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2007年3月14日 (水)

日興CGの上場維持決定(その2)

昨日の「日興CGの上場維持決定」へのコメント、TB、そしてメールありがとうございました。こんな場末のブログにも、思いのほか大きな反響がありまして、たいそうビックリいたしました。TBや個別に頂戴しましたメールの内容など、8割程度のものが「なんで上場維持やねん!!」といった内容でありまして、東証の判断に対する怒り、落胆、他事考慮への推測、出来レースなどなど、いろんなご意見を頂戴いたしました。「東証の判断に概ね賛同」と主張したことにつきましては、今も変更はございませんが、もう少し東証(だけでなく大証さん、名証さんも)の判断について検討してみたい(言い訳をしてみたい)と思いましたので、続編とさせていただきます。(また私の勝手な意見でありますし、議論の前提条件に勝手な思い込みがあるかもしれませんから、お気楽にお読みいただければ結構であります。)

上場廃止決定の持つ意味その1(参加者への安心感の提供)

まず、「なんで上場維持やねん!!」といった意見が多数であったことにつきましては、これは東証さんも十分耳を傾けるべきですし、「上場維持」という判断に至った過程についての説明を尽くしたほうがよろしいのではないかと思います。そもそも、なぜ東証さんは監督庁でもないにもかかわらず、上場廃止といった強力な処分権能を有するのか?という問いへの答えを検討する必要があるでしょうが、それはまず市場管理者として、自主規制機能たる「罰則的処分権能」を持つからであります。日興の犯した事件につきまして、その事件が悪質であるにもかかわらず、そのまま上場を維持できるのであれば、一般投資家の方々は市場に対して失望し、市場を離れてしまい、市場の活性化の道が閉ざされてしまうことになります。(株式会社としての取引所の最悪パターン)つまり、まず株式市場という場におきましては、ルール違反をした者に対しては、即刻退場を願い、「こんな悪い会社は追い出しましたよ。さあ、もう安全な市場が形成されましたので、どうかここで安心して売買をしてください」とアピールする必要があるはずです。(安心提供機能)これはとりわけ海外の投資家向けにも必要なアピールではないでしょうか。「一社でも、悪質な行動に及んだ企業は参加させていない」という(ある意味で、理想論に近いものでありますが)タテマエは、この株式市場には必要でありまして、そのためには、事件の後でどのような情状酌量のための反省態度を示したとしても、その過去の事件内容のみから、懲罰的処分を検討する必要があります。これまでの退場となった他社事件との比較から「悪質かどうか」を判断したり、組織ぐるみの事件かどうかを判断するのは、こういった懲罰的処分としての性格から求められるものと思われます。つまり、懲罰的処分でありますから、当然の前提としまして、上記のような当該企業の責任論とも関係するわけであります。 (ここで、私の意見としましては、組織ぐるみとは認められない、つまり日興CGという法人としての「退場処分」に見合う責任までは認められない、という判断が関係してくるわけであります)ただし、一般投資家の方々が「こんなあぶなっかしい企業が上場されているのだったら、株式投資はやめとこ」といった気持ちになってしまうことは証券取引所としても防止しなければなりません。そこで、コムズカシイ議論をするよりも、今回の日興問題については一般投資家がどのように考えているか、といったところへも配慮が必要になってくるわけでありますので、もし東証さんにとって、上場維持といった判断が微妙なバランスのうえでのことであるならば、もう少し市場参加意欲を一般の投資家が失わないようにするための説明責任を果たす必要があるのではないかと思います。

なお、ここで「金融庁から5億円の課徴金納付命令をすでに受けていることと、東証の判断は矛盾するのではないか」といった意見も出てくるところであります。しかしながら、これは以下の記述とも関係するところでありますが、行政処分たる「課徴金制度」は(いまでこそ、懲罰的効果が問題となっておりますが)原則的にはそもそも懲罰ではなく、違法な利益取得を吐き出させる制度として構築されております。したがいまして、課徴金制度は責任論というよりも後述の「違法状態除去」に関する監督官庁による対応のひとつと考えられますので、懲罰論(責任論)を前提とする「悪質かどうか」「組織ぐるみかどうか」の判断に関する議論とはなんら矛盾するところはないものと考えます。

