内部統制構築と経営判断原則(再考)
昨日、grandeさんのブログでも紹介されておられる経営財務2810号の「監査報酬はなぜ低いのか~監査人の交代時における監査報酬の実態調査を踏まえて~」(町田祥弘教授)もたいへんおもしろい内容でして、いろいろと検討してみたいところも多いのでありますが、その前に、一度「内部統制構築と経営判断原則」といったテーマで最近の内部統制議論の方向性を検討してみたいと思い、(再考編)とさせていただきました。なお(再考)といたしましたのは、2005年8月に同名のエントリーをアップしているためであります。(しかし、いま1年半ほど前のエントリーを読み返しますと、かなり恥ずかしい内容のエントリーですね。(^^; 最近であれば、「内部統制リスク」や「監査リスク」との関係から「リスクアプローチ」について、もすこしマシな論点提示ができそうでありますが、この当時は監査論もよくわからずに、よくもまぁ、シャーシャーと書きなぐっていたものだと・・・・・・)
経営判断原則を問題にするわけでありますので、どちらかといいますと会社法上の内部統制システムの構築に関連する話題でありますが、金融商品取引法上の内部統制(いわゆる内部統制報告制度)につきましても、「費用対効果によって内部統制リスクを管理する」ことを検討するならば、やはり経営判断原則が問題となる場面もあろうかと考えております。ただ、どちらの内部統制を議論するにあたりましても、最近は内部統制には「整備」と「運用」の問題があるというのが通説になってきております。「企業会計4月号」特集「座談会、内部統制報告基準および実施基準の重要ポイント」の44ページ以下におきましても、(こちらは主に内部統制報告制度を踏まえての議論でありますが)「整備状況・運用状況の評価」として、運用面に関する評価の重要性が参加者より説かれております。つまり、運用状況の評価というものは、整備状況の評価を踏まえたうえで、決まりごとがどのように運用されているか、想定したとおりに実際に機能しているのかどうかに着目して評価する、ということが解説されておりまして、このあたりは私のブログにおきまして、何度も確認をしてきたところと合致しているものと思われます。
さて、このあたりまでの議論につきましては、概ねコンセンサスの得られてきたところではないか、と考えておりますが、今後著名な学者や実務家、会計士の方に検討していただきたいと願っておりますのが、こういった「整備」「運用」分類法と、取締役の内部統制システムの構築義務を議論する際の「経営判断法理」との関連性であります。ご承知のとおり、平成12年の大和銀行事件判決におきまして、初めて裁判のうえで「取締役の内部統制システムの構築義務」なる概念が登場したわけでありますが、この構築にあたっては、取締役らに広範な裁量が認められる、つまり経営判断の原則が妥当する、とされまして、これまでもダイレクトに「内部統制システムの構築義務違反」によって取締役らに責任が認められた判決は登場しておりません。時代とともに、この内部管理態勢のあり方がクローズアップされ、主要な経済法令のなかでも「内部統制構築」が規定されてきた昨今、取締役の責任を論じるときには以前よりも「内部統制構築義務違反」と裁判所に評価されやすい風潮になってきたような気もいたします。しかしながら、「費用対効果」による内部統制構築の限界や、リスク管理の手法は各企業のおかれている経営環境や企業の組織規模などによって左右されることなどからみましても、どのような内部管理態勢を構築すべきか、といった点につきましては、やはり経営者には広範な裁量権があるといった前提はいまでも妥当するものと考えております。
その一方におきまして、内部統制の構築というものは、静的なイメージではなく、PDCAサイクルによるリスク管理の一種であり、動的なイメージが強い管理手法である、といった概念が共有化されてきますと、その「運用」面での評価というものにも、経営者らの広範な裁量権が認められるかといいますと、これには別個の考え方が成り立つようにも思えます。つまり、「整備」することは、それなりに経営者らに裁量権も認められるかもしれませんが、いったん整備した内部統制システムというものが1年間(ある評価のための期間と言い換えてもよろしいと思います)適切に稼動したのかどうかをチェックして、その有効性を評価するプロセスというものは、決められた約束事をきちんと取締役らが守ることが前提となりますから、どうも経営判断の原則が適用される場面ではないように思います。たとえこの運用面におきましても、当該企業の管理行為への予算配分の問題だとか、内部監査の経験年数などの問題などから、ある程度の経営判断が優先されるべき場合があるとしましても、その「整備」における裁量権の範囲よりも、かなり狭い範囲での裁量権しか認められないのではないでしょうか。こういった議論がもし成り立つのでありましたら、株主代表訴訟等、取締役の会社に対する善管注意義務違反が問題となる場面におきまして、とりあえず「三点セット」など内部統制構築のなかで文書化されたものの開示を企業側に求め、その開示書類を分析したうえで、運用面での取締役らの怠慢(過失=放置責任)を立証する方策が検討されうるだけに、かなり重要な論点ではないか、と思います。このあたり、また既にどこかの雑誌で検討されておられましたら、その内容等ご教示いただけますでしょうか。
