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2007年5月 4日 (金)

内部統制監査と会計士さんの法的責任

GW後半は、少し大きめの裁判の準備のために毎日事務所で仕事をしております。(会計士の皆様、とりわけ監査法人に所属されている方は、例年どおりGW休暇なくお仕事に勤しんでいらっしゃるのではないでしょうか。)最近は「内部統制」に関する書物がたくさん書店で平積みになっておりますし、実務上の論点は出尽くしたのではないか・・・といった印象すら感じられるところでありますが、前回のエントリー同様、私自身はまだまだ会社法上も、また金融商品取引法上においても、この内部統制関連の議論のタネは尽きないものと思っております。本日は内部統制に関連するお話のなかでも、いま「特需」と噂されております会計士さん方の法的責任との関係について少し考えてみたいと思います。ちなみに、某監査法人が被告とされている長銀事件の大阪地裁判決(平成19年4月13日)の判決全文も、こちらのページで閲覧することが可能であります。(たいへん長いので、雑誌等への掲載後に解説付きで読まれたほうがいいかもしれませんが・・・)

少し前になりますが、「月刊監査役」3月号におきまして、神戸大学の志谷匡史教授が「公認会計士の任務懈怠とその責任(主要判例を素材に)」と題する論稿を著していらっしゃいまして、不正会計にまつわる公認会計士の法的責任の根拠、判例にみる会計士の義務と責任、判例の検討、そして最近の公認会計士制度部会報告にまで言及しておられ、まことに読み応えのある作品といった印象を受けました。なかでも、判例検討部分につきましては、平成3年の日本コッパーズ事件第一審判決からはじまり、平成17年の山一證券第一審判決まで、6つの判例につきまして事案、主張、判決を手際よくまとめておられ、たいへん読みやすくなっております。その判例検討部分を拝読しているなかで、志谷教授は言及されておられませんでしたが、今後金融商品取引法上の内部統制報告制度が施行され、財務諸表監査とは別に内部統制監査が行われるようになった後の、こういった不正会計に関連する会計士さんの法的責任はどうなるのだろうか・・・(果たして軽くなるのか、重くなるのか・・・・)といった疑問が素直に生じてまいります。

たしかに、これまで監査法人(公認会計士)の民事賠償責任が問われた事件を概観してみますと、志谷教授が指摘されていらっしゃるように、裁判所は会計専門職の方々へかなり寛容な判決が多いように感じられます。会計士さんの責任が認められた平成11年3月のヤオハン事件(資料版商事法務187号216頁)、平成15年の凸版印刷事件(判例時報1826号97頁)などは、その認定された事実関係からいたしますと、どう考えても専門家としての注意義務違反があったと断定できそうな事件でありまして、あまり結論については異論のないところのようであります。(志谷教授も同様の見解を述べておられます)その他の判例におきましては、監査に従事する当時の監査環境を十分考慮したうえで、その当時公認会計士監査に要求されていた注意義務の程度を十分斟酌したうえで、当時の水準から判断して注意義務違反はなかったと結論付けるところが一般的であります。(このあたりは、責任を追及する側の代理人弁護士の力量にも依拠している部分もあるかもしれません)