上場廃止決定の持つ意味その2(違法状態の除去)

証券取引所には金融庁という監督官庁が存在します。したがいまして、もし市場の信頼を失わせるような行動の再犯可能性が当該問題企業に認められるのであれば、市場に参加しております一般投資家は再度、不当に粉飾のリスクを背負い続けることになります。しかしながら金融庁は、投資家が危険にさらされている状況が継続しているのであれば、当該企業の責任論はどうであれ、ともかく違法状態を除去し、一般投資家を保護するために、即刻金融庁自身が退場命令を出せる仕組みを用意しておかなければいけません。(ここで改めて申し上げますが、企業に違法状態が存在するのと、その企業に責任が発生することとは区別して考える必要があります。ちょうど、刑事事件におきまして、被告人が有罪とされるためには、構成要件該当性と違法性が認められるだけでなく、そのうえで被告人に故意もしくは過失、といった責任が認められる必要があることと同様であります)金融機関の場合、最近はこの「違法状態が継続しているかどうか」といった判断基準として、内部統制(内部管理態勢)が問題とされるわけでありまして、たとえばトップが交代しているか、取締役会の体制がトップの暴走を未然に防止できる人的物的組織となっているか、牽制機能は働いているか、監査役による監査体制はどうか、連結決算の対象となる子会社との関係はどうか、などが精査されることとなるわけであります。そして金融庁自身がその調査に及ぶよりも、専門性、迅速性の面で格段の差が認められる証券取引所に(つまり自主規制機関による判断に)、その判断を委ねている、と考えるのが妥当ではないかと思います。そして、この違法状態の除去が認められるかどうか(つまり上場を維持させてもいいかどうか)、といった判断基準におきましては、当該企業の問題事件以降の再犯防止策への取組姿勢というものが「違法状態の有無」に影響を与える場合もあろうかと思われます。

昨日、私は日興CGへの上場維持決定に関するコメントのなかにおきまして、騒動直後からの反省態度のようなものが、実際には判断理由のなかでは考慮(斟酌)されていないのではないかと書いておりましたが、実際のところは上記二本立てで総合的に考慮されるのではないかと思います。このように考えますと、処分の公正さも担保され、また粉飾決算発覚後の当該企業の再犯防止へ向けてのインセンティブも相当程度、満たされるのではないでしょうか。(ちなみに、大証の米田社長さんは、「不良がいたら、その不良を追い出すだけではいい学校とは言えない。不良をきちんと育てることも学校の使命だ」と記者会見で述べておられました。しかし、「あの学校には不良がいっぱいいるから、受験は控えよう」と考える受験生がたくさん出てくることも事実でしょうし、株式会社としての証券取引所として、米田社長さんのように言い放ってしまっていいものかどうか・・・、ちょっと悩むところであります)

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コメント

先生、ご無沙汰しております。

先生の踏み込んだ考察の後で、大変雑な議論で申し訳ないのですが、私自身は、東証その他の証券取引所の上場維持の判断には大いに、疑問を感じざるを得ません。

私は、日興CGについては、明らかに上場廃止に値すると考えています。上場維持基準が曖昧であると言った問題はありますが、そんな瑣末なことよりも証券市場におけるコンプライアンスないし社会的使命というものを著しく軽んじているとしかいえません。投資家保護という誤った大義名分を立てて、上場を維持した証券取引所の思考は本末転倒もいいところだと思います。

