課徴金引上げにより法廷闘争勃発?
企業会計不正の抑止力として期待されている課徴金制度でありますが、来年の通常国会で金融商品取引法の改正を予定しており、そのなかで課徴金納付命令を課す「対象行為」の範囲を拡大し、さらに課徴金の納付額も大幅に引き上げる検討に入ることのようであります。(日経ニュースはこちら)独占禁止法の分野においてもまた、課徴金の引き上げを検討している、とのことでありまして(こちらは読売ニュース)、経済法の分野における行政処分(課徴金)制度の運用において今後いろいろと議論されるところが多くなりそうであります。とりわけ制裁的意味を含めた課徴金の納付額の問題と、課徴金の減免制度を細則化して、悪質な場合には金額を加重し、また軽微もしくは反省がみられる場合には金額を軽減させるといった課徴金制度の運用問題が焦点になるのではないでしょうか。
皆様もご存知のとおり、課徴金制度は原則として「違法な行為によって対象企業が不当に得た利益を返還させる」「見つかったら元に戻す」といった思想に基づいて運用されておりまして、「制裁的な意味合いは薄い」からこそ、刑事処分との二重処罰禁止をうたった憲法に違反しないとされている、と一般的には考えられております。(だからこそ、企業の故意過失を問題にすることなく「うっかり」インサイダー取引にも課徴金は課されるわけであります)しかしながら、現在検討されている課徴金制度の厳格化(虚偽開示などへの制裁的な意味合いをもった高額の課徴金制度)が実現することになりますと、①企業自身が経営者による会計不正によって実質的な損害を被ることになり、株主代表訴訟の対象となりやすくなる、②制裁的意味での課徴金制度ゆえに、処分が確定すると経営者個人の刑事罰が認められやすくなる、という意味で、証券取引等監視委員会や証券取引所における事実調査の内容が、これまで以上に対象企業の経営者にとって民事的にも刑事的にも影響度の高いものになることが推測されます。新たにTOBルール違反などにも課徴金が賦課される、といったことが検討されているようですので、おそらく金商法上もまた、独禁法上においても、課徴金納付命令に対する異議申し立てについては(経営者の保身という動機付けもあって)増加することになるでしょうし、その結果として裁判所において課徴金処分の取消を求める裁判も増えることになるのではないでしょうか。このあたりは、あまり検討されている文献等も見当たりませんが、これも立派なリーガルリスクの一種といえるでしょうし、リスク管理の一環としまして、今後刑事法学者の方々の意見なども交えながら議論されることになるのではと思います。
先日、企業法務における事実認定の困難さ、といったエントリーを立てまして、持論につきましては皆様方よりいろいろとご批判も頂戴いたしましたが、こういった課徴金制度のあり方も企業内における事実認定の問題ともまた、無縁ではないと思われます。経営者や法人に刑事罰が課される「犯罪事実」と課徴金が課されるべき「対象事実」とがいったい同じレベルの事実(認定事実)なのか、違うのか、といったことも問題でありましょうが、とりわけ対象企業のルール違反の悪質性によって課徴金が加重されたり、軽減(免除)されることがあるというわけですから、「悪質性を根拠付ける事実」や「悪質性を排除することを根拠付ける事実」の振り分けこそ、事実のあてはめの問題に属するものでありましても、そもそもそういった根拠事実の有無といったものをどうやって企業内で評価していけばいいのか、やはり考えてみますと意外にムズカシイ領域ではないかと思っております。(いろいろと考えておりますと、本当に課徴金引き上げといった制度改正が、経営者の会計不正を思いとどまらせるために効果的と言えるのか?といった根本的な疑問にも戻ってしまうかもしれませんが・・・)
| 固定リンク
コメント
上記の点について要領よくまとめた資料があります。
http://www8.cao.go.jp/chosei/dokkin/kaisaijokyo/mtng_18th
>>>>>>>>>>>
経済犯罪が増加している!
経済犯罪で被害者(=消費者)がたくさん発生している!
経済犯罪には厳罰化を!
経済犯罪は知能犯的要素が多いため、粗暴犯罪と比べ厳罰化の効果が期待できる!