ところで、監査法人(公認会計士)さん方の責任が否定された事件の判決を眺めておりますと、裁判官の一定の共通認識が「まえがき」のように記載されていることに気がつきます。それは「会計監査は不正発見を目的とするものではない」ということと、「内部統制が有効に機能していない当該会社においては、会社のほうに落ち度が大きく、会計監査人が見落とすのもやむをえない」といったフレーズであります。(もちろん、ニュアンスはそれぞれの判決で異なりますが、おおむねこの二つのフレーズは共通認識になっているようです)採り上げられております判例の事実関係は、すでに今から5年以上前のものばかりでありますが、さて、このように内部統制報告制度が世間を賑わわせており、経営者に内部統制の評価、そして監査法人にはその監査が制度化されようとしている今、果たして今後も裁判所が会計専門職の方々にとって寛容な判決を出していただけるものかどうかは、ちょっと疑問符がつくところではないでしょうか。いままで「内部管理体制が悪いのだから(責任を問えないのも)やむをえない」とされていた上場企業の内部統制システムそのものが、今後は財務諸表監査を担当する会計士さんが、経営者の評価を通してではありますが、なんらかの監査意見を述べなければならないわけでありますから、経営者による内部統制報告に「適正意見」を出してしまいますと、「やむをえない」とされる前提がなくなってしまうわけであります。また、「そもそも会計監査は不正発見を目的とするものではない」といったフレーズにつきましても、たしかに現在でも会計士さんに不正発見義務が課されているわけではありませんが、この内部統制報告制度が導入された制度目的(経営者不正の防止)や、「監査にあたる者は、不正が行われているリスクをある程度認識したうえで監査業務に従事すべきである」といったリスク・アプローチの考え方からしますと、今後の会計不正に伴う監査人の法的責任論の場におきましては、もはや枕詞のようには使えないのではないでしょうか。ちなみに、この志谷教授が検討しておられる6つの判決のうち、凸版印刷事件は数少ない会計士さんの責任が認められた事例でありますが、この事例では会計士さんの責任に7割の過失相殺が認められております。なぜ過失相殺をしたかといいますと会社側の内部統制制度の不備が、不正を行いやすい環境を作り出していたから・・・とされています。この判例理論からしますと、今後はこの会計士さんが内部統制監査まで行うことになりますので、もしそういった企業の経営者による内部統制評価に「適正意見」を出しておりますと、まちがいなく過失相殺は斟酌されないことになるはずであります。

ここで「内部統制の限界論」を持ち出して、経営者による内部統制の無視があったことを主張すれば過失相殺は認められるのではないか・・・との反論もあるかもしれません。しかしながら、この実施基準にも書かれてあります「内部統制の限界論」でありますが、私も最近まで、誤解していたところでありますが、この議論はどうも内部統制の評価および監査における「合理的な保証水準」(つまり内部統制システムの目的達成への有効性には限界があるために、絶対的な保証ではなく、合理的水準で足りる、というもの)と関係するものであって、会社法上の内部統制の議論(つまり取締役や監査人の法的責任の減免)とはあまり関係がないのではないか、と考えております。(このあたりは、自説を改めたいと考えております)したがいまして、監査法人(公認会計士)の法的責任が検討されている場面におきまして、実施基準に登場する「内部統制の限界」に関する論点につきましては、あまり期待されないほうがよろしいのではないでしょうか。(この、会社法上の内部統制と金商法上の内部統制との関係につきましては、別途エントリーで検討したいところであります)

こういったところから考えますと、内部統制報告制度における監査法人さんの監査のレベルというものは、「レビュー」のレベルとしたほうがよかったのではないか、とふと思った次第であります。(四半期報告書の法定化における監査のレベルとの関係で、たしか内部統制報告制度における監査のレベルが決まった・・・といったような話を思い出しました)ところで、この「内部統制監査と監査人の法的責任」に関する論点は、上記の担当監査人の注意義務を議論するところだけでなく、監査法人自体の内部統制(組織的監査の強化)とも関係が出てきます。担当責任者に過失が認められる場合、もし組織的監査が励行されていたとすると、その監査法人内部の審査担当者の過失の有無にも影響が出てくるのではないでしょうか。このあたりは、これまであまり議論されてこなかったところだとは思うのですが、もし大手の監査法人さんあたりで、東京の大手法律事務所さんと検討されていらっしゃるようでしたら、その見解もお聞きしてみたいところであります。また、こういった内部統制監査と法的責任論を詰めて考えていきますと、「内部統制報告制度導入による監査役の法的責任論」も検討する必要が出てきますが、これはまた別の機会に検討してみたいと思っております。

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コメント

こんにちは。

私、みすず監査法人に所属する一会計士で、8月1日よりは監査法人トーマツに移籍することとなりました。

「ビジネス法務の部屋」を色々と眺めていて、たしかに非常に勉強になりますし、身が引き締まる思いではありますが、全体として監査法人に対しての要求・期待水準が高過ぎるように感じます。