私が、上場廃止にすべきと考える理由は以下の通りです(一部、先生の考察内容とも重複します)。

1.外部委員会などの調査報告書を見ても、虚偽記載の悪質性は高いものと判断できます。悪質性は認められるが上場廃止基準には当たらないという東証のロジック自体が、意味不明といわざるを得ないとおもます(悪質性は、報道をみる限りでは、東証自体も認めています)。悪質性以上の上場維持の基準があるのか、あるとすればそれは何なのかをぜひとも明らかにして欲しいものです。やっていることは、例えて言えば、検察が悪質性の高い大量殺人犯を起訴もせず社会に野放しにしておいて、犯罪撲滅、凶悪犯罪の減少を叫んでいるようなもので、その説明論理自体、完全な矛盾・論理破綻をきたしています。更に付け加えれば、上記の例で、検察が治安の維持による国民の生命・身体の安全を声高に叫ぶように、東証等は投資家の保護を叫んでいるのです。

2.今回の事態は、何よりも証券市場の中心的な役割を果たす重要な当事者である証券会社の悪質な行為である点を無視している点で、完全に恣意的な判断に陥っていると言わざるを得ません。
 言葉を変えれば、身内に甘い証券市場関係者ということになります。西武鉄道やライブドアなどの普通の上場会社は上場廃止にしておいて、
証券会社のビックスリーの1角の行為には、投資家保護という詭弁を用いて激甘の処分を行う、こんな主催者が主催する証券市場が信じられるわけはありません。
 東証は、上場廃止か維持かに業態は関係ないと言っていますが、とんでもない話です。自ら他社の粉飾や不祥事を受けて、上場会社に内部統制やコーポレートガバナンスの取り組みを義務化し、宣言書や確認書の提出までさせておきながら、証券市場関係者の不祥事には基準の客観性という詭弁を用いて、目を瞑る。これで、本当に企業の不祥事や粉飾決算がなくなるのでしょうか。
 今回の日興CGの行為は、証券市場や投資家に対する明らかな背信行為です。日興CGは、新規上場を目指す企業に対して上場企業としての的確性を審査し、助言する立場にある会社です。人の会社には偉そうなことを言いながら、自らは不正行為、背信行為を行うという会社を東証等が取り締まれないというのでれば、証券市場の自主規制機関としての資格はないと言わざるをないでしょう。投資家を欺瞞した会社を免罪しておきながら、何が投資家の保護なのでしょうか。日本の証券市場は、「投資家をだますこと=投資家の保護」と言っている矛盾に何故気づかないのでしょうか。東証等の判断は、考え違いもはなはだしいと言わざるを得ません。

 真に企業不祥事や粉飾決算をなくし、証券市場の信頼と上場企業のステイタスを確立しようとするのあれば、身内に厳しくして綱紀粛正を行い、証券市場の関係者自らが率先して、不正を追放しなければならないのですが、それができない各証券取引所では、日本の証券市場の信頼回復は程遠いといえるでしょう。企業不祥事で自社の論理を抜け抜けとプレスや国民に言っている、コンプライアンス意識のかけらもない(会社の常識、世間の非常識の状態)会社と、各証券取引所がやっていることは一緒ではないでしょうか。これで世間の理解を得られると考えていること自体、危機意識の欠如も甚だしいといわざるを得ないでしょう。

3.企業不祥事や粉飾決算その他の証券市場への背信行為や企業不祥事を減らすために、国が法律を改正してまで内部統制システムの構築を、会社法、金融商品取引法で求めたわけです。これは、まさに証券市場の信頼、ひいては株式会社制度、企業そのものに対する信頼を取り戻すという国家(=国民の代表者)の強い意思表示に他なりません。そしてそのせいで、各企業、特に上場企業ないし上場準備は過大な負担を強いられているのです。
 内部統制は、自ら脆弱性を見つけ改善し、あるいは自浄作用を働かせて不正の目を摘む取り組みを行うための体制つくりとその運用に他なりません。そして経営者の不正や暴走に対しては、内部統制では抑止できないということで、お目付け役を据えるというコーポレート・ガバナンスの取り組みも不可欠です。
 国家としては法律で、そして東証自体が自主規制で、このような内部統制ないしコーポレート・ガバナンスの取り組みを求め、その仕組みが出来上がっていたとしても、いざ身内(=証券市場関係者)に何か問題があっても、少なくともその企業の上場を廃止して自浄作用を働かせるという
事すらできない、すなわち運用として適切な運用がされていない状態では、証券市場そのもの内部統制ないしコーポレート・ガバナンスが既に形骸化しているといわざるを得ないのではないでしょうか。

