談合決別宣言後の「談合」
昨年12月5日にアメリカ政府から外務副大臣に交付された「年次改革要望書2007」には「競争政策」という一項目が立てられておりまして、談合根絶への政府の積極的な取り組みを評価するとともに、更なる談合摘発に向けて具体的な要望がたくさん出されております。ここのところの公正取引委員会の活発な行動や、各都道府県の警察の動きというものは、おそらくアメリカ政府としても喜ばしい限りではないでしょうか。(ただし、リーニエンシーの適用にあたって、談合申告企業が指名停止を受ける、といった対応には不満のようですが)
名古屋の地下鉄工事の受注をめぐって、スーパーゼネコン3社が名古屋地検特捜部の強制捜査を受けたことにつきましては、すでに報道されているとおりであります。昨年1月の独禁法改正に伴い、どのスーパーゼネコンも「談合決別宣言」をされたようですし、管理職以上の役職者が「談合はしない旨」の誓約書を会社に提出されていたそうですから、今後の捜査次第では、たとえ本社レベルにおいて「まったく知りませんでした」と表明されましても内部統制の欠如を指摘される可能性がありそうです。(刑法上の談合罪というよりも、独占禁止法違反の罪によって法人処罰まで視野に入れて捜査が進んでいるとのことですが)
コンプライアンス・プログラムルールからしますと、社長が「談合決別宣言」をして、管理職が誓約書を提出する、といったあたりは、適正な行動であって、そういった社内ルールが支店現場末端まで浸透することにより、談合はなくなるのではないか・・・・・などと期待もされていたのですが、見事に裏切られてしまいました。談合はそんな甘いものではなかったようであります。コンプライアンス関連のお仕事をさせていただいて感じますことは、この談合や循環取引(架空取引)のように、競争会社を巻き込んでの違法な企業行動というものは、非常によく似た習性があると思っております。「競争を制限してでも、企業の共倒れを防ぐ必要悪・・・」といった愛社精神に由来するようなものでもなさそうであります。もっと日本人に独特の義理人情の世界であります。「前に仕事を分けてもらったから」「前に情報を横流ししてもらったから」「子供の学校の世話をしてもらったから」といった、たいへん個人的なつながりによって、悪への誘いを断ち切れない・・・といったレベルの話をよく耳にします。また、スーパーゼネコンにしましても、下請けに介在する中堅ゼネコンの面倒をみなければならず、その社員たちの顔が浮かぶ、という話も聞かれます。「以前あんなにお世話になったにもかかわらず、世間の風が厳しくなったからといって断れるだろうか・・・」といった苦悩の末での談合継続の図式が正しいのではないでしょうか。
以前「アットホームな会社と内部統制」というテーマでエントリーを書かせていただき、いろいろなご意見を頂戴いたしましたが、仕事がアットホームな雰囲気で進むということは、日本人的に解釈いたしますと「義理人情」でつながっている会社ということでありまして、会社の雰囲気がいいときには実に楽しく和気藹々としていて活気もあるのですが、いざ問題が発生したり、経営状況が思わしくない状況になりますと、みんなでグレーゾーンに足を踏み込んだり、みんなで悪事をかばいあったり、グレーゾーンへのいざないを断りきれなかったり、ということで負のスパイラルにつながる可能性が高いのでは・・・と思ったりしております。同様のことは談合や循環取引のように、企業をまたいで義理人情でつながっている社会にも言えるのではないでしょうか。たいへん不謹慎で申し訳ありませんが、私でも、一生友達としてお付き合いしたいのは、「今回だけ助けて」とお願いしたときに「いやいや会社が談合決別宣言を発したからもう教えられない」と、なんの恩義も感じずに平静に拒否する人間よりも、「じゃあ、今回だけね。これでこのまえの借りは返したってことで、ね?」あたりで、コソっと「蜜の味」を教えてくれる人のほうではないか、と思いますし、おそらく皆様方もそうではないかと推測いたします。(いえ、もちろん談合自体が必要悪だと申し上げているわけではございませんので、誤解のないようにお願いいたします。といいますか、本当に一生友達でいたい人に対して「今回だけ助けて」といったことは言わないかもしれませんが・・・・・・)
