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2007年5月13日 (日)

株価算定評価書の開示について(2)

またまたM&A会計士ブログの澤村先生がMBO(マネジメント・バイアウト)における株式算定評価書に関するエントリーをお書きになっていらっしゃるので、早速拝読させていただきました。(すみません、私は他人様のブログの性格まで変えるほどの傲慢さは持ち合わせておりませんので、どうか「パンケーキの作り方」とか「おいしいレストラン特集」とか、そういったエントリーもお書きになってください。楽しみにしております。>澤村先生。実は私もささやかな趣味であります歴史モノ、「大和古寺巡礼の旅」とか「蘇我入鹿の遺跡のなぞ」みたいなエントリーを(当初は)織り交ぜたいと思っていたわけでありますが、おそらくどなたもそんなエントリーを平日の朝から読みたいとも思われませんでしょうし、もうここまできてしまいますと、ちょっと無理っぽいです 笑)

澤村先生のエントリーを拝読し、また私自身、MBOにおいて公開買付者(経営者の関与する会社)が少数株主を含めた対象企業側に提示する金額として、どうも気になりますのがDCF算定を基礎とした株価>純資産方式による株価の場合に、なぜDCFによる株価が優先されるんだろうか・・・ということであります。公開企業の株価というのは、本質価値と市場価値というのがあって、理想的な資本政策からしますと、この本質価値と市場価値をバランスよく高めていくこと、というのが基本的な考え方ではなかったかと思います。そして、この本質価値の重要な構成要素として、現在の企業の保有する純資産があると。(たとえば元産業再生機構代表者の富山和彦さんのご解説などは、こういったお話ではなかったでしょうか。)MBOがリリースされて、その後に競合的なTOBが現れなかったからといって、経営者の関与する企業のTOB価格が合理的な価格を提示したことの理由にならないのは、こういった本質価値と市場価値とのバランスが短時間には第三者からは判明しないからではないでしょうか。もちろん、一株あたりの純資産額よりもDCF法を算定の基礎とした株価のほうが大きい場合であれば、それなりに将来収益の価値も少数株主に配分されるのではないか・・・ということも理解しうるのでありますが、一株あたりの純資産額よりもDCF法による株価が低く、そのDCF法を基準とした株価をもとにTOB価格が提示された場合、なぜ清算を前提とした価格よりも少数株主は低い価格に甘んじなければならないのか、という点が、私にはよくわかりません。もし純資産部分の清算ということが(継続企業としての株式価値判断としては)おかしいのであれば、再調達時価純資産方式によるものでも結構かと存じます。コールオプションを放棄したわけでもない(つまり、長期保有の自由を自ら放棄したわけでない)一般株主が、なにゆえ最低限度の本質価値(再調達時価純資産)の部分を無視して、市場価値だけを基準とした算定方式に従わなければならないのか、(つまりコストアプローチは採用されずに、インカムアプローチとマーケットアプローチのみによる株価算定に左右されなければならないのか)ものすごく不思議であります。ただ、現実に昨年から今年にかけてのMBO事例のうち、いくつかは、この一株あたり純資産>TOB価格といった図式が成り立つものであります。単純に考えますと、この純資産の余剰のところは、すべて支配株主が少数株主の犠牲のもとで独り占めできることになって、明らかに不公平ではないでしょうか。