 真に健全かつ信頼にたりる証券市場にしたいのであれば、まずは、自浄作用を働かせて、少なくとも適切な体制が日興CGの内部に出来上がるまでは、上場廃止にして証券市場から追い出すことが最優先であると言わざるを得ません。これができないということは、内部統制やコーポレート・ガバナンスの充実に取り組んでいる各企業を東証その他の各証券取引所自身が裏切っていることに他なりませんし、投資家に対して証券市場はこのような背信的な企業、悪質性の高い行為を行う企業が存在し、身内に甘くて自浄作用すら働かせられない不透明かつ不健全な市場ですよ、と宣言しているに等しいのではないでしょうか。


以上長くなりましたが、東証には、是非、日興CGの上場を維持した理由を明確かつ合理的に、そして納得のいく論理で説明して欲しいですし、それをすることが、今東証に求められえる最大にして最重要の課題ではないでしょうか。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2007年3月14日 (水) 23時18分

>コン・プロさん
おひさしぶりでございます。
このたびの私の日興問題への連作につきましては、ゴヒイキ筋の皆様方の「良心の火に油を注ぐような」結末になってしまいました。。。(;△;)
私も日興に個人的なつながりがあるわけでもなく、特に擁護する意識はありませんが、どうも正々堂々と糾弾するには「駒不足」の感が否めません。むしろ、ここで駒不足だった原因をきちんと追究していくほうが、第二、第三の日興騒動を巻き起こすことを防止できるのではないか、といった気持ちからのエントリーであることをご理解ください。たしかに東証には強制調査権もありませんし、上場廃止にするかどうか、といったことが単に制裁的目的に由来するものでもないことも理解できます。そんななかでの上場廃止へ向けての審査が「見切り発車」的な要素を否定できないことも重々承知しているつもりでありますが、やはり何度調査委員会報告を読み返しましても、このたびの東証の判断とは矛盾しないと考えられるのであります。どう読みましても「限りなく黒に近いグレー」ではありますが、CG本体の組織的関与を確信できる証拠はありません。グレーの企業に退場を命じるほうが適切であるならば、それはそれでコンセンサスを得たうえでそういった運用をされるべきでしょうが、グレーで退場、といった運用の恣意性を誰がコントロールできるのでしょうか。そちらの懸念のほうが、私にはどうも恐ろしいことになるような気がいたします。
このあたりは、また異論もあろうかと思いますが、本日はこのへんで失礼いたします。

投稿: toshi | 2007年3月15日 (木) 01時43分

経営者が悪事を犯したら、何の関係もない株主や社員が損害をこうむることが合理的なのか?

社員や株主が、経営者の行為を制約できるのか?
厳罰化祭りに歓喜している人間は、あなたが勇気を持って経営者に直接批判を加えた経験でもあるのか?

厳罰化が犯罪抑止にならないことは、犯罪学でよく指摘されること。犯罪抑止にならない厳罰化とは、攻撃欲あふれる人間のリンチの快楽を充足する以外に何の意味があるのか?

投稿: 厳罰化 | 2007年3月15日 (木) 08時38分

 刑事政策の議論をするつもりはありませんが、厳罰化が犯罪抑止につながらないといいますが、では緩罰化が犯罪抑止につながるのでしょうか。実証されているんでしょうか。人間心理が複雑に絡む以上、どちらでも結論が出ないからこそ、永遠のテーマなのではないでしょうか。それを持ち出して厳罰化を批判するのは所詮、水掛け論でしかなく、建設的な議論とは思えません。割れ窓理論でも実証されているように、刑罰や取締がゆるくなると、全体の空気も弛緩し、犯罪が誘発されやすくなることはどのように説明されるのでしょうか。