以下、冗長になりますので、まずは私個人の二つの主張を記載します。
①責任に見合った監査報酬をもらう必要がある。
②報酬の出し手を変える(従来:企業→監査法人⇒あるべき:企業→証券取引所等→監査法人)

①により、十分な監査時間を確保することが可能になります。
しかし、①だけでは、米国のエンロン・ワールドコムのようなケースを防止することは出来ませんので、報酬の出し手を変える必要があると思います。

その基本的主張をご理解いただいた上で、当記事に直接関連したコメントを記載します。

会計士なり、監査法人の責任論について、問われるケースが多いですが、責任は権限なり報酬なりに連動するものだと思います。
奇しくも、山一證券の訴訟について、本文で触れていらっしゃいますが、
本事案については、旧中央青山監査法人が5年間の報酬を返上することで和解に落ち着いたという理解です。
その額は、『たったの』1億5千万円です。(年額ではなく、5年間での金額であり、年間報酬は3千万円に過ぎません。)
我々の業界では、監査日数1人日=10万円前後のテーブルで日程計画を作ります。したがって、3千万円→300日ということになりますが、この日数で4大証券の一角を監査し、全貌を把握しろと言うのは非常に乱暴な議論ではないでしょうか?
現在の野村證券で1億5千万円前後、海外の同規模の金融機関では数億円の監査報酬を頂き、それに基づいて十分な監査時間をかけて進めている訳ですが、監査報酬水準が低すぎたことは大きな問題だと思います。
以前は、企業の破綻リスクが小さかったため、監査法人への期待も小さかったし、監査法人への責任追及のリスクも小さかったため、安い報酬でも良かった訳です。
しかしながら、昨今の監査環境は大きく変わっている訳ですが、報酬については、期待・責任の加速度的な高まりに全く連動していないのが現状です。

もちろん、会計専門職として出来る限りのことはやるべきですし、またやるつもりでもいますが、あまり責任だけを追及して、監査の担い手がいなくなってしまうのもマズイのではないでしょうか?
私自身は7年目の会計士ですが、23人いた同期で、今も監査業務を行っているのは4人だけです。監査業務の担い手はあくまでも公認会計士でが、きつ過ぎる・リスクが高い・その割に待遇が良くない等で、M&Aコンサル等に人材が流出しているのが現状です。
私自身も、6勤1休(休と言っても現場に出ないという意味で、ほとんど家・事務所で作業をしています)を何ヶ月も続けており、心身ともに限界に近いですが、私が辞めれば下の人に負荷がかかる⇒下の人もきつくなり辞める、という悪循環に陥りかねないと思います。
私自身は、監査という仕事にやりがいも感じていますし、自分が防波堤になるという気持ちで、監査法人勤務を続けるつもりですが、やはり生き物ですので、過度の負荷がかかれば切れてしまうでしょう。

やや感情的になりましたが、要するに監査法人のあり方についての社会的期待が急激に変化した状況に対して、冒頭の2主張など、社会自体の変革が必要と考えます。
もちろん急には変わりませんので、既存の陣容・既存の報酬で当面はしのがなければならず、各会計士なり各監査法人が個人レベル・組織レベルでの改善を図る必要があります。
ただ、いずれにしても、まず出血を止めなくてはなりません!!
監査業界からの人材流出を止めなければ、どうにもならないことをご理解いただきたい。

高みからの考察は非常に的確ではありますが、監査現場は非常にウェットでもあり、ドロドロもしています。
その現場で、泥をすすり、這いつくばって頑張っている会計士が何千人といるということをぜひご理解いただきたいと思います。
踊る捜査線ではないですが、「事件は現場で起こっている」のであります。