アメリカのローファームで働いたこともございませんし、また留学経験もありませんので、よくは存じ上げませんが、アメリカの在職期間の長い会社役員の方の話などを聞いておりますと、米国人も「義理人情の世界」はあるけれども、仕事のうえでのつながりをドライに構成してチームを結成している場合には「貸し借り」が発生しにくいとのこと。アットホームな雰囲気を職場に持ち込むとなりますと、どうしてもこの「貸し借り」の世界がはびこるわけでして、こういった職場環境のようなものが談合や循環取引、ひょっとすると今後はインサイダー取引なんかも、「構造的な病巣」としてずっとつきまとってしまうんじゃないかと思います。最近の大手のIT企業などで顧客と営業社員の関係を大きく変革させているところが出てきましたが、(たとえば、営業社員は休日に個人的に顧客とゴルフをしてはいけない、冠婚葬祭に出席してはいけない、そのかわり営業社員の売り上げノルマは課さないなど、つまり顧客は人とのつながりでなく、企業そのものとのつながりで対応していくといった思想によるもののようであります)企業体質そのものを大きく変革させる以外には、談合根絶のコンプライアンスは語れないのではないかなぁと感じております。
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コメント
こんばんは。
「日本人に独特の義理人情の世界」というと少々違和感があります。もしそうだとすれば、どんな業界・業種にも共通に発生して然るべき筈ですが、どうも談合は特定の(一つとは限りません)業界・業種に偏る傾向があるようです。
その業界・業種の構造-行政の関わり(アメもあればムチもあるでしょう)、需給関係(需要に比べ供給=事業者数が過多ではないか)などなど-の問題ではないかと、だとすれば個別事件・個別事業者を一罰百戒的に叩いても根絶は難しいのではないかと、そんなふうにも思えます。
また、同じ「不当な取引制限」でも、B2C取引で行われる場合とB2B取引で行われる場合とでは、少し分けて考える必要があるでしょう。B2Bの場合は、買い手もそれなりに(というか、原則的には売り手と同等のレベルの)判断材料と判断能力と交渉能力がある筈だからです。官製談合でないにしても、公共工事の談合の場合は、やはり買い手の官側の判断と交渉の甘さは指摘されなければならないと思います(これは独禁法では掴まえられないでしょうが)。
なお、公共工事の談合の場合は、政界(特に最近は地方政界)が陰に陽に絡むことが多いことも、根絶を難しくしている一因かと思います。
それにしても、くだんの事件は、橋梁やら水門やらとは違い、市民生活に随分と身近なものの工事ですから、いきおいニュースバリューは大きくなりますね。
投稿: 監査役サポーター | 2007年1月25日 (木) 00時16分
簡潔かつ要を得たコメントに厚く感謝いたします。
私が以前関与した談合事件(刑事事件ですが)では、
こういった談合組織が和気藹々とした各社の情報提供の
場になっていました。
むしろ競争促進の場であったと記憶しております。
独禁法で談合根絶が困難だとすれば、今後どう対応して
いけばいいのでしょうか。品質確保と競争促進の境界と
いうのは、なにをもって調整していけばいいのでしょうか。
やはり内部通報とか、量刑ガイドラインのように、会社の
日常における取組に依存したものにならざるをえないので
しょうかね。監査役サポーターさんが言われるようなところ
が大きな原因だとすれば、予防的対処というものは
なかなかムズカシイところだと思います。
投稿: toshi | 2007年1月25日 (木) 17時27分
はじめまして。いつも愛読している某企業の法務部の者です。
ある程度、コンプライアンスプログラムはうまく実行されていた、とのことですが、まだまだ甘いと思います。当然トップの決別への意志がどれだけ強いかというところにもよりますが、内部監査室がどれだけ談合の起こりやすい部署と連絡を蜜にとっていたのか、とか、談合が行われる予兆といったものをどれだけ真剣にリスク情報として検討していたのか、といったところで工夫の余地はあると思われます。
当社におきましても、従来、なんどか公取委の調査を受けることがありましたが、すでにリーニエンシーによる申告もしており、またリスク情報の集積によって担当者の関与行為を未然に食い止めた経験があります。(昨年のことです)組織が巨大であれば、リスク情報も膨大であるでしょうから、ビッグなゼネコンはたいへんだとは思いますが、まだまだ現状では「内部統制違反」といわれてもしかたないです。義理人情はもちろんありえるところです。ただ、そういった義理人情についても、きっちりとリスク情報として把握できる余地はあります。ちょっと人間関係がギクシャクするかもしれませんが。
投稿: おおくら | 2007年1月25日 (木) 18時12分
>おおくらさん
コメントありがとうございます。
このエントリーにつきましては、ブログ閲覧者の方より、談合の現状とゼネコンの取組がわかる本をご紹介いただきました。現在、その本を熟読しているところでありまして、また読後感想などを談合問題に絡めて書かせていただこうかと思っております。
投稿: toshi | 2007年1月27日 (土) 22時35分