 そして、そもそも、上場廃止が厳罰なのか。上場廃止=社員が損害を受けるにつながるのか。投資家については、証券市場である以上、上場廃止等での損害は投資に伴うリスクとして受忍すべきであり、その覚悟ががないなら、株式投資などするべきではないと思います。この辺の結びつけ方が非常に短絡的だと思います。
 刑事政策的に言っても、犯罪を犯した人間には刑務所で一定期間の矯正を行って更生の機会を与えるように、一定期間上場廃止にして社内体制を整備させて再起のチャンス(再上場を許す)を与えることは、むしろ刑事政策的な観点からは筋が通るのではないでしょうか。

 更に言えば、一般予防的な観点から一罰百戒的な運用も時には必要であり、その意味では、他社を上場廃止にするよりは、身内を使って一罰百戒をした方が、一般予防としての効果も大きいのではないですか。

 このような議論では必ず厳罰化うんぬんの議論が出てきますが、刑罰が重いか軽いかだけの議論は空疎だと思います。

 ちなみに、私は、役員や経営者にも意見や批判を堂々と行っておりますが。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2007年3月15日 (木) 10時01分

割れ窓理論に対しては、元法務省で犯罪白書作成に携わった浜井浩一・龍谷大学教授が適切な批判をされておりますので、それをご参照下さい~「犯罪不安社会」光文社新書など多数あります。

カネボウやライブドアのように、実際の経営状況が赤字又は債務超過の場合、流通株券の価値(=将来キャッシュフロー)が市場価格と実際の価格で大きく異なりますので、上場株券の流通を止めることに合理性があります。
一方日興コーディアルの場合、粉飾額が利益の20%程度であるため、市場価格と実際の価格に、一定の乖離があっても大きな違いはありません。(臨時報告書提出要件が利益の30%以上であることが参考になるでしょう。)

私は経営者の犯罪は彼の刑事責任で問うべきであり、株券の上場廃止は株式価値が市場と実際で著しく異なり、これを維持することが現在及び将来の投資家の利益を毀損するときに適用するのが妥当だと思います。

直接関係ありませんが、経済刑法の分野では構成要件該当性をあいまいに解釈する傾向が顕著です。それに賛成する人は罪刑法定主義(犯罪者のマグナカルタ)をどのように理解しているのでしょうか。

投稿: 厳罰化 | 2007年3月15日 (木) 10時26分

 もちろん上場廃止基準に則っての判断ですから、罪刑法定主義は満たされます。基準にない場合に恣意的に上場廃止等の判断をせよといっている分けではありません。今回も要は、上場廃止基準(=構成要件)の文言の解釈の仕方であり、罪刑法定主義に反するところはないと思います。
 罪刑法定主義の観点から言うならば、むしろ、基準が非常に曖昧で、統一的な解釈を行えないことのほうが問題ではないでしょうか。ライブドアの場合はこう、カネボウの場合はこう、日興の場合はこう、とあまりに個々の事情を踏まえて解釈せざる得ないようであれば、それこそ企業としては何が処罰の対象となるのかが明らかではなく、企業行動の自由保障機能は著しく低下するものと思います。特に%基準を持ち出した場合は、分母が大きくなれば分子も大きくても基準内となるわけですから、今回の日興のように190億もの虚偽記載が行われていても基準ないとなるわけです(基準を、臨時報告書提出要件とし、利益の30%以上であるとした場合)。
 
 赤字と黒字の場合では、その悪質性が異なるというのかもしれませんが、日興も虚偽記載の有価証券報告書発行後に資金調達を行っています。であれば、見せ金的に利益を水増しし、あたかも事業成績が著しく優良であるかのように偽って、投資家からの出資を勧誘しているわけであり、悪質性は低いとはいえないのではないでしょうか。