かなり感情的になり、申し訳ありません。
みすず解体という事実を受け止めきれていないのかもしれません。

また、もう少しクールダウンした時に、お邪魔できればと思います。
では、失礼します。

投稿: みすず所属会計士 | 2007年5月 6日 (日) 17時29分

 「裁判所は会計専門職の方々へかなり寛容な判決が多いように感じられます。会計士さんの責任が認められた平成11年3月のヤオハン事件、平成15年の凸版印刷事件などは、その認定された事実関係からいたしますと、どう考えても専門家としての注意義務違反があったと断定できそうな事件でありまして、あまり結論については異論のないところのようであります。」と書かれた点について異論がありますので、ついついコメントしてしまいました。
 ヤオハン事件は知りませんが、凸版印刷事件は、粉飾をした書記長が、監査の対象となった決算書類とは内容の異なる決算書類を組合大会に提出し、公認会計士がこの差し替えた決算書類に対して監査証明をしたかのような外観を作出した事件でした。この事実について判決文でも認定しているにもかかわらず、公認会計士の責任を弾劾したのがこの凸版印刷事件です。
 監査報告書が対象としたものでもない差し替えられた決算書類の粉飾について、公認会計士が責任を取らされたわけです。こんな非常識なことがあるでしょうか。「会計専門職の方々へかなり寛容な判決」では決してありません。監査のイロハで認識誤りをしている典型的な誤審です。ところが、そうした監査の本質について論考される法学者がいません。監査の意義や仕組みをないがしろにして、監査人が悪いか悪くないかにだけ議論するやり方には、魔女狩りにも似た風潮を感じます。
 この判決後、われわれ会計士の仲間内では、「(決算)総会には、必ず出席して、決算書類が監査した決算書類と同じことを確かめなきゃ」というブラックジョークが流行りました。 この事件と日本コッパース事件については、私のHP(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/fujino/audit.html)でもう少し書いていますので、よかったら参考にしてみてください。
 凸版印刷事件は、労働組合監査あったので、内部統制監査が導入される証取法監査とは、監査日数も要求されていた監査基準も格段に違いますので、内部統制監査と監査人の責任について議論される際には、全く参考にならないと思います。ただ、労働組合の経理関係業務をすべてひとりの書記長に任せていた組合執行部の責任は重く、正に内部統制の欠如であったことで、かすかに内部統制監査の議論につなげられるかもしれません。
 みすず所属会計士さんが意見を述べられているように、会計監査人の責任を議論する場合には、監査環境の整備との兼ね合いにもっと留意をすべきだと考えます。十分な監査日数(即ち監査報酬と同じ意味になります)を用意しないままに責任だけを求めては、みすず所属会計士さんのように使命感をもって仕事に励んでいる多くの会計士を死の淵に追いやるだけの結果しか生まないように思います。
 この点を心の片隅にでも置いてもらって、監査にまつわる理論を議論していただければ幸いです。

投稿: 藤野正純 | 2007年5月 6日 (日) 23時53分

>みすず所属会計士さん

はじめまして。コメントありがとうございます。また、貴重なご意見、拝聴することができて感謝しております。「高みからの考察」と受け取られましたらご容赦ください。また事案の詳細につき、十分な検討もなく、一般論での発言につきましても舌足らずの箇所があったようです。ただ、私自身、普段の業務は会計士さん方とご一緒する機会もおおく(ただし独立系の方々ですが)、決して杓子定規な法律論を振りかざすつもりで著したものではないこと、ご理解ください。責任論の強化→監査担当者の流出という点は現実問題としてかなり深刻なのでしょうか?この点、エントリーにもすこし触れましたが、次回の続編のなかで私自身の見解を述べたいと思います。ぜひぜひ、また忌憚のないご意見をお待ちしております。

>藤野先生

ごぶさたしております。相変わらず元気にやっております。
エントリーの最後のほうでも書かせていただきましたが、会計士さん方の(とりわけ監査に携わる)フィールドの姿というものが、実際の司法判断のなかできちんと伝わっているのでしょうか?私は昨年、ある本の著作に関わり、いろいろな会計士さんと議論させていただきましたが、「独立性」とか「注意義務」等、重要な言葉の意味において、法律家と会計士の間で大きな溝があることを感じました(これは私だけでなく、ほかの弁護士も同じ認識です)「内部統制」といったものも、ある意味共通語として使用されるべきと思いますが、法曹の側からみて、まだまだ誤解しているところもあるかもしれません。短い言葉ではまた言い尽くせませんので、こういったところもまたあらためて続編で述べたいと思います。
ご意見ありがとうございました。

投稿: toshi | 2007年5月 8日 (火) 22時21分

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