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コメント
Toshi先生、お久しぶりです。著名ではありませんが…、経験的に感じますことは、とりわけ日系金融機関では、本部主導で緻密な内部統制システムを「整備」する(PD)ことは得意な一方、「運用」となりますと、通達類を出した後のCAが相対的に弱い感じがします。
おっしゃるように、整備したシステムの運用については、合理的な裁量で「自分の決めた」サイクルをちゃんと回しているか否かの問題で、回っていないことにつき「裁量」の言い逃れは難しいように思います。また、逆に申し上げると、「運用」を踏まえた(現実的な)「整備」も重要なのかも知れません。
経営陣はかなりドキッとする刺激的なお話ですね。
投稿: 行方 | 2007年3月 6日 (火) 20時11分
こんばんは。
私如きが異を唱えるのはナンなんですが、「整備」と「運用」を分け、それぞれにつき、取締役の経営判断または裁量の広狭を論じるには、色んな前提をクリアしないと少々危険ではないかなと思います。
①まず用語法の問題です。「構築」「整備」「運用」の具体的な意味を明らかにし、共有できるようにする必要があります。そうでないとその義務の担い手も明らかになってきません。「整備」については、企業会計審議会と監査役協会が異なる意味で使っていたりもし、読む方も混乱してきます(先生は、企業会計審議会の用語法に沿っていらっしゃるようですが)。
②「構築」にしろ、「整備」にしろ、「仕組みづくり」に関しては、その精粗の程度は必ずしも一義的に定まっているものではないのではないでしょうか。これがルール、更に言えばマニュアルのような(ガチガチの)ものであれば、「運用」はまさに「約束事」がそのとおり履行されているかにかかりますので、裁量の余地はあまりない、ということになるでしょうが、もっと大雑把な「仕組み」もあり得る、少なくとも会社法上は許されている訳(「大綱」)で、その場合は、「運用」面でむしろ大きな裁量代が出てくるのではないでしょうか。
③会社機関相互の権限関係との関連もあるでしょう。取締役会の権限はここまでで、ここから先は代取に、更にその先は業務執行取締役に、といった権限配分(許された権限委譲を含む)しだいで、またそれぞれの裁量の広狭も変わってくるでしょう。
金融行政については少し特殊な事情があるのでしょうし、消費生活用製品安全法(?)や独禁法・下請法など個別法領域(主務官庁のスタンス)については先生のおっしゃることも納得できないではないですが、徒に理論的な一般化を図ろうとすると、実務的には”過剰文書化症候群”に帰結していきそうで、少々心配です。
投稿: 監査役サポーター | 2007年3月 7日 (水) 00時26分
>行方先生
コメントありがとうございます。
いえいえ、先生は間違いなく、著名な方ですし、他の弁護士があまり経験されていない分野を「実務として」歩いてこられたわけですから、ぜひ今後もバシバシと整備運用に関するご提言を期待しております。
監査役サポーターさんもご指摘のとおり、私も整備運用を明確に分けることができるのか(適切なのか)といったところもまだはっきりとしておりませんし、先生の言われるように「整備の段階から運用が可視化できるような枠組み」を作ることも可能ではないか、と考えておりますので、こういった疑問点をもう少し(例をあげて)掘り下げていければいいなぁと思ったりしております。
今後とも、またよろしくお願いします。
>監査役サポーターさん
いつも有益なご指摘、ありがとうございます。
おそらく、こういった問題は、もうすこし具体例を引用して議論する
と私と監査役サポーターさんの見解の相違が浮き彫りなって
おもしろいかもしれません。
過剰文書化症候群については、これもまた別途検討が必要ですね。
理論的な一般化まではかるつもりはないのですが、判例理論として、今後「内部統制論」が定着するのであれば、ある程度の議論の枠組みも必要かな、と思っております。
じつは「文書化」についても、この枠組みを検討している(と申しましても、自分勝手にではありますが)ところでありまして、また自説をツラツラと書いてみたいと思います。
投稿: toshi | 2007年3月 8日 (木) 11時11分