 このあたりは、考え方は人それぞれなので、厳罰化さんのおっしゃるような解釈もありうると思いますし、東証も同じような価値判断もしているものと思われます。

したがって、意見はそれぞれですので、結論部分についてはTOSHI先生も含め、様々な考えがあると思いますが、私が言いたいのは、刑事政策論での厳罰化が犯罪抑止につながらないという理由だけでの判断がなされるべきではないということです。厳罰だからこう、緩いからこうという次元の問題ではないということで、先ほどのコメントをつけさせていただいた次第です。

ちなみに、私見では、株式価値の市場との乖離度の大小という基準を粉飾の際には持ち出すべきではないと考えます。株式価値や市場価格等は極めて流動的かつ偶発的であり、企業の実態を必ずしも反映しているとは限りません。株主の判断を誤らせる情報を企業が自ら発表した、それも今後の業績予測のような不確実性の高いものならばまだしも、過去の経営成績で本来不確実な要素のない財務情報について自ら発表した以上は、粉飾の場合は、自らその責任を負うとしたほうがよっぽどすっきりします。
 上場廃止=会社の倒産ではありません。上場を市場ゲームに参加する資格と考えれば、ルールを破った者は、退場処分を食らうのが、社会通念に適う考え方ではないでしょうか。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2007年3月15日 (木) 19時44分

上場廃止基準は、債務超過・株主数の減少・流動株式数の減少などがありますが、これから推測できることは、本来制裁とはあまり関係なく投資家保護のために存在すると思います。
粉飾決算の刑事的な制裁は、会社法・金融商品取引法で規制すべき領域です。(今後、問題となるでしょう)

例えば逮捕は、本来制裁とは別の目的で設けられた制度(証拠隠滅防止)ですが、制裁の代用として関係者が利用したり、あたかもそのように報道するのは、いかがでしょうか?

もっとも、プロフェッショナルさんのご意見は、最近の世論からすれば広い支持を得られる(合理性がある)ことは認めたいと思います。

投稿: 厳罰化 | 2007年3月15日 (木) 20時32分

もちろん制裁的な意味でのみ上場廃止を位置付けているわけではありません。ただ、厳罰化さんも犯罪抑止との関係を持ち出したように、また東証が証券市場における自主規制機関であることから(規制を観念する以上、違反にたいする制裁の意味を帯びてくる)、制裁的な意味を否定することは出来ないでしょう。ただあけまで、先程もコメントしたように市場である以上そこにはルールがあるわけですから、ルールに明確に違反し、または違反すると思われる者は、市場に参加する権利を剥奪して、一定期間の退場を認めるべきではという論調での上場廃止と捉らえています。再起のチャンスはあるわけです。要は、上場廃止に寄って、泣きを見る日興の株主を保護する意味で投資家保護を考えるか、市場全体での投資家を欺く企業が存在することを防止して投資家の利益を保護するか、投資家保護のとらえかたの違いだと思います。私は最初のコメントでも書いたように、社会全体として内部統制やコーポレートガバナンスを強化して市場の健全化をしようとしていて、日興はその市場の当事者として上場準備企業に助言し、あるいは上場申請にあたり、上場企業となるべき適正があるかを審査する立場でもあることを重視し、刑事政策的な発想も加味して、上場廃止が妥当ではないかと思ったのです。行為の悪質性は東証自身もあるていど認めているわけですから。 刑罰は法律でというのは正にその通りで、むしろ一民間企業の東証等が刑罰権を濫用してはいけません。しかし、少なくとも行政機関たる金融庁が東証等に証券市場の自主規制を委ねている以上、刑罰権とは離れて、言い換えれば、日興経営陣への責任非難というより、市場の秩序を維持するために、自主規制機関が持つ退場権限が行使されてしかるべきではないでしょうか。これが出来なければ、東証や大証が市場の自主規制機関たる存在意義を失いかねないと思いますが、いかがでしょうか?刑罰と上場廃止を一緒に考えているわけではないことをご理解頂ければと思います。 厳罰化さんの考えも、実際に自分が日興の株主ならよくわかりますし、おそらく賛同すると思います。