こういった何の根拠のないドグマは、おそらく今後10年間は猛威を揮い続けるでしょう。
私の見る限り、ここで発言している学者は、権力に迎合するいんちきプロフェッショナルではなく、同時代の数少ない良心的学者であるだけに、非常に残念です。
10年間以上続いた格差社会のため、多くの国民に不満と怒りが渦巻いており、攻撃のはけ口を求めていることは間違いありません。犯罪者に対する最近の攻撃的世論は、正義と何の関係もないと思います。
飢饉で苦しんだ第二次大戦前の日本では、一時期財閥攻撃が非常に盛り上がりました。しかし、財閥が軍閥(国民ではない!!!)に金を垂れ流して、結局のところ更に肥大化して戦後まで生き残りました。
同じことは二度繰り返さないで欲しいですね。
投稿: 川の流れのように? | 2007年6月11日 (月) 08時33分
すいません、上記アドレスは開けないようです。
もう一度、アドレスをお教え願えませんでしょうか。
投稿: toshi | 2007年6月11日 (月) 09時50分
http://www8.cao.go.jp/chosei/dokkin/kaisaijokyo/mtng_18th/mtng_18-3.pdf
http://www8.cao.go.jp/chosei/dokkin/kaisaijokyo/mtng_2nd/material_2-1.pdf
N東京大学教授
「いかなる場合に刑罰を科すか、行政罰を課すかの明確な基準はないし、行政罰を課す手続きについても統一的な規定はない」
その通りですけど、それでいいのでしょうか?
経済刑法とか行政刑法における適正手続きとは何かが明らかになるまでには、相当時間がかかるのでしょう・・・・
投稿: 失礼しました | 2007年6月11日 (月) 10時46分
情報どうもありがとうございました。(若干、コメントを修正させていただきましたので、ご了承ください)
やはり真正面から議論されているんですね。ぜひ、きちんと読ませていただきます。
会社法や金商法などを勉強しておりますと、片面的な考えが普遍的なもののように思えてきますが、今回の問題は議論がもっと広がっていく機会になるのではと思います。
おっしゃるとおり法理論的には「何か」が明らかになるまでには相当時間を要することとなりそうですね。実務がこの論議をどう受け止めるのか、そのあたりに関心があります。
投稿: toshi | 2007年6月11日 (月) 11時37分
興味ある論説
http://www.unafei.or.jp/referencematerials/135th/Japanese/IV/A/5.pdf
最近の刑事立法は、処罰範囲を枠付ける実体刑法の機能をはっきりと低下させる・・・
具体的に見ると
①従来より早い段階における処罰を危険犯の処罰規定の増加により処罰範囲を拡大している
②不明確な構成要件を持つ刑罰法規が増えることにより処罰の限界が曖昧になっている
③法定刑の引き上げにより科刑における裁量範囲が拡大している
立法批判は,刑法の謙抑性とか侵害原理とか象徴的刑法とか,そのような抽象度の高い命題から演繹されるものである限り,それは説得力を持ち得ないであろうということである。1990年代以降ドイツの学説が立法と実務への影響力を急速に失った
>>>>>>>>>>>>
ドイツでも、1990年代以降、わが国と同じことが生じているようです。
ところで、実務への影響力があろうがなかろうが、法治国家の原則を維持することが必要です。
行政罰の要件や手続きを明確にすることなく、これを新たに導入し、または強化することは、国民の権利と義務を侵害する可能性が高いと思われます。
国会と金融庁などの行政機関が、行政罰の拡大を法制化するに当たっては、処罰要件や異議申立て手続きを明確に定める必要があるでしょう。
投稿: 消えゆく法治国家 | 2007年6月11日 (月) 17時40分
法の支配が揺らいでいる???
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070611/126982/
この弁護士は、ある会社の経営者の親族に対する追徴課税が、事後法の禁止に違反していると述べています。
>>>>>>>>>>>>>>
次の点に留意が必要です。
①事後法の禁止は、刑事法の適用範囲であり、税法にそのまま当てはまるとは言えません。
※法の不遡及(ほうのふそきゅう)とは、実行時に適法であった行為を事後に定めた罰則により遡って処罰すること、ないし、実行時よりも後に定められたより厳しい罰に処すことを禁止した、近代刑法における原則。事後法の禁止(じごほうのきんし)ともいう
②追徴課税は、課税を免れた所得に追徴するだけで、制裁の要素がない。問題の課税が制裁の要素=重加算税でなければ、事後法の禁止を持ち出すのは、法理論としてやや合理性に欠けます。
③税法改正により、該当する行為に対して課税できるようになったという事実があります。改正法に遡及効を認めていなければ(遡及効を規定することもできたはず)、遡及させないのが立法意思です。このため、国税当局の追徴課税には、かなり無理があるという裁判所とこの弁護士の結論に同意します。
投稿: 趣旨は近いけど????? | 2007年6月13日 (水) 10時20分