為犯でトップまでいきつくのはかなり困難を伴うことになろうかと思います。ただ間接正犯(もしくは道具理論)のような考え方をとるのかもしれません。たとえば、役員会での議論とか、トップの担当者に対する具体的指示などから、不作為犯の注意義務(作為義務)が課されるべき担当者と同程度の作為義務が発生していた、といったような感覚でしょうか。
そもそも、作為犯におきましても、共謀共同正犯や間接正犯といった実行行為概念は、相当に規範的なものでありますから、不作為犯の注意義務違反もしくは作為義務違反といった実行行為性につきましても、かなり規範的概念を用いる必要があると考えます。

投稿: toshi | 2007年2月 1日 (木) 02時14分

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