投稿: コンプライアンス・プロフェッショナル | 2007年3月15日 (木) 21時42分

最近は、処罰感情だけが先行して、その処罰が原因で全く別の人が不利益をこうむることをほとんど配慮しない人が多すぎるように感じます。

特に団体に属する個人が違法行為を行った場合、安易に団体そのものに不利益を課すことが多いようです。(刑法学では、法人処罰の当否及び妥当性の問題として論じられてきました。)

近代刑法の前提である個人主義の考え方を、もう一度思い起こす必要があります。封建社会の連座制の復活はごめんこうむりたいものです。

投稿: 厳罰化 | 2007年3月16日 (金) 09時09分

厳罰化さんとコンプロさんのご意見、興味深く拝見いたしました。
当然のことながら、この話題も続編を書かせていただきます。
ちょっと、興味あるニュースが毎日新聞ネットに掲載されております。他社は「上場廃止へ」といった報道を行ったのに、自社はなぜ行わなかったのか、という特集記事です。
またまた手前みそ的なものでありますが、かなり客観的な視点ではないかと感じた次第です。

投稿: toshi | 2007年3月16日 (金) 11時12分

ライブドア堀江被告に対する東京地裁の判決が懲役2年6月で出ました。おおかたの予想通りに近かったのではなかったかと思うのですが、EnronやWorldcomと比較したとき、(その後の法改正はありますが)日本の刑事罰は甘いと思わざるを得ません。法以上の罰を求めることは、してはならないが、法の下での最高刑の適用や法改正の検討はあってしかるべきかなとも思います。

上場会社の場合、一般投資家からの投資を受ける立場であり、一般投資家は企業から公開開示される情報以外に信頼できる投資判断の情報を持たない状態です。特に、財務諸表は企業の事業成績と財政状態を表す最重要の情報であり、この情報に虚偽が含まれていることは投資家を欺いていることと思います。

日興CGについて言えば、2月27日にあらた監査法人の監査報告書が添付された半期報告書等が提出されましたが、依然としてベルシステム24,BBコールは連結対象外となっています。監査済みであり、これ以上蒸し返すと際限がなくなりますが、日興CGの発表は信頼できないとの印象をぬぐい去れないでおります。

投稿: ある経営コンサルタント | 2007年3月16日 (金) 11時58分

グレーゾーン金利の存在で、消費者金融から金を借りた多くの人が、自殺や夜逃げを余儀なくされた事実が過去10年間以上存在しました。
その間、自発的に返した金利は有効だと解釈するふざけた民法学者・裁判官、消費者金融を容認した金融庁・大手金融機関は、自殺や夜逃げした人たち数万人とその家族に、どのような責任をとったのでしょうか?

犯罪と刑罰を考えるとき、個別事例より国家全体で大きく見ないと、一部の悪人を排除するだけのリンチに終わります。国民は、そろそろ個別の悪人よりも、大量の不幸な人を生み出す社会政策に多くの関心を向けるべきです。

日本の刑罰は、アメリカだけでなく欧州諸国と比べれば、特に軽いとは考えられません。

投稿: 罪刑均衡 | 2007年3月16日 (金) 12時28分

 ただ単に、個人主義とか近代学派とか、刑罰が重いとか軽いとかという次元で書いているわけではありません。

 まずは、企業不祥事の再発を防止するためには、企業そのものに対する責任非難が無ければ、真の意味での防止・抑止につながらないのはないでしょうか。だからこそ、内部統制やコーポレートガバナンスが重視されているのではないでしょうか。 
 個人責任の原則を貫くならば、企業不祥事が起こっても社長や関与した役員・社員が辞めたり逮捕され、企業の体質も変わらずに同じ不祥事が何度も繰り返され、多くの被害者が出るという一面もあるのです。三菱自動車がリコール事件により社長や役員が逮捕されても、リコール隠しが続いたように、個人責任お原則だけでは何も変わらないという事態もあるのです。
 