私は前も申し上げましたとおり、こういった企業価値判断の専門家でもありませんので、一般企業の監査役、という視点からの疑問を呈しているわけでありますが、もし自社のオーナー社長がMBOを決意したとして、こういったTOB価格を意見表明に関する取締役会で審議するとしたら「とんでもないですよ、社長、あんた自分ひとりで利益をもってっちゃって、どうすんですか??」と噛み付くんじゃないでしょうか。そういったバリュエーションの素人でも、監査役である以上は最終的には株主への説明責任が発生するわけですから、なぜ、一株あたりの純資産額(一株あたりの再調達時価純資産額)よりも低い株価によるTOBへの賛同が、少数株主にとっても公平といえるのか、合理的な、しかもわかりやすい説明ができないとおかしいのではないでしょうか。常勤であればまだしも、社外監査役としましては、明確な説明ができなければヤバイのではないかと思ってしまいます。(まあ、説明が不要となるように、略式事業再編の手法がとれるのであれば幸いかもしれませんが。)本日(5月12日)、テーオーシーのMBOが不成立となった旨のリリースがありましたが、まぁこのところ1000円前後の市場価格で推移しておりましたので、不成立は当然といえば当然かもしれません。しかしながら、やっぱりダヴィンチ側よりコストアプローチがなにゆえ考慮されていないのか、恣意的な株価算定と言わざるをえないのではないか、との疑問が提示されておりましたし、私自身としましても、このあたりはとても知りたいところであります。(ちなみに、オオタニファンドTO側の株価算定書によりますと、継続企業の価値算定にとっては、清算価値を基礎とする手法は適切でないことと、コントロールプレミアムが含まれていることにより妥当な算定ができないことが理由とされているようですが、それは競合するTOBが存在して、どの株主にも、できるだけ高い値段がつけられるインセンティブが存在する場合には妥当しても、支配株主と少数株主との利害が相反するMBOの場面にも妥当する理由なのでしょうか。アメリカでも長い歴史をもつMBOの実務でありますので、こういった場合でも合理的な説明方法があるのではないかとも思いますし、ぜひ今後の参考のためにも、どなたかにお聞かせ願えれば・・・と希望しております。

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コメント

私も時価純資産方式は、合理的な会社価額算定の一方式であると思います。捨て去ることは、すべきではないと考えます。

DCF法は、最も合理的と言えますが、所詮将来のキャッシュフロー予測には、不確実性が大きいことと、市場競争に勝ち抜いて利益を拡大していくことが前提ですから、経営者の能力評価と密接に関係します。さらには、ディスカウント計算に使用する割引率や、市場の成長率、インフレ率等あまりにも前提が多すぎます。DCF法は、計算の基となった生の評価報告書をチェックしないと検証ができないと考えます。

簿価純資産は貸借対照表から簡単にわかりますし、時価純資産も明細表と貸借対照表を比べれば、比較的検証は容易であると思います。時価純資産に企業成長能力を加味して企業価値を投資家が考えてみてもよいのではと思いました。

なお、悩ましいのが連結調整勘定の評価なのであろうと思います。連結調整勘定が発生している子会社が本当に業績に貢献している(投資に係わる資金コストも勘案の上)のであればよいのですが、もし、逆であれば、連結調整勘定は、価値はゼロである。但し、時価純資産の場合でも、DCF法の場合でも、連結調整勘定を評価した上での結果なので、気にすることはないのかも知れませんが、評価の際の鉛筆なめ部分に入るのではとなんとなく思ったものですから。

余り適切なコメントではないかも知れませんが、純資産法とDCF法に関してエントリーを書かれておられたことから、書いてしまいました。

投稿: ある経営コンサルタント | 2007年5月13日 (日) 11時43分

>経営コンサルタントさん

とんでもございませんです。御教示ありがとうございます。M&A会計士さんへのコメントでも書かせていただきましたが、専門家の方々の「印象」みたいなものすら、私には不明な点がありますので、そのあたりをお聞かせいただくだけでも非常に助かります。ただ、「連結調整勘定」のあたりの問題点はちょっと不勉強なもので、もうすこし前提のところを勉強したうえでまた質問させていただこうかと思います。

ところで、加ト吉の架空循環取引ですが、そちらのブログでも取り上げられておられましたが、会社側の今後の対応などがリリースされていますよね。内部統制に関連する話題かもしれませんが、また加ト吉側の対応が、今後の架空循環取引の再発を本当に防止するに足りるものかどうか、そのあたりもまた時間のあるときにでもお教えいただければ幸いです。

投稿: toshi | 2007年5月13日 (日) 12時09分

>なぜ清算を前提とした価格よりも少数株主は低い価格に甘んじなければならないのか、という点が、私にはよくわかりません。
 このように率直に表明していただける弁護士先生がいらっしゃることを心強く思います。ただ、現実に少数株主が、このような意見を主張するには、どのような方法がありうるのでしょうか?
 素人的には、116条の株式買取請求しか思いつきません。
 もし、買取請求する場合に、「公正な価格」に関する主張として、今回の議論がなされるでしょうけれども、MBOなど会社側の買取価格以上の価格が認められる可能性が出てくるポイントとなりうる点があれば教えて頂ければ幸いです。

投稿: ぷるぷる | 2008年7月29日 (火) 09時31分

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