 あくまで企業実務家としては、他社の事案等を教訓にして、自社の企業でも同じように責任非難が降りかかってこないように、そして同じような処分で社員が悔しい思いをしないように、再発を防止する方向で考えるべきではないのでしょうか。ただ単に日興CG一社の問題ではないと思います。刑法や刑事政策論のみでの、そして罪が重いとか軽いとかという極めて主観的なレベルで議論を行うことに、意義を感じません。私自身は、あくまでも企業におけるコンプライアンス、内部統制、そしてコーポレートガバナンスの観点を重視して考察していますし、今後もそのつもりです。刑法上の法人処罰の適否の話しをする気もありませんし、しても無意味だと思います。
 
 いまや法人なくして社会生活を行えない以上、そして、そもそも一般社会と異なり、証券市場には「法人しか」存在しないわけであり、そこで法人処罰の適否を論じても無意味ではありまんか。法人を処罰することで確かに別の人(=社員やその家族)が被害を被るのは確かでしょう。でも企業が活動する以上、それよりも多くのステークホルダーが存在します。消費者や投資家、取引先など、それらの不利益は考慮しなくていいのでしょうか。

 証券市場の信頼を確保するという意味で法律で仕組みを構築しようとした国民の代表者の強い決意、そして実際に基準や法案作成等に携わった人々の苦悩、必死になって仕組みの構築に取り組んでいる各企業の涙ぐましい努力と資金、時間、そのあたりを無駄にしていいというのでしょうか。個人主義的発想で代表者等の関係者のみを処罰すりるというトカゲの尻尾きり的な考えは、これらを全て無にするもではないですか。そして個別の事件ではなく、国家全体の見地で考えるならば、むしろ今まで論じてきたように、上場廃止として、大量の不幸な人を生み出す企業をすくなくともその主戦場から追放すべきではないのでしょうか。

 疑わしきは罰せずは大切です。しかし、そのものを罰しなくても別の真犯人(=グレーではなくて、黒)を逮捕できるならいいですが、今回の場合は、それが出来るのでしょうか。日興CGのほかの他の真犯人が見つかるのでしょうか。処罰できるんでしょうか。出来るわけがありません。
 それなら、日興の虚偽報告を信じた投資家=自らの資金調達をするために欺瞞、欺もうされた投資家、期待を裏切られた証券市場関係者などの被害や不利益を保護できるのでしょうか。
 
 古典派、近代派云々よりも、刑罰の軽重よりも、そもそもの被害者すら保護できない、あるいは被害感情すら保護できない、保護法益なき刑罰論や処罰論に何の意味があるのでしょうか。保護法益なき刑罰論は存在しないのではないでしょうか。
理屈やそれこそ個人的な思想・感情論だけの法人処罰論は全くの空疎であると思います。

そして、再三申し上げているように、上場廃止=刑罰なのでしょうか。上場廃止=厳罰化なのでしょうか。上場廃止がすぐに企業の倒産による社員の不利益などと結びつけること自体が、適切とは思えません。そして、これも昨日書かせていただきましたが、日興の株主が上場廃止によって不利益を被ると考えているなら、これは果たしてそのような形での株主保護が適切なのでしょうか。
 株式投資を行なう以上、株価の下落、暴落のリスクや上場廃止のリスクを負うべきです。一時的には、即ち日興CGの株では不利益を被るが、同じ被害を繰り返さないため、同じ被害者を再度出さないことのほうが大切なのではないでしょうか。ライブドア、カネボウで多くの株主が上場廃止により同様の被害を被っており、その数もかなりの人数に上るのに、また虚偽報告をした企業を免罪して、同じ悲劇を繰り返すのですか。それこそ、大量の不幸な人を生み出す社会施策ではないでしょうか。


これでコメントを最後にさせていただきますが、自分で火をつけた問題ではありますが、皆さんの意見を踏まえて、最後に自分の思うところを述べさせていただきました。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2007年3月16日 (金) 20時49分

絶対上場廃止にすべきだ。

投稿: ライブポア | 2007年3月18日 (日) 23時19分

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